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実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

東野圭吾  実戦教師塾通信五百八十六号

2018-02-09 12:03:06 | エンターテインメント
 東野圭吾
     ~心優しい書き手~


 ☆初めに☆
小泉今日子の「不倫宣言」で、ゴシップ探しにいとまのない連中がうろたえてるみたいで、小気味がいい。相手はどうでもいい男みたいですけど、それより小泉今日子のさばきに感心しました。細かいことは興味ないですが、要するに、
「放っといて」
「私の問題なんだから」
ということなんだろうと思いました。人としてどうなのかとか、奥さんの気持ちを考えたのかなどと、間抜けどもが騒いで喜んでるわけです。「下衆(げす)の勘繰り」を全く相手にしない。「覚悟」がないと、こうは出来ません。やっぱりこの人は、より抜きの「アイドル」だったんだなと思いました。
今回は少し気分を変えて、エンターテインメントです。

 1 『祈りの幕が下りる時』
 原作はまだ読んでないが、初めに言ってしまう。この映画、B級である。


名画『砂の器』を想起させる、という感想がある。私も荒野をさまようシーン、そしてラストを見て感じた。しかし『砂の器』は、どうすることも出来ない、大きな力が作用し引き起された事件だ。映画上映にあたって「全国国立ハンゼン氏病療養所患者協議会(全患協)」が反対したが、制作サイドの強い熱意が患者の方々を動かし、上映にこぎ着けたことは以前書いた。ハンセン病に限らず、人々の心に「どうしようもなく」宿る、病や症状に対する偏見や悪意は、今も続いている。
 一方『祈りの……』は、たった一人の軽はずみな女が引き起こし、その後連鎖した事件だ。きわめて個別特殊な事情を背景にしてしか起きなかった。観客は「かわいそうに」という感想を持つだけである。まあこんな事件もないことはないとは思うし、それはそれでいいんだけれど。
 しかし同じく、東野の作品『麒麟の翼』は違っている。これは誰もが当事者となる、誰もが巻き込まれるものを引っさげている事件だ。

この作品は、映画/原作ともにA級と思う。 
 『祈りの……』のダメ出しは以上である。

 2 「地の文」
 そんなわけで、映画のテーマは事件の動機にあるのではない。家族または親子に焦点がある。その点に限れば、この「加賀シリーズ」の八作目『新参者』に似ているかも知れない。
 ふたつ印象的だったシーン。どちらも松嶋菜々子がいい。
 本当は偶然ではない、剣道場での出会い。日本橋署の新参者・加賀刑事の姿/佇(たたず)まいを確認出来るこの日を、彼女は待っていた。そして、彼女のそれまでの想像は、確信へと変化する。加賀の背後に父の姿を見たのだ。自分自身を喪(うしな)い、世間から身を隠していたお父さんは、不幸な日ばかりではなかったと、安堵(あんど)の顔を浮かべる松嶋の顔がいい。
 そしてもうひとつ。
「オマエもお父さんと同じ、地獄の苦しみを味わうがいい」
とアップされた松嶋の凄味(すごみ)ある顔。涙が鼻から落ちていく。

 さて、以前、この「加賀シリーズ」の『赤い指』をけちょんけちょんに言った私として、少し付け加えなければならぬ思いでいる。
 『赤い指』の内容に関しては、SPドラマも原作も両方いいのだ。私は「加賀シリーズ」をいくつか読んだだけなのだが、いつも作者・東野の構成にまんまとひっかかり、登場人物に感情移入してしまう。たとえば『新参者』第五章「洋菓子屋の店員」。母親の勘違いと店員の戸惑いはしかし、両者に温かいものを流し続けていた。事件がこのすれ違いを終わらせる。店員は母親の気持ちを素直に受け止める。気がつけば、読むものは涙を落とすのだ。「加賀シリーズ」は、全編こんな人情味にあふれている。
 しかし、いつも気になって、とうとう『赤い指』ではけちょんけちょんに言ってしまったのは、物語の会話でない「地の文」である。

「……文化人やタレントらが、口々に[何やら]語り始めた……そんなことを[好き勝手に]話し合っている」(『麒麟の翼』)

抜き書きの[ ]の部分はいらないと思う。思い入ればかりが目立つ。しかしこれは、被害者家族の言葉と思えば「必要」なのだ。この部分を、もっと客観的な「語り手」に語らせる方がいいかどうか、もちろん東野は考えたはずだ。しかし、私は作者の思い、この部分に関して言えば「無責任な連中」への作者の思いが、露出しているように思っている。そう考えれば、心優しい作者には、この[ ]の部分も必要である。いつも違和感を覚えていた「地の文」に、最近はそう思うようにもしている。東野は福島の原発や震災への思いを、今回も忘れていなかったのだ。

「二十五メートルプールに水は入っておらず、底には[どこからか飛んできた]枯れ葉が溜まっていた」(『同』)

それでもやっぱり[ ]んとこ、いらないかなあとしつこく思う私なのだった。
 それと、原作のここんとこに地図を入れてほしいなあと思うのは、私だけではないでしょうね。その点、テレビや映画は良かった。

     日本橋ではありませんが、下町浅草ってことで。

 ☆後記☆
恩師・藤原先生と、30年を大きく越えて再会しました。
「身体が思うようでなく、その分世の中へのいらだちが募(つの)る」
と言っていた先生ですが、思いのほか元気で良かった。
先だっての台風で、栃木県の「おとなしい思川」が暴れました。思川開発事業に反対してきた先生に、そのことを聞きたかった。
「ダムを造るにあたって、山の木を大きくえぐり取ってね」
それが原因らしい。山の木々は「緑のダム」と言って、水を吸収するのです。
「良かったね、今日は」
と言ったのは、同席した「きたかみ地球温暖化対策協議会」代表で、大学の先輩の佐藤哲朗さんです。先輩は、私があれほどお世話になった藤原先生に、お礼のひとつも告げずに千葉に来てしまったことを覚えていたのです。
お礼を言えて良かった。天ぷら美味しかったです。
 ☆ ☆
先週の話ですが、藤井君やりましたね、史上初だとか中学生五段。私のようにバカな周囲の興奮に振り回されず、偉いなあ。来週はいよいよ羽生さんとの対決。どちらが勝っても、いい勝負になるのでしょう。
あと、ドラマ『99,9』面白いですねえ。

『プレイヤー』  実戦教師塾通信五百六十三号

2017-09-01 11:43:58 | エンターテインメント
 『プレイヤー』
     ~渋谷Bunkamuraにて「宗教」を観る~


 ☆初めに☆
舞台『プレイヤー』を観終わって、すぐこの一節を思い出しました。
「……実験でちゃんとほんとうの考えと、うその考えとを分けてしまえば、その実験の方法さえきまれば、もう信仰も科学と同じようになる」(宮沢賢治『銀河鉄道の夜』)




 1 「まれびと信仰」
 フランケンシュタインやドラキュラにはなくて、雪女や耳なし芳一にあるもの、それは「まれびと信仰」である。

     小泉八雲『雪女』より
少し付け加えておくが、最近の「都市伝説」とやら、この「まれびと信仰」と距離を置いているものが多い。残念である。

 前川知大の作品を、今までずいぶん見せてもらった。特筆すべきことはたくさんあるはずだが、私はいつも何か、ホッとできる感覚で見てきた。それは日本に特有と言われる「まれびと信仰」が、前川の舞台にあるからだ。
 よそからやって来る、そして「まれに」やって来る人たちに、私たちは昔から、恐れ/畏(おそ)れと、承認/歓迎の気持ち両方で迎えた。他界からやってくるものが持つ「不気味さ」よりは、他界の持つ「(霊)力」を、私たちは受け入れるのである。「まれびと」はある時、お月さまから降りてくるお姫様だったり、遠方からの突然の転校生だったりする。私たちは、それを「拒絶より承認」するのだ。
 他人の心臓(だったかな)を移植した患者が、突然、周囲ばかりでなく、本人にも予測不能な行動や言動を起こす(『奇ッ怪 その弐』)。おそらくは、現実界(自分の体)が他界(心臓の持ち主)と接触した結果、起こる。起こったことに驚き、しかし拒絶することをためらい、本人、周囲は悩む。
 前川は、心臓移植を批判しているのではない。そして、自分たちが選択したはずの手術を受け入れられずにいる人々を、蔑(ないがし)ろにしているのでもない。あくまで温かく、あくまで静かに見守っている。私は、今回の舞台『プレイヤー』でもそう思った。
 ちなみに少し、今回の舞台演出を書き留めておく。ひとつ、役者/演者が観客に背を向けて話すことが顕著だったこと。普通、舞台/役者は、客席に向かって開いていて、客席を包むようにする。でも、この舞台は違っていた。今回の舞台演出の要(かなめ)である、「劇中劇」がもたらす効果とともに、思わず演者と一体となり、ある時は前のめりに、ある時は一緒に奥へと歩いて行きそうな感覚を覚えた。

 2 知識と<信>
 さて、『プレイヤー』の話だ。
 本当は単純な話なのに、と刑事は思う。無残な姿の遺体は、どう見ても殺人事件である。それがすべてだ。そこから始めないといけない。しかし事態はそうならない。ガイシャ(被害者)は生きているだの、ガイシャと対話するための「瞑想(めいそう)」だのと、理解不能なことが続く。刑事はいらだちを募(つの)らせ、
「目を覚ましてください」
「一体どうしたんですか」
と、同僚刑事やガイシャの周辺に訴える。


「まれびと」が死者であれば、そしてそれが身近で大切な人であった時、私たちは「生物としての死」と、「人間としての死」がまったく違っていることに、愕然(がくぜん)とする。そして、うろたえる。
「なぜ(死んだ)!」
こんな時「客観的事実=死」は、なんの役にも立たない。
 「信じ(られ)ない」ゆえに、目の前に横たわる、または棺おけに収まっているものを、私たちは中身のない「ナキガラ(亡骸)」と呼んできたし、いまだにこの呼び名を捨てていない。死者は死んでいないからだ。
 さて、死者は「黄泉(よみ)の國」という地面の奥底に流れる泉に行くのだという考えを、柳田國男は承認したがらない。命は、山に暮らす人には空から、海に暮らす人々には、海からやって来る。土葬の歴史は、すこぶる短かったのだ。
 東日本大震災直後、友達や家族の名前を泣き叫ぶ女の子の姿を見ている。彼女は海に向かって叫んでいた。直接的には、津波があったからと言えるのだろうか。彼女たちは海で生まれ、育った。この時、遺体安置所に体があったかどうかも、そんなに問題ではないと思える。彼女は「海」に向かっていた。この詩的(「死的」でも「私的」でもない)葛藤を、私たちは懲(こ)りずに繰り返してきた。
 結ぼう。もっと広く深い場所へと、思想界の巨人が簡潔明瞭に語ってくれている。

「……知識的だということと迷妄(めいもう)だということが同在できるという体験は、自他にたいする不信と絶望をもたらした。また信と妄執(もうしつ)が同在できるというものだという認識は、信に対する不信をもたらした。…………知識が迷妄と同在できるということは、その下限で知識そのものを迷妄と同列におくものだ。…………また知識が迷妄と同在できるということは、その上限で、知識に迷妄・信・不信という心的な系列を解きほぐす浸透力を与えているに違いない」(吉本隆明『信の構造 第三巻』序から)

激しい変化に揉(も)まれる私たちだ。その中に繰り返し立ち現れる「変わらないもの」を、しかと捕らえたいと思うのである。


 ☆後記☆
終演後、楽屋で少しばかり映画『半落ち』(作・横山秀夫)の話になりました。私は迷わず「あの『なか落ち』は……」と言ったのですが、あと数日で51歳の誕生日を迎える教え子は、すかさず、
「先生、違います。それ、『はん落ち』です」
と指摘しました。そうだ、「なか落ち」ではマグロになってしまう。教え子は、優しく諭(さと)すような顔で笑ってて、口の片方だけで笑うなんてことはありませんでした。この日の「演技ではない」教え子の表情に、私はひどく幸福な気分になったのでした。

大阪の皆さん、大阪公演は昨日から今月の5日まで。静岡は同じく9・10日の両日公演です。ぜひ見てください。少し「舞台酔い」するかも知れませんよ。あ、もうチケットないか。

 ☆ ☆
始業式ですね。先生たちも昨日はずいぶんとブルーだったみたいです。子どもたちも大変だ。でも、体育祭が始まる! 嬉しいですね。これからしばらくは、毎日のようにサザンの『ホテル・パシフィック』を聞く私です。

『シン・ゴジラ』  実戦教師塾通信五百九号

2016-08-19 11:32:53 | エンターテインメント
 『シン・ゴジラ』
     ~比喩(ひゆ)としての姿~


 1 『シン・ゴジラ』

「いや、あれは福島原発事故を取り上げた映画のようですよ」
と教え子には珍しく、少し熱の入った調子で言った。私はよく、映画を見もしないであれこれ言ってしまうのだが、そのあとだった。
「夏休みと正月は、誰でも映画を見る」
と、観客動員の良さも一蹴(いっしゅう)したのだが、そう簡単に言いきれるものではない、と言われた気がした。

そうなのかなあと、少しばかり思い返し、少しばかり反省し見に行った。なるほどだった。『エヴァンゲリオン』の庵野秀明によって、新しいゴジラ映画が作られるという話を、だいぶ前に聞き気になっていたことも、確かに思い出した。
 間違いなく、この映画は「福島原発事故」の検証と言えるものだった。このブログのジャンルを「エンターテインメント」とするかどうか、ずいぶん迷った。

 2 福島原発=ゴジラ
 もっとたくさんあったに違いない。しかし、不注意な私でも、福島のあの時を彷彿(ほうふつ)とさせるものは7点見えた。

① ゴジラの確認
 「巨大生物」などというバカなことを言うな、あり得ない話だ等々。しかし、官邸の議論はちっとも要領を得ない。
「理論的に、この生物が二本足で立ち上がることはあり得ない」
という学者のお墨付きも登場する。
 事実を明瞭にを示したのは「テレビ」だった。情報が錯綜(さくそう)する中、もう限界だとでも言うように、首相が言う。テレビをつけろ! すると、そこに「あり得ないはず」の映像が写される。官邸に送られる情報よりテレビの方が早かった。あの原発建屋が水素爆発したのを、官邸はもちろんのこと、人々/我々は「テレビ」で見た。これは、原子力安全委員の斑目委員長が「爆発はあり得ない」ことを、首相菅直人に伝えた直後に起こったことを思い起こさせる。あの時の衝撃だ。

② 逃げ後(おく)れる人たち
 ゴジラがすぐそこまで来ている。でも何せ、情報/指示が後手後手になっているので、人々は逃げ惑(まど)い、次々とゴジラの惨禍(さんか)に会う。あの時もそうだった。放射能が拡散したあとに、避難が始まったのだ。防護服を着た隊員たちが普段着の住民を誘導するという、信じられない光景も「再現」されている。

③ 避難
「5キロ圏外の人は、屋内で退避してください」
という防災無線&広報車を無視して避難をする人たち。あの時もそうだった。当たり前だ。でも東北の人たちは、大渋滞に耐え、パニックを起こすこともしなかった。
 また今度事故が起きても、みんな真っ先に逃げるはずだ。「誰にもどうすることも出来なかった」ことを、そして安全/確実な避難経路は未(いま)だ確保されていないということが、私たちの中で生きているからだ。

④ ゴジラの急旋回
 おそらく、原子雲(プルーム)が北西に向きを変え、原発から20~30キロを越えて、浪江町や飯館村を襲ったことを言ってる。ゴジラ/原発事故は、非情で無慈悲だ。人を人とも思わない、無表情な姿だ。

⑤ データのアメリカへの提出
 「SPEEDI(放射能影響予測)」のデータを、日本に渡さず、文科省から外務省へとわたり、米軍に渡したというものだろう。この時の、
「それを明らかにしたら、福島のみならず、首都圏や日本中がパニックとなる」
という閣僚の発言はリアルだ。ホントなんだから。あくまでも映画で「明らかにした」ことだが、官邸の議論は鬼気せまっている。あの時のことを未だに、
「SPEEDIはあくまで予測データだから、それをもとに避難指示を出すのはいかがなものか」
などと言葉を濁すにとどまっている。今度ことが起きたら、ホントにどうするつもりなのか。そして、私たちはどうするのだろう。

⑥ 偵察のために送られた機械
 映画では、無人戦闘機/探索機がみんなゴジラに壊(こわ)される。確かに、原発事故のあとも、建屋内部を見るため派遣されたロボットは、ことごとく壊れたり役に立たなかった。

⑦ 首都東京にたたずみ続けるゴジラ
 そして、ラストシーンだ。ゴジラは凝固剤で「収まった」。凝固剤を注入したのは、福島で放水のために使われた、あの「キリン」である。そして、ゴジラの固まった姿は、東京のど真ん中で威容を誇ったままだ。
「どう処理したらいいか」
分からないまま、
「いつまた活動し始めるか分からない」
のである。現実に起こったのは福島である。第一原発は、いまも白煙と汚染水を吐き出しながら「完全にコントロール下にある」。銀座/日本橋をも圧倒するゴジラの固まった姿は、これが福島でなく、東京だったらどうだったのか、という問いかけにも思えて来る。

 ゴジラに総攻撃を仕掛ける前、高速道路は上り線も下り線として開放された。すべての道路が下りという、本当は絶望のシーン。では現場に向かう緊急車両の道はどうなってたんだろう。福島のときは、上下線が分かれていた。原発に向かう側の道路を、自衛隊や緊急車両が走った。
 怖い映画だった。本当に起こったことなのだ。そして、また起こるかもしれないのである。行政・閣僚の責任の押し付けあいや、銃火器使用や家屋の取り壊しの、法的な扱いをめぐるやりとりもリアルだ。難を言えば、政治家の、自分の席にしがみつく姿勢や、大事な女優の演技がひどく安っぽかった。みんな疲弊(ひへい)し切っているはずなのに、血色がいいこと等。ダメを出せばあるにはある。しかし、それらが細かいことだと思わせる、近未来の、十分に起こり得る恐ろしい映画だ。お勧(すす)めだが、福島の双葉/相馬郡の人たちには、とても見られない映画だろう。「忘れたくても忘れられない」ことなのだ。しかし、私たちには「忘れてはいけないこと」だ。
 繰り返すが、映画上でも現実でも、ゴジラは「終わってない」。
 教え子に感謝である。


 ☆☆
イチローの記念Tシャツもらっちゃいました。

インタビューで、
「え、達成感って感じてしまうと前に進めないんですか。そこがそもそも僕には疑問ですけど……」
というイチローの答がすごくさわやかでした。体操の内村君が、団体優勝でのインタビューで、次に控えた個人総合への気持ちを聞かれましたよね。
「今は何も考えてません」
という内村君の答が、イチローの言葉に重なりました。
今の私たちに欠けているものを、この超一流アスリートたちが、教えてくれている気がします。

 ☆☆
金曜の8時から、7チャンでやってる『ヤッさん~築地発!美味しい事件簿』見てますか。面白いですね~。思えば『美味しんぼ』も、第20巻まではあんな面白さ/リアルさを持っていました。「ご馳走になる」とか「もてなす」とか、それは深いところに根ざしているんですよね~ 

夏休み(上)  実戦教師塾通信五百五号

2016-07-22 10:59:27 | エンターテインメント
 夏休み(上)
    ~トキワ荘/漫画~


 1 「劇画」時代の幕開け

 今年は当たり前だが、夏休み気分がいつもより蘇(よみがえ)り、ウハウハである。このブログも「夏休み」のタイトルで、何回か書くことにした。初めは、2020年の東京オリンピックを見据(す)えて完成を目指す「トキワ荘」周辺のこと。
 この7日に豊島区が、漫画の殿堂「トキワ荘」を再建すると発表。跡地に残されたミニチュアだけでは、ファンも世間も我慢がならなかった、ということだろう。一間四畳半の部屋で仕切られた建物が、ついに復元の運びとなった。
 50年ほど前、漫画はストーリー性の高い「劇画」と呼ばれるジャンルが公認され、水を得た魚のように活躍していた。雑誌は、白戸三平を中心とする『ガロ』、手塚治虫の『COM』が代表格だった。どちらも月間である。
 さて、物持ちのいい私である。漫画専用の本棚に、「トキワ荘」を描いたものがあったはず、それも結構な数であったはずだと思って探すと、出て来る出て来る。これって結構、貴重な資料じゃないかと、私は勝手な自己満足にひたったのだった。

 2 「昭和」の暮らし

これは1970年の『COM』10月号に掲載された、トキワ荘「住人」による座談会の扉。そうそうたるメンバーの中に、住人であるはずの手塚治虫がいない。この頃手塚は、すでに高い収入を得、立派な家に引っ越しているためである。そして「藤子不二雄」が見当たらない、という読者はいるだろうか。安孫子素雄&藤本弘が、その人である。一応念のため。
 当時、雑誌『COM』では、『トキワ荘物語』が、「住人」の手によってリレー形式で連載されていた。アパートの部屋割りやそこで暮らす住民が、詳細(しょうさい)に書かれている。


上が鈴木伸一のもので、下は、座談会にあった手塚治虫の手によるもの。
 パソコンの画面だったら、住人や建物の様子が鮮明なはずだ。「住人」たちの漫画によれば、「トキワ荘」は東西に面していて、部屋割りの左が西側である。大体の部屋に見える丸いものだが、これは火鉢。当時の唯一の暖房器具だ。入り口の戸は木製の引き戸で、上半分ほどがすりガラスになっている。当時よくあった方式で、安全と明るさを考えたものだ。まだ漫画では食べられなかった多くの「住人」は、あるものは牛乳配達、あるものはデザインスタジオでの下働きをしていた。
 左上(北側)にかろうじて見えるトイレは、もちろん「くみ取り(ボッタン)」。そこで「編集者が用を足している」とあるが、首の高さぐらいのところに窓がある。そこに隣の家の屋根がのぞいているのである(みんな二階に住んでいた)。誰もが昭和の時代に、そんな窓から外を見て用を足した。ここから冬支度(ふゆじたく)を急ぐ木々や、まだきれいだった空の星を見た。
 トイレの隣が調理場である。洗濯する場所でもあった。当たり前だが、みんな手洗いである。この鈴木伸一の絵によれば、「レポート」は1955年のもの。終戦からわずか10年だ。ガス台の下にそれぞれの洗濯用「おけ」がある。座談会には、赤塚不二夫のお母さんが、みんなの面倒をよく見て、洗濯や味噌汁作りを欠かさなかったとある。

 3 石森章太郎

連載も終わりに近い頃、石森章太郎が担当した『トキワ荘物語』。石森がよく使う「吹き出し/キャプション」なしの物語だった。石森が引っ越して来たときの絵がこの扉であり、最後のコマはこうだ。

 この石森が担当し、不定期に書いていた「章太郎のまんがSHO辞典」がある。これが蘊蓄(うんちく)に富んでいる。

■採用
してもらうためにはどんな努力が必要か、ということになる。商売でなければおのずと違ってくるから誤解のないように……。まず--
■材料-を
■サービス(奉仕)
精神という調味料を加えて料理することだろう。同人誌、あるいはエリートのための専門誌なら、材料のままで提出し、料理には読者も参加させるということも可能だろうが、商業誌ではそうはいかないのである。読みたきゃ読むがいいという制作態度と、読んでいただくという制作態度には大きな差があることは説明の要はあるまい。そしてこの差はものをつくる者、作家にとっては、苦痛になることがあり、その差を縮めようとする努力が必要になってくるのである。努力とは苦痛なのである。


 有名になりたかったというより、ひたすら漫画を描きたいという、トキワ荘「住人」の気持ちが、座談や画風にあふれている。シラミや蚤(のみ)に悩まされた四畳半の部屋は、しかし外に大きく開かれていた。


 ☆☆
座談会の中で、一瞬だけ出てきた名前。「つげ義春」。ならば、現代マンガの金字塔『ねじ式』を出さないわけには行きません。まだ読んでない方、必見ですよ。衝撃、そして不可解。この世界を見ないとは損ですよ。


 ☆☆
20日は終業式でした。いいなあ。体育館での校歌は、こだまのように響いてました。
「明日から子どもたちがいないと思うと、さみしくて……」
という担任の先生の表情も、一学期の様々な出来事を語ってて、あ~夏休み~です。

もうすっかり緑の穂を伸ばした、手賀沼入り口の田んぼです。
それにしても寒いですね~

 ☆☆
米大統領選挙、そして都知事の選挙もさることながら、鹿児島の知事、動き出しましたよ。私たちに出来ることはあるのだ、と言われているような気になりますね。注目しましょう。

『グッドバイ』  実戦教師塾通信四百六十三号

2015-10-02 12:59:15 | エンターテインメント
 『グッドバイ』
     ~追悼(ついとう)・太宰治~



 ☆☆
千葉県の読者は新聞でご存じかも知れません。館山いじめ自殺事件を検証する、第三者委員会がスタートします。このブログの熱心な読者だったら分かることですが、おさらいします。
市長選を二カ月後に控えた昨年の9月、なぜかそれまでの態度を一変させた金丸市長は、第三者委員会設置を宣言。その後、実に二千票たらずの僅差(きんさ)で金丸氏は再選されます。自民公明推薦の金丸氏に対する渡辺氏は無所属で、加えて、この館山事件への誠意ある対応を、指針として掲(かか)げていました。市長が、この問題に突然てこ入れを始めたのは、下心があったからではないか、と思う人たちが多いのも当然です。
遺族は、遺族側から3名の調査委員を推薦しようと考えていました。市側も、当初は遺族の意向をくむ姿勢を見せていました。しかしほどなく、6名すべての委員を「(指定する)団体の推薦による人物に」と態度を変えます。しかしその時は、遺族が考える候補者から、すでに内諾(ないだく)までもらっていたのです。こういう経過をたどって、9カ月に及ぶ停滞が生じました。遺族の、
「これ以上時間を延ばすわけにはいかない」
というのは、苦渋(くじゅう)の決断なのです。

 ☆☆
三重でまた悲惨な事件が起こりました。
「生きてる価値がない」(1日朝日新聞)とは、女子生徒が教員に話していたことだといいます。これでまた、
「今の子は『生きる力』がない」
という言葉が、現場で繰り返されます。また、文化人なる連中が、
「いや、君たち若者は『生きてるだけで価値がある』んだ」
というメッセージを出さないかと、うんざりしています。


 1 「二度目」の太宰治
            
                世田谷パブリックシアター
 この日、太宰治の『グッドバイ』東京公演は千秋楽だった。終演後、楽屋はもう片づけが始まっている慌(あわ)ただしさだった。しかし、仲村トオルが椅子を勧めてくれるもので、図々しく長話をしてしまった。私はまず、

「面白かったよ~」
と言い、続けて、
「太宰の作品を演じるのは、これが二回目だって分かってる?」

と聞いた。主役は、え? と怪訝(けげん)そうな顔をして、
「そんなはずはないですが……」
そのぐらい私の顔が確信に満ちていたからだろう。そう言うまで、やや間があった。

 2 太宰の追悼
 この舞台を、少しでも太宰を知っている読者、熱狂的なファン、そして太宰が見たら、なんと言っただろう。私もファンを自称する自信はないが、太宰を好きだ。だから、このケラリーノ・サンドロヴィッチ脚本・演出の『グッドバイ』を見れば、評価は大きく別れることぐらい分かる。
 二部構成の前半は、原作に忠実だ。数々の女と手を切って、落ち着いた家庭を築(きず)こうという、どう考えても、主人公の柄(がら)にもない計画と、その後のドタバタである。私の太宰の記憶がよみがえり、そして太宰への思いが検証されるのだった。舞台で繰り広げられる演技の中で、私の平面だったイメージは、みるみる3Dと化するのが分かった。

「そうだったね。太宰は不真面目をとびっきりに真面目に生きたんだっけね」

そう私は主役に言った。私は太宰の、

「日本は無条件降伏をした。私はただ恥ずかしかった」(『苦悩の年鑑』)
「自殺して『そのくらいのことだったら……耳打ちしてくれたら』といふ、あの、残念……そのちょつとの耳打ちの言葉。このごろの私の言葉、すべてそのつもりなのでございます」(井伏鱒二への手紙)

などという言葉に触れて、「真面目さ」を肥大化させて来たのかも知れない。

 とびっきりの美人で、大食漢のかつぎ屋・キヌ子を、「私の妻だ」と騙(かた)り、愛人たちと別れようという主人公・田島の計画で、物語は始まる。仕事がらか、もともとの素養か、高級な装いとたたずまいを施(ほどこ)しても、キヌ子のカラスのような声としぐさには野性味がありすぎる。
「オマエは絶対にしゃべるな。笑ってうなずくだけでいい」
と、田島はキヌ子にきつく言う。この設定からして、絶対にうまくいくはずがない。というか、太宰の持ち味「悲劇/喜劇の終点へまっしぐら目指す」時の笑いが、ここにも発生しているように思える。
            
 さて、問題の後半である。ご存じの通り、この作品を書き終える前、太宰は自殺している。三度目の正直ならぬ、六度目でようやく死に至っている。
「私は、もう、とうから死んでいるのに、おまえたちは、気がつかないのだ」(『鴎(かもめ)』より)
という太宰だった。何通かの遺書と、この『グッドバイ』の草稿が自宅に残されていた。最近の研究では、山崎富栄から迫られた無理心中、というのが濃厚だという。そうなのだろうか。
 「太宰にあまり興味はない」という、この舞台責任者のケラリーノ・サンドロヴィッチの作った後半は、当然だが、原作になかった。思いもかけないラストとは、全員が、つまり、田島も本妻も、愛人たちもキヌ子も全員、幸福となる。ハッピーのオンパレードである。こういう作品が太宰にあるとすれば、『走れメロス』だろうか。しかし、メロスはもともとが「正義の士」である。まあ、これが笑っちゃうんだが。まあとにかく、こんなラストはない。
            
 太宰をまったく知らない人たち(がいるとして、だが)は、きっと、
「太宰っていいな」
と思っただろう。そして、私たち太宰を多少は知るものたちは、きっと思ったはずだ。

「これからきっと、また新しい地獄が始まる」
そして、
「やっぱり太宰は真面目だ!」
と言う。あるいは、
「やっぱり太宰は不真面目だ!」
と思ったに違いない。

 3 「裸川」
 この主役が小学校の5年生の時、両親参観日(今は保護者参観日という)に、劇をやった。それが太宰の『裸川』(『お伽草紙』より)である。この話、

「鎌倉山の秋の夕ぐれをいそぎ、青砥左衛門尉藤綱(あおとさえもんのじょうふじつな)、駒をあゆませて滑川(なめりがわ)を渡り、川の真中において、いささかの用の事ありて腰の火打ち袋を取り出し、袋の中をあけたとたんに袋の中の銭十文ばかり、ちゃぼりと川浪(かわなみ)にこぼれ落ちた」

に始まる。川に沈んだお金をめぐる、滑稽(こっけい)かつ大まじめな話は、もちろん完結している。しかし、私は前半だけを子どもたちに印刷(もちろん子ども向けの文体)。後半を子どもたちに考えさせた。それを演じたのである。
 この時の脚本は、新潮文庫を土台にしたもので、当時は当たり前のガリ版で作った。裏表紙にある新潮売りの「ぶどう」マークも写(うつ)した力作だったのだが、どこを探しても出て来ない。この時撮った写真も、どうやら外に出してしまったらしい。ここに掲載出来ないのが残念である。
 これが仲村トオル最初の太宰の舞台である。この時仲村クンは、主役の青砥をやっている。人夫たちが冷たい川にもぐって銭(かね)を探すのだが、ちっとも成果は見えない。とうとう音を上げた人夫たちから、
「言い出したのは青砥様ですよ。なんとかしてください」
と言われて、困りきるのである。不思議なものだ。この日の田島と同じ顔なのである。こんなことを言って、そんな子どものままなのか、などと気を悪くされると困る。単に、変わらぬ人柄をかいま見た、そして幸せな気分になっただけである。

 楽屋で最後に、先生、と言って出した大きい両手の温(ぬく)もりに、あ、この教え子はみんな分かってくれてる、そうかオレも頑張るぞ、と思ったのは、帰りの電車がもう柏に近づいた頃だった。


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この間の井の頭公園の話です。時が止まったような喫茶店のマスターが、
「太宰が死んだ頃の玉川上水は流れがはやくてね」
と話してくれたのを思い出しました。どうでもいい付け足しですが、太宰が亡くなって半年ばかりして、私が生まれたんです。
ついでですが、吉本隆明が太宰に会った時、
「男の甲斐性(かいしょう)は優しさだよ。キミ、だからその無精ひげを剃れよ」
と、吉本さんが言われたことを思い出しました。

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この「☆」のコーナーでホッと出来る、という読者が結構いるんです。すみません、真面目なもんで。なので、ニュースや情報関係は、頭の「☆」の部分で書くことにしました。よろしくです。

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私たちにはゆかりのある写真家、福島菊次郎氏が先月24日に亡くなりました。いつも私たちのそばでカメラを抱えて共にありました。合掌。