~風に吹かれて~ by ポー(paw)

-人の中に 人の創り出した物の中に 動植物の中に 地球や宇宙の中に 魂の琴線にふれ 愛を感じながら 生き込みたい-

二宮神社(東京都あきる野市)

2017-03-24 10:56:01 | ・神社・お寺

2017.3

「武蔵国一之宮 小野神社」参拝後、武蔵国二宮の「二宮神社(あきる野市)へ詣でました。

大鳥居

拝殿

本殿

御神木の大杉があったのでしょうね。

優しい風が吹いて、風で揺れる絵馬の音が印象的でした。

五社(伊勢・八幡・天王・天神・稲荷の五社を合祀)

荒波々伎社

足神様、門神様とも言われ、日本の原始信仰を残す神、健足長寿の神様。

時計が可愛い、社務所でした。

見晴らしが良かったですよ。


・創立年代は不詳。
・『和名抄』に記されている武蔵国多摩郡小川郷の鎮守であり、「小河大明神」とも称された。
・当社は武蔵国の二宮であったとされ、『神道集』『私案抄』にみられる「武州六大明神」の一角に数えられている。この
 六社のうち唯一、式内社ではない。現在も武蔵国総社・六所宮(現・大國魂神社)の一座に祀られているほか、周辺の
 地名は「二宮」と称されている。
・古記録によると、藤原秀郷が生国の山王二十一社中の二宮を崇敬する縁故をもって特に当社を崇敬し、天慶の乱に際し
 戦勝祈願をこめ、乱平定の奉賽として社殿玉垣を造営した。
・源頼朝、北条氏政も崇敬篤く、ことに北条氏照は滝山城主となって、同氏の祈願所とした。のち、神殿・神宮宅は罹災し、
 記録の大半が焼失した。
・一方、鎌倉時代には当地付近に大石氏中興の祖とされる信重が城館を構え、5代にわたって居城としたとの記録がある。
 この「二宮城」の所在を探るため、昭和47年(1972年)に二宮神社境内の一角が発掘調査されたが、関係する資料を
 得る
ことはできず否定された。しかし、この発掘調査では、寺院に関係する小型の金銅製薬師如来像や中世の瓦が発見
 され、
新たな謎を呼んでいる。特に、薬師如来像は小河大明神の御正体と推測されている。
・天正19年(1591年)、徳川家康より朱印15石を受け、以後、代々継承されてきた。現在の本殿は、江戸時代に建立
 された
といわれる。明治3年(1870年-1871年)、現社名に改称した。by wikipedia

二宮神社お池

参道の石段を降りて道路を渡った反対側には、当社の「お池」があり、豊富な湧出量を誇る清らかな湧き水が満々とたたえられ、「千人清水」と名付けられた小川が勢いよく流れ出している。この湧水は同市の八雲神社の湧水とともに、東京都選定
「東京の名湧水57選」のひとつに数えられている。by wikipedia

どんな干天でも涸れたことのない池だそうです。とても綺麗な湧水で、巨大な鯉が数匹優雅に泳いでいましたよ。


二宮神社の裏手には「二宮考古学館」があったので寄ってみました。

すごいですよ!縄文式土器に触れました^^ 

縄文中期の土器。いや~、なかなか複雑なデザインです。

こんな石棒まで展示されていました。

先に「・・・ この発掘調査では、寺院に関係する小型の金銅製薬師如来像や中世の瓦が発見され、新たな謎を呼んでいる。
特に、薬師如来像は小河大明神の御正体と推測されている。」と引用しましたが、まさかの金銅製薬師如来像が展示されて
いました! 

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武蔵国一之宮・小野神社(東京都多摩市)

2017-03-23 05:52:49 | ・神社・お寺

2017.3 多摩市にある「武蔵国一之宮・小野神社」へ詣でてきました。

そもそも一之宮とは何ぞや???

一宮(いちのみや)とは、ある地域の中で最も社格の高いとされる神社のことである。一の宮・一之宮などとも書く。
通常単に「一宮」といった場合は、令制国の一宮を指すことが多い。一宮の次に社格が高い神社を二宮、さらにその次を
三宮のように呼び・・・・by wikipedia

というわけで、簡単には、「ある地方の立派な神社」というわけですね。

しかし、これがなかなか複雑な・・・・・。

大鳥居

08:30頃着きました。朝の陽射しがとても気持ち良く、広々した境内はとても清々しかったですよ。

隋神門

いや~、彫刻がスゴイです。

龍が睨みを利かせていました。

拝殿

赤い拝殿・・・何かチカラの漲った空間です。

本殿

こちらも鮮やかな赤色でした。

拝殿の神鏡の裏側

裏側も鏡になっていました。神鏡の裏側を見ることはなかなか無いですね。 

末社殿

この中に末社が入っています。大切にされていますね。

南門

こちらにも隋神門がありました。

境内の外にも祠が・・。

武蔵野国の6つの神社と総社

 小野神社のhpによると、「一之宮とは、中世に全国的に確立した、国内における神格の格付けで、国内第一の鎮守という

意味です。南北朝時代に成立した『神道集』の記載にも『一宮は小野大明神』という記載が見られ、一宮=小野神社(当社)で

あることが確認できます。武蔵国内には

一之宮:小野神社(当社:多摩市)を筆頭に、
二之宮:小河神社(現・二宮神社:あきる野市)、
三之宮:氷川神社(さいたま市)、
四之宮:秩父神社(秩父市)、
五之宮:金鑚(かなさな)神社(児玉郡神川村)、
六之宮:杉山神社(横浜市緑区西八朔)が編成されていたことが分かります。」となってます。

 

http://sigin.sakura.ne.jp/junpaikai/HTML/Musasikoku1miya.htm
こちら様のページに「武蔵国の一宮問題」とあります。下記に要約します。なかなか複雑ですね^^;

・武蔵団の一宮は通説として、旧大宮市にある氷川神社とされている。


・一宮として資料的にも近世以降の古文書は「一宮」を裏付けている。室町末期の『大日本一宮記』や橘三喜の
『一宮巡詣記』も武蔵国一宮としている。

・諸国一宮を比定した資料、『国史大辞典』・『神道大辞典』・『大日本地名辞典』などにでは、武蔵一宮は
氷川神社一社としている。武蔵国こは氷川神社が多い。東京都には59社、埼玉県に164社もあるという。
その総本社が大宮氷川紳杜。

一宮、二宮、三宮、、、の序列は日本六十八カ国、国単位だけでなく・、郡・荘園・郷村単位にもあった。それ故、
全国各地に一宮、二宮、三宮、の地名や一宮、二宮、三宮神社等の紳社名が多い。

・小野神社は古代は多摩郁小野郷。中世は多摩郡(多西郡)。現在、東京都多摩市一宮に所在する。『中世諸国一宮制の
基礎的研究』(岩田書院)によれば、14世紀成立『神道集』・『吾妻鏡』の中に一宮とする記述があり、郡・荘園・郷村
の一宮とせず、氷川神社とともに武蔵国一宮としている。

・氷川神社と小野神社との処遇の比較を見ても平安や江戸時代、明治から戦前に至る公的処遇は当然、武蔵国一宮は氷川神社
と軍配を上げざるをえない。


・武蔵一宮説
古文書に鎌倉時代に小野神、一宮という記録や多摩市内に一宮という地名が残る。小野神社の「小野」は第三十代敏達天皇
春口皇子を祖とする古代豪族であり遣隋使となった小野妹子、平安時代遣唐副使や参議にもなった小野筧、その孫小野小町等
が有名である。.この筧の七世高泰が武蔵国守として赴任し、その子孫が蛮族として土著した。武蔵七党といわれ横山・猪俣
などの諸氏である。小野氏は小野妹子が近江国滋賀都小野郷に住み姓名としたと『姓氏録』にある。現在もこの地に
武蔵小野神社の本源とも見なされる小野神社がある。

・武蔵一宮の初見は鎌倉初期。
一宮、二宮、三宮、、、の序列に武蔵七党的など党的武士団の影響力が強く、この頃、小野神社が一宮とされたのではないか
と推定する。 『中世諸国一宮制の基礎研究』jによれば、鎌倉時代の神社ランクと支持武士団を次のようにしている。
一宮小野神社(横山党・西党〉、
二宮二宮神社(西党)、
三宮氷川神社(野與党・足立氏〕、
四宮秩父神社(丹党・猪俣党)、
五宮金鑚神社(児玉党)、
六宮杉山神社(横山党)。 
これら武士党人は国衛の役人としても権力をもつこともあり、律令制度では神階も高い名神大社の氷川神社を三宮にする
など、歴史の変遷による一宮問題の流れが見られる。しかし、室町、戦国時代、江戸期にかけこれまた支配者の変化により、
氷川神社が浮上。一宮の地位を確保したと推察する。

・武蔵国総社(惣社)とLて東京都府中市宮町に大国魂神社がある。六所宮ともいわれ国府の所在地にある。総社はその国の
有力な神々を国府へ勧請し国内の行政安泰などを祈願する神社である。いわば神様の出先機関の総合神社ともいえる。
この神社の祭神は主神大国魂大神(人己貴命〉に配祀して
小野大神・小河大神・氷川大神・秩父大神・金佐奈大神・杉山大神が祀られている。
団塊の神々に口々の平穏を祈願するためである。 

・武蔵国以外にも「二つの一宮」が多い。その原因を大別すると、

(1)朝廷、貴族が支持Lた神社と台頭してきた武士階級の八幡宮などとの対立や並立。
(2)粗神め男神の神社とその妃神を祀る神社との対立。
(3)天孫族を含む高天原系紳社と出雲族系の神やや渡来系土着地祇神との対立、並列
(4)同名・同神であるが本宮・中宮・下宮が一宮を名乗ると様々である。

武蔵一宮のケースは1・3の項目こ該当するようだ。この多摩市小野神社に対し「論社」として府中市に同名の小野神社が
ある。旧郷社であり主神天下春命も同じである。国府の近くにあった。

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3月の鳥さん

2017-03-21 18:51:36 | ・鳥・生物

う~む・・・今年はレンジャクは関東に来てるのかな?

アトリの多いシーズンだったようですけど、遭遇は一度だけだったな。 

カワセミ

2017.3 埼玉・秋ヶ瀬公園にて

モズ

2017.3 埼玉・秋ヶ瀬公園にて

わはははは(笑)み~んな逆立ち^^ オナガカモかな?

2017.3 埼玉・秋ヶ瀬公園にて

アオサギ

2017.3 埼玉・秋ヶ瀬公園にて

ギャーギャーと何かが鳴いている・・・。

高樹木の上にアオサギの巣があって10羽以上飛び回っていました。まるで鳥獣です^^;

2017.3 あきる野市・阿伎留神社境内にて

アオサギ

2017.3 あきる野市・阿伎留神社境内にて

アオサギの卵の殻だと思われます。青みがかっています。

孵化した後か・・はたまた・・・

2017.3 あきる野市・阿伎留神社境内にて

オナガ

2017.3 埼玉県所沢市

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仙波浅間神社(埼玉県川越市)

2017-03-20 20:11:39 | ・神社・お寺

2016.3 仙波浅間神社(埼玉県川越市)へ参拝に行きました。

この神社に関しては、http://www.kawagoe-yell.com/sightseeing/hujisengen-shrine/

こちら様に詳しく解説がされています。こちら様によると、

仙波浅間神社の社殿が乗っかっている小山は、「浅間神社古墳」という古墳です。

全部で6基ある小仙波古墳群の1つです。別名「母塚」と呼ばれ、ここより約300m程歩いた場所には父塚(愛宕神社古墳)

があります。高さ5.8m、径が4.2mほどの大型円墳で、墳頂は神社社殿によってかなり削られてしまっているようです。

また、古墳の周囲には低い部分があることから周溝(古墳のまわりをめぐらされた溝)があったと考えられています。

拝殿

本殿

溶岩が積み上げられていますね。なかなかの迫力です。

本殿裏には、このような溶岩洞穴を模したような穴もありました。

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八幡神社(入間市上谷ケ貫)

2017-03-20 20:11:15 | ・神社・お寺

2017.3 入間市上谷ケ貫の八幡神社へ詣でてきました。

とっても「村の鎮守様」という雰囲気でした。

なんか・・・かわいそうな状態でした。。。。


文和三年(1354)武田一族で、増岡重義(嘉慶二年・一三八八)と云える者が、豊前の国(大分県)の宇佐八幡宮の分霊を

当村誌金子の郷谷ヶ貫村逢谷に勧請したものと伝承される。

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白鬚神社(埼玉県鶴ヶ島市)

2017-03-10 16:05:51 | ・神社・お寺

2017.3 いつも近くを通る白鬚神社(埼玉県鶴ヶ島市)を詣でてきました。

奈良時代の創建と伝えられ、武蔵国を開拓するためにこの地に居住し高麗郡をつくった高句麗人たちが築いた神社とされて

いる。高句麗人は高麗郡に26の神社を創建し、それぞれを村の鎮守として崇敬したという(高麗郡における高句麗人の創建

した神社として日高市の高麗神社が有名)。江戸時代頃までは和田、高倉、大六道(上新田)、小六道(中新田)、

太田ヶ谷、針うり、脚折の7村(現在全て鶴ヶ島市)の総鎮守として崇拝され、明治時代以降は村社として存在していた。

by wikipedia


 

・白鬚神社(しらひげじんじゃ)は、の総本社は、滋賀県高島市鵜川にある。

 

・高島の白鬚神社は、沖島を背景として琵琶湖畔に鳥居を浮かべることから、「近江の厳島」とも称される。

 

・祭神は猿田彦命 (さるたひこのみこと、猿田彦大神)

 

・国史に「比良神」と見える神名が当社を指すとされており、元々の祭神は比良山の神であるともいわれる。人格神が

 

 猿田彦命とされた由来は不詳であるが、猿田彦命は水尾神社(高島市拝戸)の縁起『三尾神社本土記』にも見えること

 

 から、両社の密接な関係が指摘される。

 

・社伝では、垂仁天皇(第11代)25年に倭姫命によって社殿が建てられたのが当社の創建であるという。また白鳳2年

 

 (674年)には、天武天皇の勅旨により「比良明神」の号を賜ったとも伝える。

 

・後述の国史に見える神名「比良神」から、当社の元々の祭祀は比良山に対するものであったとする説がある一方で

 

 白鬚信仰の多く分布する武蔵国北部や近江・筑前には渡来人が多いことから、それら渡来人が祖神を祀ったことに

 

 始まるという説もある。by wikipedia

手水舎の裏側にも祠がありました。

本殿と梅

異様な木肌で、一瞬驚きました。

境内の脚折のケヤキ 樹齢900年以上

昭和7年に県指定された当時は、樹高約36メートルでしたが、昭和47年の暴雨風により枝周り3メートルの大枝が損壊し、

幹の3分の1を欠落してしまいましたが、それでも樹高は約17メートル、幹周りは約7メートルの巨木。市内で唯一の

県指定文化財の保存に力を入れています。 

 

ところで、白髭神社・高麗神社に関して、とても興味深いサイトをみつけました。

いや~、素晴らしいです!! まさに古代ロマンですね!

「白ひげさん伝説」

http://www.rekitan.co.jp/styled-2/styled-25/index.html

こちら様によると(抜粋)

・埼玉県の日高市を中心として、川越市、狭山市、入間市、飯能市、鶴ヶ島市には、約30社もの白髭神社が点在している。

・埼玉の白髭神社は村社が多く、人々に慕われ、愛されてきた場所である。

・高句麗の人々の痕跡は、地名や遺跡で知ることができる。甲斐の国~巨摩郡。相模~高麗山。東京~狛江市。こうして、

 分散され住まわされた人々を一箇所にまとめて作ったのが、高麗郡。

・高麗郡がおかれた場所は、いわゆる空閑地。弥生時代、古墳時代の集落の跡は発見されていない。この原野を開拓し、

 田や畑を作り、窯の跡、製鉄の跡等も発見されている。集まった1799人が、短期間のうちに高度な文化的生活を送る

 ようになった。それを実現するための強力な指導者が高麗若光であったと考えられる。

・日本書記には、666年(唐と新羅からの挟み撃ちに合いながら、必死で戦っている時)、高句麗からの使いが日本に

 やって来たと書かれている。その中の一人に玄武若光の名前がある。そして、続日本紀によると703年、

 「従五位下高麗若光に王(こきし)の姓を賜う」との記載が登場する。この段階での王の姓の授与は、既に高句麗からの

 渡来人を組織し、ある土地で名をなした首長になりつつあったことを意味する。この地とは、神奈川県の大磯であったと

 思われる。高麗山の下にある高来神社が、その伝承を伝えている。

・高麗神社も昔は「白髭神社」と呼ばれていた。高麗神社は、高麗若光を祀るとともに、代々直系の子孫が宮司職を継いで

 おられる。「白髭神社」は、いつしか、高麗若光のイメージと重なり、本物の「白鬚」をはやした若光を祀る神社へと

 変遷していったのではないだろうか。この地で言われる「白髭明神」とは、高麗若光に他なりません。

・四神の考え・・若光は玄武、すなわち、北の守り神。青龍の地が上総、大磯に朱雀、甲斐に白虎であったのではないか。

・夏至の頃の星座・・北極五星のひとつこぐま座のβ星コカブ、右側の、北斗七星、そして左斜め上には現在の北極星

 こぐま座のα星ポラリスの位置関係が、高麗神社と白髭神社の分布と同じである。玄武若光は、玄武(北)の空の

 不動の星となり、それを囲むように白髭神社が作られた。

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あの枝垂れ梅

2017-03-06 17:52:20 | ・植物

2017.2.28 15時

毎年、ホントに綺麗に咲いています。

お手入れも大変かと思いますが、いつまでも咲き続けて欲しいですね。

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正一位浅間神社(市川三郷町宮原)

2017-03-05 17:22:22 | ・神社・お寺

2017.2

ミスミソウを見終えた後、市川三郷町宮原地区の「正一位浅間神社(宮原浅間神社)」へ立ち寄りました。

すごい両部鳥居ですね。

鳥居の上部の笠木には瓦屋根、黒い稚児柱にも瓦屋根があります。

境内

水の流れは無く澱んでいましたが本殿を包むように水路がありました。

拝殿

本殿

神楽殿・・・かなり老朽化していましたね。

創建年代は不詳。社記は景行天皇56年6月、国造・塩海足尼が入国のさいに幣帛を奉じたと伝える。岩間庄の総鎮守、

また岩間・葛篭沢・宮原3村の産神であり、ふるくは表門神社、浅間神社、磐間宮などと称したほか、当地域の一宮とも称された

(宮原の山宮明神を二宮、八幡宮を三宮と称する)。有栖川宮家の祈願所であり、天保8年(1837)に正一位の神階を授けられる。

明治6年に郷社へ列格、社号を浅間神社に定めた。http://iiduna.blog49.fc2.com/blog-entry-42.html 様より抜粋

宮原浅間神社壱番神輿

神輿は神霊が本社から他所に渡御されるとき、奉安する輿のことです。この渡御を、御幸・お旅と称します。この神社の御幸は

「河内御幸」とよばれ、甲州三御幸の一つで公祭として「古ハ東河内領十島ヨリ落居ニ至ル西河内領南部ヨリ箱原ニ至ル諸村ヨリ人夫ヲ出シテ供奉」

(甲斐国志)していました。この神輿は、山梨県における三大神輿の一つといわれ、下山宿大工棟梁石川七郎左衛門源重甫により文化13年(1816)

丙子8月吉日に建造されました。http://iiduna.blog49.fc2.com/blog-entry-42.html 様より抜粋

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一宮浅間神社(山梨県市川三郷町高田)

2017-03-05 17:22:02 | ・神社・お寺

2017.2

早春の野花を見に行くついでに一宮浅間神社(山梨県市川三郷町高田)へ立ち寄りました。

一宮浅間神社

山梨県西八代郡市川三郷町高田にある神社。式内社(名神大社)論社で、旧社格は村社。

鎮座地は高田集落の南方、西八代台地の西北端に位置し、神社は古くは単に「一宮」や、「一ノ宮明神」

「市川一の宮」などと称された。

『延喜式神名帳』に載せる甲斐国八代郡の名神大社「浅間神社」であり、「一宮」の古称も甲斐国の一宮と

されたことに因むものであるという。

by wikipedia

美しい境内です。

桜門

立派ですね。

拝殿

拝殿前より

本殿

1703年(元禄16年)の造替。

境内にはあちこちに祠が見られました。

1854年(安政元年)に当地を襲った大地震の際に、被災者の救済に尽力した代官の荒井顕道と名主依田安清を生きながら

祀った生祠に起源を持つ末社や、ほか5社がある。

アンパンマン^^

こちらが高天原伝説の高台なのでしょうか??

地神さま

「甲斐国一之宮の浅間神社」は、山梨県笛吹市一宮町にあります。

午前中の陽光がキラキラして、とても澄んだ空気の神社でした。

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セツブンソウ(節分草)~山梨県市川三郷町

2017-03-05 17:20:03 | ・植物

2017.2.26

山梨県南部方面(市川三郷町)へ、早春の植物を見に行ってきました。

ミスミソウ散策の合間に市川三郷町古宿地区のセツブンソウの群生地へ寄ってみました。

群生地は、民家の裏山のようなところでした。左側の斜面です。

ちょっと遅いかもとの情報を頂きましたが、確かにピークは若干過ぎているみたいでしたが、まだ沢山咲いていましたよ。

ツボミもありました。

ツボミも可愛いですねー。

いや~すごい数です。まさに群生地ですねー。 綺麗な色合いの小さな花です。花の裏側の葉もユニークな形ですね。

セツブンソウの葉っぱ・・・2年目でしょうか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

セツブンソウ(節分草、学名:Shibateranthis pinnatifida Maxim.)

・キンポウゲ科セツブンソウ属の多年草。

・古名は、イエニレ(いへにれ、家楡)、漢名には菟葵・莃が当てられるが、中国語では別の植物を指す。

・高さ10cmほど。花期は2-3月で直径2cmの白い花を咲かせる。花弁に見えるのは萼片である。

 黄色の雄蕊は、花弁が小さくなり蜜線に変化したもので、濃い紫色の雌蕊と共に中央に固まっている。

・和名は、早春に芽を出し節分の頃に花を咲かせることからついた。

・可憐な花は人気が高く、現在は、乱獲や自生地の環境破壊によって希少植物になっている。関東地方以西に分布し、

 照葉樹林の林床、特に石灰岩質の礫地を好む傾向がありますが、乾燥を嫌います。 環境の悪化(自生地の減少)により

 準絶滅危惧種になっています。

他の草木が芽をださない早春に花を咲かせ、他の草が大きく伸びる初夏には、地上部は枯れてしまいます。

 スプリング・エフェメラル ( spring ephemeral )と呼ばれる春植物のひとつで、可憐さから人気があります。

実生の1年目は、幅1㎝、長さ2㎝程度の楕円形の1枚の双葉(双子葉植物ですが双葉は1枚しかありません)を展開します。

 最初の年は本葉を出さず、地中に小さな球根を形成するだけです。2年目には1枚の本葉を展開します。そして、早ければ

 3年目以後に開花を始めます。

 白い花弁のように見えるものはガクで、普通、5枚あります。花弁(の名残)は10個程度、ガクの内側にあって

 先が2~4裂し、裂片の先は黄色くなり蜜腺化しています。おしべは多数あって、葯は青色、めしべは数本あり、

 ややくすんだ桜色。 草丈は、花の咲くもので 8~15cm程度です。

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