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実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

2022・師走(下) 実戦教師塾通信八百四十号

2022-12-23 11:25:33 | 戦後/昭和

2022・師走(下)

 ~50年前のもの~

 

 ☆初めに☆

今年、日本での最大級な出来事と言えば、安倍首相の暗殺でしょう。あの時、「言論・民主主義の危機だ!」「2、26事件の再来だ!」なんぞと青ざめうろたえた、どっしようもない連中って、どんな奴らだったのかチェックしておくべきでしたね。メディアも大いに反省して、無能な「知識人」や無駄な記事を排しないといけません。「思想の巨人」・吉本隆明のお墓参りをしてから、4か月後の出来事でした。精神科医の中井久夫が亡くなったのが、安倍事件の一か月後です。骨太の思想家や人物が、次々となくなります(安倍首相は違います)。さみしいことです。

 

 ☆映画☆

香港の闘いを描いた映画『Blue Island 憂鬱之島』は、ぼんやりしている間に見逃してしまいました。香港と協力してこの映画を作ったのが日本。配給は京都・太秦という、どうして見なかったのかなあと後悔しきりです。

今年の収穫は春にレポートした、ウクライナ戦争の『ドンバス』。そしてもうひとつが『ベルファスト』です。北アイルランド紛争をテーマにしたものです。カソリックとプロテスタントの宗教戦争として、アイルランドはベルファストを中心に、1960年代後半から10年の間、凄惨な戦いが繰り広げられました。私の学校で勤務していたアイルランド出身の講師・バリーが、この紛争を祈念するセレモニーや碑の写真を見せてくれたことを思い出します。

モノクロ映画なのです。大昔の映画と思いきや、チラシにある通り今年のものです。これがなぜ注目を浴びたかというのは、賢明な読者にはお分かりでしょう。すでに過去の人となったイギリスのジョンソン首相がEUからの離脱を公約通り実行したことで、積年の北アイルランド問題が再び頭をもたげたからです。今年を振り返るに当たっては絶好のものです。すでにご存じの方も多いと思いますが、イギリス帝国の歴史を俯瞰します。

300年以上前の、国王による専制と議会政治の対立がこの問題の発端です。当時ヨーロッパで勢いを得ていたプロテスタントは、自由経済を積極的に推進するものでした。これが専制政治を追放するバックグラウンドになり、国王派はカソリックを主流とするアイルランドに逃亡。ここに追討というより、イギリスは「侵出」します。よその土地なんだから、これは国王派もイギリスも「侵出」したとするのが正しい。初めに入植したのが北アイルランドでした。北アイルランドとアイルランドが、今も別な国のような呼び方がされますが、その始まりです。この後イギリスはアイルランドの独立を容認しますが、参政権や関税の問題など、アイルランドはあくまでイギリスに従属的でした。不満がくすぶる国内は不安定なまま、ついに1969年、イギリス統一派とアイルランド独立派双方の「過激派」がぶつかる。それがアイルランド紛争です。国王対議会、そしてプロテスタント対カソリックという歴史的「国境問題」が、「ミニトランプ」・ジョンソンのブレグジット(EU撤退)で再燃しないはずがない。イギリスに不満を積もらせていたアイルランドがEU残留を選ぶのは、当然のことなのです。映画では、近隣住民のコミュニティや結婚など、すべて平和で幸せだった生活が突然激しい戦禍にさらされ、新たな「国境」の登場する様子が描かれます。

「宗教ってのは怖いよな。信仰の違いで人殺しやってんだもんな」

50年以上も前に、私を逮捕した刑事が、取り調べ室で雑談の時に言っていた言葉を思い出します。

 ☆テレビ☆

ドラマは殆ど見ませんでした。楽しみにしていたのは、東京系『記憶捜査~新宿東署事件ファイル~』だけ。毎週楽しみでした。唯一、1968年の米軍燃料タンク輸送阻止・新宿ベトナム反戦闘争を取り上げた最終回はムカつきましたがね。私たちは、例えば「鬼の4機(第4機動隊)」と呼んだ、口に警棒を突っ込んで歯やのどを破壊しつくす等の、容赦ない機動隊を恐れたことはありました。しかし、その中のひとりを恨むような余裕はなかった。というか、鎧のようなヘルメットやマスクで顔が見えないし、大体が袋叩きなので個人的に復讐を誓うなど出来ない相談だった。ということです。でも、ドラマは温かった。被害者・加害者を温かく包む、鬼塚警部(北大路欣也)がいいのです。

一回切りしか見なかったドラマもありましたが、大体が見る気を起こさせなかった。後悔してるのは、フジの『エルピス』。冤罪事件を扱うのは、かなりデリケートな神経が必要です。無理がたたるに決まってると思って見なかったのですが、足利事件の犯人とされた菅谷さんが監修したというのを知りました。残念ながらドラマはその時、既に大半を終えてました。ことのついでに、とは不謹慎ですが、2005年に女の子が殺された「今市事件」は、実にいい加減で許されない裁判が進められています。ひとつに女の子を縛るのに使ったテープから、容疑者のDNAは検出されず別なものが見つかっていたこと。もうひとつは、当初、犯行時刻と場所が極めて狭く断定されたものだったのが、検察側の訴因変更によって両方ともに大きく拡げられたこと、つまり良く分からないものになったこと。物証が全くない警察が決め手としたのは、容疑者の自供しかありませんでした。大体がこの事件は、近隣住民の「あいつに決まってる」という噂と早く解決しろという声に、警察が拙速な対応をしたようにしか見えません。今後に目が離せません。

 

 ☆後記☆

なんか字数がかさんでしまいました。本当はテレビ、ヒロシのこと等まだあるんです。福島のことも東京のこともまだ色々あるので、次回の「補」で書きます。

先週の子ども食堂「うさぎとカメ」で~す。公園で初めての開催です。ただ今準備中。曇天の寒空だったのですが、子どもは風の子でした 手前には行列が出来てますが、紹介できないのが残念です。

ドミノピザさん、ありがとう 右側には私たちからの年越しカップ麺と御餅、見えますか

この後、プロの方のご好意で「飾り寿司」が届きます。写真を撮れずにすみません。「カワイイ!」「サンタクロースだ!」の子どもたちの歓声が上がります。今回の飾り寿司の絵柄は「サンタさん」なんです

「これは何をしているんですか?」という意外な声がかかりました。通りかかった人たちが聞いて来るのです。外に開かれた公園の力ですねえ

今年も岡山の友人から、大きい美味しい牡蠣が届きました。暮れは、みんなが楽しみな季節でもあるのです

そして、今日は終業式! 明日から冬休みです MerryXmas!


専制国家・下 実戦教師塾通信八百二十三号

2022-08-26 11:41:24 | 戦後/昭和

専制国家・下

 ~ウクライナ侵攻・補(10)~

 

 ☆初めに☆

東日本大震災があった、12年前に書いたことです。震災直後、福島入りして状況のひどさに圧倒され、写真撮影など思いつきもしませんでした。それが、若者たちの「帰ってみんなに報告したい」と言っては、バシャバシャ撮る姿に触発され、私も記録するようになった。

二日前の新聞です。キーウ(キエフ)市郊外の崩れたアパートをバックに、市の中心部に住む人たちが笑顔で写真を撮る場面に遭遇して不愉快な思いをしたという記事です。確かに、そんなこともあるのだろうと思いました。私に言わせれば、そんな取り上げ方をしてまで「長引く戦争 見通せぬ復興」という見出しを強調したいのか、という思いを強くしました。福島の海岸に来ていた若者たちは、「ここを写真に収めていいですか」と、住民の方たちに断っていた。キエフでも近くに住民が居たら、多くの人たちはそうしていたのではないでしょうか。ウクライナの人々の悲しみや苦しみに私たち周囲が慣れてしまわないように、というメディアの気遣いなのでしょう。

今回の記事、前回のものを読んでないと分かりません。読んでない方は、そちらを読んで下さるようお願いします。

 

 1 溢れるマフィア

 国家というタガが外れたソ連(現ロシア)で、一体どんなことが起こっていたのか。前回取り上げた「専制国家」なるコネと賄賂が横行する在り方は、広大な「闇市場」を闊歩・蔓延させた。国家-地方を貫通する公的な「闇市場」を一方におけば、他方には、良質のサービスや商品をあっせんする「良心的?マフィア」がいる。エレベーターを始めとする大型機械から、靴やハサミなどの小物製品に至るまで、ソ連の製品が名うての劣悪ぞろいであることはご存じと思う。少しばかり出費がかさんでも、いいものを手にしたいと多くの人々が思う。瀬戸内海の起伏に富んだ危険な海域を案内する「海賊」が、通行料金を取りたてた例と似ていなくもない。この「良心的マフィア」は小物ばかりではない、麻薬や売春をあっせんし、闇ルートの恩恵を受け組織を拡げていたことも間違いない。

 官民入り乱れたマフィア世界は、どんなものだったのだろう。ルーブルで買えるものが店頭から消えていく中、1986年(以下、頭の「19」は略して表記)に5ルーブルで買えた豚肉が、91年には50ルーブルとなった。この時、ソ連軍の戦闘機パイロットは、月給600ルーブルだ。彼らに劣悪な宿舎しか用意しないことで、潜水艇や軍用車に寝泊まりすることを当て込んだとは、軍事評論家・江畑謙介の言うところだ。人々はどうやってこの状況に対処したのだろう。まず、警察・官僚どもは、取り締まりや許認可という手続きの中で金をふんだくることが出来る。農家と工場労働者は契約を結んだ。生産物の互換(物々交換)が始まる。91年に収穫された農産物の75%は市場に出なかった。では、物々交換出来るようなものを持ち合わせず、賄賂を請求できるような民衆との接触もない軍人はどうしたか。ゴルバチョフの後を継ぎ、ソ連からロシアに変わり(戻り?)初代大統領となったボリス・エリツィンが真っ先に出した大統領令が「急進的な経済改革による完全な資本主義化」だった。闇市場は、すべての境界線を越え始める。戦車や戦闘機、ミサイルを売る? どこに? 笑い話ではすまない話が現実化する。マフィアによる核兵器売却という、信じられない話が流れたことを、私たちは覚えている。

 

 2 「健在な」ソ連(ロシア)軍用「製品」

 90年代のロシア政変以降、とりわけ東欧(東ヨーロッパ)で、ソ連(ロシア)圏からの脱退が、ドミノ倒しのように続く。北側から順に言えば、バルト三国(エストニア・ラトビア・リトアニア)独立、東西ドイツ統一(東独の西独への吸収)、ウクライナ独立。グルジア(ジョージア)独立宣言。などが、91年までの主な動きだ。

地図には表示されていないが、グルジアの北側にあるチェチェンも独立宣言する。また、独立ではないが、ポーランドでは非共産勢力の内閣が誕生。ルーマニア、ブルガリア、チェコスロバキア(当時)では自由選挙が実施された。これらはすべて、ソビエト連邦内かワルシャワ条約機構下の国々である。この当時ソ連が、国としての体裁を持たなかったとは言うものの、先だって「NATOには加盟しないという約束だったはずだ」と怒るゴルビーおじさん(ゴルバチョフ)の叫びは、そこから来ている。

 さて、いまはその話題ではない。これらの国々からソ連が撤収する時、あるいはソ連から自由になる時、もともとはソ連のものだった兵器、またはソ連から支援を受けた兵器はどうなっただろう。私たちも知っているのは、ウクライナの核兵器だ。これはロシア(ソ連)に返却される。本当はそんなに簡単なものではなかった。ウクライナに残った核兵器は、アメリカ、ソ連に次いで、世界第三位に匹敵する数だった。それを手放すにあたっては、独立派内でも「もったいない」という意見はあったし、独立反対派にあっては、まだ「ここはソ連」なのだった。結局、戦術核兵器に限定した合意に達するまで、ずい分と紆余曲折があった。

 そして本題は、一般重火器・その他の軍備品はどうなったのか、である。賢明な読者はお気づきと思う。新しい例で言えば、内戦によって解体したリビアが世界中に兵器を拡散させたのは2011年だ。ソ連(現ロシア)のカオスは、専制国家の時代から始まっている。ソ連崩壊でさらに広大となった闇市場と、自由に暗躍するマフィアが「新たなビジネス」に目を付けないはずがない。ブログの「NATO」で少し触れたが、ソ連崩壊後のボスニア内戦(92~95年)の時、セルビア人・クロアチア人・ムスリム人がそれぞれ「本国」に支援を呼びかけた。しかしこの時、支援兵器は一体どこからどのように調達したというのだろう。92年、大量のソ連(ロシア)製の迫撃砲・バズーカ砲・対戦車砲・自走高射砲・戦車が、ボスニア内戦のバルカン半島方面で行方不明になっている。それをやったのが、すでに形を成さなくなった政府なのか軍のマフィアなのかは、どっちでもいい気がする。

 ブーチンが抱える「カオスと闇」は、想像以上に巨大なのだろう。

 

 ☆後記☆

先週の「うさぎとカメ」、楽しかったですよ~。子どもだけでやって来るケースも、ずい分多くなったと思うこの頃です。慎重に言葉を選びながら近づいています。固めに炊けたご飯は、ピラフに丁度良かったみたいです そうめんの冷や汁も好評。でも、氷までは要らなかったかなぁ

写真にいいのがなくて。楽しそうな会食風景を撮れないのが、かえすがえすも残念です。

すぐ近くの田んぼ。曇天ですが、稲穂も立派。そして夏休みが終わります! 子どもたちの胸のうちやいかに

それでも 待ってる 夏休み (吉田拓郎)


専制国家・上 実戦教師塾通信八百二十二号

2022-08-19 11:23:19 | 戦後/昭和

専制国家・上

 ~ウクライナ侵攻・補(9)~

 

 ☆初めに☆

久々にウクライナのレポートです。だいぶたまってしまいました。今回は、プーチンに関するものです。以前、イラクのフセインを「処刑」した時の「パンドラの箱」現象に少し触れました。それと同じ事が起きる危惧についてです。プーチンが突然いなくなることで発生すること、プーチンが頑強に抑え込んでいるのが民主勢力ばかりではない、多くの、とんでもない勢力があることを取り上げたいと思います。

 

 1 競争のない国家

 いうまでもなく、「専制国家」とは、権力の一極支配だ。「競争」がない、と言い換えてもいい。政治的に競争がないとは、選挙がないことだ。あっても形式的なものしかない。経済は経済政策の下で進められ、企業は国営が原則だ。言われた通りにやるのが第一である。これで企業や従業員/労働者がやる気を出すはずがない。今は懲罰や暴力による強制労働は難しい(もちろん、存在するが)。専制国家にあっても市場原理が必要になる。専制国家の矛盾は、やはり発生する。さらに、地方ごとで生産するもの・生産力は異なる。そこに自然災害があったりなかったり、アクセスの良さ悪さ人口の多い少ないなど、様々な要因から不均等が発生する。国全体が均等に潤ったり、貧困になったりはしない。そこで仕方なく、〇〇に見習おう/〇〇に奉仕しよう等というキャンペーンを張ったりする。ここでも一定の市場原理が動き出す。

 専制国家のすごいところは、企業や地方の自主的で自由な活動を強力に制限できるところだ。「自由」と「勝手」は違うのだ。中国の大手金融・アリババが、政府の金融政策を批判したあと、上場にストップがかかったことは記憶に新しい。逆にこれは、専制国家において競争は合法ではないが、非合法的競争は可能だと言える出来事と考えてもいい。また、1960年代にさかのぼれば、大量の人命と財産を犠牲にした文化大革命は、「党・政府は経済に関与しすぎる」と批判した勢力を、走資派として排撃することをきっかけに始まった。現在はさすがに中国も、文化大革命を肯定しなくなった。補足すれば、それでも天安門に毛沢東の肖像が健在なのは、日本に勝利し、国民党を追放し、匪賊・軍閥をまとめ上げた「中華人民共和国の父」だからだ。

 話をロシアに移そう。1917年のロシア革命は、プロレタリア独裁という「専制国家」を作り上げる。ボリシェヴィキ政権の構想としては、あくまで帝政ロシアの独裁を壊滅させるまで、と期限を掲げた。しかしそうは行かない。まずは、長期にわたった戦争による国土の荒廃と、民衆の苦しい生活があった。繰り返すが、戦争は帝国ロシアの仕掛けた列強間戦争に始まり、革命政権と保守政権の内戦として続いていた。内戦を勝ち抜くと同時に、生活再建と生産向上、これが当面する課題だった。この時、一方的と言っていい農業政策が打ち出され、失敗する。すべての土地を収用し、平等に分配するというものだ。しかし、政権は安定政権ではなかった。この分配をめぐって、党派間の争いがあってうまくいかない。何より、全く土地を持っていないという小作人は少なく、土地を少しでも持っていた農民は、それを守ろうとした。また、規模の大きい地主・農家は、奪われるくらいならと、丹精込めて育てた家畜のヒツジや牛を殺してしまった。そこに飢饉とチフスが追い打ちをかけた。配給は減り、餓死者が激増する。その後、レーニンの出した「新経済政策」は、自由経済を容認するものだった。

 

 2 「汚職」とは呼ばない

 専制国家のもう一つの特徴、それはコネと賄賂である。専制国家でなくともコネと賄賂が大切なことは、ここのところニュース上を賑わせているオリンピック組織委員会理事のことを取っても明らかだ。それでも、私たちの考える次元でないと思われるのが、専制国家のコネと賄賂である。それは「腐敗」と呼べる代物ではない。「生活習慣」とか「常識」と呼べるものだ。考えてもみよう。「党」や「王族」の君臨する国では、党では党幹部、王国では王族が全てを決定する。そこに直結する、またはつながる可能性のある場所に人々は「お願い」をし、それに伴うお金が動くのは当たり前である。昔は皇帝の代理人だった官僚は、現在、党の代理人となっている。また中国を引き合いにすれば、中国は2千年以上前から郡県制を採用する。名誉が欲しかったら中央官僚に、金が欲しかったら地方官僚になれ、というのが通念である。コネや賄賂の源が、単に皇帝から党に変わっただけだ。「聖域なし」の汚職追放に取り組む習近平は、このまずい歴史的遺産を分かっている。そして、それを解決しようというのだが、専制国家にそれが可能なのだろうか。また、腐敗・汚職の追放は口実でしかなく、批判勢力との権力闘争と見ている党関係者は少なくない。

 ボリシェヴィキ政権がソ連(現ロシア)となった時、党を頂点とした強力な官僚・専制国家が出来上がる。これが少し揺らいだのが、前に書いたフルシチョフ政権のスターリン批判である。そして、さらに大きく揺らいだのが、記憶に新しいゴルバチョフ政権の時代である。1985年に始まるペレストロイカ(ソ連の立て直し/自由経済の導入など)のひとつ、グラスノスチ(情報公開)は、とりわけ翌年のチェルノブイリ原発事故での情報隠蔽があったことで、急速に進んだ。しかし、ペレストロイカは4年後に崩壊する。そして1991年、ソ連が崩壊する。この後のソ連の混乱・カオス状態は推して知るべしだろう。

 このカオス状態の中から顔を出し、新たな「帝国ロシア」を形成したのが、ウラジミール・プーチンである。どのようなカオスだったのか、いや、まだ続いている混乱がどんな理由に因っているのか、次回に書きます。

 

 ☆後記☆

私の影が写ってしまったけれど、今年の我が家のコキア。ホントにすご~い。皆さんも目の保養にしてくださ~い!

ちなみに、昨日のオオタニさ~んの、4安打1ホームランもすご~い!

 ☆☆

こども食堂「うさぎとカメ」明日になりました。涼しいのかな。予定通り、そうめんの冷や汁やりますよ~

 


民主? 実戦教師塾通信八百十八号

2022-07-22 11:33:18 | 戦後/昭和

民主?

 ~「優先順位」~

 

 ☆初めに☆

前回の記事に積極的評価も多かったのですが、名だたる政治家が殺されたことを過小評価している、理由は何であれ暴力はいけない等という、ニュースでもよく見かける批判もいただきました。そんなものを目にし耳にすると、死者が無条件に敬われるのは世界共通のものだと感じているところです。

安倍首相が殺されたことは、どうやっても肯定できるものではありません。それは人倫的に許されないという理由ではありません。政治家が政界から退くのは、そこにいる価値・意味がなくなった時しかありません。人々にそれを思い知らされる時を除いてあるわけがない。実際「暗殺」という抹消の仕方は、安倍首相の価値を高め、政治生命の時間を大幅に伸ばしたとしか思えません。

予定では別な記事を書く予定でしたが、今回も安倍事件への読者や報道に対する考えを示しておきます。

 

 1 誰も知らない

 壮絶ないじめにあった時、自殺という行為を選ぶケースは多い。自分が自分に手を下すという行為だが、正しくは「殺された」のだ。具体的名称はあげないが、小学生が級友に手を下して命を奪うという20年前の事件は、自分に降り注ぐ火の粉を払うという「反撃」を試みた、数少ない例と思える。この事件の時は、衝撃の大きさのためか「暴力はいけない」という紋切り型の感想を、学校以外は控えていたと記憶している。

 1968年に起こった永山則夫の連続殺人事件については、裁判の経過だけ振り返る。一審は死刑の判決が出るも、このあと減刑嘆願請求運動が起こる。犯行当時、永山が少年だったことに加え、永山の凄惨な生い立ちを知った人々による運動だった。その結果、高裁は地裁の判決を覆す、無期刑という結論を出した。しかし最高裁はこれを差し戻し、死刑が確定する。この時の確定理由が見過ごせない。「(永山の)兄は、逆境に負けなかった」というのだ。弟が別扱いされる理由はない、と。恐らく三人いる兄(姉・妹もいた)のひとりを指しているのだろう。他の二人の兄にしても「殺人は犯さなかった」とでも言いたかったのか。大切なことは「兄が立派」かどうかではない。裁判官が「永山に向き合わなかった」ことが決定的なのだ。兄弟同じ屋根の下に育ったとして、永山がそこで何をどう感じ生きたのか、裁判がその場所と向き合わなかったことが重要なのだ。打ちのめされ殺されかけていた人間の姿を目の当たりにし、私たちは出口を探り当てようとしたのである。

 同じ1968年にあった、静岡県・寸又峡温泉の旅館立てこもり事件も取り上げたい。犯人の在日二世・金嬉老は立てこもりの前日、借金の返済を求めてやって来た暴力団員二名を射殺している。金は立てこもった時、ライフルを持って体中にダイナマイトを巻き付けていた。旅館の人質を解放するにあたって出した要求は、警察が行った過去の朝鮮人差別を謝罪することだった。永山事件と大きく違っていたのは、報道のされ方だ。四日三晩に及ぶ犯行は実況放送(ライブ)だった。記者に扮した刑事が金を逮捕した瞬間も中継され、金の口からおびただしい血が流れるのを見た。舌をかんだのだ。私服警官が一斉に押し寄せ、金の口は押えられこじ開けられた。逮捕されたら自殺する、と言っていたのは本当だったのかと思ったのを覚えている。公判もそうだったが、訳知り顔の評論家どもが「理由はともかく、人を殺していいわけがない」と口をそろえた。驚いたのは、当時の私が知る限りで、「そうやって今まで、日本人は突き付けられたものに向き合ったことがない」と断じた人間がいたことだった。この頃、保守の中でも最右翼と呼ばれていた評論家・福田恆存の名前を、その時私はしっかり刻んだ。

闘い続ける人の気持ちを 誰もが分かってるなら

闘い続ける人の気持ちは あんなには燃えないだろう (『イメージの詩』吉田拓郎)

唐突ですが、昨日の「拓郎見納め」を思ったら、この詩が出て来ました。付け足せば、この時韓国内で英雄扱いだった金の、刑期を終えて帰国後の、ひどくみっともない無様な姿は書きません。暇な人はネットで調べればいい。

 

 2 優先するものが違う

 ご存知の通り、亡くなった近畿財務局の赤木さんの奥さんは、2年前、損害賠償請求の訴訟を起こした。最初抵抗していた国は突然、億を越える請求の承認に転じた。裁判の過程で追及しようと考えていた夫の文書や国・安倍首相の闇は、不問に付されることとなったのは記憶に新しい。赤木俊夫さんの絶望も殺意に昇り詰めていた。しかし結局、殺す相手を自分にすることとなった。繰り返すが、正確には「殺された」のである。

「私も妻も一切、この認可にもあるいは国有地の払い下げにも関係がないわけでありまして、私や妻が関係していたということになれば、まさに私は、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員も辞めるということははっきり申し上げておきたい」

戦闘開始宣言と言える、安倍首相の国会答弁が始まりだった。国会の答弁に沿うよう、文書書き換えの指示が出ていたことは、ずっとあとで明らかとなる。「妻が名誉校長をしている学校は山ほどある」と言うもそれは渦中の森友学園と加計学園の二つだけだったり、「廃棄した」はずの地価交渉記録が出て来るし、繰り返しお詫びするも関係者は不起訴になり、文書の改ざんは「理財局の一部の職員が書き換えた」ものとなった。上げればきりがない。残された裁判による検証も、閉じられていく。

「こんな社会を何とかしようと思っている、いい人もいる。でも、クリスマスはもうあさってだ。間に合いっこないよ!」(『飛ぶ教室』 )

何度かここでも単行本でも使わせてもらった、ケストナーの作品。絶望を叫ぶ少年に、このあと光が差す。しかし、悪い奴ほどよく眠る、のが社会であることを、森加計問題は示している。弱者が絶望から脱出するための時間に、猶予がないことは多いのだ。今回の射殺事件があって、相も変わらず「日本という民主主義社会で暴力は許されない。選挙や裁判という手立てを私たちは持っている」などと、弱者からはるか遠い場所で評論家や学者どもが言ってはメシを食ってる。人を殺しても(自殺も)いいと言ってるのではない。優先すべき順が違うと言ってる。もう一度、保守の最右翼と呼ばれた福田恆存に言ってもらおう。

「そうやって今まで、日本人は突き付けられたものに向き合ったことがない」

 

 ☆後記☆

胸くそ悪いニュースばかりの中、夏休みに入っていいことが続きました。ひとつはオオタニさ~んの楽しそうな、オールスター戦の姿と「ESPY賞」で「最優秀男性アスリート」! 良く知りませんが、すごい賞みたいで、夏休み\(^o^)/

そしてもうひとつが、記事でも少し触れたキンキキッズと吉田拓郎の「ラブラブ愛してる最終回スペシャル」。若い人たちから見れば年寄りに見えるのでしょうか、拓郎は二十歳から見ている私たちからすると変わりなく、エネルギッシュでわがままで、繊細で気難しく、自己嫌悪に満ちて優しくて傲慢、そして表現するには難しい場所を、常に言い当ててました。

編集してカットしないといけないよなぁというところも何カ所か見受けられて、ahー面白かった!

天候不順で公園での活動はできませんでしたが、夏休み直前の「うさぎとカメ」は大盛況。大量に並ぶ吉野家さんの牛丼(実はまだあるんです)。スタッフが小さい子に渡そうとしているのは、夏休みの「ピカチュウえにっき」です。

思いがけず、このセンターの所長さんが「うさぎとカメ」ののれんを「作ったんだよ」と、私たちにプレゼントしてくれました! 真ん中で牛丼を持ってるのが所長さん(ショットの時だけマスク外しました)。両脇は、吉野家牛丼を「営業」したスタッフ。

夏休み\(^o^)/ 明日は土用の丑の日だぁ


テロ? 実戦教師塾通信八百十七号

2022-07-15 11:14:58 | 戦後/昭和

テロ?

 ~「言論の危機」ではなく~

 

 ☆初めに☆

警護陣が聴衆を注視する中、聴衆だけがその瞬間を見ていたのでしょうか。おい!も、伏せて!もない中を、犯人は車道を横切った。犯行直後、老人のこぐ自転車が場違いなほどゆっくりと現場を通り過ぎました。第二弾が来てもおかしくないと思ったのは、『ドールズ』(北野武)のラストシーンを思わせたからです。

警備の盲点・どうして安倍首相なのか・言論の危機等々に、とてつもない時間を割かれました。ようやく焦点が「宗教」問題へ移り始めました。「理屈が通用しない」のが宗教です。こんな世界を暴き糾弾するためと考えれば、偶然とは言え、犯人には格好の標的だったかもしれません。犯人の行為が許されるものでないのは当然です。しかし、どんな犯罪でも、それは「追い込まれた人間の仕業」です。そこは解明されないといけません。

 

 1 国際勝共連合

 宗教を全否定するものではない。しかし、宗教の「いかがわしさ」、または「いかがわしい」宗教は何とかしないとまずい。私の(恐らく皆さんの)周辺にも、この関係者が結構いる。ブログを始めた頃、宗教的なコメントが結構多かったことを、古くからの読者は覚えているかもしれない。日蓮の言葉を弄(ろう)したひとりは、常々「宗教は金になる」と言っていたし、新興宗教にどっぷり浸かったもうひとりは、私をも勧誘するにいとまがなかった。最近の報道や解説に似たものがあるかもしれないが、この誘いを「無視したら悪い」と応じたケースを良く知ってる。

名前を登録するだけだし、お布施は強制ではないし金額も自由よ/毎日お祈りをしなさい、今日の幸不幸を振り返るのよ/幸せだったらお礼をしなさい/不幸だったらお願いしなさい

始まりは静かで自分の判断も優先される、と思ったようである。この後の執拗さを自分は経験ないが、次第に対面と相手が増えていくらしい。そしてその都度、お金への「妄執(もうしゅう)」から解放されたくないか、と説き伏せて来る。不安ばかりではない、幸福感も次第にお布施を大きくする理由となるわけだ。この辺りは「戒名」のグレード(値段)をめぐる、お寺とのやり取りと似ている。「仏様が喜びます」「親孝行ですよ」というやつ。先日、このいかがわしさを、知り合いで何人か試してみた。君は今の世界をいいと思うか、幸せはお金では買えない、財産なんか必要ないだろう、一番信頼できるものに全てを託しなさい等と投げかけると、相手は簡単に黙ってしまった。もちろん相手は、この「テスト」を冗談と知っている。しかし、反論できない自分自身に愕然とするようだ。

 誘いに応じたこの人は、その後辞めたいと申し出た。「軽い気持ちで入信して、迷惑をかけました」と謝るとは、どこまでも人のいい。多分、結構な「お詫び」をしたはずだ。「いつでも辞められる」は最初の約束だったが、「登録した名前は消えません」と言われたそうだ。「絆は永遠」なのだ。

 今回の事件では億単位のお金が動いたという。うち5千万円が返却されたとも言われているが、これを教団は「返金した」と言い、親族は「取り返した」という。この経過だけを見ても、この返金が数々の面倒といさかいの後に行われたことは間違いない。欧米ではカルト教とされるこの教団・統一教会に、ニュースはまるではれ物に触るような扱いをする。教団が1968年に立ち上げた「国際勝共連合」をニュースが言及するのは、恐らく来週になるのだろう。統一教会の創始者としてすでに名前の挙がっている文鮮明が、「反共」を旗印に立ち上げた団体である。安倍首相始め日本とのただならぬ関係の解明は、おずおずと始まるに違いない。

 

 2 テロではない

 事件発生直後、国内はもとより海外からも「日本でこんなことが起きるとは」の声が上がった。「日本は文化の国なのに……」という声もあった。何を言ってるのだろう。忘れっぽいのは日本人ばかりではなかったようだ。1995年の地下鉄サリン事件という、日本のみならず世界を震撼とさせた事件を思い起こすべきだろう。オウムなる教団はとてつもなく危険なにおいがする、という空気が日本全体を覆い始めたのは「被害者の会」の内容を中心としたテレビ番組を中止するよう、教団上部(上祐史浩など)がTBSに抗議したあたりだろうか(1989年)。「被害者の会」を立ち上げた坂本弁護士一家が「行方不明」となるのは、この直後のことだ。すでに教団はニューヨーク支部を抱えており、のちにロシア支部を立ち上げ、旧ソ連製の大型ヘリを購入している。公証役場の仮谷さんが拉致・監禁され、江川紹子を始めとする、オウムを追う人たちへのVXガス攻撃が続く。頂点が地下鉄サリン事件だった。ところが10日後の3月30日、当時の警察庁長官・国松孝次が狙撃される。自宅マンションを、護衛と共に出たところだった。20メートル離れた場所から撃たれた4発の銃弾の3発が、長官の背中を打ち抜いた。さらに、捜査情報を警察内の信者が、事前に教団側に漏らしていたことも明らかになる。長官狙撃はオウムと無関係だったことが、ずっと後に判明するが、あの時こそ「日本でこんなことが起きるとは」だったのである。むやみに忘れてはならない。

 そして、これこそが「テロ」という、思想信条を背景に持つものだった。今回の事件は、個人的な家族の事情(恨み)を背景とするものであって、言論なんか全く絡んでない。選挙の応援中に行われたことを看過してはいけない、だと? バカバカしくて反論する気にもなれない。吉本隆明の言葉を借りれば「自己幻想をいくら拡張しても、共同幻想にはたどり着けない」。犯人が狙ったのは、日本や首相や言論ではない。今まで論客とされて来た連中の、思いがけなく馬脚を露すとはこういうことだ。

 安全が脅かされたのは、私たちなのだろうか。今後の捜査に目が離せない。

 

 ☆後記☆

こうなれば、2,26事件、そして浅沼稲次郎刺殺事件を振り返りたい思いが抑えられません。書きたいと思ってます。

安倍首相に唯一感心していることがあります。奥さんを大事にしていたことです。あれだけ自由に振舞って、おそらく親族ばかりでなく、政府や党内からも相当きつく言われていたはずの奥さん。安倍首相は「ふたりの問題」であり「彼女(奥さん)の問題」だ、と対処して来たんだろうと思われました。なかなか出来るもんじゃない、と感じてました。

ムクゲでしたっけ? 今年もこれからずっと咲くんです。ありがとう。

明日、夏休み前の「うさぎとカメ」ですよ~ 天気が心配です。せっかく初の公園での活動なんですが。

牛丼に、ピカチュウの夏休みセットも待ってま~す