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my favorite things

絵本の話を中心に、好きなもの、想うことなど。

夏のクリスマスローズ再読

2020-03-09 17:10:55 | 好きな本

手しごとを結ぶ庭の、「ひと枝のローズマリー」を読んだら、久しぶりに
夏のクリスマスローズを読んでみたくなりました。

季節が春に向かっていて、好きな花がちらほら咲き始めたことも関係
しているのかもしれません。



最初に、読んだのはいつだったかなーと思いながら、ぱらぱら
めくっていたら、裏側の見返しにこんな素敵なイラスト発見。
 そして右隅に2010の文字も。

自分の読書記録で確認したら、2010年12月に最初に読んだことが
わかりました。かれこれ10年近くも経っていたことにびっくり。



本を開いて右側のページにイラスト、左側には文章、という構成で
29編納められています。

赤いポストの下側にまるで「一人で立っているポストを思って集まった
かのように」見えるぐるり輪になったスミレのはなし。
高い場所から街を見下ろすと、ビルとビルの間に赤いものが見え、それを
カラスがつついているので目を凝らしたら実生のトマト畑があった、と
いうはなし。
電車の中でビジネスマンの持っていた本からハラハラハラと紅葉した葉が
落ちてきたはなし、もいいなあと思いながら読みました。

そして最後から3番目の「市場のクリスマス(モミノキ)」。
花の市場の競り場で、背丈ほどもある大きなモミノキを運んでいく人を見て
まるでモミノキとワルツを踊っているようにも見えるのです。
に、作者のユーモア(視点のやわらかさ)を。

「サクラ(冬支度)」の中で、親方に笑われながらも、庭仕事で剪定した枝を
手入れした樹木からのご褒美のような気がして、毎日、おみやげとして
何かしら一枝、家に持ち帰ることにしていました。
に、限りないやさしさ(万物への愛)を感じました。


そういう諸々が「ひと枝のローズマリー」の中の、ここに集約されている
のでしょうね。

天国につながる電話ってあったらいいな。
庭のどこかにあるかも。
もう、どこにもいないということは、いつでも近くにいて
見てくれているということ。


何度も何度も読み返したくなるにちがいないからどこかに記したいと思い、
そうだ、こんな時のためのノートがあった、と、いそいそと開いて書き留めました。

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「まかて」まつり・続々

2020-03-03 17:46:37 | 好きな本

まかてさんブーム、続いています。
今回も、2冊図書館で借りてきて、まずこちらを読みました。


少し前にテレビドラマでやってましたよね。だから幼馴染の女3人で
お伊勢参りをする話だということは知っていたのですが、今まで私が
読んだまかて本よりも、ちょっと軽いかな?と思って後回しにしてました。

確かに軽妙で軽快ではありましが、内容は決して「軽すぎる」ことはなく、
一膳飯屋の娘・お以乃。御家人の妻・お志花。小間物屋の女主人・お蝶。
三者三様の、迷いも悩みもよく伝わってきて、気が付けば夢中になって
読みすすめていました。

三人の名前を合わせると「いの、しか、ちょう」。
若い頃にはぶいぶい言わせた(笑)三人が、家族を置いてお伊勢参り
なんていいですよねー。それだけでもぜったい楽しい。

コイバナはもちろん、人情味あふれる話や、胸の奥がつんと詰まるような
はなしもあって、楽しく読みました。終わり方もよかったな。



もう1冊はこちら。


内容はほぼ知らずに、図書館で表紙とタイトルを見て借り、そのあとに
ちょっと調べたら、江戸時代最大の贈収賄事件の行く末は? 歴史エンタメの最高峰。
って、書いてありました。

主人公は、大坂の炭問屋・木津屋吉兵衛。稼業は番頭らに任せ、自らは廓で遊び
一睡もしないで芝居見物に行くような放蕩の限りを尽くしていますが、生家の主の兄が
急死したことで、実家である薪問屋・辰巳屋へ赴き、兄の葬儀の手筈を整えたことから
始まり、事態は、辰巳屋の相続争いから訴訟へと発展していきます。

時の将軍8代目吉宗公や、かの大岡越前守忠相までも登場し、中盤から終盤へかけては
まるでサスペンスものを読むように、吉兵衛の運命の行く末にはらはらドキドキ
させられました。

表紙に描かれた寒牡丹の絵。
吉兵衛の若い妻お瑠璃が大層愛でている場面が序盤にあり、物語中でも、幾度か
出てくるのですが、読み終わって、ああそういうことだったのかとため息をひとつ
つかされました。みごとなエンターテイメント小説だったなあと、思います。

でも、ひとつだけひっかかるというか、すとんと落ちてはいかないのが、
タイトルの「悪玉伝」。
吉兵衛は、ほんとにそんなに悪玉なのか、という思いが読んでいる最中、ずっと胸に
あったのです。(吉兵衛よりも)もっと悪いやつが、ひょいと出てくるのではないかと、
思いながら読み進めていました。
靄の中に居るおひとの方が‥という暗示みたいなものも含まれていたのかなとも思いました。


まかてさんまつり、まだきっと続きます。


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「まかて」まつり・続く

2020-02-13 11:29:01 | 好きな本

グッドバイ』を読んだ後で、まだまだまかてさんの作品を読みたくて、
本の紹介文から2冊選んで、図書館で借りてきました。

  

恋歌』の方は、樋口一葉の師であった、中島歌子という人の話だということで。
残り者』の方は、江戸城明け渡しの前夜に、城内に残っていた「残り者」が
居たという設定が面白いなーと思って。


どちらを先に読もうか迷ったすえ、なんとなく『恋歌』を先に読みましたが、
それは正解でした。
町人の娘が水戸藩士の家に嫁ぎ、幕末に何もかも失い、歌ひとつで身をたてていくー。
中島歌子という人の名をこの本で初めて知りましたが、中ほどを過ぎた頃から、
時代の大波に飲みこまれ、読み始めた時には思ってもみなかった壮絶な場面が
主人公を待っていたので‥。

大老井伊直弼が襲われた「桜田門外の変」のことは知っていても、襲った方が
水戸の藩士であり、当時の水戸藩はどのような状況であったのか等々、思っても
みたことがなかったので、たいそう歴史の勉強にもなりました。

それにしても、やるせないです。自分の意思ではなく主君に仕えるために
むかしながらの鎧兜のいでたちで、大砲や鉄砲を備えた軍に立ち向かって
行かなければならない夫を見送るのはー。

印象的だったのは、囚われの身になってもまだ、自分の子供たちに学問を
授ける母の姿。
死んでいく身に学など必要ないと揶揄されても、明日御沙汰が解かれるかも
しれず、自由の身になったときに、学がなければ生きていけぬから、と毅然と
言ってのけるのです‥。

潔いという言葉は、時にものすごく残酷だと思いました。


残り者』は、江戸城の大奥勤めをしていた、役職も生い立ちも身分も
違う5人の女の、明け渡し前夜から当日朝にかけての話でした。

天璋院様のお着物を縫う「呉服之間」勤めのりつ
お食事の用意をする「御膳所」で働くお蛸
諸々の用事を言いつかる「御三之間」の、ちか
静寛院様の「呉服之間」の、もみぢ
そして、他4人よりも格段に身分が上の「御中臈」ふき

皆事情はそれぞれでも、自らの職場であった大奥を去り難い想いは
同じで、時代や場所はまるで違っても、働く女性としての誇りは
共感できるものが多く、胸が熱くなりました。

物語の終わり方もよく、こちらを後から読んで(やはり)正解、と
また思った次第です。
そして、2冊読み終わってから知ったのですが、この2冊は「対をなす」
作品として知られているようでした。偶然とはいえ、それを選んで借りた
なんて!とちょっと嬉しいような気持ちになりました。


まかてさんまつり、まだ続きます、たぶん。

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“good” bye  精一杯を尽くせ

2020-02-01 15:05:05 | 好きな本

時々、歴史小説、時代小説みたいなものが読みたくなり、たぶんそういう
気持ちだったときに図書館に予約したのだろうと思います。
朝井まかてさんの作品、何冊か読んだことがあって、どれも面白かったので。

 
※順番が来て読み始めるまで、この帯にあるような「伝説の女商人」の
交易の話だなんてまるで知りませんでした。A新聞に連載していたようですが
それも知らず‥なので逆にとても新鮮な気持ちで読み始められました笑。


時は幕末。所は長崎。
26歳で油問屋「大浦屋」を継いだお希以(けい)は、先細りになっていく
油問屋の仕事だけではなく、異国を相手に交易をしてみたいという気持ちを
抑えられなくなります。それは亡き祖父から聞いた言葉が胸の奥深くに沁み
ついているからに違いありませんでした。

「海はこの世界のどこにでもつながっとるばい。昔は自在に交易できたばい。
才覚さえあれば、異人とでも好いたように渡りあえた」

あるとき、行きつけの料亭の女将を通して、通詞(通訳)品川藤十郎と、
阿蘭陀人の船乗りテキストルと知り合うことができ、テキストルを通して
お茶の葉を、イギリス人に渡してもらうことで、外国との交易という
大海原に船を漕ぎ出すことができたのですが、海は凪いでいる時ばかりでは
もちろんなく、沈没しそうになったり、難破させられそうになったり。
でも、お希以(のちに慶と名をあらためます)は、何事にもその時その時の
精一杯を尽くすのです。


物語が始まってすぐにお希以さんの生き方に夢中になっている自分に
気が付きました。女の分際でとか、女のくせに、とか言われながらも
(言われれば言われるほど?)自分の信じた路を懸命に歩いていく姿にも、
そういう女の人がその時代に居たということにも、ココロ奪われた感じでした。

商売は軌道に乗り、大浦屋は、「幕末のヒーロー」と後に言われるような人たちの
バックアップをしたり、誰からも一目置かれるようなところまでのぼりつめます。

でもそのあたりに来ると、読み手の自分の速度が急に落ちてきたのを感じ、
なんでなんだろう?と思ってみたら、いつか途方もない落とし穴が待っているに
違いなく、お慶さんの身に起こるかもしれない不幸に、自分が怖がっている
のだということがわかりました。
そんな私の心配をよそに、大浦慶という女性は、幕末から明治の世にかけて
生き抜くのですが‥こんな箇所に慶さんの強さを想い、ぐっときました。


 大浦屋が火事にあったとき、お希以を置き去りにして後添いとその息子との
 三人で逃げて行った父親が、数十年ぶりに大浦屋に戻ってきたときー

 お父しゃんが今もろくでなしであるように、私も冷たか娘よ。
 それでも、こらえると決めた限りはこらえ通すまで。
 己にした約束は、裏切れぬのだから。


 晩年長崎を離れて横浜で造船所の仕事にかかわったときー

 こうして始めてしもうた限りは、まだ帰れん。目論見通りに進めぬ道行には
 慣れているはずだと背筋を立て、踵を返した。


 そして、タイトルへ繋がるこのくだりもー

 「日本は旧き世におさらばして、どこに向かうとやろうか。一途で頑固な
 くせに、移ろいやすかけんね」
 我が身の来し方を思い合わせれば、なお自嘲めく。
 「あれは、よかさよならをしたと言えるとやろうか。グッドバイやった、と」


グッドバイはもちろん英語のgood bye のことで、タイトルにした真意はどこに
あるのだろうと気になり、語源を調べてみたところ‥

good bye の語源は、God be with you だったということ。
元々は、〈神があなたのおそばにありますように〉 の意で、「Good」 ではなくて
「God」 。その 「God」 が、ほかの 「Good morning」 「Good evening」 「Good night」
などの挨拶ことばに引っ張られて 「Good」 に替わってしまったといういきさつ
だそうです。

でも、本書『グッドバイ』は、そういう語源とは関係なく、大事なのは good (ですよね?)


お慶がこんなふうに長年のココロの友に語りかけるところがあるのですが。

 宗次郎しゃん、友助。
 空も海も、どこまでも青かね。ほら、波濤が白く輝いとうよ。
 あんたがたにこの景色を捧げて、私はようやく心から告げよう。
 グッドバイ。

前述の、よかさよならをしたと言えるとやろうか。グッドバイやった、と
と重ね合わせて思ってみると、良い出会いばかりが、自分と自分の人生を豊かにしてくれる
わけではなく、「良き別れ」をいくつも重ねてこそ、豊かな人生だったと言えるのでは
ないかと、思えてきました。

その時その時の、精一杯を尽くすからこそ、良き出会いに恵まれたのかー。
出会いを良きものにするために、その時その時を精一杯生きたからこそ、よかさよならを、
「グッド」バイをすることができたのかー。



いずれにしても同じことたい。

大事なのは自分にできることの精一杯を尽くすことだと、お慶さんだったら
言うだろうなと思い、まだ訪れたことがない長崎の海を想ってみるのでした。


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しあわせなかんけい

2020-01-14 17:34:29 | 好きな本

ずっとむかしから好きな作家、気になる作家というのが何人か居て。
角田光代さんも、そうと言えばそうなのですが、だいぶ前に『対岸の彼女』を
読んでから、意識して、読んでなかった気もしていました。

『八日目の蝉』や、『紙の月』など、ドラマ化や映画化されたものは
なんとなく観ていたものの、小説からはすこし離れてところにいました。

なぜって、すごく小説が上手いから。



それなのに、昨年秋ごろから、『それもまた小さな光』『福袋』『空中庭園』と
続けて借りては読み‥「ひとり角田さんまつり」をしていまして、ああどれも
やっぱり上手いなあ、と思いながら読みました。

そして、こちらの『さがしもの』。
平成17年に『この本が、世界に存在することに』という題名で最初に刊行
されたそうですが、私は、どなたかのレビューか、何かの紹介でこちらの
文庫版の方を知り、ぜひとも読んでみたいと図書館で予約しました。


 

旅する本
だれか
手紙
彼と私の本棚
不幸の種
引き出しの奥
ミツザワ書店
さがしもの
初バレンタイン

9編の、全然つながっていない短編がおさめられていて、表題作の
『さがしもの』がこんなふうに、紹介されています。


「その本を見つけてくれなけりゃ、死ぬに死ねないよ」、病床の
おばあちゃんに頼まれた一冊を求め奔走した少女の日を描くー



もうこれだけで、すごく読んでみたくなったのですが笑、他のタイトルからも
なんとなくわかるように、どの短編も、本が好きな人だったら、大きく頷いたり
苦笑いしたり、ためいきついたり、涙ぐんだりしてしまうような、本にまつわる
はなしばかりなのです。

ここでちょっと横道にそれますが、本が好きと、読書が好き、は似ているようで
違いますよね。本が好きな人はたぶんほとんど読書が好きな人と重なり、読書好きも
本好きだとは思いますが、「本が好き」な人は、まず「本」という形が好きなのですよ。
紙に文字が印刷されていて、固い表紙が付いていて、それが綴じられている、という
その「もの」がもうすでに好きなのです。
そして、そこに付いてくるもろもろ‥手触りだったり、匂いだったり、色だったり
もちろん書かれている内容、フォントの色や形‥そんなものすべてが好きなのです。

それを踏まえた上で、この『さがしもの』は、本好きな人なら、ほぼ必ず、満足
できる内容だと思います。

思わぬところで、自分の本と再会する『旅する本』。
遠い南の島でなんとなく手にした文庫本の、以前の持ち主を想う『だれか』。
旅館で見つけた詩集のあいだに挟まれてあった『手紙』。
同棲を解消し、共同の本棚から自分の分だけを持って引っ越した『彼と私の本棚』。
その本があるから次々自分によからぬことが起きたのだと思う『不幸の種』。
古本屋に突如現れる、書きこみのある伝説の本のはなし『引き出しの奥』。
新人賞をとった作家のふるさととココロの中にある『ミツザワ書店』。
その本を見るまでは死ねないよ、と祖母に頼まれた『さがしもの』。
初めての恋人との初バレンタインに本を贈ったわたし『初バレンタイン』。


こうして、(忘れないように)書き出してみると、どの話もみなすごくよかったなと
あらためて思います。
でも、この中で、泣いた話はひとつで、泣きそうになったはなしは2つでした。

~ぽとりと水滴な落ちる。頬をはられたように気づく。
だれかを好きになって、好きになって別れるって、
こういうことなんだとはじめて知る。
本棚を共有するようなこと。たがいの本を交換し、隅々まで読んで、
おんなじ光景を記憶すること。記憶も本もごちゃまぜになって
一体化しているのに、それを無理矢理引き離すようなこと。
自信を失うとか、立ちなおるとか、そういうことじゃない。
すでに自分の一部になったものをひっぺがし、永遠に失うようなこと。


巻末に角田さんご自身の読書体験が書かれたエッセイもあって‥
幼少期からの本とのあれこれが語られています。

そう、本は人を呼ぶのだ。

私も、もうひと組のココロの耳をすませ、これからも角田さんの本や、
角田さんのじゃない本と幸せな関係を作っていきたいと思います。

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結ぶ庭と甘夏

2020-01-11 12:38:30 | 好きな本

昨日1月10日より、日本橋小舟町にあるヒナタノオトのサイトが
リニューアルされました。 手しごとを結ぶ庭

オウンドメディアのスタイル なんだそうです。

しくみやらその他色々うまく説明できませんが(笑)、ブログや展示の紹介に
とどまらない、「素敵感」がびしびし伝わってきます。
なにしろ、クリックしてサイトを開くたびに、大野八生さんの植物画が
たびたび変わって登場するのですよ、それだけでもわくわくしますよね。


長年おともだちの方は、もう何度も書いているので、ご存じだと思いますが、
15年くらい(!?)前に、私がブログというものを知り、ぜひともやってみたい
と思ったきっかけは、ヒナタノオトの稲垣早苗さんがブログを始めていたから
なんです。

以来、ブログによって、私を取り巻くセカイは大きく広がり、人生そのものが
広がったといっても、言い過ぎではないくらいの出会いや出来事に恵まれました。

そのあともツイッターやフェイスブックやインスタや、ノートなど、
どんどん増えていき、私自身も愛着や興味を持つものもありますし、なんとなく
新しい年に新しいこと初めてみたい気もしていますが。
でも、もうしばらくこのブログにしがみついてみようと思っています。

そして今年の目標は、できるだけ多くのことを(想ったこと感じたこと)を
忘れないうちに残しておく、です。




年末から年明けにかけて読んでいたこの本のことも、だから忘れないうちに。



図書館の棚で、偶然見かけて借りたのですが、長田さんの最後の
エッセー集でした。

主に(タイトル通り)果実‥くだもののことを書いたエッセーですが、
なかには「落花生」や、「もやし」や、「納豆」なんかもあって(笑)。

そのものに対する長田さんご自身の思い出や、思い入れだったり、
むかし昔に詠まれた句だったり、アプローチは様々ですが、その選ばれた
言葉に、はっとさせられ通しでした。

たとえば、「トマト」の出だし。

ぜんぶ好きになった。何の留保もなく。たった一度の、幸運な偶然のおかげで。
相手はトマトである。



「メイプルシロップ」の結びもよかった。

小さな壜のなかに、明るい大きな森がある。それがわたしのメイプルシロップ。



そうして、「甘夏」は、(夏みかんからの連想もあって)思い出した友のために。

大きな甘夏を掌に持って歩いて、結局そのまま持って帰った日。
甘夏の切ないような味の清明な秘密を知った。明るい孤独の味なのだ。
人が一人でいることのできる孤独な場所と孤独な時間が、甘夏のような
果物にとっては、第一になくてはならないものなのである。
甘夏をまるっぽのまま皮を剥いて、一房一房食べる。ただそれだけのことが、
実は一人でしかできないことだからだ。余言なく、一人、黙々と、人の視線に
妨げられず、無我に口にできてこその、きれいな味。孤独というのは
本当は明るいのだ。甘夏を欲するとき、人は甘夏のくれる明るい孤独を
欲している。

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水面を渡る風

2019-11-22 17:53:37 | 好きな本

原田マハさんが書いた、絵や美術に関する小説はおおかた読んでしまったので、
新刊が出る(出た)と知ると、わくわくしながら待って‥この本も、わくわく
しながら読みました。
   
  


今年の春に、コルビジェ展を観に行ったところだったし、その時も
常設の「松方コレクション」を観て、常設展示だけでもこれだけのものが
観られるので、それがコレクション展となり、海外からも作品が来ると
なったらどれほど素晴らしいのだろうと、思っていました。
が、結果から言うと、コレクション展には行きそびれ、その目玉であった
「アルルの寝室」も、デジタルで蘇った睡蓮・柳の反映も、観ることは
できませんでした。(後日テレビ放映でその修復の経緯や様子を観ることは
できました)

ようやく、図書館の順番が回ってきて、読み終えて、ああそういうこと
だったのか、と思い‥もう一度、場面を繋ぐようにしながら、ページを繰っていき、
2度目のラストを読み終えたところで、ようやく胸が熱くなってきました。
(最初に読み終えたときは、とにかく先に先に進みたくって、特に後半は
はらはらもしたので、早く結末が知りたくて、感動するどころではなかったの
だと思います。)



小説は、壮大な物語でした。
松方幸次郎という、松方コレクションを築きあげた人物を軸に、日本の近代史から
二つの大戦を経て、戦後の日本に至るまで、まさに教科書で学んだことの中に、
歴史に名を残した画家や、芸術家や、画廊主や、コレクターや、華族や軍人や、
パリに住む普通の人々が描きこまれ、とても興味深く読みましたし、色々なことが
わかってすっきりもしました。(国立西洋美術館になぜロダンの彫刻があんなに
あるのか、等々)



ほんものの絵を見たことがない日本の若者たちのために、ほんものの絵が
見られる美術館を創る。それがわしの夢なんだ。

松方幸次郎は、絵を買い集める手伝いをしてほしいと頼んだ美術評論家の
田代雄一にこう語ります。松方の御伴として、パリの画廊を来る日も来る日も訪ね
歩いた田代。そしてある日、松方が親しい間柄であったモネのアトリエへ出かけます。

風が水面を渡り、さざ波がきらめいてその通り道を示していた。睡蓮の花々は
やわらかに揺らめいて、いっせいに笑みをこぼしているかのようだ。その光景は
いかなる言葉にも換えられぬ美しさであった。

後年、田代はモネの描いた「睡蓮」を前にして、ふと風が蘇ってくるのを
感じる場面がありました。風とともに、その時の匂いや一緒に居た人も思い出した
ことでしょう。そしてしみじみと幸せを感じたに違いないと思います。


自分の掲げた理想のために、あるいは尊敬する人物のために、はたまた日本の
将来のためにー大きな目標を掲げた男たちは大層立派でしたが、私は、田代が
ひとりで「睡蓮」の前に立つこの場面にいちばんココロが動きました。

人の幸せは、目に見える何かなのではなく、なんでもない、ふとした瞬間に
感じるものなのでしょう。
絵を観ることも、音楽を聴くことも、本を読むことも、そういう瞬間を
重ねたい(あるいは思い出したい)からなのかもしれないなと、思います。



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「チーク!」

2019-08-02 16:30:05 | 好きな本

江國香織さんの新刊、2年ぶりの長編が出たと知り、
図書館に予約して、順番が来るのを待っていました。
そして、長らく待ったあと、受け取りに行って、びっくり。
480ページもある、分厚い本だったから。
早速ちょっと読んでみて、さらにびっくり。主人公の女の子は
17歳と14歳の従妹同士だったから。
そう、内容も何もまったく知らずに予約だけしたからなのでした。

  『彼女たちの場合は


江國さんの本を読むは「好きな方で」、いやむしろ江國さんは
「好きな作家さん」のひとりなのですが、しばらくぶりに読むと、
ここに書いてみたような、「  」 をそのまま文章に引用している
(言葉で説明したそのままを文にする‥)箇所が多いような気がして、
すんなりとは<江國ワールド>に入っていけませんでした。

たぶんそれは、主人公がティーンエイジャーで、親にナイショで、
「家出」ではなく、「旅に出た」という設定だからかもしれません。
主人公よりも、心配でたまらない親の方の立場に「ほぼ近い」というか、
「まるで同じ」ものを感じるわけですから。


いつか17歳、れいな14歳。
いつかの父とれいなの母が兄妹の、いとこ同士。
私にも、仲良くしている従妹がいるので、姉妹とも友人とも違う
いとこ同士の距離感というか親近感がとてもよくわかります。
ただ、私の場合は、年齢は1歳しか違わないし、10代から20代にかけては
一番会っていなかった時期なので、いつかとれいなのような「旅」に
出かけることは、たとえ夢の中でも考えてもみなかったことでした。

ニューヨーク郊外のれいな家からまずはソーホーのホテルへ、
バスターミナルでチケットを買って、ボストンへ。
二人の旅は始まって行きました。

いつかの両親は日本に居て、父も母も心配よりは応援している感じで、
それに対してれいなの父は、心配を通り越して怒りの域に入っていて、
れいなの母は、心配の底辺から視線を遠くへと泳がせている感じ‥。
私だったら(私たちだったら)どうする?と、あらすじは語ったけれど、
どうする?は、なんとなく夫には訊けませんでした。



実は、いつかとれいなのストーリーは5分の1を残していて、まだ
読み切っていないのに、このログを書いています。
果たして二人は、二人の「旅」を無事終わることができるのか、
そもそも「旅」には終わりがあるものなのかー。
日本の高校に馴染めずアメリカの従妹の家から語学学校へ留学していた
いつかは、ひとりで居ること以外の、自分らしさを見出すことができるのかー。
嬉しいことがあると「チーク!」と従妹の頬に自分の頬をくっけていた
れいなは、旅の終わりで「チーク!」と大きな声で言えるのかー。

ロードムービー(のような二人の旅)のエンディングがとても楽しみです。


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続いていくものがたり、続いてほしいものがたり

2019-04-16 11:34:16 | 好きな本

長年、行き来させてもらっているくっちゃ寝さんのブログで、
守り人シリーズに、新しい外伝が出ていたことを知り、早速読みました。

風と行く者



物語は、タルシュ帝国との戦争が終わり、人びとが復興への道を
歩み始めた頃、タンダと出かけた草市で、サダム・タラム<風の楽人>
と呼ばれる一行が巻きこまれたもめ事を、バルサが収めたことがきっかけで、
旅の護衛を頼まれる、といった場面から始まります。



中年と呼ばれる年齢になったバルサに対して、サダム・タラムの
お頭は、まだ年若い娘‥護衛をぜひにと頼まれ、バルサはかつて自分が
16歳だった頃に、やはりサダム・タラムの護衛としてジグロとともに
旅したことを否応なく思いだすことになります。

当時の一行のお頭は、今の頭の母親だということを知らされ、美しかった
その人と、隣を歩いていたジグロを思い起こすバルサ。

エオナという名の19歳の頭は、ジグロの忘れ形見ではないか‥?!
そんな胸がざわざわする側面を抱えつつ、(読み手である)私は、
痛々しかった16歳だったバルサが、何を想い、旅のあいだに何があったのかー。
そもそもサダム・タラム<風の楽人>は、なぜジグロとバルサに護衛してもらう
必要があったのか、の真相をページを繰る事で知り、懐かしい「守り人」の世界に
また浸ることができる幸せをかみしめたのでした。



物語の終盤にバルサがエオナにこんなふうに話すところがあるのです。

「人はみんな、どこか中途半端なまま死ぬもので、大切なことをつたえそこなったな、
と思っても、もうつたえられないってことがたくさんあるでしょうが、自分では
気づかぬうちにつたえていることも、あるかもしれない。」

「父と過ごした日々のあれこれは、わたしの身にしみこんでいて、ふとしたおりに
うきあがって、道を示してくれたりする。思いは血に流れてるわけじゃなくて、
生きてきた日々のあれこれに宿っているものなんでしょう。」

「きっとわたしも、ある日、どこか中途半端はまま命を終える、その先をどうこう
することは、もうできない日がかならず来る。先のことは、そのとき生きている者に
まかせるしかないんです。」


真実がぎゅっと詰まった言葉です。

物語の世界の中で、私たちは、バルサの生い立ちや境遇や悲しみや、成長過程や
考え方、かかわった人たちに取り巻くセカイまで、知ることができるわけで。
それは時に実在のこの世界よりも、ずっと身近で、ずっと自分に寄り添って
いることもあって。。。。
本から教えられるとか、読書の楽しみとか、もうそういうものを軽く越えている
なあと思ったりしています。

と同時に、俯瞰して時間も越えて、自分自身を眺めることができたとしたら、
私自身のものがたりも、こんなふうに続いていて、中途半端にいつか死んだ時、
生きてもがいてきた日々のあれこれが、ぼんやりとでも誰かの想い出の中に
何かを残せるようであれば、と夢想します。



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憧れのフラココノ実

2018-10-19 17:36:56 | 好きな本

図書館でなんとなく児童書の棚を見ていたら、高楼方子さんの本に、
大野八生さんがイラストを描いているものを見かけ、借りてみました。



タイトルも面白いですが、表紙にスーツを着た「おじさん」?が
描かれているのも面白いなあと思いました。


ところで。
フラココノ実 って、なんだと思いますか?

おじさん含むこの地方の人は<フラココノ島>にある<フラココノ実>を
時折食べないことには、どうにもこうにもやっていかれなくなるという
不思議な特殊性を持っているのだそうです。

フラココノ実は一年を通していつでもきらきらと実っていて、
ヘリオトロープ色の小さなリンゴほどの果実で、人びとは床屋にでも
行くような頻度で、時期がくるとそれぞれ島に渡り、一つぷちんと
もぎとって、果汁豊かなその実にかじりつき、カシュカシュカシュ‥と
食べるのだそうです。そしてそれは、やさしく切ない、遠い夢のような
味がする実 とのこと。


食べてみたいですよね。

でも、人によって「食べに行き頃」は、ばらばらで、いつその時が
訪れるのか、あるいは訪れないのか、「その時」がやってこないと
わからないのだそうです。

で、表紙に描かれているポイット氏は、さあその時がやってきた!と
喜び勇んで島へ渡ろうとするたびに、何らかの障がいが起こり、未だ
甘美なその実を味わうことができません。
そして、誰にも知られたくないその秘密を、ある日、エビータさん
言い当てられ戸惑うポイット氏。
エビータさんは、実を食べたことがない人は地面から足が4ミリ浮いている
という事実を発見し、そしてポイット氏に声をかけたのでした‥。

同様に、画家のバンボーロさんも、「4ミリ」の仲間であることを見つけ、
一緒に島に渡ろうともちかけますが、バンボーロさんはこう言います。

「食べたとたん、<何か>がなくなるらしいと言われているのは
ご存じでしょう。<何か>を得れば<何か>を失う。要するに、人間は、
いつだって<何か>が欠けているものなのです。しかし見方を変えれば、
どっちかの<何か>は持っているということにほかなりません。
だとすると、そこいらじゅうの人がなくしてしまった<何か>を
大事に持っているほうが、貴重、かつ、愉快じゃありませんか」


なるほどなるほど、一理ありますねー。


4ミリ同盟」の面々は、<フラココノ島>に渡ることができたのか、
そして甘美なその実を味わうことができたのか、失うものとは何なのかー。



おもしろい結末でした。

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誰も知らない世界のことわざ

2018-09-08 14:58:45 | 好きな本

ここ3年ばかり、夫からの誕生日プレゼントは本が続いています。

最初は欲しい、欲しいという声が(やっと)届いたのか‥(笑)


昨年は、絵も面白かったからと、こちらを。


そして今年はこの本を。


へえー面白そうだねえと、さっそく読み始めようと思い
ふと思いだしたのが、昨年の本を読了したのかどうか??ということ。
眠る前にすこしづつ読もうと思って、寝室の机の上に置いたきりに
なっていたのでは???

どこまで読んだのかさっぱり思いだせなくなったいたので、
なんとなくここかな、というページから読んでみたら、
なんかとてもするすると頭と気持ちに入っていき‥もう一度
最初から全部読みなおしました(笑)。
そして、面白かったです。

なかでも私が気にいったのは、こちらのページ。


ある日はハチミツ、ある日はタマネギ
英語で言うところの、You win some,you lose some.
(勝つときもあれば、負けるときもある)

アラビア語版では、それをハチミツとタマネギにたとえています。

人生(にしろ何にしろ)は、うまく行く時もあれば、行かないときも
ありますよね。

そして、ガーナの一部族の言語、ガー語のことわざ。


水を持ってきてくれる人は、そのいれものをこわす人でもある

遠くの井戸や川まで長い距離を歩いて水を汲みに行く人こそが、水を入れる
土器を最もこわしがちだということ‥。

何かを成し遂げようとして努力して、その最中にうっかりミスをしてしまうこと
誰にだってあるし、そういう人を周りの人は批判するべきではない、ということですよね。



この他にも、フィンランド語の ウサギになって旅をする  とか、
フランス語の、ザワークラウトの中で自転車をこぐ  とか、
スペイン語の、ガレージになかにいるタコのような気分 とか、楽しいことわざが
たくさん載っています。

ちなみに日本語のことわざで紹介されているのは、2つ。
サルも木から落ちる と、猫をかぶる でした。
日本人は、猫となるとちょっと夢中になってしまうようです。猫に関係した俗語が
たくさんあります、の後に「猫が茶を吹く」「猫がくるみを回すよう」「猫に傘」
「猫も杓子も」と続いていましたが、茶を吹くとくるみ回し、私は聞いたことも
読んだこともないように思うのですが‥一般的な言葉なのでしょうか‥?



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そのときどきの心持ち

2018-07-20 18:09:27 | 好きな本

こちらの画像は文庫版の方ですが、私が読んだのは、単行本のほうで、
少し前に、古本屋で200円で売られていました。



単行本が出たのは2000年2月。
たいていの(春樹氏の)本は、出たらすぐに買っているのですが、
この短編集は持っていませんでした。
なぜかといえば、『新潮』に連作として載っていた1999年8月号から
12月号まで、そのたびに図書館へ読みに行っていたからです。

1999年、8月。
娘3歳になった年です。近くの図書館へ絵本を借りに行き、雑誌の棚の
文芸誌のところや、好きだった小説家の本などを、私自身もまた借りる
ようになったころだったのでしょうか。
詳しいことは覚えていませんが、雑誌コーナーの木のベンチに座って
その月の『新潮』を読んでいる自分の姿はうっすらと思い出せる気がします。

2002年になって文庫が出たときも買わなかったのに、数年前から、
機会があったら再読してみようと思っていたのは、この短編集が
1995年1月の、阪神淡路大震災後をひとつのテーマとして書かれていることと、
自分自身も2011年3月の大震災を自分の身におこったこととして、
とらえているからなのだと思います。

抗いようのない底知れない恐ろしいもの。

1999年に読んだときは、字面では理解していても、絶望や恐怖の表面を
なぞっていただけだったことでしょう。
2018年現在の私が、もろもろを理解し、経験し、いくらかでも賢くなり
深く思いを寄せられるようになっているかといえば、そういうものでも
ありませんが、少なくとも、1999年の後半に毎月、図書館のベンチに座り
膝の上に雑誌を広げていたときよりは、幾分経験値の矢印が上向きになって
いるかな、なっていればいいなあと思います。




目次をひらいて。

『UFOが釧路に降りる』
阪神淡路地震のニュースを連日見続けた奥さんが突然いなくなる、とことは
覚えていたが、主人公が釧路へ、どーして出かけることになったのかは
まるで思いだせず。(読み終えた今でも、UFOのあたりが飲みこめず‥)

  「それはね」とシマオさんはひっそりとした声で言った。
  「小村さんの中身が、あの箱の中に入っていたからよ。小村さんは
   そのことを知らずに、ここまで運んできて、自分の手で佐々木さんに
   渡しちゃったのよ。だからもう小村さんの中身は戻ってこない」


『アイロンのある風景』
浜辺でたき火をする人が、とても印象に残っていたが、その話のタイトルが
こちらだったとは。

   順子は男の顔を見上げた。「アイロンがアイロンじゃない、ということ?」
   「そのとおり」
   「つまり、それは何かの身代わりなのね?」
   「たぶんな」
   「そしてそれは何かを身代わりにしてしか描けないことなのね?」


『神の子どもたちはみな躍る』
表題作なのに、あらすじが思いだせなかった。主人公の名前が夫の名前と
同じ(漢字は違うが)だったことに読み始めてすぐに驚いた。

   様々な動物がだまし絵のように森の中にひそんでいた。
   中には見たこともないような恐ろしげな獣も混じっていた。
   彼はやがてその森を通り抜けていくことになるだろう。
   でも恐怖はなかった。だってそれは僕自身の中にある森なのだ。
   僕自身をかたちづくっている森なのだ。僕自身が抱えている獣なのだ。



『タイランド』
タイのリゾート地が舞台だったはなしがあったことは覚えていたが、この本に
はいっていたのか。

   「~しかしそれが本当に私が自分の耳で聴き取ったものなのかどうか、
    定かにはわかりません。一人の人間を長く一緒にいて、その言葉に
    従っていると、ある意味では一心同体のようになってしまうのです。
    私の申し上げていることはおわかりになりますか?」



『かえるくん、東京を救う』
かえるくんは、地下深いところで、みみずくんとの激闘を制し、生還して
きた話だとばかり思っていたが、実際にはかえるくんとみみずくんが戦う
シーンはどこにもなかった。

    「片桐さん」とかえるくんは神妙な声で言った。「あなたのような
     人にしか東京は救えないのです。そしてあなたのような人のために
     ぼくは東京を救おうとしているのです」



『蜂蜜パイ』
単行本になる時の、書きおろし作品なので、もしかしたら初めて読んだのかも
しれないと思う。そのくらい何も覚えていなかった。

     でも今はとりあえずここにいて、二人の女を護らなくてはならない。
     相手が誰であろうと、わけのわからない箱に入れさせたりはしない。
     たとえ空が落ちてきても、大地が音を立てて裂けても。


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好きなものにかこまれたい

2018-06-27 16:51:29 | 好きな本

先月、日本民藝館で、柚木さんの本を買った後で、
他の本も見てみたいと思い検索したところ、この本が見つかりました。



図書館で予約、予約♪ と思ったら、なんと地元川口市の図書館には
1冊もなく、近隣の図書館からの「お取り寄せ」となってしまい、
待つことおよそ1ヵ月。
(すごく厚くて持って帰れなかったどうしよう、なんて心配はいらなかった
フツーの本でした。川口市にもぜひ備えて欲しいなあと思います。)


2014年10月刊行とのことで、2013年の世田美術館で展示した作品が
「最新作」といった感じで載っています。
WORKSSTUDIOとともに、この本ではCOLLECTIONと題して、
柚木さんご自身が集めたものが、アトリエや家の様々な場所に飾ってある
のですが、それらがとても見応えがあり、とても楽しいのです。

たとえば、お菓子についていたリボン(リボンも袋も箱もきれいなものは
捨てられないとのこと)

たとえば、海外の蚤の市で買った車のおもちゃ(うちの店長が絶対に欲しがる)

たとえば、紙製品(封筒やノートなど)、タイル、粘土の人形、陶器、お面‥。



そして、柚木さんはこう言います。

「箱にしまうとわざわざ見なくなる。だからこうやって全部並べる。
毎日顔を合わせるでしょ、そうすると元気が出るんだ」

「すべては直感だよ。ものにも波長があるからね。自分と合うもの、
合わないものがある。好きなものに理屈はいらないよ」

ふむふむ。なるほど~そうですね。


コレクションの写真には、どれも含蓄のある柚木語録が添えられて
いるのですが、一番こころに刻みたいと思ったのはこの言葉です。

「ものを選ぶということは、自分に自信を持つことなんだ」



わたしが大切にしているものは何だろう。
わたしが慈しんでいるものは何だろう、好きなものは何だろう。

本にしても、服にしても、装身具にしても、音楽にしても、そこには
自分自身が映っているということですよね。

理詰めではなく、しなやかな直感を信じて選んだものに囲まれて
気持ちよく過ごしていかれるよう、ブログ開設記念日の今日、このログを
記します。



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清らか。

2018-05-29 17:21:36 | 好きな本

気が付けば息をつめていて、周りの空気もとまっているような。
真剣で。入りこんでいて。先を知りたいけれど、終わってしまう
のはとても困る。

‥1年に1度か、もしかしたら数年に1度、そういう読書時間を
持てることがあります。



(図書館で予約して、かなり待ちました。文庫が出ているのを知ってたら
買ったのにーと、読み終わってから思いました。)


主人公の外村(とむら)は、17歳のある日あるとき、
体育館のグランドピアノを調律しに来た人を、先生に頼まれて案内した。
何をしにきたのかも、ピアノの蓋があくということも知らなかったのに、
調律する音が聞こえてきたら、その場を動くことができなくなった。


森の匂いがした。夜になりかけの、森の入口。

そう思う感性を持っているのに、本人はまるでなんにも気が付かない。

その日がきっかけとなり、調律師への道を歩み出してても、
こんなふうに自分を思う。


ピアノに出会うまで、美しいものに気づかずにいた。知らなかった、という
のとは少し違う。僕はたくさん知っていた。ただ、知っていることに
気づかずにいたのだ。

そして記憶の中からいくつもの美しいもの(祖母がつくってくれたミルク紅茶や
泣き叫ぶ赤ん坊の眉間の皺や裸の木)を発見し、美しいと呼ぶことを知った。
それだけで解放されたような気持ちだ。美しいと言葉に置き換えることで、
いつでも取り出すことができるようになる。美しい箱はいつも身体の中にあり、
僕はただその蓋を開ければいい。

ピアノが、どこかに溶けている美しいものを取り出して耳に届く形にできる
奇跡だとしたら、僕はよろこんでそのしもべになろう。



17歳でピアノを「知った」青年が、職場で出会った調律師や、ピアノを弾く
人たちを通して、人生の入口にやっと立ったと実感できるところに(私も)
立ち会えた、と思う、清々しさと、美しいものに対するピュアな感性を前にして
思わず息を飲み、そのまま吸う吐くを忘れてしまったような胸の苦しさを、
読みながらも、読み終わった後も覚えました。
それはずっと前に通り過ぎた時間への、甘美というよりは苦みがまさる
懐かしさなのかもしれません。



::::


ちょうどこの本を読んでいた頃、前出のアトリエ倭さんの個展がヒナタノオトで
あって、以前から約束していた通り、稲垣哲さんの靴を娘とともに選びました

 
サイズも色もぴったりでした


このタイミングで、彼女がこの靴を選んで、喜んで履いていることが
嬉しくてなりません。(こういう気持ちなんというのでしょうね~)

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ひとり「マハさん」まつり終了‥?(追記しました)

2018-03-29 17:47:52 | 好きな本

昨年、初めて原田マハさんの作品を1冊読み、しばらく空いて、
今年になってから続けて数冊、アート作品を扱った本にしぼって読みました。


最初の1冊はこちらでした。
表紙を飾るルソーの絵に惹き付けられますね。
ニューヨーク近代美術館の元へ届いた手紙とか、「当時」のルソーと
ピカソの関係とか‥。行きつ戻りつしながら進む展開が新鮮でした。




次に読んだのはこちら。
新作の『たゆたえども~』の図書館の順番待ちをしているあいだに‥。
有名はゲルニカのことは知っていたけれど、その背景を詳しく知ろうと
しなかったなあと思いながら読みました。
「当時」と現代が並行して描かれているのは、興味深かったのですが、
前章からの繰り返しが多いことに、ちょっと疲れたというか‥
(書きおろし作品ではなく、連載していたものなので、仕方ないとは思いますが)





ゲルニカ読み終わっても、まだ順番が来なかったので、さらにもう1冊。
短編集。
思いのほかおもしろく、ここまで読んだなかでは、私の中の一番になりました。
ログも書きました)






そして、お待ちかねの1冊がついに手元にやってきました。
ゴッホと弟テオとの関係や、ゴッホの生涯について、ジャポニズム(特に浮世絵)が
ゴッホに与えた影響などなど‥知っていたことと、林忠正という日本人の存在という
未知のことが相俟って、とても面白く読めました。





日本に印象派やポスト印象派の画家たちを紹介したのは、白樺派と呼ばれた
人たちだったということを、『たゆたえども~』読了後何かで読んで、
それならば、ぜひこちらも読まなければと、借りてきました。
バーナード・リーチと彼を「先生」と生涯慕い続けた男の話、そして、リーチを
囲む仲間たち‥柳宗悦や白樺の面々‥。
ああ、亀ちゃんが愛おしいです。





そして最後に先ほど読了した1冊。
今までの作品とは趣ががらりと変わり‥野生時代で連載していた、
エンターテイメント小説?って言っていいのかな。
ルパン三世や名探偵コナンが好きな私は、こういう話も好きです。
(ゼウスとその手下のその後が知りたいので、続編読みたい笑)



まだこのほかにも、マハさんの作品はたくさんあるので、また
読みたくなるかもしれませんが、ひとまず、「マハさんまつり」
終了としました。

‥と、書いて、『デトロイト美術館の奇跡』を読もうと思っていたことを
思いだしました!


***

やはり気になったので、『デトロイト〜』を読もうと思っていたら、もう1冊
この本も見つけました。 



表紙がいいですよね〜
英語で、The Modern といえば、ニューヨーク近代美術館のこと
なんですね〜かっこいい。
(図書館で借りた本は表紙カバーの上からビニールコーティングされて
いるので、この表紙は見えなくて、ピカソだったのが、ちょっと残念。) 

どれも、近代美術館にまつわる短編集。
どれも好きでしたが、最初の「中断された展覧会の記憶」が印象的でした。
東日本大震災後の福島の美術館との交流が描かれた話でした。


そして、やっとここにたどり着きました。


セザンヌが描いた奥さんの絵が表紙です。

しみじみといい話だなと思いました。
いつかデトロイト美術館へ行かれる日がやってくるでしょうか。。。 

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