とのさま不経済新聞 by 雲葉

「よるのとのさま」から改題(2013年2月1日)

想い出のなぎさのハイカラシンドバッドバルコニー

2014年10月30日 | とのさまの漫遊
  目が覚めると外は霧で山々は見えない。ホテルは禁煙ツインルームを取ったのですが見るとベッド幅が異なる。どうやら小児連れも想定しての部屋らしい。嫁はんが広いほうを使わせてくれた。

  備え付けの冷蔵庫に入れておいた飲み物を取り出すとビールまでみなシャーベット状に! 設定を「最強」にすれば冷凍庫にもなるようだ。昨夜は帰りがけにコンビニで缶ビールを買っておいたのですが、それすら飲む気も起こらなくなるほど食べました。それでも勘定は“諭吉”でかなりお釣りが来るほどなのだから。単に食が細くなっただけなのか…。

  無料の朝食はバイキング形式ながらおかずも豊富でなかなか。今日も朝から野菜三昧です。帰りの「あずさ20号」は14時近くなのでそれまでどうしよう。せっかくなので松電に乗りましょうか。

  ちなみに松本ではエスカレータは左右どちらに立つのか。結論から言うとどちらでもないようです。階段があるならそっちを歩けと、それも合理的でしょう。大都市圏に比べると利用者の絶対数が違うのですし一概の比較はできません。

   3000形電車、車内に京王帝都時代の名残は見えなかった

  松本駅の券売機は松電のキップもICカードで買えます。昨夜は塩尻まではICで乗って1円単位運賃を支払い、帰りは塩尻駅前の“秘密の券売機”で安く帰ってきました。0921時発の新島々行きは松本大学へ通う学生でいっぱい。北新・松本大学前駅も本来は最前部のドアのみが降車口ですがそんなことをしていたら全員が降りるころには日が暮れてしまう。通学時間に限りすべてのドアを開けて一斉に降りていきます。

   三溝駅

  15分ほど乗って新村の次の三溝で降ります。運賃は400円なり。ここも読むのに頭を捻ります。「みみぞ?」「みつみぞ?」正しくは「さみぞ」です。

  駅は無人で駅舎もなくホームに待合室があるだけ。踏切を渡ると簡易があり、不退転の決意で正面突破します。もう年賀はがきが売られてるんですな。

   三溝簡易局

  松本行きは1020時まで30分以上ない。さっき新村を出たところで元東急5000系が見えたので撮影したいと思うも目の前の国道に路線バスがある気配はない。高山行きなどのバスは通るものの停留所がないのだ。ケータイの地図アプリで新村駅までの距離を検索すると直線距離で1キロ強、では歩こうか。道中では嫁はんが土地の風土や風習を解説してくれます。

  新村駅に近づくと丁字路交差点名称に「南新」とあります。北新が「きたにい」なので「みなみにい」で正しいです。これも頭を捻りますし位置関係からすれば南北というより東西でしょう。車庫まで近づくといましたいました。(冒頭写真も)

   

  車体はよく手入れされ…、手前の車輌の半分だけ塗装が直され、あとは褪色したまま。 塗り直しの途中なのか資金不足で中断してるのか。でも台車や床下機器もキレイで整備が行き届いており今にも走り出しそうです。

   新村駅旧駅舎
   新駅舎

  2年前に役目を終えた旧駅舎はそのまま。しかし放置状態の感で地震でもあれば倒壊するのではないかな。駅へ入り窓口へ向かうと、いますねぇ渕東なぎさが(←詳しくはリンク先を)。ちなみに彼女の声を担当しているのは新田恵海という声優さんですが拙者らの年代だと別の人を連想してしまう。果たしてウィキペディアのページを見ると冒頭に「AV女優の『新田恵美』とは異なります」の註釈があり思わずニヤリとしてしまう。

  職場への土産にと上高地線りんごクッキーなどを。松本までの乗車券も求めると硬券で、これは松本駅で所望せねばなるまい。1023時発の松本行きに。そういえば設定ではここは彼女の勤務駅なのに、中ドア乗車、最前部降車とまるっきり無人駅と同じ扱いだ。実際に窓口にいたのは実直そうなおじさまだったけど。

   車庫を望む

  松本へ戻ってもまだ時間がある。そこで嫁はんの希望により駅前にある「珈琲美学 アベ」へ入ります。学生時代に愛用していたそうで、友人に頼み事があると「ここのモカパフェおごるから」というのが彼女たちの定番だったらしい。(本当に奢ったかは存じません)

  11時まではモーニングサービスで所定430円のコーヒーが390円、トーストやサラダなどのオプションも廉価で楽しめますがここは見送り。件のモカパフェと、せっかくなので口直しを兼ねてコーヒーも頼みます。

  店内は商談中らしき背広姿数人だけ。元より学生がいる時間帯じゃないし、今どきのヤングはこういう店は敬遠するかもしれない。並びにはコーヒーチェーンもあるし、そっちへ行ってしまうだろう。放課後に顔なじみのマスターがいる喫茶店でタムロなんてのはもはや昭和の遺物でしょう。

   「アベ」外観
   これがモカパフェ

  名物というモカパフェはというと2色のアイスにホイップクリーム、コーヒーゼリーが乗っただけのシンプルな作りながら適度な甘さでうまい。値段は680円ですがホットペッパーのクーポンや、2015年5月末まで実施しているまつもと100てんプロジェクトの「はしごチケット」で100円引きになります。(サイトからチケットは取れません)

  会計時に尋ねると店はすでに50年になるらしい。嫁はんも学生時代以来の入店で、学友にも会ったし、かの時を懐かしんだのであるまいか。

  最後に24年前、まだ現役だったころの松電5000形(元東急5000系)の写真を載せて締めくくりといたします。

  

篠ノ井線放浪記

2014年10月29日 | とのさまの漫遊
  嫁はんは楽しみにしていた昔の学友に会うため拙者は散策とする。貸し自転車で市内巡りもいいけど、滅多にない機会だし篠ノ井線の駅を適当に降りてみよう。

  ホテルをチェックアウトしてまずは向かいの松本郵便局へ。意外や関心が高い局だった。入口に掲示されてる「銀行代理業者許可票」を見ると、元の所属銀行がなぜかスルガ銀行だった。

  
   Highland Hashirundesu

  0937時発の長野行き2237MはE127系の2両、後部のクモハE127-101のボックス席が空いていたので腰を下ろします。大糸線の接続を待ってやや遅れて発車。田沢駅手前の平瀬信号場で上り「しなの」と交換待ち。あちらも遅れているようで遅れは5分になった。聖高原で8分停車があるから気になることはないけど。そういえば篠ノ井線は長野側の篠ノ井駅が起点なのに長野行きが“下り”です。おそらく中央東線に合わせているのでしょう。運転系統上もそのほうが合ってます。

  田沢に着くと開かないドアの前で右往左往し始める人が何人か。列車はワンマン運転で、一部の駅を除き最前部のドアから降りねばならずこちらの後部車輌は締め切りなのだが、松本駅停車中もそうした案内は一切なく、加えて発車後の放送も音量が小さくて聞き取りにくく言ったか言わなかったか。(放送の音量については運転士が気づいたのか、後に大きくなった) 到着直前にいきなり言われても気づかない人もいよう。合理化も結構だが利用者不在の施策は遺憾であります。

   冠着駅

  小1時間ほど乗り、里の果てといった風情の冠着で降りてみる。降りたのは拙者だけだった。駅舎はきれいになり駅前には立派な厠が1軒だけ…。もちろん汚いよりははるかにいいけれど。

  松本方向に歩を進め、見晴らしが良くなり民家が増えてきたところで踏切の音が。長野方向から211系が来ました。(冒頭写真) 115系はめっきり見かけなくなっています。

  歩いていると何やら音楽が聞こえ、トラックの行商かと思ったら筑北村営バスでした。これは後でお世話になります。

   旧村名の案内板が(現在は筑北村)
   坂井簡易局

  旧坂井村役場(現筑北村坂井支所)横に簡易があったので不退転の決意で正面突破し、坂井支所前バス停から1122時発の村営バスに乗ります。車は10人乗りのボックスワゴンで先客なし。高校生くらいの女の子2人組も乗り、彼女たちは聖高原駅の手前で、拙者はそのまま乗り通し坂北駅まで行きます。

  下車の申告は運転手への口頭で行なうため黙っていたら終点まで運ばれます。本当に黙っていたら坂北駅を通り越して終点の筑北村役場まで“完乗”してしまいました。運賃は均一200円なり。駅へ戻る途中に坂北局があり、実に自然体に経験値1とゴム印1を求めます。

   坂北駅
   聖高原駅

  さて聖高原方面の列車は1242時でしばらく時間があるし駅周辺も目ぼしいものはない。ここも駅前にキレイな厠があります。鉄道利用促進の一環として整備しているのでしょうか。気持ちよく“排水作業”を行ないます。

  ふと村営バス停の時刻表を見ると、1217時に聖高原方面があるではないか。サイトの時刻表PDFをプリントアウトしてきたのだがそれには載ってなく、帰ってから調べ直したら別のページにあった。なんとも分かりづらく、地元の人が知っていればいいということなのだろうか。運賃は鉄道と10円しか違わないし村の財政の一助になろう。

  ところが時間になってもちっともやってこない。10分ほど経ち、あきらめて駅舎に入りかけようとしたら姿が見えた。ずいぶんと遅れたものだ。ほかに乗客はなくスイスイと進む。聖高原駅で降りて昼食(後述)、そして麻績局にも立ち寄って友への通信文も発送します。

  ここも旧街道の宿場町ということながら、もはやその風情は感じられず全く農村の集落の様相です。おなじみハッピードリンクショップがあったので喉を潤します。“ショップ”といっても自販機ですが。

   甲信名物?

  1432時発の2240Mで早々と後にして田沢、1534時発の2245Mで明科と行ったり来たり。そのたびに経験値1とゴム印1、たまにポケットティッシュが増えます。駅舎がどこも似たような造りで、これも標準化されているのでしょうか。

   田沢駅
   明科駅

  1605時発の2242Mで松本へ戻りました。なお篠ノ井線は列車番号が2千番台のがワンマン運転列車です。

  それに運用されるのはすべてE127系ですが乗っていると妙にひんやりする。ドア(戸袋)からの隙間風がひどく、目蒲線や池上線でもこれほどの記憶はない。こんな車輌をよくも寒冷地に投入したものだ。苦情は出ないのだろうか。

  嫁はんと合流するとご学友も一緒でした。お会いするのは10年ぶりくらいでしょうか。生憎ながら挨拶だけで別れ、こちらは今宵の宿へ。女鳥羽川のほとりにあるホテルマツモトよろづや」に泊まります。連泊でもいいのですがちょっと気分を変えてみたかった。

  チェックインして荷物を置いたら“夜遊び”に出ます。向かうは塩尻、毎度おなじみ「五千石茶屋」へいそいそと足を運びます。

  小上がりに通され、まずはビの字、肴はこれまたおなじみ山賊焼に馬刺し、魚介の刺身も絶品です。なぜか定番の島ラッキョウも。〆のきのこ汁までいただいておなかいっぱい。 付け合せの野菜も多く、今日はずいぶんと野菜を食べました。

   おなじみ五千石茶屋
   共食い?(左はモツ煮)

  デリシアこと松電スーパーにも寄ってお土産を仕入れ、塩尻駅で電車を待つと、おやおややって来たのは115系ではないか。6両も繋いでいるからガラガラでボックス席を占拠、もうこれで思い残すことはありません。

   キタ━━━(゜∀゜)━━━
   115系車内
   日中に松本駅で


【今日の昼食】 
小松屋(東筑摩郡麻績村麻明治町3901-1)
 ☆かきフライ定食 600円
   駅前にある昔ながらの定食屋さんで旅館を兼ねているようです。老夫婦で営んでいるよう。そのせいもあってのんびりした雰囲気が漂います。山奥に来てかきフライ?いいじゃありませんか。メインのほかにカボチャやピーマンの素揚げに漬け物は3種類、味噌汁も野菜がいろいろ入って豪華、と思えば後から奴豆腐が出てきました。これなら日ごろ野菜不足の人でも一気に解消できるのではないかな。思わぬ場所で思わぬ店に出会う旅の醍醐味まで存分に味わえました。

MATSUMOTO NIGHT

2014年10月28日 | とのさまの漫遊
  1年ぶりに嫁はんと旅に出る。行き先は長野県松本市。いわば嫁はんの実家の隣町なのだが今回は帰省ではなく純然たる旅行と相成った。

  小杉から湘南埼玉ラインで新宿へ。西口を出て高速バスターミナルに向かいます。珍しくバスです。1250時発松本バスターミナル行きは京王の担当で、松本側の利用者からは評判が芳しくなかった。

  エンジンに馬力がなくて坂を上れず遅延も珍しくなかったそう。5年前に諏訪バス(当時)に乗ったときも、登坂車線をえっちらおっちら上る京王バスを、こちらは追い越し車線からスイーっと抜いていったのだから明らかに違いが分かるというもの。5年たてば車輌も更新されていようし、いかばかりか。

   京王の高速バス(双葉SAにて)

  座席は前から3列目の進行方向右側。前がひとり掛けのSクラスシートなので通路側からは前面展望が楽しめる。窓側席のテーブルも他より大きく、同じ値段なら“座り得”かもしれない。

   前面展望
   なぜかラジオ石巻のステッカーが

  結論を言えば走りは快適で余裕が感じられる。登坂車線をえっちらおっちらということは一度もなかったし時代の変化を感じた。1600時ちょうど、ほぼ定刻に松本バスターミナルに滑りこんだ。

  今宵の宿は東横イン松本駅前本町を。チェックインして嫁はんは買い物に、拙者は風呂へと向かいます。

  通りを東(駅と反対側)へ5分ほど歩いた「菊の湯」の暖簾をくぐります。入湯料は400円で水曜定休です。館内はそう広いわけではなく、そこそこの賑わいなので銭湯全盛期を彷彿とさせます。バネ式の体重計や10円玉で動くマッサージ機といった“定番”も揃ってます。ただ番台ではなくカウンターでした。

   菊の湯外観
   

  そんな中にこんなポスターが。拙者がまだ独身時代ですから十数年前に目にしたもの。もはやレトロ広告の部類でしょう。よくぞ大切にとも思うし、このオネーチャン、いくつになってるんだ? それとも人を変えて同じように作ったの???

  さて風呂を出たら酒 今回はミーハー心を出しました。今年の6月に某高知県観光特使のテレビ番組に登場した「とり八」の暖簾をくぐります。(冒頭写真



  

  場所は地図を。ビの字はアサヒスーパードライで、松本市内では多数派ではないかな。というのもそれの開発、販売に強く関わった中條高徳氏が長野県出身で松本との縁も浅からぬものがあるため精力的に営業活動も行なっていたそう。

  とはいえそれはそれ、今は今なので拙者はホッピーを、嫁はんは日本酒を頂戴する。ちなみに嫁はんはビールが苦手というわけではないのだが積極的に飲みたいものでもないのです。ホッピーは氷なし、お酒もお燗だが絶妙の温度だ。レモンサワーを頼むと氷はアイスピックで砕いてる。料理は串焼きに煮込みなど、そう品数は多くないけれど、さすが大満足でした。

   女鳥羽川から
   後方が宿泊した東横イン

  さて街をぶらぶらして2軒目~、と思うもこれという店がなく駅の近くまで来てしまった。古めかしい建物を見つけ、嫁はんが「わーこの店まだあったんだ」とはしゃぐ。見るとカレー屋のよう。では入ってみますか。

   「たくま」外観

  学生時代に幾度か利用したそう。ということはすでに昭和の話です。ビの字はと冷蔵庫が見えたので…、ヱビスなどが見えるが缶ではちょっと…。プレミアムモルツの中瓶があったのでそれとチキンカツカレーにします。

  ビールで喉を潤している間にカレーが運ばれてきます。決して安いというわけではないけれどサラダも付いてかなりの量が。お味もさすがのもの。ややあってビールのつまみにと、フライドポテトに枝豆がやってきてテーブルの上は大賑わいだ。

  学生のころならこの程度はぺろりだったんだけど…。いや、残さずおいしくいただきましたよ。

ギャラリー雲葉(地方私鉄篇)

2014年10月14日 | とのさまの休日
  鉄道記念日ということで(拙者はどうも現在の名称が軽薄で好きでない)過去の鉄道写真から。今回は地方私鉄を。

  

  まずは北から。栗原電鉄(当時)M15形です。「15」とは車体長を表わしているそう。撮影は1989年9月11日、当時の駅名は「細倉」でした。すでに無人駅化されていたため硬券入場券が入手できなかったのが残念です。機材はペンタックスSP、露出計が故障して“勘”で撮影したためいささか暗く、申し訳ありません。

  

  続いて長野電鉄、形式は不明です。場所はご覧のとおり須坂駅、撮影日は1993年1月1日とあります。

  

  その須坂駅に営団地下鉄日比谷線から譲渡された3000系がいました。まだ転用改造中で、「元住吉」「北越谷」という行き先幕が残されたままでした。

  

  富山地方鉄道14710形(右)と14750形(左)、なんとなく似ていますが別形式です。目蒲線から戦前型ツリカケサウンドが消えたため、地方へ行って古い電車に出会うと嬉しくなったものです。

  

  冒頭写真とも石川県の北陸鉄道です。冒頭の3730形は1956年製造、こちらの3740形は1931年製と見るからに古いですね。なお富山もこちらの車輌もすでにすべて引退しています。

  

  続いては福井鉄道、形式が写真からは分からずウィキペディアに載っていた写真から140形と思われます。

  

  映画などで話題が多い一畑電鉄(当時)デハ20形です。この22番は1928年製造、ドア窓に「手動扉」とあるのが読み取れます。自動ドアじゃなかったんですね。1996年まで活躍しました。

  

  最後に高松琴平電鉄60形ですが、この67番は異色の経歴の持ち主だそう。詳しくはウィキペディアの記事をご覧ください。前方の車輌は1998年に名古屋市営地下鉄から譲渡された車輌で、それと連結しての運転、どちらに乗ったかは言うまでもないでしょう。でも新旧の混結というのも味わい深いものがあります。


  ※参考文献:保育社カラーブックス「日本の私鉄」シリーズ

「遊ぶ金がほしかった」供述始める

2014年10月04日 | 武蔵中原不経済新聞
  「遊ぶ金がほしかった」 東日本国有鉄道横浜鉄道管理局は私鉄沿線97分署の取り調べに対してこう述べていることが分かりました。

  同署では「鎌倉・江ノ島フリーきっぷ」や「横浜フリーきっぷ」の廃止、制度変更について調べを進めていました。

  以前は周辺駅からでも購入できたきっぷを目的地内の駅のみでしか販売しなくなったため、購入が面倒になった、実質値上げではないか、露骨なICカード誘導だとの苦言が寄せられていました。

  一連の容疑に対して局側は、「横浜線の新車導入イベントにアイドルタレントを呼んだり、南武線では川崎市長を呼ぶなど、遊ぶための金が必要だった。武蔵小杉駅への発車メロディー導入にも金がかかり、記念きっぷや駄菓子の販売だけでは足りず生活が苦しくなった」と供述しているとのことです。

  加えて18時台で車輌を車庫に入れてしまい19時以降の本数を減らし、混雑激化を放置している点についても、「利用者は南武線に依存しているため苦情は出ないだろうと思った」などと供述しているとのことです。

  過去にも平日夜間の混雑を放置したまま「かりんとう」の販売を行なうなど不可解な行動があり、今後は長野県にも東京近郊区間が拡大してことへの関連性などについても慎重に調べを進める方針です。

  ※冒頭写真=南武線の新型車輌「E233系」の出発式を見物する人々(武蔵中原駅にて本紙撮影)

  関連記事 「JR南武線E233系、最初の営業列車が川崎駅へ - 武蔵中原駅で出発セレモニー」(マイナビニュース2014年10月4日付)