ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

宵の明星

2007-09-06 23:01:26 | 60~70年代音楽


 ”Salty Dog”by Procol Harum

 今回の台風9号は私個人に危害を加えるべく、つけ狙っている。それだけは確かだ。テレビの気象情報など見ても、台風は私の地方、というより明らかに私の家を目指して進んで来ているからだ。

 昨日からの風雨は一段と勢いを増している。さっきちょっと外を見てみたのだが、国道沿いに植えられた椰子の木は風に煽られて葉のすべてが風下になびき、妙な姿となってしまっている。真ん中で折れるのではないかとも思える。
 電柱もかなりの勢いで揺れていて、こいつも本気でぶっ倒れるのではないかと心配になるほどである。

 停電は、ともかくしないで欲しい。なにしろひどい風でまったく外に出られないし、私には、こうしてネットするくらいしかやることがないからだ。

 これで台風自体はまだずっと南の海のむこうだというのだからなあ。私の住む、この地方に上陸するとすれば、明日の夜明け頃とか言っているが、この荒れようでは街自体が持つかどうか分からないぞ、そんなに先まで。

 外を眺めると、夜の街の外周が白くけぶり、淡く光っているのが不思議だ。あれは風に吹き飛ばされた雨が霧状になって空間を埋め、それが街の生活光を受けて光っているのだろうか。
 風は、町の通りの、普段は音なんか立てないような場所までも入り込み、ガタガタと大きな音を立てて走り抜けて行く。

 通りを行き交う人も、車の影もない。そりゃそうだよな。というか、こんな時に出かけねばならない用事が出来ない事を祈るばかりだ。本来であれば興味本位で海でも覗きに行きたいのだが、この風雨ではとても無理であって。
 子供の頃、台風の日の海は波が荒くて面白かったので好んで泳ぎに行ったものなのだが、今日ではそんな事は考えられないだろう。台風の荒れようも昨今は余裕がないなあ、などと呟いてみるが、科学的根拠というものがない。

 嵐を描いた音楽は、などと考えてみると私の場合、英国のロックバンド、プロコルハルムの1969年度作品、3rdアルバムの”ソルティ・ドッグ”に収められた”宵の明星(Wreck Of The Hesperus)”なんて曲をまず、思い出してしまう。

 曲の冒頭の性急な感じのピアノの分散和音や、間奏で奏でられる緊迫した表情のストリングスが、嵐による大波に翻弄される大航海時代の帆船の姿など、見事に描き出している。
 しわがれた声で歌い上げられる教会っぽい和音進行のメロディは、信心深い水夫が、マストにすがりながら挙げる神への祈りを想起させる。そして彼の頭上に輝く不可思議な聖跡、セント・エルモの火。中天に懸かる宵の明星・ビーナスは、彼等水夫の守り神なのだろうか、

 なんて光景があの歌を聴くたびに浮かんでくるのだが、歌詞の意味をきちんと聞き取ったことがないので、そのようなテーマの音楽なのかどうか、実は私は知らない。いい加減な話である。

 ともあれ。あの頃のプロコル・ハルムは良かったなあ。船の側面に縛り付けられている木製の浮き輪の中にヒゲ面の水夫が下品に笑っている意匠の、”ソルティ・ドッグ”のジャケ画。あれからしてもう、海の、潮の香りが漂ってくるものだった。

 プロコルハルムというバンド自体にも、どこかしら海の匂いがしていて、いかにも七つの海を制覇した大英帝国のバンド、という感じだった。
 そいつがいつの間にか潮の香りをぬぐい捨てて内陸性の(?)クラシカル・ロックのバンドになってしまい、私の興味の外に去ってしまった。

 私を魅了したプロコル・ハルムの”海のロマン”は、偏屈なキーボード奏者、マシュー・フィッシャーがバンド退団の際に一抱えにして持っていってしまい、そして彼は自身のアルバムで、そんな海への視線を感じさせる歌の数々を発表し続けた。
 けどマシュー・フィッシャーなんて、聴いたことのある人も、あんまりいないみたいですね。もったいないなあ。いい歌、歌うんですけどね。まあ、しょうがないか。