同潤会は、関東大震災の義援金を元に内務省によって設立された財団法人で、
東京と横浜で住宅供給を行いました。
集合住宅「同潤会アパート」が有名ですが、一戸建ての分譲住宅も手がけていることは、
昨年発刊された「昭和住宅」という本で知りました。
ギャラリーエークワッドで開催された「同潤会の16の試み」展の企画で
建設当時とほぼ変わらず保存されている「同潤会江古田分譲住宅佐々木邸」の見学会に参加しました。
1934年、西武池袋線江古田駅近くに、30戸14パターンの分譲住宅が建てられ、
中でも佐々木邸は、敷地約147坪、平屋建て延べ約31坪で、増築可能なゆとりのある住いです。
見学会は、初めに建物見学から始まり
私は 当主のお孫さんにあたる能登路雅子さんが案内する班に入り、
邸宅を案内していただきました。
夏草の茂りはじめの庭は、住んでいた頃の面影を思い起こして
手入れしているのだとか。
優しげな草花が 風に揺れていました。
建具は、サッシに付け替えられたそうですが、
当時の写真を元に復刻したそうで、言われなければ気がつかないほど
馴染んでいます。
建築様式がどうのこうの という説明ではなく
暮らしぶりや 部屋の役割、使い勝手など興味深い話が続きます。
中でも はっとしたのは「ジェンダーの住み分け」という言葉。
その一言で、私は能登路さんのオーラに包まれました。
「気配を感じて 暮らしていた」
そう、そうだった。
子供の頃 祖父母が絶対で 静かに暮らしていた
あの 重い空気が淀む家を思い出しました。
「家」の重み や 家族のあり方、
男だから 女だから という性の持つ役割も
現代は多様化しています。
見学会のあと、資料映像を交えた
内田青蔵さんの 同潤会の分譲住宅の解説と実踏調査説明、
能登路雅子さんの 「佐々木邸の暮らしとコミュニティの記憶」と題した
レクチャーがありました。
この江古田住宅では、自発的に結成された子ども会や家族同士の交流があったのだそうです。
住人同士かかわり合いを持つ暮らしは、こころのゆとりも育てるのですね。
縁側越しに庭に目を向けると
昭和にタイムスリップしたような気持ちになりました。
竣工当時の暮らしぶりを伝える家を保存活用してくことは
並大抵のことではないと思います。
貴重な建物を見学できたことを嬉しく思いつつ、あとにしました。
2015.5.9
家に帰ってから、能登路雅子さんのことを調べて驚きが。
あの時感じたオーラは、やはり本物でした。
またいつかお会いできたら嬉しいです。
東京と横浜で住宅供給を行いました。
集合住宅「同潤会アパート」が有名ですが、一戸建ての分譲住宅も手がけていることは、
昨年発刊された「昭和住宅」という本で知りました。
ギャラリーエークワッドで開催された「同潤会の16の試み」展の企画で
建設当時とほぼ変わらず保存されている「同潤会江古田分譲住宅佐々木邸」の見学会に参加しました。
1934年、西武池袋線江古田駅近くに、30戸14パターンの分譲住宅が建てられ、
中でも佐々木邸は、敷地約147坪、平屋建て延べ約31坪で、増築可能なゆとりのある住いです。
見学会は、初めに建物見学から始まり
私は 当主のお孫さんにあたる能登路雅子さんが案内する班に入り、
邸宅を案内していただきました。
夏草の茂りはじめの庭は、住んでいた頃の面影を思い起こして
手入れしているのだとか。
優しげな草花が 風に揺れていました。
建具は、サッシに付け替えられたそうですが、
当時の写真を元に復刻したそうで、言われなければ気がつかないほど
馴染んでいます。
建築様式がどうのこうの という説明ではなく
暮らしぶりや 部屋の役割、使い勝手など興味深い話が続きます。
中でも はっとしたのは「ジェンダーの住み分け」という言葉。
その一言で、私は能登路さんのオーラに包まれました。
「気配を感じて 暮らしていた」
そう、そうだった。
子供の頃 祖父母が絶対で 静かに暮らしていた
あの 重い空気が淀む家を思い出しました。
「家」の重み や 家族のあり方、
男だから 女だから という性の持つ役割も
現代は多様化しています。
見学会のあと、資料映像を交えた
内田青蔵さんの 同潤会の分譲住宅の解説と実踏調査説明、
能登路雅子さんの 「佐々木邸の暮らしとコミュニティの記憶」と題した
レクチャーがありました。
この江古田住宅では、自発的に結成された子ども会や家族同士の交流があったのだそうです。
住人同士かかわり合いを持つ暮らしは、こころのゆとりも育てるのですね。
縁側越しに庭に目を向けると
昭和にタイムスリップしたような気持ちになりました。
竣工当時の暮らしぶりを伝える家を保存活用してくことは
並大抵のことではないと思います。
貴重な建物を見学できたことを嬉しく思いつつ、あとにしました。
2015.5.9
家に帰ってから、能登路雅子さんのことを調べて驚きが。
あの時感じたオーラは、やはり本物でした。
またいつかお会いできたら嬉しいです。