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とのさま不経済新聞 by 雲葉

「よるのとのさま」から改題(2013年2月1日)

12年前のふたり(3日目)

2014年11月27日 | とのさまの漫遊
☆2002年11月27日(水) 

  ホテルグラスハウスの一部をYHにしている宿は食事も露天風呂付きの浴場もなかなか。前日に比べれば快適至極でしかも安いのだ。

  昨夜は苦労した道を再び徒歩で一旦駅へ。荷物を預けて平戸島へ向かう。駅前へ入るバスは少ないため桟橋まで歩を進める。ところがいつまでたっても桟橋バスターミナルが現れない。道端の観光案内所で尋ねると、どうやら通り過ぎてしまったらしい。いったいいつの間に…。すると居合わせた女性が平戸市役所へ行く用事があるからと自家用車への便乗を勧めてくれた。渡りに船ならぬ車で、あれうれしやとここはご厚意に甘えるとしよう。お礼にとさっき買っておいた缶コーヒーを進呈した。

  平戸バスターミナルでバス時刻表と、1000円のミックス回数券(国鉄バスでの呼称は、便利でお得なセット回数券)を入手する。1000円で1050円分と割引率では劣る。時刻表によれば市北部の田助地区への路線が浜川崎線並みの頻繁運転で(註:当時のこと)、〒もあるようなので行ってみよう。〒は予想外にも特定局で、造船工場もあるかなりの規模の集落だった。

  市街へ戻って平戸城を見学、商店街ではカスドースなる菓子を購入する。これはその昔、殿様がカステーラよりうまい菓子を作るよう命じ、完成品を食べたところ、あまりのうまさに民には食べさせるなと布令を出したという、いわば秘密の菓子である。見栄えのわりに値段もよいが確かにうまい。かなり手間のかかる製品と見た。

  
  
   平戸市内点描

  オランダ商館跡などを見学して1431時発の平戸口駅行きで島を後にする。長崎県北西部には「○○免」という地名が多く見られる。これについては末尾に記します。

  平戸口から列車で佐世保へ。松浦鉄道が新発売という金券式回数券の2000円券(200円券11枚綴り、註:今はICカードに代わられ終売しているよう)を購入しておく。1502時に発車、これで日本の鉄道最西端へ到達した。(松浦鉄道のサイトを見ると、今も「日本最西端の鉄道へようこそ!」の文字が見え、2線軌条式なら今も最西端ということなのでしょう)

   日本最西端の駅の碑

  駅間距離が京急の北馬場と南馬場のような佐世保市街を通り、1627時に佐世保へ定刻到着。10分の連絡で大村線特別急行「シーボルト3号」に乗る。閑古鳥乗り放題の感であり難なく前面展望車へ。出発すると鉄道唱歌が流れガッカリする。気動車はやはり“死にそうなアルプスの牧場”でなくてはなるまい。

  筑豊から流れてきたキハ66を眺めつつ長崎へ。今夜はJR九州ホテル長崎に泊まる。ビジネスホテルガイドではツイン1万1千円とあったのに予約時は1万2千円だった。最近になって改定したのか。しかし嫁はんが持ってるセゾンカードを提示したら3%引きになった。(註:今もこの特典があるかは不明) 部屋も広く快適で、初日の(以下略)

  バスで稲佐山へ。夜景を見て、毎年8月になると「さる筋の人たち」が“集会”を開催する野外ステージにも行ってみる。当たり前だが今日は真っ暗で人っ子ひとりいない。下りとなるゴンドラで往復乗車券を求めると掛員に怪訝な顔をされた。それはそうかも。どう考えても通常とは逆の行動なのだし。つまり麓まで往復した後、バスで山を下りたのです。

   稲佐山からの夜景


※長崎県内の地名に見られる「○○免」について

  国司や荘園領主に対して土地の占有権を主張してきた小豪族や大家族の上層農は、12世紀ごろには1年契約ではなく引き続いて土地を耕す権利を持つようになり、その土地に自分の名を付けて「○○名(みょう)」と呼ぶようになった。このような田を名田、農民を名主と言った。
  旧平戸藩以外で○○名という地名は名田に由来している。平戸藩では「みょう」を訛って「めん」と言ったことから「免」の字を当てている。
  免は他県にも各地に点在しており、これは年貢の免除地を表わすといわれる。平戸藩の祐筆はこのことを意識して「免」の当て字をしたのだろう。

  (この疑問のために地元自治体へ電話で質問いたしました。丁寧なご回答をいただき、改めてお礼申し上げます)

12年前のふたり(2日目)

2014年11月26日 | とのさまの漫遊
☆2002年11月26日(火) 

  ホテルの食堂で朝食。無料でごく普通の和定食だがこれほど丈夫で歯ごたえのある鮭の切り身は初めてだ。部屋にユニットバスはあるものの別に大浴場もあり、それにしてもツインルーム税別1万1千円で部屋も薄汚れていたし、これではよほどでなければおススメはしかねる。

  0806時の141Mで黒崎へ移動し、初めての本家「ソニック」へ。車内は満席でほとんどが通勤客だ。不況とは縁遠い人が多いのか。博多では20分ほどの乗り換え時間で地下ホームへ。0919時発の筑肥線西唐津行きに乗る。ドアが閉まる際に「チッ」という音がしないため、愛好家の間では外道とされている103系1500番台が来た。

  別会社化による運賃高負担や長編成のワンマン運転といった、今日の鉄道利用者に高負荷を与える先例を築いた福岡市営地下鉄でも103系には車掌が乗務している。内装やドアーエンヂンは201系と同等でも高速域では脳天を突き抜けるようなモーター音と全身マッサージのようなコイルバネ台車の乗り心地が103系であることを雄弁に物語っている。とりあえず西唐津まで乗るも小銭式格納庫すらないため唐津線のキハ47で唐津まで戻った。

  ここでは荷物を格納庫へ預けることができたので貸自転車の調達を試みる。駅前の「ふるさと会館アルピノ」で貸し出しているとの情報を入手し、行ってみるとなんと無料 さて当初は呼子への遠征も計画していたが、このころから雲行きが怪しくなってきた。天気予報というものは晴れは当たらなくとも雨はよく当てる。困ったものだと嘆いても仕方ないので市内散策に切り替える。

  手始めに唐津二夕子局で経験値1とゴム印1を入手し、唐津大島局へ向かうも道を間違えてしまい魚市場へ入り込んでしまった。そこに100円の飲料自販機があったので珈琲を所望するとなんと2本出てきた。不審な点は見当たらないためありがたく頂戴しておく。近くの場末のような食堂で昼食に。700円と妙に安い刺身定食を頼むと、「ヤズ」という魚だという。イナダの当地での呼び名らしい。歯ごたえがあってうまかった。

  
  
   唐津城からの展望

  食後に散策を再開すると今度は陽が差してきた。気まぐれな天気である。唐津大橋を渡り、虹ノ松原へ立ち寄ってから唐津城へと向かう。売店ではケナフドリンクなる怪しい飲料を売っている。他にも青じそ、ウコンがあり、輸送に鑑みケナフだけにした。ラベルを見ると小松飲料合資会社なる唐津の会社が作っているよう。(註:2008年に株式会社化) 炭酸入りで味は悪くなかった。

  天守閣から展望を楽しんでいると西の空がどうにも怪しい。急ぎ撤収するも間に合わなかった。今度は雷まで鳴っている。結局ずぶ濡れで自転車を返却した。 今日の戦果は7局と実に自然体であった。

   ケナフドリンク

  1614時の筑肥線で伊万里に1702時着、1711時の松浦線で今夜の宿がある平戸口へ。たびら平戸口ユースホステル(註:当時の名称)に泊まる。ところがこのYH、ガイドブックでは駅から“徒歩15分”とあるのに、我々の足でも軽く20分はかかり、しかも途中は真っ暗で商店すらない。次第に心細くなったところで高台に明りが見える。未知との遭遇かトトロの森かと思っていたらYHだった。雨がやんでいたのが幸いだった。

  夕食はオプションで佐賀牛のステーキも。せっかくだし少し贅沢しよう。

12年前のふたり

2014年11月25日 | とのさまの漫遊
  本棚を漁っていたら12年前の新婚旅行の記録が出てきた。まだパソコンは買っていなかったためデジタル化しておらず、この機に留めておくことにいたします。なお幾分昔のことのため現状とは異なっているケースも生じているかと思いますのでご了承ください。価格も当時のものです。


☆2002年11月24日~25日(月) のち

  結婚して早くも半年、ようやく2人で旅行でもという余裕ができた。つまりは新婚旅行である。今日び日本国内なんて布哇や朝鮮半島より金がかかるし狂気の沙汰とも思える節もあるが、互いの希望があり九州とした。きっぷは悪評高い周遊きっぷ「長崎・佐賀ゾーン」を使用した。

  武蔵中原の自宅を21時に出立、今宵の宿は「サンライズ出雲」ののびのび座席だ。しばらくミニサロンでビールを飲んだりして過ごす。数日前に微熱を出した余波があるのかいささか熱っぽい。夜中の最後の停車駅となる浜松を過ぎても隣が空席だったのを幸いに、毛布を2枚使わせてもらう。おかげで翌朝はかなりスッキリした。

  0627時着の岡山で5時間のインターバル。まずは市内の路面電車2系統の制覇に向かう。大荷物を小銭式格納庫に押し込み先に来た東山行きへ。同じ東山でも京都や名古屋に比べたら侘びしく、そこから清輝橋までは徒歩行軍で。このような行程で岡山電軌を征した者は多いという。

  岡山へ戻って吉野家で牛丼を朝食に。ちょうどよい頃合いとなったので後楽園(≠ゆうえんち)へ足を運ぶ。天守閣を眺めながら月見橋を渡り南口からの入場を試みる。すると正門は8時開門でも南口は8時30分とあり、10分ほど待たねばならない。ふと付近の案内板を見ると「水辺のももくん」なる記載があり、面白そうなので行ってみる。そこには桃太郎らしき銅像が尻丸出しで桃を掲げているだけ。寄贈者にはなぜか高知県ライオンズクラブも名を連ねている。余りにも情けなくくだらないシロモノのため、首切り役人の山田朝右衛門に命じて成敗してもらおうか。

  
    ともに後楽園にて

  正門から退場し、鶴見橋を渡る。道すがら出石局と天神局に出会い、中央局で岡山版の年賀はがきを購入、やはり桃太郎が絵柄となっているがなんとも不細工だった。

  岡山からは6時間29分の耐久レースに挑む。ここから下関行きの普通列車を乗り通すのだ。車は定石どおりの115系3000番台、すいているのをいいことにボックスを作って過ごす。1142時に出発し、三原で10分停車する間に昼食を調達に。改札外の売店で「たこめし」(900円)と「松茸めし」(950円)を入手した。たこはうまいけど松茸は値段のわりにショボい。

  広島まで乗務した女性車掌はスラッと長身で顔立ちも凛々しく、車掌にしておくのはもったいないほどの風貌だ。間違っても悪いマニヤなどに引っかからぬよう願うや切。1658時の小郡でも10分停車。川崎ならすでに真っ暗の時間なのにまだ西の空が明るい。流石は西日本だ。九州場所の余韻か力士も乗っていて、身なりから関取であることは分かるものの名前が思い出せず、失礼に思いサインなどは遠慮した。

  1811時の定刻からなぜか4分遅れて下関着、表定速度59km/hは名ばかりのボル特急に匹敵するのではないか。

  今夜の宿は戸畑駅近くの「ビジネスホテル初音」を予約してある。チェックインした後に渡し船(若戸航路)で対岸の若松へ。夕食にと適当な赤提灯を物色するも、店自体が少ないうえにどこもシャッターが降りている。やっと開いている店があったと思いきや、中から出てきた母親と息子と思しき2人連れが「この店まずいビールも残してきたんだよ」と忠告してくれた。

  やむなくもうしばらく歩を進めると、その名も「赤提灯」という、わりと構えの大きな居酒屋が出現した。さっきの親子も入ったようだ。魚介料理がメインで価格は東京並みでもモノが断然違う。満悦して再び船で戸畑へ戻り、駅への途中に間口2間の店が5軒並んだ長屋を見つけ、そのうちの1軒で焼酎のお湯割りをもらってからホテルへ帰った。

想い出のなぎさのハイカラシンドバッドバルコニー

2014年10月30日 | とのさまの漫遊
  目が覚めると外は霧で山々は見えない。ホテルは禁煙ツインルームを取ったのですが見るとベッド幅が異なる。どうやら小児連れも想定しての部屋らしい。嫁はんが広いほうを使わせてくれた。

  備え付けの冷蔵庫に入れておいた飲み物を取り出すとビールまでみなシャーベット状に! 設定を「最強」にすれば冷凍庫にもなるようだ。昨夜は帰りがけにコンビニで缶ビールを買っておいたのですが、それすら飲む気も起こらなくなるほど食べました。それでも勘定は“諭吉”でかなりお釣りが来るほどなのだから。単に食が細くなっただけなのか…。

  無料の朝食はバイキング形式ながらおかずも豊富でなかなか。今日も朝から野菜三昧です。帰りの「あずさ20号」は14時近くなのでそれまでどうしよう。せっかくなので松電に乗りましょうか。

  ちなみに松本ではエスカレータは左右どちらに立つのか。結論から言うとどちらでもないようです。階段があるならそっちを歩けと、それも合理的でしょう。大都市圏に比べると利用者の絶対数が違うのですし一概の比較はできません。

   3000形電車、車内に京王帝都時代の名残は見えなかった

  松本駅の券売機は松電のキップもICカードで買えます。昨夜は塩尻まではICで乗って1円単位運賃を支払い、帰りは塩尻駅前の“秘密の券売機”で安く帰ってきました。0921時発の新島々行きは松本大学へ通う学生でいっぱい。北新・松本大学前駅も本来は最前部のドアのみが降車口ですがそんなことをしていたら全員が降りるころには日が暮れてしまう。通学時間に限りすべてのドアを開けて一斉に降りていきます。

   三溝駅

  15分ほど乗って新村の次の三溝で降ります。運賃は400円なり。ここも読むのに頭を捻ります。「みみぞ?」「みつみぞ?」正しくは「さみぞ」です。

  駅は無人で駅舎もなくホームに待合室があるだけ。踏切を渡ると簡易があり、不退転の決意で正面突破します。もう年賀はがきが売られてるんですな。

   三溝簡易局

  松本行きは1020時まで30分以上ない。さっき新村を出たところで元東急5000系が見えたので撮影したいと思うも目の前の国道に路線バスがある気配はない。高山行きなどのバスは通るものの停留所がないのだ。ケータイの地図アプリで新村駅までの距離を検索すると直線距離で1キロ強、では歩こうか。道中では嫁はんが土地の風土や風習を解説してくれます。

  新村駅に近づくと丁字路交差点名称に「南新」とあります。北新が「きたにい」なので「みなみにい」で正しいです。これも頭を捻りますし位置関係からすれば南北というより東西でしょう。車庫まで近づくといましたいました。(冒頭写真も)

   

  車体はよく手入れされ…、手前の車輌の半分だけ塗装が直され、あとは褪色したまま。 塗り直しの途中なのか資金不足で中断してるのか。でも台車や床下機器もキレイで整備が行き届いており今にも走り出しそうです。

   新村駅旧駅舎
   新駅舎

  2年前に役目を終えた旧駅舎はそのまま。しかし放置状態の感で地震でもあれば倒壊するのではないかな。駅へ入り窓口へ向かうと、いますねぇ渕東なぎさが(←詳しくはリンク先を)。ちなみに彼女の声を担当しているのは新田恵海という声優さんですが拙者らの年代だと別の人を連想してしまう。果たしてウィキペディアのページを見ると冒頭に「AV女優の『新田恵美』とは異なります」の註釈があり思わずニヤリとしてしまう。

  職場への土産にと上高地線りんごクッキーなどを。松本までの乗車券も求めると硬券で、これは松本駅で所望せねばなるまい。1023時発の松本行きに。そういえば設定ではここは彼女の勤務駅なのに、中ドア乗車、最前部降車とまるっきり無人駅と同じ扱いだ。実際に窓口にいたのは実直そうなおじさまだったけど。

   車庫を望む

  松本へ戻ってもまだ時間がある。そこで嫁はんの希望により駅前にある「珈琲美学 アベ」へ入ります。学生時代に愛用していたそうで、友人に頼み事があると「ここのモカパフェおごるから」というのが彼女たちの定番だったらしい。(本当に奢ったかは存じません)

  11時まではモーニングサービスで所定430円のコーヒーが390円、トーストやサラダなどのオプションも廉価で楽しめますがここは見送り。件のモカパフェと、せっかくなので口直しを兼ねてコーヒーも頼みます。

  店内は商談中らしき背広姿数人だけ。元より学生がいる時間帯じゃないし、今どきのヤングはこういう店は敬遠するかもしれない。並びにはコーヒーチェーンもあるし、そっちへ行ってしまうだろう。放課後に顔なじみのマスターがいる喫茶店でタムロなんてのはもはや昭和の遺物でしょう。

   「アベ」外観
   これがモカパフェ

  名物というモカパフェはというと2色のアイスにホイップクリーム、コーヒーゼリーが乗っただけのシンプルな作りながら適度な甘さでうまい。値段は680円ですがホットペッパーのクーポンや、2015年5月末まで実施しているまつもと100てんプロジェクトの「はしごチケット」で100円引きになります。(サイトからチケットは取れません)

  会計時に尋ねると店はすでに50年になるらしい。嫁はんも学生時代以来の入店で、学友にも会ったし、かの時を懐かしんだのであるまいか。

  最後に24年前、まだ現役だったころの松電5000形(元東急5000系)の写真を載せて締めくくりといたします。

  

篠ノ井線放浪記

2014年10月29日 | とのさまの漫遊
  嫁はんは楽しみにしていた昔の学友に会うため拙者は散策とする。貸し自転車で市内巡りもいいけど、滅多にない機会だし篠ノ井線の駅を適当に降りてみよう。

  ホテルをチェックアウトしてまずは向かいの松本郵便局へ。意外や関心が高い局だった。入口に掲示されてる「銀行代理業者許可票」を見ると、元の所属銀行がなぜかスルガ銀行だった。

  
   Highland Hashirundesu

  0937時発の長野行き2237MはE127系の2両、後部のクモハE127-101のボックス席が空いていたので腰を下ろします。大糸線の接続を待ってやや遅れて発車。田沢駅手前の平瀬信号場で上り「しなの」と交換待ち。あちらも遅れているようで遅れは5分になった。聖高原で8分停車があるから気になることはないけど。そういえば篠ノ井線は長野側の篠ノ井駅が起点なのに長野行きが“下り”です。おそらく中央東線に合わせているのでしょう。運転系統上もそのほうが合ってます。

  田沢に着くと開かないドアの前で右往左往し始める人が何人か。列車はワンマン運転で、一部の駅を除き最前部のドアから降りねばならずこちらの後部車輌は締め切りなのだが、松本駅停車中もそうした案内は一切なく、加えて発車後の放送も音量が小さくて聞き取りにくく言ったか言わなかったか。(放送の音量については運転士が気づいたのか、後に大きくなった) 到着直前にいきなり言われても気づかない人もいよう。合理化も結構だが利用者不在の施策は遺憾であります。

   冠着駅

  小1時間ほど乗り、里の果てといった風情の冠着で降りてみる。降りたのは拙者だけだった。駅舎はきれいになり駅前には立派な厠が1軒だけ…。もちろん汚いよりははるかにいいけれど。

  松本方向に歩を進め、見晴らしが良くなり民家が増えてきたところで踏切の音が。長野方向から211系が来ました。(冒頭写真) 115系はめっきり見かけなくなっています。

  歩いていると何やら音楽が聞こえ、トラックの行商かと思ったら筑北村営バスでした。これは後でお世話になります。

   旧村名の案内板が(現在は筑北村)
   坂井簡易局

  旧坂井村役場(現筑北村坂井支所)横に簡易があったので不退転の決意で正面突破し、坂井支所前バス停から1122時発の村営バスに乗ります。車は10人乗りのボックスワゴンで先客なし。高校生くらいの女の子2人組も乗り、彼女たちは聖高原駅の手前で、拙者はそのまま乗り通し坂北駅まで行きます。

  下車の申告は運転手への口頭で行なうため黙っていたら終点まで運ばれます。本当に黙っていたら坂北駅を通り越して終点の筑北村役場まで“完乗”してしまいました。運賃は均一200円なり。駅へ戻る途中に坂北局があり、実に自然体に経験値1とゴム印1を求めます。

   坂北駅
   聖高原駅

  さて聖高原方面の列車は1242時でしばらく時間があるし駅周辺も目ぼしいものはない。ここも駅前にキレイな厠があります。鉄道利用促進の一環として整備しているのでしょうか。気持ちよく“排水作業”を行ないます。

  ふと村営バス停の時刻表を見ると、1217時に聖高原方面があるではないか。サイトの時刻表PDFをプリントアウトしてきたのだがそれには載ってなく、帰ってから調べ直したら別のページにあった。なんとも分かりづらく、地元の人が知っていればいいということなのだろうか。運賃は鉄道と10円しか違わないし村の財政の一助になろう。

  ところが時間になってもちっともやってこない。10分ほど経ち、あきらめて駅舎に入りかけようとしたら姿が見えた。ずいぶんと遅れたものだ。ほかに乗客はなくスイスイと進む。聖高原駅で降りて昼食(後述)、そして麻績局にも立ち寄って友への通信文も発送します。

  ここも旧街道の宿場町ということながら、もはやその風情は感じられず全く農村の集落の様相です。おなじみハッピードリンクショップがあったので喉を潤します。“ショップ”といっても自販機ですが。

   甲信名物?

  1432時発の2240Mで早々と後にして田沢、1534時発の2245Mで明科と行ったり来たり。そのたびに経験値1とゴム印1、たまにポケットティッシュが増えます。駅舎がどこも似たような造りで、これも標準化されているのでしょうか。

   田沢駅
   明科駅

  1605時発の2242Mで松本へ戻りました。なお篠ノ井線は列車番号が2千番台のがワンマン運転列車です。

  それに運用されるのはすべてE127系ですが乗っていると妙にひんやりする。ドア(戸袋)からの隙間風がひどく、目蒲線や池上線でもこれほどの記憶はない。こんな車輌をよくも寒冷地に投入したものだ。苦情は出ないのだろうか。

  嫁はんと合流するとご学友も一緒でした。お会いするのは10年ぶりくらいでしょうか。生憎ながら挨拶だけで別れ、こちらは今宵の宿へ。女鳥羽川のほとりにあるホテルマツモトよろづや」に泊まります。連泊でもいいのですがちょっと気分を変えてみたかった。

  チェックインして荷物を置いたら“夜遊び”に出ます。向かうは塩尻、毎度おなじみ「五千石茶屋」へいそいそと足を運びます。

  小上がりに通され、まずはビの字、肴はこれまたおなじみ山賊焼に馬刺し、魚介の刺身も絶品です。なぜか定番の島ラッキョウも。〆のきのこ汁までいただいておなかいっぱい。 付け合せの野菜も多く、今日はずいぶんと野菜を食べました。

   おなじみ五千石茶屋
   共食い?(左はモツ煮)

  デリシアこと松電スーパーにも寄ってお土産を仕入れ、塩尻駅で電車を待つと、おやおややって来たのは115系ではないか。6両も繋いでいるからガラガラでボックス席を占拠、もうこれで思い残すことはありません。

   キタ━━━(゜∀゜)━━━
   115系車内
   日中に松本駅で


【今日の昼食】 
小松屋(東筑摩郡麻績村麻明治町3901-1)
 ☆かきフライ定食 600円
   駅前にある昔ながらの定食屋さんで旅館を兼ねているようです。老夫婦で営んでいるよう。そのせいもあってのんびりした雰囲気が漂います。山奥に来てかきフライ?いいじゃありませんか。メインのほかにカボチャやピーマンの素揚げに漬け物は3種類、味噌汁も野菜がいろいろ入って豪華、と思えば後から奴豆腐が出てきました。これなら日ごろ野菜不足の人でも一気に解消できるのではないかな。思わぬ場所で思わぬ店に出会う旅の醍醐味まで存分に味わえました。

MATSUMOTO NIGHT

2014年10月28日 | とのさまの漫遊
  1年ぶりに嫁はんと旅に出る。行き先は長野県松本市。いわば嫁はんの実家の隣町なのだが今回は帰省ではなく純然たる旅行と相成った。

  小杉から湘南埼玉ラインで新宿へ。西口を出て高速バスターミナルに向かいます。珍しくバスです。1250時発松本バスターミナル行きは京王の担当で、松本側の利用者からは評判が芳しくなかった。

  エンジンに馬力がなくて坂を上れず遅延も珍しくなかったそう。5年前に諏訪バス(当時)に乗ったときも、登坂車線をえっちらおっちら上る京王バスを、こちらは追い越し車線からスイーっと抜いていったのだから明らかに違いが分かるというもの。5年たてば車輌も更新されていようし、いかばかりか。

   京王の高速バス(双葉SAにて)

  座席は前から3列目の進行方向右側。前がひとり掛けのSクラスシートなので通路側からは前面展望が楽しめる。窓側席のテーブルも他より大きく、同じ値段なら“座り得”かもしれない。

   前面展望
   なぜかラジオ石巻のステッカーが

  結論を言えば走りは快適で余裕が感じられる。登坂車線をえっちらおっちらということは一度もなかったし時代の変化を感じた。1600時ちょうど、ほぼ定刻に松本バスターミナルに滑りこんだ。

  今宵の宿は東横イン松本駅前本町を。チェックインして嫁はんは買い物に、拙者は風呂へと向かいます。

  通りを東(駅と反対側)へ5分ほど歩いた「菊の湯」の暖簾をくぐります。入湯料は400円で水曜定休です。館内はそう広いわけではなく、そこそこの賑わいなので銭湯全盛期を彷彿とさせます。バネ式の体重計や10円玉で動くマッサージ機といった“定番”も揃ってます。ただ番台ではなくカウンターでした。

   菊の湯外観
   

  そんな中にこんなポスターが。拙者がまだ独身時代ですから十数年前に目にしたもの。もはやレトロ広告の部類でしょう。よくぞ大切にとも思うし、このオネーチャン、いくつになってるんだ? それとも人を変えて同じように作ったの???

  さて風呂を出たら酒 今回はミーハー心を出しました。今年の6月に某高知県観光特使のテレビ番組に登場した「とり八」の暖簾をくぐります。(冒頭写真



  

  場所は地図を。ビの字はアサヒスーパードライで、松本市内では多数派ではないかな。というのもそれの開発、販売に強く関わった中條高徳氏が長野県出身で松本との縁も浅からぬものがあるため精力的に営業活動も行なっていたそう。

  とはいえそれはそれ、今は今なので拙者はホッピーを、嫁はんは日本酒を頂戴する。ちなみに嫁はんはビールが苦手というわけではないのだが積極的に飲みたいものでもないのです。ホッピーは氷なし、お酒もお燗だが絶妙の温度だ。レモンサワーを頼むと氷はアイスピックで砕いてる。料理は串焼きに煮込みなど、そう品数は多くないけれど、さすが大満足でした。

   女鳥羽川から
   後方が宿泊した東横イン

  さて街をぶらぶらして2軒目~、と思うもこれという店がなく駅の近くまで来てしまった。古めかしい建物を見つけ、嫁はんが「わーこの店まだあったんだ」とはしゃぐ。見るとカレー屋のよう。では入ってみますか。

   「たくま」外観

  学生時代に幾度か利用したそう。ということはすでに昭和の話です。ビの字はと冷蔵庫が見えたので…、ヱビスなどが見えるが缶ではちょっと…。プレミアムモルツの中瓶があったのでそれとチキンカツカレーにします。

  ビールで喉を潤している間にカレーが運ばれてきます。決して安いというわけではないけれどサラダも付いてかなりの量が。お味もさすがのもの。ややあってビールのつまみにと、フライドポテトに枝豆がやってきてテーブルの上は大賑わいだ。

  学生のころならこの程度はぺろりだったんだけど…。いや、残さずおいしくいただきましたよ。

新京成に乗ってみる

2014年08月26日 | とのさまの漫遊
  神経性もとい、つーか←これしか変換しないのはいかがなものか。

  新京成に乗った記憶がない。高校生のころ乗ったかなという曖昧な記憶しかなく、乗車記録をつけてないのかと言われそうだが面倒なのでいつしかやめてしまった。沿線自体にも関心が高いので、もやもやを一掃すべく行ってきます。

  国電で津田沼へ。北口を出てまず津田沼局を制圧に。駅は習志野市ですがここは船橋市に属します。

  船橋市にある津田沼郵便局

  次いで南口へ抜けて津田沼南口局をも。こちらは習志野市でなんともややこしい。

  予備校の目立つ“親不孝地帯”を抜けて習志野局へ。局の前になんともボロッちいニャンコがいました。でもあまり構ってほしくなさそう。逃げるわけでもないけど。ここはゆうちょ銀行の支店のようで、ゴム印も「ゆうちょ銀行習志野店」でした。

  

  京成津田沼駅の前を通り習志野津田沼局へも。同じような局名ばかりでこれまたなんとも。

  習志野津田沼局

  さていよいよ電車に乗り込むわけですが、駅前に東武ストアがあり飲料を求めます。ここはレジ袋を辞退すると2円引きになるようで、メーカー品ながら税込み81円の缶コーヒー1本を2円も引いてくれるのだから、なんだか恐縮してしまう。逆にどれだけ買っても2円引きなのだからバランスは取れているのか。

   共に京成津田沼駅にて

  新京成は全線(26.5km)乗っても300円に満たないのだからかなり安い。でもせっかくだからどこかで降りてみよう。初乗り(150円、ICだと144円)の最遠地となる習志野へ。ぐねぐねと曲がりくねったレールを進む。新津田沼を過ぎるとスピードが上がる。

  習志野駅を降りてまずは目の前の習志野駅前局へ。ここは船橋市でなんとも(以下略

  習志野駅前局、左手が習志野駅

  踏切を渡り徒歩6分ほどで薬園台駅前局をも制覇します。「なんだ隣の駅までずいぶん近いんだね」というとさにあらず。こちらは“駅前”を名乗りながら駅からかなりあり、駅まで徒歩6分と、習志野駅からと同じだけかかった。特に早足で歩いたというわけでもないのですが。

  薬園台駅舎

  立派な駅ビルを持つ薬園台駅ですがテナントは医療機関がほとんどで飲食店はありません。すでにお昼どきながら見送って歩を進めます。車内は立ち客も無くまったりと。今日は気温は低めでも湿度があるせいかすでに汗だくです。けっこう歩いてますしねぇ。

  新鎌ヶ谷付近は立体交差事業の進捗中。そして次は八柱で降りてみます。松戸日暮局を不退転の決意で正面突破。昼食(後述)の後、八柱駅前局へも立ち寄ります。隣接する武蔵野線の新八柱駅で通勤定期を継続し、あとは松戸駅へ向かうのみ。数少ない8両編成が来ました。(冒頭写真=松戸駅で撮影)

  これも松戸駅にて

  松戸東口、松戸駅西口局と相次いで撃破して、意外と早く進行したようでまだ15時になったところ。となれば欲を出して松戸根本局をも制覇します。なお松戸局はすでに無関心であります。途中の寿司屋さんの前に毛並みのいいキジトラがいました。なにもかも実に自然体です。

  

  撫でさせてはくれるものの、こちらもあまり構ってほしくなさそう。写真を撮ったら奥に引っ込んでしまいました。

  その後は強烈な通り雨に見舞われ、まずは新京成電車の旅はおしまい。常磐線→千代田線、明治神宮前経由で家路につきました。

  (…郵便局に行ったことしか書いていないような…)


【今日の昼食】 
魚夢(松戸市日暮1丁目5-13 ※)
 ☆海老野菜天丼 950円(コーヒー付き)+ヱビス中生 500円
   「ととゆめ」と読むそう。ランチは14時までとあっても入店は13時半くらいまでのようでした。少し後に来た人は断っていたためギリギリに入り込めたようでよかった。 カウンター席はなく個室に通されます。それもテーブルが4つあるかなり広い部屋なのでセミコンパートメントといった作りか。お代官様と密談するような風情ではないかも。 ランチメニューは950円からながら1200円が主力のよう。あまり勤め人の入るような店ではないかな。でも天丼の具は盛りだくさんで、海老3本の他にキス、イカ、なす、ブロッコリーなど。ビの字もいただいていたのでじゅうぶん肴になる。ちなみに瓶はヱビススーパードライなのだがどちらも中瓶で同じ500円とあってはヱビスにしませんかね。

  ※店の所在地について、各種グルメサイト等では「5-21」となっていますが、店の箸袋には「5-13」とあり、帰ってから気づいたため箸袋の表記とします。

まさかの一日

2014年04月28日 | とのさまの漫遊
  「δ」が特別急行なる種別を昨日から走らせ始めたらしい。ということで夜勤明けで行ってきます。

  横浜駅西口を出て例により秘密乗車券を買っておきます。値段は変わっていませんでした。こうした“古物”に関わる消費税ってどうなってるんでしょうね。

  「δ」はどこぞで踏切安全確認を行なったとやらで遅れが出ています。

  案内はいにしえの時間を

  ホームへ上がると次々に電車が来ては折り返していきます。しかし必ずしも「ファーストイン・ファーストアウト」ではないため、後着が先発となると時間がかかる。1150時発の快速海老名行きが12分遅れで出て行った。

  さてクルマは7000系でも来れば面白いけど、ありきたりに10000系かなと思っていたら、本当に7000系が来ました。(冒頭写真) 本日ひとつ目の“まさか”。

  全線時刻表を見ると、いずみ野線特急は8両編成で運転されているらしく、車輌限定でなく共通運用となれば当たる確率も高いわけだ。(7000系の10両編成はすでにない) 入線時に正面の行き先幕が回る間に「通特」の文字がチラリと見え、将来の通勤特急設定を窺わせました。

  旧型車が来れば付随車よりも駆動車に乗りたいもの。先頭8号車(制御車=付随車)は避け、6号車は立ち客も多いのに7号車は空席もチラホラ。所定1211時から9分遅れで出発しました。いざ快走!とはいかず前が支えているためラッシュ時並みの速度だ。やっと二俣川に着いて一気に車内はガラガラに。さてここからが本番!と思いきや、まだ前が支えているようで南万騎が原は停まるのかと思うほどの速度に。それでもまさかこの車輌で緑園都市を通過できる日が来ようとは、まさに感涙モノです。 恨みがあるわけではなく東横線特急の中目黒(今は停車)や日吉通過並みに思い切った施策だなと感じたわけです。その後も速度は上がらず、遅れは増大して湘南台へと着きました。

  下りバージョン 上りバージョン(湘南台駅で)
  緑園都市通過!
  湘南台駅で

  駅を出て東口へ。藤沢今田郵便局を実に自然体に訪問します。ここは仕事でも来ているはずなのに意外や未訪でした。おそらく通帳を忘れるという失態でもやらかしたか。西口へも行き湘南台駅前局をも不退転の決意で突破します。ガストで昼食の後、電車で長後へ。神奈中長24系統、寺尾経由さがみ野駅行きに乗り込みます。日中でも20分間隔と本数は多い。出発していきなり降車ボタンが押されたと思うもバス停間隔が長いのだ。神奈中の案内によると次の上谷台まで0.96キロメートルとある。お年寄りには歩くのが億劫な距離だろう。

  郊外ののんびりした風景の中を走って綾瀬農協前で降りる。PASMOで払うと運賃は227円だった。少し戻り綾瀬中郵便局へ。ここはかつては綾瀬郵便局と名乗っていたが東名綾瀬バス停付近に集配扱い局を作って名を譲った。前に来たのは1990年のことで、果たして局コード「02211」は綾瀬局時代と変わっておらず、“新”綾瀬局へはまた訪れねばなるまい。そして局の2階にはどこかで見たような看板が。

  横浜市民にはおなじみ?

  かつて瀬谷駅構内に広告看板を出し、横浜市南区にもあるという。一族だろうか?

  さて1990年とは仕事(地図調査)で訪れたときのことで、そのはずなのに景色に全く見覚えがない。四半世紀近くもたてばすっかり変わってしまっただろうか。それとも景色まで楽しむ余裕などなかったのだろうか。次はバスを大塚本町で降りる。運賃はIC払いで216円なり。

  至近のかしわ台駅東口へ寄ってみます。以前は木造で脇に円柱形のポストがある時代錯gもとい鄙びた味わいのある駅舎でしたが1997年に建て替えられました。

  かしわ台駅東口駅舎
  旧大塚本町駅

  駅舎に続く少し高くなっている箇所がホーム跡です。

  

  ホームまでの距離はというと、のオレンジ色の弧が「現在地」から250メートルを表わすため約300メートルといったところ。東海道線や横須賀線の15両編成に匹敵します。時刻表を見れば以前は早朝深夜の一部を除き急行しか来ないため真っ赤っかだったのが、昼間はまだら模様に。

  

  駅を後にして海老名市で唯一の銭湯、ひばりの湯へと向かいます。神奈川県も境川以西になると銭湯はぐっと減ります。スーパー銭湯や温泉施設の日帰り入浴ならありますけど組合加入となれば少ない。

  ひばりの湯外観

  450円払い中へ。ロッカーに鍵はなく(鍵穴はあるのだが刺さっていない)カウンターで尋ねるとすでにないらしい。他の皆さんも脱衣籠に衣服を入れてるだけの信用システムだ。こういうのは新潟の寿湯(2011年10月16日)以来で、貴重品だけ念のため預かってもらう。本日ふたつ目の“まさか”。

  浴槽はそう広くなく4人も入れば窮屈に感じそう。他に2人分の座湯と、サウナも自由に入れる。設備自体もくたびれた感じだが車で訪れる人もいるらしい。混んでなかったのが幸いでゆっくり浸かれた。

  風呂とくれば酒で、駅方向へ少し戻り、横道になんとなく赤提灯が目に入ってしまう。扉を開けると先客はなし。17時を少し回ったところなので時間も早いか。生ビールはビールではなく“ビールもどき”なのでパス。サッポロラガーなどの中瓶570円とあるが、あれうれしやホッピー(420円)に黒もあるようなのでそれにする。

  お通しはないようで冷やしトマトポン酢に、おススメに従いスペアリブを。ややもすると男性がひとり。お客ではないらしい。厨房に入り若いご主人となにやら話をしている。どうやらそのご主人のお師匠さんらしく、最近になって店を任せるようになったのか、時々足を運んでは指導しているようだ。時おり厳しい“訓話”が始まる。本日みっつめの“まさか”。

  なんとも緊張感が漂うが、おそらく拙者を一目見てあまり気にしないふうと察したのだろうか、とすればかなりの眼力だ。あまりにひどければ退出するところだが流石にそのへんは心得ているよう。

  でも料理はうまい。トマトにかかるポン酢も市販品をただかけただけでなく手間を加えてありマイルドな味に、スペアリブもいい塩梅だ。こうなるとあれこれ食べたくなるけどおなかいっぱいで帰っては嫁はんに申し訳ない。イカ下足のかき揚げを頼むとこれも下味がしっかりしていて、お好みで塩を振ってと言われたけどその必要はないほど。

  お師匠さんの指導の内容も、準備や接客また厨房内での動作に関するものが多く聞こえた。そうした点をしっかり学んで精進してほしい。少し時間を置いて、次は海老名行きの特急体験乗車時にまた足を運んでみよう。

  サントリーグルメガイドによると営業は「水~日曜」とあるけど日祝定休に変わったそうです。

  湯上りに入った「晩菜(ばんざい)食堂」

  かしわ台駅(東口)に戻り、“昔ながら”の急行で横浜へと戻ったのでした。

  中庭が
  東口へと続く通路(ホームから)

馬車道→馬車道

2013年10月15日 | とのさまの漫遊
  東横線埼玉直通記念企画第2弾として、みなとみらい線馬車道駅から電車に乗り、埼玉のレストランチェーン「馬車道」に行くというおバカな企画を考えました。

  当初は5月の連休明けくらいにと考えていたのが様々な都合で延び延びに。予定していた同行者の都合もつかなくなり、嫁はんとの道中となりました。

  店は駅から遠くないところであることと、帰りやすいことを考慮し、ピッツェリア馬車道小手指店としました。(冒頭写真

  国電でまずは桜木町へ。そこから徒歩で馬車道駅を目指します。颱風接近とのことで生憎の雨ですがまだ降りは強くない。横浜アイランドタワーから駅に入ります。

  

  駅入口からホームまでの階段は137段でした。反町駅が156段なのでそれより浅いし、途中に改札口があるため、そんなにあるのかという気もします。

  乗車前に券売機でSUGOCAにチャージを試みるも受け付けない。改札口へ行き駅員に話すと、券売機はICカード共通化未対応とのこと。改札は通れるのでさしあたりの問題はないものの、掲示類も見当たらず不親切ではなかろうか。

  字体が明朝体  延伸部分

  上の写真にあるように、10両編成への延伸部分の壁はコンクリート剥き出し。予算がなかったんでしょうかね。

  1118時の各停渋谷行きでまずはひと駅。駅の自動放送が「横浜、渋谷方面渋谷行き」と案内するのは妙なもの。みなとみらいでいったん降りて1123時発の特別急行小手指行きに乗り換えます。車輌は西武6000系、いわゆる“バカ殿”です。せっかくなので狙いました。会社別の運用は東急全線時刻表などから分かります。(東急と横浜高速は共通運用)

  20メートル車での戸袋窓や塗装車体は東横線ではお初ではないかいな。雨の平日なせいかガラガラ、横浜からも立ち客がちらほらいる程度で落ち着いてます。急行に種別が変わる副都心線に入っても混雑なし。自動運転のはずなのに停車が荒っぽいのはどうしたものか。西武線内は再び種別が変わって快速急行に。4月は黄昏時で車窓はあまり望めなかったけど今日は明るい。1241時の定刻に小手指に到着、運賃はぴったり千円でした。

  “バカ殿”(小手指駅にて)

  北口を出て銀行で軍資金を調達、街を散策するとニャンコがいました。

  
  でかい

  美容院の店先に居り、看板ニャンコでしょうか。今日はお店は休業のよう。撫でても何しても動きませんし、ニャンともすんとも言いません。

  こんな名前の公園が
  鬱蒼としてます

  所沢小手指局を不退転の決意で正面突破して近くの公園へ。植え込みに遊具があるくらいの地域公園と思いきや、小さな雑木林の様相でした。夕刻ともなれば高校生がイチャついてそうな雰囲気です。

  跨線橋を越えてようやく目的の「馬車道」へ。(冒頭写真) ランチメニューはないようで、バラエティピッツァセットのAを頼みます。ピザ食べ放題とサラダ、ドリンクバー、そしてメインにスパゲッティ、ドリアorグラタンの中からひとつ選ぶというもの。B、Cはそれにデザートが付きます。折角なのでビの字はと見ると神奈川県内広域麦酒企業団と同銘柄なので見合わせ。ここはチリのワイン、カリテラ・レセルヴァ・シャルドネ(白)のフルボトルをいただく。飲み残しは持ち帰ればいいのだし。メインは嫁はんが「きのことチキンの和風スパゲッティ」、拙者は「シュリンプロゼクリームドリア」にしました。

  ピザは焼き上がったものをランダムに運んでくれる。最初のがやや冷めていて、おや?と思ったのだが次からは熱々のがやってきた。おそらくあまり待たせないように作り置きしているものもあるのだろう。

  この店を知ったのは2009年1月のこと。当時のえにっきに経緯が記されています。そのときは「今月か来月(註:2009年1月か2月)にマリンタワー近くに出店」とのことだったのに、その後開店したとの話はさっぱりありません。

  ピザは何種類あるのか定かでない。どれだけ食べたかも数えていないけど大いに満悦して店を後にしました。

  さて、埼玉といえばマミーマート、もちろん小手指にもあります。

  マミーマート小手指店外観

  雨のせいかお客さんは少ないし、棚も空きが目立ち場末感が半端ない。特筆事項もなくPBの缶チューハイを買うのみにとどまりました。

  小手指駅(南口)

  小手指駅前局を制覇して、西所沢から狭山線に。そして狭山湖ユネスコ村駅、もとい西武球場前からおとぎ列車山口線、国分寺線と乗り継ぎ帰ってきました。

  “おとぎ列車”(西武球場前駅にて)

  今日は新聞休刊日のため、埼玉新聞を買えなかったことは残念至極であります。

帰るぜ、川崎。

2013年09月03日 | とのさまの漫遊
  カーテンを開けると目に飛び込んだのは、一面の白い壁…。立体駐車場だろうか、3階だからやむを得ないにしてもちと残念

  ホテルの朝食はなかなかしっかりしたものが出された。バイキングスタイルだが我々のような朝はキチンと食べる向きにもじゅうぶん。パイナップルは特筆ものと言っていいほど甘く、ヨーグルトに入れると風味が増した。

  8時15分ごろにチェックアウト。名掛丁連絡口から入ってみる。昨夜は地下の仙石線改札側から出た。ホテルの案内では、この通路を使えば駅から(まで)徒歩5分とのことだがそれは不動産屋の用法と同じ。改札を通って電車に乗るまでなら10分は見たほうがいい。

  仙台駅名掛丁連絡口(奥の階段)

  空模様はハッキリせず、松島駅を降りると顔に冷たいものが当たる。傘を差すほどではないのだけど。松島局を不退転の決意で正面突破し、経験値1とゴム印2を求める。ゴム印のひとつは風景印です。一緒にようやっと残暑見舞いを発送した。漁港方面へ足を向けてみる。緊急避難場所を示す地図で、東北本線と仙石線で線の書き方が異なるのは、やはり大幹線と私鉄買収線の差だろうか

  

  特にこれというものもなく転進。松島町営バスの中央公民館前バス停が仙石線代行バスの高城町駅と同じ場所だった。藤田喬平ガラス美術館は館内点検のため4日まで臨時休館、橋を渡って封鎖された建物があると思えばベルギーオルゲールミュージアムらしい。一昨年の震災で閉館を余儀なくされたらしいが、2年以上たってるのに荒れた感じが全くない。それどころか地図にも載ったまま 誰か定期的に見回りに訪れているのだろうか。なおこの間に松島海岸局も制覇していることを申し添えておく。実に自然体である

  せっかく松島に来て何も観光しないのももったいない。福浦島への橋を渡ってみます。(冒頭写真) 通行料は200円で、入口のレストハウスで券を購入する。

  福浦橋(島内から)

  島内へは軽自動車なら入れそうな感じ。実際、茶店の脇に停めてあった。物資を輸送できないと困るか。茶店にはビの字もあるようだが、ここは忍の一字とする。銘柄は生麦パイプラインと同じのよう。内地では神奈川県内広域麦酒企業団と同銘柄が多く見られた。トイレが綺麗なのもさすが国際的観光地ならではか。

  曇り空で霞んでいるため、生憎とこれという写真も撮れず、海に島が浮いている程度のがせいぜい。適当に島を出ます。レストハウスの向かいの自販機が100円で、デフレの波は観光地にも押し寄せているのかと思ったけど、ここだけのよう。それぞれ好みのものを買って喉を潤す。

  100円

  てれてれと歩いて松島海岸駅へ。仙石線の代行バスはここから発着する。ロータリー内にずいぶん立派な観光バスがと思ったら、それが代行バスだった。電車より遥かに豪華ではないか なお代行バスの時刻は仙台鉄道管理局のサイト内で公開されています。おそらく18きっぷでも乗れたのではないかな。

  快速で仙台へ。適当な乗車位置にいたら弱冷房車だった。乗車位置目標に案内がほしいところ。しかし乗ってみると昨日の701系より快適ではないか。こちらのほうが車輌は古いはずなのだが…。

  仙石線205系(あおば通駅) 「石巻」が復活する日はいつか?

  103系の頃は市街地を100km/hで爆走するのに感動すら覚えたのが懐かしい。陸前原ノ町からの地下区間に乗るのは初めて。終点まで行って未乗区間を片付けた。写真を撮り、ホームのベンチに座り発車を待つ。仙台に来たなら一度くらいは発車ファンファーレをじっくり聴く機会を持ちたい。仙石線が地上だったころのうらぶれた乗り場から流れるのも好きだったけど。できれば103系がいたころに訪れたかった。

  駅を出てさくら野百貨店で土産を見る。やっぱり地酒は買いたい。内ヶ崎酒造店の「おくのかぜ」特別純米酒と平孝酒造の「日高見」純米を求める。その後も駅ビルで牛タンなどを調達した。

  名取へ移動して、お昼は駅前にあるサッポロビール園 880円からの定食類もあるけど、これまたせっかくなので「ビール園ランチ」(1600円)と「ミックスジンギスカンランチ」(1580円)を。2人いると別のものを頼んでつつき合うということができる。エーデルピルスヱビススタウトクリーミートップと楽しむ。たまのことだし奮発しよう!

  名取駅
  ビール園入口

  斜向かいのコープ(生協)で帰りの道中の兵糧を物色。酒コーナーに承前の内ヶ崎酒造店の「蓑かくし」純米なるものを目にする。広告の品とあるからいくらか安いのだろうか。こうなったら買っていこう。しばらく宮城の酒を楽しめるぞ

  名取からはひたすら鈍行乗り継ぎ。その前に窓口で宇都宮からの湘南埼玉ラインのグリーン券を求める。窓口氏が「お支払いは現金ですか?」と尋ねるので、つい「Suica使えるんですか?」と聞き返す。結論としては使えないのだが、売店などで使えてキップを売る窓口で使えないというのも変な話だと思う。

  584Mはそこそこ乗っているものの座れないということはなかった。福島到着直前に、これがそのまま黒磯行き2148Mになるというのであれうれしや。なおこの後の586Mは1651時発の1154M郡山行きになる段落としの運用だ。それに乗ってきても5分で乗り継げるのだが到着ホームが1番線、そしてこちらは4番線と離れているため、584Mに乗ったのは正しかったろう。

  さて38分“停車”の間に嫁はんが駅弁を所望するため探すも売っている店がない。さりとてわざわざ入場券を買って新幹線乗り場へ行くほどでもない。15分停車の郡山で入手できた。

  発車して安積永盛の手前で止まる。水郡線からの列車が遅れていて線路を塞いでいるためらしい。5分延だけどすぐに回復するだろう。

  ところがここは南武線や東海道線とは違い、車輌の性能いっぱいでダイヤを設定しているようで、なかなか戻れない。郡山→黒磯60分なら表定速度は63.4km/hだから鈍行にしてはかなり速い。黒磯は3分延だった。

  黒磯では発車待ちをかけていたらしく予定の列車に無事に乗り換え。車内は高校生が多いけどバカ騒ぎするほどではない。向かいに座った女子生徒5人のうち多くが制服シャツの前裾を結んでいる。栃木で流行っているのだろうか。

  そしてこんどは氏家で、遅れている貨物列車を先に通すというのでまた足止め。遅れは逆に拡大して13分にまでなった。そのため宇都宮で予定の1929時発湘南埼玉ライン1330Yには乗り継げず、次の通勤快速上野行きに納まった。

  小金井で8分後の逗子行きに乗り換え。グリーン券は通しで使える。ガラガラだったのが案の定都内へ入ると続々と乗ってくる。車内でグ券を買う人もいるんですな。予定より25分遅れで我が家へ。たった1泊2日なのに、ずいぶんと長かったような気がした。

  帰りは階下席


【行程】
[仙台]08:30 (東北本線2531M クモハ719-26=4両) 08:55[松島]~[松島海岸]11:34 (仙石線3134S モハ205-3104=4両) 12:00[あおば通]~[仙台]13:03 (東北本線3584M クモハ719-32=4両) 13:12[名取]14:43 (同584M~2148M クモハ719-34=4両) 18:36(3分延)[黒磯]18:40 (2分延、同1576M クハ204-609=4両) 19:40(13分延)[宇都宮]19:42 (同3548M サロE230-1003=10両) 20:02[小金井]20:10 (湘南埼玉ライン1340Y サロE230-1011=15両) 22:05[武蔵小杉]

シリーズ逆行の旅 ~第28回 仙台空港鉄道

2013年09月02日 | とのさまの漫遊
  10年ぶりに買った青春18きっぷ、1回を先週の千葉で使い、あと4回を使って嫁はんと1泊旅行します。行き先は宮城県です。なお仙台には旧知が何人かいるのですが、あまり時間が取れそうにないためいずれにも連絡はいたしませんでした。この場を借りてまずお詫び申し上げます

  夜勤明けで家に戻り着替えて荷物を持っての早業で出かけます。武蔵小杉から湘南埼玉ライングリーン車 東急ストアのポイントがかなりあり、ここぞとばかりに使います。(あらかじめPASMOまたはSuicaへの交換が必要) 4号車は2階席もガラガラ。買っておいたおにぎりを朝食にのんびりと。

  2階席は久しぶり

  東北本線に入り古河で気になったことが。自動車内放送での「古河」が、日本語は「こ」にアクセントがあり英語では「が」にアクセントがあるこの違いはなんなのだろう。ずっと「が」だと思っていたし、地元流だと実は「こ」なのだろうか

  宇都宮からは、もはや懐かしいの部類に入りつつある211系が。ロングシートだけど乗り慣れた車輌だし好きな車輌でもある。

  宇都宮駅にて

  ところが向かいに座ってる旅行姿の若い学生風の男が薄ら笑いを浮かべながらギョーザを貪るように食べ始めた。怖いし臭いしたまったものではない。食べ終わるとこんどは満悦顔でゲームを始めた。

  先頭車ということもあり、気分転換に前面展望をと足を向けると、ややあってその男も拙者の背後に付く。短い時間で席へ戻るとその男が代わり前方の動画撮影を始めたり、もはや異様だ こういうのが鉄道愛好者への偏見を助長しているのかと思うと嘆かわしい。黒磯で乗り換え。15両、5両ときて、とうとう2両になった。

  乗り換え客がそこそこあり、席もそこそこ埋まる。ぎゅうぎゅうを嫌ってか立つ人の姿も。状況は好転しそうになく、こちらも昼食に。宇都宮駅で買っておいた玄氣いなり(500円)をいただく。玄米に具を混ぜ込んだいなりが3個に野菜の煮物といった質素な品だ。動物性の食材がないことなど、(信)横川の玄米弁当のよう。

  郡山に近づくにつれ乗客も多くなる。それにしてもこのクルマは壁は黄ばみや黒ずみが目立つわ冷房の効きは悪いわ幅広車じゃないから車内が狭いわいいところが何もない。なんでこんな駄作を送り出したのか今も理解に苦しむ。

  最悪だった701系(黒磯駅)

  郡山からも701系、ただ4両編成なので車内に余裕があるだけまだマシだ。静岡もロングシートだったけどこんなに苦痛には感じなかったと思う。混雑度や車窓の単調さが要因だろうか。外はいつしか雨に。ところどころ強く降っているようで、田畑が水浸しになっている箇所も目にする。福島で待っていたのはセミクロスの719系、前向きの2人掛け席にありつきやれやれ。枕木方向の座席は背もたれが高いのも座ってラクな要素だろう。

  福島からは719系に

  岩沼駅

  等身大?の芭蕉像(岩沼駅前)

  このまま進めば仙台だけど岩沼で降ります。今回のタイトルのとおり、仙台空港鉄道を逆行します。飛行機を使えば簡単な話ですがそれではつまらない。そこで探してみると、あるもんですね、岩沼市民バスが空港まで行くではありませんか。(冒頭写真

  コミュニティバスにありがちなマイクロタイプとの予想に反して中型車が来ました。乗客は他に女子高校生2人と大荷物のヤング、そして用務風の中年男性の計5人で、飛行機に乗りそうなのはヤングくらいか。片側1車線ながら歩道もある広い道を快調に走ります。空港に近づいた間掘でいったん進路を南に変え、玉浦小学校方向へぐるりとひと回り。通学輸送も兼ねているなら仕方なかろうが生憎と乗降ゼロ。再び北へと向きを変えて五間掘川を渡ると、コミュニティバスらしい細い生活道路に変わります。矢野目で高校生2人が降りた。空港が近づくにつれ工業団地もあるせいかまた道が広くなり、乗ってくる人も。空港で働く人だろうか。大荷物のヤングは航空大学校前で降りた。最後は6人が空港まで乗りました。沿道にいくつか赤いの字があったようだが悔しいから見ないことにする

  空港が見えてきました

  乗ってきたバス(仙台空港にて)

  30分のドライブを楽しみ、空港ターミナルビルをひと回りしてみるも目ぼしいものはなし、早々に仙台へ向かいます。IC乗車券も使えるけど、それで乗ると後が面倒なので名取まで400円の乗車券を買います。

  仙台空港駅にある顔出しパネル
  仙台空港鉄道SAT721系

  空港からの乗客も多いものの、驚いたのは駅ごとに乗ってくる人もかなりいること。沿線にはそんなに企業が多いのか。乗ってしまえばあっという間で、大勢が待ち構える仙台駅にすべりこんだ。

  今宵の宿はコンフォートホテル仙台東口を。18時以降のチェックインでツインルーム朝食付き8400円というプランにしました。地図を見ると仙石線の廃線跡に建っているよう。荷物を置いて“夜遊び”に出ます。作りかけのような跨線橋を渡って広瀬通をひたすら。晩翠通りを越えた先を左へ曲がったところにある「魚がし一番町店」の暖簾をくぐります。

  ここは川崎在住の旧知の一人が、長町駅前で入ったところいい店だったとの話を聞き、調べたら仙台市内に4店あるローカルチェーンらしい。2階へ通され、まずは生を。銘柄はサッポロだった(500円)。はやる心を抑えきれず少し早足で来たせいか、嫁はんは汗をかいたよう。10分ほどかかっただろうか。お通しはカレイの煮付けに野菜が添えられたもの。すでにお通しじゃないレベルに舌を巻いたり鼓を打ったり忙しい

  1軒目「魚がし」 メニュー

  メニューの隅にある1人1500円の「親方おまかせ料理」に目を引かれ、それと他に頼もうとすると、かなり量があるので、追加は食べられるようならにしたほうがいいと勧められる。確かに、まず蟹の足、豚しゃぶサラダは盛りが多い。刺身もうまいし、鯨(?)の竜田揚げなんて久しぶりに口にした。東京なら少なくとも倍はするのではないかな。“焼き物”も塩鮭のみならず、手羽先のカレー揚げや大きな巻貝の煮付けまで付いてくるほど。すっかり満悦したけど、嫁はんがホッキ貝を所望したので、それの刺身だけ追加した。

  いや~、のっけからいいお店でしたね~ でもね、仙台の夜はまだ始まったばかりですから、まだまだ行きますよ~。では

  いったんホテルへ戻り、今日で10年を迎えたという某高知県観光特使のテレビ番組を楽しみます。そういえば今日の朝日新聞に全面広告が出てましたな。そして再び繰り出します。次はホテル近くの「大衆酒場びっくり」を。



  ホテル周辺の地図をプリントアウトしたら目標物のひとつに記されていた。看板の灯りが点いているので暖簾をくぐると、ちょうど食べ物がラストオーダーの時間らしい。飲み物は生ビール(表記ママ)310円、中瓶470円で、生がずいぶん安いなとサーバーを見ると、樽には発泡酒のラベルが貼られている。問題ないのか?

  2軒目「大衆酒場びっくり」(退出後に撮影)

  さっきたらふく食べたし2~3品あればいいのだが、料理はすでにほとんど売り切れ。ニラのおひたし、煮込み豆腐、焼き鳥を頼む。ピリ辛のニラは酒が進む。ここの焼き鳥は手羽元で、やはりカレー味がついている。仙台の流行なのか? また機会があるなら、次こそは早めに来てじっくりと料理を楽しみたいお店でした


【行程】
[武蔵小杉]10:13 (湘南埼玉ライン4610E サロE230-1034=15両) 12:21[宇都宮]12:37 (東北本線1553M クモハ211-3032=5両) 13:27[黒磯]13:33 (同2139M クモハ701-1019=2両) 14:37[郡山]14:53 (同1147M クモハ701-1514=4両) 15:40[福島]15:45 (同583M クモハ719-19=4両) 16:46[岩沼]17:07 (2分遅れ、岩沼市民バス 200円) 17:38[仙台空港]17:59 (仙台空港鉄道1359M 400円 SAT721-103=4両) 18:25[仙台]

シリーズ逆行の旅 ~国外逃亡篇(笑)(後篇)

2013年08月28日 | とのさまの漫遊
〔前回までのあらすじ〕
  格さんが印籠を落とし、それを拾った一行が偽黄門を名乗って大騒ぎ


(註:掲載日付は変わりましたが昨27日の出来事です)
#27 千葉都市モノレール2号線

  千原線は千葉急行時代、路線が大森台までだった頃に乗って以来なので、おおよそ20年ぶりということか。当時の大森台もかなり殺風景だった記憶しかない。住宅も増えたようだけど、複線化という話も聞かない。それでもそこそこの乗車があり千葉中央で電車を降りた。

  改札を出るとフードコートがあり、そこで昼食を済ます。酒類の提供はなく、禁酒禁煙という健全なスタイルだ。なのにタバコの自販機が置かれているのはどういうことだろう?これも千葉文化だろうか

  東口を出て県庁内局を含め2局を不退転の決意で正面突破し、千葉都市モノレール県庁前駅へ。ここも「逆行」と言えなくもないけど、本千葉駅からは目と鼻の先でもありカウントしないことにします。「お昼のお出かけフリーきっぷ」なる1日乗車券を買います。600円なり。なんかのコラボ券もあるらしいけどここでは買えず。まずは千葉まで乗って1号線を制覇、そういえばここはなぜか1号線より2号線が先に開業したのではなかったかな。やはり20年前に千葉から都賀まで乗ったことがあります。

  千葉でいったん降りてバスに乗り換え、目指すは千城台です(笑)。1日乗車券があるのに酔狂なことをします。バス乗り場の案内には千城台車庫などの表示はあるけど千城台駅というのは見当たらない。モノレールに遠慮しているのでしょうか。乗り場の見当をつけて車体側面に千城台駅の表示を出しているバスになんとなく乗ってしまいます。

  車内は立ち客も出るほど。運賃は千葉駅近くが100円、次いで200円、210円となり、次が270円と一気に上がる。今はネットで事前に運賃を調べておけるけど、昔はタクシーメーターの如く上がる運賃に肝を冷やしたことも。車窓はここも郊外の住宅地の様相で変化には乏しい。でもモノレールと全く別の場所を走るため気分は変わる。しかも乗った千06系統は千城台あたりでやや迂回する路線のようなので、その分も楽しめた。運賃も420円とモノレールより30円安い。

  千城台駅が見えてきました

  千葉千城台局で経験値1とゴム印1を求め今日の“貯金活動”はもはやここまで。駅前に大きなショッピングセンターはあるけど覗くほどでもなさそう。駅ではモノレール開業25周年記念の硬券入場券(190円)を発売中の由で求めておきます。窓口横の時刻表を見ると、新型車輌アーバンフライヤーの時刻が示されており、直に来るようなので待ってみましょう。(冒頭写真は千城台駅にて撮影)

  アボーン、もとい(笑)アーバンフライヤー車内
  同、千葉みなと駅にて

  形式が「0系」ではなく「0形」なのは、やはり偉大なる新幹線車輌に対して畏れ多い、ではなく先代の「1000形」に合わせただけだろう。座席は座り心地が良く疲れない。駅ごとに乗ってくるけど都賀で一気にすく。しかし動物公園で家族連れが大挙して乗ってきて一気に賑やかに。さらに隣に座ったご老体の入れ歯臭が鼻を突く。お孫さんには、お爺ちゃんにポリ○ントを勧めてあげるよう願うや切。

  千葉でごっそりすいて最終区間はまったり。“空中散歩”を楽しんで千葉みなとに滑りこんだ。

  ここも用はないので早々に舞浜へ移動。ついでなので遊園地、ではなくここのモノレール「ディズニーリゾートライン」を片付けておきます。ここも開業して30年(モノレールは2001年開業)、拙者は一度も入ったことがありませんし、今後も入ることはないでしょう。ただ鉄道乗りつぶしという目的は果たしておきたいもの

  今日はいつぞや嫁はんが買ってくれたパスケースを持ち歩いてます。IC乗車券を仕込んであり、東急ストアのポイントを電子マネーに換えて、それでバスやモノレールなどに乗ってたわけ。
  
  一周250ゴールド(?)

  当たり前というか周りはみな浮かれた雰囲気だし、パスケースを吊り革の穴にはめ込んで記念撮影してもいいんじゃないかなどと阿呆な考えが頭を過ぎった。でも穴が小さくて入らないか。(そういう問題じゃない)東京ディズニーランド・ステーションから一周して乗車完了ナリ。舞浜駅で乗車券の履歴印字すると利用駅欄に「MRCB」と表記され、何のことやらと頭を捻る。帰ってから調べると「Maihama Resort Line Co.Ltd.」(運行する「株式会社舞浜リゾートライン」)の頭文字に、起点のリゾートゲートウェイ・ステーションを「A」として順々にアルファベットを振っているとの説が極めて有力である。(公式見解がないようなので断定には至らず)

  快速が目の前で出て行くが各停が3分後に来てガラガラ。東京駅では長くて混雑する乗り換え通路を嫌い、18きっぷの威力で丸の内南改札をいったん出る。案の定すいていた。再び改札を通り横須賀線へ。地下1番線に1815時発の横須賀行きがなぜか停まったまま。次の26分発が踏切確認のため15分ほど遅れているらしく、間隔調整しているよう。この時間に短い11両編成とはいい根性しているがやむなく乗り込む。幸いにして大した混雑でなくやれやれ。小杉ではやはり乗り換え通路や南武線ホームの混雑を嫌い、横須賀線口をいったん出て向河原駅へ。この時間なら臨時口が開いているはずなのだ。

  19時に家に着き、嫁はんの帰りを待って近所の居酒屋へ夕食に出た。今回は珍しく酒を一滴も飲んでいなかったのです。


【行程】
[武蔵小杉]06:57 (横須賀線574S→総武線575F サハE217-27=15両) 07:56[千葉]08:18 (外房線237M クハ209-2150=8両) 09:32[大原]09:42 (いすみ鉄道13D いすみ302=1両) 10:37[上総中野]10:48 (小湊鉄道28列車 キハ203=2両) 12:02[五井]~[五井駅東口] 13:00(小湊鉄道バス550円) 13:39[ちはら台駅]13:53 (京成千原線 3515=4両350円) 14:10[千葉中央]~[県庁前]14:50 (千葉都市モノレール1号線 1035=2両) 14:55[千葉]15:05 (京成バス千06系統420円) 15:38[千城台駅]16:03 (千葉都市モノレール2号線 005=2両) 16:33[千葉みなと]16:39 (京葉線1634A モハ209-533=10両) 17:07[舞浜]~[東京ディズニーランド・ステーション] 17:22(ディズニーリゾートライン 52=6両250円) 17:34[東京ディズニーランド・ステーション]~[舞浜]17:47 (京葉線1782Y モハE233-5602=10両) 18:04[東京]18:20 (5分延、横須賀線1723S サハE217-13=11両) 18:38[武蔵小杉]

シリーズ逆行の旅 ~国外逃亡篇(笑)(前篇)

2013年08月27日 | とのさまの漫遊
#26 京成電鉄千原線

  実に10年ぶりに「青春18きっぷ」を買い、ニョーボを放ったらかして“国外逃亡”を図ることとした

  千葉が独立国家になるというのは、毎日新聞が2005年1月1日付でネタ記事として書いていたもの。でもそれより10年も前に拙者らが当時所属していたサークル機関誌でネタにしていました。利根川と江戸川で“本土”から分断され、独自の文化を持ち、やたらに「東京」を名乗りたがる風土(?)を皮肉ったものでした。なので毎日が記事にしたときは、いくらか請求しようかと仲間内で冗談を言い合ったものでしたけど

  そんなことはどうでもよく、武蔵小杉から遥か房総半島を目指します。ラッシュの車内も東京で一気にすき、ボックス席を占有できるほどに。しかし江戸川を渡ると、こんどは千葉への通勤客が乗ってきて再び混雑に。“日本”への通勤客が待ち構える千葉へ着き、外房線に乗り換え。何も考えず誰も並んでいない乗車位置にいると、目の前に来たのはセミクロスシートに改造された車輌でした。ボックス席の進行方向窓側に落ち着き、幸先良い。

  209系“千葉バージョン”車内

  小杉の東急ストアで買っておいたおにぎりを朝食に。窓際にテーブルが取り付けられているがセンヌキがないのは遺憾である

  家を出るときは雨が上がり陽も差してきていたのに、誉田あたりでまた降りだした。というより雨雲に追いついてしまったのだ。茂原付近で雨は上がりやれやれ。大原で初乗車となるいすみ鉄道に乗り換え。ついでに通勤定期券の継続も行なっておく。公社時刻表には、外房線といすみ鉄道への乗り換えには6分かかるという註釈があり、そんなに離れているのかと思ったら改札を出てすぐ右だった。たしか小湊鉄道五井までの割引乗車券があったはずと見回すと券売機に口座があった。1600円なり。通常だと計2070円だから2割以上安い。横の飲料ケースを見るとこんな表記が。

  

  そのためか王冠付き瓶入り飲料も売っている。しかしこれまた遺憾ながらビの字は缶入りしか置いていないよう。ちなみに今日の当方は2リットル入りのペットボトル茶を携行している。あらかじめ勤め先で128円で安売りしたときに買っておいたもの。このほうが都度買うより安上がりなのであります。これを指して竹ノ塚老公は「ドリンクニューファッション」と表したと太古の書物にはある。

  いすみ鉄道の車輌

  車内はボックスごと空いているところもあるほどの乗り具合。しかし車内のマナーはよろしくない。40代と思しき4人組のマニヤがのべつ車内をうろうろ落ち着かない。加えて老夫婦もうろうろ、肘掛けに腰掛け通路に足を出し、降りようとする女性客を通りづらくさせている。その女性客は降りてからも老夫婦を睨んでいたが、当の本人たちは全く意に介さぬよう。テレビの鉄道紀行番組の影響かローカル線が賑わうのはいいことだけど、お行儀のよろしくない者まで増えるのはいかがなものかと思う。騒がないだけマシと考えるべきだろうか。

  さて車内は冷房が入っていない。冷房車ではあるのだが今日はわりと涼しいし燃料の節約ならそれはそれでいい。窓を開けると風が気持ちよいし。大多喜で運転士が替わると冷房が投入された。

  初乗車だけどこれという感想もなく上総中野へ。駅の手前で車窓にニャンコの姿が見えたので行ってみましょう。

  
  すりすり
  なでろかまえあそべ

  呼ぶと小走りにやってきて纏わりつく。おそらく飼い猫だろうけどここまで甘えん坊なのは久しぶりだ。撮るのに苦労しました。10分ほどしかないため名残惜しいけど駅へ戻ります。

  上総中野駅にて
  同じく

  これまた初乗車の小湊鉄道はキハ200系の2両編成、やってきた列車からはぞろぞろと降りてきたが乗ったのは4~5人くらい、しかも後部は拙者のみ。キハ203は1963年4月製造と拙者より年上 鈍い加速にコイルバネ台車の揺れ、プレスドア、非ユニットサッシの窓、マニュアル進段、自動空気ブレーキ、通票閉塞、警報音が鐘の踏切、穴あけパンチ式の車内補充券…、すでに記憶の彼方となった数多くのものがここにはある。冷房車だが効きはすこぶる悪く、窓が開いている箇所があるも車掌は知らん顔。扇風機の風が心地よい。そういえば扇風機スヰッチだけはないな。

  貸切の車内  

  駅ごとに乗ってきてそこそこの賑わいになり、1時間強のタイムトリップを存分に楽しんだ。

  五井では小一時間のインターバルに市原五井、市原五井東局を立て続けに制覇。昼時ではあるもののゆっくりと食べているほどの時間はなく、まださほど空腹でもないので持ち越す。そしてここからはちはら台行きのバスに乗ります。系統番号の表示はないが、サイトの案内などでは便宜的に「五31系統」と表わしているらしい。平日(土曜含む)4往復で最終の1本前となる13時ちょうど発の便へ。

  1日4回、休日運休
  “五31”系統

  乗客は他に中年の女性1人だけ。それも100円区間の五蓙目で降りてしまい貸切になる。市原市役所でひとり乗り、その後もまた乗車がありやれやれ。車窓は典型的な郊外の住宅地で、時おり雑木林やショッピングセンターが現れたりで小さな変化がある。労災病院に立ち寄り、そこで乗ったばあさまがしばらくしてから「八幡宿は行かないの?」などと言い出す。行き先も見ないで乗っているとはたまげた。

  正面にちはら台駅が見えたもののいったん右手へ進路を取り、回り込むように駅へ入った。(冒頭写真=手前は乗ってきたバス)

  ちはら台駅近影

  それにしても駅前は殺風景で店らしきものは見えない。局も遠いし駅にも売店はなく、探しに行くのも面倒なのでそのまま電車に乗り込んだ。ここも先へと線路が続く計画はあるけれど、いつの日になることやら。(続く)

松本平放浪記

2012年10月03日 | とのさまの漫遊
  昨夜は市街の「ホテル中村屋」に宿泊、さすが老舗だけあってなかなか快適に過ごせました。大浴場(中浴場?)は2か所あって男女日替り。それが夜と朝とで入れ替わり、朝湯にも入ったので両方楽しめました。部屋にも風呂はありますけどせっかくですから広いお風呂に

  ところで拙者は帰りの「あずさ回数券」を小杉の金券屋で買っていたのですが、ホテルでも取り扱っていて、しかもそっちの方が安かった

  義弟殿がクルマで迎えに来てくださり、観光案内をしてくれます。まずは郊外のファーマーズガーデンうちだで農産物を物色。母と妹はブドウに興味津々のよう。ちょっと東京では見られない品種もありますし。

  その後は松本城へ(冒頭写真)。拙者はおおよそ20年ぶりか。観光客には外国人も多く見られます。今週末(註:6日から8日まで)に開催される「信州・松本そば祭り」準備のため、あちこちにテントを設営中で落ち着かない。

  天守閣にも登って次は旧開智学校へ。この校舎には「八角塔」があり、拙者の母校にもあります。母校のは旧制東京府立八中だったことにちなんでの“八角”ですけど、ここの由来はなんだろう?

  パンフレットにも書いてないし売店の人に尋ねてもわからず。帰ってから検索してみると、単なる方角説が有力である。なんにせよ母校との共通点はなさそう。

  市場の外観

  母と妹は昼過ぎの「あずさ」で帰京、拙者はもう少し厄介になる。どこかで昼食をと思い、義弟殿の勧めで松本市公設市場の場内食堂へ。駐車場に車を停めると、局の看板が見えたので一言断って行ってくる。松本流通団地簡易局を不退転の決意で正面突破して食堂へ。アウトドア派の義弟殿は拙者の道楽を一目で理解したようで、食後に松本南局へも案内してくれた。これにて今回の旅の成果は計10局、うち簡易4と実に自然体である

  嫁はんの実家に現れたニャンコ
  

  塩尻駅外れの旧中央西線の線路上に、211系の固定6両編成が停まっていた。車番はおろか車内がロングシートかセミクロスかもわからず。でもこれがやがて115系と共に立川まで営業するようになるのだろうか。

  
  塩尻駅にて

  川崎へ帰る前に、嫁はんの実家で自転車を借りてJA洗馬隣の安塚精肉店にも寄ります。嫁はんの実家御用達で、ここのマトンやカルビ、ホルモンは絶品です。もちろん馬刺しもあります。ここや五千石茶屋の馬刺しを食べたらもはや他で食べる気になれないほど。

  公共交通に乏しいため行こうとなると注意が必要。実質1日4往復の塩尻市地域振興バス洗馬線(リンク先はpdf形式)で「妙義保育園前」下車が近いですかね。そこから徒歩2~3分ほど。運賃は全区間均一100円()なお日祝運休の由。

  最後に思い出したことを。

  佐久海ノ口駅付近を歩いていたら、『強行遠足実施のためご協力を』という、甲府第一高校名の立て看板を沿道で見かけました。帰ってから調べると、80年以上の歴史を持つ学校行事だったと知りました。今年も今月5日に出発式があり、6日から7日にかけて行なわれたそうです(このえにっきは9日に書いています)。長野県でも「強歩大会」(“競歩”ではない)として行なう学校があるそうな。こうして将来の住宅地図調査員を養成しているのですね(違

小海線放浪記

2012年10月02日 | とのさまの漫遊
  それでもアラームより早く目が覚めた。昨夜は帰ってからベッドに倒れこんで居眠りしてしまい、気づけば深夜1時過ぎ。1時までという健康ランド(大浴場)の利用時間を過ぎてしまったため再び寝ることにした。

  朝湯が6時からというのでそちらを利用する。当然と言えばそうだろうが極めつけにすいていて快適至極であります。早起きしたおかげ(?)で多彩な風呂を楽しめる。これが日帰り利用なら1200円、タオル、浴衣付きならプラス200円というのだから、宿泊費が割安なのか?

  朝食は1050円というのでパスした。もちろんそれなりのものが出るのだろうが、目の前に24時間営業のガストがあるし、そちらでよいと思っていた。ところが昨夜、戻る前に隣のコンビニに入ったらカップの「スガキヤラーメン」が売られているではないか。喜び勇んで購入し、部屋備え付けの湯沸しポットで作った。ベッドはセミダブルで広め。機会があればまた泊まりたいと思う。

  朝食(笑)

  まだ口の中が胡椒っぽい。9時10分ほど前にチェックアウトして駅とは反対方向に歩を進める。長土呂地区へ向かい、同名の簡易局を制覇する。新幹線駅最寄りの郵便局が簡易というのも凄まじい。さんざんチェーン店を建てる中で郵便局だけ作り忘れたかのよう。

  新幹線駅最寄り郵便局が簡易!

  佐久“平”というだけあって坂はない。冒頭写真はホテルの部屋から撮ったもの。典型的な郊外の住宅地という風情から、広い道と近代的な建物が現れたらそこが駅だ。駅併設の「プラザ佐久」で嫁はんの実家への土産を購入。地酒も魅力的な銘柄が並ぶがここは忍の一字とする。

  細長い通路を通って無人駅の小海線乗り場へ行くと、列車はあれあれ昨日と同じ編成だ。

  ゾロ目車輌の正面(岩村田駅にて)

  今回はそのゾロ目車輌に腰を落ち着ける。といっても中込行きなので直に降りねばならない。

  中込は岩村田に比べて商店街という感じがする。官公庁の出先機関などは岩村田でも、実際の町の中心はこちらなのか。駐車スペース付きの道路を設置工事中で、人通りはそれほどでもないにせよ活気は感じられる。中には夜更け近くに開店して未明まで営業というラーメン店も。もちろんしもた屋もあるのだが。

  中込局を制覇して、これがめでたくというかようやく1800局目となった。そうそう遠出はできないし、ずいぶん長い道のりだった。それを記念してというわけではないけど駅前の酒店で佐久の地酒、木内醸造の「初鶯特撰純米生一本」4合を買い、バッグを重くする。

  中込駅  待合室にはこんな掲示も

  次の小淵沢行き列車は国鉄東日本総本部ご自慢の複合動力車、キハE200形だ。動き出してしばらくしてからエンヂン音が響きだすのは特徴的で、昨秋に長岡から新潟まで乗ったHB-E300系を思い出す。そもそもその礎となった車輌であります。

  車内はガラガラでのんびり。車窓も長閑な田園風景が広がります。このあたりは私鉄の「佐久鉄道」として開業した区間のためか駅間が短く、動き出しては停まりの繰り返しでスピードは出ない。今日は時間がまだまだあるので海瀬で途中下車する。ホームへ降りると頭上を巨大な水路管が横切り物々しい。ホーム1本のいわゆる“棒駅”で、出入口通路も狭く無人駅マニヤは好みそう。知らずに来たら駅の入口を見過ごしそうだ。

  駅近くの四ツ谷簡易局を制覇して国道299号を歩き、千曲川を渡って国道141号に出る。道路脇の名所案内に「元気が出る公園」とあるので行ってみようかと思うも、単位が“㎞”だったため見合わせ。高野町局をも制覇して「ラーチ」というショッピングセンターがあったので、小休止がてらツルヤなる信州ローカルのスーパーを覗いてみる。

  すると店先に懐かしい日本航空の児童用遊具が置いてあるではないか。乗ってみるほどモノズキではないがカメラに収めておく。

  こちらはリストラされなかったよう

  さて店内に入ると安い安い。東京や神奈川のスーパーはどこも顔負けの勢いだ。酒のコーナーを見ると、地酒に店の独自ラベルを貼って売っているものもあり、500ミリリットルと量も少な目ながら普通酒なら400円程度、純米酒でも600円程度で売られている。右から左まで買っていきたいがそんなことをすれば荷物で身動きが取れなくなる。さりとて発送を頼むほどでなし、ここは1本だけにしておいた。

  もうひとつ長野県内には「ハッピードリンクショップ」という自販機コーナーをやたらに目にする。調べると山梨県の(株)フローレンなる企業が運営しているらしい。通常より安く、こういうのが横浜にあったら助かったのに。ただ会社のサイトに店舗一覧はなく、神出鬼没なので見つけたら“ハッピー”なのかもしれない。

  羽黒下駅へと歩き、駅前の羽黒下簡易にて経験値1とゴム印1を求める。昼食時なのでどこかと思うも旅館と酒屋だけで食堂の類いはなさそう。さっきのスーパーで弁当でも買ってくればよかったかと悔やまれる。

  待合いに腰を下ろすと窓口から「きっぷはお持ちですか?」と声がかかる。この駅は佐久穂町が受託しており、女性の職員がきっぷを売っていた。当方の片道乗車券では海瀬まで二重乗車となるため、「海瀬まで」と申し出ると不思議な顔をされる。そのため乗車券を呈示してかくかくしかじかでとわけを話すと納得して発売してくれた。140円なり。委託駅にありがちなペラペラのモギリ券ではなく一般的な機械発行のサイバネ規格券でちょっとがっかり。

   羽黒下駅 

  次は佐久海ノ口に降りてみます。すると駅舎が金網で囲われ物々しい。どうやら今月から駅舎の改築工事が始まったらしい。細い仮通路を通って外へ出、海ノ口局を制覇します。近くに食堂が2軒あり、局の先にある「みちくさ」で750円のモツ煮定食にありつきやれやれ。

  食後は村の散策とするも、驚いたことに食品を扱う店が1軒もない。役場があるだけの寂しい場所で、行政の中心ではあっても町の中心は野辺山なのだろう。野辺山方に「ストローハット」なるファミレス風の店もあったけどさっき食べたばかり。駅へ戻って時間を潰すことにする。

  改築が始まる佐久海ノ口駅舎
  旧出札口と荷物扱い所(金網越しに撮影)  ホーム側から。この看板は新駅舎に引き継がれるのだろうか

  仮の待合室は小さなスーパーハウスにベンチを置けるだけ置いたという感じで狭い。ところでこの駅でちょっとした疑問が湧いた。

  

  写真右手に見える逆L字型のポールは下り列車の3両編成の停止目標らしい。ところがホームの長さはどう考えても2両分しかない。その先は分岐機だ。本当に3両編成が停まれるのだろうか。

  待つこと久しい小淵沢行きは、またゾロ目だ。つき合いいいねぇ。

  列車は急勾配に挑み、野辺山でオバちゃんが大量乗車して一気に賑やかになる。旗を持った添乗員らしき男性がおり、何かのツアーだろうか。小海線が初めてなら最高地点通過も初めて。かつて国鉄バス最高地点だった和田峠南線の扉峠は通ったことがあるもののその路線も今はない。美ヶ原やビーナスラインを走るのは爽快だったものだが。

  オバちゃんご一行は次の清里で下車。自身の青春時代に想いを馳せるのだろうか。

  小淵沢で高尾からの115系に乗り換え。塩嶺トンネルでケータイが通じるのには驚いた。さすがビジネス路線でもある。5月の丹那トンネルでは圏外だったのに。

  定刻に塩尻について嫁はんと落ち合い、今回は母と妹も塩尻に来ている。お馴染み「五千石茶屋」で嫁はんの家族ともおいしい料理を囲んだのでした。

【行程】
[佐久平] 9:32(小海線128D キハ111-111 =2両)9:48 [中込] 10:30(同228D キハE200-1 =2両)10:47 [海瀬]~[羽黒下] 12:56(同230D キハ111-109 =2両)13:29 [佐久海ノ口] 15:02(同232D キハ111-111 =2両)15:56 [小淵沢] 16:22(中央本線441M モハ115-1076 =6両)17:13 [塩尻]