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レフティやすおの新しい生活を始めよう!

50歳からが人生の第二段階、中年の始まりです。より良き老後のために良き習慣を身に付けて新しい生活を始めましょう。

中国の古典編―漢詩を読んでみよう(24)陶淵明(1)「五柳先生伝」-楽しい読書351号

2023-10-01 | 本・読書
古典から始める レフティやすおの楽しい読書【別冊 編集後記】

2023(令和5)年9月30日号(No.351)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(24)陶淵明(1)「五柳先生伝」」



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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2023(令和5)年9月30日号(No.351)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(24)陶淵明(1)「五柳先生伝」」
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 5月以来の「中国の古典編―漢詩を読んでみよう」24回目です。

 今回は、いよいよ陶淵明を読んでみましょう。


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◆ 直接に自分を語る、李白・杜甫のお手本となった大詩人 ◆

 中国の古典編―漢詩を読んでみよう(24)

  ~ 陶淵明(1) ~

  「五柳先生伝」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

今回の参考文献――

『漢詩を読む 1 『詩経』、屈原から陶淵明へ』
 江原正士、宇野直人/著 平凡社 2010/4/20
「九、達観を目指して――陶淵明の世界」より


 ●陶淵明のこと

いよいよ陶淵明を読みます。

中国の詩人で、このシリーズを始める前に知っていたのは、
唐の杜甫、李白、白居易(白楽天)と、この陶淵明、
『楚辞』の「離騒」の屈原ぐらいでした。

もともと詩は苦手な上、漢字が苦手だった私には、
漢詩というのは苦以外のなにものでもないというところでした。

先の<中国の古代思想を読んでみよう>で、
少しは漢字コンプレックスを克服できたようなので、
かなり楽になってはいるものの、
今でも相当苦しい時間を過ごしています。

当初、杜甫、李白、白居易(白楽天)とか陶淵明で
それぞれ1,2回ずつやってみるつもりでした。

でも、もう少し本格的に勉強したいという気もあり、
ああいうスタートになりました。

「漢詩とはなにか」と、
一海知義さんの『漢詩入門』を参考に始めました。

途中から、今参考にしています、
『漢詩を読む 1 『詩経』、屈原から陶淵明へ』江原正士、宇野直人/著
(平凡社 2010/4/20)と出会い、
これを基に進めてゆくことにしました。

そうして24回目、ようやく当初から知っていた(屈原は別ですが)
詩人・陶淵明の登場、ということになりました。


 ●陶淵明について


(画像:室町時代後期の画家、等春が描いた陶淵明像――『漢詩を読む 1 『詩経』、屈原から陶淵明へ』江原正士、宇野直人/著 平凡社 2010/4/20 より)

『漢詩を読む 1』の宇野直人の解説によりますと――

陶淵明(365-427)は、李白や杜甫よりも約300年前の人で、
彼らのお手本となった大詩人です。

詩の中に自分自身を表現するという、
西晋末あたりから始まった流れの大きな結実といいます。

それまでの詩では、一部の例外をのぞき、
屈原のような大詩人でも、暗示的に遠回しに表現してきたものでした。

それが陶淵明あたりからは、すべてを振り捨てて、
生身の自分を詩に投げ出して行くという、
自分の人間性を前面に出す作風の詩となり、作品の幅も広くなります。

陶淵明は、東晋の末から宋代への交代期に、
長江の下流、南中国の呉に生まれました。
軍人を輩出した南方豪族の家で、名将軍が出ている家柄ながら、
一族は軍閥同士のせめぎ合いに巻き込まれ、多くの人が殺されました。

それゆえ、彼の人格形成にも影響を与え、
屈折した性格となったのかもしれない、といいます。

南方の知識人の特色として、思想の基盤は儒教でした。

彼の詩は時代の流れの要素を反映しているだけでなく、
『論語』もたくさん引用されています。

ただし、制作年代が不明で、詩の詠みぶりで、
彼の考え方の変化を跡づけることができない、といいます。


 ●代表作から――「五柳先生伝」陶淵明

まずは、彼の自叙伝と言うべき散文で、
歴史書の書き方に従って書かれ、
司馬遷『史記』に始まる「伝」という文体を取った、
代表作の一つ「五柳先生伝」から紹介しましょう。

 ・・・

五柳先生伝  五柳先生伝(ごりゆうせんせいでん)  陶淵明

先生不知何許人也。亦不詳姓字。宅辺有五柳樹、因以為号焉。   

 先生(せんせい)は何許(いづく)の人(ひと)なるかを知(し)らざるなり。
 亦(また) 其(そ)の姓字(せいじ)も詳(つまびら)かにせず。
 宅辺(たくへん)に五柳樹(ごりゆうじゆ)有(あ)り、
 因(よ)りて以(もつ)て号(ごう)と為(な)す。

先生はどこの人かわからない。その名字も字(あざな)もはっきりしない。
ただ家のそばに五本の柳の木があるので、
それにちなんで呼び名としたのである。


閑静少言、不慕栄利。

 閑静(かんせい)にして言(げん)少(すく)なく、
 栄利(えいり)を慕(した)はず。

気持ちはいつも静かで安らかで、口数が少なく、
栄達利益を望むこともなかった。


好読書、不求甚解。毎有会意、便欣然忘食。
 
 書(しよ)を読(よ)むを好(この)めどども、
 甚解(じんかい)を求(もと)めず。
 意(い)に会(かい)すること有(あ)る毎(ごと)に、
 便(すなわ)ち欣然(きんぜん)として食(しよく)を忘(わす)る。

好んで書物を読むが、細かく解釈することを求めない。
ただ、気に入った表現が見つかるたびに、
嬉しくて食事を忘れるほど熱中してしまう。


性嗜酒、家貧不能常得。親旧知其如此、或置酒而招之。
造飲輒尽、期在必酔。既酔而退、曾不吝情去留。        

 性(せい) 酒(さけ)を嗜(たしな)む
 家(いへ)貧(ひん)にして常(つね)には得(う)ること能(あた)はず。
 親旧(しんきゆう) 其(そ)の此(かく)の如(ごと)くなるを知(し)り、
 或(ある)いは置酒(ちしゆ)して之(これ)を招(まね)く。
 造(いた)り飲(の)めば輒(すなは)ち尽(つく)し、
 期(き)は必(かなら)ず酔(ゑ)ふに在(あ)り。
 既(すで)に酔(ゑ)うて退(しりぞ)くに、
 曾(かつ)て情(じよう)を去留(きよりゆう)に吝(やぶさ)かにせず。

先生は心底、酒を好んだが、
家が貧しいのでしじゅう手に入れることができない。
親族や友人はそれを知って、時に宴会を設けて先生を招待する。
出席して飲めば、出される酒をそのたびに飲み尽くし、
お目当ては必ず酔うことにあった。
酔ってしまえばすぐに座を退き、自分の気持ちを、
ここで退席するか留まるかで決して悩ませることはなかった。


環堵蕭然、不蔽風日。短褐穿結、箪瓢蕭空、晏如也。  
      
 環堵(かんと)蕭然(しようぜん)として、
 風日(ふうじつ)を蔽(おほ)はず。
 短褐(たんかつ)穿結(せんけつ)し、
 箪瓢(たんぴよう)屡(しば)しば空(むな)しきも、晏如(あんじよ)たり。

先生の狭い家はがらんとして、
風や太陽の光をさえぎるものもないほどだ。
粗末な布で作った衣は、開いた穴をつくろってあり、
めしびつやひさごはしばしば空になるほど貧しかったが、
先生の心はいつも安らかであった。


常著文章自娯、頗示己志。    

 常(つね)に文章(ぶんしよう)を著(あらわ)して
 自(みづか)ら娯(たの)しみ、
 頗(すこぶ)る己(おの)が志(こころざし)を示(しめ)す。

先生は常に詩や文章を書いて自分だけで楽しみ、
しかしその中でいささか抱負を示した。


忘懐得失、以此自終。
   
 懐(おも)ひを得失(とくしつ)を忘(わす)れ、
 此(これ)を以(もつ)て自(みづか)ら終(を)ふ。

心から世俗の損得を忘れて超然とし、自分なりに一生を終える。


賛曰、
黔婁有言、不戚戚於貧賤、不汲汲於富貴。酣觴賦詩、以楽其志。
無懐氏之民歟、葛天氏之民歟。
   
 賛(さん)に曰(いわ)く、
 黔婁(げんろう) 言(い)へる有(あ)り、
 貧賤(ひんせん)に戚戚(せきせき)たらず、
 富貴(ふうき)に汲汲(きゆうきゆう)たらず、と。

黔婁は奥さんに次のように言われた。
自分の身分が低いことに悩まず、
かといって裕福になろうとあくせくしなかった。


其言茲若人之儔乎。

 其(そ)れ 茲若(これかくのごとき)
 人(ひと)の儔(ともがら)を言(い)ふか。  

こんなふうに奥さんが黔婁を論表した言葉は、
まさに五柳先生の仲間について言ったのであろうか。


酣觴賦詩、以楽其志。無懐氏之民歟、葛天氏之民歟。

 酣觴(かんしよう)して詩(し)を賦(ふ)し、
 以(もつ)て其(そ)の志(こころざし)を楽(たの)しましむ。
 無懷氏(ぶかいし)の民(たみ)か、葛天氏(かつてんし)の民(たみ)か。

先生はいつも酒を楽しんで詩を作り、自分の抱負を満足させていた。
そういう先生は、かつての理想的な天子の無懷氏、
或いは葛天氏の世に生きていた民衆のように純朴な人ではなかろうか。

 ・・・

彼が理想とする人間像、人生観を述べたもので、宇野さんの意見は――

 《読んでみると、抽象的、観念的、或いは理想に走っていて、
  長い人生経験から得たものがあまり感じられません。
  また反俗精神が強く出ていますので、
  これは若い頃の作ではないかと思います。》p.329

全体が七つの要素からなっていて、
まず先生の姓名と来歴の説明から始まります。

中国の歴史書の形式で、
伝記はまず主人公の名前と出身地の紹介から始まる。

隠者の伝記には、
「何許(いづく)の人なるか知らざるなり」という表現が多く、
ここでは陶淵明は「五柳先生は隠者ですよ」といっているわけで、
これは家柄や門閥を重んじる貴族社会への皮肉だ、と宇野さん。

次に、その人間性についても、口数少なく、栄達利益を望まないという、
弁舌や名誉を重んじる貴族とは対極的で、貴族の価値観に反対している。

そしてお酒。お酒を飲むこと自体が好きで、
社交辞令や儀礼はお構いなしで、
ただ酔うだけで、酔えばさっさと引き上げる。

次に衣食住を説明する。
清貧に安んずるということで、ここでも貴族の豪華な生活とは正反対。

創作活動では、抱負を示すと言い、
 《当時の、抱負を述べることを忘れた、
  形式だけの詩を批判する意味もあるのかな。》p.331

死については、
 《心から世俗の損得を忘れて超然とし、自分なりに一生を終える》同
と、
 《そういう人に私はなりたい。
  全体を通して、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を思い出します。》同
と。

歴史書のパターンで最後に「賛」がついています。

「賛」では、《伝の要旨をまとめて主人公の美点をほめます。》p.332

むずかしい表現ですが、
「黔婁」は春秋時代の隠者で、奥さんは彼について述べたのですが、
 《“奥さんの言葉はそのまま五柳先生にも通ずるなあ”ということ》。

宮沢賢治の「雨ニモマケズ」のようというのですが、
さてどうでしょうか。

人の生き方というものは、いつの世でも大きな違いはないもので、
「清貧」といいますか、やはり「足るを知る」というような生き方が
一番シンプルでいいのかもしれません。

読書とか詩作とかちょっと一杯とか、
自分の好きなことだけをボチボチ遊ぶ、そんな日々を楽しむ。

えっ、お前の生活にちょっと似てないかって、
まあそう言われると、そうかもしれませんけれど……。(おいおいっ!)

 ・・・

上の詩にもありましたようにお酒好きの陶淵明ですが、
飲酒についての詩が多く残っているそうです。

次回は、その中から「飲酒二十首」を紹介しましょう。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

本誌では、「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(24)陶淵明(1)「五柳先生伝」」と題して、今回も全文転載紹介です。

本文にも書いていますように、このシリーズを始めた当初に知っていた数少ない中国の詩人の一人、陶淵明の登場です。

何回か取り上げてみよう、という気持ちでいます。

まだこれからお勉強の開始です。
飛び飛びの連載ですので、さて、いつまで続くことになるのでしょうか。

 ・・・

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私の読書論174-消えゆく書店と紙の本-楽しい読書350号

2023-09-16 | 本・読書
古典から始める レフティやすおの楽しい読書【別冊 編集後記】

2023(令和5)年9月15日号(No.350)
「私の読書論174-消えゆく書店と紙の本」



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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2023(令和5)年9月15日号(No.350)
「私の読書論174-消えゆく書店と紙の本」
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 さて今回は、本と書店の世界といいますか、業界について、
 「元本屋の兄ちゃん」として、本好き・読書好きの人間として、
 私なりに考えていることを書いてみようと思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 - 消えゆく書店と紙の本 -

  ~ 紙の本と書店の減少にショック! ~

   それでも本屋さんは生き残る?
 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ●朝日新聞の記事「本屋ない市町村、全国で26%~」

朝日新聞の記事によりますと、
出版文化産業振興財団(JPIC)による調査では、
書店のない市町村が全国で26%にも上るそうです。

*参照:朝日新聞デジタル記事
本屋ない市町村、全国で26% 業界はネット書店規制を要望、懸念も
宮田裕介2023年3月31日 19時00分
https://www.asahi.com/articles/ASR3056M2R30ULEI004.html


(画像:朝日新聞デジタル記事より「書店ゼロ」の自治体の数と割合)

 《調査によると、書店がないのは全国1741市区町村のうち456市町村。
  都道府県別で書店がない市区町村の割合は、
  沖縄が56・1%と最も高く、長野の51・9%、奈良の51・3%と続いた。
  4割を超えたのは、福島(47・5%)、熊本(44・4%)、
  高知(44・1%)、北海道(42・5%)。
  一方、広島、香川の両県は全市町村に書店があった。》

調査対象は《大手取次会社を経由して販売契約している新刊書店の数》。

 《「独立系書店」などと呼ばれる大手取次を利用していない書店、
  ブックカフェ、ネット書店、古書店などは数に含まれていない》。

調査方法が違うという、取次・トーハンの2017年の調査では、22・2%。

 《市区町村別ごとでみると、
  書店がない市は792市のうち17(2%)だったのに対し、
  町は743町のうち277(37%)、村は183村のうち162(89%)だった。
  東京23区は全てにあった。
  書店がない市町村がどこかは明らかにしていない。》

書店経営が厳しい背景の要因として、
(1)人口減少や雑誌の売り上げの急減
(2)ネット書店で本を買う人の増加
など様々な要因がある、といいます。

 《日本書店商業組合連合会の加盟店などの書店業界は、
  自民党の「街の本屋さんを元気にして、日本の文化を守る議員連盟」
  に支援を要望。
  今春までに提言書をとりまとめ、具体的な支援の検討を始める。》

具体策は、(A)アマゾンなどのネット書店との競争環境の整備

 《本は、定価販売の根拠となる「再販制度」があるが、
  ネット書店では、送料無料やポイント還元で
  「実質的に値引きが行われている」とし、
  一定の制限やルールを設けることを検討する、とした》

ほかに検討材料としては、

(B)公立図書館で同じ本をたくさん仕入れないようルールを定める
(C)出版物への軽減税率の適用
(D)読書推進を目的としたクーポン券の配布

ネット書店や図書館への規制は、

 《読者の利益を損なうことにつながりかねず、批判も多い。
  また、特定の政党の議連に要望していることについて、
  政治との距離の取り方への疑問の声もある。》

といいます。

私には、自民党の議員連盟に要望している点を問題視しているのは、
いかにも朝日新聞的な感じがします。


 ●再販制度――定価販売による価格保証

以前から私が主張していることは、本の流通において、
取次経由の在り方を再考するということ。
卸業そのものは、他の業界にもあり、それ自体は問題ではありません。

問題は、再販制度です。
私の主張は、再販制度を廃止して、書店の自由仕入れ・自由販売にする、
というのが一つ。


再販制度のよいところの一つは、
素人でも資金力があれば開業できること。

地方の資金力のない小さな店でも、販売価格を保証されているので、
ある程度売れれば(!)経営的には一定の利潤を上げられる。
(実際には非常に苦しいのですが、パパママストア的な、配達中心に、
 学生や子供さん高齢者向けに、地元密着でやれば、できなくはない?)

一人の人間の得意ジャンルなどしれたものです。
書店というのは、非常に広いジャンルの商品を扱います。
大規模な書店ならある程度人を集めて、
それぞれの得意ジャンルを担当させればいいのですが、
個人レベルのお店ではそれはできません。
勉強にも限界があります。
ある程度取次に頼るのもありでしょう。

他の商品でもそうですからね。
生鮮食品でも、卸の専門家に仕入れを任せている、
という料理店もあるでしょう。
同じことです。
ある程度の目利きができる必要はあるでしょうが。

話がずれました。
再販制度です。

やはり店側が責任をもって発注して販売する必要があります。
今は返品可能で、山かけで発注して、
大量に売れ残っても返品すればいいや、で済ますこともあるのです。
返品もお金がかかりますけれど、買取よりずっといいですから。

価格も含めて、責任を持ってその商品を売ることが大事です。
自由販売だから売れ残ったら、値引きすればいいや、でもないのです。
そんなことをすれば、儲けが減ってしまいますから、ね。


 ●書店経営が厳しい背景の要因―雑誌の売り上げの急減

話を朝日新聞の記事に戻します。

書店経営が厳しい背景の要因として、
 (1)人口減少や雑誌の売り上げの急減
 (2)ネット書店で本を買う人の増加
を挙げていました。

(1)の「人口減少」は、これはどの業界も直面している問題です。
これに対する絶対的な答えはありません。

市場を海外に求める、というわけにもいきません。
客を地元だけでなく、ネットを使って広く世界に求める、
というやり方は可能ではありますけれど。


「雑誌の売り上げの急減」には、二つの要因があります。

雑誌そのものに魅力がなくなった、というわけではないと思います。

一つは、コンビニに客を取られている。
もう一つは、雑誌そのものが紙から電子版に切り替えられている。

コンビニの問題は、
私が本屋さんで働いていた30数年前に始まったものです。


雑誌の売り上げは、書店売り上げの半分程度といわれていました。
私のいた店は40%程度でこれを上げなければ売上は上がらない、
といわれていたものでした。

私が働いていたころに取った対策は、雑誌の完売賞を狙うというもの。

入荷数と返品数をしっかり把握して、適切配本になるように調整して、
出版社が完売賞を出している時には、きっちりとこれを獲得する。
もらえる賞品といえば、雑誌のロゴ入りのちょっとした物でしたが、
それよりも、
次回から入荷数を増やしてもらえるようになる利点がありました。

結果として取次からの適切な配本を確保でき、
売り損じや返品過多などの不利益を減らすことができました。


 ●ネット書店で本を買う人の増加

これは確かに大きな要因でしょう。
ただ、ネット書店といっても、二つの面があります。
紙の本の場合と電子版の場合と、です。


紙の本の場合は、
Amazonのように送料無料とかポイントがもらえるとかのサービスは、
一般書店にとっては、ちょっと公平な競争という点では問題ありか、
と思われます。

書店でも無料の配達をやってはいますが、ポイント制は一種の割引で、
定価販売の書店とは違って、一種違反ともいえそうです。


電子版の場合は、
特に雑誌は、若い人の間で非常に進んでいるように思います。

スマホでその場で見られる、という便利さがあります。

一般書籍の場合は、逆に高齢者で愛好者が見受けられます。

文字の大きさを端末で変えられるので老眼でも好都合だ、
という考えの人が多いようです。

また、物が増えない、という収蔵場所の問題もクリアできるので。


紙の本の場合、本屋の消滅がネットへの購買の移行に拍車をかけ、
リアル書店の減少が先かネット書店での購入増加が先か、
というレベルになってきているようです。

ネット書店とリアル書店の違いは、品揃えの差ということになりますか。

ネット書店の場合は、店舗がいらないので、
その分倉庫に割り当てできます。
単なる倉庫なので、単位面積当たりの収容力に差が出ますし、
そもそも立地条件が異なりますので、経費が違ってきます。

そういう意味では
ロングテールといわれる商品を確実に利益にできるという面があります。

リアル書店では、どうしてもそういう面では、
置くべき本を恣意的に選択するしかないので、
売り方との兼ね合いで勝負するしかないのです。

店員さんが何を推すかで決まるというように。

買う人の立場でいえば、「特定の本を買う」という場合には、
圧倒的にネット書店が有利でしょう。
選んでポチ! ですみますから。


 ●リアル書店での「偶然の出会い」

それに対して、リアル書店が優るのは、未知への誘いとでもいいますか、
お客様の漠とした欲求に対して、実際の「もの」でアピールする、
という力があります。

「思いがけない出会い」とかいわれるものですね。

こんな本があったのか、という意外性といいますか。
今まで存在は知ってはいたけれど、
手にすることはなかったといった本に、偶然出会ってしまう瞬間、
というものがあります。

これはやはりネットよりもリアルが勝っているように思います。


ネットでも過去の履歴に基づいた紹介がありますが、
過去の履歴は所詮は過去の履歴で、
現在の興味を反映するものとは限りません。

また、新刊のチェックまでは進んでいません。
目新しい出会い、というのは、なかなかむずかしいように思います。


 ●リアル書店の生き残りについて――「コンビニ+本屋」

朝日新聞の関連記事では、Amazonを不便にすればとか、
「コンビニ+本屋」の例とかが出ています。

「コンビニ+本屋」の例を考えてみましょう。

昔私の通勤途上にそういう例がありました。
私自身何度か本を買いました。
当時は仕事が忙しく、
休みの日でもわざわざ本屋さんに出かける余裕がありませんでした。
そん名と気は非常に便利に思いました。

通勤の帰りにのぞくことが多かったのですが、
時に出勤時に週刊誌などを買うこともありました。

本好きの私には、ふつうのコンビニでは満足できなかったので、
それはそれでよかったのですが、
しかし、本屋の仕事というのは、コンビニの延長ではなく、
やはり別物の仕事でしょう。
きちんとした品揃えをしようとしますと、専任の店員が必要です。

やはり商品の選定というのは、目利きがいないとむずかしいものです。
店の持つ販売力をしっかり把握して、
どういう商品をどの程度、といった発注の問題ですね。

それと現状では取次からの送品にたいしてどう対処するか、
という問題もあります。

正直、店に合わない商品でも大量に送ってくる場合があります。
その返品なども大切な作業です。


 ●ベストセラーではなく、ロングセラーを!

従来は、売れ筋と呼ばれる商品をいかに確保するか、
が一つのポイントでした。

しかし、地方の小さな書店に本がまわってくるころには、
売れていた本もそれほどではなくなっています。

結局大切なのは、お店のお客様に合った商品をどの程度確保できるか、
ということになります。

それと、こういう商品を売りたいという店員側の思い、これも大事です。

公刊されているような本には、それなりの魅力があるものです。
その点をきっちりアピールできれば、当然売れるはずです。

一般商店でも同じですが、売上の落ちてきた店がよくやる失敗に、
店に置く商品を売れる商品のみに絞る、という方法があります。

一見筋が通っているようですが、これがたいてい失敗します。
なぜか、というと、
売れる商品というのは、基本どこの店でも売れている商品です。

どこでも買える商品と言い換えてもいいかもしれません。

それだけに限ってしまうと、店としての魅力が半減してしまいます。

多くのお客様は、この店でこれを、あの店であれを、
と基本的な商品に関しては、買う店を決めているものです。

たまにしか売れない商品が実はあなたのお店の魅力の一つになっている、
というケースが結構あるものです。

一見ムダに見える商品を置くことで、
お客様に選択肢を与えることができます。

そういうお客様の傾向をきっちり抑えて、品揃えをする必要があります。


そして、今○○が流行っていると、
一時的なベストセラーを追いかけるのではなく、
継続的に売れる、ロングセラー、定番商品をしっかり確保する、
これが一番大事で、それがお店の販売の基礎となるものです。


 ●本屋はそのまちの文化のバロメーター

一番大事なことは、本屋さんというのは、
その町の文化を代表する存在の一つだ、ということです。

もちろん文化施設としては、
公立や私立の図書館とか美術館とか博物館などもあります。
あるいは学校――小・中・高校、大学、専門学校などの教育施設などが
あります。

しかし、最も身近な文化施設として、私が思うところは、
やはり町の本屋さんなのです。
これは私の経験からの意見です。

本屋さんに出入りするようになり、私の世界が広がったのです。
今の私につながるような変化を生みました。

それが文化というものでしょう。

本の世界には、文字通り世界のすべてが包含されています。
未知なる世界への入口になるのです。

日常的な生活だけでは、絶対ふれ得ないような世界の広さです。

それが本屋さんというものだと私は思っています。

もちろん、昔でいえば映画やラジオやテレビもそういうものでした。
しかし、それらは自分の手元に置いておくことができにくいものでした。

紙の本なら、それが可能でした。

広い世界へつながる入口――それが本屋さんであり、
文化へ続く道だったのです。


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本誌では、「私の読書論174-消えゆく書店と紙の本-楽しい読書350号」と題して、今回も全文転載紹介です。

今回は、「元本屋の兄ちゃん」としては、いいテーマを見つけたというところなのですが、しっかり考える時間がなく、中途半端な結果になりました。

また、次の機会に考え直して書いて見ようかと思います。

一言、私の従来からの意見と書いておきますと――
(1)再版制度をやめ、書店の自由販売にする
(2)本の価格を引き上げ、その分を書店や著者、出版社、取次などに配分する
これで、紙の本を残せるか、地方の町の書店が生き延びられるか、は不明です。
それでも、いくつかの可能性は残されているのではないか、と考えています。

結局、書店というものはだれでも経営できる業種ではなく、専門家の手による専門店だという気がします。

都市部の大型店が家賃が払えず退店するとかいう話も聞いています。
書店自身がもうオワコンなのかもしれません。

それでも私はまだまだ、と信じたいのですけれど……。

 ・・・

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私の読書論174-消えゆく書店と紙の本-楽しい読書350号
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<夏の文庫>フェア2023から(3)集英社文庫・東野圭吾『白夜行』-楽しい読書349号

2023-09-01 | 本・読書
古典から始める レフティやすおの楽しい読書【別冊 編集後記】

2023(令和5)年8月31日号(No.349)
「新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2023から(3)集英社文庫・
 東野圭吾『白夜行』青春の思い出も背景に散りばめられた一冊」



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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2023(令和5)年8月31日号(No.349)
「新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2023から(3)集英社文庫・
 東野圭吾『白夜行』青春の思い出も背景に散りばめられた一冊」
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 一回遅れてしまいましたが、
 「新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2023から」の三回目
 「集英社文庫 ナツイチ2023 この夏、一冊分おおきくなろう。」
 からの一冊を紹介します。

 先号でも書きましたように、

 大阪も連日35度を超え、時に37度、38度といった猛暑の日々、
 予定していた、東野圭吾『白夜行』が読み切れず――
 文庫本860ページ、十年ほど前に一度読んでいるので大丈夫、
 と軽く見ていたのですが、メモ取りしながら読むと……。

 時間切れとなり、予定を変更することになってしまいました。

 
新潮文庫の100冊 2023
https://100satsu.com/

角川文庫 カドブン夏推し2023
https://kadobun.jp/special/natsu-fair/

集英社文庫 ナツイチ2023 この夏、一冊分おおきくなろう。
http://bunko.shueisha.co.jp/natsuichi/
よまにゃチャンネル - ナツイチ2023 | 集英社文庫
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 ◆ 2023年テーマ:青春の思い出も背景に散りばめられた一冊 ◆

  新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2023から(3)

  集英社文庫・東野圭吾『白夜行』-昼と夜または光と闇、明と暗-

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 ●集英社文庫 ナツイチ2023 この夏、一冊分おおきくなろう。

どんな作品が選ばれているのかといいますと――

★映像化する本よまにゃ(3) [既読作品]0

★ワクワクな本よまにゃ(18)0

★ハラハラな本よまにゃ(19)人間失格 白夜行

★ドキドキな本よまにゃ(15)0

★フムフムな本よまにゃ(26)23分間の奇跡 舞姫 星の王子さま
                夢十夜・草枕    

全81冊中、既読作品は、6冊だけ。
海外作品や古典的名作が選ばれていない
ということも理由ではありますが、ただただ、私自身、
最近の日本の作家の作品をほとんど読んでいない、ということですね。

新たな作家さんと出会ういい機会なはずなのですが、
今年は、子供の頃や思い出をテーマに選んだ感じですので、
少ない既読作品の中から、最も最近の作品である、
東野圭吾さんの『白夜行』を取り上げます。


・東野圭吾『白夜行』集英社文庫 2002/5/25




 ●東野圭吾『白夜行』

前回の角川文庫は、「わが青春の思い出の一冊」として、
筒井康隆『時をかける少女』を紹介しました。

今回は、わが青春の日々の思い出を背景に散りばめた、
といいますか、
私の青春時代の1970年代辺りから90年代辺りまでの
約20年を背景にしたクライム・ストーリーです。

巻末解説の馳星周さんによれば、ノワールとのこと。
ノワールというのは、私の思うところでは、
暗黒界、闇の世界の住人たちによるクライム・ストーリー
というところでしょうか。

11歳の小学生時代から30歳まで19年にわたり
太陽の光の下を歩いたことのないという、少年と少女の日々の物語。

19年の歴史を綴るわけですから、
やっぱり文庫本で860ページは必然だったのでしょうね。

読み応え十分で、あっという間に読み終えられる名作です。
(こういうと、ちょっと矛盾を感じるかもしれませんね。
 でも、年のせいなのか、集中力がないのですね。)


 ●始まりは19年前、主人公たちは小学5年生

冒頭、いきなり「近鉄布施駅」が登場します。
私の家の最寄り駅でもあります。
小説では、駅を出ると西に行くのですが、私の家は東です。

西へ行きますと、わが故郷・東大阪市ではなく、大阪市になります。
東野圭吾さんは大阪市出身ですので、いってみれば、
故郷を描くということになるのでしょうか。


「第一章」
「事件」の舞台も、わが故郷に近い場所で、
描かれる時代も、わが青春の日々の1970年代のようです。
《三月に熊本水俣病の判決がいい渡され、新潟水俣病、四日市大気汚染、
 イタイイタイ病と合わせた四大公害裁判が結審した》とありますので、
これは昭和48年(1973)のこととわかります。

公園近くの、今では子供の秘密の遊び場となっている、
工事途中で廃ビルになった建物で、近所の質屋の主人・桐原洋介が
細身の刃物で刺し殺される事件が起きます。

これが発端。

担当刑事の笹垣らが、捜査に当たります。
質屋の主人には妻・弥生子と一人の小学5年生の息子・亮司がいて、
店には店長の松浦がいた。

桐原は当日、銀行で100万円をおろしたのち、手土産にプリンを買って、
店の常連客の一人、小学5年生ながら美人の雪穂という娘を持つ、
シングルマザー・西本文代の元を訪れていた……。

結局、事件は迷宮入りとなり、
容疑者とも目された西本文代はガス中毒事故で死亡。
発見者は娘の雪穂と部屋の鍵を開けた不動産屋。

「第二章」
雪穂は、母の死後、
父方のお花やお茶の先生をしている親戚の上品な婦人の養女となり、
今や私立女子校の中学三年生となっていた。
他校の男子生徒から盗撮されるほどの美人の人気者であった。
テニス部の美少女が襲われ、偶然発見したのは、雪穂と友人の江利子。
一方、桐原の息子・亮司は地元の荒れた公立大江中学校の生徒であった。
ここの生徒が雪穂の盗撮をしていたのだった。


 ●ストーリーの時代背景

こういう風にストーリーを追っていると、
いくらスペースがあっても追いつきませんので、
物語の背景などについて書いてみましょう。

冒頭の四大公害裁判の結審に現れているような、
その時代を示す社会的出来事の記述が各所で登場します。

何しろ19年の流れを持つ小説ですので、
その時代時代の背景がストーリーにも適宜織り込まれることで、
臨場感といいますか、時代感覚が明らかになります。

また、主人公たちの成長が、特に亮司の生業が
ちょうどパソコンやゲームの普及や発展の歴史と相まっていて、
インベーダーゲームや、ワープロ、PCなどの固有名詞が
時代背景を現実的にみせています。

私のようにそれなりに、
この時代を青春時代のひとときとして過ごしてきたものには、
とても郷愁の湧くものがあります。

松田聖子の聖子ちゃんカットなんていうのも出てきましたね。


 ●昼・光・明の雪穂と夜・闇・暗の亮司

雪穂は、お花やお茶の先生をしているという、
上品なご婦人の養女となり、家庭教師を付けてもらったり、
私立のお嬢さま学校に進学、中学高校大学と進んでゆきます。

そして、大学のソシアルダンス部に入部、
合同練習相手の永明大学の大企業の御曹司のエリート男性と知り合う。
結婚後も貪欲に自分の夢の実現に向けて努力を続け、
自分の資産で遂にアパレルの店を持ち、離婚後も事業を拡大、
経営者として成功を収める。

というように、
雪穂は光、昼日中花咲く明るい世界を歩んでいるように見えます。


一方、亮司は、荒れた地元の公立の中学に進学し、
危ない世界にも足を踏み込んでゆきます。

1985年(事件から12年後)の年末12月31日、
当時一緒にやっていたパソコンやゲームの店『MUGEN』の閉店後、
同僚の従業員の友彦や弘恵が来年の抱負を話すとき、

 《亮司の答えは、「昼間に歩きたい」というものだった。/
  小学生みたい、といって弘恵は桐原の回答を笑った。
  「桐原さん、そんなに不規則な生活をしてるの?」/
  「俺の人生は、白夜の中を歩いてるようなもんやからな」》p.436

ともらすように、亮司は日の当たらぬ闇、暗い世界の住人のようです。

「俺の人生は、白夜の中を歩いてるようなもんやからな」――
まさにこれがタイトルになっているのですね。



 ●雪穂の場合

しかし、そんな雪穂も、物語の終わりの方で、こう言います。

 《「(略)人生にも昼と夜がある。(略)人によっては、
  太陽がいっぱいの中を生き続けられる人がいる。
  ずっと真っ暗な深夜を生きていかなきゃならない人もいる。
  で、人は何を怖がるかというと、それまで出ていた太陽が
  沈んでしまうこと。自分が浴びている光が消えることを、
  すごく恐れてしまうわけ。(略)」》

 《「あたしはね」と雪穂は続けた。
  「太陽の下を生きたことなんかないの」/
  「まさか」(略)「社長こそ、太陽がいっぱいじゃないですか」/
  だが雪穂は首を振った。
  その目には真摯な思いが込められていたので、夏美も笑いを消した。
  「あたしの上には太陽なんかなかった。いつも夜。
  でも暗くはなかった。太陽に代わるものがあったから。
  太陽ほど明るくはないけれど、あたしには十分だった。
  あたしはその光によって、夜を昼と思って生きてくることが
  できたの。わかるわね。あたしには最初から太陽なんかなかった。
  だから失う恐怖もないの」/
  「その太陽に代わるものって何ですか」/
  「さあ、何かしらね。夏美ちゃんも、
   いつかわかる時が来るかもしれない」》p.826



「太陽の下を生きたことなんかないの」
「あたしの上には太陽なんかなかった。いつも夜。」といい、
それでも「暗くはなかった。太陽に代わるものがあったから」と。
太陽に代わるものが何かはわかりませんが、
「その光によって、夜を昼と思って生きてくることができたの」
といいます。
さらに、
「あたしには最初から太陽なんかなかった。だから失う恐怖もないの」
という。

こういう振り切った生き方をすることになる原因とは何だったのか、
そして、
そんな自分に力をくれた太陽に代わるものとは何だったのでしょうか。

いよいよラストでは、謎解かれる部分もあれば、
何だったのか明らかにされない部分もあり、
深い内容の物語です。


 ●現実に負けないで戦う者同士?

全編、主人公を視点にするのではなく、周辺の人物を視点に、
主人公たちの行動を垣間見せてゆくという技法を取っています。

この手法が時に謎を深めながら、時に謎解きをほのめかせながら、
読者を引っ張ってゆく力になっています。

最終的に、雪穂と亮司の関係はどうだったのでしょうか。
明らかにされているのは、小学生時代、図書館で二人は会っていた、
同じ本を読んでいたということ、ぐらいです。

二人の関係は、
昼と夜または光と闇、明と暗の補完しあう関係だったのでしょうか。

あるいは、闇の中を光を求めて、互いに手に手を取り合い、
助け合って歩む者同士、という関係だったのでしょうか。

それとも全く違う形の何かであったのでしょうか。

作者は何も書いていませんので、私たち読者にはわかりません。
ただ自分なりに想像するだけです。

ラストを思いますと、なんらかの形で、ほのかな希望を胸に、
反骨精神でもって、現実の社会の重さに負けないように、
歯を食いしばって上を目指す者同士だったように思います。

そして、その戦いはまだ終わってはいないようです。

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本誌では、「新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2023から(3)集英社文庫・東野圭吾『白夜行』青春の思い出も背景に散りばめられた一冊」と題して、今回も全文転載紹介です。

わが青春時代の思い出が色々と時代背景の説明として登場する一編です。
冒頭、わが故郷である東大阪市一の繁華街を持つ近鉄布施駅が登場します。
1973年から始まる19年間の物語で、主人公の一人の少年~青年は、パソコンやゲームの世界を背景に生きていくので、インベーダー・ゲームやスーパーマリオ、ワープロやPCなどの固有名詞が出てきます。
松田聖子の聖子ちゃんカットや、ソノレゾレノ時代を代表する歌手の名なども次々と出てきます。
オイル・ショックの時のトイレット・ペーパー騒動なども背景の話として登場します。

ストーリーそのものではないのですが、こういう時代を思い返す読み方も楽しいものです。

映画やドラマにもなったようですが、私は見ていないので、本文中でもふれていません。
見ていたら、また別の楽しみもあるのでしょうね。
あの役はこの俳優さんじゃないよとか、この俳優さんがよかったとか。
「見てから読むか、読んでから見るか」みたいな……。

 ・・・

*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『(古典から始める)レフティやすおの楽しい読書』

『レフティやすおのお茶でっせ』
〈メルマガ「楽しい読書」〉カテゴリ

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『レフティやすおのお茶でっせ』より転載
<夏の文庫>フェア2023から(3)集英社文庫・東野圭吾『白夜行』-楽しい読書349号
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私の読書論173-友人・渡瀬謙の新刊・静かな人のための『静かな営業』を読んでみた-楽しい読書348号

2023-08-17 | 本・読書
『古典から始める レフティやすおの楽しい読書』【別冊 編集後記】

2023(令和5)年8月15日号(No.348)
「私の読書論173-友人・渡瀬謙の新刊・
 静かな人のための『静かな営業』を読んでみた」



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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2023(令和5)年8月15日号(No.348)
「私の読書論173-友人・渡瀬謙の新刊・
 静かな人のための『静かな営業』を読んでみた」
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 本来ですと、「新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2023から」の
 三回目「集英社文庫 ナツイチ2023 この夏、一冊分おおきくなろう。」
 からの一冊を紹介する予定でしたが、
 大阪も連日35度を超え、時に37度、38度といった猛暑の日々、
 予定していた、東野圭吾『白夜行』が読み切れず――
 文庫本860ページ、十年ほど前に一度読んでいるので大丈夫、
 と軽く見ていたのですが、メモ取りしながら読むと……。
 で、時間切れとなり、予定を変更することにしました。

 今月初めに本を贈っていただいていた、
 友人で左利き仲間の渡瀬謙さんの新刊を取り上げます。

 彼の著作を取り上げるのは、6月に一度ありました。

2023(令和5)年6月15日号(No.344)
「私の読書論171-渡瀬謙のビジネス書の新刊
『トップセールスが絶対やらない営業の行動習慣』から」
2023.6.15
私の読書論171-渡瀬謙『トップセールスが絶対やらない営業の行動習慣』から-楽しい読書344号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2023/06/post-929a0f.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/59ae185f3daf8eebaec62cad6639e4f4

*渡瀬謙『トップセールスが絶対やらない営業の行動習慣』
日本実業出版社 2023/5/26


 今回は正味営業の本をその面から読みますが、
 そこは私流の読書論ですので、
 前回同様、単なる営業本の紹介とは限りません。

 では――。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 - 「静かな人」の生き方とは、自己アピールとは -

  ~ 営業のノウハウを処世術として人生に活かす(2) ~

  渡瀬謙『静かな営業
  「穏やかな人」「控えめな人」こそ選ばれる30の戦略』
(PHP研究所 2023/7/20)から

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ●本書『静かな営業』について

渡瀬謙『静かな営業 「穏やかな人」「控えめな人」こそ選ばれる
 30の戦略』PHP研究所 2023/7/20


(画像:献本いただいた書状と共に)


(画像:帯を外した本書『静かな営業』)

出版社の紹介文――

《「内向的な人」「無口な人」「控えめな人」でも売れる
 ではなく
 「内向的な人」「無口な人」「控えめな人」
 だからこそ、売れる!
 悩める2000人以上の営業パーソンを救ってきた、
 常識を覆すメソッドを紹介!》

<目次>
第1章 時代は「静かな売り手」を求めている
第2章 「相手がイヤがること」など、何もしなくていい
第3章 「自分の弱点」を活かす工夫をすればいい
第4章 「繊細な人」が最小のコミュニケーションで
     最大の効果を出す方法
第5章 生真面目すぎるあなただから、信頼される
第6章 「静かに売る」ことだけを考えれば、売れる
(コラム)


 ●タイトル『静かな営業』に納得!

まず初めに、この本のことを知ったのは、渡瀬さんのメルマガでした。

まず『静かな営業』というタイトルに納得しました。

なるほどなあ、という感じでした。

以前から渡瀬さんは、従来の「元気な」「明るい」
「ハイテンション」な営業に疑問を抱いておられました。

そういう方法は、高度経済成長時代の営業手法で、
現代では嫌われる最たるものだ、と。

では現代において実績を上げているのは、どういうものかといいますと、
意外なことに、
内向型で無口で口下手で、気の弱い押しの弱い営業パーソンが
売上を出すのだ、と。

それは、内向型の人の控えめな売り方が好意を持たれるからだ。
なぜそれが有効かというと、
相手のことを思い、相手にフォーカスした相手本位の対応だから。

要は、売ることよりも、相手の信頼を得ることを重視した、
対等のWINWINの関係を築こうとする姿勢が好感されるからだ、と。

で、こういう押しつけにならない、うるさすぎない営業を、
そのものズバリと「静かな営業」と呼んだわけです。

従来は、(この本の前著ともいうべきPHP研究所の著作では)
『しゃべらない営業』とされていました。

営業の方法の基本は全く変わりません。
一部、時代に合わせて変更されている程度(例:ファックス→メール)。
呼び名が変わっただけ。
よりスマートな名前になっただけですね。

内向的な「静かな人」による、落ち着いた「静かな営業」。

とても気に入りました。

この本は、そういう「静かな人」たちのための、
営業のマインド的なものを教える本です。


 ●タイトルを付ける難しさ

渡瀬さんの個人メルマガ

2023/07/27「サイレントセールスのススメ」
[959号]新刊『静かな営業』の裏解説

------------------------------------------------------------------
渡瀬 謙の独自配信メルマガ
◆無料メルマガ「サイレントセールスのすすめ」
 https://i-magazine.jp/bm/p/f/tf.php?id=watasemail
------------------------------------------------------------------

に掲載されていた、この「裏解説」にあったのですが――


「内向型」という言葉を使ったタイトルゆえに、
手に取りにくいと感じる読者がいた、というお話です。

ご自分の本は、ネットでよく売れている、といい、
その理由の一つが、この「内向型」という言葉にあるのではないか、
という疑問。


これは理解できます。

私自身は左利きで、「左利き用」と銘打たれた商品を手に取るとき、
ちょっと躊躇します。

レジに持っていくときに、何かしら恥ずかしさがあります。
昔は左利きといえば、○○のように考えられていたものでした。
そこで、自ら左利きとカミングアウトするのははばかられるものでした。

商品を手に取り、レジに運ぶというのは、
その言葉(およびそれ自体)にコンプレックスのある人には、
ちょっとキツいものがあります。

私は今でも正直考えてしまって、
手を出さないまま終わるケースがあります。

左利きの本をネットで購入したりするのは、
単に近くの本屋さんに置いていないから、だけではありません。


私の「左利き」コンプレックス同様に、
「内向型」等の言葉も、どちらかといえばマイナスイメージの言葉で、
それがネックになり、読んでみたいのに手に取れない、
というもどかしさを感じる人がいてもおかしくはありません。

そういう意味で、「静かな人」向けの「静かな営業」という発想は、
マイナスのイメージが払拭されていて、
正当に評価できる機会を与えるものとなっているでしょう。


 ●自己アピールとしての営業行動

この本は営業の本ですけれど、
営業といっても、「相手との信頼関係を築け」という内容で、
そのための自己アピールの方法を解説している本でもあります。


営業という行為は、商品を売るときに行うものだけではない、でしょう。
自分をアピールするというのも、営業の一つと考えられます。

生きてゆく上で、自分を知ってもらうということは重要です。

リタイア組であっても、新たな人間関係を築く必要が出てきます。

逆に言えば、リタイア組こそ、
自分を「売ってゆく」必要があるかもしれません。

リタイア組となりますと、
どうしても友人知人との交際範囲がどんどん縮小してゆきます。
自然と縁が切れる人、亡くなる人もでてきます。

そんななか、一人寂しく孤立してしまうこともあるかもしれません。

一方で、スマホにしろ、マイナンバーカードもそうですが、
次々とIT関係など、色々わかりにくいことがでてきます。

ちょっと人に聞けばわかることでも、
聞く相手がいないというケースも出てきます。

自分の便利のために他人を利用するというのではないのですが、
何事であれ、ちょっと話を聞いてもらえる人がいるのは、
助かるものです。

若い人と話せば、若いエキスを吸収できるものです。
肉体は若返らないけれど、心は若返ります。
元気がもらえます。

賢いお年寄りと近づきになれば、いろんな経験を教えてもらえます。

老後も長くなってきた昨今ですので、積極的といわなくても、
少しは自分をアピールして、交友範囲を拡大するように心掛ける方が、
楽しい時間を過ごせます。


 ●自己紹介は特徴をより具体的に

人間関係というものは、実は単純なもので、
ほんのちょっとした挨拶や声かけから始まるものです。

そういう自己アピールの仕方なども、この本には書いてあります。

コラムにある自己紹介の仕方がそうです。
「相手から声をかけてもらえる「自己紹介」のコツ」p.70

ここに書かれている営業の場面に限らず、
人生では自己紹介の場面というものがあるものです。

そんなときに知っていて役立つ知恵かもしれません。

それは、より具体的に自己の特徴をアピールするということ。

『孫子』の兵法に「彼を知り己を知れば百戦殆からず」
といいますように、相手はもちろんですが、己についてよく知ることが、
そして、それを正しくアピールできれば、友達も自ずと増えてきます。


私は「左利きライフ研究家」を自称していますが、
これも渡瀬さんの本にあった知恵を拝借して考案したものです。

渡瀬さんは「サイレントセールストレーナー」と名のっておられます。
これは、そのまま「静かな営業トレーナー」ということになります。

「名は体を表す」などというように、
単なる「営業コンサル」というのではなく、
「無口で口下手、話し下手の営業さん向けのコンサルですよ」
というアピールですね。

もしあなたが内向型のそういう「静かな人」なら、
単なる「営業コンサル」よりも、どうせなら、
こういう「静かな人」向け専門の営業コンサルに教えを乞うほうが
有効ではないか、という気になるのではないでしょうか。


 ●営業ノウハウを生き方に活かす

本書で紹介された営業ノウハウを実際に、
リタイア組も含めた私たちの生き方に活かすことができます。

例えば、《自分のエリアで勝負する》というもの。

サッカーの試合でも、アウェーで戦うよりホームで戦う方が有利、
といわれます。

自分にとって居心地の悪い場所では、精神的に落ち着かず、
実力が発揮できないものです。

常に自分の得意エリアで戦うように心掛ければ、
まさに百戦危うからずですよね。


生きていますと、何かしら、壁にぶつかるときがあります。
その時に、壁を乗り越えようとせず、避けて通る、という方法もある、
と渡瀬さんを説きます。

壁は乗り越えなくちゃ、
というふうに思い込んでいる人も少なくないでしょう。

でも、嫌なことから逃げるという手もあるのだ、とよく言われますよね。
そういうものです。


 ●個性を武器にする――自然体で生きる

もう一つは、自然体の自分のままで接する、ということ。
弱点を含めて素のままの自分で、
自分を飾らないで人と接するということ。

誰もが何かしら苦手をすることやコンプレックスを抱いているもの。

そういうコンプレックスや苦手なものも、
実は他人と比較したときの感じるもので、
比較しなければ、自分の持つ一つの特徴にすぎない――
優劣ではなく違いだ、言い換えれば個性だ、と渡瀬さんはいいます。

その個性はかならず武器になる、とも。
無口なのに営業をやってるなど、ギャップが生まれるからだ、と。
そのギャップが他人様にアピールできる要素となる。


このように、自分の性格を個性としてそのまま出す生き方――
その方が楽ですよね。
毎日演技して生きているのは大変です。

役者が天職といえる人がいたとしても、
そんな人でもホントのところはどうなんでしょうか。
無理せず生きていく方がいいですよね、絶対。


 ●最後に一言だけ

こういう風に見てきますと、やっぱり、一つの生き方論的、
処世術的な要素が感じられる営業の本といえるのではないでしょうか。

もしあなたが「静かな人」なら、
一度手に取っても損はないと思います。

 ・・・

書かない方が、渡瀬さんは喜ぶかもしれませんが
(けなされるのは嫌だ、という人なので。私もそうですよ!)、
やっぱり気がついてしまった限りは書いておく方が、
結果的に良心的ではないか、と思いました。

渡瀬さんも本の中で、どんな商品にも「悪い点」はある、といい、
《マイナス情報こそ先に伝えてしまいましょう》p.162 
と書いておられます。


先のメルマガの「裏解説」に書かれていたことですが、
タイトルを付けるときに影響を受けた本として、

『「静かな人」の戦略書
 ──騒がしすぎるこの世界で内向型が静かな力を発揮する法』
 ジル・チャン/著 神崎 朗子/訳 ダイヤモンド社 2022/6/29

というベストセラーを挙げておられます。

私も内向型の「静かな人」の部類なので気になり、本屋さんで見ました。

すると、装丁も黒に四角い白地の枠で書名が入っている感じで、
一見、『静かな営業』と似通って見えます。

「静かな人」という言葉は、
この本『「静かな人」の戦術書』のオリジナルではありません。

調べた範囲では、例えば『静かな人ほど成功する』
(ウェイン・W・ダイアー/著 幸福の科学出版 2007/2/26)
がありました。

しかも、「静かな営業」という言葉は、
そこからさらに一歩進んでいます。
この書名は、オリジナルといっていいでしょう。

そういう意味では、最初に知らずにタイトルや装丁を褒めたわけですが、
この装丁の相似はちょっと残念な気がしました。

 ・・・

さて、台風も近づいています。
時間に追われてかなりドタバタとした紹介になってしまいました。

かなりメモ取りもしていたのですが、活かせないままです。

一応、テーマやその展開など意識して書いているつもりなのですが、
思うようにはできていません。
ご勘弁ください。


最後の最後に、著者の裏解説から一言――

 《長い人生を考えたときに、
  何を優先して頑張るべきかを考えるきっかけにしてほしいのだ。》

――そういう本です。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

本誌では、「私の読書論173-友人・渡瀬謙の新刊・静かな人のための『静かな営業』を読んでみた」と題して、今回も全文転載紹介です。

時間に追われつつ書いたものですが、少しは何かの足しになっていれば、幸いです。

 ・・・

*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『(古典から始める)レフティやすおの楽しい読書』

『レフティやすおのお茶でっせ』
〈メルマガ「楽しい読書」〉カテゴリ

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『レフティやすおのお茶でっせ』より転載
私の読書論173-友人渡瀬謙の新刊・静かな人のための『静かな営業』を読んでみた-楽しい読書348号
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<夏の文庫>フェア2023から(2)角川文庫・筒井康隆『時をかける少女』-楽しい読書347号

2023-08-03 | 本・読書
古典から始める レフティやすおの楽しい読書【別冊 編集後記】

2023(令和5)年7月31日号(No.347)
「新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2023から(2)角川文庫・
筒井康隆『時をかける少女』わが青春の思い出の一冊」



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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2023(令和5)年7月31日号(No.347)
「新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2023から(2)角川文庫・
筒井康隆『時をかける少女』わが青春の思い出の一冊」
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 今年も毎夏恒例の新潮・角川・集英社の
 <夏の文庫>フェア2023から――。

 昨年同様、一号ごと三回続けて、一社に一冊を選んで紹介します。

 第二回は、角川文庫から筒井康隆『時をかける少女』を取り上げます。


新潮文庫の100冊 2023
https://100satsu.com/

角川文庫 カドブン夏推し2023
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集英社文庫 ナツイチ2023 この夏、一冊分おおきくなろう。
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(画像:新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2023小冊子3点)

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 ◆ 2023年テーマ:わが青春の思い出の一冊 ◆

  新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2023から(2)
  角川文庫・筒井康隆『時をかける少女』
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 ●角川文庫 カドブン夏推し2023

カドブン夏推し2023/しらない世界とつながる!
13点 既読:0

カドブン夏推し2023/驚きの謎とつながる!
15点 既読:0

カドブン夏推し2023/語りつがれる想いとつながる!
22点 既読:D坂の殺人事件、蜘蛛の糸・地獄変、海と毒薬、檸檬、
      吾輩は猫である、坊っちゃん、こころ、走れメロス、
      少女地獄、注文の多い料理店、銀河鉄道の夜、馬鹿一、
      羅生門・鼻・芋粥、人間失格、
      ビギナーズ・クラシックス源氏物語(15点)

カドブン夏推し2023/心揺さぶるラストへつながる!
20点 既読:0

カドブン夏推し2023/大人も子どももみんながつながる!
25点 既読:アルケミスト、時をかける少女(2点)

五つのジャンルで95点の中から選べます。

既読といっても、角川文庫版ばかりではなく、
他社版も含めてのもので、近代の日本文学の名作ぐらいですね。
短編集に関しては、内容はそれぞれですので、表題作に関して、
というところです。

最近の作家やその作品は、私にとって、
結構知らない、読んだことのない作家・作品ばかり、
ほとんど手つかず状態です。
そこから選ぶのは非常にむずかしい。

というわけで、未読の作家・作品を選ぶのがいいのでしょうけれど、
新潮文庫では新顔作家を取り上げましたので、
今回は、思い出の作品ということで、既読の本の中から選びましょう。


 ●大人も子どももみんながつながる!―『時をかける少女』筒井 康隆

そんな中から選んだのは、
<大人も子どももみんながつながる!>25点中から

 ↓

『時をかける少女』筒井 康隆 角川文庫 新装版 2006/5/25





(画像:筒井康隆『時をかける少女』と「角川文庫 カドブン夏推し2023」フェア小冊子)

(画像:筒井康隆『時をかける少女』と「角川文庫 カドブン夏推し2023」フェア小冊子の該当ページ)

思い出の一冊です。

ある意味で、古典中の古典ともいうべき一冊ですね。

1960年代のジュブナイルSFの名作で、
1970年代から、初々しいヒロインによる青春ドラマとして、
度々テレビ・ドラマに映画にアニメに、
と映像化され続けてきた作品です。

中学時代からSF作品には触れていましたが、
この作品もそういう中学生向けのジュブナイルSFでした
(原作は、学年別学習雑誌、学習研究社『中学3年コース』
 1965年11月号~『高校一年コース』1966年5月号連載)。

 ・・・

映像化作品については、本書の巻末の江藤茂博さんの解説
(「時をかける少女」の文彩(フィギュール))で紹介されています。

まずは、それら映像作品について書いておきましょう。


 ●「NHK少年ドラマシリーズ」第一作『タイム・トラベラー』

私が最初に見たのは、1972年1月1日~2月5日(6回)放送
「NHK少年ドラマシリーズ」の一作、『タイム・トラベラー』
(脚本:石山透 主演:島田淳子=浅野真弓)でした。

放送は、私が高校の三年生のお正月からですね。
毎回楽しみに見ていました。

この時間帯(夕方6時代)は昔から子供向け番組が放送されていました。
『ひょっこりひょうたん島』など人形劇が有名でしたが、
それまでの時間帯にドラマが放送されました。

好評で続編『続 タイム・トラベラー』
(昭和47年11月4日~12月2日/5回)も作られました。

『タイム・トラベラー』は、全6話。
原作よりも多くの登場人物を配置し、精神科のお医者さんらも登場、
早い段階でネタ――自分で発明した薬品で、
27世紀の未来からタイム・リープ(時間跳躍)してきた、
ケン・ソゴルが未来へ帰るための秘薬の実験の事故で、
中学三年生のヒロイン芳山和子がタイム・トラベラーとなった――
を割り、ヒロインと未来人の男性のタイム・トラベルの冒険を
科学者が解明しようとしたり、複雑なストーリーに仕立てています。
最終的な結末――過去や未来は変えられない――は同じなのですけれど。


今回、何十年ぶりかでシナリオを読んでみますと、
こういう内容だったか、と記憶のなさにびっくり。
印象が変わってきました。

原作は、文庫本100ページぐらいのが中編で、
割とストレートにストーリーが進みます。

連続ドラマということで、膨らませた部分があるということですね。

当時の男の子はタイム・トラベルのSFの部分とその冒険に、
女の子はヒロインの異常な事態による不安と「彼」との冒険に
心ときめかしたのでしょう。

 ・・・

「NHK少年ドラマシリーズ」では、もう一作、
筒井康隆の作品を原作とする名作がありました。

多岐川裕美主演で、テレパス(精神感応者)の七瀬と、
その仲間となる超能力者たちの冒険物語『七瀬ふたたび』です。
これは、人の心が読めるテレパスの飛田七瀬のシリーズ全三作の第二作。

私の選ぶ「NHK少年ドラマシリーズ」のベスト3の一つです。
(残りの一つは、新田次郎原作の『つぶやき岩の秘密』――
 石川セリが歌った主題歌「遠い海の記憶」が印象的でした。)

*参照:
・『タイム・トラベラー』石山透 大和書房 1984/2/1

――1972年、NHKドラマ『タイム・トラベラー』全6話、と
 続編『続・タイム・トラベラー 』全5話のシナリオ集。巻末に
 「NHK少年ドラマシリーズ放送作品リスト」、主題歌楽譜を収録。

・『タイム・トラベラー』石山 透 復刊ドットコム 新装版 2016/12/13

・雑誌『東京おとなクラブ 5号』(1985年6月1日)
 <タイムトラベラーと少年ドラマシリーズ>特集・号
――「NHK少年ドラマシリーズ」のリストと解説や、
 第一作『タイム・トラベラー』制作者のインタビューなど。



(画像:角川文庫・筒井康隆『時をかける少女』(2006年新装版)と
「NHK少年ドラマシリーズ」シナリオ集『タイム・トラベラー』石山透・著(大和書房 1984/2/1)と
『カドカワ フィルム ストーリー 時をかける少女』原田知世主演 大林宣彦監督作品 角川文庫 ‎1984/11/1と
雑誌『東京おとなクラブ』5号(「NHK少年ドラマシリーズ」特集から『タイム・トラベラー』の一シーン写真)

・『七瀬ふたたび』筒井 康隆 新潮文庫 改版 1978/12/22
――テレパス(精神感応者)飛田七瀬シリーズ全三作の第二作の長編。
 第一作・連作短編集『家族八景』第三作・長編『エディプスの恋人』。



(画像:筒井康隆『時をかける少女』と
テレパス(精神感応者)飛田七瀬シリーズ全三作の第二作の長編『七瀬ふたたび』(筒井 康隆 新潮文庫 改版 1978/12/22) 第一作・連作短編集『家族八景』 第三作・長編『エディプスの恋人』)

 ●大林宣彦監督、原田知世主演『時をかける少女』

二度目の映像化が、1983年7月公開の角川映画による
大林宣彦監督、原田知世主演『時をかける少女』でした。

連続ドラマと違い、一気に見せる映画ですので、
ストーリーも比較的ストレートに進行します。

主人公・芳山和子は高校生となり、
舞台も尾道と限定され、また違った雰囲気のお話になっています。

私はラストの薬学教室へ向かう場面で、
タイム・トラベルに関する記憶を奪われた、
大人になった芳山和子が“再来”したケン・ソゴルと出くわし、
何かを感じる和子の様子が印象的でした。

・『カドカワ フィルム ストーリー 時をかける少女』筒井康隆原作
大林宣彦監督作品 角川文庫 昭和59年 ‎1984/11/1



 ●その他の映像化作品

その他の映像化作品については、見ていません。

内田有紀主演のフジテレビ系の連続テレビ・ドラマがありました。
それは知っています。

また、この文庫本の新装版のカバーになっている、
劇場版アニメのことも知ってはいます。

懐かしさを感じたものの、改めてみるということはありませんでしたね。

私の場合、先の二作のイメージが強烈に残っていて、
他の作品を受け入れるのは、ちょっと……という気持ちだった、
ということでしょうか。


 ●『時をかける少女』の切なさと希望

改めて原作の『時をかける少女』にもどりましょう。

この作品の急所といいますか、象徴的存在がラベンダーの香りです。

文中にもありますように、香水に使われたりして、
よく知られた香りなのでしょうけれど、
私が思い浮かべるのは、北海道のラベンダー畑ですね。

ドラマ『タイム・トラベラー』では、実際にケン・ソゴルが北海道へ、
ラベンダーを探しに行きます。

このラベンダーの香りというのが、
この作品を非常にロマンチックなものにしています。

お花と少女と、幼い頃からの同級生だったはずの男の子――
その彼との別れとともに、共に過ごしたはずのその記憶すら失われる、
という切ない初恋の物語。

《ただ、ラベンダーのにおいが、やわらかく和子のからだをとりまく時、
 かの女はいつもこう思うのだ。/
 ――いつか、だれかすばらしい人物が、
 わたしの前にあらわれるような気がする。
 その人は、わたしを知っている。
 そしてわたしも、その人を知っているのだ……。/
 どんな人なのか、いつあらわれるのか、それは知らない。
 でも、きっと会えるのだ。そのすばらしい人に……
 いつか……どこかで……。》p.115


切なくも優しい物語です。

多くの人は映像化作品でストーリーはご存知だったろうと思います。
しかし、実際に読んでみるのとではまた違うでしょう。

小説の方が、もっと心優しいお話、という感じがするのは、
私だけでしょうか。

他の筒井康隆さんの小説をほとんど読んでいませんので、
よくわかりませんが、筒井さんのものとしては、
本当にストレートな小説なのかもしれません。
ジュブナイルならでは、かもしれませんけれど。

若い人も老いたる人も、一度は読んでいただきたいものです。

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本誌では、「新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2023から(2)角川文庫・筒井康隆『時をかける少女』わが青春の思い出の一冊」と題して、今回も全文転載紹介です。

青春時代の思い出の一冊でもあり、私より下の世代の方にも映像化作品でおなじみの一作ではないでしょうか。
それぞれの世代毎に作品は違っているでしょうけれど、それぞれの思い出をお持ちのことと思います。
しばしの間、思い出に浸るのもよいかと思います。

 ・・・

*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『(古典から始める)レフティやすおの楽しい読書』

『レフティやすおのお茶でっせ』
〈メルマガ「楽しい読書」〉カテゴリ

--
『レフティやすおのお茶でっせ』より転載
<夏の文庫>フェア2023から(2)角川文庫・筒井康隆『時をかける少女』-楽しい読書347号
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<夏の文庫>フェア2023から(1)新潮文庫『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』-楽しい読書346号

2023-07-16 | 本・読書
古典から始める レフティやすおの楽しい読書【別冊 編集後記】

2023(令和5)年7月15日号(No.346)
「週刊ヒッキイhikkii×楽しい読書コラボ企画:
 新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2023から(1)新潮文庫
 左利きライフ研究家が読む――ブレイディみかこ
 『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』」



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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2023(令和5)年7月15日号(No.346)
「週刊ヒッキイhikkii×楽しい読書コラボ企画:
 新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2023から(1)新潮文庫
 左利きライフ研究家が読む――ブレイディみかこ
 『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』」
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◇◆◇◆◇◆ 左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii ◆◇◆◇◆◇
【左利きを考えるレフティやすおの左組通信】メールマガジン
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第646号(No.646) 2023/7/15
「週刊ヒッキイhikkii×楽しい読書コラボ企画:
 新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2023から(1)新潮文庫
 左利きライフ研究家が読む――ブレイディみかこ
 『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』」
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 今年も毎夏恒例の新潮・角川・集英社の
 <夏の文庫>フェア2023から――。

 昨年同様、一号ごと三回続けて、一社に一冊を選んで紹介します。

 しかも今年は、発行日の7月15日が第三土曜日に当たり、
 私のもう一つのメルマガ
 『左利きを考える 左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』
 の発行と同日になります。
 そこで、またまたコラボすることで、手抜きさせていただきます。
 毎日暑い日が続きますので、ご容赦!


新潮文庫の100冊 2023
https://100satsu.com/

角川文庫 カドブン夏推し2023
https://kadobun.jp/special/natsu-fair/

集英社文庫 ナツイチ2023 この夏、一冊分おおきくなろう。
http://bunko.shueisha.co.jp/natsuichi/
よまにゃチャンネル - ナツイチ2023 | 集英社文庫
http://bunko.shueisha.co.jp/natsuichi/yomanyachannel/


(画像:新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2023 の三社の小冊子)

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 ◆ 2023年テーマ:身近な思いから ◆

  新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2023から(1)

  新潮文庫 ブレイディみかこ
   『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』

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 ●「新潮文庫の100冊 2023」について

まずは、「新潮文庫の100冊 2023」に選ばれた作品について
見ておきましょう。

フェアの小冊子『新潮文庫の100冊 2023』(新潮文庫編集部/著)
の出版社の紹介文から――

《約3000点の新潮文庫の中から「新潮文庫の100冊」として
 厳選した作品を、「恋する本」「シビレル本」「考える本」
 「ヤバイ本」「泣ける本」の5テーマに分類しておすすめします。
 かわいいキュンタの物語もお楽しみください!》


▼5つのテーマの主な作品(私の知っている本を挙げてみました)

「恋する本」20点―『ティファニーで朝食を』『あしながおじさん』
  『こころ』『雪国』『刺青・秘密』『錦繍』『キッチン』など

「シビレル本」20点―『マクベス』『シャーロック・ホームズの冒険』
  『十五少年漂流記』『ナイン・ストーリーズ』『深夜特急1』
  『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』など

「考える本」21点―『罪と罰』『車輪の下』『センス・オブ・ワンダー』
  『蜘蛛の糸・杜子春』『塩狩峠』『沈黙』『こころの処方箋』
  『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』など

「ヤバイ本」20点―『異邦人』『変身』『月と六ペンス』
  『狂気の山脈にて』『人間失格』『檸檬』『金閣寺』『砂の女』など

「泣ける本」19点―『星の王子さま』『老人と海』『銀河鉄道の夜』
  『博士の愛した数式』『夜のピクニック』など


私の既読本は、海外作品を中心に、明治以降の国内の名作など、
全部で26点程度でしょうか。

この出版社の傾向というものもありますが、
近現代の海外ものや国内の名作小説が多く選ばれています。

少数ですが、小説以外のノンフィクションも選ばれています。

今回はまさにそういう一冊、ブレイディみかこさんの、
2019年(令和元年)に出版されるや、
あちこちで評判となり、ベストセラーとなった
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を選んでみました。

以下の文章は、私のもう一つのメルマガ
『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』の第646号と
同様のものとなります。
すでにご覧の方は、スルーしていただいて結構です。


 ●左利き研究家の観点から読む『ぼくはイエローでホワイトで~』

ブレイディみかこ
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(文庫版 2021/6/24)
です。


(画像:ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮文庫)と<新潮文庫の100冊 2023>小冊子)

(画像:ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮文庫)と<新潮文庫の100冊 2023>小冊子の該当ページ(カバー装画:中田いくみ))


(日本式にいうと)中学生の息子さんの子育てを交えた、
異文化交流のノンフィクションです。

著者は福岡生まれの日本人の母親で、英国ブライトン
(ロンドンの南方のイギリス海峡に面した町)在住、元保育士で、
配偶者はアイルランド人のトラック運転手、
二人には息子さんが一人いて、このたび地元の中学校に入学。
今まで通っていたカトリック系の小学校とは違い、
地元の様々な子供たちが通う元底辺中学校に入学。
そこで親子が体験する出来事についての考察を描く。

*続編
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー 2』
ブレイディ みかこ/著 中田いくみ/イラスト 新潮社 2021/9/16


 ●「はじめに」から「子どもはすべてにぶち当たる」

冒頭「はじめに」に
「老人はすべてを信じる。中年はすべてを疑う。
若者はすべてを知っている」というオスカー・ワイルドの言葉を紹介し、
そのあとにつけ加えるなら「子どもはすべてにぶち当たる」だろう、
という箇所があります。

老人となってしまった私の感覚では、
老人は「信じる」というより「信じたい」で、中年や若者はともかく
最後の「子どもはすべてにぶち当たる」という発言は、
自分の子供時代を振り返ってみて、
当たっているなあ、という気がします。

子供というものは、社会の波風のあれやこれやをみんな受け止める、
ぶち当てられる、そういう存在のように思います。

私の場合は、主に「左利き」という事例に関する偏見や差別でしたが。


 ●一番気になった部分「誰かの靴を履いてみること」

文庫本で320ページ弱、16章からなる一冊です。

この16章中で、一番気になったのが、エンパシーに関する章
「5 誰かの靴を履いてみること」。

シティズンシップ・エデュケーションの授業の試験で、
最初に「エンパシーとは何か」という問いがあり、
それに対して、息子が「自分で誰か人の靴を履いてみること」と答えた、
というくだりです。

「自分で誰か人の靴を履いてみること」というのは、
英語の定型表現だそうで、《他人の立場に立ってみる》という意味。

 《日本語で、empathyは「共感」、「感情移入」または「自己移入」
  と訳されている言葉だが、確かに誰かの靴を履いてみるというのは
  すこぶる的確な表現だ。》(p.92)

なるほど。
確かに、他の人の靴を履く、とどうなるかといいますと、
「ピッタリで気持ちよい」ということは少なく、
たいていは「なんだこりゃ」になるでしょう。
サイズは一緒でも微妙な部分で合わなかったりするものです。


 ●「左利き」に置き換えると――「靴の左右を入れ替える」

ここで、ちょっと「左利き」の話をしておこうと思います。

右利きの人が多数派で、
社会のあれこれが右利きに都合のよいものになっている
いわゆる「右利き(優先/偏重)社会」になっている中で、
左利きの人が生きていくというのは、
「靴の左右を入れ替えて履くようなものだ」というのが、私の見方です。

たとえ自分の靴であれ、やはり右足用と左足用とは形が異なり、
うまく履けないものです。
特にオーダーメイドのように、足形に合わせたものであればあるほど、
左右は形状が違い、入れ替えるとうまく履けないものです。
窮屈だったり、ちょっと嫌な思いをしたり、思うように歩けなかったり、
そもそも履いているだけで痛かったり、大変な思いをするはずです。

これが靴ではなく、スリッパのようなものなら、
左右を入れ替えてもまったくといっていいほど気にならないでしょう。
スリッパというものは、そういうふうにできている履き物で、
左右兼用できる反面、靴のように跳んだり走ったリには不向きです。

「靴」は、右利き用だったり左利き用だったり、という専用品。
「スリッパ」は、左右両用可能なものや左右共用品というところ、
専用品ほど便利ではないかもしれませんが、どちらも使えるもの。

左利きの人は、この「右利き(優先/偏重)社会」で、
左右の靴を入れ替えて履かされているようなものだ、
というふうに理解していただけるといいのではないでしょうか。


 ●多様性について

もう一度『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』にもどって、
「4 スクール・ポリティクス」で取り上げられている、
多様性について考えてみましょう。

息子が学校で多様性はいいことだと教わったというのですが、

 《「じゃあ、どうして多様性があるとややこしくなるの」/
  「多様性ってやつは物事をややこしくするし、
   喧嘩や衝突が絶えないし、そりゃない方が楽よ」/
  「楽じゃないものが、どうしていいの?」/
  「楽ばっかりしてると、無知になるから」》

すると、また「無知の問題か」と息子。
彼が道ばたでレイシズム的な罵倒を受けたとき、
そういうことをする人は無知なのだ、と母ちゃんが言ったことを受けて。

 《「多様性は、うんざりするほど大変だし、めんどうくさいけど、
   無知を減らすからいいことなんだと母ちゃんは思う」》


最近日本でも
「ダイバーシティ diversity」という言葉を聞くようになりました。
「多様性」のことですが、
「多様性」というものも案外むずかしいものです。

自分では多様性について寛容だと思っていても、
実際には、世間には様々な人びとがいて、
時に自分の知らない存在も多々あるものです。

私の経験をいいますと、右利きの人の中には、
(左手で箸を使ったり字を書く)左利きの人なんて見たことがない、
という人もいました。

「知らないものは存在しない」というわけです。

そこで、先の無知云々とつながってきます。


 ●無知な人には、知らせなきゃいけない

無知の問題について、
本書の母ちゃんと息子の会話をプレイバックしてみましょう。
「2 「glee/グリー」みたいな新学期」での会話です。

 《「頭が悪いってことと無知ってことは違うから。知らないことは、
   知るときが来れば、その人は無知ではなくなる」》p.43

と母ちゃんが言うと、あるとき、息子は、
 《「無知な人には、知らせなきゃいけないことがたくさんある」》
と。

左利きの問題も同じで、知らせていかなければいけないのです。

 ・・・

無知についていいますと、
以前、江國香織さんの『こうばしい日々』(新潮文庫)に登場する、
黒人の教師ミズ・カークブライドが、
アメリカに移住してきた日本人少年に話した、
人種差別に関しての言葉を思い出します。

 《「一つのことを、はじめから知っている人もいるし、
   途中で気がつく人もいる。
   最後までわからない人もいるのよ」》

*『こうばしい日々』江國香織/著 新潮文庫 1995/5/30

本書の場合は、教えられて気がつくというケースですね。

 ・・・

ついでに書いておきますと――

アリストテレスの
『ニコマコス倫理学』「第一巻 第四章」に引用されている
ヘシオドス『仕事と日々』の詩にある言葉、

 《あらゆることを自ら悟るような人は、もっともすぐれた人
  立派なことを語る人に耳を傾け、これに従う人も、すぐれた人
  しかし、自ら悟ることもなければ、他人の言葉を聞いて
  心に刻むこともないような人は、どうしようもない人。》

*『ニコマコス倫理学(上)』アリストテレス/著 渡辺邦夫・
 立花幸司/訳 光文社古典新訳文庫 2015/12/8


『論語』【季氏 第十六】(9)

 《孔子曰(いわ)く、生まれながらにして之を知る者は、上なり。
  学びて之を知るものは、次なり。
  困(くる)しみて之を学ぶ者は、また其(そ)の次なり。
  困しみて学ばざる、民 斯(こ)れ下(げ)と為す。

  〈現代語訳〉孔先生の教え。生まれつき道徳(人の道)を
  理解している人間が、最高である。
  学ぶことによって〔すぐに〕道徳を理解する者は、それに次ぐ。
  〔すぐにではなくて〕努力して道徳を学ぶ者は、さらにそれに次ぐ。
  努力はするものの〔結局〕道徳を学ぼうとしない、
  そういう人々、これは最低である。
   
*『論語』加地伸行/全訳注 講談社学術文庫 2004
『論語 増補版』加地伸行/全訳注 講談社学術文庫 2009/9/10

というものに、似ています。


 ●エンパシーについて――「知ろう」とする能力

再び「エンパシー」にもどりましょう。

「エンパシー」に似た言葉として「シンパシー」があるといいます。

 《シンパシーのほうは「感情や行為や理解」なのだが、
  エンパシーのほうは「能力」なのである。
  前者はふつうに同情したり、共感したりすることのようだが、
  後者はどうもそうではなさそう。》pp.94-95

 《シンパシーのほうはかわいそうな立場の人や問題を抱えた人、
  自分と似たような意見を持っている人々に対して
  人間が抱く感情のことだから、
  自分で努力しなくても自然に出て来る。
  だがエンパシーは違う。自分と違う理念や信念を持つ人や、
  別にかわいそうだとは思えない立場の人々が
  何を考えているのだろうと想像する力のことだ。
  シンパシーは感情的状態、
  エンパシーは知的作業とも言えるかもしれない。》p.95


多様性には色々な要素があり、それぞれの多様性について、
人はそのすべてを初めから知っているわけではない。

自分の属する要素については、当然理解しているし、
他の人の場合にも共感することができる。
ところが、自分に無縁の要素に関しては、知らないしわからない。
そこで、当該の人から知らせてもらう、教えてもらう必要が出てきます。

ここで「無知」とか「知らせる」とかの言葉が出て来るわけです。

で、私たちは、「無知」なのだから「教えてもらおう」とか、
「知らないこと・わからないことなので、知ろう・理解しよう」
とすることが重要になってくるわけです。

「共感」できることなら問題ないのですが、
特に共感する立場にはなくても、「理解しよう」とする姿勢、
およびその能力を「エンパシー」といい、
これからの時代に重要なことだと思われるわけです。


左利きに関していいますと、
自分は左利きではなく、この社会にあって不都合は感じていなくても、
「そういう人もいるのだ、不都合を感じることがあるのだ」
と理解することが大事だ、ということです。

 ・・・

さて、このブレイディみかこさんの
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』は、
中学生の息子さんを持つお母さんと配偶者の子育て私生活エッセイ
のような、読みやすい、それでいてなかなか読み応えのある、
「ちょっと左翼っぽい」(p.159 配偶者の言葉)
――その点ではちょっとうーんと思う部分も時にありますが――
母ちゃんによる、おもしろいノンフィクションでした。

続編も機会があれば読んでみたいものです。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

本誌では、「週刊ヒッキイhikkii×楽しい読書コラボ企画:新潮・角川・集英社<夏の文庫>フェア2023から(1)新潮文庫 左利きライフ研究家が読む――ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』」と題して、今回は全文転載紹介です。

『週刊ヒッキイhikkii』とのコラボということで、導入部以外の本文は、9時40分発行のヒッキイの方と同じ内容です。

手抜きといえば手抜きですが、内容そのものは、かなりのものと自負しています。
素材がいいので当然といえば当然のことなのでしょうけれど、ね。

(共通する部分の本文は、ここではカットしようかと思ったのですが、やっぱり全公開です。)

 ・・・

*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『(古典から始める)レフティやすおの楽しい読書』

『レフティやすおのお茶でっせ』
〈メルマガ「楽しい読書」〉カテゴリ

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『レフティやすおのお茶でっせ』より転載
<夏の文庫>フェア2023から(1)新潮文庫『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』-楽しい読書346号
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私の読書論172-2023年岩波文庫フェアから上田秋成『雨月物語』「蛇性の婬」-楽しい読書344号

2023-07-01 | 本・読書
古典から始める レフティやすおの楽しい読書【別冊 編集後記】

2023(令和5)年6月30日号(No.345)
「私の読書論172- 2023年岩波文庫フェア「名著・名作再発見!
 小さな一冊をたのしもう」から 上田秋成『雨月物語』「蛇性の婬」」



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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2023(令和5)年6月30日号(No.345)
「私の読書論172- 2023年岩波文庫フェア「名著・名作再発見!
 小さな一冊をたのしもう」から 上田秋成『雨月物語』「蛇性の婬」」
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 本来は、月末で
 古典の紹介(現在は「漢詩を読んでみよう」)の号ですが、
 今月は岩波文庫のフェアが始まっていますので、
 過去何回か取り上げています。
 最近のものでは↓

2022(令和4)年6月15日号(No.320)
「私の読書論159-エピクテトス『人生談義』―『語録』『要録』
―<2022年岩波文庫フェア>名著・名作再発見!から」
2022.6.15
私の読書論159-エピクテトス『人生談義』―<2022年岩波文庫フェア>から-楽しい読書320号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2022/06/post-98be91.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/6a52aba9e4f9468c46611a84cd31f14f

2019(令和元)年6月30日号(No.250)-190630-
「2019年岩波文庫フェア「名著・名作再発見!」小さな一冊...」
2019.6.30
2019年岩波文庫フェア「名著・名作再発見!」小さな一冊...
―第250号「レフティやすおの楽しい読書」別冊 編集後記
http://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2019/06/post-b015ac.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/e3a5116ac2b0a7abfec291e180ec97ce

 夏の文庫三社のフェア同様、毎年恒例にしたいと思いつつ、
 情報を集め損ねて、飛び飛びになっています。

 今年はなんとか間に合ったようです。


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 - 異類男女の恋情 -

  ~ 上田秋成『雨月物語』「蛇性の婬」 ~

  2023年岩波文庫フェア
「名著・名作再発見! 小さな一冊をたのしもう」から
 
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 ●2023年岩波文庫フェア

2023年岩波文庫フェア「名著・名作再発見! 小さな一冊をたのしもう」

ご好評をいただいている「岩波文庫フェア」を、
今年も「名著・名作再発見! 小さな一冊を楽しもう!」
と題してお届けいたします。

 岩波文庫は古今東西の典籍を手軽に読むことが出来る、
古典を中心とした唯一の文庫です。読書の面白さ、
感動を味わうには古典ほど確かで豊かなものはありません。
岩波文庫では出来るだけ多くの皆さまに
名著・名作に親しんでいただけるよう、本文の組み方を見直し、
新しい書目も加えより読みやすい文庫をと心がけてまいりました。

 いつか読もうと思っていた一冊、誰もが知っている名著、
意外と知られていない名作──
岩波文庫のエッセンスが詰まった当フェアで、
読書という人生の大きな楽しみの一つを
存分に堪能していただければと思います。

※2023年5月27日発売(小社出庫日)

<対象書目>
――本誌で過去に取り上げた書目:■

■茶の本【青115-1】  岡倉覚三/村岡 博 訳
古寺巡礼【青144-1】  和辻哲郎
君たちはどう生きるか【青158-1】  吉野源三郎
忘れられた日本人【青164-1】  宮本常一
■論語【青202-1】  金谷 治 訳注
■新訂 孫子【青207-1】  金谷 治 訳注
■ブッダのことば──スッタニパータ【青301-1】  中村 元 訳
■歎異抄【青318-2】  金子大栄 校注
■ソクラテスの弁明・クリトン【青601-1】  プラトン/久保 勉 訳
■生の短さについて 他二篇【青607-1】  セネカ/大西英文 訳
■マルクス・アウレーリウス 自省録【青610-1】  神谷美恵子 訳
方法序説【青613-1】  デカルト/谷川多佳子 訳
スピノザ エチカ 倫理学(上)【青615-4】  畠中尚志 訳
スピノザ エチカ 倫理学(下)【青615-5】  畠中尚志 訳
■読書について 他二篇【青632-2】
  ショウペンハウエル/斎藤忍随 訳
■アラン 幸福論【青656-2】  神谷幹夫 訳
論理哲学論考【青689-1】  ウィトゲンシュタイン/野矢茂樹 訳
旧約聖書 創世記【青801-1】  関根正雄 訳
生物から見た世界【青943-1】
  ユクスキュル、クリサート/日高敏隆、羽田節子 訳
精神と自然──生きた世界の認識論【青N604-1】
  グレゴリー・ベイトソン/佐藤良明 訳
万葉集(一)【黄5-1】
  佐竹昭広、山田英雄、工藤力男、大谷雅夫、山崎福之 校注
■源氏物語(一) 桐壺―末摘花【黄15-10】  柳井 滋、室伏信助、
        大朝雄二、鈴木日出男、藤井貞和、今西祐一郎 校注
枕草子【黄16-1】  清少納言/池田亀鑑 校訂
芭蕉自筆 奥の細道【黄206-11】  上野洋三、櫻井武次郎 校注
雨月物語【黄220-3】  上田秋成/長島弘明 校注
■山椒大夫・高瀬舟 他四篇【緑5-7】 森 鷗外
三四郎【緑10-6】  夏目漱石
仰臥漫録【緑13-5】  正岡子規
摘録 断腸亭日乗(上)【緑42-0】  永井荷風/磯田光一 編
摘録 断腸亭日乗(下)【緑42-1】  永井荷風/磯田光一 編
久保田万太郎俳句集【緑65-4】  恩田侑布子 編
中原中也詩集【緑97-1】  大岡昇平 編
山月記・李陵 他九篇【緑145-1】  中島 敦
堕落論・日本文化私観 他二十二篇【緑182-1】  坂口安吾
茨木のり子詩集【緑195-1】  谷川俊太郎 選
大江健三郎自選短篇【緑197-1】  大江健三郎
石垣りん詩集【緑200-1】  伊藤比呂美 編
まっくら──女坑夫からの聞き書き【緑226-1】  森崎和江
君主論【白3-1】  マキアヴェッリ/河島英昭 訳
アメリカの黒人演説集──キング・マルコムX・モリスン 他【白26-1】
  荒 このみ 編訳
マルクス 資本論(一)【白125-1】  エンゲルス 編/向坂逸郎 訳
職業としての学問【白209-5】  マックス・ウェーバー/尾高邦雄 訳
贈与論 他二篇【白228-1】  マルセル・モース/森山 工 訳
大衆の反逆【白231-1】  オルテガ・イ・ガセット/佐々木 孝 訳
■楚辞【赤1-1】  小南一郎 訳注
菜根譚【赤23-1】  洪自誠/今井宇三郎 訳注
阿Q正伝・狂人日記 他十二篇(吶喊)【赤25-2】  魯迅/竹内 好 訳
■バガヴァッド・ギーター【赤68-1】  上村勝彦 訳
■ホメロス イリアス(上)【赤102-1】  松平千秋 訳
■ホメロス イリアス(下)【赤102-2】  松平千秋 訳
ハムレット【赤204-9】  シェイクスピア/野島秀勝 訳
■森の生活──ウォールデン (上)【赤307-1】
  ソロー/飯田 実 訳
■森の生活──ウォールデン (下)【赤307-2】
  ソロー/飯田 実 訳
オー・ヘンリー傑作選【赤330-1】  大津栄一郎 訳
変身・断食芸人【赤438-1】  カフカ/山下 肇、山下萬里 訳
カフカ短篇集【赤438-3】  池内 紀 編訳
対訳 ランボー詩集──フランス詩人選(1)【赤552-2】
  中地義和 編
トルストイ民話集 人はなんで生きるか 他四篇【赤619-1】
  中村白葉 訳
タタール人の砂漠【赤719-1】  ブッツァーティ/脇 功 訳
ペスト【赤N518-1】  カミュ/三野博司 訳

以上55点59冊のうち、15点ほどを取り上げています。
関連も含めますと、あと5点ほど見つかります。
(詳細は、「編集後記」末尾にでも付記しておきます。)

その多くは、宗教・思想・哲学といった
リアル系の古典を取り上げてきました。

そこで今回は、文学作品を取り上げましょう。

私の大好きな作品が含まれていましたので、それを紹介します。


 ●私が日本で一番好きな小説――上田秋成『雨月物語』

江戸時代の読本(よみほん)、上田秋成の怪異譚短編集『雨月物語』から
一番長い短編作品「蛇性の婬(じゃせいのいん)」を取り上げます。

上田秋成『雨月物語』は、日本文学のなかで私の大好きな作品で、
以前「私をつくった本・かえた本」でも紹介しました。


・2017(平成29)年3月15日号(No.195)-170315-
「私の読書論91-私をつくった本・かえた本(2)小説への目覚め編」

私の読書論91-私をつくった本・かえた本(2)小説への目覚め編―第195号「#レフティやすおの楽しい読書」別冊 編集後記

・講談社『少年少女新世界文学全集第37巻 日本古典編(2)』
(長編「太平記」「八犬伝」「東海道中膝栗毛」、短篇集「雨月物語」、
 江戸時代の俳句(芭蕉や蕪村、一茶など)収録)

《怪奇幻想ものの読本(よみほん)である、
 上田秋成作「雨月物語」青江舜二郎訳
 (1768年(明和5)成稿、76年(安永5)刊。「白峰」以下9編)》


子供の頃から、怖がりのくせに、怖い物見たさというのでしょうか、
こういうお話が好きでした。

子供の頃は、テレビで怪談話やホラー映画など結構見てました。
吸血鬼ドラキュラや狼人間やミイラ男だといった映画や、
アメリカ製のテレビドラマで、異界もの? や
ダーク・ファンタジーのようなもの、日本でも「ウルトラQ」みたいな。

で、この『少年少女新世界文学全集第37巻 日本古典編(2)』のなかでも、
「雨月物語」も短編集で、当時長いものを読むのが苦手だった私には、
とてもフィットした物語であったといえましょう。

今でも長編は苦手で、読み出すまでにちょっと敷居の高さを感じます。
短編集を読むのもしんどい部分はあります。
一本ずつ一本ずつ読み起こす感じで、
その世界に入るのに集中力がいるというわけですが。

余談はさておき、
『雨月物語』全9短編中、一番好きなのが「蛇性の婬」です。
今回はこの作品を取り上げます。


*<2023年岩波文庫フェア
「名著・名作再発見! 小さな一冊をたのしもう」>から
『雨月物語』【黄220-3】上田秋成/長島弘明 校注 2018/2/17


 ●上田秋成『雨月物語』巻之四「蛇性の婬」

『雨月物語』は、翻案小説とも言われるもので、
下敷きになるお話があり、
それをもとに上田秋成が自分の世界を展開するものです。

「蛇性の婬」は、異類婚姻譚に分類されます。

蛇の妖怪の女と人間の青年との恋物語というところでしょうか。

この小説には、中国の原話があります。
白話小説集『警世通言(けいせいつうげん)』中の「白娘子永鎮雷峰塔
(はくじょうしながくらいほうとうにしずまる)」。

 《白蛇が美女に化けて男と契るという、
  中国の白蛇伝説の系譜にある一話である。》
   『雨月物語』上田秋成/長島弘明 校注より「解説」p.254

 《「白蛇伝」説話は、
  白蛇が美女に化け、男を誘惑して契りを結ぶ異類婚姻譚であるが、
  古くは唐代伝奇の「白蛇記」(『太平広記』所収)があり、
  宋・元・明・清とさまざまな小説や戯曲になり、
  さらには今日まで及んでいる。「白娘子永鎮雷峰塔」は、
  その「白蛇伝」説話の中でも最も著名な作品の一つで、
  類話に『西湖佳話(せいこかわ)』の「雷峰怪蹟(らいほうかいせき)」
  がある。》
   『雨月物語の世界』長島弘明 ちくま学芸文庫 より
     「第九章 蛇性の婬」p.265

前半は主にこの作品を下敷きに、日本の和歌山に舞台を移し、
冒頭の「いつの時代(ときよ)なりけん」という書き出しは、
まさに『源氏物語』の「いづれの御時にか」を連想させるもので、
一話全体も古代の物語風の雰囲気を持たせています。


*『雨月物語の世界』長島 弘明/著 ちくま学芸文庫 1998/4/1
――岩波文庫『雨月物語』校注者による初学者向け入門書・解説書


 ●東映動画『白蛇伝』

ここで、思い出すのが、子供の頃に見たアニメ、
東映動画の『白蛇伝』です。

『ウィキペディア(Wikipedia)』によりますと、
1958年10月22日公開といいます。

私は子供時代にテレビの放送で見た記憶があります。

春休みや夏休みや冬休みなどに子供向け番組として、
一連の東映動画の放送がありました。
『白蛇伝』『安寿と厨子王丸』『わんわん忠臣蔵』『西遊記』
『わんぱく王子の大蛇(おろち)退治』等々。

記憶で書きますと、
人間の青年に恋した白蛇が美女に化けて近づき、両者は恋に落ちます。
青年は化け物に騙されているのだと信じた高僧によって、
その法力で娘を攻撃し、二人の邪魔をします……。

互いに愛し合いながら、相手が異類であるということで認められず、
仲を引き裂かれるという理不尽な物語――という印象が残っています。

この高僧をとても憎く感じたものでした。

愛し合う二人を引き裂くにっくき野郎! という感じで。

本来この動画は、文部省推薦の子供向け・家族向けの企画なので、
基本的に勧善懲悪というわけでなく、
誤解を解いてみんなで仲良くしましょう、的な映画だと思うのです。

それだけに、「なんかかわいそう」というイメージがありました。

私自身、左利きで○○で××でもあり、そういう「一般人」ではない、
「異類の存在だ」という意識がありますので、
そういう世間一般のひとではない「異類」である、
というだけの理由で、その恋仲を裂かれるというのは、
悲劇以外の何物でもない、と思えるのです。


*参考:東映動画『白蛇伝』
白蛇伝 [DVD]
森繁久彌 (出演), 宮城まり子 (出演), 藪下泰司 (監督)



 ●「蛇性の婬」の豊雄に、大人の男の悪い面を見る?

「蛇性の婬」では、中国の白蛇伝説に、『道成寺縁起』などに見られる
<道成寺伝説>を取り混ぜたものだといわれています。

 《中国の、愛欲のために女に変身した蛇の話に、
  日本の、同じく愛欲のために蛇身になってしまった女の話を、
  重ね合わせている。》同上

安珍・清姫の伝説として知られる話です。

 ・・・

「蛇性の婬」では、主人公の青年・豊雄は、和歌山の漁師の網元の次男。
長男が跡取りで、姉は奈良に嫁に行っている。
豊雄は、都にあこがれ、雅好きで、学問を師について習っている。
父親は、家財を分けても人に取られるか、他家を継がせようとしても、
困ったことになるだけだろうし、博士にでも法師にでもなれ、
生きているうちは兄のやっかいになればいい、と考えている。

そんなとき、師の元からの帰り道、雨に降られ、雨宿りしていると、
二十歳に満たぬ美女・真女子(まなこ)と
十四、五の童女の二人連れに出会う。
で、このふたりこそ蛇の化身。
豊雄もまんざらではなく、好意を持つようになる。





 ・・・

その後の詳しいストーリーを紹介してもいいのですが、
ここではそれはやめて、単純に私の感想を綴っておきましょう。

異類である白蛇の化身である女と人間の青年の恋なのですが、
今回、読み直しますと、男の態度がどうも気に入りません。

蛇身の女が一方的に恋したような始まりになっています。
しかし始まりはどうであれ、
自分も相手を気に入って恋仲になっているにもかかわらず、
まわりから何か言われると、
ついつい相手を裏切るような行動を取ります。

そうでありながら、何かきっかけがあるごとに、
彼女のことを思っているかのように振る舞います。

結果、自分だけが助かるのです。

どうも気に入りません。
アニメ版の『白蛇伝』のイメージが残っているのか、
このような男の姿が、いまいち、好きになれません。


長島さんは『雨月物語の世界』の「第9章 蛇性の婬」の末尾
<男の性と女の性>で、

 《真女子が豊雄の夢と恋(エロス)が描いた幻像であったならば、
  豊雄は自らの夢と恋情を殺すことによって、
  丈夫となったということができる。大人になり、
  また余計者の身から抜け出して社会的存在となるためには、
  私情を切り捨てる通過儀礼が必要とされたのである。
  そして、切り捨てられた私情とは、女性である。
  土中深く封じ込められた蛇は、女性であり、
  また豊雄の夢であったことになる。
  生き永らえたという豊雄は、その後、
  はたして夢をみることがあったのかどうか。》p.296

と結んでいます。

私も、この終わり方で豊雄は本当に満足だったのだろうか、
と思わずにはいられません。

私情を捨てること、夢をあきらめること、
まわりに合わせて生きることが、大人になる、ということなのか?

もしそうだとしたら、ちょっと寂しい、
残念なことといわねばなりません。

もちろん、私自身も同じように、色々あきらめた上で、
今日まで生きてきたのは事実です。

しかし、だからこれで終わっていいと思っているわけでもありません。
生きている限り、なにかできるのではないか、
という思いだけは、今も持っています。


*参考文献:
『改訂 雨月物語 現代語訳付き』上田 秋成/著 鵜月 洋/訳
角川ソフィア文庫 2006/7/25

『雨月物語』上田 秋成/著 高田 衛, 稲田 篤信/訳 ちくま学芸文庫
1997/10/1

『雨月物語―現代語訳対照』上田 秋成/著 大輪 靖宏/訳 旺文社文庫
1960/1/1


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本誌では、「私の読書論172- 2023年岩波文庫フェア「名著・名作再発見! 小さな一冊をたのしもう」から 上田秋成『雨月物語』「蛇性の婬」」と題して、今回は全文転載紹介です。

本誌では「蛇性の婬」飲みの紹介となっています。
本文中にも書いていますように、歴史ものの怪異譚全9編からなる短編集です。

中でも男女の仲に関するものとしては、この「蛇性の婬」以外にも、「浅茅が宿」「吉備津の釜」があります。
どちらもなかなかのできで、人間性のおどろおどろしさを描いて秀逸です。

善くも悪くもやはり男女の仲というものが一番おもしろいような気がします。

 ・・・

*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『(古典から始める)レフティやすおの楽しい読書』

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私の読書論171-渡瀬謙『トップセールスが絶対やらない営業の行動習慣』から-楽しい読書344号

2023-06-17 | 本・読書
古典から始める レフティやすおの楽しい読書【別冊 編集後記】

2023(令和5)年6月15日号(No.344)
「私の読書論171-渡瀬謙のビジネス書の新刊
『トップセールスが絶対やらない営業の行動習慣』から」



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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2023(令和5)年6月15日号(No.344)
「私の読書論171-渡瀬謙のビジネス書の新刊
『トップセールスが絶対やらない営業の行動習慣』から」
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 今回は初の試みで、従来とはちょっとタイプの異なる本から、
 思うところを紹介してみましょう。

 今回取り上げますのは、
 私の左利き仲間で友人で、ビジネス書の書き手で、
 特に内向型の性格で売れずに悩む営業マンの育成を専門とする
 「サイレントセールストレーナー」である、渡瀬謙氏の新刊書です。


渡瀬謙『トップセールスが絶対やらない営業の行動習慣』
日本実業出版社 2023/5/26


 私自身すでにリタイア組ですので、この本の中から、
 営業といったビジネス関係について云々するのではなく、
 最終章の「持続して成長する「モチベーション」の習慣」
 で取り上げられている、人生一般に関わる内容について考えてみたい
 と思います。
 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 - 習慣は第二の天性 -

  ~ 営業のノウハウを処世術として人生に活かす ~

  渡瀬謙『トップセールスが絶対やらない営業の行動習慣』
(日本実業出版社)から

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ●『トップセールスが絶対やらない営業の行動習慣』全体の概要

『トップセールスが絶対やらない営業の行動習慣』の目次です。

第1章 大きな成果を生む小さな「行動」の習慣
第2章 迷いを解消する「判断」の習慣
第3章 無意識に言っている「口グセ」の習慣
第4章 売れる営業の「思考」の習慣
第5章 オンライン時代に有効な「コミュニケーション」の習慣
第6章 持続して成長する「モチベーション」の習慣

 ・・・

2017.6.29 発売の
『トップセールスが絶対言わない営業の言葉』


の姉妹編といいますか、続編といいますか。

参考に、そちらの目次は↓

--
はじめに 売れる営業と売れない営業を分けるのは「言葉」だった!
第1章 意外に重要な挨拶の言葉
第2章 相手とのトークがはずむ言葉
第3章 ニーズを探る絶妙なヒアリング
第4章 相手が身を乗り出して聞く説明
第5章 押さないクロージング
第6章 売れる営業マンが重視している言葉
おわりに 営業力は一生ものの財産
--

 ・・・

さて、ビジネス書としての本書は、
目次の見出しでだいたいの方向は、ご理解できるとかと思います。

著者自身の紹介文は――

《営業がついやってしまいがちなことなど、
 無意識の行動習慣にフォーカスしました。
 営業に慣れてきた人ほど読んで欲しい内容です。

 これらはすべてNG行動です↓
 ・断られたら残念そうな顔をする
 ・安易な約束をしてしまう
 ・すぐに値引きで対応する
 ・売れたらそれでOKとする

 自分の行動習慣を振り返ってみることで、
 営業の精度があがれば幸いです。》


出版社の紹介文は――

--
■売れている人の"売れる理由"は「行動習慣」にあり

「売上がなかなか伸びない」
「担当先から、いまいち信頼を得られない」
「いつも新規開拓に追い回されている」

売上が伸びず、営業マンとしての成長も芳しくない人の原因は
じつは、普段、何気なくやっている「習慣」にあります。

売れている人は「これをやっていたら売れない」ことを絶対にしません。
売れるコツやトークをどんなに駆使しても、やってはいけない行動ひとつで
努力が無駄になってしまうことが多いのです。

そこで本書では、「営業の現場でついやってしまいがちだけれど、
売れている人は絶対にやらない行動」を×○の具体例を挙げて
ていねいに解説します。

×「少しの遅刻なら許されると思っている」
 〇「絶対に遅刻しない行動をとる」
×「売れたらそれでOKとしてしまう」
 〇「売れたときこそ振り返る」
×「とりあえず答えることを優先する」
 〇「知らないことは『知らない』と言う」
×「売れないと達成感を得られない」
 〇「売上以外の達成ポイントがある」

・これから営業になる人
・営業歴1~3年目の人
・若手を指導するリーダー

に役立つ、トップセールスに変わる行動習慣が満載です!
--

以上、営業関係の内容紹介はここまで。
営業関係の人は一度は読んでみてもいい本でしょう。


 ●第6章 持続して成長する「モチベーション」の習慣

ここでは、最終第6章の
「持続して成長する「モチベーション」の習慣」から
営業以外の面――人生の一般、処世術的な面から見て、
気になる部分を取り上げていこう、と思います。

7つの項目が挙げられています。

42.「売ること」だけを目標としない
43.「やらなきゃいけない」と思わない
44.まわりと自分を比較しない
45.一人で解決しようとしない
46.ストレスの芽を成長させない
47.無理にやる気を起こそうとしない
48.目先の売上にこだわらない

(番号は、第一章からの通し番号)



以下各項目について見てゆきます。

 ・・・

■42.「売ること」だけを目標としない

《日々前進している実感を持つことが大切》といい、
売ること以外の目標を持て、といいます。

1.「自分の成長」――能力や経験値を高める
2.「お客さまから信頼されること」――まずは信頼を得る努力を

お客様に限らず、人から信頼される行動をとるようにすること。


■43.「やらなきゃいけない」と思わない

人からやらされることは、単なる作業的になりがちなので、
やらされるのではなく、自分から自主的に行動するということ。

《仕事は自分の成長だと思っている》と。


■44.まわりと自分を比較しない

まわりの人と比較すると、どうしてもマイナス面に目が行くので、
自分のよいところが見えなくなる。
だから《比較すべきは過去の自分》と。

過去の自分との比較で言いますと、

《昨日はできなかったことが、今日はできている!》

という例があります。

「老化」というのはこの逆で、昨日できたことが今日はできない、
といった現象が起きることです。

しかし、そういうマイナスばかりではありません。

例えば私の場合、ミニキーボードをちょっと練習していますと、
昔は指使いの方法など知らず、一本指でしかできなかったのですが、
一応、たどたどしくても
片手でドレミファソラシドが弾けるようになりました。

昨日まではできなかったことができるようになった、わけです。
年を取ってもそういう風に進歩・成長することもあります。


■45.一人で解決しようとしない

《すべてを一人でやろうとすると、
 自分を追い込んでしまうことにもなりかねません。》

そこで、
《「一人で解決する」という習慣を見直す》ことが大事だといいます。

ただ、自分の責任逃れというのではなく、
《「相手を成長させる」という思考》にたって考えれば、
自信を持って仕事を依頼できる。
WIN×WINの関係になれる、と。


芸能人の自殺(自死)事件が起きますと、
その影響を受けて一般の人の自殺が増える、といわれます。

そんなとき、悩みを一人で抱え込まないように、とアドバイスされます。

人生においては、何でも一人で抱え込まない、ということが大事です。
昔から「案ずるより産むが易し」ということわざがあります。

自分では大変なことに思えても、
人から見れば実はたいしたことではない、というケースもあるものです。

時には人に頼る、という姿勢も必要です。


■46.ストレスの芽を成長させない

《気づかないうちにストレスは蓄積している》といいます。
人が生きていく内では何事においてもそういうものです。

そこで、《自分なりのストレス解消法を習慣化する》。

《あなたが我慢強いタイプなら、
 定期的にストレスを解消する行動を習慣化した方がいいでしょう》と。

これは正論でしょう。
私も我慢強い方ですので、逆に大爆発するときがあります。
まあ、何年かに一度あるかないかですけれど、ね。

私はかつて糖尿病でした。
あれはストレスが原因で発症する、きっかけになるそうです。

定期的にガス抜きといいますか、
自覚症状が出る前に解消する工夫が必要でしょう。


■47.無理にやる気を起こそうとしない

《強制されたやる気は続かない》といいます。

《営業は、売れるルートを見つけるゲーム》だといい、
仕事をゲームのように楽しむことで、モチべーションも上がるし、
自然とやる気も湧いてくる、と。

どんな仕事であれ、作業であれ、なんであれ、同じことです。
自分から自然と楽しむ気持ちになれたら、
どんなことであっても気楽に、かつ前向きに取り組めるものです。

そうすると、不思議なもので、結果も付いてくるものなんですね。


■48.目先の売上にこだわらない

《売上目標の先に焦点を当てる》といい、
《売上以外の目的を持っている》といい、
《「営業力」という一生ものの財産を身につけよう》といいます。

何事もそうなんですが、目先の何かにこだわるより、
もっと長い目で将来を見据えて、今何をすべきかと、
今この瞬間を大切に生きるということが大事だ、と先人はいいます。

まさにその通りで、自分の力をつけるべく、日常を大切にする、
若い頃の仕事というものは、挑戦です。

私も本屋で働いていた時、そうでした。
自分の担当を得たら、やれる範囲でではありますが、
徹底的にチャレンジしてみる、
将来自分で店を持てるかどうかはわかりませんが、
現場の仕事はやれることを色々とやってみました。
店を持つことはできませんでしたが、
結果として店の売り上げを毎年上げ続けていました。

人生というものはそういうものだと思います。
目先にこだわらず、とにかくあれこれチャレンジしてみる、
ということが大事です。


 ●本書と習慣について

本書を読む意味はどこにあるか――
現役のセールスパーソンは営業のあれこれを知ることも大事ですが、
本当は、よりよい生き方を知ることが大事なのです

人生の先輩の言葉から、何を知るか、といいますと、
結局は、そういうことなのです。

こんなことをいいますと、傲慢とかいわれそうですが、
学ぶ人は何からでも学ぶものなのです。

 ・・・

「習慣は第二の天性」といわれます。
日々繰り返し身につけた習慣は、
生まれつきの性質と変わらないようになる、というわけです。

一度よい習慣を身につけますと、一生の宝物になります。

逆に悪い習慣を身につけてしまうと、
どんどん人生がまずいものになってしまいます。

糖尿病など、生活習慣病といわれるものがその代表です。

よい習慣はよい人生を作ります。
よい習慣を身につけられるように、
気を付けて毎日を過ごしてゆきましょう。

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本誌では、「私の読書論171-渡瀬謙のビジネス書の新刊『トップセールスが絶対やらない営業の行動習慣』から」と題して、今回は全文転載紹介です。

「習慣は第二の天性」ということわざがあります。
その通りで、身につけた習慣は、生まれつきの性質の如く、一生の宝物となります。
よい習慣を身につければ、大いにプラスになります。
そういうよい習慣とはどういうものか、そのいったんをこの本の営業のノウハウから、処世術として学ぶことができます。
それを人生に活かすことで、よい人生を歩むことができるのではないでしょうか。

 ・・・

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私の読書論171-渡瀬謙『トップセールスが絶対やらない営業の行動習慣』から-楽しい読書344号
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中国の古典編―漢詩を読んでみよう(22)西晋時代の文学者-楽しい読書343号

2023-06-01 | 本・読書
古典から始める レフティやすおの楽しい読書【別冊 編集後記】

2023(令和5)年5月31日号(No.343)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(23)西晋時代の文学者」



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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2023(令和5)年5月31日号(No.343)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(23)西晋時代の文学者」
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 「中国の古典編―漢詩を読んでみよう」23回目です。

 今回は、西晋の時代を代表する文学者・政治家を取り上げます。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

◆ 西晋時代の文学者・政治家たち ◆

 中国の古典編―漢詩を読んでみよう(23)

  ~ 張華「情詩五首」其の二――男性から女性へ愛情を述べる詩 ~
  ~ 左思「嬌女の詩一首」――子供の本来の姿を示す詩 ~

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

今回の参考文献――

『漢詩を読む 1 『詩経』、屈原から陶淵明へ』
 江原正士、宇野直人/著 平凡社 2010/4/20
「七、それぞれの個性――西晋の詩人」より


 ●張華(ちょうか)

魏末から西晋の始めにかけて、
詩人で政治家だった張華(ちょうか 232-300)は、
筋の通った生き方をした。

これまでの知識人の生き方としては、
「竹林の七賢」のように、体制を避けて言論を続けた人たち、
権力の内部に入って人生を全うした人たちの二通りでした。

張華は、その度血あらでもなく、最もむずかしい道を歩いた。
混乱する王朝を正しい満ちに引き戻し、保とうと行動したのです。
貧しい家の出身ながら、勉強熱心で郷里の人たちに推薦され中央に出、
阮籍に認められ、名声を上げました。

西晋王朝(51年)となり、
初代司馬炎が亡くなると、混乱が起き、勢力を伸ばした外戚同士が争い、
他の王族も加わり、「八王の乱」に発展。

二大恵帝の大叔父、司馬倫が王朝を簒奪する計画を立て、
宰相となった張華を味方に引き入れようとするが、
拒絶した彼は司馬倫のクーデター決行後、一族もろとも殺されました。


 ●張華「情詩五首」其の二

情詩五首   情詩五首   張華

 其二     其の二

明月曜清影  明月(めいげつ) 清景(せいけい)を曜(かがや)かし
曨光照玄墀  曨光(ろうこう) 玄墀(げんち)を照(て)らす
幽人守静夜  幽人(ゆうじん) 静夜(せいや)を守(まも)り
廻身入空帷  身(み)を廻(めぐ)らして空帷(くうい)に入(い)る

 明るい月がさわやかな光を輝かせ
 その月のおぼろな光が玄墀をぼんやりと照らし出している
 ひっそりと寂しく暮らす私はこの静かな夜をじっと過ごし
 やがて身を翻し、誰もいないとばりの中に入った


束帯俟将朝  束帯(そくたい)して
        将(まさ)に朝(ちよう)せんとするを俟(ま)ち
廓落晨星稀  廓落(かくらく)として晨星(しんせい)稀(まれ)なり
寐仮交精爽  寐仮(びか) 精爽(せいそう)交(まじ)はり
覿我佳人姿  我(わ)が佳人(かじん)の姿(すがた)に覿(あ)ふ

 私は身なりを整えて朝廷に行く時間が来るのを待っている
 広がる夜空に明け方の星がまばらに見える
 私はふとうつらうつらしてしまい、魂が交流して、妻の姿を目にした 
 

巧笑媚権靨  巧笑(こうしよう) 権靨(けんよう)媚(みめよ)く
聯娟眸与眉  聯娟(れんけん)たり 眸(ひとみ)と眉(まゆ)と
寤言増長歎  寤言(ごげん) 長歎(ちようたん)を増(ま)し
悽然心独悲  悽然(せいぜん)として
        心(こころ) 独(ひと)り悲(かな)しむ  

 美しい微笑み、頬のえくぼもうるわしく、
 形よく並んでいる瞳と眉
 はっと目覚めてつい妻に話しかけてしまい、深い歎きはますます募る
 私の痛んだ心はひとえに悲しみに沈むばかりであった

 ・・・

「情詩五首」は五首の連作で、設定は、
ある作品は旅をしている夫から、別の作品では留守を守る妻から、
というふうに、単身赴任か何かで生き別れの夫婦の往復書簡のような形。
「其の二」は、夫が主語になっていて、奥さんを思いやる詩です。

第一段では、秋の夜、眠れぬまま外の景色を眺めていると、
明け方になります。

「玄墀(げんち)」とは、「玄」は“黒く塗った”の意で
「黒く塗った(階段の)たたき」、もしくは「暗く貸すんだたたき」。
夜明けのぼんやりした風景を指すといいます。

「幽人(ゆうじん)」は、隠者を指すことが多いのですが、ここでは
“ひっそりと暮らす私”。
都で官職に就いている設定で、奥さんと離れている心境をいいます。

第二段では、出勤の支度をします。
中国では朝が早く、星が見えるうちから出勤したそうです。
「寐仮(びか)」は、うたた寝、仮眠。「精爽(せいそう)」は、魂。

第三段は、夢に現れた妻を再現、目覚めたあとの悲しみで結びます。
「巧笑(こうしよう)」は、
「巧」は日本語では作り笑いのような感じですが、
美しい微笑み、“魅力的な微笑み”のこと。
「権靨(けんよう)」は、「権」が頬、えくぼのこと。
「寤言(ごげん)」は、目が覚めて話しかけること。

張華(ちょうか)の詩風は、このように

 《「女性や子どものような、繊細でやわらかい感情表現が多く、
  天下国家を論ずる豪快な気分は少ない」(『詩品』)
  と評せられています。》p.270

彼は大勢の配下を持つ結社のリーダーで、
そのような立場で天下国家について論じる詩を発表して睨まれれば、
グループのメンバーもころされる可能性がある。
そのため、こういう方向に進まざるをえなかったのではないか。

あるいは、権力争いの醜さを見てきており、
詩の世界に持ち込む気になれなかったのかもしれない、
という宇野さんの解説。

《ますらおぶりではなく、たおやめぶりの詩》で、

 《張華が開拓したこの“男性から女性へ愛情を述べる詩”は、
  以後、脈々と受け継がれて近代まで作られ続けます。
  愛の大切さを目覚めさせた、そういう点では画期的です。》
   pp.270-271

怪談話が好きで、巷に伝わる話を集め、『博物誌』という書物を編集し、
それがきっかけに西晋から東晋にかけて、怪奇小説が流行したといい、
そういう面でも影響を与えた人だったそうです。


 ●左思(250?-305)――寒士(かんし)の一分
 
「寒士(かんし)」とは、“身分や境遇に恵まれない男”の意味。
左思はまさにそういう人で、西晋時代、張華に抜擢され、洛陽に上る。
出身は山東省で、孔子の故郷で、代々儒教をおさめる家柄でした。

当時、知識人が社会的名誉を得ようとすると、才知だけではなく、
血筋、財産、そして容貌が重要でした。
左思にはそれらが欠けていました。
自分にあるのは才知だけ、それで勝負しよう、と決意します。

しかし、官職に恵まれることはありませんでした。
最後には隠居し、政治の場から距離を置いたため、
他の人のように殺されることもなく、亡くなりました。

そういう立場ですので、政治的な配慮をすることもなく、
興味あるものを素直に詩に作ることができた、といいます。

本来の詩人の眼でものを見て、詩を作って生きられたのです。

 ・・・

次に紹介します「嬌女の詩一首」は、
自分の二人の娘を主人公にした長い詩で、
他の詩人たちとは違う左思の特異な位置がわかる詩だ、といいます。

中国では伝統的な社会通念として、子供は未完成の存在で、
早く成長して一人前になるべきものとされ、
正面から子供を詩に取り上げることはないのだ、というのです。

一方で、貴族社会では神童を重んじた、といいます。
そういう神童の噂も聞いていたのだろう左思は、
そういう風潮への反発から、
 《“子どもは本来そういうものじゃない、
  もっと本質をよく見るべきだ”という皮肉な視点で、
  自分の娘を主人公にこの詩を作ったのかもしれません。》p.295

 《三段落に分かれ、まずは妹のあどけない発言や動作を描写し、
  途中から姉のようすに移り、最後は二人のやんちゃで
  元気いっぱいの振る舞いを描いて結びます。》同


 ●左思「嬌女(きょうじょ)の詩一首」――妹娘

嬌女詩一首  嬌女(きょうじょ)の詩一首  左思  

吾家有嬌女  吾(わ)が家(いへ)に嬌女(きようじよ)有(あ)り
皎皎頗白晳  皎皎(きようきよう)として頗(すこぶ)る白晳(はくせき)  
小字為紈素  小字(しようじ)を紈素(がんそ)と為(な)し
口歯自清歴  口歯(こうし) 自(おのづか)ら清歴(せいれき)

 私の家には可愛い娘がいる
 つやつや光るように瑞々しい、まことに白い肌をしている
 愛称は“お絹ちゃん”という
 彼女の口元も歯もすっきりしている


鬢髮覆広額  鬢髮(びんぱつ) 広額(こうがく)覆(おお)い
双耳似連璧  双耳(そうじ) 連璧(れんぺき)に似(に)たり    
明朝弄梳台  明朝(みようちよう) 梳台(そだい)を弄(ろう)し
黛眉類掃跡  黛眉(たいび) 掃跡(そうせき)を類(るい)す

 この娘の髪は広い額をおおっている
 左右の耳は二つの璧(へき)をつけたようである
 明るい朝はお化粧台をいじくる
 黛を塗った眉は、なんだか箒で払ったように見える


濃朱衍丹脣  濃朱(のうしゆ) 丹脣(たんしん)に衍(えん)し
黄吻瀾漫赤  黄吻(こうふん) 瀾漫(らんまん)として赤(あか)し    
嬌語若連瑣  嬌語(きようご) 連瑣(れんさ)の若(ごと)く
忿速乃明㦎  忿速(ふんそく) 乃(すなは)ち明㦎(めいかく)なり

 濃い口紅が赤い唇からはみ出すように塗られ、
 おかげで小さなお口はべったりと赤くなってしまった
 可愛い舌足らずのお喋りは次から次へと止まらない
 怒って早口でまくし立てることがあるが、
  その時もなかなかどうしてきっぱりと歯切れがいいではないか


握筆利彤管  筆(ふで)を握(にぎ)つて彤管(とうかん)を利(り)とするも
篆刻未期益  篆刻(てんこく)は未(いま)だ益(えき)を期(き)せず   
執書愛綈素  書(しよ)を執(と)りて綈素(ていそ)を愛(あい)し
誦習矜所獲  誦習(しようしゆう) 獲(う)る所(ところ)を矜(ほこ)る

 彼女は筆を手にする時、赤いのがいいわと言う
 しかし篆刻にはまだ面白みは期待できないらしい
 本を手に取ると、綈素が気に入ってしまう
 朗読、諳誦のお稽古をすると、できたことを大喜びする

 ・・・

ここまでが妹娘の描写――「嬌女」の「嬌」は中国では、
“艶めかしい、色っぽい”の意味はなく、可愛らしく、愛くるしいこと。
化粧のまねごとをしたり、習字と読書のまねごとをする幼女を描きます。

後世、杜甫が長編詩「北征」で、
娘がお化粧などするようすを描いている、といいます。
左思のこの詩を読んだのではないか、と宇野さんの解説。


 ●左思「嬌女(きょうじょ)の詩一首」――姉娘

其姉字恵芳  其(そ)の姉(あね) 字(あざな)は恵芳(けいほう)
面目燦如画  面目(めんもく) 燦(さん)として画(ゑが)く如(ごと)し
軽妝喜楼辺  軽妝(けいしよう) 楼辺(ろうへん)を喜(この)み
臨鏡忘紡績  鏡(かがみ)に臨(のぞ)んで紡績(ぼうせき)を忘(わす)る

 さてお姉さんは、字を恵芳という
 目鼻立ちは華やかで、絵に描いたようである
 軽いお化粧をして、二回の窓辺にいるのを好む
 鏡にじっと見入ったまま、糸を紡ぐお手伝いのことも忘れるほどである


挙觶擬京兆  觶(し)を挙(あ)げて京兆(けいちよう)を擬(ぎ)し
立的成復易  的(まと)を立(た)つるに 成(な)りて復(ま)た易(か)ふ
玩弄眉頰間  玩弄(がんろう)す 眉頰(びきよう)の間(かん)
劇兼機杼役  劇(はげ)しきこと 機杼(きちよ)の役(えき)を兼(か)ぬ

 彼女は杯を挙げ、将来の優しい旦那様との乾杯を心に描く
 つけぼくろをするのに、つけたと思うとまた移し変える
 眉や頬の辺りでしきりにつけかえ、
 手がせわしなく動くようすは
  機織りをしているのかと見間違えるほどである


従容好趙舞  従容(しようよう)として趙舞(ちようぶ)を好(この)み
延袖象飛翮  袖(そで)を延(の)べて飛翮(ひかく)に象(かた)どる
上下絃柱際  絃柱(げんちゆう)を上下(じようげ)するの際(さい)
文史輒巻襞  文史(ぶんし) 輒(すなは)ち巻襞(けんぺき)す

 ゆったりと構えて趙の国の踊りを好んでお稽古する
 服の袖を広げてばたばたさせ、飛ぶ鳥の真似をする
 ことじをあちこち動かして琴を弾いていると、
 前に置いてある譜面に袖が振れ、そのたびに丸まったり捲れたりする


顧眄屏風画  顧眄(こべん)す 屏風(びようぶ)の画(ゑ)
如見已指擿  如(も)し見(み)なば已(すで)に指擿(してき)す
丹青日塵闇  丹青(たんせい) 日(ひ)に塵闇(じんあん)
明義為隠頤  明義(めいぎ) 為(ため)に隠頤(いんさく)す

 彼女は絵屏風を見渡し、
 お気に入りの図案が目に入るとすぐに指でなぞる
 そのため、きれいな色使いで描いてある絵も日毎に汚れてしまう
 絵のはっきりとした図柄が、そのために隠れてわからなくなる

 ・・・

姉娘もお化粧が好きで、お手伝いも忘れるほどといいながらも、
踊りや琴の稽古もしています。
絵も好きで触りまくるので、汚れてしまうというほど。

「京兆」には有名な故事があって、
前漢の長官(京兆尹(けいちょういん))だった張敞(ちょうしょう)は
大変な愛妻家で、奥さんの眉を描いてあげたという。
「京兆」というだけで夫婦や男女の仲のいいたとえになる、といいます。
下の娘が4つか5つで、故知あらは7つか8つだろう、と。


 ●左思「嬌女(きょうじょ)の詩一首」――姉妹

馳騖翔園林  馳騖(ちぶ) 園林(えんりん)に翔(かけ)り
菓下皆生摘 菓下(かか) 皆(みな) 生摘(せいてき)す    
紅葩掇紫蔕  紅葩(こうは) 紫蔕(してい)を掇(と)り
萍実驟抵擲  萍実(ひようじつ) 驟(には)かに抵擲(ていてき)す

 二人は外へ出て走り出し、庭の木立の間を飛ぶように駈け抜けて行く
 果樹の下ではいつも青いまま実をつみとってしまう
 赤い花びら、木の実の赤茶色のへたをつみとったり、
 林檎の実を放り投げたりして遊ぶ


貪走風雨中  貪(むさぼ)り走(はし)る 風雨(ふうう)の中(うち)
眒忽数百適  眒忽(しんこつ) 数百(すうひやく)適(せき)  
務躡霜雪戯  務(つと)めて霜雪(そうせつ)を躡(ふ)んで戯(たはむ)れ
重綦常累積  重綦(ちようき) 常(つね)に累積(るいせき)す

 風雨の中でも飽きずに走り回り、
 あっという間に何百回も行き来したかと思うほど
 霜柱や雪を見つけると、ここぞと踏んで遊ぶ
 二人の重なった足跡が、そういう冬の日にはあちこちに残される


并心注肴饌  并心(へいしん) 肴饌(こうせん)に注(そそ)ぎ
端坐理盤槅  端坐(たんざ) 盤槅(ばんかく)を理(をさ)む
翰墨戢函按  翰墨(かんぼく) 函(はこ)に戢(をさ)めて按(あん)じ
相与数離逖  相与(あいとも)に 数々(しばしば)離逖(りてき)す

 二人は心を合わせてご馳走に向かい、
 お行儀よく席について大皿の果物をきれいに並べ直す
 炭や筆を箱に入れて、撫でたり触ったりする
 ところが二人一緒にときどき逃げていったりする


動為罏鉦屈  動(やや)もすれば罏鉦(ろしよう)の為(ため)に屈(くつ)し
屣履任之適  屣履(しり) 之(これ)が適(ゆ)くに任(まか)す
止為茶 菽拠  止(ただ) 荼せんの為(ため)に拠(きよ)し
吹噓対鼎䥶  吹噓(すいきよ) 鼎䥶(ていれき)対(たい)す

 しばしば法事には我慢できなくなり、
 靴をひきずって気儘にどこかへ行ってしまう
 ただしお茶をたてる時はじっとかしこまって
 息をふうふう吹いて茶釜に向かう


脂膩漫白袖  脂膩(しじ) 白袖(はくしゆう)に漫(まん)たり
煙薫染阿錫  煙薫(えんくん) 阿錫(あせき)を染(そ)む
衣被皆重地  衣被(いひ) 皆(みな) 重地(ちようち)
難与次水碧  与(とも)に水碧(すいへき)を次(なら)べ難(がた)し

 油のしみが白い袖に広がり、
 煤が上等な絹の服について取れない
 彼女たちの着物はみんな、縁取りがついている
 水晶玉も一緒に飾りたいなあと言うけれど、それはちょっと難しいぞ


任其孺子意  其(そ)の孺子(じゆし)の意(い)を任(ほしいまま)にするも
羞受長者責  長者(ちようじや)の責(せき)を受(う)くるを羞(は)づ
瞥聞当与杖  当(まさ)に杖(つえ)を与(あた)へらるべしと
        瞥聞(べつぶん)すれば
掩涙俱向壁  涙(なみだ)を掩(おほ)うて
        俱(とも)に壁(かべ)に向(むか)ふ

 二人はそういう子どもらしい心を縦横に発揮する
 目上の人に叱られるのは恥ずかしい
 “お尻ぱちんだぞ”と耳にすると、
 涙を浮かべ、揃って壁の方を向いてしゅんとしてしまう

 ・・・

最後は、二人して遊び回るようすを描いています。

江原正士さんの問いかけ――《いやあ、可愛いですねえ。
  左思さんは娘たちを愛していたんでしょうねえ。》

宇野さんの答え――《愛情の賜物といった感じがします。
  決して神童ではないですね。少し後に、陶淵明が
  “我が子らはみんな出来が悪い”といった詩(「子を責(せ)む」)
  を作っていて、それも愛情の裏返しに思えます。》

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

本誌では、「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(23)西晋時代の文学者」と題して、今回も全文転載紹介です。

西晋時代の文学者・政治家から、張華「情詩五首」其の二――男性から女性へ愛情を述べる詩と、左思「嬌女の詩一首」――子供の本来の姿を示す詩、という二つの気になった人とその詩を紹介しています。

張華「情詩五首」其の二は、夫から妻への詩です。
左思の「嬌女の詩一首」は、子供本来の可愛い姿を描く内容でした。
どちらも、いつの時代の人であっても変わらぬ思いであり、その姿かもしれません。

 ・・・

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私の読書論170-丸谷才一『文学のレッスン』から(2)-楽しい読書342号

2023-05-16 | 本・読書
古典から始める レフティやすおの楽しい読書【別冊 編集後記】

2023(令和5)年5月15日号(No.342)
「私の読書論170-丸谷才一『文学のレッスン』から(2)」



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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2023(令和5)年5月15日号(No.342)
「私の読書論170-丸谷才一『文学のレッスン』から(2)」
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 今回は前々回(3月15日号(No.338) 私の読書論168)の続きで、
 小説、評論、エッセイ、翻訳と幅広い文筆活動で知られる
 丸谷才一さんのインタヴューものの文学論
 『文学のレッスン』聞き手・湯川豊(新潮文庫)から、
 気になる部分をピックアップして紹介するもの、その二回目です。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 - エッセイとは… -

  ~ 日本の随筆とは好きなものについて書くものなり ~

  丸谷才一『文学のレッスン』聞き手・湯川豊(新潮文庫)から(2)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ●『文学のレッスン』――八つの文学ジャンルの文学論

『文学のレッスン』の目次は、以下の通り。

【短篇小説】もしも雑誌がなかったら
【長篇小説】どこからきてどこへゆくのか
【伝記・自伝】伝記はなぜイギリスで繁栄したのか
【歴史】物語を読むように歴史を読む
【批評】学問とエッセイの重なるところ
【エッセイ】定義に挑戦するもの
【戯曲】芝居には色気が大事
【詩】詩は酒の肴になる


この8ジャンルから、
小説に関してはいずれまた何かの機会に扱うとして、
それ以外のジャンルから、
私がこれはと思う、気になる部分を紹介しましょう。


『文学のレッスン』丸谷才一 聞き手・湯川豊 新潮文庫 2013/9/28


(以下の《》内の引用は、基本的にみな丸谷さんの発言です。)

 ・・・

前回は、【伝記・自伝】【歴史】【批評】の3つの章の中から
気になる部分を紹介しました。

今回は、後半の【エッセイ】【戯曲】【詩】から、です。


 ●【エッセイ】定義に挑戦するもの

エッセイは定義ができない、といいます。

エッセイとは、16世紀のフランス人の思想家・モラリスト、
モンテーニュによって始まった、とされています。

もちろんそれ以前にも、このような随筆というかエッセイというか、
そういう種類の文章があったのですが、
現在あるようなこれという定義ができない、
自由な、色々なタイプの文章は、
フランスのモラリスト、モンテーニュが始めたとされています。

モンテーニュは、新興貴族の出で、何かを書いて食う必要がなかった、
という背景があるといいます。

モンテーニュは、私の好きな著述家といいますか、
その著書『エセー』(『随想録』)が好きなんですね。

邦訳は完訳が全6巻(宮下志朗さんの新訳版では全7巻)と大部ですが、
私の読んだものは選集で、
<中公クラシックス>の分厚い新書サイズの全3巻の本でした。
基本的に短文集ですので、気になる部分を読んでいけばいい、
という感じです。

丸谷さんは、エッセイという形式に必要なのは、
《高級な知性》と《遊び心》
すなわち《知的な探究意識と気楽な態度》だといいます。

そういうものを持ち合わせていた人の一人が、
モンテーニュだったかもしれません。


*参照:
『エセー』6冊セット モンテーニュ著 原 二郎訳 岩波文庫 2015/7/10

『エセー〈1〉』宮下志朗訳 白水社 2005/11/1

『エセー〈1〉人間とはなにか』荒木 昭太郎訳 中公クラシックス 2002/9/10


 ●日本の随筆は好きなものについて書くもの

 《日本の随筆というのは、好きなものについて書くものなんですね。
  『枕草子』は、好きなものを書いているじゃないですか。
  ものづくしというのは、要するに好きなものづくしでもある。
  「春はあけぼの」というのは、春はあけぼのが好きだ
  という話でしょ。それからずっと下がって、『方丈記』。
  これは現実生活でお勤めをするのは嫌だ、隠者暮らしが好きだ
  という話でしょう。それから『徒然草』、
  これは友達でいいのは物をくれる友達だ、
  みたいなそういう話でしょう。
  日本人は、好きなものを書いた文章を読むのが好きなんですよ。》
   p.221

 《ゴシップとか雑学とか、それもあるけれども、
  いちばん基本的にあるのは好きなものを書くということだ、と。》
   同

なるほどという感じですね。

私がこのメルマガを書いているのも、
同じく好きなものについて書いているわけですよね。

丸谷さん曰く、

 《まあ、エッセイというのは内容があるような、ないような、
  虚実皮膜の間に遊ぶ、そういう境地が理想なんでしょうね。
  むずかしい芸事です。》p.246


 ●【戯曲】芝居には色気が大事

丸谷さんが「バロック演劇の精神」について、

 《(1)世界は劇場であり、人間はみな役者で、
  それぞれの役を演じている。(2)人生は夢である。
  この二つがテーゼであり、
  二つのテーゼは表裏一体のようになっているわけです。
  大変に虚無的な思想と、大変に華やかな心意気の両方を兼ね備えた
  人生観であり、世界観です。》p.261

これだけ抜き取りますと、意味がよくわからないと思いますが。
まあ、よく人生は舞台劇のようなものとはよくいわれます。

実感として、そういうものではないか、という気がしますね。

 ・・・

ジョージ・スタイナーの『悲劇の死』の
ギリシア悲劇のエウリピデス「バッカスの信女」を例に挙げた説明――

 《これは人生に対する恐ろしく寒々とした洞察である。
  しかし人間の苦しみが度外れのものであるという。
  まさにそのことに人間の尊厳を主張できる根拠がある。
  そういうことを表現しているのが悲劇だというんです。
  悲劇においては、結末で悲しみと喜びが溶けあう、
  苦悩と歓喜が合体して見るものを高揚させる。
  これは他のどんな形式、たとえば小説とか詩にはない、
  不思議な効果である、というのは、非常に納得がいく説明ですね。》
   pp.273-274

ギリシア悲劇の三大悲劇詩人の現存する作品は、断片は別にして、
まとまって読めるものは、ちくま文庫版で読んでいます。
どれもおもしろいですが、
ソポクレスの「オイディプス王」は名作ですし、
エウリピデスの「メデイア」などは現代でも演じられますし、
なかなかおもしろいものです。
ぜひ読んでみることをオススメします。

*参照:
『ギリシア悲劇』アイスキュロス・ソポクレス・エウリピデス
全4巻セット ちくま文庫 2009/3/25


 ●【詩】詩は酒の肴になる

「詩こそ文芸の中心」だというお話から始まります。

詩が中心にあった時代というのが、日本でも欧米諸国でもあった、と。

本来詩というものは、一定の韻律があるのが正式のものだといいます。
これが非常に大事な点だ、と。

欧米のものでも翻訳してしまうと、それが消えてしまう――
翻訳で表現するのはむずかしい――ので、つい見逃されてしまう。

中国の漢詩でもそうだ、といいます。
このメルマガの月末の「漢詩を読んでみよう」のコーナーでも、
詩の内容は紹介していますが、韻律についてはお伝えしていません。

これを説明することも形式として重要な事項なのですが、
外国語ですからやはり説明がむずかしい点があります。
漢字の説明はできますが。

 ・・・

西洋の古典劇も大部分は詩だった。ギリシア悲劇もそうですし。

詩には、言葉のレトリックと韻律という音楽的な楽しさの両方がある。

 《レトリックと音楽の同時的併存、相乗的効果、
  それが詩という快楽をもたらす。》p.297

小説でも、台詞や地の文にもあるのが普通だし、なければいけない。

これはよく理解できます。
読みやすい文章というものは、リズムがあるものですし、
それが読みやすさにつながっているものですよね。

 ・・・

 《日本近代詩というのは、これは日本近代文学全体がそうだ
  といってもいいんですが、とかく虚無感とか苦悩とか寂寥とか
  孤独とか、そういうマイナスの色調で塗られている。
  そうすると、詩になる。文学になるというところがあるでしょう。
  そうではなく、プラスの色調で塗ると、
  おめでたくてばかばかしいみたいな、
  非文学的みたいな感じになる。》p.307

これもよくわかりますね。
何か日本の文学というのは、変に暗いところがあります。
といいますか、暗い方が文学的というようなイメージがありますよね。

それだけが文学ではないはずなんですが……。


 ●相田みつをの詩と書

 《今の日本でいちばん人気のある詩人は、相田みつを。》p.314

 《相田みつをの読者はいても詩の読者はいない
  という事情の反映でしょう。》

という記述があります。

私の本屋さん時代(1980年代)にベストセラーとなった本の一つが、
相田みつをさんの最初の書と詩の著書『にんげんだもの』でした。
人間味のある文字と情感溢れる言葉が、心に優しい本です。

私も読者の一人です。
本は↓の一冊しか持っていませんが。

*『相田みつを ザ・ベスト にんげんだもの 道』 角川文庫 2011/8/25
――ベストセラー『にんげんだもの』シリーズから文庫オリジナル編集版

『にんげんだもの』相田みつを 文化出版局 1984/4/6
――ベストセラーとなった最初の著書


詩人というよりも、本来書家で、プラスアルファとしての詩で。
書があっての詩でもあるわけで、一般的な詩人ではないでしょう。

で、詩の読者がいないという話から、
実は短詩形の俳句や短歌は日本人の生活に結びついていて、
それ以外の詩は社会から遊離している、と。

俳句に関しては、今テレビでも『プレバト!!』で
https://www.mbs.jp/p-battle/

夏井いつきさんが芸能人の俳句を査定するコーナーが人気です。

お正月の歌留多取りをする家もあるでしょう。
短歌の歌集は読まなくても、百人一首は知っているという人もいます。

日本人には、短詩形の文学が向いているのでしょうか。
まあ、生活に結びついていてとっつきやすさがあります。
作りやすさでいいますと、
文字数だけ合わせればいい、という形式的な簡易さもありますね。

 ・・・

というところで、今回は終了です。

バラバラな紹介になりましたが、また機会があれば、
小説の部を取り上げてみたいものです。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

本誌では、「私の読書論170-丸谷才一『文学のレッスン』から(2)」と題して、今回は全文転載紹介です。

前回は、見出しのみの紹介でした。
今回は全文紹介です。
特にどうという理由はありません。
省略するのが面倒という部分もありますか。

 ・・・

*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『(古典から始める)レフティやすおの楽しい読書』

『レフティやすおのお茶でっせ』
〈メルマガ「楽しい読書」〉カテゴリ

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『レフティやすおのお茶でっせ』より転載
私の読書論170-丸谷才一『文学のレッスン』から(2)-楽しい読書342号
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中国の古典編―漢詩を読んでみよう(22)建安の七子、竹林の七賢-楽しい読書341号

2023-05-03 | 本・読書
古典から始める レフティやすおの楽しい読書【別冊 編集後記】

2023(令和5)年4月30日号(No.341)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(22) 建安の七子、竹林の七賢」



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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2023(令和5)年4月30日号(No.341)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(22) 建安の七子、竹林の七賢」
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 「中国の古典編―漢詩を読んでみよう」22回目です。

 今回も引き続き、魏の「建安の七子」の詩から王粲「七哀の詩」、
 「竹林の七賢」の詩から阮籍「詠懐詩」を取り上げます。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

◆ 天才少年の詩/竹林の七賢 ◆

 中国の古典編―漢詩を読んでみよう(22)

  ~ 建安の七子から、王粲「七哀の詩」 ~

  ~ 竹林の七賢から、阮籍「詠懐詩」 ~

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

今回の参考文献――

『漢詩を読む 1 『詩経』、屈原から陶淵明へ』
 江原正士、宇野直人/著 平凡社 2010/4/20
「六、抵抗と逃避のあいだに――三国時代から魏へ」より


 ●建安の七子・王粲「七哀の詩」――天才少年の詩

「建安の七子」については、前回までにもお話ししてきました。

後漢最後の年号・建安(196-220)の時代に、
魏で開花した新しい文学は建安文学と呼ばれ、「建安の七子」とは、
曹操が主宰したこの魏の文壇サロンに集まった優秀な文人たち――
孔融(こうゆう)・徐幹(じょかん)・応瑒(おうとう)・陳琳(ちんりん)・
劉楨(りゅうてい)・阮瑀(げんう)・王粲(おうさん)の七人の総称です。

まずは王粲(177-217)。
王粲は、劉楨と並んで曹操親子を助けた双璧とのこと。
この『漢詩を読む 1』では、江原正士さんが
水戸黄門の助さん格さんのように例えています。

名門出身の天才肌で、若くして亡くなったとき、
追悼文を曹植が書いている褒めているそうです。

長安にいた十代の頃のエピソードとして、
当時の文壇のボス・蔡邕(さいよう)を訪問したときの話があります。
蔡邕が体格の貧弱な小男を迎えに出たのを客たちが驚くと、
私も叶わぬ天才少年だと紹介した、といいます。


今回紹介します「七哀の詩」は、
曹操に仕える前、17歳の時の詩です。
魏の覇権が確立する前、戦乱の世の民衆の悲惨な状況を
《ドキュメンタリータッチ》で詠っています。

江原正士さんは、後世の杜甫の詩風に似ている、と。
対して宇野直人さんは、
建安の七子の作品はたくさん『文選(もんぜん)』に収録されていて、
杜甫はこれを熟読していたので、《栄養分を吸収したでしょう》と。

 ・・・

七哀詩(しちあいし)三首  七哀の詩三首  王粲(おうさん)

 其一            其の一

西京乱無象  西京(せいけい) 乱(みだ)れて象(しよう)無(な)く
豺虎方遘患  豺虎(さいこ) 方(まさ)に患(わざはひ)を遘(かま)ふ
復棄中国去  復(ま)た中国(ちゆうごく)を棄(す)てて去(さ)り
委身適荊蛮  身(み)を委(い)して荊蛮(けいばん)に適(ゆ)く

親戚対我悲  親戚(しんせき) 我(われ)に対(たい)して悲(かな)しみ
朋友相追攀  朋友(ほうゆう) 相(あひ)追攀(ついはん)す
出門無所見  門(もん)を出(い)づれども見(み)る所(ところ)無(な)く
白骨蔽平原  白骨(はつこつ) 平原(へいげん)を蔽(おほ)ふ

路有飢婦人  路(みち)に飢(う)ゑたる婦人(ふじん)有(あ)り
抱子棄草間 子(こ)を抱(いだ)いて草間(そうかん)に棄(す)つ
顧聞号泣声 顧(かへり)みて号泣(ごうきゆう)の声(こえ)を聞(き)き
揮涕独不還  涕(なみだ)を揮(ふる)つて独(ひと)り還(かへ)らず

未知身死処  未(いま)だ身(み)の死(し)する処(ところ)を知(し)らず
何能両相完  何(なん)ぞ能(よ)く
        両(ふた)つながら相(あい)完(まつた)うせん
駆馬棄之去  馬(うま)を駆(か)つて 之(これ)を棄(す)てて去(さ)り
不忍聴此言  此(こ)の言(げん)を聴(き)くに忍(しの)びず

南登霸陵岸  南(みなみ)のかた霸陵(はりよう)の岸(きし)に登(のぼ)り
回首望長安  首(かうべ)を回(めぐ)らして
        長安(ちようあん)を望(のぞ)む
悟彼下泉人  悟(さと)る 彼(か)の下泉(かせん)の人(ひと)の
喟然傷心肝  喟然(きぜん)として心肝(しんかん)を傷(いた)ましむるを


「第一段」――自分はこれから都落ちすると述べる。

 長安はすっかり乱れ、礼儀も秩序もなくなった
 山犬や虎のような凶悪な連中が今まさに災いを行っている
 私は国の中心を見捨てて去り、身を守ってもらうべく南の方、
 荊州地方に赴くことにした

「第二段」――長安を発つ別れの場面と郊外の悲惨な状況。

 親戚たちは私の前で別れを悲しみ、
 友人たちは追いすがるようにしてくれた
 町の門を出て行くと見えるものは何も無く、
 ただ白骨が野原を一面に蔽っているばかりだ

「第三段」――道中で母と子を見かける痛ましい場面。

 途中、飢えた女性が、
 抱っこしていた赤ん坊を草むらに置き去りにした
 彼女は振り返って赤ん坊のあき越えを聞いていたが、
 涙をほとばしらせたまま、もはや戻ろうとはしなかった

「第四段」――次の二句は母の台詞。

 私自身、自分の死に場所がわかりません
 ましてこの子と二人、両方とも生き永らえることは無理でしょう

 (それを聞いて、)私は馬を走らせてそこを逃れた
 彼女の言葉をそれ以上聞いていられなかったのだ

「第五段」――よき前漢時代を思い出し、
       これからの平和への願望をにじませて終わります。

 私はやがて覇陵に向かい、文帝の墓のほとりの高台に登った
 そして振り返って都長安を眺めた
 今こそよくわかった、むかし、「下泉(かせん)」の歌を歌って
 古(いにしえ)の明君を慕っていた人びとの心境が


「下泉」は『詩経』におさめられた歌謡の一つで、
悪政のもとで民衆が昔の明君を思った心を詠んだもの。

また「黄泉の国、あの世」の意味もあり、
世を去った文帝や前漢の全盛時代を担った人たちが
この乱世を悲しんでいるだろうという意味にも取れる、といいます。

王粲は、曹操に認められてからは、若くして重臣の扱いとなり、
その後、このような実録風の詩は作れなかったのかも、といいます。


 ●竹林の七賢・阮籍「詠懐詩」

魏は曹操のあと、曹丕と曹植の勢力争いや、
曹丕のあとを継いだ息子・曹叡(そうえい)が優秀な君主でなく、
軍事面を将軍の司馬氏に一任、その司馬氏がだんだん権力欲を強め、
軍事クーデターを起こすと、反発する知識人たちが出てきました。

この司馬氏が勢力を強めた魏の後半から晋に移り変わるころ、
世の中の表面から隠れて政府の批判を続ける地方の知識人たちが
一定の力を持つようになります。
このような人たちを「逸民(いつみん)」と呼ぶそうで、
その流れは後漢の末期から続いていると言われ、
そこから出てきたのが、「竹林の七賢」(竹林にこもった七人の賢人)
と呼ばれる人たちでした。

阮籍(げんせき)・嵆康(けいこう)・山濤(さんとう)・向秀(こうしゆう)・
劉伶(りゆうれい)・王戎(おうじゆう)・阮咸(げんかん)です。

司馬氏が自分の立場を正当化するために、
儒教を悪用して《支配―従属化の論理》にしてしまったことに反発し、
世間の常識に背を向けて山に籠もり詩を作り、
儒教の対極にある老荘思想に傾倒したり、体制の外で生きる彼らは、
一層の名声を得ました。

阮籍は「竹林の七賢」の代表格で、
七賢の中には権力の怒りにふれて殺された人もいるのですが、
狂人を装って難を逃れ、生き延びました。

本書『漢詩を読む 1』では、
阮籍(げんせき 210-260)という人が選んだ生き方を表す言葉として、
《凍(い)てつける孤独》という見出しをつけています。

 ・・・

詠懐詩(えいかいし)八十二首  阮籍(げんせき)

 其一     其の一

夜中不能寐  夜中(やちゅう) 寐(い)ぬる能(あた)はず
起坐弾鳴琴  起坐(きざ)して鳴琴(めいきん)を弾(だん)ず
薄帷鑑明月  薄帷(はくい)に明月(めいげつ)鑑(て)り
清風吹我襟  清風(せいふう) 我(わ)が襟(えり)を吹(ふ)く

孤鴻号外野  孤鴻(ここう) 外野(がいや)に号(さけ)び
翔鳥鳴北林  翔鳥(しようちよう) 北林(ほくりん)に鳴(な)く
徘徊将何見  徘徊(はいかい)して将(は)た何(なに)をか見(み)る
憂思独傷心  憂思(ゆうし)して独(ひと)り心(こころ)を傷(いた)ましむ


(前半)

 夜中になっても寝つくことができず、起き出して座り、
 琴をつまびいて気晴らしをしようとした
 窓辺の薄いとばりに明るい月が照り、
 吹きこむ夜風が私の襟元をなでる

 群れからはぐれた一人ぼっちの鴻(おおとり)が遠い野原で泣き叫び、
 夜空を巡り舞う小鳥たちが北の方の森で泣いているのが聞こえる
 私はこうしてうろうろとさまよって、
 いったい何を見ようとしているのか
 かくして私は一人恐れ悩み、心を苦しめるばかりである


寂しい詩で、月の出た夜、悩みがあって眠れず外に出て行くという
「古詩十九首」や曹植にもあるパターンですが、
それらにある艶めかしさやロマンの雰囲気はなく、冷え切っています。
《夜の闇の中、何も希望がない》と訴えています。
「詠懐」とは、《自分の宗男奥底に秘めた気持ちを用心深く歌い出す》
という、阮籍が開拓した詩題です。
象徴や比喩、神話の世界を引用しながら、注意深く自分の思いを告白し、
狂気を装った奥に隠れた本音が見えてきます。

阮籍は、とんちんかんなエピソードが多い人物として知られ、
気に入った人は黒眼で応対し、嫌なヤツは白眼で応対したといわれ、

人の好き嫌いが激しいことを「青眼白眼」といったり、「白い眼で見る」
「白眼視する」という言い方もここから出ているといいます。

そのような奇行を計算してやっていたのだろうと言われています。

中国の知識人は常に政治の現場とつながりがあり、
生き延びるのも大変だった、と宇野さんの解説にあります。


 ●阮籍「詠懐詩」八十二首其十七

詠懐詩(えいかいし)八十二首  阮籍(げんせき)

 其十七    其の十七

独坐空堂上  独(ひと)り座(ざ)す 空堂(くうどう)の上(うえ)
誰可与歓者  誰(たれ)か 与(とも)に歓(よろこ)ぶ可(べ)き者(もの)ぞ
出門臨永路  門(もん)を出(い)でて永路(えいろ)に臨(のぞ)むに
不見行事馬  行(ゆ)く車馬(しやば)を見(み)ず

登高望九州  高(たか)きに登(のぼ)りて
        九州(きゆうしゆう)を望(のぞ)めば
悠悠分曠野  悠悠(ゆうゆう)として 曠野(こうや)分(わ)かる
孤鳥西北飛  孤鳥(こちよう) 西北(せいほく)に飛(と)び
離獣東南下  離獣(りじゆう) 東南(とうなん)に下(くだ)る

日暮思親友  日暮(にちぼ) 親友(しんゆう)を思(おも)ひ
晤言用自写  晤言(ごげん)して 用(もつ)て自(みづか)ら写(のぞ)かん


(第一段)
 たった一人で、誰もいない座敷に座っている
 一緒に親しく語り合うにふさわしい人は誰か、いやその相手はいない
 気晴らしに家の門を出て、遙かに続く路上にたたずんでみても、
 道を行く馬車や馬は見えない

(第二段)
 高い山に登って見渡す限り天下を眺めても
 はるばると遙かに大平原が続いてゆくだけだ
 たった一羽の鳥が西北を目指して飛び、
 群れを離れた獣が東南へと駆け下って行った

(結び)
 やがて暮れ方となり、懐かしい親友のことを思い出した
 なんとか彼と語り合って、
  自分からつらい気持ちを晴らしてしまいたいものだ


自身の孤独感を強調した詩。

最初の四句で、《私には友だちがいない》と歌い出し、
門を出ても人はいないというのは、実際に町に出れば人はいるので、
《心象風景でしょう》といいます。
《心を許せる人がどこにもいない、その孤独感を示す》。
第二段では、九州とは中国を指すことばで、
中国のどこにも友達はいない、自分は一人ぼっちだ、という喪失感。
鳥や獣も関わりを持つことなく、主人公の孤独感を強調します。

 《心のなかに風が吹く、なんともいえない詩です。
  屈原の時代から、中国の知識人の悩み、絶望の系譜は
  ずっと受け継がれているんですね。》p.246


 ●私の読後感想を少し……

建安の七子の代表、王粲「七哀の詩」の
戦乱の世の民衆の悲惨さを描く詩を読んでいますと、
昔職場の上司からお聞きした、
戦中の大阪大空襲の翌日の風景のお話を思い出します。
学徒動員で工場勤務していたそうで、路上に死傷者が……。

ロシアのウクライナ侵攻に関しても、同様に、
悲惨な状況が展開されているようです。
戦争というものは、上に立つ権力者の都合で、
結局苦しむのは一般庶民ということなんでしょうか。

竹林の七賢・阮籍「詠懐詩」の孤独感についても、
まあ、なんともいえないものがあります。
私も結構孤独に生きてきた日があり、
私の場合は自分の勝手な思い込みでもあったのですが、
ある種のつらさがあります。

今回のコロナ禍にあっても、
そういう孤独地獄に堕ちている人も少なくなかったのではないでしょうか。
まわりを見渡せば、
何かしら逃げる余地があるかもしれないのですけれど、
それが見えなくなってしまう瞬間というものがあります。

人は、やはり人にしか助けられない、人にしか助けてもらえない、
そういうものなのではないでしょうか。


*参考文献:
『阮籍の「詠懐詩」について』吉川 幸次郎 岩波文庫 1981/4/16

―《竹林の七賢の巨頭・阮籍は陰謀と詐術うずまく魏晋時代(三世紀)に
 生き,「詠懐詩」八十二首を残した.著者は,これを中国詩のうち最も
 調子の高いものだと評し,またその人物を敬愛してやまぬ.表題作は
 「詠懐詩」に斬新大胆な読みを加え,中国詩史上,五言詩が阮籍におい
 て真に一つの文学形式となったことを論証する》



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本誌では、「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(22) 建安の七子、竹林の七賢」と題して、今回も全文転載紹介です。

今回は、建安の七子から、王粲「七哀の詩」、竹林の七賢から、阮籍「詠懐詩」を、一部紹介しました。

戦乱の時代を生き抜いた人たちの詩です。

現代においてもどこかしらあちこちで戦乱が続いています。
なんとかならないものか、と。
政治の問題というのか、権力争いなのか、なんとも頭の痛い問題です。

 ・・・

*本誌のお申し込み等は、下↓から
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『レフティやすおのお茶でっせ』より転載
中国の古典編―漢詩を読んでみよう(22)建安の七子、竹林の七賢-楽しい読書341号--
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中国の古典編―漢詩を読んでみよう(21) ―曹丕(そうひ) -楽しい読書339号

2023-04-01 | 本・読書
古典から始める レフティやすおの楽しい読書【別冊 編集後記】

2023(令和5)年3月31日号(No.339)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(21) ―曹丕(そうひ)」



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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2023(令和5)年3月31日号(No.339)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(21) ―曹丕(そうひ)」
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 「中国の古典編―漢詩を読んでみよう」21回目です。

 今回も引き続き、
 曹操の息子で、父・曹操、四男・曹植(そうしょく)と共に
 「三曹」と呼ばれる、次男・曹丕(そうひ)の詩から、
 「寡婦」を取り上げます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

◆ 建安時代の文壇のリーダー ◆

 中国の古典編―漢詩を読んでみよう(21)

   三曹(さんそう)から曹操の息子

  ~ 次男・曹丕(そうひ)「寡婦」 ~

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

今回の参考文献――

『漢詩を読む 1 『詩経』、屈原から陶淵明へ』
 江原正士、宇野直人/著 平凡社 2010/4/20
「六、抵抗と逃避のあいだに――三国時代から魏へ」より


(画像:『漢詩を読む 1 『詩経』、屈原から陶淵明へ』江原正士、宇野直人/著 平凡社 2010/4/20 と『曹操・曹丕・曹植詩文選』川合 康三/編訳 岩波文庫 2022/2/17)

 ●曹丕(そうひ)「寡婦」

曹丕(そうひ 187~226年)は、父・曹操を受け継ぎ、
後漢の献帝から禅譲され、魏王朝を建国、初代・文帝となる。

父同様、文武両道の人。建安七子(けんあんしちし)の庇護者。
建安時代の文壇のリーダーとして実験的な試みをした。
四言、五言、六言、『楚辞』ふうと様々な形式で詩作し、
評論家として文学評論の先駆『典論』を書いた、といいます。


(画像:「魏文帝曹丕像」(伝閻立本「帝王図巻」部分 ボストン美術館蔵))

 ・・・

 寡婦    曹丕

序文
「私の友人の阮元揄(げんげんゆ)が早く亡くなり、
 その奥さんが一人で暮らしているのを悲しんで、彼女のために作った」


霜露紛兮交下 霜露(そうろ) 紛(ふん)として交〃(こもごも)下(くだ)り
木葉落兮淒淒 木葉(ぼくよう) 落(お)ちて淒淒(せいせい)たり
候雁叫兮雲中 候雁(こうがん) 雲中(うんちゆう)に叫(さけ)び
帰燕翩兮徘徊 帰燕(きえん) 翩(へん)として徘徊(はいかい)す

 霜と露が入り混じり、共に地上に降り注ぎます
 木の葉も散り落ち、寒さが身にしみます
 渡り鳥の雁は雲の中に鳴き叫び、
 南に変える燕はひらひらと飛び回っています


妾心感兮惆悵 妾(しよう)が心(こころ)
        感(かん)じて惆悵(ちゆうちよう)し
白日忽兮西頽 白日(はくじつ) 忽(こつ)として西(にし)に頽(くづ)る
守長夜兮思君 長夜(ちようや)を守(まも)つて君(きみ)を思(おも)ひ
魂一夕兮九乖 魂(こん)は一夕(いつせき)に九(ここの)たび乖(そむ)く

 私の心は秋の寂しさに打たれてしょんぼりしてしまい、
 いつの間にか太陽は西に沈んでゆきました
 この長い夜、眠れず過ごしてあなたを想い、
 私の魂は一夜のうちに九回もわが身を離れ、
  あなたのところへ行こうとしています


悵延佇兮仰視 悵(ちよう)として
        延佇(えんちよ)して仰(あふ)ぎ視(み)るに
星月随兮天廻 星月(せいげつ) 随(したが)つて天(てん)に廻(めぐ)る
徒引領兮入房 徒(いたづ)らに領(うなじ)を引(ひ)いて
        房(ぼう)に入(い)り
窃自憐兮孤栖 窃(ひそ)かに自(みづか)ら孤栖(こせい)を憐(あはれ)む

 がっかりした気持ちのまま、じっとたたずんで夜空を眺めると、
 星と月がいっしょに大空をめぐり動いています
 そこで私はむなしく首を伸ばすようにあなたを想い、
 部屋に戻り、なおも人知れず自らの一人暮らしを悲しむのです


願従君兮終没 願(ねが)はくは君(きみ)に従(したが)つて
        終(つひ)に没(ぼつ)せん
愁何可兮久懐 愁(うれ)ひは何(なん)ぞ
        久(ひさ)しく懐(いだ)く可(べ)けん

 どうかあなたの側へ行って人生を終えたい
 このような愁い、悲しみは、
 どうしていつまでも抱き続けることができるでしょう


《友人の奥さんの境遇、心境を思いやって作った心やさしい作品》と、
宇野さんの解説。

四句ずつに分かれます。

第一段は、秋の季節感の描写から――
霜、露、木の葉、雁、燕などを並べるのは、
宋玉が秋の悲しみを歌った「九弁」を思い出す。

第二段は、秋の夜の夫をしのぶ心境を告白。
第三段は、一人となった自分の悲しみを強調。
最後の二句は、願望で結び、“私には耐えられません”と終えます。


 ●曹植と曹丕

曹丕には曹植の恋人にまつわる逸話があるといいます。
かつて曹植が宮廷に出入りするある人の娘さんを好きになりますが、
父の曹操は、どんな事情か、その娘さんを兄の曹丕の嫁に――。
曹丕は即位して文帝となり、その娘さんは皇后となります。
が、都に来た曹植に、曹丕は彼女の形見の枕を見せます。
他の宮女の告げ口で殺されていたのです。
こういうふうに、二人のあいだには継承争いをめぐって確執があった
とされています。

しかし、この骨肉の争いとされるものも、二人の対立というよりも、
自らの野望を達成しようとする側近たちがあおり立てたものだった。
曹丕が先に亡くなったとき、曹植が真情に溢れた追悼文を書いている。
ずっと兄を敬愛していた節がある、と宇野さんはいいます。

《曹丕を悪者に、曹植を犠牲者にするのは伝承の世界でのこと
 と思えてなりません。》p.225


 ●建安七子と曹丕

この<漢詩を読んでみよう>を始めてもう何年かになります。
その間の2022年に、
岩波文庫から『曹操・曹丕・曹植詩文選』という本が出ています。
(この本のなかでは「建安の七子」と表記。)

今回はそこから少し書いておきます。

 ・・・

建安とは、後漢最後の年号(196-220)で、
建安年間には魏の曹操が実験を握っており、群雄との戦いが続く時代。
一方で、魏で開花した新しい文学は建安文学と呼ばれ、
曹植が世を去った魏・明帝(曹丕の子)の太和(たいわ)6年(232)
あたりまでの約30年間ほどを指します。

建安七子と呼ばれる文人たちが曹操のもとに集まったのは、
曹操自身が文人であったからといわれています。
七子は、孔融(こうゆう)・徐幹(じょかん)・応瑒(おうとう)・
陳琳(ちんりん)・劉楨(りゅうてい)・阮瑀(げんう)・王粲(おうさん)
の七人を総称しています。

曹丕の散文、ともに遊んだ呉質への書翰、
「朝歌令呉質に与うる書」「呉質に与うる書」は

 《失った仲間たちを懐かしむ思い、人との交わりを慈しむ気持ち、
  そんな曹丕の真情があふれ、今でも直截に我々の心を捉える。》
   「解説」p.577


建安の文学は、それぞれの個性が顕在化する契機となり、
個人の言葉である詩が生まれようとしていた、といいます。

それまでは詩というよりは歌謡であり、「楽府(がふ)」と呼ばれ、
人びとの政治の意見を聞くという意味で、
巷間で歌われていた歌の歌詞を採取する職掌があり、
そうして記録された歌を「楽府」と呼び、
詩の一ジャンルとして定着しました。
それらは、人びとの間で共有される思いを歌うもので、
特定の個人が表出する詩とは異質のもので、
作者の名はありませんでした。
集団の中から生まれた楽府と、
個人が表出する建安の個別の文人の手になる詩とを繋ぐものとして、
以前紹介しました後漢後期の「古詩十九首」がありました。

「楽府」→「古詩十九首」→(個人的な言語表現の)建安の五言詩

 《集団的歌謡から個別的作者の詩へと変化する文学の転折点、
  そこに建安文学は位置するのである。》「解説」p.568


曹丕の詩は、個性という点では曹操や曹植に比べると目立たない
といわれていますが、楽府・五言詩・七言詩と形式が多様で、
建安七子の遺稿を編んで文集を作ったとされています。

また、曹丕は『典論』という中国最初とされる文学論も書いています。


 ●曹丕の散文から「少壮にして…努力すべし」

「呉質に与うる書」より、気になった部分を紹介しましょう。

 《少壮(しょうそう)にして真(まこと)に当(まさ)に努力(どりょく)
  すべし。
  年(とし)一(ひと)たび過(す)ぎ往(ゆ)けば、何(なん)ぞ
  攀援(はんえん)す可(べ)けん。
  古人(こじん) 燭(しょく)を
  炳(と)りて夜(よる)も遊(あそ)ばんことを思(おも)うは、
  良(まこと)以(ゆえ)有(あ)るなり。》pp.216-217

 《若い時にはほんとうに努力すべきです。
  時は一度過ぎてしまえば、引き寄せることはできません。
  古人が灯燭(とうしょく)を手にして夜も遊ぼうと言ったのは、
  まことに言われのあることです。》p.219

人生は取り戻せない、一度過ぎ去った時を戻すことはできません。
だからこそ、今を大切に生きていきましょう、
と故人となった仲間たちを悼み、改めて人生を思う言葉でしょうか。

私も年寄になって、同じように感じます。
若いうちにもっと色々勉強したり、経験しておけばよかった、と。
それなりに努力はしてきたつもりですが、
つもりでは無く、本当に、懸命になって取り組むべきでした。
何もやらずに後悔するのではなく、
仮に失敗してもやっておくべきだった、と悔やんでいます。


*参考文献:
『曹操・曹丕・曹植詩文選』川合 康三/編訳 岩波文庫 2022/2/17


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 ★創刊300号への道のり は、お休みします。
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本誌では、「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(21) ―曹丕(そうひ)」と題して、今回も全文転載紹介です。

三曹と呼ばれる曹操、曹植に続いて曹丕を扱っています。
曹丕は、曹植の兄ですので、順番としては曹植の方をあとに扱うべきかもしれません。
しかし、この順番は単に私の参照している文献の取り上げ順に従っています。

曹丕は、曹操や曹植に比べてその詩の評価は低いように言われています。
この順は、そういうことが理由になっているのかもしれませんね。

 ・・・

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中国の古典編―漢詩を読んでみよう(21) ―曹丕(そうひ) -楽しい読書339号
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私の読書論168-丸谷才一『文学のレッスン』から(1)-楽しい読書338号

2023-03-16 | 本・読書
古典から始める レフティやすおの楽しい読書【別冊 編集後記】

2023(令和5)年3月15日号(No.338)
「私の読書論168-丸谷才一『文学のレッスン』から(1)」



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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2023(令和5)年3月15日号(No.338)
「私の読書論168-丸谷才一『文学のレッスン』から(1)」
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 この「私の読書論」は、
 本好きで読書好きで若い頃には本屋で働いていたという経歴の私が
 本について、読書について、あれこれと思うところを書き綴る
 コーナーです。

 今までにいくつかの企画ものを連続的に書いてきました。
 中途で終わっているものもいくつかありますが、
 その都度、書きたいことを書く、という方針に変更し、
 現在に至っています。

 それぞれのシリーズものも、
 そのうちまた気が向いたら色々書いていこうと思います。

 今回は、小説、評論、エッセイ、翻訳と幅広い文筆活動で知られる
 丸谷才一さんのインタヴューものの文学論
 『文学のレッスン』聞き手・湯川豊(新潮文庫)から、
 気になる部分をピックアップして紹介します。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 - 物語を読むように歴史を、学問を… -

  ~ 【伝記・自伝】【歴史】【批評】 ~

  丸谷才一『文学のレッスン』聞き手・湯川豊(新潮文庫)から(1)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ●『文学のレッスン』――八つの文学ジャンルの文学論

『文学のレッスン』の目次は、以下の通り。

【短篇小説】もしも雑誌がなかったら
【長篇小説】どこからきてどこへゆくのか
【伝記・自伝】伝記はなぜイギリスで繁栄したのか
【歴史】物語を読むように歴史を読む
【批評】学問とエッセイの重なるところ
【エッセイ】定義に挑戦するもの
【戯曲】芝居には色気が大事
【詩】詩は酒の肴になる



この8ジャンルから、
小説に関してはいずれまた何かの機会に扱うとして、
それ以外のジャンルから、
私がこれはと思う、気になる部分を紹介しましょう。


『文学のレッスン』丸谷才一 聞き手・湯川豊 新潮文庫 2013/9/28


(以下の《》内の引用は、基本的にみな丸谷さんの発言です。)


 ●【伝記・自伝】伝記はなぜイギリスで繁栄したのか

短篇小説、長篇小説と来て、その流れを受けて、
伝記・自伝に関する文章という感じです。

...(略)...

 ●【歴史】物語を読むように歴史を読む

歴史が学問になったのは、十九世紀以後、それまでは読み物だった、
そういうものだった、といいます。
読み物としての歴史は文人が書いた、といいます。

...(略)...

 ●【批評】学問とエッセイの重なるところ

このレッスンでは、批評に続き、エッセイが語られるのですが、
この批評とエッセイの違いについて――

...(略)...

というところで、今回はここまで。
次回は、
【エッセイ】【戯曲】【詩】について、
気になった部分を紹介しましょう。

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 ★創刊300号への道のり は、お休みします。
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本誌では、「私の読書論168-丸谷才一『文学のレッスン』から(1)-楽しい読書338号」と題して、今回は冒頭の部分と見出しのみの紹介です。

特に理由はありません。

あまり読むところがない? まあ、そうもいえますか。
出し惜しみ? それもあります。

いつもいつも全文転載では、購読する意味がなくなってしまいかねません。
少なくとも、購読者の皆様をそういう気分にさせないために、時には出し惜しみするのも、大事かな、と思います。

もし弊誌にご興味を持たれましたら、ぜひ、以下から弊誌ご購読の登録をお願い致します。
(無料です! ご自分のメールアドレスの流出を恐れる方は、無料でメールアドレスをくれるところがありますので、そちらでメルマガ購読専用のメールアドレスを入手されることをオススメします。)

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私の読書論168-丸谷才一『文学のレッスン』から(1)-楽しい読書338号
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中国の古典編―漢詩を読んでみよう(20)漂白の魂―曹植(2)-楽しい読書337号

2023-03-02 | 本・読書
古典から始める レフティやすおの楽しい読書【別冊 編集後記】

2023(令和5)年2月28日号(No.337)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(20)漂白の魂―曹植(2)」



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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2023(令和5)年2月28日号(No.337)
「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(20)漂白の魂―曹植(2)」
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 昨年10月以来の「中国の古典編―漢詩を読んでみよう」で、
 20回目です。

 今回も引き続き、
 曹操の息子で、父・曹操、次男・曹丕(そうひ)と共に
 「三曹」と呼ばれる、四男・曹植(そうしょく)の詩から、
 「七歩の詩」、および「七哀の詩」を取り上げます。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

◆ 漂白の魂 ◆

 中国の古典編―漢詩を読んでみよう(20)

   三曹(さんそう)から曹操の息子

  ~ 四男・曹植(そうしょく)その2「七歩の詩」「七哀の詩」 ~

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

今回の参考文献――

『漢詩を読む 1 『詩経』、屈原から陶淵明へ』
 江原正士、宇野直人/著 平凡社 2010/4/20
「六、抵抗と逃避のあいだに――三国時代から魏へ」より


 ●曹植(そうしょく)「七歩の詩」

《南朝時代に編まれた有名人のエピソード集
 『世説新語(せせつしんご)』に載っている詩で、
 前後に説明がついています。》(p.214)


 七歩の詩(ななほのうた) 曹植

文帝嘗令東阿王七歩中作詩。不成者行大法。応声便為詩。曰、

 文帝(ぶんてい) 嘗(かつ)て東阿王(とうあおう)をして
 七歩(しちほ)の中(うち)に詩(し)を作(つく)ら令(し)む。
 成(な)らざる者(もの)は大法(たいほう)を行(おこな)はんとす。
 声(こえ)に応じて便(すなは)ち詩(し)を為(つく)る。曰(いは)く、

煮豆持作羹 漉豉以為汁 

 豆(まめ)を煮(に)て持(もつ)て羹(あつもの)と作(な)し
 鼓(し)を漉(こ)して以(もつ)て汁(しる)と為(な)す

萁在釜下然 豆在釜中泣

 萁(まめがら)は釜下(ふか)に在(あ)りて然(も)え
 豆(まめ)は釜中(ふちゆう)に在(あ)りて泣(な)く

本自同根生 相煎何太急

 本(もと) 同根(どうこん)より生(しょう)ずるに
 相(あひ)煎(に)ること何(なん)ぞ太(はなは)だ急(きゆう)なると

帝深有慚色。

 帝(てい)深(ふか)く慚(は)づる色(いろ)有(あ)り


 「文帝曹丕が以前、曹植に命令して、
  七歩あるくうちに詩を作らせた」
 「出来なければ大法を行うぞと言った」
 それを聞いた曹植は、
 「命令に応じてすぐ次の詩を作った」

「豆を煮て濃い汁物を作り、豆で作った調味料を滴らせて味を調える」
「豆がらは鍋の下で燃え続け、一方、豆は鍋の中で煮られて泣いている。
 豆がらはどうして豆をそんなに激しく煮立てるのでしょう」

 「その歌を聞いた文帝は、深く恥ずかしがる表情を見せた」


王である曹丕が豆柄で、曹植が豆に例えられていて、
このような詩をみせられて、このような態度を取るとは思えません。

『三国志』にも登場するエピソードだそうですが、
曹植の個人の文集には入っていないので、
どうやら偽作と考えられています。
ただ、唐の時代には曹植の作として伝えられていた、といいます。


(画像:『漢詩を読む 1 『詩経』、屈原から陶淵明へ』(平凡社)より、
挿絵「兄の曹丕に命じられて「七歩の詩」をつくる曹植(『三国志通俗演義』より)」)


 ●「七哀の詩」

七哀詩  七哀(しちあい)の詩(し)  曹植

明月照高楼  明月(めいげつ) 高楼(こうろう)を照(てら)し
流光正徘徊  流光(りゅうこう) 正(まさ)に徘徊(はいかい)す
上有愁思婦  上(かみ)に愁思(しゅうし)の婦(ふ)有(あ)り
悲歎有余哀  悲歎(ひたん) 余哀(よあい)有(あ)り

借問歎者誰  借問(しゃくもん)す 歎(たん)ずる者(もの)は誰(た)ぞと
言是宕子妻  言(い)ふ 是(こ)れ 宕子(とうし)の妻(つま)なりと
君行踰十年  君(きみ) 行(ゆ)きて十年(じゆうねん)を踰(こ)え
孤妾常独棲  孤妾(こしよう) 常(つね)に独(ひと)り棲(す)む

君若清路塵  君(きみ)は清路(せいろ)の塵(ちり)の若(ごと)く
妾若濁水泥  妾(しよう)は濁水(だくすい)の泥(どろ)の若(ごと)し
浮沈各異勢  浮沈(ふちん)
        各ゝ(おのおの)勢(いきほ)ひを異(こと)にす
会合何時諧  会合(かいごう) 何(いづ)れの時(とき)か諧(かな)はん

願為西南風  願(ねが)はくは西南(せいなん)の風(かぜ)と為(な)り
長逝入君懐  長逝(ちようせい)して
        君(きみ)が懐(ふところ)に入(い)らん
君懐良不開  君(きみ)が懐(ふところ)良(まこと)に開(ひら)かずんば
賤妾当何依  賤妾(せんしよう)
        当(まさ)に何(いづ)くにか依(よ)るべき


第一句では、高楼に指す月の明かりのなか、一人の人妻がいます。

 明るい月が高楼を照らし、降り注ぐ光はまるでゆらめくようだ
 高楼の上の部屋に悲しそうな人妻がいて、
 その歎きは、尽きることのない悲しみを伝えて来る

第二段では、問いかけに答えて人妻が自己紹介します。

 ちょっとお尋ねするが、そこで歎いているのはどなたでしょうか
 彼女は答えて、私はさすらい人の妻でございます
 あの人は出かけたきりもう十年以上たち、
 孤独な私はそれ以来ずっと一人暮らしなのです

第三段もこの人妻の告白、夫との境遇の隔たりを、
曹植得意のたとえを使って述べている、といいます。

 あの人はきれいな道路の上の塵のように、
  ふらふらとさまよいがちです
 私は濁った水たまりのそこの泥のように、
  ただじっとしているしかない
 さまようあの人と、沈み込む私と、
  お互いの状況がまったく違ってしまいましたが、
 再会はいつになったら叶えられるのでしょうか

第四段は、願望で結びます。

 できることなら西南から吹く風に乗って、
  遙かに空を吹き渡り、あの人の胸の中に飛び込みたい
 しかしあの人の懐がずっと開かないままで終わってしまったら、
 この私はいったい何にすがればいいのでしょう


宇野直人さんは、曹植の作風のひとつの特徴として、
「主題と変奏」を挙げています。

 《すでに知られている作品に基づいて、
  そこに自分の個性を加えてゆく作り方》

「七哀の詩」は元歌の「古詩十九首」其の十九だそうです。

 《夫が旅に出てなかなか帰ってこない奥さんが主人公で、
  月夜の晩に眠れず悩むという内容》

 《古詩の方はその状況や悲しむようすを横から見ているような
  単純な描写である》

「七哀の詩」は、

 《主人公の奥さんが曹植自身のたとえで、
  最後の「あの人」は魏の都そのもの、或いは兄の曹丕、
  またはその跡を継いだ息子の曹叡を指しているんでしょう。》

曹植には、こういう作品が多く、

 《不幸な女性に自身をたとえて“どうにかならないものか”
  と訴えるパターンが目立ちます。》

といい、

 《不幸な女性に自分の自分の気持ちや主張を託する閨怨詩は、以後、
  曹植が確立したジャンルとして受け継がれてゆきました。》

このような女性を「思婦(しふ)」と呼ぶそうです。

 ・・・

兄も曹丕も詩を書いており、
建安時代の文壇のリーダーとして活躍しました。
次回はその曹丕の作品を紹介する予定です。

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 ★創刊300号への道のり は、お休みします。

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本誌では、「中国の古典編―漢詩を読んでみよう(20)漂白の魂―曹植(2)」と題して、今回も全文転載紹介です。

またまた、10月以来の漢詩編です。

曹植の二回目で、『三国志』にも登場する「七歩の詩」(『三国志』のものとは少し異なるところもあるようですが)と「七哀の詩」を取り上げました。

 ・・・

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私の読書論167-愉快で…な老人探偵小説『木曜殺人クラブ~』他-楽しい読書336号

2023-02-16 | 本・読書
古典から始める レフティやすおの楽しい読書【別冊 編集後記】

2023(令和5)年2月28日号(No.336)「私の読書論167-
愉快で…な老人探偵小説『木曜殺人クラブ~』他」


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◇◆◇◆ 古典から始める レフティやすおの楽しい読書 ◆◇◆◇
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2023(令和5)年2月28日号(No.336)「私の読書論167-
愉快で…な老人探偵小説『木曜殺人クラブ~』他」
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 前号の「私の年間ベスト3・2022年フィクション系(後編)」で
 紹介しました<初読ベスト3>の(1)位の
 『木曜殺人クラブ』リチャード・オスマン
 および、選外のマイクル・Z・リューインの『祖父の祈り』は、
 ともに、老人が主人公の小説でした。

 今回、
 『木曜殺人クラブ』のシリーズ第二作
 『木曜殺人クラブ 二度死んだ男』を読みました。
 これも当然ですが、老人たちを主人公とする物語でした。

 私自身老人となり、これらの登場人物たちのことが
 非常に心に響くことに気付きました。

 今回はこれらについて書いてみようと思います。

【前号】――

古典から始める レフティやすおの楽しい読書
2023(令和5)年1月31日号(No.335)「私の読書論166-
私の年間ベスト3・2022年フィクション系(後編)再読編&初読編」

2023.1.31
私の読書論166-私の年間ベスト3・2022年フィクション系(後)初読編
-楽しい読書335号
https://lefty-yasuo.tea-nifty.com/ochadesse/2023/01/post-059ad0.html
https://blog.goo.ne.jp/lefty-yasuo/e/3d8f4210a27677ac55d433cea1778596

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 - 身近に感じるようになった老人小説 -

  ~ 愉快で…な老人探偵小説『木曜殺人クラブ~』他 ~

  古い「男」像を守る男と昔を忘れず今風に馴染もうとする老人たち

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ●『木曜殺人クラブ』と『祖父の祈り』

まずは、前号の文章を再録しておきます。

--
『木曜殺人クラブ』『祖父の祈り』のふたつは、
老人が主人公となるお話で、今や老人の一人となった私にとっても、
興味深い内容でした。

前者は、高級老人ホームで起きた殺人事件をミステリ好きのメンバーが
探偵に乗り出すというストーリー。過去の事件の影が長い尾を引く物語。
各人の過去の人生の秘密が暴かれて行き、それぞれに興味深い内容で、
人生の重さといったものを改めて実感させられます。

後者は、コロナ禍を思わせるパンデミック下の近未来のアメリカを
思わせる町が舞台とする作品。
感染して亡くなった妻との約束を守るため、
同じく亡くなった娘の夫に代わり、
祖父が娘とその息子(孫の少年)を守り抜くという決意を貫く物語。
男の役割といったものを全うしようとする老人の戦い。
--

以上が簡単な概説で、のちに個々の作品について、
引用文を含めて紹介しました。

昨年読んだ老人の小説としましては、再読編の方でも、
『老人と海』ヘミングウェイ を読んでいます。
文字通り老人が主人公のお話で、
老漁師と大きなカジキとの一騎打ちの物語。

ここでも、老人の人生をプレイバックしながら、
今の老人の姿を克明に綴っています。
そのあたりもグッとくるものがありました。

先にも書きましたが、私自身、一昨年春にぎっくり腰から無理をして、
腰の痛みと左足の痛みが出、一ヶ月杖をついて歩くようになり、
また秋には、高齢男性特有の病気、前立腺肥大症により、
頻尿等の症状が出、生活上、やっかいなことになりました。

自分でもはっきりと「遂に老人になったな」と実感したものでした。

それ以来、読む小説にしても、老人ものに気が向くようになりました。


 ●『祖父の祈り』マイクル・Z・リューイン

前号の文章――

--
『祖父の祈り』は、上にも書きましたように、老人が家族を守るお話。
まだまだ俺にもやれる、といった独白もあり、
年老いた男の生き方の一つの在り方を描きます。
今や老人となってしまった私の心に響くものがありました。

p.70(田口俊樹訳)
《生きていくことこそなにより重要なことだ。それが妻との約束だった。
 息を引き取る直前に(略)「あの子たちをお願いね」/
 「任せておけ」老人はそう約束したのだった。》

p.66(同)
《あの男はおれを欲しがってたんだ。このおれを! 
 まだまだおれは現役だということだ。》

p.76(同)
《自分の仕事をきちんとやってのけたのだ。おれは役に立った。》

p.151(同)
《老人の望みはここから出ることだった。
 家族みんなでここを逃れることだ。それができないなら、
 せめて今いる場所でより安全に暮らせるよう努力するしかない。
 壁を強化して、ドアも補強して……
 そういうことこそおれの“役割”だ。》

p.198(同)
《任務はまだ完了していない。今はまだ。
 それでも老人には証明できた
 ――家族のために脱出のチャンスをつくるだけの力は
 おれにはまだ残されている。》
--


「まだまだおれは現役だ」「おれは役に立った」
「おれにはまだ残されている」

こういう思いは、今の私にひしひしと伝わってきます。

「衰えゆく自分の力、でもまだやれることがある!」という実感。
それは老人自身にとって、とても貴重な経験であり、
残された人生を生きる活力となるものでしょう。


『祖父の祈り』マイクル・Z・リューイン 田口俊樹/訳
 ハヤカワ・ミステリ 2022



 ●『木曜殺人クラブ』リチャード・オスマン

次に紹介しますのは、謎解きミステリです。

上にも書きましたが、
本編の主人公たちは、70代の高級老人ホームに住む人々で、
<木曜探偵クラブ>という「老人探偵団」「老年探偵団」
「高齢者探偵団」といいますか、
まあ「年寄探偵団」と呼ぶのが一番ふさわしいでしょうか――
に所属する探偵趣味のある人たちです。
ふだんは、クラブの創始者の元刑事が引退時に持ち出した
未解決事件のファイルを推理するのでしたが、
この施設で実際の殺人事件が発生し、探偵ごっこを始めるという物語。

前号の文章から――

--
『木曜殺人クラブ』リチャード・オスマン

(略)
それはさておき、上にも書きましたように、この長編は、
老人の探偵クラブの謎解きゴッコなのですが、
それぞれの登場人物の過去が暴かれるなかで、人生の重さといいますか、
人の世の浮き沈みと生き方、その心情の動きなど、
なかなか読ませるものがありました。

p.29(羽田詩津子訳)
《人はある年齢を超えたら、やりたいことはほとんどできる。
 医者や子どもたちを除けば、やめろと言う人もいない。》

p.59(羽田詩津子訳)
《トニーは運を信じていない。彼が信じているのは努力だ。
 準備がおろそかになれば、失敗は目に見えている。
 トニーが教わった年老いた英語教師はかつてそう言った。
 それを忘れたことは一度もない。》

p.118(羽田詩津子訳)
《人生では、よい日を数えるようにしなくてはならない。
 そういう日をポケットにしまって、
 いつも持ち歩かなくてはいけない。》


p.200(羽田詩津子訳)
《おれたち全員が弱ってきている、(略)ちょろいもんだ。
 ひとひねりだ。そうだろ? 造作もないにちがいない。
 だが、いいか、ここには人生で何事かを成し遂げた人もいるんだ。
 ちがうか?》


p.283 (羽田詩津子訳)
《よく時が傷を癒やすと言うが、人生にはいったん壊れたら、
 決して治せないものがある。》

p.436(羽田詩津子訳)
《自分は一人でやりたいことをして、満足している人間なのか? 
 それとも、手に入れたものだけでどうにか納得しようとしている、
 孤独な人間なのか? 一人なのか孤独なのか?》

等々、気になる文章が出てきます。

次の作品も出版され好評のようです。また読んでみたいものです。
--


以下、上の引用文に今の私のコメントを付していきましょう。

《人はある年齢を超えたら、やりたいことはほとんどできる。》

――でも、その勇気があるかどうか、です。

《人生では、よい日を数えるようにしなくてはならない。
 そういう日をポケットにしまって、
 いつも持ち歩かなくてはいけない。》

――そう、そのとおり。
こういう自分に力を与えてくれるような瞬間をいつも持っていないと、
自分が潰れてしまうような時があります。

《おれたち全員が弱ってきている、(略)
 だが、いいか、ここには人生で何事かを成し遂げた人もいるんだ。
 ちがうか?》

――確かに、私たちは、大なり小なり何事かを為してきたのです。
それを自信に残りの人生を生きてゆくべきなのです。

《よく時が傷を癒やすと言うが、人生にはいったん壊れたら、
 決して治せないものがある。》

――耐えるしかない、忘れるしかない事柄があります。
でも、耐えることが、忘れることができない、
そういうこともあるのです。
そういう事柄も抱えながら生きてゆくのが、老人の人生なのです。

《自分は一人でやりたいことをして、満足している人間なのか? 
 それとも、手に入れたものだけでどうにか納得しようとしている、
 孤独な人間なのか? 一人なのか孤独なのか?》

――これは、まだ50歳の独身中年男性の独白です。
まだ、老境に入る前の、まだやり直しのきく年齢。
そこで「孤立」に落ち込むか、「独立」した人格を維持できるか、
その瀬戸際の立ち位置です。

ここでなんとか踏み留まれれば、
悲しい老後にならずにすむのでしょう。

『木曜殺人クラブ』リチャード・オスマン 羽田詩津子/訳
 ハヤカワ・ミステリ 2021


 ●第二作『木曜殺人クラブ 二度死んだ男』リチャード・オスマン

好評だった前作に続き、第二作が翻訳刊行されましたので、
読んでみました。

『木曜殺人クラブ 二度死んだ男』リチャード・オスマン
 羽田詩津子/訳 ハヤカワ・ミステリ 2022/11/2


第二作では、年寄探偵団四人のメンバーの一人、
元精神科医のイブラヒムが一人で町に出て、スマホを使ったり、
セルフ・レジにチャレンジしたり、新しい生活に馴染んでいこう、
としますが、なんと自転車で通りかかった若者たちにスマホを取られ、
袋だたきに遭い、あわや命も……というピンチに。

犯人の一人の名を覚えていたので逮捕はされるが、証拠不十分で……。
しかもどこかへ逃走され、行方不明に。

しかし探偵団は、前回の事件で知り合った地元警察から情報を集め、
娘からスマホのSNSの使い方を教えてもらった、元看護師のジョイスは、
SNSを使って班員の青年を見つけ出す。

一方、リーダー格のエリザベスは元情報員で、
元夫のMI5の諜報員ダグラスから、
仕事中にギャングの家で偶然見つけたダイヤを盗み、
ギャングとMI5の両方から追われる身になり助けてくれ、
という手紙をもらう。
しかし、ダイヤを盗んだダグラスと
MI5から送り込まれた見張り役の新米女性ポピーは、
何者かに頭を打ち抜かれ殺される。
彼らの隠れ家を知っているのは、MI5の上司の女とダイヤ事件の際の同僚。

地元の警察は、麻薬のディーラーを逮捕するべく網を張るが、
尻尾をつかめない。

で、エリザベス、ジョイス、イブラヒム、
元労働組合の幹部ロン(ロンの孫も手柄を立てます)ら探偵団は、
イブラヒムの復讐と、ダグラスとポピー殺しの犯人逮捕、
ダグラスの隠したダイヤ探しのため、警察とMI5を利用し、
ギャングと足を出さない麻薬ディーラー、イブラヒムの襲撃犯、
ダイヤの持ち主であるニューヨークから来るマフィアらを一堂に集め、 
噛ましあいをさせて事件を解決し、隠されたダイヤも発見する。

それぞれの人物の描写もしっかりしていて、
三人称の章とジョイス一人称の章が織り込まれて進むのですが、
ジョイスの章がなかなかおもしろいのです。
饒舌といいますか、話があちこちするなかで、
真実を見いだすところなど。

ストーリーや謎解きはもちろんですが、
ユーモアとペーソスといいますか、
人生の重さといったなんやかんやについてのお年寄りたちの語り。
500ページも全く長く感じない小説です。


 ●イブラヒムにまつわる人生談義

イブラヒムを中心に登場人物の老人たちの人生模様からの引用文――

《「利用しよう、さもないと失ってしまう」たしかにそのとおり。
 だからこそ、イブラヒムはここにいるのだ。騒音のまっただ中に。
 車が横を走り過ぎ、ティーンエイジャーたちが叫び、
 建築業者たちがわめいている。イブラヒムは気分がいい。
 恐怖も薄れている。脳が活性化している。
 利用しよう、さもないと失ってしまう。》p.40(羽田詩津子訳)


――元精神科医のイブラヒムは、お気に入りの独立系の本屋さんの
レジの壁に掲げてあった看板の標語「地元の書店を利用しよう、
さもないと失ってしまう」をみてそう思うのです。

余談ですが、私も元町の本屋の店員として、
地元の本屋さんをできるだけ利用しています。
まあ、どうしてもAmazonに頼ってしまうケースもあるのですけれど、ね。
左利き関係の本など、一般の町の本屋では入手困難な本が欲しいとき。

年齢に負けず、新規な取り組みに挑むべく街に出てきたイブラヒム。
ところが、非力なお年寄りとして若者に襲われてしまうのです。
そして、外傷後なんとやらに取り憑かれ、萎縮してしまうのですね。


《復讐は直線ではなく、円だ。
 復讐は自分がまだ部屋にいるあいだに爆発する手榴弾で、
 自分自身も爆風を受けずにはいられない。》p.105(同)

《復讐するときは慎重にならなければならないが、
 イブラヒムは人生の大半を慎重のうえにも慎重に過ごしてきた。
 ただし、人間として成長したければ、
 ときにはちがう行動をとる必要がある。》p.107(同)

――一方で、復讐を考えもするのです。
仲間たちはもちろん、ですが。


《ここの人たちは来ては去り、また来ては去っていく。
 ここは人生の最期を過ごす場所だとわかっているので、
 みんな生き生きしているのだ。彼らの足どりはのろのろしているが、
 その時間は急ぎ足で過ぎていく。(略)彼らはいずれ死ぬだろうが、
 誰でもいつか死ぬ。死ぬときは一瞬だから、
 人は最期のときを待ちながら生きるしかない。騒ぎを起こすもよし、
 チェスをするもよし、何でも好きにやればいい。》p.131(同)

――これは探偵クラブの面々の協力者で、
彼らのためならなんでもしようというボグダンの独白。
彼らの日常を観察しての、人生に対する考えです。


《「『困難は人を強くする』と言うのはけっこうだ。賞賛に値する。
 しかし、八十歳になると、もうそれは当てにはまらない。
 八十歳だと、どんな困難であれ、それは人を次のドアへ連れていく。
 それから次のドア、さらに次のドアへ。
 そして、そうしたドアはすべて背後でしまってしまう。
 もはや回復はありえない。
 若さの引力は消え、ただ上へ上へと漂っていくだけなんだ」》p.165(同)


――イブラヒムの自嘲的な言葉。


《「時間は戻ってこないことは知っているね? 
 友人、自由、可能性も?」
 (略)
 時間を取り戻すことはあきらめよう。
 過去は幸せだった時間として記憶するんだ。きみは山の頂上にいた。
 今は谷間にいる。今後も数えきれないほど、
 そういうことは起きるだろう」/
 「じゃあ、今は何をすればいいんですか?」/
 「もちろん、次の山を登るんだ」》pp.358-359(同)


――元精神科医のイブラヒムに相談する地元警察の女性警官ドナ。
元精神科医らしい彼女に対する助言ですけれど、それはそのまま、
事件後のイブラヒムへの助言ともなります。
「次の山を登れ」と。「前を見て、後ろを振り返るな」という。


《人はずっと夢を見ていなくてはならない。
 エリザベスはそのことを知っている。ダグラスもそれを知っていた。
 イブラヒムは忘れてしまったけど、わたしがいるのだから、
 時機をみはからって、いずれ思い出させてあげよう。》p.386(同)

――誰もが仲間のためを思い、勇気づけようとします。
「人はずっと夢を見ていなくてはならない」というのは、
私も自分に言い聞かせている言葉です。


《「野原にいる馬をみるのが大好きなの」ジョイスは言う。
 「馬たちが幸せだってわかるから。
 幸福は人生のすべてでしょ、そう思わない」/
 イブラヒムは首を振る。「賛成できない。人生の秘密は死だ。
 何もかも死に関係している、わかるだろ」
 (略)
 「本質的には、われわれの存在は死のためだけに意味を持つ。
 死はわれわれの物語に意味を与えてくれる。
 われわれの旅が行き着く先は常に死だ。行動の理由は、死を恐れるか、
 死を否定しようとするか、どちらかだ。一年に一度は、
 この場所を通り過ぎているが、馬もわれわれも若返ることは
 決してない。すべては死なんだ」/
 「それって、一方的なものの見方だと思うわ」
 (略)
 「当然、すべてが死に関係しているなら、
 何ひとつ死に関係していないってことよね?」
 (略)
 「すべてが青いなら、『青い』って言葉は必要ないでしょ?」
 「そのとおりだ」イブラヒムは認める。/
 「そして、青いという言葉がないなら、
 何ひとつ青にはならないんじゃない、どう?」
 (略)
 それで救われた、というのも
 ジョイスはいわば確信を突いていたからだ。》pp.479-480(同)

――「幸福は人生のすべてでしょ」と、人生を肯定的に捉えるジョイス。
私も案外そちら派かもしれません。
結構言われます、楽天的と。

「幸福は人生のすべて」「人はずっと夢を見ていなくてはならない」
「利用しよう、さもないと失ってしまう」――
みんなひとつの方向を示しているように思います。


「老いたればこそわかる人生の真実」
のようなものがあるのではないでしょうか。

案外ありきたりな結論になるかもしれませんけれど。

これら、老人小説を読んでみて、
とにかく「生きている限りジタバタしてみる」のがよいのでないか、
とそう思います。

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 ★創刊300号への道のり はお休みです
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本誌では、「私の読書論167-愉快で…な老人探偵小説『木曜殺人クラブ~』他」と題して、今回も全文転載紹介です。

ズバリ読んでもらったそのまんまです。
他にこれといってお話することはありません。

とにかく『木曜殺人クラブ』二作はどちらも500ページ弱ですが、おもしろいので苦にならないと思います。
持って読むには手が疲れるかもしれませんけれど。

謎解きミステリ好きも楽しめますし、人生に一言いいたくなる一言居士も納得の小説ではないかという気がします。

『祖父の祈り』は、前号の後記でも書いています。
コロナ禍の今読む本といった趣もありますが、昔の「男」像の延長なので、その点を不満に思う人がいるかもしれません。
でも、われわれ老人男性には、これが標準だったという意味で、受け止めていただければ、と思います。

これらは、作品のストーリー的にも、人間物語的味付けも優れたものでした。
機会があれば、ぜひお読みください。

 ・・・

*本誌のお申し込み等は、下↓から
(まぐまぐ!)『(古典から始める)レフティやすおの楽しい読書』

『レフティやすおのお茶でっせ』
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『レフティやすおのお茶でっせ』より転載

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