ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

ミャンマーからのカセット再訪

2007-09-27 05:45:16 | アジア


 前半、ずっと以前に発表した文章の焼き直しになってしまって恐縮なのですが、そもそも、それで十分なほど変わらない現実に対する批判とお考えいただければと。

 私の目の前に一本のカセットがあって、ど真ん中にドーンと、まるでヘビメタのバンドのジャケみたいに見えるロゴでタイトルが記されている。
 が、読めない。どう発音するのか、いや、どちらから読むのかも分からない。不思議な形のミャンマー文字であるからだ。その下に英語で”Battle For Peace”とあるので、何とか意味合いの予想は付くのだが。

 これは、もうずいぶん以前、私の町で在日ミャンマー人たちによる、故郷の軍政に反対するパフォーマンスというか、告発集会が行われた際に会場で手に入れたものだ。
 収められている曲はすべてミャンマー語なのだが、歌詞カードに英文対訳が付いているので、意味は掴める。「私たちは、私たちの歴史を血で書く」なんて歌詞が歌われているようだ。

 他に、”歓迎されない訪問者””不良少年””真実の瞬間””平和への戦い”などなど、タイトルを挙げると、どんな傾向の歌が収められたものであるか、様子がつかめてくる。ジャケのミャンマー文字の下に、胸を銃撃で打ち抜かれ、血を滴らせる一羽の鳥が描かれている意味も分かってくる。

 さらに、カセットの裏には、「この歌集を自由を愛する人々に手渡してください」との英文も。
 サウンドは素朴極まりないフォークロック調で、60年代、デビュー当時の高石友也などを、ふと想起させる作りとなっている。ジャケのメタリックな仕上がりとの落差が不思議な感じだ。

 カセットが発表されたのは1992年の五月と記されている。そうか、あれからもう、十数年の歳月が流れたのだなあと、会場で知り合った何人かのミャンマー人の顔など思い出してみるのだが。

 その後、ミャンマーの現実はまるで変わっていないと思い知らされるニュースがこの数日、続いている。ついに昨日、ミャンマー国軍が反政府デモに参加した僧侶らを攻撃、5人の死者が出たと言う。
 相変わらず軍政は続いており、かの国の”解放”の象徴かとも思われるスーチー女史の軟禁状態も変わらぬままのようだ。
 カセットを作った人々は今、どこでどのような暮らしをし、何を思っているのだろうか。

 あれから私の音盤コレクションには、それなりの量のミャンマー・ポップスなども加わった。このカセットを聴き、「あのミャンマー音楽独特の”陽気な迷宮”みたいな個性は、まるで生かされていないなあ。どこの国でも聞けるような”反戦フォーク”ぶりで、こういう”運動”に関わる人たちの音楽性って、やっぱり似てきてしまうのかなあ」などと分かったような感想を漏らしてみたりするようにもなっているのだが。

 いやむしろマンネリなのは現実の方だろう。あいも変わらず権力者の暴力は苛酷に人々の上に振舞われて、飽く事がない。”いったい何人の死があれば十分なのか?”との、若き日のボブ・ディランの問いに対する答えもいまだ、示されてはいない。

 ミャンマー・ポップスのあののどかな響きに似つかわしい日常を、かの地の人々が手にするのはいつなのか。カセットを手に入れたあの日に、その場でミャンマーの人々と交わしたいくつかの言葉を思い返し、何が出来るわけでもない自分にもどかしい思いを禁じ得ないのだが。
 せめて我が日本政府、もう少しマシな対応は出来ないものか、などと思ってみる今日この頃である。


 ○<ミャンマー>デモ弾圧 軍事政権、強権体質あらわに
 (毎日新聞 - 09月26日 21:12)
 最高権力者のタンシュエ国家平和発展評議会(SPDC)議長は25日、ヤンゴンから約350キロ離れた新首都ネピドーで軍幹部を呼んで対策会議を開いたといわれ、この時に最終的にデモの武力鎮圧の方針を決定したとみられる。

 92年に辞任したソウマウン議長の後を継いで同評議会(当時は国家法秩序回復評議会=SLORC)議長の最高ポストについたタンシュエ上級大将は、当初は穏健路線を取り、95年7月には民主化運動指導者、アウンサンスーチーさんの自宅軟禁を6年ぶりに解除。一時はスーチーさんとも直接対話して和解する姿勢を見せた。

 しかし、軟禁を解除するたびにスーチーさんが政治活動を活発に行うことを嫌い、03年5月に三たびスーチーさんを拘束してからは、スーチーさんと外部との接触をほぼ完全に断ち、民主化勢力を徹底的に封じ込める戦略を取ってきた。

 スーチーさん軟禁に対する国際社会の批判を受け、軍事政権は03年8月に7段階の民主化手続き「ロードマップ」を発表した。しかし、新憲法の原則を審議する国民会議は、軍の権力維持を担保する条項をふんだんに盛り込み、民政に移管後も軍が権力を確保する姿勢を鮮明にしていた。

 デモに参加した僧侶や学生の多くは「今回を逃せば民主主義は実現できない」との強い使命感を持って「捨て身の行動」に臨んでいる。軍事政権が強硬策に出れば出るほど、国民の反発と憤りを招き、さらなる反政府行動を招くのは確実だ。

 バンコクを拠点とするミャンマー人民主化団体「ビルマ連邦国民評議会」のソーアウン氏は「僧侶や学生たちは軍事政権の警告を無視してデモを続けた。これは強硬措置も予想したうえでの命がけの行動だ。暴力的手段をもって僧侶たちの行動を止めることはできないだろう」と話す。