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安政2年4月上旬・大原幽学刑事裁判

2025年03月13日 | 大原幽学の刑事裁判
安政2年4月上旬・大原幽学刑事裁判

大原幽学の弟子五郎兵衛が記した大原幽学刑事裁判の記録「五郎兵衛日記」の現代語訳。
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安政2年4月1日(朔)(1855年)非番
#五郎兵衛の日記
六ツ半時に殿様御登城、四ツ時御帰館。
早朝掃除。殿様の御供の者の弁当のおかず作り。昼前に治助殿と二人で田中様の薪割り。
昼過ぎ又左衛門殿、治助殿の二人は松枝町の借家に行ったが、小生は牛込わら店の湯に入りに行った。八ツ時にお屋敷に戻り、夜番を九ツまで勤めた。
#大原幽学刑事裁判 
(コメント)
本日は殿様の登城日です(月次御礼)。月次御礼は「つきなみおんれい」と読み、原則毎月1日、15日、28日。江戸城に大名らが一斉に登城するので、早くに屋敷を立たねばなりません(六ツ半時出発)。昼前(四ツ時)には戻るのに、朝食抜きのためか御供の者は弁当持参です。

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安政2年4月2日(1855年)非番
#五郎兵衛の日記
朝掃除。殿様は五ツ時に御半供で大橋の辺りに御出掛けになられた。昼前まで写し物。
九ツ時、松枝町の借家へ向かう。
良祐殿が逗留しており、十日市場村の御親父と碁を打っていた。この夜松枝町に泊まり。
#大原幽学刑事裁判 
(コメント)
五郎兵衛、本日は非番であり、朝に掃除、昼まで書物の写しのバイトをこなした後、松枝町の借家へ。良祐が滞在していました。長部村の名主遠藤家の跡取り息子良左衛門が江戸にいるので、連絡役として度々国元と江戸を往復しているようです。

〈詳訳〉
朝掃除。又左衛門殿と治助殿は五ツ時にお屋敷に戻ってきた。殿様は五ツ時に御半供で大橋の辺りに御出掛けになられた。昼前まで写し物。九ツ時に松枝町の借家へ行く。良祐殿が逗留しており、十日市場村の御親父と碁を打っていた。
暮方に平太郎殿が来た。元岩井町の泉屋に依頼した件について、引き取りのために石川様の門まで良左衛門君と2人で道具を取りに行った。
長左衛門殿は留守であったが、帰り道で会つた。「親方が2、3日留守であり、話しを進められない」といっていたが、小生は明日が非番であり、何かと相談の上で出向くつもりだとして帰宅し、その夜は松枝町に泊まり。


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安政2年4月3日(1855年)非番
#五郎兵衛の日記
四ツ時に良祐殿は出立。小生も松枝町を出て、番町のお屋敷には四ツ半着。昼から治助殿と髪結い。夜番を九ツまで勤めた。
#大原幽学刑事裁判
(コメント)
五郎兵衛は昨日に続き今日も非番。そのため、番町にある屋敷に戻るのも昼前(四ツ半)と遅め。五郎兵衛の非番が2日続くのは珍しく、奉公人が少しは増えたのでしょうか。

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安政2年4月4日(1855年)本番
#五郎兵衛の日記
朝掃除。勤務中に本の書き写し。五ツ半に又左衛門殿、お屋敷に戻り。夜番を九ツから明けまで勤めた。
#大原幽学刑事裁判 
(コメント)
五郎兵衛、本日は本番の勤務のほかに、夜番を
九ツ(午前零時)から明けまで勤めており、かなりの長時間勤務です。もっとも、勤務中に本の書き写しのバイトをしていますから、それほど忙しくはなかったのかも。
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安政2年4月5日(1855年)非番
#五郎兵衛の日記
朝掃除。四ツまで扶持米を搗き直し。洗濯。昼から写し物。七ツ時に出かけ、大伝馬町の高木で筆と墨を買い、泉之湯に入ってから、暮方に松枝町の借家に行き、泊まり。
#大原幽学刑事裁判 
(コメント)
扶持米とは、主君から家臣に給与した俸祿の米のこと。五郎兵衛の日記には米搗きの記事がよく出てきます。殿様(藪家)から家臣が頂戴した米を、奉公人に精米させているのでしょう。


〈詳訳〉
朝掃除。四ツまで扶持米を搗き直し。洗濯。昼から写し物。七ツ時に出かけ、大伝馬町の高木で筆と墨を買い、泉之湯に入ってから、暮方に松枝町の借家に行く。
治助殿からもらった綿入の仕立て直しを松村に相談したところ、「三浦の御新造ができるはずで、江戸に来るかも知れないから、三、四日様子を見てはどうか」と。
幽学先生からは、「自分勝手な判断で決めたり、規律を乱してはいけない。慎重に行動するように」と注意を受ける。結局、このことは一旦保留。
また、先生からは、昨年、幸左衛門殿が蔵方の半助から頼られ、銀座で金銭の支払いを行ったことがあったと国元から聞いているが、小生や宜平殿も知っていながら隠していただろう」とのご指摘を受ける。
御親父様からは「今後も互いに気を付け合い、問題を起こさないように。先生に心配をかけないように」とお言葉をいただいた。

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安政2年4月6日(1855年)添番
#五郎兵衛の日記
藤助から頼まれ雉子町で紙帳を買い、五ツ前にお屋敷に戻る。五ツ時、殿様は昌平坂へお出かけ。
小生は添番勤務。八ツ半まで書物の写し。
平右衛門殿が文平方からの手紙を持って来てくれ、しばし語り合う。その後九ツまで夜番の勤め。
#大原幽学刑事裁判 
(コメント)
昨日松枝町の借家に泊まった五郎兵衛は、雉子町(現千代田区神田美土代町付近)で、藤助(同僚)から依頼されたものを買い、お屋敷に戻りました。殿様は昌平坂学問所に御用だったようです。殿様がお屋敷に不在であり、家臣不在なので、勤務時間中にバイト(書物の写し)をしダブルワークをこなしています。

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〈詳訳〉
早朝茶を飲む。藤助からの頼みで雉町へ紙帳を買いに行き、五ツ前に戻る。五ツ時、殿様が昌平坂へお出かけになられた。小生は添番の勤めをし、書物の写しを八ツ半時まで行う。
平右衛門殿が文平方からの手紙を持って来てくれ、一時語り合う。
又左衛門殿は九ツ時に松枝町の借家へ出かけ、小生は九ツまで夜番の勤め。

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安政2年4月7日(1855年)本番
#五郎兵衛の日記
朝掃除、写し物。治助殿は五ツ半時に松枝町の借家へ出かけた。夕方床上げ。九ツより六ツまで夜番を勤めた。
#大原幽学刑事裁判 
(コメント)
本番勤務をした後に、九ツ(深夜12時)から朝六ツ(午前6時)まで夜番を勤めた五郎兵衛。長時間勤務ですが、あまり忙しそうではなさそう。書物の写しバイトを勤務時間中にしてしまうくらいですから。

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安政2年4月8日(1855年)非番
#五郎兵衛の日記
朝掃除。昼前に写し物。八ツに出掛け、泉之湯に入り、松枝町の借家へ。御親父様から「幽学先生は夜具の整理をご自分でされている。規律をしっかり守るよう、一同が心を一つにして取り組むことが大切」とのお言葉をいただいた。
#大原幽学刑事裁判 
(コメント)
五郎兵衛が幽学先生と共に松枝町の借家に住んでいたときは、五郎兵衛が幽学先生のお世話係だったのですが、五郎兵衛が武家に奉公に行ってからは、幽学先生は夜具の上げ下げもご自分でされているそうです。

〈詳訳〉
朝掃除。治助殿は松枝町の借家から五ツ時にお屋敷に戻ってきた。昼前に写し物し、二人で髪結い。殿様は四ツ半に下屋敷に出掛けられた。平右衛門殿は石川様の新部屋に御奉公のため七ツ時に出掛けた。
夕方良左衛門君が治助殿の荷物を持ってきた。
八ツ時に治助殿と共に出掛ける。藤助に頼まれて新石町板新屋の大工与市方に米を持参する。泉之湯に入った後、松枝町の借家へ八ツ半時に行く。
幽学先生、良左衛門君、御親父がおり、先生から次のような話しがあった。
「良左衛門は、全体を把握しないで、何事もその場限りで済ませようとする。その場を良くすしようとしてつまらない話しをするから、話しがまとまりのないものになってしまうのだ。
予は道友の話なら、どれだけ話しても尽きるということはないのだし、良左衛門もそのことであれば、予と意見が合わないということもないのだが、どうも自分のことで悲観的になりがちだから、そのせいで予が厳しい人物のように見られてしまう。去年も今年も国元の人々から「予が良左衛門を酷くいじめている」と思われているので、それで予の言うことが何一つ通らない。どうしようもないので、何事も構わぬよりほかに方法がない。」

御親父様からは、「夜具の整理なども、幽学先生はご自分でされている。これまで立ててきた規律をしっかり守るよう、一同が心を一つにして取り組むことが重要なのだ」とお言葉をいただいた。

豆腐とか干物等の人数割りにして、全員の食費とは別に各自の分を割り増しで計算すると話し合った。
晩に平太郎殿が来て、碁を打ち、四ツ時に就寝。

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安政2年4月9日(1855年)添番
#五郎兵衛の日記
朝五ツ時にお屋敷に戻る。殿様は御半供で昌平坂へお出かけ。写し物をする。又左衛門殿は八ツ時に松枝町の借家へ出掛けた。小生は夜番を九ツまで勤めた。
#大原幽学刑事裁判 
(コメント)
五郎兵衛のところの藪家の殿様は先日(4月6日条)と同様、本日も昌平坂学問所へお出かけです。
殿様の外出は常にお供を伴うため、私的な時間を確保するのは大変そうです。

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安政2年4月10日(1855年)本番
#五郎兵衛の日記
朝掃除。殿様は六ツ半時に御供を揃えて本庄安芸守様方へ御出掛けに。田安御馬場にも御廻りになられ、九ツ時に御帰館になられた。
小生は写し物の後、七ツころ御弓場の支度。夕方その片付けをし、夜番を九ツから明六ツまで勤める。
#大原幽学刑事裁判
(コメント)
五郎兵衛日記は大原幽学一門の裁判日記なのですが、ここ最近は武家屋敷での奉公人日記となってしまっています。幽学先生の動静は道友でもある同僚から聞いているはずですが、日記には書き残されていません。お殿様の動静が記録されており、五郎兵衛にはどうもそちらの方が気になってしまっているようです。

〈詳訳〉
朝掃除。殿様は六ツ半時に御供を揃えて本庄安芸守様方へ御出掛けに。田安御馬場にも御廻りになられ、九ツ時に御帰館になられた。
五ツ前に又左衛門殿が戻ってきて、九つには治助殿が松枝町の借家へ出かけ。小生は写し物の後、七ツころ御弓場の支度。夕方その片付けをし、夜番を九ツから明六ツまで勤める。
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