とのさま不経済新聞 by 雲葉

「よるのとのさま」から改題(2013年2月1日)

哀歌第9部 ~横浜プリンスホテル

2006年07月02日 | とのさまの休日
  JR根岸線磯子駅を降りると、山の上に聳え立つ巨大な建物があります。それが横浜プリンスホテルで、去る6月30日で歴史に幕を閉じました。
  日韓蹴球世界杯のときはタクシーの乗客が新横浜プリンスホテルのつもりで「横浜プリンスホテル」と告げたため、ここへ連れてこられたり、小机のサッカー場のつもりで「横浜スタジアム」と告げて関内の野球場へ連れてこられたり、そんなエピソードも苦笑ものでした。

  拙者は一度も泊まったことはありませんし、結婚式や夏のビアガーデンなどで訪れたこともありません。では何に思い入れがあるのかというと、やはり仕事絡みです。

  地図にフロアガイドを載せるため(例えば1階に花屋、レストラン○○、といった感じで)フロントへパンフレットをもらいに行くのです。高級ホテルにジーンズ姿の男というのも極めて不釣合いですが、それでも身分や来訪目的を明かせば警戒心は和らぎますし、係の方々は親切でした。

  かつては磯子駅前から送迎バスが運行されていたのですが、それもかなり前に廃止されています。というのは、かつて国道16号沿いにあったボウリング場が閉鎖され、跡地にマンション、その名もプリンスハイツが建ちました。

プリンスブリッジ


  そのマンションの一角にホテルへの専用通路が設置され、そこを通るようになったわけです。1階入口からエレベータを上がり、プリンスブリッジと称される橋を渡れば、そこはホテル。ところがこの通路もホテル利用者以外は通行不可とされながら、山の上の住人が買い物などの生活通路に使っていたのが日常です。高級ホテルにスーパーのレジ袋を提げたおばちゃんというミスマッチも、ここならではだったのかもしれません。(褒めていいのかどうか(^^;) 実は拙者も何度か通っております。

  この通路も今はどうなっているのか、まだ見に行っていません。でも跡地はマンションになるようなので、住民向けの通路として残るのではないでしょうか。でも麓のマンションとは所有者が違うはずなので、新マンション住民が使用料を支払って専用とするのか、あるいは公道扱いとするのかはわかりません。

  磯子駅を降りて山の上に聳え立った威容も時が経てば忘れてしまうでしょう。でも麓のマンションと共にプリンスブリッジの名前は、名残として残してほしいものと思います。