”孤独の太陽”by ウォーカー・ブラザース”
あっとしまった、前回の”60年代洋楽に演歌の影を見た”リストに、ウォーカー・ブラザースの”イン・マイ・ルーム”を入れておくのを忘れてしまったなあ。
あの曲を入れておけばそこを突破口に、かのバッハ巨匠も演歌世界に引きずり込む計略が成り立とうものを。
あの曲の邦題は”孤独の太陽”でいいんだっけ?まあ、今の若いヒトビトには、”チャララ~ン、鼻から牛乳!”と説明したほうが分かりやすいんだろうけど、メロディだけに関して言えば。
あと、”ストップ・ザ・ミュージック系のメロディ群”に関しても、もう少し述べておきたかった。いやこれに関しては別に一章設けても惜しくはないテーマと言える。
もう一つ落としていた演歌大曲が”ブラック・マジック・ウーマン”である。
作曲者のピーター・グリーン、60年代英国ブルースロック・シーンをリードしたギタリストであると同時に、実に演歌な心を持った作曲家であったと、これも特筆しておきたい。
彼は他にもいくつかの演歌的メロディのインスト曲を作っており、当方としては”古賀政男~アントニオ古賀~ピーター・グリーン”という演歌系ギタリストの流れを主張したいところなのである。
しかし、演歌的なイメージを求めると、どうしてもマイナー・キーの曲が多くなってしまう。
まあ、それだけの成り行きじゃない、たとえばクリームの”ホワイトルーム”の「文句あっか」と言わんばかりの歌いだしは、故・村田英雄先生がキッと客席ナカジクを見据え、「博多生まれで 玄海育ち♪」と見栄を切る瞬間を彷彿とさせるものがある。
また、オーティス・レディングの、”ジ~ズア~ムズオブマアアア~イイン~♪”と自らの深層心理の奥底に探査機を沈めるかのような歌い出しは、北島サブちゃんが”な~みだぁのぉ~おおおおおぅっ 終わりのひとしずく~ ゴムの合羽に染みとおる~♪”と、まさに聞く者の心に染み透るような歌いっぷりに通ずるものがあり、そこが演歌だといいたいのである。
それにしても、マイナー音階。こいつには、貧乏であるとか無教養であるとか因習に満ちたであるとかジメジメした感触であるとか、なかなかに陰湿なイメージがくっつきつつ、演歌の定義のすぐ隣に当たり前の顔をして座り込んでいる。
これはどこの文化圏でもそうなのだろうか?いや、どのみち、”西欧文化が標準”と言うことが刷り込み済みの白人文化のナワバリ内でのみ通用している”合意”でしかないんだろうけど。それ以外の地域には、そもそもメジャーともマイナーとも言いようのない音階が平気で存在しているのであって。
今回はとりあえず、話はまとまらないままに終わる。世界演歌探求の旅は、まだ途についたばかりだ。