goo blog サービス終了のお知らせ 

実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

ドストエフスキー  実戦教師塾通信二百五十九号

2013-03-06 17:42:06 | エンターテインメント
 新たなブーム!?

          ~父親殺し/共犯~


 1 フジテレビドラマ『カラマーゾフの兄弟』


 体罰からちょっと脇道に入る。と言っても全く別な話というわけではない。「若者」と「暴力」の話だからだ。
 以前ここで触れたフジテレビの深夜ドラマ『カラマーゾフの兄弟』が好調だ。深夜番組なのだが、読売の番組案内で先日取り上げられた。すると今度は、一昨日、朝日の文化欄で亀山郁夫が寄稿している。亀山郁夫と言えば、新訳『罪と罰』で始まる平成ドストエフスキー流行の立役者だ。その亀山が黙っていられなくなったということである。それも、「凄まじい熱気」の撮影現場や着想をベタにほめちぎっている。私はやはり深夜番組という理由で、第一回のあの後を見てない。しかしこれらの評を読むと、うまく作りなおしたよな、との私の感想は間違ってなかったようだ。この放映もあと三回で終了らしい。その終了前に、ここで触れておきたい。それが、この間書いてきた「少年たちの過ち」と通じるところがあるからだ。


 2 ドストエフスキー

 傷ついた心はどのように処理されているのか、しているのか。そこで人々、そして私たちは笑ったり憎んだり、引きこもったり飛びこんだりしているのだ。
 このカラマーゾフ家の三兄弟は、みんな饒舌である。おしゃべりとまでは言えないかも知れないが、それぞれの個性をもて余すところなく良く話す。今の若者がこんなに良く話すのかと言われれば、そうではないのだが、三人をその底で支えているものは、それぞれに「憎悪」と「絶望」なのだ。そう思えば、彼ら三人の姿は、今、貝のように押し黙っている若者の実像とも思えて来る。
           
 すこしドストエフスキーに触れておく。
 ドストエフスキーの顔と言えばこれが出てくる、それくらいに思われているペロフによる肖像画である。癲癇と浪費癖(賭け事)の代名詞とも言われたドストエフスキーは、お世辞にも人格者とは言えない生活ぶりだった。少女への性的暴行を先頭に、使用人への口汚い罵り、女々しい言い訳。あまり大きくなかったというその身体から出されてくる執拗さと、おびただしいまでの悪口雑言は、まるで『カラマーゾフ…』の誰あろうフョードル(父・黒沢)のようだったという。

 ドラマ版の父に対して、こんな奴殺されても仕方がない、と思う人が多いと聞く。それは違う。ドストエフスキーの深遠なる暗部が呼び込んで問いただしているのは、人が持つ憎しみの「育ち方」、そして「向かう場所」であり、そこに関わる人々の「共犯関係」だ。いつの間にか「他人事ではない」入れ込みと、「共感」にも似た気持ちで私たちが作品にのめり込んでしまうのはそのせいだ。ドラマが支持される所以は、この「憎悪」と「絶望」の場所に、リアリティがあるからだと思えた。
 次男のイワン・勲(市原隼人)は、この積みあがった憎悪を乗り切る武器を「知性」と考えていた。そこからの絶望脱却を試みる。このイワンが、同時代19世紀の歴史世界で、観念論の頂点を極めたヘーゲルを代弁していたことは間違いない。それは無惨に敗北する。「知性」が現実を変えた試しはない。それは、
「世界を解釈しただけで、世界を変えるものではなかった」
のだ。言い方を変えれば「知ってるからどうだと言うのだ」という敗北をしていく。原作でもドラマでもいいが、この敗北を私たちは予測したはずだ。市原隼人カッコいいけど、実にはまり役なんだが、仕方がない。最期もカッコ良く終わるはずだが、負けは負けなのだ。
 父殺しの犯人は、ドラマでもおそらく二人となるはずだ。正確に言えば「強力な」共犯者の存在なくして、父親の殺人は行われなかった。いや、むしろ主犯がどっちなのか、とうろたえるほどの現実感が圧倒するはずだ。この作家の長編作品には、必ずこの強力なパートナーが登場する。そして、ドストエフスキーの恐さはここから更に深く踏み込んで来る。長男も三男も、殺害行為への自分たちの関わりで苦しむことになっていくからだ。
「無関係だと思うなよ」
「共犯者なんだ、オマエも」
というわけだ。

 
 3 再び荒川沖駅事件

 覚えていると思うが、2006年、奈良県で16歳の少年が自宅に放火し、就寝中の母と弟妹を殺害するという事件があった。それを以前一度取り上げた。
 DVを受けていた母が父と離婚、その離別後は、少年は母との面会を父から禁止されていた。父の意思を受け継いで医師になろうと努力した少年に、父はテストの結果が悪いと暴力を振るった。父は新しい母を迎えるが、少年はなじめないまま、ある夜自宅に火を放つ。この日、父が不在だったことを少年は知っていた。
 ここまで書けば、この少年の「憎悪」と「絶望」が、実は少年のひたむきさがあったからこそ大きくなったことが私たちは分かるはずだ。「殺意」を生んだ源には多くの人間がいる。あるいは社会がある。カラマーゾフの三兄弟、そして今生きる若者たちと私たちの中に煮えたぎっている憎悪と絶望があるとしたら、それはひたむきさが生んでいると思って間違いない。だったら、解決を見いだし希望に導くものを見つけられないはずがないのだ。私たちは「ひたむきさ」から出発しているからだ。
 事件後、息子に謝罪した父親は、泣きながら
「お父さんが悪かった。二人でやり直そう」
と言っている。ようやく親子が出発する。少し余談となるが、ここに水を差したのが、草薙なんとかいうプー女の「ジャーナリスト」だ。少年の鑑定結果を担当の精神科医に提示させたあげく、こっそりデジカメで撮影し、『ぼくはパパを殺すことに決めた』なるポンコツ本を発行する。発行した出版社がこれまた立ち上げたばかりの会社だ。下心はバレバレであった。本当は余談などと言っては済まされないのだが。
 この放火事件の犯人はひとりではなかった。そういうことだ。そのことに父親が気がついたのだ。
 では、2008年の荒川沖駅での金沢真大はどうか。真犯人たる父親は、ついに名乗ることをしなかった。のではないのか。父親が謝罪に回ったうちのどこかひとつでも、
「アンタが殺したんじゃないのか」
と言ってあげたところがあったらいいのに、と思う。
 ドラマ『カラマーゾフの兄弟』にも、これからあるはずだ。直接父親に手を下した犯人が、
「アンタがやれって言ったんじゃないのか」
と、「共犯者」に言うくだりがあるはずなのだ。
 そして慌てふためく「共犯者」との激しいやりとりが圧巻だ。


 4 ついでに

 では『カラマーゾフの兄弟』の勝者は誰なのか。原作では三男アリョーシャ(涼)になるかのような結末だ。
「アリョーシャ万歳!」
がラストなのだから。しかし、この『カラマーゾフ…』には原案があり、そのメモ(だったかな)では『偉大なる罪人の物語』となっている。つまり、イワン(勲)のあとを引き継ぐも、結局堕ちていった人間が設定されている。多分、三男アリョーシャ(涼)は、このあと罪人になると思われる。
 まことに私たちの行方を照らす光は、どのようなものだったのか、この大作家からもう少し示唆を得たいと思うのは私だけではあるまい。
 また、この『カラマーゾフ…』には、死んだはずのキリストが降臨し、この時、世の中すべてを取り仕切っていた大審問官(裁判官と思ってもらっていい)と対決する、といういわくつきの「大審問官の章」がある。1969年の映画(当時はソ連)は、ここを全部カット。賢明な判断だ。ドラマももちろん避ける場所だと思う。


 ☆☆
前号への反響がずいぶんあって、読者もずいぶん多くてありがたいです。みなさんにお礼申します。ご存知の通り、普段このブログ上にコメント少ないのです。みなさん直接メールや電話なのです。別にそれが不満というわけではないのですけどね。内容に立ち入ったコメントはさらにないのです。仲間に言わせると、
「いやあ、コメント、入れづらいなぁ」
ということなんだそうです。でも、久しぶりに内容に踏み込んだものをいただいています。ありがとうございます。

 ☆☆
NHKのニュースで桜宮高校、渦中の教師がインタビュー(記者会見?)したそうですね。なんか言い訳ばかり、自分が正しい、みたいな内容だと聞いてます。
体罰「学校版」、次回こそ出したいと思ってます。

誉田屋源兵衛 実戦教師塾通信二百二十三号

2012-11-02 18:48:08 | エンターテインメント
                                   (新東京駅舎)

 「着物を考える」研修

                 ~帯問屋「誉田屋」~


 毒がないといけまへんな


 まだ夕方というには早い時刻、京都駅に着いた私たちは、そのままタクシーで三条へと向かった。格子状の道を奥に入ると、ビジネス街とも思える二車線の道の一画に、真っ黒い入母屋造りの商い家が現れた。創業二百七十年という、その看板も真っ黒く縁取りがされている。入り口は言わずと知れた「潜り戸」で、私たちは背中を丸めてそこをくぐり抜ける。二、三人の番頭さんが控えた受付からほの暗い板敷きの大きな和室に案内される。大きなテーブルの下は掘られており、そこも、そこまで続く板敷きの廊下も、すべて温かかった。床暖房というか、床の下から温かいもてなしが待っていた。
 ややあって現れたスキンヘッドの社長さんは、背中と胸が異様なほど厚く、染めや絞り、といった仕事の関係でそのような身体になるのですか、とあとで私は聞いてしまった。厚い下着といった体裁のシャツに、ざっくりとした法被のような上っ張りを羽織っていた。そして、あいさつもそこそこに話すことは、もう古代からモダンを走り抜き、何よりも楽しそうなのだった。
 今年も死亡者が出た「岸和田だんじり祭」だが、この誉田屋さんは大の「危ない祭」好きで、このだんじり祭に参加している。ちなみに誉田屋さんは「今年還暦を迎えました」ということだった。この「だんじり」、やたらに入れてくれるものではない。誉田屋さんに「匂い」を感じた祭衆が、何年か後に「認可」したらしい。四年ほど前のこと、祭のど真ん中に暴走族が突っ込んで来るということがあった。誉田屋さんが感動したのは、その族の連中が全員ではなかったものの、みな「浴衣」の出で立ちで現れたことだった。誉田屋さんは連中の前に立ちふさがって、その感動を伝えた。やっぱりこれは、若者のファッションということで、着物の復活を考えないといけないと訴えた。そして、行動を開始した。2008年4月、東京原宿のファッションショーである。ここで軸となったユナイテッドアローズは、この時「かぶくものの着物」というコンセプトで、浴衣を発表する。確かにその映像は記憶に残っている。
 あれは新しいもんでもなんでもありゃしません。東京の美術館でもどこでも飾ってあるデザインを使ってます。オリジナルなもんではありまへん。みんな知りまへんのや、着物というもんを。禁色言うて、色にも階級がおましたな、それで昔はとてつもなく地味なもんをみんな着とりましたが、それを破って遊女や河岸や、という連中が着物を新しくしましたんや。言ってみればヤクザもんの着物というそんなものをまぜこぜにしながら、若い連中の着こなし、みたいな演出で着せました。いや、毎年好評です、完売ですわ。
 と、こんな感じであった。私はユナイテッドアローズなら、全国展開で誰でも買えるわけですね、と聞いてみたが、いや、原宿・渋谷、京都、大阪、札幌と、全国は全国でも限られた店舗だったようだ。
 試作品の帯を見せていただいた。注連縄(しめなわ)と同じ要領で作ったという帯だ。つまり「縄」である。角帯がでてきたのは江戸、それまでの戦国時代・中世までは、縄帯なのだ。それも一重巻で、二重に巻きだしたのはキリシタンの宣教師が始まりである。
「これで着物を締めていた」
これで充分なんですよ、と言う。
 次が「色」「布」の話だ。色も布も「毒」なんや。そして「薬」なんや。色には「モノ」の魂が宿るんや。私はこの日、赤いシャツを着ていったのだが、その私のシャツの赤をみて、赤いうのは「命」や、赤が衰えたら「命」も弱ってるいうことですわ、唇に紅を塗るんは、そこから「毒」が入り込まんよう、そこを紅く「薬」で染めるんですわ。
 そして「布」の話。木綿いうのは日本の布ちゃう。あんなん南からやってきた布や。アメリカでは奴隷たちが木綿の栽培をやらされておった。木綿はみんな南方で作ってたんや。あんなもん日本人が身につけるもんやない。日本人が身につけて本当に合うんは「麻」、大麻や。戦国武将はみんな麻を身につけとった。だから怪我をしてもすぐ回復した。身体ざっくり切られても、陣地に帰って一晩おいたら直ったいうんはウソちゃう。麻(大麻)は薬なんや。ところが、今やちゃんとした大麻を作るんは、群馬の○○○(すみません、地名忘れました)だけや、あとはどこも止めてしもた。(私は栃木の鹿沼はどうですか、と尋ねたのだが)栃木の大麻は、きれいな大麻や。でもきれいすぎる。毒がありゃしませんのや。毒がないいうことは、薬にもなりゃしません。あれでは身につけてもなんにもなりまへんが。

 興奮のような恍惚感のような時間が過ぎた。またいらしてください、と誉田屋さんはにこやかに、いかつい肩を持ち上げた。
 再び私たちが潜り戸を抜けると、外はもう真っ暗であった。


 ☆☆
私たちは誉田屋から、祇園の街へ。夜の京都の文化へと移りました。とてもではありませんが、私のような「年金暮らし」の行ける場所ではありません。でも、主催者の好意に甘えて同行いたしました。「スッポンと素麺のお吸い物」が圧巻でした。大事においしくいただきました。「ほんまに美味しそうにたべますなあ 」とは、舞妓さんのコメントです。

 ☆☆
バタバタした京都の研修で、私は名所旧跡をひとつも見ずに帰って来ました。それでも充分だったのですが、少しの心残りを感じていたところで東京駅を思い出し、下車しました。いま駅舎周辺は、見物を配慮してか、道路にガードレールの規制がされていました。秋の日差しを気持ちよく受けていた東京駅でした(冒頭写真)。

実戦教師塾通信二百二号

2012-08-29 15:42:18 | エンターテインメント
 『往復書簡』(湊かなえ)を読む



 第三者委員会発足


 報道によれば、大津の越市長は、
「学校でなにがあったのかという事実の解明を一番の目的」
としたい旨のあいさつをした。第三者委員会の発足席上である(8月25日)。先だって殺されかけた教育長の、
「家庭にも問題があったんじゃないんですか」
という立場とは違っていると思えた。それにしても教育長、死ななくて良かった。こいつが死んだら、正義がこいつの方に行ってしまう。襲った若者の気持ちも分からないではないが、死んじまったらまずい。
 「死んではいけない」などと安直に訴えることが、どんなに無力で無責任なことかこの第三者委員会で明らかになることを願う。尾木ママさんよ、頼むぜ。さてしかし、事実が明らかにされることはは無惨なことでもあるはずだ。そんな酷いことがあって、それで被害者は究極の選択をする。例えば、あえて具体的に記述しないが、ネット・携帯を使ったいじめに我慢出来ず、とうとう同級生をカッターで殺してしまう女の子がいた。そんな事実ひとつとっても、「殺してはいけない」「死んではいけない」ことは分かり切ってるということだ。ひとつひとつが具体的・切実である。


 『告白』あるいは露悪

 さて、子どもや若者「が」どう思っているのか、また子どもや若者「を」どう感じているのかという点を、湊かなえは展開して見せる。その一点だけ湊かなえを支持する。湊は「死んではいけない」「殺してはいけない」、そんな愚かな繰り言を一掃する。そして湊は小説だから言える、小説でないと言えないんではないかという表現で書いて見せる。それは世相・世論を敵に回す勢いか、と思わせる。
「子どもは大人に虐げられていると思われがちですが、みんなのほとんどは、勉強してください、ご飯をたべてください、などと大人に頭を下げられながら大切に大切に育てられてきたのではないでしょうか」
「ひきこもりの原因は家庭にある。その理屈で考えると、直樹(息子)は絶対に『ひきこもり』ではありません」(以上『告白』より)
実に湊の主張がたくさん散りばめられている作品なのだ。大ヒットしたこの『告白』は映画化もされた(私は見ていないが)。主人公の悠子先生のようになりたい、生きたいと思う人はたくさんいたのだろうか。作中のこれらの言葉が一体どこに行くのか、湊は触れることなく作品を閉じる。この場合「そんな言葉の行方など、ミステリーなのですから」という弁明を言うとしたら、あまりに都合がいい。
 言っていいのかどうか、現実の言葉にしてしまっていいのかどうかという迷いを今の社会が捨ててしまったかのように見える。本当は違う。つい一、二年ほど前まで「仮面をつけて生きることに疲れ果てた」などという言葉が紙面に溢れていた。前も書いたが、仮面とは自分の個性の萌芽である。例えば子どもの「真似」がそうだ。居心地がよければその「まね=真似」は「まな=真名」となる。そんなことを繰り返して、子ども(人間)は、仮面(personaペルソナ)を個性(personalityパーソナリティ)としていく。「仮面をつけて生きることに疲れ果てた」のではない、今つけている仮面が、今は馴染めない・負担になっているだけだ。また、耳や目を覆うような言葉がネット上に溢れている。そこにあるのが現代社会の「本音」だとしょうもない警鐘を乱打するものがいる。しかし、そこにある「本音」とは、
「言いたいことが言えない」
「どうにでもなってしまえ、と思ったところでどうにも出来ない」
「暇つぶしといってこれぐらいしか思いつかない」
連中の胸の内の方だ。本当は「死ね」「クズ」と言いたいわけではない。また言うが、スケボの國母が全世界に向けて
「チッ、うっせえなぁ」
と言ったのとは違うのだ。ああいうのが本音という。
 その「もの言えない」連中の心を真っ向から湊は受け止めた、いや代弁している、かのように見える。もしかしたら同じ仲間なのだろうか、と疑っても見る。氷の魔女のような悠子先生を生んだのは、そしてそれを支持するのは、やはりこんなネット社会だと私には思えた。今の人間たち、社会はこんなにも堕落し、どうしようもない、ウソを偽ってもだめですよ、と人の暗部にどんどん踏み込んで暴き立てているように見える。「希望」という虚像にすがっていてはだめですよと、どうにも嫌な気分にさせてくれる。よく言う話だが、影は光がないと出来ないのだ。でも、世界は影(だけ)で出来ている、とそれを否定する人たちが出てきたのは、近代以降だったはずだ。こういうのを「露悪」と言うのだ。さもあらん、影ばかりを書く湊が『告白』で書けなかったことは、影を演出する光の当たる部分-「愛するものへのまなざし」である。救いようのないこの小説で唯一の救いであったのは、悠子先生の一人娘愛美だ。この娘を失った悲しみと憎しみが悠子先生を変身させた、という設定なのかも知れない。しかし、悠子先生からその深い悲しみが残念ながら窺えない。上っ面では語っているものの、なるほど悠子先生の激しい憎悪が理解出来ます、という娘への深い愛情がついに見当たらない。この部分があれば、復讐劇も納得、後味も悪くなかっただろう。しかし、それがないことによって「世の中はみんな悪い人ばかりがいる」作品となった。娘はそれを語るためのスケープゴートのようだ。


 『大鹿村騒動記』のように

 予め断るが、これは映画『北のカナリアたち』のダメだしをするためのものではない。私はこれが胸を温め、気持ちを鎮める映画であることを願っている。いや、信じている。
 さてそんなわけで、私は一抹の不安を抱えながら、同じ作家の『往復書簡』を読んだ。湊かなえの作品を二度と読まないと決めていた私があえて読もうとしたのは、前も書いたけれど、この作品が11月に封切られる『北の…』の原案になっていたからだ。
 本の帯には「驚きと感動に満ちた…ミステリ」とある。そうかハッピーエンドになるのなら安心して読んでいいのだ、と思いつつ読んだ。が、だめだった。確かにハッピーエンドではある。しかしそれは『告白』で見せた娘への愛情に似て、とってつけたようなものだった。読むものには、「そうなんだ、どっちかと思ってはいたけれどこっちだったのか」とまあ、淡々とした気持ちにさせるものだ。堰を切って溢れる感動、といったものとはほど遠い。
 そういった気持ちにさせる原因ははっきりしている。ミステリーにつきものの「登場人物が抱えている秘密、そしてそれにまつわるウソ」にリアリティがないことだ。秘密を隠すことのつらさが、ちっとも真実味を帯びていないことだ。「隠していてゴメン」ではいかにも軽すぎる、そのいきさつと内容。「二十年後の宿題」で、担任の先生が教え子に頼んだ動機と苦悩。それはいかにも脆弱ではないのか。
 ひとつ考えよう。2006年、福岡市の職員が泥酔運転で橋上の追突。会社員男性の子どもたち3人を死に追いやったという事故。2007年、この事故がきっかけとなり、道路交通法に「危険運転致死傷罪」が加えられる。この時、同乗していた妻が夫の制止を聞かずに何度も海に飛び込んで子どもたちを救おうとした。「究極の選択」的問題(クイズだ、こんなもの)で、これに似た設定がよくある。橋の上から、または岸辺から「誰か助けて!」と叫ぶのが女の役割というわけではないのだ。湊かなえは、さもありなんという答を携えてこの問題に回答する。しかし、本当はこんな「究極」の場面でも無限の回答を現実は持っていて、おそらくその場の選択は「自動的」とさえ言える不可避のものとなるはずだ。湊かなえの答は私に言わせれば、悪意に満ちている。巻末インタビューの吉永小百合みたいに、肯定的に考えることは私には不可能だった。
 振り回されているのは登場人物ではなく、読者だ。担任の先生が秘めた思いと、隠す行為の乖離を感じるのは私だけなのだろうか。先生、苦しかったでしょう、と子どもたちはみんな了解してしまう。ひとりをのぞいて。どうして初めに言ってくれなかったのですか、と誰も言わない。思うのは読者だけだ。言っても良かったこと、話しておいて良かったことがあちこちに点在している。なのに了解してしまう。「和解する」とはこんなに簡単なことなのだろうか。先生はその度小さなウソをついて生徒の心に入ろうとしている。その苦しみがまた軽い、あるいは読む側に伝わらない。また、このことで彼と彼女と二人の間に生じたであろう疑いとわだかまりはどのように解決されたのか、それは明らかにされないままエンディングとなるのだ。東野圭吾の作品は、むしろ逆だ。秘密が暴かれるのを恐れるのは犯人ばかりではない、読者・観るものさえそのことに恐れおののく。作者の優しさが、人を追い詰めることを嫌っているからだ。
 さて、これだけのケチをつけても私はこの映画を信じる。吉永小百合、柴田恭平、仲村トオル、また宮崎あおい、森山未来が演ずる映画だ。意地悪で軽い作品であるはずがない。そしてここでもほめちぎった南アルプスのふもと『大鹿村騒動記』を監督した阪本順治の映画だからだ。原田芳雄の遺作は「忘れられないけど、思い出したくもない女が帰って来た」温かい映画だった。
 『告白』も『往復書簡』も2011年より前の作品だ。しかし『北のカナリアたち』クランクインは震災後なのだ。監督・スタッフ・キャストは、震災をくぐり抜けたものを送ってくれるに違いないと私は思っている。


 ☆☆
ホントに暑いですね。暑い時はカレーに限ります。カレーは本格派であろうが、ルーであろうがタマネギをしつこく炒めることがこつですね。昨日はゴーヤを入れてみました。いけてましたよ。

 ☆☆
夕方、ふと気がつくと我が家の郵便受けの上に猫チャンが寝てました。猫は涼しい場所・あったかい場所をみつける名人だそうです。涼しいのかな。おかげで一時間ほど外出の足止めをくらいました。

実戦教師塾通信二百号

2012-08-21 10:26:57 | エンターテインメント
 ロンドンオリンピック 補記



 こんな日本はいいなあ


 当然だが、パレードの話をしたくなった。昨日は休み明けの月曜日、昼休み前の11時だ。その銀座に50万人の人が集まった。都心の気温は33度で、すき間なく埋まった人びとの場所は40度に達していたという。小さな子どもの高さではそれをさらに上回ったはずだ。人びとの歓声はヘリコプターのそばと同じレベルの100デシベルを超えたという。すごい。とは、選手が言った言葉だ。こんなにたくさんの人が集まってくれた、と驚く。内村は、少しだけアイドル気分になれた、と嬉しそうに言い、澤はこっちが逆に涙をと、そして松本は工事現場のおじちゃんが仕事しなくていいのかと言った。
 メダルの数が多かったということは、それだけドラマが多かったということだ。「もののけ姫」の形相。「一秒の奇跡」フェンシングの太田。父を超えた三宅。フルセットだったものの「これは惜敗ではない。大敗だ」と中国側に言わせた女子バレー。それとは逆に、らしからぬ凡ミスをして必死にボールを追いかけた澤。「マシン」内村が冒した団体戦でのミス。すべてはその後の結果の序章だったと思わせるような展開。私たちは「待ってました!」と思ったはずだ。
 きっと私たちは、オリンピック前半の男子400メートルメドレーリレーでの銀メダルで「奇跡」や「ドラマ」の予感を持った。
「北島先輩を手ぶらで帰すわけにはいかない」

前の晩、残りの3選手がこう誓ったという。しかし、だ。メダルが取れなかったらこのエピソードは封印されたはずだ。根性で勝利が勝ち取れるほど甘くはない。しかし、気持ちがなければ勝ちが逃げていくことも確かだ。そこの部分を私たちは「ドラマ」と言ったり「奇跡」と言ったりしている。奇跡とドラマの始まりだ。コラムニストの泉麻人が、今回のパレードに見られた現象を「日本人が自信を取り戻したい」ことの現れだといい、選手たちがまるで「七福神」のようだ、としているのもその辺りからきているのだろう。
 さて、またというか、最後になるが東京オリンピック世代に言わせてもらう。私の少年時代の郷里茨城から金メダリストがでた。柔道の岡野功と言って分かるのは団塊の世代か、柔道関係者だけだろう。当時は今のように細かい階級ではなく、軽量・中量・重量・無差別の4階級しかなかったと記憶している。その中量級の金メダリストである。床屋さんの息子だった岡野は、オリンピック後の市内をパレードする。当時、市内に1台だけあった(と思う)資産家のオープンカーを調達したのは市だったのかどうかよく知らないが、目抜き通りには岡野の晴れ姿を見ようという人で一杯だったらしい。「らしい」という私だって目抜き通りまで歩いて10分のところだったから、見に行こうとすれば簡単だったのだが、高1の気難しいお年頃であったんだかなんだか、とにかく行かなかった。その目抜き通りで電気商店をやっていた友人からあとで聞いた話が面白かった。
 沿道で日の丸や新聞社の小旗を振る人たちが、岡野のところに走り寄ってはみんな金メダルを触りたがった。ところが岡野の隣に座っていた母親が「触らないでくれ」としきりに止めていたという。
 岡野の店には、それまでもたくさんの賞状やトロフィーが所狭しと飾ってあった。ご近所のお客さんがそれを見て感心し、主人やかみさん(母親)が、それにまつわる床屋談義と花を咲かせていたわけだ。そのノリでご近所は金メダルを触りに走り寄った。それに対し母親は、例えば隣町の図々しいオヤジがメダルを触りに来た、みたいな感じで追い払っている。「いいじゃねえか、母ちゃん」「またアンタかい」とやり合っているように思えた。町が家族だったような時代の出来事と思える。ヒーローと「ご近所」の垣根の低さに私は思わず笑うのだ。どっちもいいなぁと私は思わず笑う。
 今回のパレードもいいな、と思った。女子アナが「入江クン、カッコいい!」ってみんなと同じに叫んでる。選手たちが胸の前でハートを作る動作をしてるのを何だと思ったら、沿道の人たちが用意したプラカードのハートを見ましたよ、という返事だった。選手たちが良かったのは、自分たちのやったことをこれほどのものだと思わなかったという反応と表情をしていたことだ。選手のみんなが観衆をバックにバスの上から写真を撮っていたことがそれを物語っている。アイドルではこうならない。「感動を与えた」などと言う余裕などなく、選手が「感動して」いるのだ。
 また澤が、内村選手と同じバスだったお陰で歓声が多く寄せられた、と言っている。これは、自分(たち)だけの活躍ではこうならない、という選手全体の思いを語っているような気がした。それは恐らく、観衆の一人一人が、メダルをとったことをまるで自分のことのように無心に喜んでいる姿に裏打ちされている。あたかも自分、あるいは自分の息子か娘がとったメダルのように喜ぶ人びとと、その人びとに驚いているメダリスト、本当は集まった人たち自身も、その数の多さに圧倒されていたわけだが。その両方が出会ったシーンは、これも「奇跡」の映像ではないだろうか。
 急遽窓際のテーブルを片づけ、整理券の発行を思い立った店、徹夜して待ち続けた小さな男の子、朝の5時から待ったおじいちゃん、みんな意中の選手はいたけれど、みんなひとつのことだけ考えた。豆粒のようにしか見えない、あるいはまったく見えない選手ではあるけれど、隔てる垣根など感じてなかった。それは観衆からの一方的なものではない、選手もだった。それがいい。
 直後のニュースがまた目を引いた。2020年オリンピック招致を東京で、という緊急アンケートの結果がそれほど思わしくないというものだ。確かに5月時の47%よりアップしているものの、55%と低迷している(フジテレビ)という。それより経済が大事とか、被災地に支援を、とかいうものが理由としてあげられたという。そうなのだろうか。私にはこの反応を、人びとの「現在」を大切にしている気持ちの現れと感じた。違うのだろうか。近い将来この招致を期待する数値が上るのかもしれない。それはいいのだ。そうではない、それよりも、人びと、いや私たちが2020年の先ではなく、選手と喜びを分かちあっている「現在」の満ち足りた気持ちに浸っている気がする。「今はまだ」さきの話はいいから、と言っているような気がして、なにかとても好感がもてた。この「現在を大切にする」というシーンをもう一つあげろと言われたら、私はやっぱり震災直後の東北の人たち、そしてそれに触発された首都圏の人たちの姿を思い出す。今回の奇跡的な活躍とその後の出来事が、やっぱり震災抜きに考えられない気がする。震災というフィルターをパレードは通過している、そんな風に思える。そして私は、こんな日本はいいなあ、と思えた次第なのだ。
 思い入れが過ぎるだろうか。


 ☆☆
今日で震災から1年5カ月と10日がたちました。通信が二百回を数えました。150号は吉本さんが亡くなった時でした。吉本さんが生きていたら、ロンドンオリンピックにどんなにか面白いコメントを言ってくれただろう、とそんなことを思います。

 ☆☆
『剛柔会空手道全国大会』で、山口先生の演舞に今年も感動しました。それを伝えると「いやあ、そう言われてもね、我々がいつもやっていることをやっただけでね」と、いつものようにさりげない。「あなたはあなたのやり方で頑張りなさい」と言ってくれます。ありがたい、頑張ります。