実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

遠いみちのり  実戦教師塾通信三百二十号

2013-09-30 11:15:27 | 福島からの報告
 遠いみちのり その1

      ~反原発の困難~


 1 「テレビ見ないんで」


 金曜日の夕方、郡山(こおりやま)駅に着いた。金曜の夕方限定で「寂しく」討論集会をやっている、との一報(いっぽう)があったからだ。一度、教え子の仕切るレストランに招かれて来たのは、もうだいぶ前のことだ。あの時もそうだった。都会の駅の賑わい(にぎわい)で、広場には人々が行き交っている。金曜の夕方のせいだろう、若者やサラリーマンがにこやかに、時に大声をあげて待ち合わせやおしゃべりの時を過ごしていた。冬の用意を始めた福島・中通りの地方都市だが、駅前は寒さをはじき返していた。
 まだ5時半だったので、私は駅前の電気量販店に入って相撲を見た。結びの白鵬戦に間に合った。6時、再び駅前広場に出る。広場にはさっきよりたくさんの人が集まってはいたが、その人々の輪はいずれも週末を迎(むか)えた嬉(うれ)しさで満ちているだけだった。だが、どこからやって来たのか、数人の人が横断幕(おうだんまく)を用意し、街頭にアピールの演説を始めた。
           

写真の横断幕の右側が分かるだろうか。郡山駅前には、大型の線量計が設置されている。そこに現在の数値「0,217μシーベルト」と表示がされている。やはり高い。
 最初は少し離れたところで聞いていた私は、話を聞かずこの演説エリアを避けて通る人々の様子を見て、もうこちらから近づいて話しかけた。私がどんな立場の人間で、いま何をしているかということから話し、相手の方たちからは、この討論会(と言っても話し合いではなかった)ねらいや、様子を聞いた。少しはしょってしまうが、私は、相手の受け答えに余裕(よゆう)がないのが気になりだした。私はそこで、
「楽天、優勝しましたね」
と切り出した。試したというより、少し流れを変えたいと思ってそうしたのだ。
「テレビ見ないんで」という反応は、次に
「テレビも新聞も信用出来ない」
という言葉でつながれた。私は、だって野球ですよ、と思わず言う。何を言ってるのですか、という言葉を、私は呑(の)み込んだ。野球どころじゃないだろう、という相手の懐(ふところ)は明らかだった。
 しかし、と私は思った。待ち合わせの合間(あいま)に、この演説を少しは耳にしている人もいる気がした。そんな人々に訴(うった)える言葉として、あなた方の言葉はあまりに一方的で、そして不正確だ、と私は思った。
 良かったらどうですか、と言われてもらった「NO NUKU」のバッジをカバンにつけたあと、私は場所を変えた。
             

 

 2 「お互い頑張りましょう」

 この駅頭でのグループから少し離れた階段状になった場所で、やはり演説をし、間にハーモニカによる「ふるさと」をひとり、演奏している高齢(と言っても私ぐらい)の方がいた。
「『ふくしま集団疎開(そかい)裁判』の代表の方ですよ」
と、横断幕の端(はし)を支えている人が教えてくれた。覚えている人もいると思う。「ふくしま集団疎開裁判」とは、郡山の14人の子どもが低線量被曝(ひばく)による危険を訴えたものだ。今年の5月、仙台高裁は、この訴えを「危険だという根拠(こんきょ)が薄い」という「理由」で、却下(きゃっか)している。
 ベラルーシで被曝した子どもたちの治療にあたったのは、後に松本市長となった菅谷(すげのや)医師である。その市長を頼(たよ)って、この方は福島の子どもたちを、松本市に集団で疎開させようとしている。
「その市長が『チェルノブイリでの発症(はっしょう)でさえ4~5年かかった』というのはウソだ、と言っているんですよね」
と、そばに行って私は話しかけた。少しは話の通じる人のようだ、と私のことを思ったのだろう、持ってきていた資料を示した。私は階段に腰掛けたが、その人(以下『疎開裁判の人』と表記)は立ったまま話した。その間も、近くで横断幕グループのスピーカーによる演説が続いているのが聞こえる。
「危険なセシウムは、体内の筋肉に入ってβ線を発し続けます」
「一番動く筋肉は心臓です」
「セシウムの半減期は8年間、その間私たちの筋肉は侵(おか)されます」
「一番侵されるのは心臓です。皆さん、最近息切れや激しい動悸(どうき)がありませんか」
「それは、セシウムのせいなんです」
これでいいのか、と私はますます訝(いぶか)ってしまう。申し訳ないが推測(すいそく)を断定とする時には、それを飛躍(ひやく)と思わせない力が必要だ。大体において、この演説内容にはいい加減な部分が多すぎる。そして、演説はさらに続く。
「皆さん、皆さんはいいでしょう。でも、子どもたちに罪がありますか」
「皆さんは幸福ですか」
「私たちは明日死ぬかも知れません」
「皆さんはこのままでいいんですか」
悪いが、どっかの宗教団体の話のようだ。切羽詰まった(せっぱつまった)気持ちが、こんな紋切り型(もんきりがた)の言い方にさせるのだろう。でも、違う。
 世論調査の結果でも分かるが、原発再稼働(さいかどう)、及び原発を推進する自民党を支持した国民は、同時に「原発事故がまた起こる(のではないか)」という気持ちを持っている。そして、「原発は(徐々に)なくすべきだ」とも思っている。つまり、おそらく多くの人は原発を、
○どうにかしたいと思ってはいても、どうしたらいいのか
○どうなるか(なっているか)、知ろうとすること自体が大変だ
○どうなるか、考える気がしない
という気持ちがないまぜになっている。そんな気持ちは承認(しょうにん)されないといけない気がする。だから、こんな「反原発」の訴え方はまずいぞと、私は思う。それで、
「あの人(たち)を止めてください」
と、私は『疎開裁判の人』に言う。でも、両者は必ずしも「一緒(いっしょ)」ではないようだった。「頭がいっぱいいっぱいの人には何言ってもね」と相手は応じた。
 私と『疎開裁判の人』との話は、結局、議論となった。「逃げないといけない」という考えと、「ここ(福島)に『踏みとどまりたい』と考える人たちを支援したい」と考える児玉龍彦所長のような向き方の議論になったと思う。やがて『疎開裁判の人』は、小さなアルバムを取り出し、こんなものを知っていますか、と奇形の鳥や魚の写真を見せた。福島のものですよ、と言うのだ。来たよ、と私は思う。このことは前も書いた。申し訳ないが、こういう自然界の異変は原発事故から始まったものではない。どこかに紛失(ふんしつ)してしまったが、沖縄でとれた十本足のカエルの写真を見たのは、1970年代初頭だ。
「甲状腺のがんは別にしても、放射能はまだ、生物の体内に蓄積中(ちくせきちゅう)の段階であって、それがはっきりと形をとって出るのは、もう少し先のはずだ」
と私は言う。相手は、
「最近、風邪をよくひく。すぐ疲れるようになった」
と言う。もう待ってくれ、である。私たち高齢者(こうれいしゃ)は、体力・免疫力(めんえきりょく)がどんどん低下していく。それにあなたはこんな風に大変な活動をしておられる。疲れるのは当たり前だ、という当たり前のことを私は言わねばならなかった。
「全て放射能のせいだ、というのは、あまりに不誠実ですよ」
が、私の結論だった。
 私は、自分の支援内容を紹介(しょうかい)し、『ニイダヤ水産』の営業をしようとした。が、やはりダメだった。
「私は福島県のものを食べません」
福島での魚がまだ市場に出ていないことを、この人は知らなかった。そんなのは関係がない、とでも言うかのようだった。徹底(てってい)しているのだ。

「しょうがないですね。お互い頑張りましょう」

と、相手の人も言った。
 でも……私の考え・判断が間違っているのだろうか、と思う駅前広場には、寒い風が吹いていた。


 ☆☆
楽天やりましたね! 最終回だけの登板でしたが、2、3塁にランナーを背負ったマー君、あれで逆転サヨナラだったら連勝記録ストップだったんですよねえ。でも「一番欲しいのは優勝です」の言葉通りのピッチングだったみたいです。すごいなあ。「いよいよ日本一ですね」と振られた星野監督の「少し休ませてよ」も良かったですねえ。
おめでとうマー君!
おめでとう星野監督!
おめでとう楽天・東北!

 ☆☆
同じく「少し休みたい」と言ったのは、昨日の白鵬です。真っ黒になった勲章(くんしょう)の左目で語るインタビュー、いつもながら感動です。まさかの「新しい目標は、2020年の東京オリンピック」の声は、お客さんの歓声(かんせい)にかき消されるようでしたね。自分の引け際(ひけぎわ)と、お父さんの背中を見ている、その決意にはおおいに学ばされます。そういう気づき方が出来る人なのですね。それをまた自分の飛躍(ひやく)のポイントに出来る人なんですねえ。

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