~風に吹かれて~ by ポー(paw)

-人の中に 人の創り出した物の中に 動植物の中に 地球や宇宙の中に 魂の琴線にふれ 愛を感じながら 生き込みたい-

あの枝垂れ梅

2017-02-22 13:54:45 | ・植物

2017.217 あの枝垂れ梅です。

だいぶ綺麗になってきましたよ。

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秋谷神明社(横須賀市秋谷)

2017-02-17 11:56:26 | ・神社・お寺

2017.2

三浦半島最高峰の大楠山を登りに行きましたが、道中、秋谷神明社へ寄りました。

若命家長屋門

屋根は瓦ぶきで、壁は漆喰(しっくい)、腰には平瓦を張り付けた、なまこ壁の長屋門です。入口正面に向って左手には

納屋、米蔵があり、右手には畳部屋が付属します。門扉は内開きの欅(けやき)の扉で、以前は木部に柿渋が塗られ、

雨や風からの保護がなされていました。建築年代は江戸末期と伝えられています。若命家は、江戸時代に秋谷村の名主役を

務め、本陣としての役目を果たしていました。横須賀市hpより

長屋門の奥に「秋谷神明社」はありました。

拝殿

立派な神社です。彫刻も素晴らしい。

ゆっくり、じっくり観たかったのですが、大楠山へ登りますし、翌日が祈年祭のようで準備の方々が沢山居られたので

まあ、また機会があれば訪れたいと。。

元弘元年(1331年)に若命基盛が相模国葛原から祭神を奉載し秋谷に移し、秋谷の守護神となったようですね。

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大楠山ハイキング3(山頂展望~帰路~長井)

2017-02-17 11:51:07 | ・旅

2017.2 大楠山へ登ってきました。

大楠山

横須賀市西部にある海抜241.3mの山。三浦丘陵の一角をなし、三浦半島最高峰として知られる。関東100名山の第100番目。

というわけで、240mの山なら大したことないだろうと思ったら大間違い。素晴らしい展望でした。

海岸線から登ったわけで0m~240m、例えば高尾山だったら、高尾山口駅191m~高尾山駅472m=281m。

山を下りてお昼ご飯と思ってましたが、山頂ですでに12時^^;

山頂に小さな休憩所があってカップヌードルお湯付があったので助かりました。

 

らせん階段上の展望です。

富士山は、少し雲をはらんでいましたが終始望めました。

左は国土交通省のレーダー雨量観測所。

東京方面

中央より右側に薄ら「東京スカイツリー」が見えています。

アップで。

左側は「江の島」 山々は「丹沢山系」ですね。

大楠山北にある「葉山国際カンツリー倶楽部」

富士山方向

富士山 アップで。手前は真鶴半島かな。

南方面 三浦半島が全貌できました。右側は伊豆大島。

らせん階段展望台の直下

猿島

東京スカイツリー 超望遠撮影

しらばく経った同じ場所から、東京スカイツリー 超望遠撮影

どうしてこんなに色が違うんだろう。どちらも天候はそう変わりなかったと思うんだけど・・・。

帰りは違うルート、林道に沿って下りました。途中、頂上よりも綺麗な河津桜と葉の花に出逢えましたよ。 

メジロくんが数羽賑やかに飛び回っていました。

ん?この穴は・・・?

入ってみました。防空壕のようだなあ。削り後が生々しいです。右側には覗ける穴が開いていて外が見えていました。

その後、途中で無農薬の無人販売所で野菜を買って、立石駐車場へ戻りました。

帰りは、ちょっと用事で長井まで行きました。

 

午後から急速に風が強くなりました。長井の小和田湾から望む海がすごい色をしていました。

この辺りはウミウシ探索の引潮時にしか来ないので、ほぼ満潮時の海は久しぶりでしたねー。

江の島 丹沢方向

富士山

南方向

空も怪しい色合いになっていましたが、雨に降られることはありませんでした。FIN

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大楠山ハイキング2(前田橋~頂上付近)

2017-02-16 08:47:32 | ・旅

2017.2.11

立石の駐車場に車を止めて大楠山へ。

前田橋まで歩き、前田川遊歩道を上流へ。 

とても良く整備できた遊歩道です。

キセキレイが居ましたよ。

前田川遊歩道・・・全長1380m

前田川

三浦半島最高峰、大楠山(242m)からあふれ出す豊かな水。それをたたえる前田川は、秋谷の海水浴場にたどり着く

全長約3キロの流れ。そのうちの約1.4キロが、前田川遊歩道として整備されています。整備といっても、ほとんどの道が

自然の狭い川原をたどっていくルートです。 

遊歩道終わり辺りでは、「タイワンリス」も居ましたよ。

馬頭観音^^

ここを過ぎると山道を登っていきます。

登山道、正面からタッタカやってきました。

陽当りの良い斜面にはスミレが咲いていました。

途中から富士山が見え始めました。

山頂脇

雪が少し残っていました。と同時に河津桜が咲いていましたよ。ここで雪と桜とは思いもよらないサプライズでした。

梅と菜の花畑。菜の花はわずかに咲いていました。

大楠山レーダ雨量観測所

大楠山(おおぐすやま)

横須賀市西部にある海抜241.3mの山である。三浦丘陵の一角をなし、三浦半島最高峰として知られる。

関東100名山の第100番目。

大楠山レーダ雨量観測所脇の展望台に上りましたが、そこから見える上の写真のらせん階段上がトップのようなので

そちらへ向かいます。そこからの展望は次回投稿します。

今回歩いたコース

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越生神社(埼玉県越生町)

2017-02-15 15:02:07 | ・神社・お寺

2017.2

近くを通ったので立ち寄りました。

大高取山塊の東の端、越生町役場の近くにあります。

鳥居の奥に静けさを感じます。

風が割と強かったのですが「無」「静」を感じる佇まいの拝殿でした。

拝殿を見守っていたら動画が撮りたくなりました。

動画で拝殿をアップしたら、す~~~っと風が流れ、拝殿の紙垂を揺らしました。

100年以上前の写真ですね。家々が時代を感じさせます。

漆黒の中、圧倒的に煌びやかに輝いていました。

歴史を感じさせる燈籠です。素朴な形がいいですね。

越生神社

明治42年(1909年)に、神社合祀令を受けて、琴平神社に、旧越生村村社八幡神社、日吉神社、八坂神社、旧黒岩村村社の

八坂神社、ほか市街地に点在していた稲荷社を合祀して造営された神社である。

七月下旬に催される「越生祭り」は、牛頭天王を祀る八坂神社の祭典、祇園祭(天王様)の系譜を引いている。神社を出立

した紳輿が町内を渡御し、夕刻から曳航される六代の山車の上では、神田囃子の流れを汲む囃子の競演が繰り広げられ、

華やかな江戸天下祭の名残を今に伝えている。

越生神社の奥宮がある高取山には中世の山城跡がある。標高約170mの頂上が平らに削られ、空堀と土累で画された郭

(曲輪)が数段残されている。江戸時代の地誌「新編武蔵風土記稿」には「越生四郎左衛門屋敷跡」と記されている。

生越四郎左衛門は「太平記」に登場する。南朝の北畠顕家を討ち取った武将である。越生神社下方の平坦地付近と推定

されている越生氏館背後の高取山に築かれた「物見砦」や「詰城」であった可能性がある。一方、現存する遺構は室町期

後半から戦国期のものであり、太田道真・道灌父子と長尾景春の戦いを中心とした時期のものとみる見解もある。

平成二五年三月 越生町教育委員会

越生子ノ権現

越生神社の境内にありました。

飯能の子ノ権現にも行ったことがありますが、ここにも勧請されたのですね。

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春日神社(埼玉県越生町)

2017-02-15 15:01:52 | ・神社・お寺

2017.2

走っていたら目に飛び込んできたので、埼玉県越生町の春日神社へ立ち寄りました。

いい天気^^

左側は線路で八高線沿いにあります。

シンプルな随神門 手作り感が良い感じです。

たくさんの御祭神が祀られているようです。

由緒

当社の創建は、延暦元年(782年)とされる。

当地内裏山の獅子岩の近くに祭祀されたを、征夷大将軍の坂上田村麻呂が、東夷征伐の際、現在地に遷し宮殿を

増築したとされ、内裏大明神と称した。

また、平将門が内裏を置いたとされ、延喜年間(901年~923年)には、平国香(将門の伯父)が修繕。松山城の城主、

上田能登守の再建を経て、元禄4年(1691年)に、現在の春日神社と改称し、越生十六郷の総鎮守と定めた。

慶安3年(1650年)には、将軍徳川家光より社領を与えられ、明治5年の社格制定の節には、越生総社に列せられた。

http://jinjajin.jp/modules/newdb/detail.php?id=3344 より

拝殿

本殿

拝殿から空間があって後方に本殿がありました。

大黒天の祠

左側に線路が見えています。

手水舎にヒヨドリくんが居ましたよ。

神楽殿

ん?中央に何か・・・?

笑顔が可愛いですねー。

平将門が内裏を置いたとされる辺りから、「平将門」がクローズアップされているのでしょうか。

 

 

春日神社(全国に約1000社)の総本社は、奈良の春日大社ですが、

奈良・平城京に遷都された710年(和銅3年)、藤原不比等が藤原氏の氏神である鹿島神(武甕槌命)を春日の御蓋山に

遷して祀り、春日神と称したのに始まるとする説もあるが、社伝では、768年(神護景雲2年)に藤原永手が鹿島の

武甕槌命、香取の経津主命と、枚岡神社に祀られていた天児屋根命・比売神を併せ、御蓋山の麓の四殿の社殿を造営したのを

もって創祀としている。ただし、近年の境内の発掘調査により、神護景雲以前よりこの地で祭祀が行われていた可能性も

出てきている。by wikipedia

との事です。鹿島神宮や香取神宮の神様が関係しているかもしれない。いずれまた調べてみようと思います。

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黒石神社(埼玉県越生町)

2017-02-15 15:01:33 | ・神社・お寺

2017.2

鳥居の奥に吸い込まれるように参拝してきました。

鳥居には「黒石神社」と書かれていますが、

他に何も情報を得られるものがありませんでした。

でも、とても魅力的な参道です。

拝殿・本殿一つになっています。中に何か祀られているのでしょうか・・・・。

帰ってから、ググっていろいろと調べました。

「黒石神社」ですが、鳩山町には四つの黒石神社があるそうです。

鳩山町大橋・黒石神社  鳩山町熊井・黒石神社  鳩山町須江・黒石神社  鳩山町竹本・黒石神社

黒石神社から見える妙光寺には、昔、寺子屋のようなものがあり、かなり優秀な人材が育ったそうです。また、

鎌倉時代前期に熊井太郎忠基が住み、熊井城があったと言われています。忠基は源義経の家来だったそうです。

この神社の御祭神は、日本武尊。

黒石の由来は、

① 鉄鉱石が取れた・・・黒い石鉄鉱石を使うことは、朝鮮半島からの伝来。

② 流れ星(隕石)がご神体。

の2説があるそうです。

http://blog.goo.ne.jp/shochanshochan_1946/e/71fc93a995c9080a0d29b67585e00833

鳩山町熊井・黒石神社 には「 内陣には長さ60センチと47センチの大小一対の灰色をした岩石が奉安されている」

といわれているそうです。

http://blog.goo.ne.jp/shochanshochan_1946/e/71fc93a995c9080a0d29b67585e00833

なかなか不思議な感じの神社ですね。鉱山の採掘知識を持っていた渡来人たちが鉄を使って権力を持ち、この地に

利益をもたらしたのかもしれませんね。

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厳島神社 (横浜市中区)

2017-02-14 17:51:06 | ・神社・お寺

2017.2 横浜・関内にある厳島神社へ行ってきました。

鳥居には「横濱辨天」

厳島神社 (横浜市中区)

横浜村の鎮守で、宗像三女神(市杵島姫尊、多紀理姫尊、多岐都姫尊)を祭神とする。

元来は洲干島とも呼ばれる入江の砂州上の寒村であった横浜村の更に先端にあり、洲干弁天社と称した。

創建は治承年間で、源頼朝が伊豆国土肥(現・静岡県伊豆市)から勧進したと伝えられる。

足利氏満は般若心経を奉納、太田道灌は社殿を再建、徳川家光は朱印地を与えている。by wikipedia


境内にはひょうたん池があって、清水が湧き出たため「清水弁天」とも、また所在地から「横濱弁天」とも呼ばれ

ていたそうです。

銭洗弁天社

奥には、「豊受稲荷(「ゆたかいなり)大明神」

横浜の金運スポットだそうな^^ 月日の流れ、横浜の発展に伴い、現世御利益バリバリっぽくなってしまったのだろうなあ。

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大楠山ハイキング1(立石公園駐車場)

2017-02-14 09:12:24 | ・旅

2017.2.11 三浦半島の最高峰!!!(笑)大楠山(海抜241.3m)へ行ってきました。

相模湾沿いの立石公園駐車場に入れて前田川から登りました。

駐車場に着くと「荒波と富士」!!!!!!

写真を撮っている方も多く、打ち付ける波を待ってパシャパシャ撮ってました。

こんな被写体選びもあるのだなと新鮮な気持ちで撮りましたよ。 

パット見は似たような写真ばかりですが、私的には波の色や飛沫がそれぞれに違って気に入ってます^^

反対側の秋谷海岸・佐島方面

伊豆大島がクックリと見えていました。

ちょっと沖のカンムリカイツブリの群れ

冬毛と夏毛の子がいますね。雌雄同色のようです。

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鶴見神社(横浜市鶴見区)

2017-02-11 17:13:30 | ・神社・お寺

2017.2.4

横浜関内へライブを観に行く途中で「鶴見神社」へ立ち寄りました。

横浜を中心として「杉山神社」が数十社あります。主に五十猛神(スサノオの子)や日本武尊を主祭神とする神社ですが、

多摩川を越えた領域には存在しない謎の多い神社だそうです。

で、この「鶴見神社」は、古来、杉山大明神(杉山神社)と称されていたそうです。

鶴見神社

東海道本線のすぐ脇にあります。横浜・川崎間の最古の神社のようですよ。

本殿は、杉山大明神(五十猛命)と天王宮(素盞嗚尊スサノオ)の二社相殿となっています。 

鶴見神社の創建は、推古天皇の時代(7世紀初め)と伝えられる。古くは杉山大明神(杉山神社)と称された。

1920年(大正9年)に、社名を鶴見神社と改めた。by wikipedia

天王宮、牛頭天王、素戔嗚尊(スサノオノミコト)に関してはいずれ調べてみようと思います。

狛犬があまり見たことのない荒々しい溶岩?の上から見下ろしています。

拝殿

鶴のマークが印象的ですね。

神紋は有職鶴(ゆうそくづる)

鶴は古代から霊鳥として尊ばれてきた。また亀とともに長寿のしるしとされ、めでたい動物といわれてきた。

wikiによると、「鶴見」の名は、鎌倉時代から現れ、源頼朝がここで鶴を放ったことから命名されたという伝説もある

ようですが、杉山神社の頃からこの神紋だったのでしょうか。それとも鶴見神社に改めた後なのでしょうか?

宝物殿の扉も神紋の有職鶴が印象的です。

拝殿を背に・・・たくさんの方が参っているようですね。

1962年(昭和37年)、境内の古木が倒れた際にその根元から弥生時代後期の土器や古墳時代の土師器、鎌倉時代に至る

祭祀遺跡が発見された。これにより、創建伝承以前から祭祀の場となっていたことが確認された。

また、2005年(平成17年)の施設構築時に貝層の中から弥生時代終末期〜古墳時代前期のものと思われる土器片が出土

している。さらに2008年(平成20年)の調査では境内から貝塚(鶴見神社境内貝塚として横浜市指定史跡に指定)が発見

されており、先の貝層との関連が考えられる他、今回発見された貝塚の周辺からも古墳時代前期の竪穴式住居跡が確認されて

いる。

 

相殿の天王宮に伝わる「鶴見神社大神輿」は、横浜最古の神輿とされ、例年7月の天王祭には古式ゆかしく渡御する。

この神輿は、約350年前に鶴見川の天王河原(現・潮見橋付近)に流れ着いたものと伝えられる。当時、少し上流にあった

鎮守天王社(現在は川崎市幸区小倉の小倉神社)の祭礼のとき、鶴見川で神輿を洗った際に、誤って流してしまったものと

される。


神木に関して、一つの伝承がある。江戸時代のこと、その神木の中でも大きな檜が人々の信仰をあつめていた。あるとき、

江戸の芝居小屋の棟木にするため、この檜の巨木を切り倒したところ、病人が出るなど奇怪なことが続いた。そこで、

この檜を伐採した跡に、これに代わる木を植えたところ、鎮まったという。by wikipedia


横浜最古の神事芸能田遊びは、明治五年を最後に廃絶となったが、昭和六十二年に再興された。以来杉山祭と呼称して

田祭り保存会が結成され、毎年例祭日に奉納されている。

本殿

本殿裏から

溶岩のような岩石に囲まれて建てられています。

ググってみると富士山溶岩を礎石にしていると紹介しているページもありましたが・・。社殿は1915年(大正4年)11月に

再建されたようですので、富士講の方々も関わっていたようにも思うのですがどうでしょう?本殿裏に富士塚もありましたし。

本殿奥の「富士塚」。

 

境内の外より。

かつては約5,000坪もの社地を有していたと伝えられていますが、明治五年(1872)、新橋・横浜間に日本初の鉄道が

開通し鶴見駅も開業したのだが、この際に線路敷くために、当社の西半分が失われてしまいました。浅間神社もあった

ようなのですが残念ですね。。。

 

いろいろとググってみると、こちら様のページが非常に詳しくまとめられていました。

https://jinjamemo.com/archives/post-2920.html

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