とのさま不経済新聞 by 雲葉

「よるのとのさま」から改題(2013年2月1日)

瀬谷に陽はまた昇らない?

2012年07月28日 | 新聞投書から
  今日の朝日新聞「声」欄への投書から。投書者は横浜市瀬谷区在住45歳会社員の男性です。なおデジタル版も閲覧しましたが同一内容でした。


『バス停設置 高齢者に配慮を』

  先日、猛暑の日中に買い物に出た時のことです。私の自宅近くで、路上の木陰に1人のお年寄りが立っていました。最初は何をしているのか分かりませんでした。バスを待っていたのだと分かったのは、買い物を終えて再びそこを通った時、そのお年寄りが木陰を出て4、5メートル離れたバス停に向かうのを見たからです。バスの到着時刻まで、猛暑の日差しを避けるため、離れた木陰におられたんだ、と初めて気づきました。
  バスを日常の交通手段として頼りにしているお年寄りは多いと思います。そんなお年寄りにとっては、10分、20分でも炎天下に屋根のないバス停で待つのは大変な負担です。市営でも民営でも、バス路線は採算がとりづらく、予算に余裕がないケースが多いのも現実でしょう。でもバス停を設置した方々は一度でも炎天下で待つお年寄りの姿を見たことがあるのでしょうか。屋根の設置が無理なら、せめてあのような木陰にバス停を置けなかったのでしょうか。
  昨今の夏の暑さは、一昔前とは比べものになりません。今からでも移動できるところでは木陰に移していただけないでしょうか。少なくとも、今後バス停を新設する時は、お年寄りなど弱者のことを考慮に入れてほしいものです。
(引用終)


  いやいやなかなかお年寄りを気遣う立派な御仁で…、おや?

  何か変だと思いませんか? そうです。「木陰」にバス停を置くことです。

  小学生でも理解できることですが太陽の位置が動けば木陰の位置も動きます。10分や20分ならさほど大きく動くことはなくとも、午前10時は木陰でも午後3時は日なた(あるいはその逆)ということもあるのです。

  では木陰を察知して連動するバス停を開発しましょうか。でも午前中は歩道側にあった木陰が午後には車道側へ移ったらどうしましょう? 「この木なんの木」みたいな大木ならへっちゃらでしょうけど瀬谷のバス通り沿いにそんな大木あったかなぁ?

  現実的には屋根を設置するのが最善なのですが、歩道が狭かったりで設置が難しいケースも少なくないでしょう。小さな屋根なら「小さいから少し陽が傾くと陽が当たって暑い!」ということにもなりかねませんし難しい問題です。

  ところでこの投書は原文ママなんでしょうか。「声」欄編集部が手直ししたらかえってへんちくりんになってしまったとか?願わくばそうあってほしいと思います。

墓穴を掘らずんば墓地を得ず

2012年07月26日 | 新聞投書から
  朝日新聞「声」欄の投書から。投書者は横浜市南区在住26歳無職の女性です。

  ここに引用しようと朝日新聞デジタルを閲覧したところ、紙面掲載と若干異なっていることが分かりました。本文中青字で表示してある箇所は紙面では省略されている部分です。


『相手チーム応援禁止の席とは?』

  先日、家族と横浜スタジアムに野球観戦に行きました。地元の横浜ファンでほぼ埋めつくされた右翼スタンドで、ヤクルトの応援をしていたら、中年の女性が近づいてきて言いました。「ここは右翼スタンドなの。ヤクルトの応援は不愉快。左翼スタンドに行って」
  私が断ると、その女性は連れの男性と一緒に、大声で私を罵倒し始めました。「応援の常識を知らないやつがいて困るよな」「厚顔無恥って言うんだよ。バーカ」
  私はヤクルトを応援して拍手をしたりはしていましたが別に、横浜にヤジを飛ばしていたわけではありません。後で横浜スタジアムに電話をして尋ねたところ、右翼スタンドでビジターの応援をしてはいけないという規則はないとのことでした。
私が右翼スタンドにいてはいけない理由は、どこにもないはずです。
  「あの女、頭おかしいんじゃねえの?」「うちのお父さんだったらボコボコにしてるよ」。そんな声も聞こえましたが、一部の人たちだけで勝手に連帯感を抱き、そこからはみ出した者を、正当な理由もなく排斥する。これって「いじめ」ではないでしょうか。
(引用終)


  どちらも大人げないと結論づけることもできますが、それはさておき。日程からして今月16~18日の3連戦のいずれかでしょうか。家族も一緒というなら祝日の16日が有力ですかね。ではそれを前提で話を進めます。

  さて、この方は極めてまずい対応をしました。

  右翼側までビジターチームのファンで埋まるJ宮球場ならともかく、横浜スタジアムでは同様にはいかないのです。そこへ自ら虎穴というか湾穴なら海溝(?)へ足を踏み入れようなど無謀にすぎます。なぜそこまで右翼席に固執したのでしょうか。

  しかも相手チームは今年も穴深く“地底”を進撃するベイスターズです。ファンのイライラは募っているでしょう。

  しかもこの日のスコアを見ると、最後は逆転したとはいえ、5回表まではスワローズが5対4とリードしているのです。そんな状況下でスワローズの応援をしていれば顰蹙を買うのは当然でしょう。

  右翼席や一塁側でビジターチームの応援をしてはいけないなんて規則は作れるはずもありません。先述のような状況もあり得るからです(自チームファンが多く来場する一部の球場ではあるらしい)。しかし世の中には「不文律」とか「暗黙の了解」というものが多々あります。例えば高校野球で反対側のアルプス席へ行って自チームの応援をすることがまかり通るでしょうか。(アルプス席は一般発売しているようです=甲子園球場のサイト) 「正当な理由」がほしいなら「秩序を保つ」ではいけませんか?

  それにしても球場へ行くほどのファンがこれを知らないというのは不思議でなりません。

  最後に、これが横浜スタジアムでよかったですね。もしK子園とかMツダとかNゴヤだったら(((((((゜Д゜;)))))))ガクブル

(以下蛇足)
  応援って自チームを奮起させるのが目的なら反対側(例えばホームゲームなら三塁側や左翼席)で行なったほうが効果的なんじゃないのかな? ベンチの後ろじゃ見えないし。それとも相手チームの気を散らすため? 試合よりも応援が目的と化したような都市対抗野球を見てるとつくづく思います。

予行演習(笑)

2012年07月24日 | 横浜市鶴見区/鶴見線ファンクラブ
  ふと思い立って嫁はんと出かけます。行き先はアルカード国道こと「国道下」です。

  今週28日(土)放送予定のおんな酒場放浪記がここらしいとの番組予告を見て、放送後だとまた騒がしくなるかなと、いわば“予行演習”です (写真は倉本嬢のサイン、字が曲がってるのはすでに飲んだ後か?

  その倉本嬢、6月23日放送の溝の口「かとりや」の回のエンディングで、店を去った後に途中で歩く向きを変えて立ち飲み屋(「いろは」)へ向かったのには笑いました。

(閑話休題)
  鶴見駅で鶴見線乗り場へ行くと発車チャイムが変わってます。どうやら3月に変わったらしい。あれ?前回来たとき(4月)はと思ったら花月園前駅から歩いてきたので鶴見駅を通っていないのでした。

  国道駅を降りると足許からこれも新しく警報音が聞こえます。急カーブ上の駅なので足を踏み外さないように。階段を降りても焼き鳥の匂いがせず一瞬ドキッとしましたが暖簾は出ていてやれやれ。

  ママさんに「お久しぶり」と言われ、ついに覚えられてしまったか いや覚えてほしくないわけでなく、そんなに足しげく通ってるわけでないのだし恐縮してしまいます。

  やはりまずは蛇口から出る(笑)ビール、そして焼き鳥を。そしてその辺で獲ってきた(笑)アジとタコの刺身はもはやスーパーのなんぞ比較にならぬ サワーも何杯かいただき、牛スジ煮込みとモツ炒めで会計は5千円ちょうどと相変わらず良心的です。何十円か端数が出たようですがおまけしてくださいました。

  今日はカウンターが埋まる程度の“入り”で、ご常連さんとも歓談して楽しく過ごせました。

  ということで鶴見線沿線はまだまだディープなところがありますからねぇ。あと2~3軒は行きますよ~

  帰りは浜川崎経由で。弁天橋駅前の秩父屋食堂に赤提灯が下がってます。あれ?居酒屋営業なんかやってたかな?拙者としたことが、これはまた視察せねば

  そういえばママさんとも倉本嬢の話を少し。さすがにモデルさんだけあってスラッと長身(173cmとのこと)だったそう。

  さて今週末の放送が楽しみであります。

でんしゃのぬりえ

2012年07月22日 | 夜のとのさま
  勤務先から1枚頂戴してまいりました。

  Vマーク商品発売30周年記念企画の一環として、「でんしゃのぬりえ大会」を開催するとのことです。参加資格は小学生以下とのこと。残ね、いやなんでもありませんゴホゴホ

  どうやら絵柄は3種類あるよう。そこに下絵として描かれている電車は同じみたいです。といっても正面1枚窓の非貫通タイプと、日本では見覚えがない架空の車輌ですが。

  でも考えてみると子供たちがどういうデザインをするのかちと興味深くもあります。

  例えば車輌側面にはドアがありません。連窓部分をドアに見立てて両開きにしたり、あるいは小窓の部分で片開き戸を描いてみてもいいわけです。将来のホームドア設置に備えて等間隔にドアを置くなんてことまで考える子がいたら、はたしてこの先有望か空恐ろしいか。(笑)

  パンタグラフもないので気動車にすることも可能でしょう。あるいは第三軌条の地下鉄か。そして腰帯部分にサインカーブが描かれていたら、それはお父さんの入れ知恵に間違いありません。

  この台紙の裏面には見本もあって、ただどれも車輌は単色のベタ塗り。ほぼステンレスカーしか馴染みのない子にとっては銀色かグレーに塗りつぶすだけになってしまうのでしょうか。そして腰帯の部分だけ何色か入れて。

  ちなみにこの用紙の配布と応募締め切りは今月末まで。そして8月1日から12日まで店内に掲示され、その後は返却するとのことです。

  登場時の国鉄185系電車のような斜めのグリーンストライプを入れるといった斬新な発想が見られるでしょうか。それともかつての相鉄ほほえみ号のようなカラフルなデザインが見られるでしょうか。

  今から楽しみです

  これをスキャナーで取り込んで作画ソフトで色付けするなんて子も現れますかね?

もういちど横浜放浪記 ~川向町「阿部商店」

2012年07月10日 | 横浜市都筑区


  『なつかしの店と家並みに、想いを馳せる。
     ポケットの小銭あつめて、あの街へ…


  今日は嫁はんと横浜探訪、5年前の記憶を辿ります。

  このえにっきの2007年2月13日付で記した“商店”へと足を運びます。

  東横線大倉山駅から市バス41系統で、まずは川向町折返場へ。余談ですけどこの41系統も鶴見駅と中山駅を結ぶ便はすでになく、新横浜を中心として東西に走る系統になって久しい。それなら系統名を分けたほうが分かりやすそうではあるけれど、今のところそれらしい気配はありません。

  太尾堤交差点を過ぎて新羽橋を渡ると、かの名高きとの様飯店が現れます。「何の変哲もない」と書いてしまったものの取材した記者さんには独特のフォルムに見えたよう。当方は星の数ほどのビルを見てきたし、平凡に映ったのか。慣れとは恐ろしいものです。

  20分ほどで終点の川向町に。横浜上麻生線を小机方向に歩き、途中で旧道に入って川に差し掛かったところに今回の目的である「阿部商店」の看板が見えます。

  「阿部商店」外観近影

  土手側から近づくとそこにもテーブル席があり、下ではニャンコが涼みに来てました。

  店先にいたニャンコ

  このニャンコ、撮影には応じてくれたものの、撫でようと手を出すと殴りかかってきた 独りの時間を邪魔するなということか?

  階段を降りて店内へ。横には駄菓子屋が併設されています。どうやらこちらは裏口だったよう。入れないことはありませんが。

  先客は年配のご常連さんが2人。どちらもすでに一杯やっていて、こちらも麦酒を一本。生は神奈川県内広域麦酒企業団(笑)のものなので麒麟のを瓶で。エアコンは作動してないけど風が通って意外と涼しく気持ちいい。

  メニューは日替りの定食(840円)が肉料理か魚か、あとは麺類など。それでは肉と魚とを頼んでつつき合いましょう。飲んでいると定食の“付け合わせ”が先に出されました。地の野菜を使った粉ふきいもや漬け物、卵焼きなど、すでにそこそこの量がある。特段に美味しいというわけではないけれど、素朴で家庭の味という感じ。

  今日の定食は豚肉のソテー味噌味、そして魚は柳カレイにカレー味をつけ、おそらく揚げない唐揚げ粉をまぶして焼いたのではないかな。付け合わせのサラダも地の野菜というからすごい。この野菜は店先でも売られてます。

  阿部商店でした。素朴で家庭的な味わいがなんともいえませんでした。店を切り盛りするばあさまのお人柄もあってね、横浜という煌びやかに見える都市でもこういった田舎的な雰囲気が味わえるんですね。それでもおかずの量の多さ、これがまたなんとも横浜らしさを主張しているようでよかったですね~。

  しかも「商店」という名前に騙されました。5年前はそれでここでお昼を食べそこねたんですから。やっと念願が叶ったということで、あと1~2軒、ぜひとも探そうと思います。では

  
との様も 城下で酔うる 五月晴れ (雲葉)


  冒頭写真の右手にある森は小机城址です。すでに7月ですけど「梅雨の晴れ間」ということで許してください。

  その後は徒歩でここも初見となるららぽーと横浜へ。日差しの下を排気ガスにまみれて歩くのも懐かしい。館内に入ると火曜の午後というのに人が多い。特に買いたいものもなく、ここから41系統で大倉山へ戻りました。

  阿部商店は1130~2100時の営業、水曜定休です。一部に10時開店という表記があるのは駄菓子屋のほうでしょうか。

ありし日の東急バス「元石川線」

2012年07月09日 | 横浜市青葉区
  はまれぽさんにキニナル投稿していて思い出したのが表題のバス路線です。ウイキペディアの「東急バス虹が丘営業所」の項目の中に概要が記されていますが、平日に片道1回だけ、それだけなら特に珍しくもありません。

  ところがこの系統のすごいところは、バス路線掲載の都市地図や住宅地図にもバス停が記されてなく、江田駅の乗り場案内にも表示がなく、東急バス発行の路線案内にも載っていないという、まさに“幻の路線”だったのです。(晩年は記載されました)

  ある日そんなキニナル路線に乗ってみることにしました。乗車日は1994年7月21日です。ちなみに廃止されたのは2003年9月15日付けとのことです。

  朝9時半過ぎに江田駅の2番乗り場に立ち、9時51分の発車を待ちます。その前に48分発の市バス33系統中山駅行きがあるので少し離れて立っていると、先に目的の東急バスがやってきてしまいました。

  時刻表の表示方法も一般的な時間別一覧形式ではなく「発車時刻 9:51 休日運休」と単純明快。系統番号はありません。これは全停留所共通の表現です。

  乗客は拙者ひとりで、運賃箱に回数券(まだバス共通カードは導入されてなかった)を入れようとすると年配の運転手が「どこまで行くの?」と尋ねてくる。

  拙者が「たまプラーザまでですが」と答えると「ぐる~っと回っていくんだけどね」

  こういうマニアックな客すら珍しいのかもしれません。

  バスは国道246号線を一路北上し、発車直後から運転手の昔話が始まります。20年前は車も少なかったとか、246号の新道ができたときは信号がなかったから高速道路かと思ったとか。

  興味深かったのは田園都市線開業前のことで、渋谷から長津田までバスが走っていたらしい。当時は折返し場が二子玉川と宮崎台にあって、渋谷を出て宮崎台で乗客がいなくなると、その先乗る人はいないからと走るのをやめてしまったり(折返しはどうしたんだろう?)、峠の食堂(後述)にバスを止めて食事をしていたとか、乗客にそんな話をしていいのだろうか。(笑)

  関根橋を過ぎ、新石川交差点で他系統はあざみ野方向へ左折し、石川からこの系統のみの独走区間になる。坂を上りきった石川坂上バス停の向かいに例の「峠食堂」がありました。現在はローソンになっています。長津田行きの頃は道路拡幅前で、かなり広い駐車場があったらしい。後日に峠食堂で食事する機会があったのですが普通のドライブインという雰囲気でした。値段は当時としてはやや高めでしたかね。


  石川坂上バス停があった場所

  その石川坂上で6人もの大量乗車! 終点まで自分ひとりかと思っていたので驚きであります。この路線にも固定客がいるものですね。ここから川崎市内に入るので運賃も川崎のが適用されます(当時は180円)。しかしすぐの鷺沼駅入口で5人が降りてしまいました。


  鷺沼駅入口バス停があった場所

  そういえば発車からずっと案内テープが流れていない。聞いてみると、いつも先ほどの区間しか利用がなく、うるさく感じる人もいるというので流さなくても不都合はないらしい。残った一人も今日は特別な用事でたまプラーザまで行くだけで、普段は鷺沼で降りるとのことだった。

  鷺沼小学校、鷺沼公園前、大坪の各バス停を過ぎてたまプラーザには10時10分着。これらのバス停はこの系統が廃止されたと同時に消滅したのですが、何年もたたないうちに鷺21系統という深夜バスのために復活したのです(手続き上は「休止」だったのかもしれません)。1日1回しか来ないという点は同じですが。

  僅か20分のショートトリップでしたが興味深い時間でした。バスが廃止になったことで徒歩やら他の手段に切り替えざるをえなくなった人も少なからずいたわけです。こういう一見意味不明の路線も、最近は効率化でめっきり減った感もあります。

  そういえば横浜市バス27系統のバス停名変更で影響を受けた人はいたのでしょうか。いつも安善町で降りていたのが、80メートル先の“新”安善町まで乗り過ごしてしまったという人がいるのかどうか…。


※この文はかつて所属していたサークルの機関誌に投稿したものを加筆修正したものです。