NATO
~ウクライナ侵攻・補(2)~
☆初めに☆
三日間の砲撃は「悲劇」だが一年間を越える砲撃は「日常」だ、と言われるような感覚が、私たちにも忍び寄っている気がしています。何とか出来ないかという気持ちが次第に希薄になり、注意力が散漫になる。その結果、送られてくる映像も「すでに見た」「見慣れた」ものとなる。ゼレンスキーの「日本の皆さんは、ふるさとに戻りたいという気持ちが分かると思う」という二日前の演説が届けているものを、しっかり受け止めなければなりません。
こんな時、私たちに出来ることはちっぽけなものです。でも、事態を見誤ることのないように、歴史の罠にはまらないように、やっておけることはある気がします。戦争は善悪を越える怖いものだという認識は、やはり忘れてはなりません。今回は、NATOが何をして来たか、いまどんなことを考えているのか、というレポートになります。
1 「パンドラの箱」
1989年~1991年のソ連(現ロシア)崩壊は、ソ連・ワルシャワ条約機構下の東欧諸国にドミノ倒しを起こす。ソ連とたもとを分かった国々が、それまで敵対していたNATOに加盟する。また、東西に分かれていたドイツの東側が、西ドイツに併合する。このことを欧米の策略だと、プーチンが言っている。この発言の意味することは、ソ連(私に言わせれば「帝政ロシア」だ。国旗も当時のものが復活した)へのノスタルジー、そして復権である。この欧米NATOの東欧への拡張に関しては、ゴルバチョフも怒りをこめて抗議する。「書面にはしなかったけれど、約束した」とウクライナ問題の、このさなかでも言っている。我々が弱っている中での出来事だ、まるで火事場泥棒じゃないか、と言っているわけである。これが表面で展開されていることだ。
人類は様々な「パンドラの箱」を開いてきた。遠いところでギリシャ神話、近いところで戦後や中東、バルカンで発生した。「パンドラの箱」が解き放ったのは、自由や平等を求めた動きばかりではなかった。強権で抑え込まれていたのは、民族や文化、宗教の違いもあった。それらがくくりを解かれて一気に噴き出す。分かりやすい例で言うと、イラク戦争でフセイン政権が倒れた時だ。人権ばかりではない、利権や各宗派が部族間で入り乱れた。「アラブの春」は一瞬だけ希望をともした。しかし独立や自立が、簡単に進むものではなかった。米軍もまったく介入不能だった事がそれを示している。
2 不可欠だった不均衡
ウクライナと袖を接するバルカン半島はソ連解体後、この「パンドラの箱」の複雑な様相を見せた。戦後、社会主義体制のもとで連邦国家となったボスニアは多民族国家だ。人々の見た目も言語も全く同じだが、セルビア人とクロアチア人、そして「ムスリム人」(イスラム教を基盤とした民族)三つの民族で構成される。地図で分かる通り、ボスニアにはセルビアとクロアチアが隣接している。ソ連解体前、これらの国々は社会主義体制の連邦国家・ユーゴスラビア(南スラブ国)として、共存していた。
『サラエボ旅行案内』より
これらの国々が、ソ連の解体とともに独立を始める。クロアチアの独立に伴い始まった内戦に、ボスニアは動揺した。れっきとしたクロアチア人、そしてセルビア人が、ボスニアには居るからだ。ボスニア国内でクロアチア人・セルビア人・そしてムスリム人の対立を避けるためには、この三者の合意がなされるまで連邦制の維持を続けることが必要だった。しかし欧州共同体(EC)は、合意を待たずポスニアの独立を宣言してしまう。1992年のことだ。セルビア人もクロアチア人も、それぞれの土地と利権を拡げるため本国に支援を求め、ムスリム人は国外に支援を求める。ここで、2年半にわたる20万人の死者を出すボスニア内戦が始まる。1984年開かれた冬季オリンピックの会場となったサラエボを、40代以上の人間なら覚えているはずだ。サラエボは美しい山々に囲まれた、歴史的景観があふれた街だった。それが無残に破壊される。
ここにNATOが登場する。「停戦のため」の空爆を、NATO軍は行うのである。ボスニアの独立という、戦争のきっかけを作った欧州が「責任をとる」というわけだ。平和協定は、やっと1995年に「仮調印」される。そして現在、ボスニアには5人の大統領がいる。国家連合となったボスニアでは橋を歩いて隣の国まで、マックを買いに行くことが日常となっている。
ゼレンスキーが積極的介入を求めるが、NATO軍は今回、動こうとしない。プーチンの「第三次世界大戦」「核も辞さない」威嚇(いかく)におじけづいたこともあろう。しかし第二次世界大戦、ドイツとロシアが東欧を自分たちの「国境」とし、両方から挟み込んだ凄惨な戦争を展開したのである。その歴史が、現在も影を落としていることを押さえておきたい。(続)
☆後記☆
昨日から福島にいます。暮れに新刊を届けるため一瞬だけ訪れたのを除けば、半年ぶりとなります。しっかりと根付いた空気に触れて、落ち着こうと思います。写真は二枚とも千葉県・柏です。
これは近くの小学校。一本だけ桜が満開でした。下の写真は、増尾の城址公園。桜は全く咲いてませんでしたが、菜の花が咲き誇ってました。
先週のこども食堂の報告は、次号でしたいと思います。充実した楽しい「うさぎとカメ」でした