goo blog サービス終了のお知らせ 

実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

『美味しんぼ』『チームバチスタ』補記  実戦教師塾通信三百七十九号

2014-05-04 09:22:22 | エンターテインメント
 『美味しんぼ』『チームバチスタ』補記


 1 『美味しんぼ』

 前回の記事、反応ありありだった。なるほどと言ってくださる方が多いのは、私のブログの読者だからだと思う。
「不安をあおっていいのだろうか」
といったたぐいもあった。しかし、これらの意見の多くが、
「不安を扱(あつか)うのは控(ひか)えるべきだ」
と牽制(けんせい)する空気を持っていたのは残念だ。
「不安をあおる」
のはいけないが、
「不安を回避(かいひ)する」
のもいけない。当たり前だ。
 「原因不明の鼻血」が当時ニュースとなったのは、多くが子どもたちのことだ。大人は経験していても、あまりそれを口にしていない。私も除染作業をしたが、その頃鼻血は出ていない。

 天然の真鯛(まだい)は、引き上げられると内蔵を口から吐(は)いて死んでしまう。真鯛は深海魚(しんかいぎょ)だからだ。水槽(すいそう)で泳いでるじゃないか、と思うのだが、彼らは養殖(ようしょく)なのだ。天然の真鯛は、曇(くも)りなく桜色をしている。しかし、私たちの見る「真鯛」は、みんな日焼けしたような褐色(かっしょく)がかっている。浅いところで生きているため、日光の影響があるという。「別物」なのだ。
            
 このおぞましい写真は、窓のない鶏舎(けいしゃ)で「育つ」ブロイラーである。ぎっしり詰(つ)め込まれた鶏は、上から降ってくる餌(えさ)を食べ続け、動けないせいであっと言う間に大きくなる。二週間とも一カ月とも言われる短期間で食肉に処分されるその前、一瞬(いっしゅん)外の光を見るという。ストレスや病気にさらされるため、抗生物質を初めとした、たくさんの薬が入った餌を彼らは食べないといけない。
 さて、こんな養魚場・養鶏場(ようけいじょう)の中、奇形で生まれ・育つものが出てきた。それはもうずっと前、半世紀近く前から始まり、今も続いている。『美味しんぼ』は率先(そっせん)してそれらを取り上げてきた。今回の連載(れんさい)で、それらは取り上げられていないはずだ。動植物の異常は原発事故が原因なんぞと、少なくとも今、『美味しんぼ』が言うはずがない。
 今でこそ一定程度こういう「食の事情」は知られることとなっている。しかし30年前はこうではなかった。私は「真鯛」で、そして「ブロイラー」で目を見張ったのだ。『美味しんぼ』の果たした役割は大きい。しかし『美味しんぼ』は、私たちの驕(おご)った生活/意識の告発を目的としているのではない。読めばそこには、「食」のすばらしさがよみがえるのだ。
 プロの目を持つ山岡と、アマチュアの目線で感じる栗田さんのコントラストが見事だった。二十巻までは文句なしに面白かった。でも、今や栗田さんもプロの目が育った感じだし、彼女は山岡の奥さん&二児(だったかな)の母となってしまって、残念なほど落ち着きを見せている。そのせいなのか、話の展開が緊張を欠くようになったように思う。その上、今度は宿敵(しゅくてき)海原雄山と和解するという。よろしくない。


 2 『チームバチスタfinalケルベロスの肖像』
            
 『美味しんぼ』の続きではない。でも、チームバチスタの白鳥を演じる仲村トオルが、以前吉野家の看板(かんばん)をやったから、というのでもない。これは全国紙では見られなかった、と思われる『福島民友』からの記事。香港(ほんこん)の吉野家に貼(は)られたポスターだ。
「香港吉野家は、福島の米や食材を一切(いっさい)使っていません」
という内容である。
 これは、昨年の秋に吉野家が、福島県内の農家と米を作る法人を設立(せつりつ)し、復興支援につなげる、と表明したことに始まった。その後、
「吉野家は米を福島産にする。ガンになることが恐(こわ)くないなら食べて」
という情報が、香港で流れたという。これに困った香港吉野家が作ったポスターなのだ。
 この米や農産品、漁獲(ぎょかく)品、そして「原因不明の鼻血」もそうだ。これらの問題が結論を得るのはいつのことなのだろう。原爆投下から70年近くを迎(むか)えようとしているのに、いまだに「被曝体験者」と「被爆者」なるふた種類の現実があることを私達は知っているだろうか。「被爆者と認めよ」と、多くの人々が申請(しんせい)している。つまり今も、
「健康被害と原爆の因果関係」
が問われているのだ。
 私は現在、楢葉で「除染検証委員会」の委員長をつとめる児玉龍彦教授のことを思う。児玉氏は今、
「私達のやっているのは『除染』ではない。『移染(いせん)』だ」
と、楢葉の人たちに言っている。取り除けないものだから集めて閉じ込める、という考えだ。そんな児玉氏の活動に対して、
「福島の人間を使って人体実験をしている」
という批判もある。しかし児玉氏は、
「福島が安全なところだ」
とは言っていない。児玉氏はひたすら、
「『福島に残りたい』『福島にもどりたい』という人たちの力になりたい」
と言っている。
「『安心』に転化できる部分はある」
と言っている。
 それにしても、児玉氏の検証の答えはいつ出るのだろう。私はそこで『チームバチスタfinal』の白鳥を思い出す。
「薬の完全なデータが揃う(そろう)まで90年。それまで多くの患者が亡くなります。私達はそれで、過失(かしつ)を伴う認可を急ぎます」
というセリフだ。薬害が取り上げられる時、新薬の開発現場から、
「これが『有罪』となってしまえば、新薬の開発は出来なくなる」
という声が、必ずと言っていいほど上がる。
 児玉氏は50年後、あるいはもっとあとに「奇跡(きせき)の人」と讃(たた)えられるのだろうか、それとも「悪魔の手先」と罵(ののし)られるのだろうか。
 はっきりしていることは、
「不安は回避することではなく、検証しないといけない」
ことである。そして、
「これらの不安のもとには原発事故がある。もっと言えば私達がそれをもたらした」
ということだ。


 ☆☆
マー君、また勝ちましたね。だいぶ苦戦したようです。でも「無敗神話」が続いちゃいました。それと前回の試合後のインタビューで「失投(しっとう)」発言、出ちゃいましたね。残念。そんな人ではなかったと思ったが、まあこれからの苦労と活躍(かつやく)の中で検証されることでしょう。マー君頑張れ~!
ジョーンズ、ようやく調子上げてきましたね。楽天も頑張れ~!

 ☆☆
昨日、すこしばかり早起きしてテレビをつけたら、F1レーサーの中島悟がロングインタビューで出てました。だいぶ年取ったなぁとも思いましたが、楽しそうにレースの現場で働く姿は、現役(げんえき)の時とちっとも変わってませんでした。
嬉しかったですね。頑張りましょうって思いましたよ。

彦麻呂  実戦教師塾通信三百七十二号

2014-04-09 10:56:38 | エンターテインメント
 グルメの行方(ゆくえ)


 1 帰って来た「タレント」?たち


「甘~いってマグロの刺身(さしみ)はケーキじゃないよ」

と、けっこう納得(なっとく)のコメントを言ったのはつぶやきシローである。
 消えたつぶやきシローを、ここんとこあちこちで見かけるようになった。あんまりさえないのを身上(しんじょう)としたキャラは、あっと言う間に捨てられたが、どうやら這(は)い上がってきたようだ。

 さて、四月からのスタートで、まあどこにもあるのだが、あちこちの町で食べ歩く番組が始まった。詳(くわ)しく言えないのが申し訳ない。忘れた。日曜日のお昼にJ:COMでやってます。たまたま見たのだが、この日は高円寺駅周辺のおいしい店だった。タクシー運転手の投票でランキングを決めたというものである。
 ここに彦麻呂が出ていた。
「味のオーケストラ!」だの「虹色の味噌ラーメン!」
だの、どっしようもないコメントを続け、「グルメ評論家」をゲットしてきた彦麻呂だ。生きていたようだ。見れば、雨ガエルが殿様ガエルになったような変化を遂(と)げていて、目を背(そむ)けた。どう見ても味覚障害の体だって分かる。しかし、どんなお店が出てくるか気になったし、同行する「食事アナリスト」とかいう変てこなジャンルの女の人がチャーミングだったので、見ていた。
            
これは番組とは関係ない。私が福島に出向く時、いつも愛用している友部サービスエリアなのだが、そこの名物「友部ラーメン」。屏風(びょうぶ)のようにそそり立った海苔(のり)に「友部ラーメン」と字が白く抜いてある。美味しい。


 2 天ぷらの妙(みょう)

 一位はてんぷら屋だった。店名は忘れたが、もし高円寺に着いたら、ランキングに参加した運転手たちのタクシー乗り場で、
「天ぷらで美味しい店はどこですか?」
と聞けばいいのだろう。本当に行きたいと思わせる店だった。「玉子天付き天ぷら定食」だったかな。確か1300円。カウンター席の目の前で揚げて、そのまま出してくる。多分ごま油を配合した油が、見事な光沢(こうたく)で種を踊(おど)らせている。店主がまめに天かすをすくいながら、
「こうしないと天かすが段々黒ずんで、油を汚(よご)すんですよね」
と言う。分かっていても、見事な光沢の油を見ているとすがすがしく聞こえる。
 種は、海老/鱚(きす)/イカ/なす/ピーマン/ブロッコリーだった。ピーマンとブロッコリーをめぐるやりとりが面白い。
「全然苦(にが)みがな~い!」
と感動する「食事アナリスト」に、
「天ぷらの油が、苦みを外に追い出すんです」
と店主が解説する。そして、
「ブロッコリーは生の状態で揚げます」
「揚げると、うま味が閉じ込められます」
と言うのだ。一方は「追い出し」他方は「閉じ込める」という。そんな都合(つごう)のいい話があるものだろうかと思いつつも、まずは、
「ブロッコリーをゆでないんですか!」
という二人のすっとんきょうな声に私もうなずく。今度は彦麻呂が食べて、
「これがブロッコリーの味とは思えない!」
という平凡なコメントを言うのだ。考えてみれば、天ぷらの種ってはみんな生から調理する。でも、そうなのだな、と思ってしまう。
 おそらくは丹念(たんねん)な打ち合わせのもとに作られた番組なのだろう。質問と答えのやりとりにまったく無駄(むだ)がなかった。そしてそんな時にありがちな、いやな感じのないのが良かった。
「メニューにある玉子天てなんですか?」
の質問は、もちろん後出し(あとだし)、お約束のものだ。すると店主は、油に玉子を落とす。それだけなら誰でもおなじみのフライエッグだ。しかし店主はそのあと、見事な手際(てぎわ)で、その上から衣(ころも)を散らすのだ。黄身が半熟の玉子天をご飯の上に乗せ、たれを振る。おいしくないわけがない。

 腰のあるうどん(三位だったかな)を、
「反抗期のうどん」
などとくだらないことをいう彦麻呂は、相変わらずいただけない。しかし、そのうどんの表面に粒状(つぶじょう)のものを見いだし、
「全粒粉(ぜんりゅうふん)ですね」
などと、見た目で入るのもやって見せた。
 だてに食べてきたわけではないのかどうか、番組とともに少しばかり注目している。
       
これは地元・柏のお店『ピッツァマミーサ』のランチ。「水菜と海老のカラスミソースがけ」です。ここにサラダ三点セットがついてます。1361円。美味しかった。


 ☆☆
「あれ? ここ、ママチャリの置き場所じゃないんですけどぉ~」
みちの駅の自転車置き場で、中坊らしき連中がぼやきました。サイドスタンドのないクロスバイクのために設置(せっち)されたバー(フレーム)が、ママチャリで占領(せんりょう)されてたのです。そうとう頭に来てたみたいですが、連中、ママチャリを寄せて愛車をバーにぶら下げてました。桜も終わりに近い、あったかな一日でした。
           


 ☆☆
お伊勢参りのこと、また書きたかったのですが、字数がかさばってきました。今度書きます。とりあえず、千五百年にわたって続けてきた習慣も、やはりところどころ変化しているのだなあ、という驚きを持ちました。例えば当たり前なんですけど、式年遷宮(せんぐう)の儀式に、天皇皇后は御正宮(ごしょうぐう)前まで「車で」来ました。境内(けいだい)全部を歩くことはしなかった(出来なかった)。そりゃそうなんですけどね。

映像、その虚実  実戦教師塾通信三百四十八号

2014-01-08 17:04:24 | エンターテインメント
 映像、その虚実(新年その2)

     ~旧いものとの訣別(中)~


 1 『永久の0』


 「えいえん」と読むのか「とわ」と読むのか知らぬが、岡田准一主演のこの映画が、異例のヒットらしい。聞くところによれば、こんなデタラメでゼロ戦の真実を隠し(かくし)、またしてもゼロ戦の「神話復活」を目論む(もくろむ)のかと、アニメ『風立ちぬ』の監督・宮崎駿が激怒(げきど)したという。私に言わせれば、この映画ヒット第一の原因は、この映画が正月映画という「B級であってもみんな見る」好条件だったこと。そして二つ目は、ゼロ戦に興味をそそるきっかけを与えた映画(もちろん『風立ちぬ』だ)が先行(せんこう)していたからだ、と思えた。
 とんでもなくくだらない映画だ。私は見てない。いや、見てはならない、と思った。テレビでのCMを私たちは見たはずだ。それは「精巧なCG(コンピュータグラフィック)」なのだ! つまり私たちはあの映像を見て、せいぜいのところ、
「うまく作ったもんだ」
「上手にごまかしたなあ」
という感想しか持てない。つまり、そのインチキ映像に感心したあとか、またはそんな感心などなく、
「ふざけんなよ」
「アニメか実写(じっしゃ)か、はっきりしろよ!」
との怒りにとらわれたはずだ。私たちが「虚像(きょぞう)/作り物」であるはずのものを、現実と見まがうものにするのが「映像/映画の力」だ。あの「0」の映像を見て、自分も映画館も戦場となってしまったって感じた人、いたのかね。そんな裏切りをしているものに対して「映画」なる名誉(めいよ)の称号(しょうごう)を与えることなど出来まい。おそらく宮崎監督は、もしかしたら原作まで読み、映画を見たのだろう。そんなきちんとした態度を私は持てないでいる。「映画」というものは「映像」を通して評価し、されるものだ。その「映像」がダメなのだ。見てから言えと言われても、無理。本物そっくりの海面をすれすれに飛ぶ、本物そっくりのゼロ戦など見たくもない。このゼロ戦がアニメだったら許される。ところが、そこから降り立つのは、生きている生身(なまみ)の岡田クンなのだ。こんな中途半端(ちゅうとはんぱ)が許されるのは、SFかファンタジー、そしてホラーだよ。ジェイソン、怒っちゃうよ。


 2 ブルースリー/『七人の侍』

 対して、映画/映像の力を遺憾(いかん)なく発揮(はっき)した作品は輝いている。
 ブルースリーの素晴らしさは、徹底(てってい)した映画人だったからだ。おそらく武道家/格闘家としては一流とは言えなかった気がする。どう見せるか/どう楽しませるか、がひたすらブルースリーの関心事だった。それは見事に成功した。だって私もそうだったが、映画を見終わって映画館を出る時、みんなすっかりブルースリーになりきっているからだ。映画は終わっている、そして映画館を出ているというのに、である。自分もあんなふうになりたいな、と思っているのではない。自分がもうブルースリーになっているのだ。ブルースリーが自分に乗り移っている。これを「映画の力」と言わずしてなんと言う。方や、スクリーンから飛び出すのがどうでとか、3Dとか言ってる。別にいいのだが、肝心なことを忘れるなよ。立体画像(りったいがぞう)がいくら頑張っても、ブルースリーのように私たちの細胞(さいぼう)の中まで入り込めないわけをちゃんと考えた方がいい。
 そのブルースリーの映画『怒りの鉄拳(てっけん)』でリーのヌンチャクが曲がって、それがゴム製であることを暴露(ばくろ)したことは前も言った。ほかにも、日本人の経営する道場の若僧(わかぞう)をぶんぶん振り回して投げるシーンは、明らかに人形相手だというのもバレバレだった。しかし、ブルースリーの存在感は揺(ゆ)るぎもしなかった。
 日本映画の金字塔(きんじとう)、黒沢明の『七人の侍』(1954年)の話だ。どしゃ降り雨の戦闘シーンを撮(と)る時だ。雨の激しさをなんとかリアルにしようと考えた黒沢は、上から注ぐ雨(水)に「砂糖」を混ぜるようスタッフに命じたという。砂糖の雨は、見事(みごと)に刀を交える人物を、その向こう側に霞(かす)ませてしまう演出をした。
 これも古い名画(1960年)、アカデミー賞11部門の賞を持って行ってしまった『ベンハー』の話。
      
この映画ポスター中央部の、馬たちの引く車が、中世では「戦車」として戦いに活躍(かつやく)した。ローマの競技場で、この戦車が対決するシーンがある。言われないと分からなかったが、この競技場を埋める巨万の観衆(かんしゅう)は、すべて「人形」だった!という。
 分かるだろうか。映画とは「作り物」であるということだ。しかし、私たちがどのような現実を引き受けているのか、映画人たちには分かっていた。いや、映画人たちが作り上げる現実が「リアル」である時、私たちはそれを「作り物」と言わなかった、と表現した方がいいだろうか。
「いい映画だった」
と私たちが言う時、その映画の映像は、どんなに「あり得ない」ことでも、リアルなものを送り出している。
 1999年からビッグコミックスピリッツに掲載(けいさい)が始まった『20世紀少年』(浦沢直樹)は言うまでもなく、1995年の3月に発生した「オウム事件」にきっかけを持つ。
            
この作品に、どれだけ事件の背景を取材したのか、というチャチャが入ったとも聞く。バカで頭の悪い連中はいるものだ。「本当かどうか」というわけだ。あのマンガに私たちが引きずり込まれたのは、そんな緻密(ちみつ)な取材があったかどうか、なんていうものと関わりがないことは分かっている。私たちの中にずっしりと根を張っている不安と影に、私たち自身がとらわれ、そして怯(おび)えていることに気づいたから、私たちはその闇(やみ)に引きずり込まれた。闇に私たちをまねく力と言葉は「ともだち」なのだ。すごいと言うしかない。「リアル」とは、そういうことだ。
 映画の方は、原作に比べたら気の毒なくらいのボルテージの低さである。しかし、原作の力が助けてくれた幸運の作品、と言える気がする。普通は原作と比較(ひかく)されれば、コケにされておしまいなのだが、まあ許してあげよう、というレベルと言ったらいいか、そんなところに落ち着いたように思う。ちなみに、常磐貴子演じる「ユキジ」は、はまり役だったと思った。


 3 「リアル」

 私はこの「リアル」とか「本当(らしさ)」、または「真実」といったものを、日本中に問いかけたのは、先の東日本大震災だったと思っている。そして、そう言ってきた。震災があって、大方(おおかた)の「作り物」は、化けの皮をはがされた。「お涙頂戴(ちょうだい)/残酷(ざんこく)/悲惨(ひさん)」、どれもすべてみっともない姿、つまり「ホントはあり得ない」「偽物(にせもの)」という、もともとの「作り物」の姿をさらけ出した。虐待(ぎゃくたい)を受け続けた子どもが、白血病(はっけつびょう)になってもみんな見向きもしなかった。「作り物」だからだ。そして「場違い」だったからだ。
 今は例えば、
「人間ここまでひどくなれる」
というべきか、
「リアルかどうかなんてそんなの関係ねえ」
路線も復帰(ふっき)した感がある。震災の風化(ふうか)を感じる所以(ゆえん)だ。
 しかしやはり私は今も、映画に限らずそれが、
「震災をくぐり抜けてきたかどうか」
が、ポイントだと思っている。私がそう言うと、どうも勘違い(かんちがい)する人がいる。しかし私は、そうしないといけない、倫理的(りんりてき)に人間として許されない、と言っているのではない。
「その部分を回避(かいひ)したものは力がない」
と言っている。説得力も魅力(みりょく)もないものしか生まない、ということだ。そして、
「リアルではない」
と言っている。
「リアル」は、それが現実であるかフィクションであるかを問わないのだ。


 ☆☆
とりあえず、第一回『バチスタ螺鈿の迷宮』面白かったですねえ。僻地(へきち)で、しかも終末医療です。どうなるんだろう。白鳥さんの肩書、また長くなってる。笑った笑った。いいなあ。

 ☆☆
「美しいはずの『四季のうつろい』が『昔話』の景色になり、人の心がウソとサギに脅(おびや)かされ、優しい彩り(いろどり)が薄れてしまった思いがします」
とは、中学校勤務(きんむ)で出会った先輩からの年賀状です。そんな激しい言葉を言う人ではなかった。そんな時代なんですねえ。
「秋、柿の季節にお出かけください」
と、ありがたい言葉。楽しみです。

優勝/楽天(下)  実戦教師塾通信三百三十八号

2013-12-01 12:50:15 | エンターテインメント
 優勝/楽天(下)

      ~震災とともに~


 1 東北の思い/東北への思い

 
 日本シリーズ終了後、嶋は、
「3年間かかってしまって……。それが短かったのか長かったのか」
と語った。
      
   優勝決定の瞬間。雄叫び(おたけび)をあげる田中と走り寄る嶋(『スポニチ』)
           
            雄叫び拡大写真(『東京新聞』)
分かるだろうか、「楽天悲願(ひがん)の9年」ではなかった。「3年」なのだ。
 私たちは、3年前の嶋の姿を鮮(あざ)やかに思い出すはずだ。
「見せましょう、野球の底力を! 見せましょう、東北の底力を!」
当時、被災球団の選手会長だった嶋が、本拠地(ほんきょち)仙台で高らかにこう言ったのは、震災から50日を経過した4月30日のことだ。嶋のこのメッセージはここから一カ月逆上った4月2日でも出されていた。札幌ドームで行われた震災からの復興支援を目的とした試合の前でのあいさつだ。この時は「東北」のフレーズはなかった。やっぱり野球を始める、始めたいという思いのたけを込めたあいさつだった。
 東日本大震災の当日、楽天は遠征先(えんせいさき)の兵庫にいた。私たちはキャッチボールをする選手たちの面食らった顔をはっきり覚えている。
「こんな時に、自分たちはなんて場違いなことをしてるんだ」
と、その顔は言っていたし、実際そう語っていた。選手の多くが、身近にいたファンも含め、多くの東北の姿を思った。銀次のように家族を抱(かか)えていた選手もいた。冷静(れいせい)な状態ではいられなかったのだ。その誠実な姿は、楽天の選手ばかりではなかったが、それだけでメッセージになっていた気がする。
 また蒸(む)し返すが、震災直後、
「野球なしで復興もない」
と豪語(ごうご)し、例年通りの開催日(かいさいび)を主張したのは、相も変わらぬ球界のドン、ナベツネだ。私は記憶をたどるのだが、この時のこの連中の、被災地に対するお見舞いの言葉を思い出せない。その一方で、選手たちが悩み迷う姿が被災地・被災者に伝わった、と私は思っている。
 被災した仙台のクリネックス球場が修理を終え、楽天は一カ月後に「恐(おそ)る恐る」帰還(きかん)する。お帰りなさいのコールや、子どもたちの歓声(かんせい)を前に、人目もはばからず涙をぬぐうマー君が、
「『帰れ』って言われるかと思った」
と言ったシーンを、私は宝物の映像(えいぞう)のように思っている。ナベツネ(の類の連中)だったら、
「結局、開幕したじゃねえか」
と、口を尖(とが)らせるのだろうか。こいつらには「思いをひとつにする」「思いがひとつになる」ということが理解出来ない。


 2 星野監督のメッセージ

 札幌で4月の2、3日行われたチャリティーの試合が、開幕直前の試合だった。しかし、楽天は連敗している。しかも3日は、斎藤君に負けている。
 しかし、開幕後の一週間で、楽天は4勝2敗という成績を叩(たた)き出した。あの頃の選手の顔を私たちは覚えている。顔つきが違っている、という表現しか思いつかないのだが、必死にとか、追い詰められたとかいう悲壮感(ひそうかん)とは少し違っていたと思う。背中になにかが張りついているような、そんな顔だろうか。楽天にクライマックスシーズンで敗北した西武ライオンズの渡辺監督は、
「楽天には別な力も加わってる気がした」
と語った。勝っても負けても、とにかくやるんだというか、そんなチームの顔は2011年に始まった気がする。
 開幕二週間を過ぎて、やはり負けが勝ちを追い越して行く中で言った、
「貯金して仙台に帰るんや」
という星野監督の言葉は、仙台・東北に届いていたはずだ。
 映像でしかみたことのない東北に自分たちは「帰る」。そこは自分たちが「帰る」場所だ。そこには50日間足を運んでいない。自分たちがいなかった50日間、いや、3月11日のことを自分たちは何も知らない。野球をしていていいのかどうか逡巡(しゅんじゅん)しながら、とうとう元通りの野球という道を選んで、自分たちは被災地に「帰ろう」としている。一体、どんな姿で仙台・東北という被災地に臨(のぞ)めばいいのだろう、と思った。そして監督は、
「貯金して仙台に帰るんや」
と言った。この言葉が、そんな胸の内から出された言葉だと私は信じて疑わない。
 星野監督が注意深く、そして頑(かたくな)に、
「頑張ろう/頑張りましょう」
という言葉を封印(ふういん)していたことを私たちは知っている。4月末、仙台に着いて、
「お帰りなさい」
と言われた監督は少しも笑わなかった。それはおそらく、その時ようやく勝率(しょうりつ)5割というチームの状態だった、という理由もあっただろうか。しかし、そんなことより、自分たちが「留守(るす)にしていた」、そんな場所とストレートに向き合う初めてのシーンだった、というのが最大の理由だった気がする。監督の「気後れ(きおくれ)」と「決意」の姿だと私は思っている。
 仙台での試合の前、そして試合の合間(あいま)に訪れた被災地・避難所で、監督はその都度、
「この時期を耐(た)えて耐えて、耐え抜きましょう」
と、被災者に呼びかけた。体育館(避難所)の子どもたちには、
「おい、オマエら、頑張れよ」
と言っていたようだが、マイクを持てば、そして大人相手の言葉はいつも、この、
「耐えましょう」
だった。
 そんな監督・楽天を見ているうち、野球のことがますます気になって仕方なくなった。巨人とともに成長した私たちだ。「巨人・大鵬・玉子焼き」の言葉をならって成長した私たちだ。しかし、長嶋が追放されるように巨人からいなくなり、あちこちのチームのエースと四番バッターを揃(そろ)える巨人を見ていたら、いつの間にか野球を嫌いになっていた私(たち)だ。
 野球好きに戻る基礎(きそ)となったのは、イチローと松井と、そしてやっぱり楽天だった。田中に、
「マー君、神の子、不思議な子」
のネーミングをした野村監督の試合采配(さいはい)と分析は、私たちに野球の魅力を思い出させた。まだ震災前だったが、私は思わず、仙台まで楽天の試合を見に行ってしまった。
 そんな楽天と東北を津波が襲(おそ)った。「草野球チーム」状態をようやく脱(だっ)する水準に頭を浮かべたあたりだったと言えよう。そんな中での震災だった。そんな中今こそ、
「胸を張る」
ことが大切だ、監督星野はそう思った、と私は勝手に思っている。ふさぎ込み、へたり込んでいる被災地・被災者はしかし、
「こんなにも頑張り、そして耐えている」。
そんな人たちが堂々と出来ないはずがない。堂々としないといけない。この弱小(じゃくしょう)チームの楽天が、そのお手伝いを少しでも出来ないのか、と思った。しょせんは娯楽(ごらく)にすぎない野球、しかし、自分たちが出来ることはこれしかない、と思って再び野球を始めた。だったらそれをやり切るのは自分たちの責任だ、と監督は思った。
 初めのころ、ノックアウトされたピッチャーを拍手(はくしゅ)して迎えていたファンの声援(せいえん)は、年と月を重ねるにしたがって野次になった。
「なにやってる!」
「底力見せろ!」
 嶋の、
「3年間かかってしまって」
というその長さが、長かったか短かったかを言えば、それはとてつもなく、
「絶妙(ぜつみょう)」
だったとしか、私には思えない。
 先日、議員会館のフォーラムのことを少しばかり触(ふ)れたが、震災直後、国・宮城県が真っ先に手を入れたのは「仙台空港」だったという。なぜ「海」でなく「空」なのか、という現地の抗議の声は現在、堤防の拙速(せっそく)な構築への抗議の声となって、知事とぶつかっている。そんな報告を受けた。防潮堤(ぼうちょうてい)としての予算は、2015年まで消化しないといけないという現実を、私たちの何人が知っているだろう。
 そんな現実を全部ひっくるめて、楽天は優勝へ前進を続けた。これが野球の底力というのだろうか。
「いいことなんて少しもない」
と下を向きそうになる人たちの顔を押し上げた。
         
 陸上競技場に設けられたパブリックビューイング会場の1万5千人のファン(『スポニチ』)

「全国の子どもたち、被災地の子どもたち、そして東北のみなさんに元気を与えた選手のみんなに大きな拍手をおくってやってください」
と、監督は日本シリーズ最後のお立ち台で言った。そして、
「みなさんの苦しい思いに対して、私たちは雀の涙ほどの励ましをできたでしょうか」
とも言うのだ。それはまるで、
「私たちは小さくなることなんかない」
「私たちは日本一なんだ」
「胸を張りましょう」
と言っているかのようだ。


 ☆☆
というわけで、ずいぶん突っ走ってしまいました。でも、まだ書き足りない気分です。まだ胸が熱くなります。あのマー君の雄叫びと星野監督の胴上げがすぐよみがえってしまいます。でもまあ、これでお終いにします。最後まで私の楽天ばなしに付き合ってくださってありがとうございました。

 ☆☆
今月は私たちが第一仮設住宅にお味噌を支援する月です。この場でも仲間のみなさんにお願いをいたします。それと別なんですが、先日、仲村トオルから、仮設での最後のクリスマスになるかもしれない子どもたちにプレゼント(お菓子)はどうでしょうか、という連絡を受けました。第一仮設とはゆかりのある仲村トオルです。親の方も喜んでくれそうです。残念ながら本人は来れないのですが、今週渡して来ようと思います。

優勝/楽天(上)  実戦教師塾通信三百三十五号

2013-11-20 10:08:33 | エンターテインメント
 優勝/楽天(上)

      ~信じられないことが起こった~


 1 「宿敵(ライバル)巨人」ではなく


 未(いま)だポストシーズンにあらず、私はそんな気持ちでいる。マー君のメジャーへの移籍(いせき)も、ましてはアジアリーグなんてなんの興味もわかない。
        
            週刊『フライデー』より
このシーンである。ここから一歩も出ないでいる。スポーツ紙を4つ買ったのだが、まだひとつしか読んでない。もったいない気がしているのだ。
 おそらくはとんでもないことが起こったのだ。二度とこの感動はない。このことはちゃんと書いておいたほうがいい。でないときっと後悔(こうかい)する、と私は相変わらず、勝手に思い込んでいる。こうしていても、次々と様々な出来事が泉のようにわき出て来る。
 印象に残ったインタビューがあった。楽天優勝翌日(よくじつ)の朝、NHKのニュースだったと思う。冷たい小雨が降る中、高齢(こうれい)の方にマイクが向けられていた。その方は、
「良かった。いいことなんか少しもないのに……感動した…」
最後の方は言葉を詰(つ)まらせながらマイクから顔を背け(そむけ)、仮設住宅に続く道に後ろ姿を見せて消えていった。興奮(こうふん)と感動をぶちまけた前夜の録画(ろくが)インタビューに混(ま)じって、次の朝の静かな被災地でのインタビューだった。
 「宿敵巨人」を相手にガブリ四つで戦った「闘将(とうしょう)星野」と、ずいぶん言われた。そのことを否定はしまい。本人だってそう言ってたし。でもやっぱり違う。少し考えれば分かることだ。楽天の目標は、なにを置いても「リーグ優勝」だったのだ。それなしに、打倒(だとう)巨人だと?なにを片腹(かたはら)痛いと言われかねない。星野監督が楽天に就任(しゅうにん)した最初の年が5位、次の年が4位である。巨人の後ろ姿が見えだしたのは、リーグ優勝が決まった9月26日だ。それまではそんな余裕(よゆう)などあるはずがない。
 そして、そんな楽天の優勝が、星野監督には思い入れの強いリーグ優勝なのだ。もちろん私たちも忘れていない。星野楽天とは、震災とともに生まれ、そして、進んできた球団だったのだ。


 2 「結果がすべて」ではなかった

 覚えているだろうか。9月26日(木)、楽天がリーグ優勝を決めた球場は西武ドームだった。この日、二位ロッテが破れ楽天が勝てば、楽天の優勝が決まることになっていた。日本ハムと札幌で対戦したロッテは、もつれにもつれ、土壇場(どたんば)の9回で日本ハムを猛追(もうつい)していた。この時楽天は、同じく7回で西武を逆転したあとの9回だった。つまり、田中マー君が登場した時、ロッテはまだ勝つ土俵の上にいた。この時点で楽天の優勝は未知の場所にいたのだ。そして一点差のマウンドで、マー君はワンアウトながら二塁と三塁にランナーを抱えて、サヨナラ負けのピンチだった。これを思い出せば、私たちは日本シリーズ最後の最後の、あの9回を重ねるはずだ。ここでサヨナラ負けを喫(きっ)したとしたら、一体どうなっていたのだろう。
       
            サンケイスポーツより
 星野監督の態度は一貫(いっかん)していたように思う。
「あいつ(田中)しかいないやろ」
「田中に感謝する気持ちで投げさしてる」
というものだったと思う。「信じてる」と言っていたのは、周辺だった気がする。結果がどうあれ、この態度は変わらなかったのではないか。日本シリーズ最後の7戦目で、好投した美馬から則本は7回8回とランナーを出した。でも、それは各回わずかひとりだった。前日、高校野球の「延長(えんちょう)再試合」並みの160球を投げたマー君を「胴上げ投手」にしようとしたら、
「9回のツーアウトからでいいと思った」(『フライデー』元阪神・金本のコメント)
のが普通である。または則本がランナーを出したあとでもいい。と、誰でも思う。しかし、違っていた。並々(なみなみ)ならぬ決意である。例のごとく、と言っては失礼だが、マー君はランナーを背負い、ホームランが出れば試合は振り出しに戻る、というシーンを迎(むか)えた。マー君が死んだら監督も死んでいた。土壇場で巨人が逆転したその時、待ってました、という連中はごまんといた。何せ星野采配(さいはい)はメチャクチャなのだ。そのことは誰も知っている。今だって北京五輪の時の悪夢(あくむ)をあげつらっては、どうしようもない、と星野監督のダメ出しをばらまいてるやつもいる通り、星野監督へのバッシングはどうにも止まらなかったに違いない。
「セオリーなしの采配」
「『情(じょう)』に流されて勝利はない」
「策に溺(おぼ)れた闘将」
「負けたら終わりでしょ」
等々。紙上やテレビはうなりをあげていたに違いない。しかし、これが勝ちとなった。星野采配は、
「マジック」となり、
「派手な演出」
となったのだ。
 この星野采配が、仮に裏目に出た時、野次馬の目線でなく、東北の目線だったらどうだっただろう。優勝を逃した瞬間は、評価がふたつに分かれたように思う。しかし、それは間もなくひとつの「感動/感謝」に収まりをつけたような気がする。それは結果がどうあれ、星野楽天が、東北の人たちが恋い焦(こ)がれ、そして待ち望んだ場所に導(みちび)いたからだ。


 ☆☆
「学校/子ども」のことを書くつもりでいたのですが、この楽天が頭を離れず、予定変更(へんこう)です。次の「下」は、お察しの通り、「震災」の頃の楽天・星野に戻ります。何度考えても、どう考えてもすごい。マー君が楽天球場に姿を現した時、大歓声(かんせい)で球場は揺れたといいます。病院の隣接(りんせつ)するこの球場では、鳴り物が禁止だったといいます。球団は病院や患者さんにどんな気遣い(きづかい)をしたのでしょうか。そして、患者さんたちの反応はどんなだったのでしょうか。ホントに知りたい。

 ☆☆
17日、福島市長選挙終わりましたね。またしても現職敗退(はいたい)。投票率が前回より10%アップしたのは、やはり双相地区でないという理由でしょう。それにしても現職を支持したのは自民・公明・社民です。まあどうせ、自民党は福島県では二分(にぶん)している状態ですから、票も割れたのでしょうが。いずれにせよ、これら三つの党の議員で、市議会の過半数を占(し)めるといいます。福島(市)、やっぱり大変です。

 ☆☆
新調したストーブの上でさつま芋を焼いてます。おいしいですね。こうすると美味しい焼き芋が簡単に出来るんだよと教えたら、やみつきになったよ、と喜んでくれた母をまた思い出します。しんしんと冬が近づいて来ますね。
前回、師走(しわす)ですね、とうっかり調子付いて書いてしまいましたが、まだですよ、と指摘(してき)されました。
もうすぐ師走ですね。