ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

太陽と石の道から

2007-09-04 00:33:47 | 南アメリカ


 ”Identidades”by Maria Ines Ochoa

 「この新大陸の先住民は、海を越えてやってきたヨーロッパの人々を始めは、もしかしたら神ではあるまいかと半ば信じ込み、オズオズと歓迎の儀式をしました。
 そんな彼らにヨーロッパからの人々はためらうことなく襲いかかり、神殿を破壊し、富を奪い、人々を虐殺し、あるいは女たちをてごめにしました。
 そんな風にして行なわれた強姦によって生まれた、この大陸の先住民とヨーロッパ人、双方の血を受け継いだ子どもたち。その子孫が私たちなのです」

 照りつける中央アメリカの太陽の下、人の良さそうな笑みを満面に浮かべた老人にそんな話をされても対応に困るのだが、話者は全面的に聞き手に対する好意としてその歴史を語っているのである。
 しばらく前にテレビで放映されたメキシコの歴史に関わるドキュメンタリー番組の一齣だ。

 1960年代、たとえばマンボブームなどと言うものが世間を騒がせたりもして、ラテン音楽が全世界的なブームとなった時期があり、その頃の最先端を形成していたのがメキシコの大衆音楽だった。たとえば、手元に当時、ナット・キング・コールが発表したラテンのヒット曲ばかりを歌ったアルバムがあるのだが、収められている曲のほとんどはメキシコのヒットメロディだったりする。

 あの時期、なぜメキシコ音楽は世界音楽の最前線に踊り出るのが可能だったのか、またなぜその後、メキシコ音楽は国境線の内側に隠遁したままなのか。
 その辺は不勉強で分からない。というか、納得できる答えを出せる人もいないのではあるまいか。

 今回のアルバムは、かってメキシコの”新民謡”を代表する歌手としてメキシコ大衆に愛され、その人気の絶頂期にこの世を去った大歌手”アンパーロ・オチョア”を母に持つ若い女性、マリーア・イネスのデビュー盤である。

 歌うのは母と同じ、メキシコの大地に根ざした民謡調の曲ばかり。偉大過ぎる母と、完全に同じ土俵で勝負している。まるでその名跡を継ぐ、みたいな感じで、母のいくつかの名高い”持ち歌”さえもを歌っている。

 たとえば長嶋一茂なんて人を思い出しても、偉大過ぎる親の歩いた道をそのまま辿りなおす事のしんどさは想像が付く。何を好き好んで、と思うのだが、ジャケ写真の彼女はサトウキビ畑の中に佇み、両手を広げて微笑んでいる。
 母の残した”名”と、それがもたらす運命を、まるで歓迎するかのように明るい笑みを浮かべて受け止めようとしているようだ。ごく自然に。

 その姿勢と同じように、マリーアの歌唱もきれいに背筋を伸ばした素直で力強いものだ。まるで屈折することもなく、マリーアは偉大なる母の歩んだ道を、ごく自然に歩んでいる。
 メキシコの伝統に根ざした、あくまでも地に足の着いた、素朴過ぎる歌。社会の矛盾を告発し、欲におぼれた権力者に怒り、たくましく生きる無名の庶民へ賛辞を贈る歌詞。

 このようなタイプの歌がメキシコでは、どれほどの規模と深さで大衆に愛されているのか、私には想像もつかない。おそらく音楽の紹介者は、自らの視点に有利なように現実に下駄を履かせて語るであろうし、その解説をそのまま信じて良いのか、私には今のところ、判断できずにいる。
 なとという解釈もひねくれているのだろうが、まあ、あんまりお人よしにしていると妙な事になってしまう。これは、世界中あちこちの音楽に接してきた体験から学んだことなので、マリーアにもお許し願うしかないのだが。

 しかしまあ、このような歌を民衆が好んで聞く、と信じたくもなるようなメキシコの近代史ではある。

 そういえば昔、永六輔が、ある落語の大師匠にメキシコの大衆歌謡を聞かせたら、「私は外国の音楽は良く分かりませんが、この音楽の国、ずっと周りからいじめられてきたんじゃないですかね?」と尋ねられた、などと語っていた。「さすが一芸に秀でた人は、物の本質を見抜く力がある」と言う意味合いのエピソードとして永六輔は紹介していたのだが。