新たに「左利きの歴史」本が発売されました。
『左利きの歴史:ヨーロッパ世界における迫害と称賛』
ピエール=ミシェル・ベルトラン/著 久保田 剛史/訳 白水社 2024/6/27
出版社の著者紹介によりますと、著者は1962年生まれの左利きのフランス人で、『左利き事典』(Dictionnaire des gauchers, Imago, 2004)という著書もあり、《フランスでは在野の歴史家として知られ、左利きの歴史をテレビやラジオなどで解説することもある。》とのこと。
副題にもありますように、ヨーロッパ――主にフランスを中心にその周辺国におけるものです。
2008年の第二版の翻訳です。
ちなみに翻訳者さんも左利きだそうです。
「訳者あとがき」に、日本で出版された左利き本についても簡単に紹介されています。
(画像:2021年から2024年にかけて出版された左利きの本および関連本(実用書をのぞく)――
上段左から(1)八田武志『左対右 きき手大研究』DOUJIN文庫 2008年DOUJIN選書の増補文庫版 (2,3)マーティン・ガードナー『新版 自然界における左と右』(上下)ちくま学芸文庫 2021年 1992年紀伊國屋書店版の文庫化再刊
下段左から(4)加藤俊徳1万人の脳を見た名医が教える すごい左利き 「選ばれた才能」を120%活かす方法』ダイヤモンド社 2021年 (5)本書『左利きの歴史』白水社 2024年 (6)大路直哉『左利きの言い分 右利きと左利きが共感する社会へ』PHP新書 2023年)
16年前の本ということになります。
すでにお隣の韓国など世界7カ国で出版されているとか。
日本でも、このような「左利きの迫害の歴史」を描く本が出版される時代になったのですね。
もちろん、過去にも日本で出版された左利き本で、そういう歴史は大なり小なり語られてきました。
しかし、ここまで正面切って「迫害」と表現されることは少なかったように感じます。
そういう意味で、この本が出版されるような社会状況になるまでに掛かった歳月は、16年だったということでしょうか。
昔は、私が「左利きの問題」などと周囲の右利きの人たちに訴えても、「右手を使えば済む問題」と軽くあしらわれたものでしたから。
・・・
日本での左利き差別の歴史については、昨年出版されました、日本左利き協会の大路直哉さんの『左利きの言い分』などにもありますように、せいぜいここ数十年前までの日常茶飯事でありました。
*参照:『レフティやすおのお茶でっせ』2023.9.20
大路直哉『左利きの言い分 右利きと左利きが共感する社会へ』(PHP新書)買いました
(「新生活」版)
『左利きの言い分 右利きと左利きが共感する社会へ』大路 直哉/著 PHP新書 2023/9/16
外国では、特に西洋は自由と民主主義の国が多いので、日本とは違いかなり早い時期から左利きに関しても、容認されていたのでないか、とお考えの方も少なくないでしょう。
しかし実態は、比較的早くから左利き「矯正」の弊害が知られていたアメリカをのぞきますと、そうでもなかったということがこの本でも明らかになりました。
もちろん、本書「序論」にもありますように、左利き解放の歴史的な流れは、解放へ向けての一方的な流れではなく、寄せては返す波のように、一進一退、比較的いい時期もあればまた悪い時期に戻るといったものでした。
本書は、そういった左利きに対する寛容と非寛容の歴史を描く文化史です。
本書の目次を紹介しましょう。
【目次】
第二版の序文
序論
第一部 正しい手と邪悪な手
第1章 なぜ人類は右利きなのか
第2章 右手主導の規則
第3章 左利きによる秩序の転覆
第二部 軽蔑された左利き
第4章 左利きという異常性
第5章 左利きという烙印
第6章 下等人間の特性
第7章 不寛容のはじまり
第8章 虐げられた左利き
第三部 容認された左利き
第9章 中世の黄金時代
第10章 近代の解放にいたる長い道のり
第11章 二つの右手の神話
第四部 称賛された左利き
第12章 左利きの卓越性
第13章 左利きの巨匠たち
結論
付録
訳者あとがき
参考文献
原注
まだ全巻通読したわけではないのですが、やはり、前半の非寛容(といいますか、迫害)の時代を読むのはつらいものがあります。
「おい、いい加減にしろよ」と怒鳴りたくなるような記述が多々出て参ります。
まあ、それでもこれが現実だったのですから、致し方ないところです。
「第二版の序文」にもありますように、これは
《左利きの歴史はおそらく第一には右利きの歴史でもあるのだ》p.8
ということです。
ですので、左利きの人のみならず、右利きの人たちもその点をよく理解した上で、ぜひお読みいただきたいものです。
《左利きの人々の境遇に関心を抱くということは、おそらく彼らを正当に評価すること、とりわけ、われわれの精神的遺産の知られざる側面を問うことを意味する。それは、現在の自分をよりよく理解するために、かつての自分を知ることである。》p.9
といいます。
そして大いなる歴史であれ、小さな歴史であれ、これこそが歴史の正当性だ、と。
歴史書を読むとは、そういうことなのですね。
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『レフティやすおのお茶でっせ』より転載
新しい左利き本『左利きの歴史:ヨーロッパ世界における迫害と称賛』発売される
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『左利きの歴史:ヨーロッパ世界における迫害と称賛』
ピエール=ミシェル・ベルトラン/著 久保田 剛史/訳 白水社 2024/6/27
出版社の著者紹介によりますと、著者は1962年生まれの左利きのフランス人で、『左利き事典』(Dictionnaire des gauchers, Imago, 2004)という著書もあり、《フランスでは在野の歴史家として知られ、左利きの歴史をテレビやラジオなどで解説することもある。》とのこと。
副題にもありますように、ヨーロッパ――主にフランスを中心にその周辺国におけるものです。
2008年の第二版の翻訳です。
ちなみに翻訳者さんも左利きだそうです。
「訳者あとがき」に、日本で出版された左利き本についても簡単に紹介されています。
(画像:2021年から2024年にかけて出版された左利きの本および関連本(実用書をのぞく)――
上段左から(1)八田武志『左対右 きき手大研究』DOUJIN文庫 2008年DOUJIN選書の増補文庫版 (2,3)マーティン・ガードナー『新版 自然界における左と右』(上下)ちくま学芸文庫 2021年 1992年紀伊國屋書店版の文庫化再刊
下段左から(4)加藤俊徳1万人の脳を見た名医が教える すごい左利き 「選ばれた才能」を120%活かす方法』ダイヤモンド社 2021年 (5)本書『左利きの歴史』白水社 2024年 (6)大路直哉『左利きの言い分 右利きと左利きが共感する社会へ』PHP新書 2023年)
16年前の本ということになります。
すでにお隣の韓国など世界7カ国で出版されているとか。
日本でも、このような「左利きの迫害の歴史」を描く本が出版される時代になったのですね。
もちろん、過去にも日本で出版された左利き本で、そういう歴史は大なり小なり語られてきました。
しかし、ここまで正面切って「迫害」と表現されることは少なかったように感じます。
そういう意味で、この本が出版されるような社会状況になるまでに掛かった歳月は、16年だったということでしょうか。
昔は、私が「左利きの問題」などと周囲の右利きの人たちに訴えても、「右手を使えば済む問題」と軽くあしらわれたものでしたから。
・・・
日本での左利き差別の歴史については、昨年出版されました、日本左利き協会の大路直哉さんの『左利きの言い分』などにもありますように、せいぜいここ数十年前までの日常茶飯事でありました。
*参照:『レフティやすおのお茶でっせ』2023.9.20
大路直哉『左利きの言い分 右利きと左利きが共感する社会へ』(PHP新書)買いました
(「新生活」版)
『左利きの言い分 右利きと左利きが共感する社会へ』大路 直哉/著 PHP新書 2023/9/16
外国では、特に西洋は自由と民主主義の国が多いので、日本とは違いかなり早い時期から左利きに関しても、容認されていたのでないか、とお考えの方も少なくないでしょう。
しかし実態は、比較的早くから左利き「矯正」の弊害が知られていたアメリカをのぞきますと、そうでもなかったということがこの本でも明らかになりました。
もちろん、本書「序論」にもありますように、左利き解放の歴史的な流れは、解放へ向けての一方的な流れではなく、寄せては返す波のように、一進一退、比較的いい時期もあればまた悪い時期に戻るといったものでした。
本書は、そういった左利きに対する寛容と非寛容の歴史を描く文化史です。
本書の目次を紹介しましょう。
【目次】
第二版の序文
序論
第一部 正しい手と邪悪な手
第1章 なぜ人類は右利きなのか
第2章 右手主導の規則
第3章 左利きによる秩序の転覆
第二部 軽蔑された左利き
第4章 左利きという異常性
第5章 左利きという烙印
第6章 下等人間の特性
第7章 不寛容のはじまり
第8章 虐げられた左利き
第三部 容認された左利き
第9章 中世の黄金時代
第10章 近代の解放にいたる長い道のり
第11章 二つの右手の神話
第四部 称賛された左利き
第12章 左利きの卓越性
第13章 左利きの巨匠たち
結論
付録
訳者あとがき
参考文献
原注
まだ全巻通読したわけではないのですが、やはり、前半の非寛容(といいますか、迫害)の時代を読むのはつらいものがあります。
「おい、いい加減にしろよ」と怒鳴りたくなるような記述が多々出て参ります。
まあ、それでもこれが現実だったのですから、致し方ないところです。
「第二版の序文」にもありますように、これは
《左利きの歴史はおそらく第一には右利きの歴史でもあるのだ》p.8
ということです。
ですので、左利きの人のみならず、右利きの人たちもその点をよく理解した上で、ぜひお読みいただきたいものです。
《左利きの人々の境遇に関心を抱くということは、おそらく彼らを正当に評価すること、とりわけ、われわれの精神的遺産の知られざる側面を問うことを意味する。それは、現在の自分をよりよく理解するために、かつての自分を知ることである。》p.9
といいます。
そして大いなる歴史であれ、小さな歴史であれ、これこそが歴史の正当性だ、と。
歴史書を読むとは、そういうことなのですね。
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『レフティやすおのお茶でっせ』より転載
新しい左利き本『左利きの歴史:ヨーロッパ世界における迫害と称賛』発売される
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