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震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

武道 実戦教師塾通信七百六十号

2021-06-11 11:21:26 | 武道

武道

 ~「平常心」の在り方~

 

 ☆初めに☆

大阪なおみ選手の発言をめぐって取沙汰されるのを見ていたら、武道を語りたくなりました。私は毎日、短時間でもいいという思いで、稽古をしています。身体はもちろん前のように行きませんが、道場の若い猛者相手も楽しみに思えるのです。コロナのおかげで、対面の組手(殴り合い/蹴りあい)の再開は遠いのですが、「勝つ」ではない「負けない」稽古は、確実に積みあがってる気がしています。

「自信」とは「意地」ではありません。「意地では勝てない」と言い換えてもいい。誤解を恐れつつ言えば、「平常心」は「メンタル」を意味しません。「嫌な質問にも耐えて、もっと自分を鍛える必要がある」という、大阪選手への「助言」に違和感を持った私です。

 

 1 老いた身体

 シニアの読者も多いはず。きっと役に立つ。

① 腰から肩へ

 前も言ったが、私は脊柱管狭窄症だ。9年前に発症した時は、激痛で歩くことも息をすることもままならなかった。私が30代後半の頃、これは遠からず歩けなくなるよと、当時お世話になった整形外科のお医者さんが腰のレントゲン写真を見て言った。考えてみれば、それから優に20年以上が過ぎたあとの発症だ。その間、ハリ治療や整体やと様々なメンテナンスをしながらだったが、よく持ちこたえたものである。10年前の発症の時、「あなたの筋肉なら大丈夫」というお医者さんからの言葉を励みに、リハビリを続け病気との向き合い方を学んだ。

 とりわけ年寄りの病気というものは、治るものではない。どうお付き合いするかというものだ。脊柱管狭窄症にはストレッチが不可欠である。それを怠らないことで、病の暴発を抑えた生活と稽古を続けている。昨年の秋、思い付きで懸垂を始めた。これがすこぶるよろしくて、重い腰が伸びて軽くなって行く。しかしやがて、今度は肩が重くなってきた。懸垂をやる歳じゃないからだ。それでも腰が重いよりはずっといい。張りが強くなるのも構わず懸垂を続けると、やがて腕が動かなくなった。整形外科に行くと、「五十肩」という診断がおりた。二十年以上前に過ぎた五十だが、「五十肩」は俗称だそうだ。注射だ手術だと必ず医者は言う。いつも言うように、身体に害のない治療などない。そうしないことで被る害の方が大きいために、仕方なくするのが治療という。自分ができる最良のことは、優しく戻してあげることだ。今は毎日、少しずつ肩/腕を伸ばしてあげること。焦れば痛めつけるだけで悪化する。お大事に、なのだ。

② 睡眠と呼吸

 シニアの読者は眠れてますか。夜中に何度も目覚めて悶々とする、とは良く聞く。「ラジオ深夜便」が人気なのも、そういう事情らしい。目が覚めれば、美味しいものや楽しみを想像するも、目がさえる。推理小説なんてものを読みだしたら最悪である。こんな時は呼吸を工夫すべし。人は生きるために「吐く」。吸うのではない。「息を引き取る」という通り、人は臨終で息を吸うと見える。「吐いて」「吐いて」と、いつもアドバイスしていたのは、キューちゃんの小出監督である。吐いた後、勝手に酸素は入ってくるから、吸うのは考えずともいい。吐いた分だけたくさん吸わないといけない、と思う必要はない。自然に入ってくる分だけ吸う。

 息を吐く時の注意は、吐き終わったと思わず、お腹の力でもう少し吐くこと。その後自然にまかせて酸素が入ったら、また同じように吐く。集中しないでいると、意外にできない。つまり、それ以外に考えることを許さない作業だ。しまった忘れたと思う時、実は眠気が襲っている。

 私たちはここで、前者は「逆らわない」ことを、後者は「集中」ではない「無心」というものを、一定だが経験している。

 

 2 「武」

 「武」は「矛」と「止」が組み合わされたものだ。つまり「剣」を「止める」ものとして、今も多くで使われている。「空手に先手なし」は、この「武」の精神が生きたものだと言われたり、自衛隊の元隊員や防衛関係のお役人なども、「刃を磨くことは許されても、使用することは決してならない」時のたとえとして使っている。それはそれでいいことで、ポリシーとして否定するものではない。しかしこの「武」が、戦闘/戦争を指すことは誰も否定しないだろう。「武」の漢字の成り立ちとして、もともと「止」の部分は「歩」を意味する。「剣が前進する」のが「武」なのだ。中国は春秋時代の後半に生まれた文学上で、この「止める」解釈が登場したらしいが、本来の「武」は、やはり「闘い」を前提としている。

 では武術家たちはどうしていたのだろう。剛柔流の祖・宮城長順のことで、いくつかのエピソード。

 沖縄の米軍基地に忍び込んで食料を盗む人たちは昔、それを泥棒行為ではなく「戦果」と言ってたそうだ。宮城は、山に行けば食べ物はある、武道をするもの盗みなんかしてはいけない、と言った。また、自ら「空手をやってます」とは決して言わず、人に見せない/見世物じゃない/自分で鍛錬していればいいとしており、酔っ払いのいる道は避けたという。「怖かったから」なのだ。お分かりの通り、「怖い」のは「自分の技が出てしまう怖さ」だった。この後者のエピソードに関しては当地でも批判があり、師匠と仰ぎ見ていた弟子が、見切りをつけたものもいると聞いている。

 この時宮城長順は、周囲の動向に全く動じなかったらしい。大阪なおみも、ぜひ「我が道」を行って欲しい。

 

 ☆後記☆

え~と、これ、ごひいきの「豆壱」記念タオルなんです。この6月で10周年なんだそうで、知らなかった。いわゆる「巣ごもり需要」とやらで、お店は売り上げが伸びたそうです。「自転車操業なんですけど」というマスターの顔は、笑っていました。

さてこれも、ごひいきの「和さび」の品々。アジとホタテとイカのフライセット。ホタルイカとミニホタテの炊き込みご飯。そして刺身セット。カンパチは、歯ごたえと脂の乗りのぶつかり合いのすごさと言うか、美味しい! 同じく、この6月で「和さび」は柏での開店7周年(前からも合わせると17年)なんです。テイクアウトでなく、店内でのお酒も遠慮なくという日が、あと少しで来ますように!

 ☆☆

最後に田村正和のことを少し。「キザが似合う」とは「一流のキザ」とは何ですか、と何人かの方から聞かれました。そうですね、二流のキザってのは、単なるナルシストです。表情のあちこちから透けちゃうんです。

初夏の手賀沼ジョギングロードで~す。皆さん、水分しっかり摂りましょう。