とのさま不経済新聞 by 雲葉

「よるのとのさま」から改題(2013年2月1日)

もういちど横浜放浪記 ~すでにお帰りには…

2014年02月24日 | 横浜市港南区
    『なつかしの店と家並みに、想いを馳せる。
     ポケットの小銭あつめて、あの街へ…


  横浜に見どころ訪ねどころいろいろあれど、最後まで悩んだのが港南区でした。なにせ名所が無い。 久良岐公園じゃありきたりだしと過去記事を探ったら、興味をそそるものが出てきたので足を向けます。

  京急を上大岡で降りて東口へ。目の前に聳える急坂に挑みます。はまれぽ.com2011年8月19日付の記事によると、駅前から続く道は12°(21.2%)とのこと。その道は通らず、少し南にある細い道を上がったのだが距離を考えればそちらのほうが急ではないかな。クルマが通れないということもないと思うけど、3ナンバーだと厳しいか。

  

  上大岡東保育園の前を通り、某社社宅横へ。承前の記事では、これでも9.5°(16.7%)と緩いほうらしい。

  

  上った先から眺めるとこんな感じ。ゆめおおおかオフィスタワー(写真手前、24階建て)と肩を並べるほどの高さにまでなります。なにせかつて地図調査に応募して来た人が1日でくじけたほどの急峻な地形でして。

  そして上りきった先に「黒船見物の丘」という場所があります。地図で示すとここです。横浜市の都市計画基本図によると標高はおおよそ83メートルとのこと。上大岡駅東口が約16メートルなので一気に上った感があります。


  

  そこにはこのような案内板も立っています。ではここから黒船はどんな感じで見えたのだろうか。冒頭写真は磯子の発電所方向を望んだものです。

  みなとみらい方向を望んで
 
 プリンスホテル跡に建ったマンション方向はこんな感じ

  ベイブリッジ方向

  船の具体的な航路は分かりませんが、その後の埋め立てなどがあったにせよ、これではおそらく煙しか見えなかったのではないでしょうか。それでも7隻あればかなり目についたことでしょう。

  さて今日のタイトルですが、さだまさしファンの方なら察しがついたのではないでしょうか。氏が浦賀について、ペリーが来たらしいから行ってみようとバックバンドの方々に促すと、ある人が「でももう帰っちゃったんでしょ?」と返したそうな。確かに来たことについてはよく学ぶけど帰ったことに関してはあまり耳にしませんな。

  まだお昼には間がある。そこでイトーヨーカドー上大岡店方向へ足を向けると、やってます衣料品店「ダイゴ」の“閉店セール”

  

  はまれぽ.com2013年6月8日付でも記事になりました。キニナル投稿者は拙者ではないのですが、投稿しなかった理由は、以前(といっても4年半前)通りかかったら閉店セールを行なっていなかったため。記事を読んでコメント欄にも記しましたが閉店を“中断”していた時期があったらしい。なにかいい服があればと思ったものの、残念ながら気に入ったものがなく見合わせ。なお今回の閉店セールも期限を設けず続くようです。

  そのイトーヨーカドーへも行ってみます。2階のゲームコーナーでバスの乗りもの機を見るとなぜか川崎ナンバー…。

  なぜ川崎ナンバー

  ちょうどお昼時にもなったので西側の商店街へ。2009年9月以来となる「中村屋」の暖簾をくぐります。

  中村屋外観

  ランチ(笑)

  ビール大瓶400円、サワー300円~と相変わらず安い。元が酒屋のため卸値で仕入れられるための価格らしい。拙者が店の前に立ったと同時に店主さんが店の鍵を開け、時計を見るとちょうど13時なので開店時間だったのかなと尋ねると12時開店らしい。何かの都合で1時間遅らせたのだろうか。ちびちび飲んでいると三々五々とお客が来る。たいていはご隠居さんの風情だが若い人の姿も。おでんや揚げ物などをいただき、安い勘定で後にした。

  港南中央駅まで歩き、地下鉄で下永谷へ。相変わらず寂しい駅、と思ったら隣がセブンイレブンになっている。右手へ回り込み、まっすぐとつづら折とふたつある階段を上っていく。車はヘアピンカーブで勾配を緩めています。高低差は約15メートルなのでビル5階分に相当か。上りきるとまだ雪がかなり残っています。

   

  公園で一休みしたり住宅街をぶらぶらするも目新しい発見はなく。ニャンコの姿もありません。 上永谷駅まで歩いて2006年7月31日に入った「磯家」という店をさがしたものの見つからず。どうやら畳んだよう。 再び地下鉄に乗り、港南区篇の幕を閉じました。

  残るは港北区と瀬谷区です。

10年目に突入!

2014年02月22日 | とのさまの休日
  このえにっきも2005年2月24日に開始して丸9年となります。飽きもせず続けられるのも訪問してくださる皆様のおかげです。ありがとうございます。

  一時期150IP程度に落ち着いていたアクセス数も、この頃は200前後、多い日は250IPにまでなります。PV数も平均して500前後と、特に宣伝も何もせず、新記事の告知もツイッターに1回流すだけですから、懲りずにご来訪くださる方がいるんだなと感謝に絶えません。

  第1回は横浜市泉区へ地図調査の仕事へ言った話。始めたきっかけ自体が、仕事先でお昼に何を食べたかの記録が目的でした。それがやがて日記になり、今となっては我ながらも貴重な記録になりつつある記述もあります。

  さて冒頭写真は拙者のアカウントにもなっている「国鉄101系電車クモハ101形」です。撮影日は2003年12月12日で、南武線浜川崎支線での営業運転を終え、鶴見線での引退興行前に中原電車区で留置されているときでした。「武蔵溝ノ口」の行き先幕は珍しいでしょう。なお反対側は「稲城長沼」でした。

  十数年前にイベントでこの編成が川崎―登戸を何往復か走ったことがあり、1日乗車券も出たので乗りに行きました。意外とガラガラでした。みなさん撮影に忙しかったのでしょうか。乗っていては撮れませんからね。

  これからも新記事は不定期に書くことと思います。過去記事を探して、あの店はどうなってるのかなと再訪してみるのもいいかなと考えています。とりあえずは横浜18区再訪の残り3区を来月までには片付けたいところです。

  それではよろしくお願い申し上げます。

どないかな?

2014年02月21日 | とのさまの休日
  パソコンとともに10年使ったプリンタが電源が入らないようになり、観念して近所の電器屋で新しいのを買いました。諭吉さんでかなりお釣りが来るほどの安いものですけど、そんなハイスペックは必要ないので。

  スキャナ機能があるので試してみました。ついでに実験がてらここにも載せてみます。それが冒頭写真です。もちろんフィルムからではなく印画紙に焼いてあるのを取り込みました。

  元が四つ切サイズなのでやはりけっこう大きいですね。 ずっと家の玄関に飾っているのでいささか褪色もしています。

  撮影日は1996年1月1日の早朝、カメラはミノルタ(当時)α7700iです。このクモハ12形はその年の3月に引退しましたが、この日は人影もまばらで正月も休みなしの通勤者だけ。今は無き鶴見線武蔵白石駅の大川行き専用ホームを“独占”しました。

  古い写真はかなりあるし、今さらながら壁紙にする楽しみができました。目下の新たな悩みは、フィルムのDPEを請け負ってくれる店がなかなかなくなってしまったことです。 紙を捨ててしまってネガだけのもかなりあるので。

こどもですから(^_^;

2014年02月09日 | とのさまの休日
  昨日の話です。

  雪になるとはしゃぐのは子どもやポチくんばかりではないわけでして、いい齢したオッサンもウキウキします。 昔から雪になると“出動”して線路脇でカメラを構えていたもの。ですが体調がいまひとつということもあり、買い物に出たついでに南武線だけ撮りました。(冒頭写真

  雪中の205系も最後かもしれませんし。

  

  快速は運休して、所定ではその前を走る登戸行きが立川行きに変更されていました。でも表示のシステムは変えられないのでしょうか。これでは後続の各停に登戸で抜かれると誤解する人が、いないと思いますけどね。昔の東横線みたいではありますが。 (※元住吉や日吉で日比谷線直通が東横線各停に抜かれる(あるいはその逆も)というケースがあった)

  

  夕方には下りの中原始発が設定されたようです。快速が運休した運用の帳尻合わせでしょう。

  20年ぶりの大雪ということでしたけど、そこそこ遅れや運転見合わせは出たものの、今回はどの路線も頑張って走ったのではないでしょうか。