南斗屋のブログ

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弁護士の困窮化のもたらすもの

2022年04月14日 | 歴史を振り返る
(弁護士困窮化の時期)
弁護士の困窮化ということが云われた時期というのは、
①大正の終わりから昭和の初期のころ
②戦後
③現代
の3期があるような気がします。
 もちろん弁護士という制度の立ち上がりの時期(明治初期〜中期)にも経済的にペイするのは大変だったと思うのですが、そのときは食えないのがデフォルトなので「困窮化」とはいわないのでしょう。「困窮化」といわれるのは、それなりに良い暮らしができていたのに、そのレベルからの急速な貧困化という意味合いがあるようです。

(弁護士困窮化は何をもたらすか)
 弁護士の困窮化は、弁護士の非行の増加をもたらすというのが歴史的事実です。このことにより、弁護士の信用が低下し、司法という個別救済システムに支障がでます。

(大正〜昭和初期の弁護士非行増加) 
 このときの弁護士の非行増加については
、昭和4年頃の新聞には、「背任弁護士召喚か、不良弁護士退治」「やり玉に上った弁護士60名」「不良弁護士10名起訴さる。告訴50名突破」という見出しの記事にしばしば突き当たるそうです(第一東京弁護士会「われらの弁護士会史」)。
当時の新聞の見出しが今よりも刺激的なのかもしれませんが、新聞がそう書き立てるほど、弁護士の非行は話しのネタになったのでしょう。

(弁護士非行の原因)
 大正期〜昭和初期のことについて、次のように述べられています(内田博文「刑法と戦争」)。
・かなり人為的な原因による弁護士数の急増=弁護士資格の実質的引下げによる増員
+経済的不況の時期が合致
⇒弁護士の生活の急激な低下
⇒弁護士の非行が増加し、社会の非難を浴びるような事件が起こる

(貧すれば鈍する)
 弁護士の生活が急激に低下することで、弁護士の非行が増加し、社会の非難を浴びるような事件が起こると説かれていますが、「貧すれば鈍する」でして、一定割合では弁護士の非行・不祥事が現実に起きています。

(戦後)
 戦後については、第一東京弁護士会が、「こんな弁護士はいかがなものか」という内容の決議をしています。 
「第一東京弁護士会の会員は名刺だけでなく、標札や看板に官歴(自分の過去の公務員歴)や経歴を載せてはならない。新聞や雑誌についても同様である。」(昭和23年3月15日第一東京弁護士会総会決議の大意)
 これは当時そのような官歴・経歴肩を掲載することで、現職公務員と特殊密接な関係があり、他の弁護士よりも有利になりますよというふうな宣伝に使われていたことを防止する目的があったようです。
 また、食べるのに困っていたことから、千葉に来たものの、弁護士業務ではなく、田畑の耕作をしていた方もいます。昭和25年に裁判官に任用された弁護士(千葉県弁護士会員)の裁判所への上申書には、「昭和21年3月に鶴舞町(現・千葉県市原市)に帰来し、以来田畑耕作の傍ら弁護士業務に従事していたので弁護士業務は閑散であった。」と書かれたものがあります(千葉県弁護士会史)。
 その他昭和30年代になっても、なかなか弁護士業で食べるのが大変だったということは以前にも書いたことがありますのでご興味のある方はご参照ください。⇒過去記事
 
(弁護士が起こした最近の刑事事件)
 弁護士が被疑者・被告人となっている刑事事件についても、過去記事で取り上げています。






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