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左利きの人生を考える(9)見えない差別(2)書写教科書-週刊ヒッキイ第598号

2021-07-04 | 左利き
『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』第598号 別冊編集後記

第598号(No.598) 2021/7/3
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その24―
 左利き本のために――左利きの人生を考える(9)
 見えない差別―個別事例(2)書写教科書」



600号☆彡
 ☆彡
☆彡

弊誌もいよいよ600号に近づいています。

このままで行けば、8月7日に到達です。

(ちなみに、翌週の8月13日は「国際左利きの日」でもあります。)

記念に何かふさわしい企画を考えてみようと思います。

「こんなことをやってみたら」というリクエスト、
もしくはご提案がございましたらお寄せください。

レフティやすお


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第598号(No.598) 2021/7/3
「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その24―
 左利き本のために――左利きの人生を考える(9)
 見えない差別―個別事例(2)書写教科書」
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 以前「ダイバーシティ」という言葉についての様々な文章において
 左利きの観点から見た時に感じた「左利き/利き手差別」とは、

 「見えない差別/隠れた差別/意識されない差別」ではないのか

 という疑問について考える二回目です。

 今回も、個々の事例を挙げて、
 「見えない差別/隠れた差別/意識されない差別」
 としての<左利き差別>について考えてみましょう。

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 左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その24―
  (左利き本のために)――左利きの人生を考える(9)
  ◆ 「見えない差別/隠れた差別/意識されない差別」 ◆
   ~ 個別事例 書写教科書における左利き差別 ~  
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ●「見えない差別/隠れた差別/意識されない差別」

「見えない差別/隠れた差別/意識されない差別」
について改めてふれておきます。

 <左利き差別>が
 「見えない差別/隠れた差別/意識されない差別」だ

というのはなぜか、といいますと、

それは、生まれたときから右利き仕様の<右利き社会>に
どっぷりとつかって生活してきた左利きの人にとっては、
その<右利き社会>が「普通」になってしまっていて、
それが実は「差別」なのだ、
という事実に気づいていないのではないか、という現実にあります。


前回は「はさみ(ハサミ/鋏)」について書きました。

ハサミは身近にあってよく使うものでありながら、
その実態が正確に理解されていない道具でもあるのです。

「ハサミ」は、刃のかみ合わせであったり、
指を入れる持ち手部分の形状であったり
使用するときに右手で持つか左手で持つかという、
持つ手の左右の違いにあわせて、
「右手用」と「左手用」の2種類のハサミがあるということです。

「右手用」ハサミは、右手で使うときに都合の良い刃のかみ合わせと
持ち手の形状を持っている。
「左手用」ハサミは、左手で使うときに都合のよい物になっている、
というのが実態です。

同様に、世の中の道具や機械の多くは、
それぞれ使用時の手にあわせた設計が為されているということです。

そしてそれらの多くは、常に右手を使う人を想定して作られている、
というのがげん現実です。


しかるに、私たち左利きは、
そういう現実の中にどっぷりつかっているので、
その実態に気づかないまますごしていることが多いのです。


 ●「(手で)字を書く」(書字)という行為

そんな<右利き社会>の典型の一つが
「字を書く」という行為でしょう。

昔は「字は右手で書くもの」といわれ、
「書」の先生はみな右手で書くように指導していました。

昔は、左利きの子は、その他の行為や動作でも
右手使いに変えさせられることが多くありました。

特に箸を使うことと字を書くことの二つは、
右使いに変更をさせられる二大行為でした。


「左利きは左利きのままで」
と考える親御さんが増えている現代ではありますが、
一部には、
「他のことは左利きのままでいいが字を書くことだけは右手で」
と考える親御さんがいます。

理由は、「字は右手で書くようにできていて、
右手の方が書きやすく、書き順(筆順)も正しく覚えられる」
といったところでしょうか。

私にいわせれば、右手と左手が同等の能力であれば、
右手用ならば右手が都合がいいでしょうけれど、
互い手に能力差がある場合には、当然異なってきます。

利き手には、「能力」以外にも「好み」があります。

「好み」というのは、左右二つある器官の内
どちらを「好んで」用いるか、優先的に使うかというものです。

どちらを使ってもおかしくない状況で、
「つい左手を出してしまう、自然と左手を使ってしまう」
というものが、「好み」といわれる性質です。

この「好み」というものも影響してきます。
字を書くという目的を持った恣意的な行動においては、
そういう「好み」は制御できるかもしれません。

しかし、メモを走り書きするといった状況や、
何となくいたずら書きをするといった場合には、
きっと利き手の方が活躍することでしょう。

自然体であれば、人は利き手を使うものでしょう。

字も利き手で書く方が、
身体的には何かと都合がいいのではないかと考えます。


 ●字を書く左利き児童――学校の現場

字を書くと言う行為も、
少しずつ左利きは左手でいいと考える人が増えています。

学校でも左利きの子が
そのまま左手で字を書くことを容認するように変わっています。

ネットで検索しますと、現場の学校の先生方が
独自に左利きの児童のために工夫している例が報告されています。

ネットを検索しますと、
左利き児童のための字の書き方についての研究論文なども
いくつか散見できます。

また、
左手で鉛筆を持つイラストや写真を教室の掲示板に掲揚している、
といった報告も見られます。


 ●書写教科書における左利き差別

このように変化が著しい昨今ではありますが、
それでも変わらない差別があります。

<左利き差別>において、
今も生きている最大の差別が、「学校教科書」です。
学校の教科書で、
字を書くことを教える「書写」という科目の教科書があります。

この教科書の内容が非常に問題です。

書字における左利きの存在を無視している事態だ、
と考えています。

過去に弊誌でも再三書いてきました。

色覚障碍者のためにカラーユニバーサルデザインが導入されていたり、
男女差別につながらないように、
男児と女児の両方を姿勢のモデルに使い分けしたり、
それぞれの差別につながらないような工夫がなされていました。

ところが、書字における「利き手」に関しては、
全く無視されていました。

男女のモデルを分けるように、
字を書くときの「鉛筆の持ち方」や「手の位置」など、
「右手例」と「左手例」を併用することは
そんなに難しいことではないはずです。

ところが、まるで「字を書くのは右手」と決まっているかのように、
「右手例」のみ掲載されてきました。


これでは、左利きのお子さんをお持ちの親御さんは
不安に陥ることでしょう。

従来のように問答無用で
「左利きは(右使いに)直すもの」とされていた時代なら
それでよかったのでしょうけれど、今は違います。

ところが、肝心の学校の教科書の実態は、
完全に「左利きの存在を否定している」のですから。

 ●「受け入れる時代」へ

しかしこの状況にもようやく風穴があきました。

昨年初めて、令和二年度版の東京書籍の小学一年の書写教科書に
「左手書字例」が掲載されました。

また一つ
「見えない差別/隠れた差別/意識されない差別」解消に向けての
第一歩となりました。

まだまだ小さな一歩ですが、変革が始まりました。

参照:『お茶でっせ』2020.2.9
左利きへの配慮がなされた東京書籍・小学校教科書「新しい書写 2年度用」






(画像(1)表紙(2,3)鉛筆の持ち方例(4)毛筆の諸道具の置き位置例(5)左右に両側に配置された文字練習枠例:左手書事例のイラストを付して左利き児童への配慮がなされた東京書籍・小学校教科書「新しい書写 2年度用」)

こちらの最後に書いていますように、


『お茶でっせ』2020.2.24
左利き対応への要望は「理不尽なクレーム」か?


「●受け入れる時代――教科書採択についての議事録より」

令和2~5年度使用の小学校教科書
【家庭】「東京書籍」採択についての
「掛川市教育委員会定例会議事録」にこうあります。

委員:右利きの包丁の使い方、左利きの包丁の使い方それぞれが
  載っている。
 委員:一昔前なら修正しなければいけないとされたものが、
  現在では多様性、違うものを受け入れられる時代となった。
  今までは駄目と言われたことでも、
  今からは受け入れる時代になっていることがしっかりわかった。


信に微々たる足取りではありますが、
学校教科書にも確実に変化が始まっています。


 ●物事の「理解」について
 
ここでもう一度、物事の「理解」について考えてみましょう。

『お茶でっせ』2019.12.2
渡瀬謙の新刊『トップ営業を生み出す最強の教え方』を読む
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2019/12/post-416728.html

の中で私はこんなことを書いています。

 ・・・

◆人間には三種類ある

人間には三種類あるといいます。

(上の人)初めからわかっている人
(中の人)教えられて気づく人
(下の人)教えられてもわからない人

『論語』やアリストテレス『ニコマコス倫理学』や
江國香織の小説『こうばしい日々』に登場します。

洋の東西を超えて、人間の評価として考えることは同じ、
ということでしょう。


◎:上の人
論) 生まれながらにして知る人
ニ) 自ら悟る人
こ) はじめから知っている人

○:中(次)の人
論) 学びて知るもの
ニ) 語る人に耳を傾け従う人
こ) 途中で気がつく人

×:下の人
論) 困(くる)しみて学ばざる民(たみ)
ニ) 自ら悟ることもなく、
   他人の言葉を聞いて心に刻むこともない人
こ) 最後までわからない人


◎ 初めから分かっている人
 ↓
○ 言われて気付く人
 ↓
× 最後まで学ばない人

まあ一応、これは倫理的な意味での評価ということになります。


*(注)人間の三種類について

・『論語』【季氏 第十六】(9)
――道徳(人の道)についての理解のしかたで4段階に振り分ける

《孔子曰く、生まれながらにして之を知る者は、上なり。(以下略)》

『論語 増補版』加地伸行/全訳注 講談社学術文庫 2009/9/10

・『ニコマコス倫理学』「第一巻 第四章」
――ヘシオドス『仕事と日々』からの引用

《あらゆることを自ら悟るような人は、もっともすぐれた人(以下略)》

『ニコマコス倫理学(上)』アリストテレス/著
渡辺邦夫・立花幸司/訳 光文社古典新訳文庫 2015/12/8

・『こうばしい日々』
――黒人の教師が、アメリカに移住してきた日本人少年に話した、
 人種差別に関しての言葉

《「一つのことを、はじめから知っている人もいるし、(以下略)》

『こうばしい日々』江國香織/著 新潮文庫 1995/5/30

 ・・・

◆技術と技能の違い

次に、私は工業高校の出身で、
今でも覚えていますが、最初に専門の授業で教えてもらったのは、
「技術と技能の違い」でした。

「技術」とは、言葉で教えることができるもの
「技能」とは、言葉だけでは教えられないもので、
 身をもって獲得するもの

そういう意味の説明でした。

例えば、野球で変化球の投げ方をこう握ってこう投げる、
と言葉で教えることはできますが、
実際に投げられるようになるためには、
自分のからだで投げてみて練習しなければ身につきません。

頭で覚えるのが技術なら、身体で覚えるのが技能、
という説明もできるかもしれません。

 ・・・

先の左利きの人の<右利き社会>での
右利き仕様の道具・機械類についての現状理解に関しても、
この3種類を当てはめることができるのではないでしょうか。

「右手(右利き)用」だと、
 (上)最初から知っている(気付く)人
 (中)教えられて気付く人
 (下)教えられても気付かない(理解できない)人


ハサミの構造の違いは、教えることができることで、技術的な面。
ハサミを「つい利き手で使ってしまう」という事実は、技能的な面、
といえるでしょう。


前回、昔、私が左利き差別の問題として
道具類の右利き仕様一辺倒について問題提起するたびに、
右利きの人たちからいわれた言葉として
「右手を使えば済む問題」という話題を出しました。

この辺の理解の欠如を考えていますと、
ものごとの理解の問題としての上に述べました「人間の三種類」や、
「技術と技能の意味の違い」といったことを
思い浮かべてしまうのです。


一見単純に見えることでも実際に真の理解を得るためには、
相当な困難があるということです。

<左利き差別>が
「見えない差別/隠れた差別/意識されない差別」だ
という事実をしっかり肝に銘じた上で、
取り組んでいかなければならない、と改めて言い聞かせているのが、
昨今の私です。

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本誌では、「左利きのお子さんをお持ちの親御さんへ ―その24―
 左利き本のために――左利きの人生を考える(9)
 見えない差別―個別事例(2)書写教科書」
と題して、今回も全紹介です。

 ・・・

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『レフティやすおのお茶でっせ』より転載
左利きの人生を考える(9)見えない差別(2)書写教科書-週刊ヒッキイ第598号
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