とのさま不経済新聞 by 雲葉

「よるのとのさま」から改題(2013年2月1日)

さくらい、さかさき、たかみざわ

2015年12月29日 | 横浜市磯子区
  アル○ィーではない。

  年の瀬に嫁はんとのんびりお出かけ、行き先は恒例のアソコなんですがその前に…。

  横浜駅東口の市営バス案内所で「ファミリー環境一日乗車券」を求めます。家族5人まで乗れて千円とおトクです。通常は土休日のみ有効ながら年末年始は利用できるとあってあれうれしや。9系統滝頭行きに乗り込みます。電車は平日ダイヤでもバスは土曜日ダイヤとあって気をつけねばなりませんでした。

  40分ほど走った天神前で下車、目的のお店(後述)は目の前なのですがまだお昼には間があるのでもうひとつの“目的”をば。



  天神道路を蒔田方向へ進み、坂の先の上空に橋が架かっているのが見えます。場所はこちら。

  その橋。

  では行ってみましょう。脇にある階段を上ると10段ごとに表示がなされています。隣にある岡村小学校の児童が遊んだり数を学ぶのにでも使うのでしょうか。

   つまり101段ということで

  なにが気になったかというとこの橋の名称です。



高橋




読みも紛う事なき「たかはし」


  

  橋上から蒔田方向を高見の見物と。

  つまり丸子にあるから「丸子橋」、多摩川に架かる大きい橋だから「多摩川大橋」などから、この橋は「高」というのが名称ではなかろうか。でもいったいなんなんだろう? 元々は「高橋橋」で橋の字の重複を避けたのだろうか。付近の旧字は「竹橋」というらしく(横浜市3千分の1地形図、昭和10年版による)地名とも関係なさそう。「高」姓の名士でも住んでいたのだろうか。それとも単に高いところにあるから? 考えても埒が明かないのでこういう疑問は某所へ丸投げしました。

  昼食(後述)ののち78系統、113系統を乗り継いで八幡橋へ。9系統の磯子駅乗り入れがめっきり少なくなっていて驚きました。本数自体も減ったのですが。以前は日中15分間隔だったはずなのが今は20分間隔です。

  バスを降りて目の前の相鉄ローゼンへ行くと、ありました

  

  幻の銘酒「磯子」です。(笑) 蔵元は昨年の「新子安」などと同じ嘉泉で4合入り1080円なり。これを用いた「イソコ酒」という新番組が始まるかは寡聞にして存じません。ぷしゅ~

  会計するとウェルカムカードがちょうど1000ポイントになり、500円の商品券が発行された。これも長い道のりで、15年くらいかかったのではないかなと思ったらカードの創設が2005年とのことなので登場から間もなく作ってもらったということか。

  次いで浜マーケットの「伊勢元」で蕪の甘酢漬けなど。この店のサービス券がたまりにたまっており、20枚で景品と交換していただく。以前は買い物300円で1枚、15枚で交換だったのが今は400円で1枚、20枚で交換だから地味に厳しくなった。券を出すとおばちゃんも苦笑いです。なにせ15枚の時代のがかなり交ざっているのだから。景品は醤油、砂糖、ソースなどから。砂糖(1kg)にした。

  58系統で横浜駅へ。締めくくりは例によってのアルカード国道で。これにて本年の最終営業ともあり大盛況、新年は7日からとのことです。

  

  帰りは浜川崎を回って。沿線企業はほとんど仕事納めも済んだようでガラガラ。南武線浜川崎駅のこの駅名鳥居は新駅開業でどうなるのか。所在地表記は残してほしいものです。


【今日の昼食】
とんかつさくらい岡村店(岡村2丁目11-4、冒頭写真
 ☆ロースかつ定食(中) 1290円、チキンカツ定食 970円
   2005年12月26日以来、まさに10年ぶりの入店となりました。朝日新聞11月25日付神奈川地域面はまれぽ.com12月11日付と立て続けに登場し、また行ってみたいと思ったので。ちなみに当時892円だった「レディース定食」は970円で健在ながら内容が少し変わったようです。嫁はんは小洒落た内装を見て「トンカツ屋とは思えない」と目を丸く。ごはんは相変わらずおかわり自由ながら茶碗がおいらのほうが大きい。夫婦茶碗とは粋なことをしてくれます。
  

  店頭にはこのようなパネルが。「北川君」というのも地元っぽくていいですね。

立川→川崎→ジャカルタ

2015年12月07日 | とのさまの休日
  昨日ですが南武線から205系電車の原型タイプが姿を消しました。(冒頭写真

  夕方から小杉へ買い物にと思っていたのですがいつも帰宅に使う中原1820時着の電車(中原止まり)がそれの最終運転ということで見合わせ。結果としてヲタだらけだったそうで、行かなくてよかったです。

  引っ越してきたころは103系がまだゴロゴロいましたから置き換えがずいぶん早く感じます。いや、いいんですけどね。

  それらの205系は海を渡りインドネシアへ譲渡されるとのことで、11月下旬からヘッドマークの装着や、車内広告スペースを幼児の絵で埋め尽くすという“イベント”がありました。

   車内に掲示された幼児の絵

  そんなわけで今まで撮りためていたものを紹介いたします。ケータイなので画像がいまひとつな点があるのはご容赦を。


   このアナログな側面表示も見られなくなります

   先月末で離脱した34番編成(11月26日撮影)

   来月上旬で離脱が決まった46番編成(11月18日撮影)

  同じく46番編成(12月16日撮影、追加)

   
E233系から205系への車輌交換が行なわれたことも(10月22日撮影)

   大窓と小窓が混在した4番編成(5月13日撮影)

  

  大窓小窓の混在は南武線唯一の存在でした。中間車の一部に不具合が発生し、他の編成から差し替えたためですが、かつては混色も当たり前のようにいた南武線らしい編成とも言えます。

   このマークも見納め?

  さて、南武線には36編成が在籍しているのですが新型のE233系は35本しか作られないそう。では残り1本はというと、、、

  

  209系(53番編成)残留という線が濃厚のようです。

  11年前の103系置き換え時も最後の1本が半年以上残ってましたし、歴史は繰り返す?

  おまけですが最後に103系、そして支線用101系との並びを。(共に尻手駅にて)