ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

世界の中心でお涙頂戴を叫ぶ

2007-09-08 06:11:22 | 時事


 さっきからテレビを見ていると、役所浩司が主演の映画だかテレビドラマだかのコマーシャルがやたらに流される。
 「象の背中」とか言って、癌で余命いくばくもない公務員かなんかの物語のようだ。

 なんか夫婦の間で
 「子どもたちもいつの間にか大人になって行くな。もう大丈夫だ」
 「何が大丈夫なのよ」
 なんて会話が交わされて、きっとこのあたりが泣かせどころなんでしょうな。
 残り少ない人生の時を前にして、夫婦の愛とは。とかなんとか。

 そういえばこの間から盛んに、癌で余命半年を宣告されたサーファーだかの物語のドラマ化のコマーシャルも流されていましたな。サザンのクワタが主題歌かなんか歌っちゃって。

 こういう”難病もの”のドラマって、昔から妙に人気があったのよなあ。私は辛気臭くて大嫌いなんだが。
 昭和30年代で言えば吉永小百合の”愛と死を見つめて”とかね。そういうものって、しばらく忘れられていたと思うんだけど、昨今、急激に復活してまいりました。

 あ、ちょっと前に公開された田村正和の映画もそんなのだったな。
 ニューヨークを舞台にジャズマンが主人公の「大人のラブストーリー」とか宣伝してるけど、要するにアレも「主人公が死ぬのが売りの話」なんでしょ?
 ほら、今、「同じ病気で妻を亡くした」なんて独白をする田村の姿がスポットで流れた。噂をすれば影という奴だ。こちらのかたも余命いくばくもおありでない。それはそれは。

 なんかさあ、この頃はドラマといえばそんな話ばかりで、いい加減にしろと言いたくなりませんか?
 要するに登場人物が死ねばいいんだ。そうなりさえすれば感動の物語で、百倍泣けます、で、バカな聴衆大満足ですか。

 こうなってくると、もう、戦争映画とかだって無事ではすまない。靖国も英霊も不戦の誓いもA級戦犯も何もありませんわ。人を死なせる必然性があれば利用しない手はない、ってなものでしょ。
 「この前の作品もその前の作品も、主人公が白血病で死ぬ話を作っちゃったからなあ。今度は戦死でもさせとこうか。公開は夏だし、時期的にも終戦記念日に絡ませられるしなあ」とかいっちゃってさあ。

 でもって。もはやそんな構図は丸見えであるにもかかわらず、泣けさえすれば皆は映画のチケット買うのな。ドラマにチャンネル合わせるのよな。そういうことなのな。

 で、ふと思ったんだけど。
 朝青龍でも金正日でもいいよ、この間、資金の流用問題で顰蹙買った政治家でも良いや。そういう連中ってさあ、記者会見を開いて泣いて見せればいいと思うんだよな。え?そんなことすれば自分の非を認める事になる?
 いや、いいの。昨今の日本人、事の正邪なんかどうでもいいんだもの。とにかく泣けりゃいいの。

 私が悪うございましたと懺悔し、その場でボロボロ涙をこぼして見せれば、我が国民はホイホイ感動して情にほだされて、どんな悪事を働いた奴であろうと、全部許します。今、国民はそんなメンタリティに成り果てているんだから。

 赤子の手をひねるようにたやすい、という奴ですよ、あなた。いや、ほんとにそのうち、誰かやると思うよ。すべての問題点を泣いてごまかし、無罪を勝ち取る大悪人、とかさあ。
 あっと。以上の文章でなにか文句を付けられた際には、当方も即、滂沱の涙を流して詫び、許しを乞う覚悟は出来ております。その時は感動してね。