☆2002年11月27日(水) 
ホテルグラスハウスの一部をYHにしている宿は食事も露天風呂付きの浴場もなかなか。前日に比べれば快適至極でしかも安いのだ。
昨夜は苦労した道を再び徒歩で一旦駅へ。荷物を預けて平戸島へ向かう。駅前へ入るバスは少ないため桟橋まで歩を進める。ところがいつまでたっても桟橋バスターミナルが現れない。道端の観光案内所で尋ねると、どうやら通り過ぎてしまったらしい。いったいいつの間に…。すると居合わせた女性が平戸市役所へ行く用事があるからと自家用車への便乗を勧めてくれた。渡りに船ならぬ車で、あれうれしやとここはご厚意に甘えるとしよう。お礼にとさっき買っておいた缶コーヒーを進呈した。
平戸バスターミナルでバス時刻表と、1000円のミックス回数券(国鉄バスでの呼称は、便利でお得なセット回数券)を入手する。1000円で1050円分と割引率では劣る。時刻表によれば市北部の田助地区への路線が浜川崎線並みの頻繁運転で(註:当時のこと)、〒もあるようなので行ってみよう。〒は予想外にも特定局で、造船工場もあるかなりの規模の集落だった。
市街へ戻って平戸城を見学、商店街ではカスドースなる菓子を購入する。これはその昔、殿様がカステーラよりうまい菓子を作るよう命じ、完成品を食べたところ、あまりのうまさに民には食べさせるなと布令を出したという、いわば秘密の菓子である。見栄えのわりに値段もよいが確かにうまい。かなり手間のかかる製品と見た。



平戸市内点描
オランダ商館跡などを見学して1431時発の平戸口駅行きで島を後にする。長崎県北西部には「○○免」という地名が多く見られる。これについては末尾に記します。
平戸口から列車で佐世保へ。松浦鉄道が新発売という金券式回数券の2000円券(200円券11枚綴り、註:今はICカードに代わられ終売しているよう)を購入しておく。1502時に発車、これで日本の鉄道最西端へ到達した。(松浦鉄道のサイトを見ると、今も「日本最西端の鉄道へようこそ!」の文字が見え、2線軌条式なら今も最西端ということなのでしょう)
日本最西端の駅の碑
駅間距離が京急の北馬場と南馬場のような佐世保市街を通り、1627時に佐世保へ定刻到着。10分の連絡で大村線特別急行「シーボルト3号」に乗る。閑古鳥乗り放題の感であり難なく前面展望車へ。出発すると
鉄道唱歌が流れガッカリする。気動車はやはり“死にそうなアルプスの牧場”でなくてはなるまい。
筑豊から流れてきたキハ66を眺めつつ長崎へ。今夜はJR九州ホテル長崎に泊まる。ビジネスホテルガイドではツイン1万1千円とあったのに予約時は1万2千円だった。最近になって改定したのか。しかし嫁はんが持ってるセゾンカードを提示したら3%引きになった。(註:今もこの特典があるかは不明) 部屋も広く快適で、初日の(以下略)
バスで稲佐山へ。夜景を見て、毎年8月になると「さる筋の人たち」が“集会”を開催する野外ステージにも行ってみる。当たり前だが今日は真っ暗で人っ子ひとりいない。下りとなるゴンドラで往復乗車券を求めると掛員に怪訝な顔をされた。それはそうかも。どう考えても通常とは逆の行動なのだし。つまり麓まで往復した後、バスで山を下りたのです。
稲佐山からの夜景
※長崎県内の地名に見られる「○○免」について
国司や荘園領主に対して土地の占有権を主張してきた小豪族や大家族の上層農は、12世紀ごろには1年契約ではなく引き続いて土地を耕す権利を持つようになり、その土地に自分の名を付けて「○○名(みょう)」と呼ぶようになった。このような田を名田、農民を名主と言った。
旧平戸藩以外で○○名という地名は名田に由来している。平戸藩では「みょう」を訛って「めん」と言ったことから「免」の字を当てている。
免は他県にも各地に点在しており、これは年貢の免除地を表わすといわれる。平戸藩の祐筆はこのことを意識して「免」の当て字をしたのだろう。
(この疑問のために地元自治体へ電話で質問いたしました。丁寧なご回答をいただき、改めてお礼申し上げます)

ホテルグラスハウスの一部をYHにしている宿は食事も露天風呂付きの浴場もなかなか。前日に比べれば快適至極でしかも安いのだ。
昨夜は苦労した道を再び徒歩で一旦駅へ。荷物を預けて平戸島へ向かう。駅前へ入るバスは少ないため桟橋まで歩を進める。ところがいつまでたっても桟橋バスターミナルが現れない。道端の観光案内所で尋ねると、どうやら通り過ぎてしまったらしい。いったいいつの間に…。すると居合わせた女性が平戸市役所へ行く用事があるからと自家用車への便乗を勧めてくれた。渡りに船ならぬ車で、あれうれしやとここはご厚意に甘えるとしよう。お礼にとさっき買っておいた缶コーヒーを進呈した。
平戸バスターミナルでバス時刻表と、1000円のミックス回数券(国鉄バスでの呼称は、便利でお得なセット回数券)を入手する。1000円で1050円分と割引率では劣る。時刻表によれば市北部の田助地区への路線が浜川崎線並みの頻繁運転で(註:当時のこと)、〒もあるようなので行ってみよう。〒は予想外にも特定局で、造船工場もあるかなりの規模の集落だった。
市街へ戻って平戸城を見学、商店街ではカスドースなる菓子を購入する。これはその昔、殿様がカステーラよりうまい菓子を作るよう命じ、完成品を食べたところ、あまりのうまさに民には食べさせるなと布令を出したという、いわば秘密の菓子である。見栄えのわりに値段もよいが確かにうまい。かなり手間のかかる製品と見た。





オランダ商館跡などを見学して1431時発の平戸口駅行きで島を後にする。長崎県北西部には「○○免」という地名が多く見られる。これについては末尾に記します。
平戸口から列車で佐世保へ。松浦鉄道が新発売という金券式回数券の2000円券(200円券11枚綴り、註:今はICカードに代わられ終売しているよう)を購入しておく。1502時に発車、これで日本の鉄道最西端へ到達した。(松浦鉄道のサイトを見ると、今も「日本最西端の鉄道へようこそ!」の文字が見え、2線軌条式なら今も最西端ということなのでしょう)


駅間距離が京急の北馬場と南馬場のような佐世保市街を通り、1627時に佐世保へ定刻到着。10分の連絡で大村線特別急行「シーボルト3号」に乗る。閑古鳥乗り放題の感であり難なく前面展望車へ。出発すると

筑豊から流れてきたキハ66を眺めつつ長崎へ。今夜はJR九州ホテル長崎に泊まる。ビジネスホテルガイドではツイン1万1千円とあったのに予約時は1万2千円だった。最近になって改定したのか。しかし嫁はんが持ってるセゾンカードを提示したら3%引きになった。(註:今もこの特典があるかは不明) 部屋も広く快適で、初日の(以下略)
バスで稲佐山へ。夜景を見て、毎年8月になると「さる筋の人たち」が“集会”を開催する野外ステージにも行ってみる。当たり前だが今日は真っ暗で人っ子ひとりいない。下りとなるゴンドラで往復乗車券を求めると掛員に怪訝な顔をされた。それはそうかも。どう考えても通常とは逆の行動なのだし。つまり麓まで往復した後、バスで山を下りたのです。


※長崎県内の地名に見られる「○○免」について
国司や荘園領主に対して土地の占有権を主張してきた小豪族や大家族の上層農は、12世紀ごろには1年契約ではなく引き続いて土地を耕す権利を持つようになり、その土地に自分の名を付けて「○○名(みょう)」と呼ぶようになった。このような田を名田、農民を名主と言った。
旧平戸藩以外で○○名という地名は名田に由来している。平戸藩では「みょう」を訛って「めん」と言ったことから「免」の字を当てている。
免は他県にも各地に点在しており、これは年貢の免除地を表わすといわれる。平戸藩の祐筆はこのことを意識して「免」の当て字をしたのだろう。
(この疑問のために地元自治体へ電話で質問いたしました。丁寧なご回答をいただき、改めてお礼申し上げます)