きゃおきゃおの庭

近代建築から現代建築までPHOTOたてもの探訪の記録。大切にしているものなど写真で綴ります。

会津さざえ堂

2011-11-12 | 日本建築
急に見たくなって、ドライブ。
私は助手席。
カーナビに、人間カーナビの座を奪われてしまい、
手持ちぶたさです。
地図を見なくなったせいか、方向感覚がわからなくなりつつあります。
荒川沿い首都高からの眺めが好き。
あー、右手奥に富士山が…。




ちょっと萌え~。
 
さざえ堂は、あの地震に耐えました。
ずいぶん傷んでいますが、公開されています。
かつては、西国三十三番の観音像が収められていました。









二重らせん構造で、のぼりと下りは一方通行。違う通路を通ります。
何度も、ぐるぐる 上ったり 降りたり。(笑)













なぜかしら傾いて見えるのは気のせい?
夏も終わりなのに、とても蒸し暑くて大変でした。
風が抜けないので、真夏はさぞ暑いのでしょうね。

◇会津飯盛山 さざえ堂(旧宗寺 円通三匝堂)国重要文化財
建立 1796年
所在 福島県会津若松市の飯盛山

2011.9.18
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岩科学校 伊豆松崎

2011-05-26 | 日本建築
まずは校長室に通され、岩科学校の説明を聞きました。
校長先生は、元旦でしたがちゃんといらっしゃいました。



2階への階段は、ほんとうに子供たちが昇り降りしていたのかと
疑いたくなる急勾配。
いたるところに長八の作品がほどこされています。

中でも鶴の間(裁縫室)は圧巻
138羽の鶴が
昇る太陽を表した紅色の床の間に向かって飛び立っています。
長八 66歳の作品です。























竣工 1880年
所在 静岡県賀茂郡松崎町岩科北側442

2011.1.1
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沼津御用邸

2011-05-07 | 日本建築
皇室ゆかりの川村純義伯爵の別荘を伯爵没後宮内庁が買上げ、御用邸としました。
明治時代の木造宮廷建築です。
1969年に御用邸は廃止され、記念公園として整備されました。
入り口の門番の昔の制服を着たおじさんが、素敵でした。



これは、正門の開かずの門です。
ゾーリンゲン製で、のちに修理にだしたら
こんな色になったのだそうです。
ちょっと 濃すぎるかな~。



真子さまのおしるしのモッコウバラが満開でした。




廊下が2つあって、窓際の木の床の廊下は使用人、内側の畳の廊下は皇族が使ったのだとか。







歪みガラスを含めオリジナルに忠実に修復され、
どこが古いものなのかがわかりません。
シャンデリアは、当時のものだそうですが
ピカピカで お手入れの良さを感じます。
日光田母沢御用邸記念公園を ふっと思い浮かべました。
庭は松原が広がり、海が近いことを伺わせます。
五月人形の展示もありましたが、写真はとらずに楽しんできました。
伊豆はつるし雛があるんですね、五月人形バージョンが飾ってありました。

 

西附属邸を見学した後、地図を広げて悩んでいたら
ボランティアの方が、藤を観にいきませんか?
と案内してくれました、
歴史民族資料館2階の扉から、そっと藤を見てきました。
八重の藤、初めて見ました。



この日は、東附属邸内も見学することができました。
本邸の洋館が戦災で焼けて残念です。

  

西附属邸門前の「根上り黒松」
推定樹齢 400年だそうです。
不思議なパワーを貰えたような…。



連休で、高速道路の渋滞が予想されて恐々としていましたが
拍子抜けするくらい順調で、早めに帰宅できました。
そういえば、沼津の海を見てくるのを忘れました…。

沼津御用邸記念公園

静岡県沼津市下香貫島郷2802-1
2011.4.30
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信州への旅 海野宿

2010-07-25 | 日本建築
梅雨時のとある週末、二男の通う高校のPTA研修に出かけました。
ドキドキして、前の日はあまり眠れませんでした。

出発のJR上野駅公園口周辺、実はバスツアーの出発地だということを
初めて知りました。
何台も観光バスが停まっていて びっくり。
朝7時の集合です。
バスガイドさん付きの観光バスに乗り込み、
もう 気分は高校生(笑!)
同年代の子供を持つ保護者との一泊二日の研修会。
不安と期待?を乗せて、バスは いざ信州へ。

高速道路は、連休なので渋滞していました。
でも、思ったほどの渋滞ではなく、お昼には 最初の見学地、海野宿に到着しました。
ここで、歴史のお勉強です。

 

白鳥神社の境内を抜けると、海野宿。
寛永2年(1625年)に開設された宿場町です。
道幅はかなり広く、馬用の用水路が通りを流れています。
せめて日中は、車を侵入禁止にしてもらえれば、
もっとのんびり街歩きを楽しめるのになって思いました。



昼食は、福嶋屋さん。貸切になっていました。

 



 

お蕎麦は、三人前ずつ順番にでてきます。
40人以上いるので、全員に行き渡るまで、少し時間がかかりました。
お蕎麦は、チョット短めの二八そば。
茹で加減もほどほどで、美味しかったです。

右は、くるみおはぎ。ここは くるみの名産地なんだそうです。
香ばしくて、ほっとする甘さです。

食べ終わったあとに、お店の方から建物の話をお聞きしました。



最近見かけなくなった つばめの巣。







建物中央の一段と高くなっているのは、防火壁の卵建(うだつ)。
うだつが上がらない…というのは、ここから来ているのだとか。







 

暑いにゃ~

つづく…。

◇海野宿
長野県東御市本海野





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東京都庭園美術館 茶室「光華」

2010-05-15 | 日本建築
美術館の玄関ホールから見る景色は、まるで絵画のよう。
みなさん写真を撮りたくなる気持ちが、良くわかります。





庭園の桜は散り始めていますが、芝の上にシートを敷いて
お弁当を食べていました。 
庭園でシートOKなのは、嬉しい限りです。

訪れた日は、茶室も公開していました。(4/11です。)





茶室だけではなく、客間があり、その奥に茶室があります。
窓の多い、明るい茶室です。庭園が掛け軸のかわりかな~。

 

庭から見た茶室(左)と、茶室からみた景色(右)

 

◇茶室「光華[こうか」
 構造:木造瓦葺平屋建
 延床面積:85.28㎡
 建設:1938年





春の花が、咲き乱れていました。



二男の高校の授業で、「奉仕の時間」があるのだそうです。
場所を選択できて
国立博物館・西洋美術館・上野の森美術館・旧岩崎邸などなど…。
羨ましい~!!
結局二男は、国立博物館でボランティアするそうです。
内容は聞いていませんが、草むしりとかでしょうかね~。

庭園マップ
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旧白洲邸 武相荘

2010-04-17 | 日本建築
ことのほか寒い日でした。
車通りの多い道から、少し坂道をのぼっていくと武相荘に到着。
GHQと対等に渡り合った実業家白洲次郎と、美術評論家であり骨董に造詣の深い正子夫妻のかつての住まいです。
長門門を持つ、明治初期の茅葺き屋根の農家に住み着いたのは昭和18年。
当時はのどかな風景が広がっていたそうです。











 









建物内は、撮影禁止です。
次郎手作りの照明や、家具など、使い込まれた愛用の品を
たくさん見ることができます。
生涯をここで過ごしたご夫妻の暮らしぶりを
垣間見て帰りました。








旧白洲邸 武相荘
東京都町田市能ケ谷町1284
2010.4.4

入館料は、ちと高いと思います…。


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見学番外編

2009-08-26 | 日本建築




ノムさんのぼやき風。

先週一週間は、体調が悪く最悪でした。
夏ばてかもしれない。

土曜日、成城学園まで行ったついでに、かねてから訪ねたかった場所へ
バスに揺られて行ってみました。
うっそうとした傾斜地の庭を持つ邸宅。

旧小阪家住宅

門を入り、もう ショック。








今年3月に耐震上の問題で公開中止との立て札が立っていました。
せめてお庭でも…と、門をくぐってすくみました。
肉片らしいものをくわえた大きなからすと目が合ってしまいました。
木々が繁り、見通しの悪いうっそうとした庭は、人影もありません。
ぽっちゃり系の私は、身の危険を感じて引き返しました。(笑!)
調べて出かけたはずなのに、こんなことになるなんて…。

近所の美術館でも、と立ち寄ったら、なんと日曜日まで夏季休館。
ついていません。
ゆらゆらバスに乗って二子玉川へ。
この日は多摩川の花火大会!ということに渋滞のバスの中で気がつきました。
バスは、じりじりと進みます。
ついていないなー。

有楽町国際フォーラムでのイベントに間に合いそうなので
大井町を目指して
二子玉川で見たい場所が有ったのに、気が動転して
さっさと電車に乗ってしまいました。
大井町まで 距離感がわからず東急線に乗って
思ったより遠いことに気づいたけど
後の祭り。

途中急行に乗り換え、イベントにはぎりぎりセーフ。
もう写真を撮る元気も無く、帰路に着きました。
いつものパワー(?) まったくありません。


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三溪園 古建築全17棟一般公開

2009-08-16 | 日本建築
久々に晴れた休日。
横浜開港150周年記念企画の一般公開に行ってきました。
最寄り駅から少し遠いので、車で出かけました。
お盆休みの土曜日、首都高はがらがら。
早く着いたけど三溪園の駐車場は満車で、近くの細い道は大渋滞。
車で出かけると往復は楽だけど、停めるところに悩みます。

正門をくぐってすぐに、蓮池がありました。
蓮の花を見たのは初めてで、あまりにの大きさにびっくり。

三渓園の歴史はこちら

初めに見学したのは、鶴翔閣。
私邸でこれほどまでのものを造ったことに
驚いてしまいました。
装飾は華美ではありませんが、上質な空間です。



 

 




臨春閣に入って、ここが横浜であるということを忘れました。
移築された壮大な建物です。





建物内は、三脚・ストロボは禁止ですが撮影はOK。
楽しく写真を撮り、建物17棟すべて見学して
ぐるぐる4時間あまり園内を散歩しました。
見学者が多くて、思うように写真が撮れないのが残念でした。

傾斜地を利用した景観の良い建物を見ていると、
深山にいるような錯覚に陥ります。

 




茶室や寺院に驚いていたら、最後に白川郷の合掌造りに
言葉がありませんでした。
おそるべし、三渓園。







蝉が胸騒ぎするくらい
大きな声で鳴いていました。
森を渡る風、暑さを忘れさせてくれます。

ああ、本当に ここは どこ。







三渓園HP
所在 神奈川県横浜市中区本牧三之谷58-1
◇横浜開港150周年記念企画・公開
2009.8.1~8.16

2009.8.15

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本郷館

2009-06-22 | 日本建築
本郷界隈を散歩していたら道に迷ってしまい
ふっと白い壁の崖を見上げたら
黄色の花が咲き乱れていました。
とても暑い日で 夏の陽射しを感じます。






そして もう少し先の崖地の上にインパクトのある
木造の建物が見えてきました。
2年前に取り壊すという新聞記事にあった「本郷館」。
70室あまりある、現役のアパートで、建設当時は、賄い付きの学生貸室だったそうです。
偶然出会えて 嬉しくなって…
 





道沿いに曲がって 坂を上り建物正面へ向かいました。
ここだけ時が止まって
静かな時間が流れていそう。

今もなお 住んでいる方がおられるので
失礼かとは思いつつ せっかくなので写真を撮りました。 












◇本郷館
竣工 1905年
所在 東京都文京区本郷6-20-3

2009.6.11
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三井八郎右衞門邸

2009-05-15 | 日本建築




 

いつも建物を見る時は、まず外観を楽しみます。
京都に在った建物を、西麻布に移築し、その後このたてもの園に復元したそうです。
一番気になったものはこれ。レース模様のような繊細なドア飾り。



ボランティアの方に、「もう一週間早ければ、八重桜が満開だったよ」と言われました。












板戸や襖に、鳥や植物の絵が描かれていて、細部までこだわった住まい。ほんものの贅沢を体験できる建物です。併設されている蔵も見事。



◇三井八郎右衞門邸
竣工 1897年/1952年
所在 東京都小金井市桜町3-7-1(都立小金井公園内)江戸東京たてもの園

2009.4.29
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高橋是清邸

2009-05-09 | 日本建築
建物の窓を見るのが好き。 
波打つガラスを見つけたときは なんだか嬉しくなってしまう。
ちょうど こんな感じ。








総栂造りのこの邸宅は、港区赤坂から一部を移築したものです。
2.26事件の暗殺の場所がまさしくこの部屋。なにもないけど、なにかありそう。。
大きく放たれた窓から抜ける風は、実に爽やかです。




北側2階の窓。遠くから外から見るとわかりませんが障子ではなく
磨りガラスになっています。
レースのような繊細な模様から淡い光がこぼれていました。





◇高橋是清邸
竣工 1902年
所在 東京都小金井市桜町3-7-1(都立小金井公園内)江戸東京たてもの園

2009.4.29
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旧安田楠雄邸の雛祭り

2009-03-02 | 日本建築



3月といえば、雛祭り。
旧安田邸の雛人形を見に行きました。

日本ナショナルトラストが管理している建物で、多くのボランティアの方が支えています。





昭和7年と16年に生まれた女の子のために、永徳斎という雛人形の老舗に作らせました。残月の間の床の間にぴったり収まっています。
左側の人だかりがそう。



 

子供の頃、母が箱から雛人形を出すのを、わくわくしながら見ていたのを思い出しました。お道具の豪華なこと!



家具類は、当時使われていたオリジナルだそうです。




とても寒く、当時の暮らしはどうだったのでしょう。




数奇屋と書院造りと洋室を持った、和洋折衷の建物です。







建物の正面玄関には、見学受付が設けられていて、常時係りの方が立っているので、外観写真を撮ることは諦めました。と言いながら…。
外観を楽しめない建物見学は、やはりつまらないと思います。
唯一外観を見れる場所、正面玄関は、オリジナルの雰囲気を味わいたいものです。
ポスター類は、道路入り口に掲示してPRに使うべきだと思うのですが。

残念なことに、未整備のため庭は立ち入り禁止。



2007年3月に行われたプレ見学会の時に、庭を散策したときの写真です。

◇旧安田楠雄邸
竣工 1919年頃
設計 清水組
所在 東京都文京区千駄木5-20-17

2009.2.28
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旧朝倉家住宅2

2009-02-08 | 日本建築




玄関には、会議所として使われていた名残で大きな下駄箱がしつらえてあります。





ぐるぐると、何度も歩きまわったため、1階と2階の写真が入り乱れています。















床の間の襖に描かれた絵など、どれも見事なものばかり。
手を触れると、油が着いて劣化してしまうので、足元に木の柵が置いてあります。写真を撮ると写ってしまうのが残念。
和風建築見学の際は、素足厳禁。冬にそういう方はいないと思うけど。同じように床や畳が傷むそうです。


1階奥にある、杉の間。



心地よい風が吹き抜けていきます。


おすすめ度★★★★☆
(今回から、参考までにつけてみました。)
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旧朝倉家住宅

2009-02-07 | 日本建築


江戸時代から農業を営み、米屋、不動産業を経て政界で活躍した、朝倉家。
その住まいは、その後大蔵省所管となり、渋谷会議所として使われていました。
良くあることですが、更地にして売却の話が湧き上がり、保存会設立。
署名運動が行われ、建物調査の結果重要文化財として登録されたため売却されず、
財務省から文化庁に移管され、渋谷区が管理団体となり
2008年夏から一般公開されました。

なんとなくUPしそこねていた旧朝倉家探訪の記録。
その理由は、写真をたくさん撮ったことと、選んだけどまた訪れて撮り直したい気持ちがあったこと。

2008年夏。「古い建物好き」のプチオフ会で、行ったのでした。
この日の天気は大荒れ。
はじめに駒場の前田侯爵邸を見学して、移動のため電車に乗ったとたん急に激しい雷と大雨にあってしまいました。
雨宿りしているうちに収まったので、予定通り朝倉家へと向かいました。
代官山駅から、徒歩5分とは思えない、閑静な住宅にたどりつきました。






木々のうっそうとした庭は、斜面を利用して回遊式庭園となっています。









雨上がりで、足元が悪く、そろそろと歩き回りました。
春夏秋冬、うつろう自然を家の中で楽しめる、本物の贅沢な暮らし方です。



玄関脇には洋室があり、当時流行った造りのようです。
周囲の建物の見えない広い庭に立っていると、時折電車の音が聞こえてきて、ここが都会の一角だということを思い出しました。


◇旧朝倉家住宅◇
竣工 1920年
所在 東京都渋谷区猿楽町29-20

2008年夏から一般公開

2008.7.12、7.19



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日光田母沢御用邸Ⅱ

2008-09-17 | 日本建築


御用邸の中で、一番好きな場所。ぽっかりとあいた 丸窓。

  

丸窓のある御学問所は、梅の間と呼ばれています。部屋一面の壁に梅の木が描かれているところからからなのでしょうか。(窓の外に 梅は見えません)どちらかといえば壁紙のように部屋に溶け込んで、少しくすんでいます。紀州徳川家江戸中屋敷移築部分にあたり、天皇陛下の書斎として使用されたそうです。建物中央部の庭に面した 贅沢なロケーション。



 

御座所は、天皇陛下のプライベート部分で、落ち着いた内装…といいながらも凝った欄間に目が行きます。ここは、紀州徳川家江戸中屋敷移築部分です。


 






 

 

謁見所は天皇陛下が公式の来客との面会に使用された部屋で、玉座があります。
桧を使った、一段と豪華で華やかな部屋です。

廊下にあったベル。いろんなことを想像しちゃいます。




どの部屋も、かなり広く 感覚が麻痺してきてしまいました。畳が見えないので数えられない(何畳?)からかも。




多くの部屋は、畳敷きの上に英国製の絨毯を敷きシャンデリアがついています。和洋折衷様式と説明がありましたが、違和感があったのは、そのせいかもしれません。3年の歳月をかけて修復し、平成12年に記念公園として公開されました。
空間の持つ、日本建築のよさを見ることができます。
私は、どちらかといえば、庭から眺める中央の紀州徳川家江戸中屋敷移築部分と、庭を背にして左奥の建物が好きです。

2008.8.7
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