瀬戸際の暇人

今年も偶に更新します(汗)

異界百物語 ―第84話―

2009年08月21日 20時26分32秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
今夜は昨夜約束した通り、「学校の怪談」第2弾を話そう。
夏休みも後半に入ると、そろそろ学校生活が恋しく思える筈…そうでもないかい?

貴殿は既に卒業しているだろうか?
それとも青春を謳歌してる最中の学生だろうか?

卒業すれば実感するだろうが、日々他人と同じ場所に通い、同じものを学ぶ経験は貴重と言っていい。
同じ場所に通うだけなら、卒業して会社勤めでもすれば、可能だがね。

昨夜も語ったが、学校に怪談が数多く集まるのは、大勢が同じく過す場所柄、共感を得易いからだろう。

今夜話すのは、このブログの主が実際に体験した事だ。
大して恐くはないが、何時かの納涼のタネにでもして貰いたい。




怪談の始め方としては常套だが、私の通っていた高校は、かなり古い歴史を持っていた。
校舎は幾度か改築され、木造でこそなかったが、新棟旧棟の2つに分れ、その間には結構な広さの中庭が在った。
が、今回の舞台は中庭ではない。

ところで当時、私は美術部に所属していた。
部室は正門から遠く離れた旧棟の端に在り、窓からは「生徒ホール」と言う名で呼ばれる、小じんまりした建物が見えた。
この生徒ホールは生徒達の憩いと交流を目的に建てられたというのが名目らしく、中には卓球台が数台置いてあった。
ちなみに壁を隔てて横は写真部の暗室と物置と、使用目的がよく解らない小部屋が在ったが、それも今回の話にあまり関係は無い。

卓球台が置いてあるとはいえ、ボールやラケットは教員に許可を貰わなければ貸し出しは出来ず、加えて卓球部の活動は何故か別に体育館を使用して行われていたので、授業をさぼった生徒が身を隠す位な利用価値の、言わば校内で浮いた場所だったのだ。

あれは9月の始め頃だったろうか。
放課後、自分を加えて集まった部員は6名。
何時もの様にホールの隅へ卓球台をどかし、出来た空間に新聞紙を敷いて、ゲートにペンキを塗る作業を行っていた。

9月ともなれば下絵は済んでいる。
後は塗るだけ、追い込まれてはいたが、若干生れた余裕から、各自買って来た菓子を口にしつつ、和やかにダベりながら居たと記憶している。

腕時計の針が夜の8時を回る頃、そろそろ帰ろうかという話になった。
校舎側正面の硝子扉から外を見れば、夏を過ぎたばかりとはいえ、とっぷり暮れていた。

学校は高台にぽつんと建ち、駅までの道は商店も少なく、暗くて寂しい。
部員の殆どが女子である為、あまり遅くまで残る事は出来なかった。

全員帰る仕度を整え出した、その時だ。
「ううううううう………!」という気味の悪い唸り声が、四方の壁から迫る様に響いて聞えた。

ホールに居た全員の表情が強張って固まり、次の瞬間、けたたましく鳴るクラクションの様に口を開いて叫んだ。

「何今の気味悪い声ー!?」
「校内放送!?」
「今頃!?誰が何の目的で!?」
「そもそも今の声か!?」

校内放送と思ったほど、その声(?)はホール全体を大きく震わして聞えた。
だがそれはない、何故ならホールにスピーカーは設置されていない。

「蝦蟇蛙の声か何かでは?」という意見も出たので、硝子扉を除く三方の壁に嵌った窓を開けて確認したりもした。

しかし何も見付からなかった。
そもそもホール側に水場は無い。
校舎から離れて建つホールの周囲には、だだっ広い土のグラウンドと、背の低い雑草が疎らに生えてる位の寂しい裏庭しかない。
誰かが、もしくは何かが潜んで居たとすれば、忽ち姿を明らかにしている筈だった。

念の為隣の暗室や物置等も検めたが、鍵の掛けられた暗室は兎も角、他からは何も見付からなかった。
もし暗室に人が潜んで居て、悪戯から声を発したとしても、四方の壁を震わすほどの仕掛けをどの様に行ったと言うのか?

屋根に犬猫の獣でも居るのではとも考え、窓に足を掛けて上り、探ったりもした。
やはり何も、誰も見付からなかった。

結局その夜、騒ぐだけ騒いだ後、全員内心びくびくしながら、帰路に着いたのだった。

学校に怪談は付き物で、私の通っていた高校にも数多く存在した。
しかし不思議な事に、その事件が起きるまで、生徒ホールで怪談が囁かれた例は無かったと言う。
結果、体験した私達は、新たな怪談の発信者になってしまった訳だが……

後日暗室を使用している写真部員に、今迄隣のホールから声が聞えた事が有るか尋ねてみたが、その部員は1回も聞いてないと答えた。

美術部員6人全員が聞いた、あの気味の悪い男とも女とも、そもそも人間の声とも判断のつかない物音の正体は、果たして何だったのか…?
体験した者同士、今でも時々集まっては、首を傾げて推理し合っている。
その内の1人はあまりに気になった為、卒業してから1度訪れ、探ってみたそうだが、疾うにホールは閉鎖され、完全な物置になっていたそうだ。




夜学でもないかぎり、学校は昼に通う場所だ。
日々通っていながら、夜の学校を知る機会は割りと少ない。
大勢が知っていながら、大勢の知らない影が有る事も、学校に怪談を多く集める理由だろう。
貴殿の学校に通うのは、貴殿と同じ生徒や、教師以外にも居るやも知れぬ。
その存在の正体を知りたくば、授業を終えた後、独り校舎に残り、探ってみては如何だろう。


…今夜の話は、これでお終い。
さあ…蝋燭を1本吹消して貰えるかな。

……有難う。

それでは妙な物音を耳にしない内に、気を付けて帰ってくれ給え。

――いいかい?

夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
風呂に入ってる時に、足下を見ないように。
そして、夜に貴殿の名を呼ぶ声が聞えても、決して応えないように…。

御機嫌よう。
また次の晩に、お待ちしているからね…。
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異界百物語 ―第83話―

2009年08月20日 20時20分02秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
最近は朝と夜に、少し涼しい風を感じられる様になって来たね。

秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる

立秋を過ぎ、季節は早くも秋へ…夏休みを満喫していた学生さんも、今頃はひたひたと近付く二学期を思って、溜息を吐いてるだろうか?
そんな学生さん達に送る、今夜と明日は「学校の怪談」だ。

これは或る高校の学生が、国語を担当する教師に聞いた話だと言う。



或る年の夏休み、或る体育会系の男子部が、校内で合宿を行った。
そして合宿の夜も更け、部の顧問だった男性教師2人が、シャワーを浴びようと、体育館横のシャワー室に連れ立って向った。

その途中、ふと隣の女用のシャワー室を見ると、電気が明々と点いている。
疾うに生徒達は全員シャワーを浴び終わったと思っていたが…まだマネージャーが残って居たのだろうか?

こんな時刻に女の子が…と不審を覚えなくもなかったが、何せ昼間炎天下のグラウンドで、若者らに付き合い、へとへとになるまで汗を掻いている。
早いとこさっぱりしたかった教師2人は、気にせず男用シャワー室に入った。

浴び終わってシャワー室を出ると、まだ女用シャワー室に電気が点いていた。
そこで顧問としての責任から、出て来るのを外で待つ事にした。

だが、暫く待っても出て来ない。

ひょっとして電気を消し忘れたのでは?
そう考えた顧問の教師は、女用シャワー室の扉を僅かに開けてみた。

すると中に、ランニングシャツ姿の女性が1人、立って居るのを認めたので、彼らは慌ててドアを閉めた。

なんだ、やっぱりマネージャーが使っていたのか。
そう考えた2人は、再び外で待つ事にした。

しかし5分過ぎても、10分過ぎても、15分過ぎても、何時まで経っても出て来ない。
あんまり長い事待たされた教師2人は、段々と心配になって来た。
まさか中で倒れて居るんじゃ…?
試しに大声で呼掛けてみた。

「おい!!どうかしたのか!?」
「具合でも悪くしたのか!?」

口々に呼掛けるも、返事が無い。
痺れを切らした教師2人は、ドアを開けて中に入った。

しかしそこには誰も居らず――明々と点いた電燈の下、床は乾き切っていたという。




…今も昔も夜の学校は怪談のスポットだ。
貴殿も通っている、或いは昔通っていた学校で、幾つかの怪談を耳にしたに違いない。
大勢が頭に思い浮べられる場所、それ故に怪談の背景にも、選ばれ易いのだろう。


…今夜の話は、これでお終い。
さあ…蝋燭を1本吹消して貰えるかな。

……有難う。

それでは気を付けて帰ってくれ給え。

――いいかい?

夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
風呂に入ってる時に、足下を見ないように。
そして、夜に貴殿の名を呼ぶ声が聞えても、決して応えないように…。

御機嫌よう。
また次の晩に、お待ちしているからね…。



『現代民話考〔第二期〕―学校―(松谷みよ子、編著 立風書房、刊)』より。
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異界百物語 ―第82話―

2009年08月19日 19時24分16秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
毎晩足繁く通ってくれて有難う。
今夜は昨夜約束したように、現代にまで続く「池袋」の怪奇について話そう。

ところで貴殿は池袋を訪ねた事は有るだろうか?
秋葉原ほどではないが、現在ではアニ○イト等が建ち並び、アニメや漫画オタクに注目される街なので、貴殿がアニメや漫画に興味を持っているなら、存在位は聞いた事が有るかもしれない。
池袋のシンボルといえば60階建ての高層ビル「サンシャイン60」、そして西武に東武にパルコといったデパート…
しかし戦後池袋の開発が進められた時代、まずこの地に進出したのは、西武と三越と丸物と呼ばれるデパートだったのだ。
この中で西武は現在でも営業し、三越は今年の5月に惜しまれつつ、51年の歴史に幕を下ろした。
そして「丸物」は開店後十数年を経て、1969年(昭和44年)に閉店してしまっている。
現在池袋の東口に「パルコ」が在るが、元はそこに「丸物」が入って営業していたのだ。

閉店した理由は有り勝ちな経営不振だが、不振に追い込まれた理由は、怪異な事故に頻繁に襲われたからだと噂する者も在ったと云う。




1959年(昭和34年)4/24の午後、デパート屋上の遊園地に有るヘリコプター型の遊具に乗って遊んでいた子供が、突然外に放り出されて大怪我をした。
ヘリコプターの心棒が折れたのが原因だったそうだが、折れ方が人為的な痕跡も無く真っ二つだった事で、調査した専門家は首を傾げたと云う。

更に屋上での事故から5日後の4/29には、買い物に来ていた主婦が、階段を下りる途中でいきなり頭に衝撃を受け、昏倒したと云う。
介抱された主婦は、上から何かが落ちて来たと話したが、それらしき落下物は見当たらず、周囲には何が起きたのか見当も付かなかった。
主婦の頭には鈍器で殴られた様な傷が出来ていたので、通り魔による傷害事件の線で池袋警察署が捜査したが、結局何の手懸りも得られなかったそうだ。

その他にもデパートでは、窓硝子が落下して通行中の婦人が大怪我をする等の事故も起きたらしい。
硝子はきちんと枠に嵌め込まれていた事が確認された為、これも原因がまるで判らなかった。

此処まで不審な事故が続くと、世間からは苦情よりも疑問が多く発せられる。
遂に出るべくして出て来たのが、「祟りではないか」という噂であった。
「四面塔」を動かした祟りに違いないと言うのだ。

「四面塔」は別名「人斬り塚」とも呼ばれ、現在もパルコを通り過ぎた線路沿いの公園にひっそりと建っている。
この塔が建ったのは江戸時代の事で、当時の池袋は武州豊島郡池袋村と呼ばれていた。
湿地帯と雑木林が広がる寂しい土地だったと云う。

寂しい土地柄か、辻斬りが頻繁に起った。
覆面をした侍が夜な夜な現れては、旅人を片っ端から斬って行く。
道には無残にも切断された首や手足が常に転がっていたそうだ。
点在する村人達は、恐怖に怯えながら暮していたのである。

大量殺人は、現在の池袋駅前で行われていた事になるのだが、当時はその付近に松の木が一本在り、根元から水が湧いていたそうだ。
辻斬りに遭って瀕死の重傷を負った人達は、一様にその湧き水の所まで這って行き、水面に顔を付けて絶命していたと云う。
やがて一本松での謎の首吊り自殺も多発した件から、何時しか「首括り松」と呼ばれ、根元の泉は「末期の泉」と呼ばれた。

1721年(享保6年)の夏、たった一晩で十七人もの通行人が犠牲となった。
事態を重く見た64人の村人の内の有志は、雑司ヶ谷鬼子母神威光山法明寺の住職、第二十世日相上人に仏の供養を依頼した。
上人は読経して供養した後、「首括り松」の下に石塔を建立して、犠牲者達の怨念を封印したと云う。

時は過ぎて1903年(明治36年)、池袋駅が出来た時も、周辺の景色は江戸時代と変わらず辺鄙だったそうだが、1914年(大正3年)に東上鉄道線(現、東武東上線)が開通し、翌年に武蔵野鉄道線(現、西武池袋線)が開通すると、街は次第に賑やかに発展し始めた。
そうなると四面塔は邪魔者扱いされ、区画整理の際に駅前に移動させられた。
その時に作業員が相次いで事故死した為、住民の間に祟りの噂が流れ、今後四面塔は動かしてならないという事になったのである。

太平洋戦争が勃発すると四面塔を奉じる祭も中断され、池袋は空襲で焼け野原に変わってしまった。
昔から居た住民も少なくなり、過去の辻斬りの犠牲者の慰霊も忘れられがちになったが、1947年(昭和22年)に迷信を信じない池袋駅長が、四面塔に立小便をした所、数日後にぽっくり病死した件で、祟りの噂はまたもや人々の口に上った。

しかし池袋駅前付近に都市開発の波が押し寄せた戦後1955年(昭和30年)、四面塔は再度移転を余儀無くされた。
現在で言う西武デパートとパルコの間の敷地から、現在建っている地へと移された訳だが(大正時代には現在の東口駅前みずほ銀行池袋支店の辺りに移された事も有ったらしい)、代って跡地に建てられたのが件の丸物デパートだったそうだ。

1959年(昭和34年5月)、丸物デパートでの事故が多発した件から、関係者は地元の有志と協力して四面塔を新装し、祟りの終息を祈願した。

しかし災いは止まらず、かつて四面塔が在った駅前の道路で、子供が母親の目の前でバスに轢かれ、頭と胴体が引き千切られるという惨事が起った。
それはまるで辻斬りに遭った者の死体が転がる有様を再現した様であったと言う。

そしてこれは覚えている人も多いだろう。
1999年(平成11年)に、サンシャイン通り東急ハンズ前で起きた通り魔殺人事件…
包丁と金槌を持った犯人は、次々と通行人を襲いながら、池袋駅前まで走って逃げたと聞いている。




賑やかな繁華街だ、事件が起るのも不思議ではない。
だがこうも同じ場所で、同じ様な事件が起るのは、果たして偶然か?
惨劇を招く地というのは実在する。
彼の地をこれから訪ねる人はよくよく注意する事だ。


…今夜の話は、これでお終い。
さあ…蝋燭を1本吹消して貰えるかな。

……有難う。

それでは通り魔に遭わないよう、気を付けて帰ってくれ給え。

――いいかい?

夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
風呂に入ってる時に、足下を見ないように。
そして、夜に貴殿の名を呼ぶ声が聞えても、決して応えないように…。

御機嫌よう。
また次の晩に、お待ちしているからね…。





参考、『ワールドミステリーツアー13(第4巻)―東京編― 第6章 (小池壮彦、著 同朋舎、刊)』。
    こちらの記事の年表。(→http://web2.nazca.co.jp/xu3867/page331.html)
    ウィキペディア、等々。
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異界百物語 ―第81話―

2009年08月18日 20時15分09秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
貴殿は盆休みの間に何処かへ出掛けたかい?
東京で某巨大即売会に参加した?
成る程、それも充実した休暇の使い方だね。
それで…アフターには何処へ寄ったんだい?
…池袋か……あそこは恐ろしい土地だよ。
今夜と明日の夜はその「池袋」に纏わる怪談を話そう。

紹介するのはやはり岡本綺堂の語った話で、「池袋」というより「池袋に生れた女」に纏わる怪談と呼ぶのが、実際には正しいだろう。
しかし根底に「池袋」の地そのものが妖に関ってると思わざるを得ない。
前置きは兎も角、綺堂の言い分を聞いてみようじゃないか。




江戸の代表的怪談といえば、まず第一に「池袋の女」と言うものを挙げなければなりません。
今日の池袋の人からは抗議が出るかもしれませんが、どういうものか、この池袋の女を女中などに使いますと、きっと何か異変が有ると言い伝えられて、武家屋敷などでは絶対に池袋の女を使うのを避けたという事です。
また、町家などでも池袋の女を使う事を嫌がりましたので、池袋の女の方でも出身が池袋という事を隠して、大抵は板橋とか雑司ヶ谷とか言って奉公に出ていたのだそうです。
それも、女が無事に大人しく勤めている分には別に何の仔細も無かったのですが、もし男と関係でもしようものなら、忽ち怪異が頻々として起こると云うのです。
これは池袋の女が七面様の氏子なので、その祟りだと云われていましたが、それならば不埓を働いた当人、即ち池袋の女に祟ればよさそうなものですが、本人には何の祟りも無くて、必ずその女が使われている家へ祟るのだそうです。
まったく理窟では判断がつきませんが、まず家が揺れたり、自然に襖が開いたり、障子の紙が破れたり、行灯が天井に吸い付いたり、そこらに有る物が踊ったり、色々の不思議が起ると云います。

こういう事件が有ると、まず第一に池袋の女を詮議する事になっていましたが、果してその蔭には必ず池袋の女が忍んでいたそうなのです。

これは私の父なども親しく見たという話ですが、麻布の龍土町(今の港区六本木七丁目六~八番)に内藤紀伊守の下屋敷が在りました。
この下屋敷と言う所は、多く女子供等が住んで居るのです。

或る夜の事でした。
何処からとなく沢山の蛙が出て来てぴょこぴょこと闇に動いていましたが、何時とはなしに女たちの寝ている蚊帳の上に上がって、じっと這い蹲っていたと言う事です。
それを見た女達の騒ぎは、どんなであったでしょう。

すると、今度は家がぐらぐらとぐらつき出したので、騒ぎは益々大きくなって、上屋敷からも武士が出張するし、また他藩の武士の見物に行った者等が交じって、そこらを調べて見ましたが、さっぱり訳が判りません。
そこで狐狸の仕業という事になって屋敷中を狩り立てましたが、狐や狸はさて置き、かわうそ一匹も出なかったと言う話です。
で、その夜は十畳ばかりの屋敷に十四、五人の武士が不寝番をする事になりました。

ところが、夜も段々更け行くにつれ、行灯の火影も薄暗くなって、自然と首が下がる様な心持になると、何処からとなく、ぱたりぱたりと石が落ちて来るのです。
皆の者がしゃんとして居る間は何事も無いのですが、つい知らずに首が下がるにつれて、ぱたりぱたりと石が落ちて来るので、「これはどうしても狐狸の仕業に相違無い。試しに空鉄砲を放してみよう」と言って、井上某が鉄砲を取りに立とうとすると、ぽかりと切石が眉間に当たって倒れました。

今度は他の者が代わって立とうとすると、また、その者の横鬢の所に切石が当たったので、もう誰も鉄砲を取りに行こうと言う者も在りません。
互いに顔を見合わせているばかりでしたが、或る一人が「石の落ちて来る所は、どうも天井らしい」と、言い終わるか終わらぬ内に、ぱっと畳の間から火が吹き出したそうです。

こういう様な怪異が、約三月位続いている内に、ふと彼の地袋の女というものに気が付いて、下屋敷の女達を厳重に取調べた所が、果して池袋から来ている女中が在って、それが出入りの者と密通していたという事が知れました。

で、この女中を追い出してしまいますと、まるで嘘の様に不思議が止んだと云う事です。




…氏の書籍ではこの後も「池袋の女」に纏わる怪談が続くが、一夜に一話ずつという会のルールに則り此処で切らして貰おう。
気になるなら「岡本綺堂 池袋の怪」で検索すると良い。
考察してみるにこの手の話は、当時よく有った出身地の差別から由来してるのではないかと思える。
が、それだけとは言い切れず、実は現代までも、池袋での怪異は続いているのだ。
それについては明日に紹介するとして…今夜の話は、これでお終い。

尚、綺堂の研究者である今井金吾は、話中に出て来る七面様とは、豊島区雑司が谷に現在も建つ本浄寺の事だろうと指摘している。


さて…それじゃあ蝋燭を1本吹消して貰えるかな。

……有難う。

どうか気を付けて帰ってくれ給え。

――いいかい?

夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
風呂に入ってる時に、足下を見ないように。
そして、夜に貴殿の名を呼ぶ声が聞えても、決して応えないように…。

では御機嫌よう。
また次の晩に、お待ちしているからね…。




参考、『風俗江戸東京物語(岡本綺堂、著 河出文庫、刊)』。
    岡本綺堂研究サイト、『綺堂事物(→http://kaiki.at.infoseek.co.jp/)』。

※岡本綺堂の作品はネットでも閲覧可能。(→http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person82.html)
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異界百物語 ―第80話―

2009年08月17日 20時07分39秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
来た早々何だが、そこの窓から庭を御覧――朝顔の蕾が見えるだろう?
恐らく明日の朝には咲くだろうと心待ちにして居るのさ。

朝顔は漏斗に似た花弁の形が独特で美しい。
朝に咲き夕には萎んでしまうのもミステリアスだ。
したがって明日の夜に貴殿が此処を訪れる頃には萎んでしまっている訳だが…代りに今夜は朝顔に纏わる怪談を紹介しよう。

これも岡本綺堂が語ったもので、氏曰く実際に当時の江戸で噂されていた話らしい。
綺堂自身も評判の化物屋敷に生まれ育ったそうで、氏の無類の怪談好きも或いはそこから端を発していたのかもしれぬ。
もっとも綺堂が自身の屋敷で何かオカルトな目に遭ったという話は伝わっていない。
しかし綺堂が言うには、当時の江戸に化物屋敷は数え切れないほど存在し、一町内に一軒位ずつは在ったんではないかとの事だ。
いやはや真実だとしたら、江戸はとんだ魔界都市である。

前置きは此処までにしといて、極めて短い話だが、味わってお聴き頂きたい。




江戸で評判の化物屋敷に、「朝顔屋敷」と言うのが在ります。
それは牛込の中山と言う旗本の屋敷を呼んでの名前ですが、此処では絶対に朝顔を忌んでいました。
朝顔の花は勿論、朝顔の模様、または朝顔類似の物でも、決して屋敷の中へは入れなかったと言う事です。

それが為に庭掃除をする仲間が三人居て、夏になると毎日、庭の草を抜き捨てるのに忙しかったそうです。
それは屋敷の中に朝顔の生えるのを恐れるからで、これ程に朝顔を忌む理由というのは、何でも祖先の或る人が妾を切った時に、妾の着ていた着物の模様に朝顔が付いていたそうで、その後、この屋敷の中で朝顔を見ると、火事に遭うとか、病人が出るとか、お役御免になるとかで、きっと不祥の事が続いたと言う話です。




聞いた話だが朝顔の花言葉は「儚い恋」、夕には萎んでしまう花の儚さからイメージして生れたのだろうが…この怪談を知った後ではそんなイメージなぞ吹き飛んでしまうだろう。
むしろあの何処までも伸びて巻き付く蔓に、某かの情念を感じずに居られず、空恐ろしく思うに違いない。
一方で朝顔のもう一つの花言葉は「愛着」…花弁が萎れて落ちても、蔓は巻き付いたままの姿を見るに、納得の行く心地がするよ。
綺堂も余程印象深かったと見えて、自身の作の「半七捕物帳」に取り込んでいる。
第十一章に登場するので、縁が有ったら読んでくれ給え。


…今夜の話は、これでお終い。
さあ…蝋燭を1本吹消して貰えるかな。

……有難う。

帰る前に窓から今一度、朝顔の蕾を観て行くといい。

それと、いいかい?

夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
風呂に入ってる時に、足下を見ないように。
そして、夜に貴殿の名を呼ぶ声が聞えても、決して応えないように…。

それでは御機嫌よう。
また次の晩に、お待ちしているからね…。




参考、『風俗江戸東京物語(岡本綺堂、著 河出文庫、刊)』。
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異界百物語 ―第79話―(後編)

2009年08月16日 20時37分34秒 | 百物語
前編からの続き】




何といっても木曽の宿です。
殊に中央線の汽車が開通してからは、此処らの宿も寂れたという事を聞いていましたが、まったく夜は静かです。
此処の家も昔は大きい宿屋であったらしいのですが、今は養蚕か何かを本業にして、宿屋は片商売という風らしいので、今夜も私達の他には泊まり客も無いようでした。
店の方では、まだ起きているのでしょうが、何の物音も聞えず森閑としていました。
家の構えは中々大きいので、風呂場はずっと奥の方に在ります。
長い廊下を渡って行くと、横手の方には夜露の光る畑が見えて、虫の声が切れ切れに聞える。
昼間の汽車の中とは違って、此処らの夜風は冷々と肌に沁みる様です。
こういう時に油断すると風邪を引くと思いながら、僕は足を早めて行くと、眼の前に眠った様な灯の光が見える。
それが風呂場だなと思った時に、一人の女が戸を開けて入って行くのでした。
薄暗い所で、その後ろ姿を見ただけですから、勿論詳しい事は判りませんが、どうも若い女であるらしいのです。
それを見て僕は立ち止りました。
どうで宿屋の風呂であるから、男湯と女湯の区別が有ろう筈は無い。
泊り客か宿の人か知らないが、何れにしても婦人――殊に若い婦人が夜更けて入浴して居る所へ、僕のような若い男が無遠慮に闖入するのは差控えなければなるまい――こう思って少し考えていると、何処かで人の啜り泣きをする様な声が聞える。
水の流れの音かとも思ったのですが、どうもそれが女の声らしく、しかも風呂場の中から洩れて来るらしいので、僕も少し不安を感じて、そっと抜足をして近寄って、入口の戸の隙間から窺うと、内は静まり返っているらしい。
たった今、一人の女が確かに此処へ入った筈なのに、何の物音も聞えないというのはいよいよおかしいと思って、入口の戸を少し開け、また少し開けて覗いてみると、薄暗い風呂場の中には誰も居る様子は無いのです。

「はてな?」

思い切って戸をがらりと開けて入ると、中には誰も居ないのです。
何だか薄気味悪くもなったのですが、此処まで来た以上、つまらない事を言って唯このままに引っ返すのは、西田さんの手前、あまり臆病者の様にも見えて決まりが悪い。
どうなるものかと度胸を据えて、僕は手早く浴衣を脱いで、勇気を振るって風呂場に入りましたが、彼の女の影も形も見えないのです。

「俺は余程頭の具合が悪いらしい…」

風呂に心持良く浸りながら僕は自分の頭の悪くなった事を感じたのです。
震災以来、どうも頭の調子が狂っている。
神経も衰弱している。
それが為に一種の幻覚を視たのである。
その幻覚が若い女の形を見せたのは、西田さんの娘二人の事が頭に刻まれているからである。
姉は十九で、妹は十六であると言う。
その若い二人の生死不明という事が自分の神経を強く刺戟したので、今此処でこんな幻覚を見たに相違ない。
啜り泣きの様に聞えたのはやはり流れの音であろう。
昔から幽霊を見たと言う伝説も嘘ではない。
自分も今此処で所謂幽霊を見せられたのである。
こんな事を考えながら、僕はゆっくりと風呂に浸って、今日一日の汗と埃を洗い流して、酷くさっぱりした気分になって、再び浴衣を着て入口の戸を内から開けようとすると、足の爪先に何か触る物が有る。
俯いて透かして見ると、それは一つの指輪でした。

「誰かが落して行ったのだろう」

風呂場に指輪を落したとか、置き忘れたとか、そんな事は別に珍らしくもないのですが、此処で僕をちょっと考えさせたのは、さっき僕の眼に映った若い女の事です。
勿論、それは一種の幻覚と信じているのですが、丁度その矢先に若い女の所持品らしいこの指輪を見出したという事が、なんだか子細有り気にも思われたのです。
ただしそれはこっちの考え方にも因るもので、幻覚は幻覚、指輪は指輪と全く別々に引き離してしまえば、何にも考える事も無いわけです。
僕は兎も角もその指輪を拾い取って、元の座敷へ帰って来ると、留守の間に二つの寝床を敷かせて、西田さんは床の上に坐っていました。

「やっぱり木曽ですね。九月でも更けると冷えますよ」

「まったくです」と、僕も寝床の上に坐りながら話し出しました。

「風呂場でこんな物を拾ったのですが……」
「拾い物……なんです?お見せなさい」

西田さんは手を伸ばして指輪を受け取って、燈火の下で打ち返して眺めていましたが、急に顔の色が変りました。

「これは風呂場で拾ったんですか?」
「そうです。」
「どうも不思議だ、これは私の総領娘の物です」

僕はびっくりした。
それはダイヤ入りの金の指輪で、形は有触れた物ですが、裏に「みつ」と平仮名で小さく彫ってある。
それが確かな証拠だと西田さんは説明しました。

「なにしろ風呂場へ行ってみましょう」

西田さんは、直ぐに起ちました。
僕も無論付いて行きました。

風呂場には誰も居ません。
そこらにも人の隠れている様子は有りません。
西田さんは更に店の帳場へ行って、震災以来の宿帳を一々調査すると、前にも言う通り、此処の宿屋は近来殆ど片商売の様になっているので、平生でも泊まりの人は少ない。
殊に九月以来は休業同様で、時々に土地の青年団が案内して来る人達を泊めるだけでした。
それは皆東京の罹災者で、男女合せて十組の宿泊客が有ったが、宿帳に記された住所姓名も年齢も西田さんの家族とは全然相違しているのです。
念の為に宿の女中達にも聞き合せたが、それらしい人相や風俗の女は一人も泊まらないらしかった。

ただ一組、九月九日の夜に投宿した夫婦連れが在る。
これは東京から長野の方を回って来たらしく、男は三十七八の商人体で、女は三十前後の小粋な風俗であったと言う事です。
この二人がどうして此処へ降りたかと言うと、女の方がやはり僕と同じ様に汽車の中で苦しみ出したので、拠所無く下車して此処に一泊して、明くる朝早々に名古屋行きの汽車に乗って行った。
女は真っ蒼な顔をしていて、まだ本当に快くならないらしいのを、男が無理に連れ出して行ったが、その前夜にも何か頻りに言い争って居たらしいというのです。
単にそれだけの事ならば別に子細も無いのですが、此処に一つの疑問として残されているのは、その男が大きい鞄の中に宝石や指輪の類を沢山入れていたという事です。
当人の話では、自分は下谷辺の宝石商で家財は皆灰にしたが、僅かにこれだけの品を持出したとか言っていたそうです。
したがって、宿の者の鑑定では、その指輪はあの男が落して行ったのではないかと言うのですが、九月九日から約十日の間も他人の眼に触れずに居たというのは不思議です。
また、果してその男が持っていたとすれば、どうして手に入れたのでしょう。
「いや、そいつかも知れません。宝石商だなんて嘘だか本当だか判るもんですか。指輪を沢山持っていたのは、大方死人の指を切ったんでしょう」と、西田さんは言いました。
僕は戦慄しました。
成る程飛騨に居る時に、震災当時そんな悪者の在ったという新聞記事を読んで、よもやと思っていたのですが、西田さんのように解釈すれば、或いはそうかと思われない事もありません。

それはまずそれとして、僕として更に戦慄を禁じ得ないのは、その指輪が西田さんの総領娘の物であったという事です。
こうなると、僕の眼に映った若い女の姿は単に一種の幻覚とのみ言われないようにも思われます。
女の泣き声、女の姿、女の指輪――それが皆縁を引いて繋がっている様にも思われてなりません。
それとも幻覚は幻覚、指輪は指輪、何処まで行っても別物でしょうか。

「なんにしても良い物が手に入りました。これが娘の形見です。貴方と道連れにならなければ、これを手に入れる事は出来なかったでしょう」

礼を言う西田さんの顔を見ながら、僕はまた一種の不思議を感じました。
西田さんは僕と懇意になり、またその僕が病気にならなければ、此処に下車して此処に泊まる筈は有るまい。
一方の夫婦――彼らが西田さんの推量通りであるならば――これもその女房が病気にならなかったら、恐らく此処には泊まらずに行き過ぎてしまったであろう。
彼らも偶然に此処に泊まり、我々も偶然に此処に泊まり合せて、娘の指輪はその父の手に戻ったのである。
勿論それは偶然であろう。
偶然と言ってしまえば、簡単明瞭に解決が付く。
しかしそれは余りに平凡な月並式の解釈であって、この事件の背後にはもっと深い怖ろしい力が潜んでいるのではあるまいか。
西田さんもこんな事を言いました。

「これは貴方のお蔭、もう一つには娘の魂が私達を此処へ呼んだのかも知れません」
「そうかも知れません」

僕は厳かに答えました。

我々は翌日東京に着いて、新宿駅で西田さんに別れました。
僕の宿は知らせておいたので、十月の半ば頃になって西田さんは訪ねて来てくれました。
店の職人三人は段々に出て来たが、後一人はどうしても判らない。
兎も角も元の所にバラックを建てて、この頃漸く落ち着いたと言う事でした。
「それにしても、女の人達はどうしました?」と、僕は訊きました。

「私の手に戻って来たのは、貴方に見付けて頂いた指輪一つだけです」

僕はまた胸が重くなりました。




…地震は恐い。
天災はどれも恐いが、中でも地震は頗る恐い。
己の足下が崩れる恐怖は、他に例えようも無いだろう。
最近関東では揺れが頻繁に続いているが…まぁ元より大陸プレートが沈む上に在る国、何時になるかは判らぬが、海に没するのが運命というもの。
近く関東大震災が起きた九月一日がやって来る…ゆめゆめ用心怠らないで居る事だ。

それにしても指輪が父に届いた偶然は何なのだろう?
いや、話中のK君も語っているが、単なる「偶然」と流して良いものだろうか……


…今夜の話は、これでお終い。

おやおや、また貴殿の隣に居た者が、器だけを残して消えている。
それとも見えないだけで、「居る」のかも知れないがね。
今夜は送り盆だ、忘れず火を焚いて送るように…でないと貴殿の傍にずっと居ついてしまうよ。

さてそれじゃあ…蝋燭を1本吹消して貰えるかい。

……有難う。

どうか気を付けて帰ってくれ給え。

――いいかい?

夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
風呂に入ってる時に、足下を見ないように。
そして、夜に貴殿の名を呼ぶ声が聞えても、決して応えないように…。

では御機嫌よう。
また次の晩に、お待ちしているからね…。




参考、『異妖の怪談集 岡本綺堂伝奇小説集、其ノ二 ―指輪一つ―(原書房、刊)』。
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異界百物語 ―第79話―(前編)

2009年08月16日 20時36分22秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
世間は盆だというのに、貴殿は何処へも行かないのかい?
いやこれは済まない、配慮の足りない質問をしてしまったね。
こんな暑い最中に出掛けても癒されず苦行に思えるだけ、ならば家の中に篭って居るのも一興だろう。
今カキ氷を出すから、連れの人と一緒に、何時もの席に座って待って居てくれ給え。

氷を削るのも中々腕が必要らしく、名人ともなるとそれはまるで粉雪の様な口融けであるらしい。
友人が言うには、京都に訪れた際、正しくその一品を口にする機会に恵まれたそうだ。
その京風のカキ氷には遠く及ばないが、足りない風味はシロップに頼るとしよう。
イチゴにみぞれにメロンにグレープにラムネに抹茶にコーラにレモンにブルーハワイ、最近ではマンゴーなんてのも有るらしいが、どれを掛けるかい?

さて今夜紹介するのも岡本綺堂作の怪談で、綺堂お得意の「他人に語らせる」体裁を取るものだ。
関東大震災に纏わる――あれはまったく酷い災難だったようで、綺堂自身も遭い、家財蔵書が全焼して、住み慣れた家を後にする破目になったそうだ――奇妙で切ない話だよ。

話を語るのは、仮に「K君」と呼ばれる人物だ……




「あの時は実に驚きました。勿論、僕ばかりではない、誰だって驚いたに相違有りませんけれど、僕などはその中でも一層強いショックを受けた一人で、一時はまったく呆としてしまいました」と、K君は言った。
恒例の青蛙堂の会の座中では最も年の若い私立大学生で、大正十二年の震災当時は飛騨の高山に居たと言うのである。


あの年の夏は友人二人と三人連れで京都へ遊びに行って、それから大津の辺りをぶらぶらしていて、八月の二十日過ぎに東京へ帰る事になったのです。
それから真っ直ぐに帰ってくれば良かったのですが、僕は大津に居る間に飛騨へ行った人の話を聞かされて、なんだか一種の仙境の様な飛騨という所へ一度は踏み込んでみたいような気になって、帰りの途中でその事を言い出したのですが、二人の友人は同意しない。
自分独りで出かけて行くのも何だか寂しいようにも思われたので、僕も一旦は躊躇したのですが、やっぱり行ってみたいという料簡が勝を占めたので、とうとう岐阜で道連れと別れて、一騎駈けて飛騨の高山まで踏み込みました。
その道中にも多少のお話が有りますが、そんな事を言っていると長くなりますから、途中の話は一切抜きにして、手っ取り早く本題に入る事にしましょう。

僕が震災の報知を初めて聞いたのは、高山に着いてから丁度一週間目だと覚えています。
僕の宿屋に泊まっていた客は、他に四組有りまして、どれも関東方面の人ではないのですが、それでも東京の大震災だと言うと、皆顔の色を変えて驚きました。
町中も引っくり返るような騒ぎです。
飛騨の高山――此処らは東京とそれほど密接の関係も無さそうに思っていましたが、実地を踏んでみると中々そうでない。
此処らからも関東方面に出ている人が沢山在るそうで、甲の家からは息子が出ている、乙の家からは娘が嫁に行っている。
やれ、叔父が居る、叔母が居る、兄弟が居ると言うような訳で、役場へ聞き合せに行く。
警察へ駈け付ける。
新聞社の前に集まる。
その周章と混乱はまったく予想以上でした。
恐らく何処の土地でもそうであったでしょう。
何分にも交通不便の土地ですから、詳細な事が早く判らないので、町の青年団は岐阜まで出張して、刻々に新しい報告をもたらして来る。
こうして五、六日を過ぎる内にまず大体の事情も判りました。
それを待ち兼ねて町から続々上京する者が在る。
僕もどうしようかと考えたのですが、御承知の通り僕の郷里は中国で、今度の震災には殆ど無関係です。
東京に親戚が二軒在りますが、何れも山の手の郊外に住んで居るので、さしたる被害も無い様です。
してみると、何もそう急ぐにも及ばない。
その上に自分は酷く疲労している。
なにしろ震災の報知を聞いて以来六日ばかりの間は殆ど一睡もしない、食い物も旨くない。
東京の大部分が一朝にして灰燼に帰したかと思うと、ただ無闇に神経が興奮して、まったく居ても立ってもいられないので、町の人達と一緒になって毎日そこらを駈け廻っていた。
その疲労が一度に打って出たと見えて、急にがっかりしてしまったのです。
大体の模様も判って、まず少しは落ち着いた訳ですけれども、夜はやっぱり眠られない。
食慾も進まない。
要するに一種の神経衰弱に罹ったらしいのです。
ついては、この矢先に早々帰京して、震災直後の惨状を目撃するのは、いよいよ神経を傷付ける恐れが有るので、もう少し此処に踏み留まって、世間もやや静まり、自分の気も静まった頃に帰京する方が無事であろうと思ったので、無理に落ち着いて九月の半ば頃まで飛騨の秋風に吹かれて居たのでした。

しかしどうも本当に落ち着いては居られない。
震災の実情が段々に詳しく判れば判る程、神経が苛立って来る。
もう我慢が出来なくなったので、とうとう思い切って九月の十七日に此処を発つ事にしました。
飛騨から東京へ上るには、北陸線か、東海道線か、二つに一つです。
僕は東海道線を取る事にして、元来た道を引っ返して岐阜へ出ました。
そうして、兎も角も汽車に乗ったのですが、なにしろ関西方面から満員の客を乗せて来るのですから、その混雑は大変、とてもお話にもならない始末で、富山から北陸線を取らなかった事を今更悔んで追っ付かない。
別に荷物らしい物も持って居なかったのですが、体一つの置き所にも困って、今にも圧し潰されるかと思う様な苦しみを忍びながら、どうやら名古屋まで運ばれて来ましたが、神奈川県にはまだ徒歩連絡の所が有るとかいう事を聞いたので、更に方角を変えて、名古屋から中央線に乗る事にしました。
さて、これからがお話です。

「酷い混雑ですな。体が煎餅の様に潰されてしまいます」

僕の隣に立っている男が話しかけたのです。
この人も名古屋から一緒に乗換えて来たらしい。
煎餅の様に潰されるとは本当の事で、僕もさっきからそう思っていた所でした。
どうにかこうにか車内には潜り込んだものの、ぎっしりと押し詰められたままで突っ立っているのです。
おまけに残暑が強いので、汗の匂いやら人いきれやらで眼が眩みそうになって来る。
僕は少し気が遠くなった様な形で、周囲の人達が何かがやがや喋って居るのも、半分は夢の様に聞こえていたのですが、この人の声だけははっきりと耳に響いて、僕も直ぐに答えました。

「まったく大変です。実にやり切れません」
「貴方は震災後、初めてお乗りになったんですか?」
「そうです」

「それでも上りはまだ楽です」と、その男は言いました。

「この間の下りの時は実に怖ろしい位でした」

その男は単衣を腰に巻き付けて、縮の半シャツ一枚になって、足にはゲートルを巻いて足袋裸足になっている。
その身拵えといい、その口振りによって察しると、震災後に東京から何処へか一旦立退いて、再び引っ返して来たらしいのです。
僕は直ぐに訊きました。

「貴方は東京ですか?」
「本所です」

「ああ」と、僕は思わず叫びました。
東京の内でも本所の被害が最も甚だしく、両国の被服厰跡だけでも何万人も焼死したというのを知っていたので、本所と聞いただけでもぞっとしたのです。
「じゃあ、お焼けになったのですね」と、僕は重ねて訊きました。

「焼けたも何も型無しです。店や商品なんぞはどうでもいい。この場合、そんな事をぐずぐず言っちゃあいられませんけれど、職人が四人と女房と娘二人、女中が一人、合せて八人が型無しになってしまったんで、どうも驚いているんですよ」

僕ばかりでなく、周囲の人達も一度にその男の顔を見ました。
車内に押合って居る乗客は皆直接間接に今度の震災に関係の有る人達ばかりですから、本所と聞き、更にその男の話を聞いて、彼に注意と同情の眼を集めたのも無理は有りません。
その内の一人――手拭地の浴衣の筒袖を着ている男が、横合いからその男に話しかけました。

「貴方は本所ですか。私は深川です。家財は勿論型無しで、塵一っ葉残りませんけれど、それでも家の者五人は命からがら逃げ回って、まあ皆無事でした。貴方の所では八人、それが皆行方不明なんですか」

「そうですよ」と、本所の男は頷いた。

「なにしろその当時、私は伊香保へ行っていましてね。丁度朔日の朝に向うを発って来ると、途中であのぐらぐらに出っ食わしたという一件で。仕方が無しに赤羽から歩いて帰ると、あの通りの始末で何がどうなったのかちっとも判りません。牛込の方に親類が在るので、多分そこだろうと思って行ってみると、誰も来て居ない。それから方々を駈け廻って心当たりを探し歩いたんですが、何処にも一人も来て居ない。その後二日経ち、三日経っても、何処からも一人も出て来ない。大津に親類が在るので、もしやそこへ行って居るのではないかと思って、八日の朝東京を発って、苦しい目をして大津へ行ってみると、此処にも誰も居ない。では、大阪へ行ったかとまた追っ駈けて行くと、此処にも来て居ない。仕方が無いので、また引っ返して東京へ帰るんですが、今まで何処へも沙汰の無いのをみると、もう諦めものかも知れませんよ」

大勢の手前も有るせいか、それとも本当に諦めているのか、男は案外にさっぱりした顔をしていましたが、僕は実に堪らなくなりました。
殊にこの頃は著るしく感傷的な気持になって居たので、相手が平気でいればいるほど、僕の方が却って一層悲しくなりました。


今迄は単に本所の男と言っていましたが、それから段々に話し合ってみると、その男は西田と言って、僕にはよく判りませんけれど、店の商売は絞染屋だとかいう事で、まず相当に暮らしていたらしいのです。
年の頃は四十五六で、あの当時の事ですから顔は日に焼けて真っ黒でしたが、体の大きい、元気の好い、見るから丈夫そうな男で、骨太の腕には金側の腕時計等を嵌めていました。
細君は四十一で、総領の娘は十九で、次の娘は十六だと言う事でした。

「これも運で仕方が有りませんよ。家の者ばかりが死んだわけじゃあない、東京中で何万人という人間が一度に死んだんですから、世間一統の事で愚痴も言えませんよ」

人の手前ばかりでなく、西田と言う人は全く諦めているようです。
勿論、本当に悟ったとか諦めたとかいうのではない。
絶望から生み出された拠所無い諦めには相違無いのですが、なにしろ愚痴一つ言わないで、酷く思い切りの良いような様子で、元気良く色々の事を話していました。
殊に僕に向って余計に話しかけるのです。
隣りに立って居るせいか、それとも何となく気に入ったのか、前からの馴染みであるように打解けて話すのです。
僕もこの不幸な人の話し相手になって、幾分でも彼を慰めてやるのが当然の義務であるかのようにも思われたので、無口ながらも努めてその相手になっていたのでした。
その内に西田さんは僕の顔を覗いて言いました。

「貴方、どうかしやしませんか?なんだか顔の色が段々に悪くなるようだが……」

実際、僕は気分が良くなかったのです。
高山以来、毎晩碌々に安眠しない上に、列車の中に立往生をしたままで、すし詰めになって揺すられて来る。
暑さは暑し、人いきれはする。
まったく地獄の苦しみを続けて来たのですから、軽い脳貧血を起したらしく、頭が痛む、嘔気を催して来る。
この際どうする事も出来ないので、さっきから我慢をしていたのですが、それが段々に激しくなって来て、蒼褪めた顔の色が西田さんの眼にも付いたのでしょう。
僕も正直にその話をすると、西田さんも酷く心配してくれて、途中の駅々に土地の青年団などが出張していると、それから薬を貰って僕に飲ませてくれたりしました。
その頃の汽車の時間は不定でしたし、乗客も無我夢中で運ばれて行くのでしたが、午後に名古屋を出た列車が木曽路へ入る頃にはもう暮れかかっていました。
僕はまたまた苦しくなって、頭ががんがん痛んで来ます。
これで押して行ったらば、途中でぶっ倒れるかも知れない。
それも短い時間ならば格別ですが、これから東京迄はどうしても十時間位はかかると思うと、僕にはもう我慢が出来なくなったのです。
そこで、思い切って途中の駅で下車しようと言い出すと、西田さんはいよいよ心配そうに言いました。

「それは困りましたね。汽車の中でぶっ倒れでもしては大変だから、いっそ降りた方が良いでしょう。私も御一緒に降りましょう」
「いえ、決してそれには……」

僕は堅く断りました。
何の関係も無い僕の病気の為に、西田と言う人の帰京を遅らせては、この場合、まったく済まない事だと思いましたから、僕は幾度も断って出ようとすると、脳貧血は益々強くなって来たとみえて、足下がふらふらするのです。

「それ、ご覧なさい。貴方一人じゃあとても難しい」

西田さんは、僕を介抱して、ぎっしりに押詰まっている乗客を掻き分けて、どうやらこうやら車外へ連れ出してくれました。
気の毒だとは思いながら、僕はもう口を利く元気も無くなって、相手のするままに任せておくより他は無かったのです。
その時は夢中でしたが、それが奈良井の駅であるという事を後に知りました。
此処らで降りる人は殆ど無かったようでしたが、それでも青年団が出て居て、色々の世話を焼いていました。
僕はただぼんやりしていましたから、西田さんがどういう交渉をしたのか知りませんが、やがて土地の人に案内されて、町中の古い大きい宿屋の様な家へ送り込まれました。
汗だらけの洋服を脱いで浴衣に着替えさせられて、奥の方の座敷に寝かされて、僕は何かの薬を飲まされて、暫くはうとうとと眠ってしまいました。
眼が覚めると、もうすっかりと夜になっていました。
縁側の雨戸は明け放してあって、その縁側に近い所に西田さんは胡坐を掻いて、独りで巻煙草を吸って居ました。
僕が眼を開いたのを見て、西田さんは声をかけました。

「どうです。気分はよう御座んすか?」
「はあ」

落ち着いて一寝入りしたせいか、僕の頭は余程軽くなったようです。
起き直ってもう眩暈がするような事は無い。枕元に小さい湯沸しとコップが置いてあるので、その水を注いで一杯飲むと、木曽の水は冷たい、気分は急にはっきりして来ました。
「どうも色々御迷惑を懸けて相済みません」と、僕は改めて礼を言いました。

「なに、お互いさまですよ」
「それでも、貴方はお急ぎの所を……」

「こうなったら一日半日を争っても仕様が有りませんよ。助かったものならば何処かに助かっている。死んだものならばとうに死んでいる。どっちにしても急ぐ事は有りませんよ」と、西田さんは相変らず落ち着いていました。
そうは言っても、自分の留守の間に家族も財産も皆消え失せてしまって、何がどうしたのか一切判らないという不幸の境涯に沈んでいる人の心持を思い遣ると、僕の頭はまた重くなって来ました。
「貴方気分が良ければ、風呂へ入って来ちゃあどうです?」と、西田さんは言いました。

「汗を流して来ると、気分がいよいよはっきりしますぜ」
「しかしもう遅いでしょう」
「なに、まだ十時前ですよ。風呂が有るか無いか、ちょいと行って聞いて来てあげましょう」

西田さんは直ぐに立って表の方へ出て行きました。
僕はもう一杯の水を飲んで、初めて辺りを見回すと、此処は奥の下屋敷で十畳の間らしい。
庭には小さい流れが引いてあって、水の際には芒が高く茂っている。
何と言う鳥か知りませんが、何処かで遠く鳴く声が時々に寂しく聞える。
眼の前には高い山の影が真っ黒にそそり立って、澄み切った空には大きい星が銀色に煌いている。
飛騨と木曽と、僕は重ねて山国の秋を見たわけですが、場合が場合だけに、今夜の山の景色の方が何となく僕の心を強く引締める様に感じられました。

「明日もまたあの汽車に乗るのかな」

僕はそれを思ってうんざりしていると、そこへ西田さんが足早に帰って来ました。

「風呂はまだ有るそうです。早く行っていらっしゃい」

催促するように追い立てられて、僕はタオルを持って出て、西田さんに教えられた通りに、縁側から廊下伝いに風呂場へ行きました。




後編へ続く】
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異界百物語 ―第78話―

2009年08月15日 20時55分31秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
台風が去って真夏がやって来たね。
冷たい物が恋しくて仕方ないだろう。
今夜はところてんを用意しておいたよ。
冷えた寒天を硝子の小鉢の中、麺の様に細切りに突き出して、酢醤油とからしで戴くのが定番だと思っていたが、仙台ではシロップ漬けで食うのが決まりだと聞いた事が有る。
それで酢醤油と甘いシロップ、好みの方を選べるよう、両方を用意しておいたのだが…所変れば味も変るものだね。

さて今夜も岡本綺堂の作で、盆に相応しく燈籠に纏わる怪談を語ろうと思う。
とは言えあの有名な、夜毎通いにやって来る幽霊を主題にした、「牡丹燈籠」の様な怪談ではない。




嘉永初年の事である。
四谷塩町の亀田屋という油屋の女房が熊吉と言う小僧を連れて、市ヶ谷の合羽坂下を通った。
それは七月十二日の夜の四つ半(午後十一時)に近い頃で、今夜は此処らの組屋敷や商人店を相手に小さい盆市が開かれていたのであるが、山の手の事であるから月桂寺の四つの鐘を合図に、それらの商人も皆店を閉まって帰って、路端には売れ残りの草の葉等が散っていた。

「商いを終えたら、後片付けをせずに帰っちまうなんて…罰当たりだねえ」

こんな事を言いながら、女房は小僧に持たせた提灯の火を頼りに暗い夜路を辿って行った。
町家の女房が寂しい夜更けに、どうして此処らを歩いて居るかというと、それは親戚に不幸が有って、その悔みに行った帰り路であった。
本来ならば通夜をすべきであるが、盆前で店の方も忙しいので、所謂半通夜で四つ過ぎにそこを出て来たのである。
月の無い暗い空で、初秋の夜更けの風が冷々と肌に沁みるので、女房は薄い着物の袖を掻き合せながら路を急いだ。
一時か半時前迄は土地相応に賑わっていたらしい盆市の後も、人一人通らない程に静まっていた。
女房が言う通り、市商人は碌々に後片付けをして行かないと見えて、そこらには萎れた鼠尾草(みそはぎ)や、破れた蓮の葉等が穢ならしく散っていた。
唐もろこしの殻や西瓜の皮等も転がっていた。
その狼藉たる中を踏み分けて、二人は足を早めて来ると、三、四間先に盆燈籠の影を見た。
それは普通の形の白い切子燈籠で、別に不思議も無いのであるが、それが往来の殆ど真ん中で、しかも土の上に据えられてあるように見えたのが、この二人の注意を引いた。
「熊吉。御覧よ。燈籠はどうしたんだろう?おかしいじゃないか」と、女房は小声で言った。
小僧も立ち止った。

「誰かが落して行ったんでしょうか?」

落し物にも色々有るが、切子燈籠を往来の真ん中に落して行くのは少しおかしいと女房は思った。
小僧は持っている提灯を翳して、その燈籠の正体を確かに見届けようとすると、今まで白く見えた燈籠が段々に薄赤くなった。
さながらそれに灯が入った様に思われるのである。
そうして、その白い尾を夜風に軽く靡かせながら、地の上からふわふわと舞い上がって行くらしい。
女房は冷たい水を浴びせられた様な心持になって、思わず小僧の手をしっかりと掴んだ。

「ねえ、お前。どうしたんだろうね…?」
「どうしたんでしょう…」

熊吉も息を呑み込んで、怪しい切子燈籠の影をじっと見つめていると、それは余り高くも揚がらなかった。
精々が地面から三、四尺程の所を高く低く揺らめいて、前に行くかと思うと又後の方へ戻って来る。
ちょっと見ると風に吹かれて漂っている様にも思われるが、仮にも盆燈籠程の物が風に吹かれて空中を舞い歩く筈も無い。
殊に薄明るく見えるのも不思議である。
何かの魂がこの燈籠に宿っているのではないかと思うと、女房はいよいよ不気味になった。
今夜は盂蘭盆の市で、夜ももう更けている。
しかも今まで新仏の前に通夜をして来た帰り路であるから、女房は尚更薄気味悪く思った。
両側の店屋は何処も大戸を下ろしているので、いざという場合にも駈け込む所が無い。
彼らはそこに立竦んでしまった。
「人魂かしら?」と、女房はまた囁いた。
「そうですねえ」と、熊吉も考えていた。

「いっそ引っ返そうかねえ」
「後へ戻るんですか?」
「だって、お前。気味が悪くって行かれないじゃあないか」

そんな押問答をしている内に、燈籠の灯は消えた様に暗くなった。
と思うと、五、六間先の方へゆらゆらと飛んで行った。
「きっと狐か狸ですよ。畜生!」と、熊吉は罵るように言った。
熊吉は今年十五の前髪であるが、年の割には柄も大きく、力も有る。
女房もそれを見込んで今夜の供に連れて来た位であるから、最初こそは燈籠の不思議を怪しんでいたが、段々に度胸が据わって来て、彼はこの不思議を狐か狸の悪戯と決めてしまった。
彼は提灯の光でそこらを照らしてみて、路端に転がっている手頃の石を二つ三つ拾って来た。

「あれ、お止しよ!」

危ぶんで制する女房に提灯を預けて、熊吉は両手にその石を持って、燈籠の行方を睨んでいると、それがまた薄明るくなった。
そうして、向きを変えてこっちへ舞い戻って来たかと思うと、あたかも火取り虫が火に向って来る様に、女房の持っている提灯を目がけて一直線に飛んで来たので、女房はきゃっと言って提灯を投げ出して逃げた。

「畜生!」

熊吉はその燈籠に石を叩き付けた。
慌てたので、第一の石は空を打ったが、続いて投げつけた第二の礫は燈籠の真っ唯中に当って、確かに手応えがしたように思うと、燈籠の影は吹き消した様に闇の中に隠れてしまった。
その間に、女房は右側の店屋の大戸を一生懸命に叩いた。
彼女はもう怖くて堪らないので、何処でも構わずに叩き起して、当座の救いを求めようとしたのであった。
一旦消えた燈籠は再び何処からか現れて、あたかも女房が叩いている店の中へ消えて行く様に見えたので、彼女はまたきゃっと叫んで倒れた。
叩かれた家では容易に起きて来なかったが、その音に驚かされて隣りの家から四十前後の男が半裸体の様な寝巻姿で出て来た。
彼は熊吉と一緒になって、倒れている女房を介抱しながら自分の家へ連れ込んだ。
その店は小さい煙草屋であった。
気絶こそしないが、女房はもう真っ蒼になって動悸のする胸を苦しそうに抱えているので、亭主の男は家内の物を呼び起して、女房に水を飲ませたりした。
漸く正気に返った女房と小僧から今夜の出来事を聞かされて、煙草屋の亭主も眉を寄せた。

「その燈籠は間違い無く隣りの家へ入りましたかえ?」

確かに入ったと二人が答えると、亭主はいよいよ顔を顰めた。
その娘らしい十七八の若い女も顔の色を変えた。
「成る程、そうかも知れません」と、亭主はやがて言い出した。

「それはきっと隣りの娘ですよ」

女房はまた驚かされた。
彼女が身を固くして相手の顔を見詰めていると、亭主は小声で語った。

「隣りの家は小間物屋で、主人は六年ほど前に死にまして、今では後家の女主が、小僧一人と女中一人と共に、慎ましやかに暮らしては居ますけれど、他に貸し家等も持っていて、中々裕福だと言う事です。ところが、お貞さんと言う一人娘……今年十八で、私の家の娘とも子供の時からの遊び友達で、容貌も悪くなし、人柄も悪くない娘なのですが、半年ほど前にもこんな事が有りました。
 何でも正月の暗い晩でしたが、やはり夜更けに隣りの戸を叩く音が聞える、私は眼敏いもんですから、何事かと思って起きて出ると、侍らしい人が隣りのおかみさんを呼出して何か話している様でしたが、やがてそのまま立去ってしまったので、私もそのままに寝てしまいました。すると、明くる日になって、隣のお貞さんが家の娘にこんな事を話したそうです。
 『私は昨夜位怖かった事は無い。何でも暗いお堀端の様な所を歩いて居ると、一人のお侍が出て来て、いきなり刀を抜いて斬りつけようとする。逃げても、逃げても、追っ駆けて来る。それでも一生懸命に家まで逃げて帰って、表口から転げるように駈け込んで、まあ良かったと思うと夢が覚めた。そんなら夢であったのか。どうしてこんな怖い夢を見たのかと思う途端に、表の戸を叩く音が聞えて、おっ母さんが出てみると、表には一人のお侍が立っていて、その人の言うには、今此処へ来る途中で往来の真ん中に火の玉の様な物が転げ歩いて居るのを見た』……」

聞いている女房はまたも胸の動悸が高くなった。
亭主は一と息吐いてまた話し出した。

「そこでそのお侍は、きっと狐か狸が俺を化かすに相違ないと思って、刀を抜いて追い回している内に、その火の玉は宙を飛んで此処の家へ入った。本当の火の玉か、化物か、それは勿論判らないが、なにしろ此処の家へ飛び込んだのを確かに見届けたから、念の為に断って置くとか言うのだそうです。隣の家でも気味悪がって、すぐにそこらを検めてみだが、別に怪しい様子も無いので、お侍にそう言うと、その人も安心した様子で、それならば良いと言って帰った。お貞さんも奥でその話を聞いていたので、寝床から抜出してそっと表を覗いてみると、店先に立って居る人は自分がたった今、夢の中で追い回された侍そのままなので、思わず声を上げた位に驚いたそうです。
 お貞さんは家の娘にその話をして、『これが本当の正夢というのか、なにしろ生れてからあんなに怖い思いをした事は無かった』と言ったそうですが、お貞さんよりも、それを聞いた者の方が一倍気味が悪くなりました。その火の玉というのは一体何でしょう。お貞さんが眠っている間に、その魂が自然に抜け出して行ったのでしょうか。それ以来、家の娘はなんだか怖いと言って、お貞さんとはなるたけ附合わないようにしている位です。そういう訳ですから、今夜の盆燈籠もやっぱりお貞さんかも知れませんね。小僧さんが石をぶつけたと言うから、お貞さんの家の盆燈籠が破れてでもいるか、それともお貞さんの体に何か傷でも付いているか、明日になったらそれとなく探ってみましょう」

こんな話を聞かされて、女房もいよいよ怖くなったが、まさかに、此処の家に泊めて貰うわけにもいかないので、亭主には篤く礼を言って、怖々ながら此処を出た。
家へ帰り着く迄に再び火の玉にも盆燈籠にも出逢わなかったが、彼らの着物は冷汗が絞れる程に塗れていた。

それから二、三日後に、亀田屋の女房は此処を通って、この間の礼ながらに煙草屋の店へ立寄ると、亭主は小声で言った。

「全く相違有りません。隣りの家の切子は、石でも当った様に破れていて、誰がこんな悪戯をしたんだろうと、おかみさんが言っていたそうです。お貞さんには別に変った事も無い様で、さっきまで店に出ていました。なにしろ不思議な事も有るもんですよ」

「不思議ですねえ」と、女房もただ溜息を吐くばかりであった。

この奇怪な物語はこれぎりで、お貞と言う娘はその後どうしたか、それは何にも伝わっていない。




…一種の生霊の類に思えるが、その姿は無く燈籠だけがふわふわと見えるのは、イメージしてみるに妖しく恐ろしい。
離魂病と言って、魂が勝手に体から抜け出るのは、意外に有ると聞く。
そして一度でも抜け出ると、癖になってしまうそうだから、貴殿も気を付けられるが良い。
昨夜の夢で、誰かに追われやしなかったかい?


…今夜の話は、これでお終い。
さあ…蝋燭を1本吹消して貰えるかな。

……有難う。

気が付けば、また貴殿の隣が、器だけ残して、消えて居なくなっているね。
これもひょっとすると、誰かの魂が迷い出て来たのかもしれない。

出口はこちらだ、気を付けて帰ってくれ給え。

――いいかい?

夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
風呂に入ってる時に、足下を見ないように。
そして、夜に貴殿の名を呼ぶ声が聞えても、決して応えないように…。

それでは御機嫌よう。
また次の晩に、お待ちしているからね…。




参考、『影を踏まれた女―岡本綺堂怪談集―(光文社、刊)』。
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異界百物語 ―第77話―

2009年08月14日 21時17分31秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
毎日口癖の様に「暑い」と言っているだろうが、今夜は格別に蒸すねぇ。
暑気払いになればと思って、西瓜を冷やしておいたよ。
この、人間の首程も有る大きさ、立派なものだろう?
と或る畑で収穫した物を数個譲り受けてね、多分此処に居る人数分に分けられると思うよ。
今包丁で切るから、ちょっと待ち給え。

美味しいかい?
ああ、それは良かった。
夏といえば、こいつに齧り付くのが風流、赤い汁が迸って、まるで血の様じゃないか。

…不謹慎な表現、済まなかったね。
口直しに今夜は、西瓜に纏わる怪談を紹介しよう。
この百物語の会の席ではお馴染の岡本綺堂の作で、題はずばり「西瓜」。
或る年の夏休みに、静岡の実家に帰った倉沢と言う友人を訪ねて、半月あまり逗留した「M君」が語ってくれた話だそうだ。



倉沢の家は旧幕府の旗本で、維新の際にその祖父という人が旧主君の供をして、静岡へ無禄移住をした。
平生から用心の良い人で、多少の蓄財も有ったのを幸いに、幾らかの田地を買って帰農したが、後には茶を作るようにもなって、士族の商法が頗る成功したらしく、今の主人即ち倉沢の父の代になると大勢の雇人を使って、中々盛んにやっているように見えた。
祖父という人は既に世を去って、離れ座敷の隠居所は殆ど空家同様になっているので、私は逗留中そこに寝起きをしていた。
「母屋よりも此処の方が静かで良いよ」と倉沢は言ったが、実際此処は閑静で居心地の良い八畳の間であった。
しかしその逗留の間に三日程雨が降り続いた事も有り、私はやや退屈を感じなくもなかった。
勿論、倉沢は母屋から毎日出張って来て、話し相手になってくれるのではあるが、久し振りに出逢った友達というのではなし、東京の同じ学校で毎日顔を合せているのであるから、今さら特別に珍しい話題が湧き出して来よう筈も無い。
その退屈が段々に嵩じて来た三日目の夕方に、倉沢は袴羽織という扮装で私の座敷へ顔を出した。
彼は気の毒そうに言った。

「実は町に居る親戚の家より、老人が急病で死んだという通知が来たので、これからちょっと行って来なければならない。都合によると、今夜はそこへ泊まり込む事になるやも知れぬ。君一人で寂しいだろうが、まあ我慢してくれたまえ。この間話した事の有る写本だがね。家の者に言いつけて土蔵の中から捜し出させて置いたから、退屈凌ぎに読んで見たまえ。格別面白い事も有るまいとは思うが……」

彼は古びた写本七冊を私の前に置いた。

「この間も話した通り、僕の家の六代前の主人は享保から宝暦の頃に生きて居たのだそうで、雅号を杏雨(きょうう)と言って俳句などもやったらしい。その杏雨が何くれとなく書き集めて置いた一種の随筆がこの七冊で、元々随筆の事だから何処まで書けば良いという事もないだろうが、とにかくまだこれだけでは完結しないとみえて、題号さえも付けてないのだ。維新の際に祖父も大抵の物は売り払ってしまったのだが、これだけはまず残して置いた。勿論、売るといったところで買い手も無く、さりとて紙屑屋へ売るのも何だか惜しいような気がするので、保存するという意味でもなしに自然保存されて、今日まで無事であったという訳だが、古葛篭の底に押し込まれたままで誰も読んだ者も無かったのを、先頃の土用干しの時に、僕が測らず発見したのだ」

「それでも二足三文で紙屑屋なんぞに売られてしまわなくって好かったね。今日になってみれば頗る貴重な書き物が維新当時に皆反古にされてしまったからね」と、私は所々に虫喰いの有る古写本を眺めながら言った。

「なに、それほど貴重な物ではないに決まっているがね。君はそんな物に趣味を持っているようだから、まあ読んでみて、何か面白い事でも有ったら僕にも話してくれたまえ」

こう言って倉沢は雨の中を出て行った。
彼の言う通り、私は若いくせにこんな物に趣味を持っていて、東京に居る間も本郷や神田の古本屋漁りをしているので、一種の好奇心も手伝って直ぐにその古本を引き寄せて見ると、成る程二百年も前の物かも知れない。黴臭い様な紙の匂いが何だか昔懐かしい様にも感じられた。一冊は半紙二十枚綴りで、七冊百四十枚、それに御家流で丹念に細かく書かれているのであるから、全部を読了するには中々の努力を要すると、私も始めから覚悟して、今日は何時もよりも早く電燈のスイッチを捻って、小さい卓袱台の上でその第一冊から読み始めた。

随筆と言うか、覚え帳と言うか、その中には種々雑多の事件が書き込まれていて、和歌や俳諧等の風流な記事が有るかと思えば、公辺の用務の記録も有る。
題号さえも付けてない位で、本人は勿論世間に発表する積りは無かったのであろうが、それにしても余りに乱雑な体裁だと思いながら、根気良く読み続けている内に「深川仇討の事」「湯島女殺しの事」等と言うような、その当時の三面記事らしき物を発見した。
それに興味を誘われて、更に読み続けて行くと、「稲城家の怪事」という標題の記事を又見付けた。
それにはこういう奇怪の事実が記されてあった。


原文には単に今年の七月初めと書いてあるが、その年の二月、行徳(ぎょうとく)の浜に鯨が流れ寄ったという記事から想像すると、それは享保十九年の出来事であるらしい。
日も暮れ六つに近い頃に、1人の中間と思しき若い男が風呂敷包みを抱えて、下谷御徒町辺を通りかかった。
そこには某藩侯の辻番所が在る。
これも単に某藩侯とのみ記してあるが、下谷御徒町というからは、恐らく立花家の辻番所であろう。
その辻番所の前を通りかかると、番人の1人がかの中間に眼を付けて呼び止めた。

「これ、待て!」

由来、武家の辻番所には「生きた親爺の捨て所」と川柳に嘲られるような、半耄碌の老人が詰めて居るものだが、此処には「筋骨逞しき血気の若侍のみ詰め居たれば、世の人常に恐れをなしけり」と原文に書いてある。
その血気の若侍に呼び止められて、中間は大人しく立ち止ると、番人は更に訊いた。

「おまえの持っている物は何だ?」
「これは西瓜で御座ります」
「開けて見せろ」

中間は素直に風呂敷を開けると、その中から女の生首が出た。
番人は声を荒くして詰った。

「これが西瓜か!」

中間は真っ蒼になって、口も利けなくなって、唯ぼんやりと突っ立っていると、他の番人も続いて出て来て、直ぐに彼を捻じ伏せて縄をかけてしまった。
三人の番人はその首を検めると、それは二十七八か、三十前後の色こそ白いが醜い女で、眉も剃らず、歯も染めていないのを見ると、人妻でない事は明らかであった。
ただ不思議なのは、その首の切口から血の滴っていない事であるが、それは決して土人形の首ではなく、確かに人間の生首である。
番人らは一応その首を検めた上で、再び元の風呂敷に包み、更にその首の持参者の詮議に取りかかった。

「おまえは一体何処の者だ?」
「本所の者で御座ります」
「武家奉公をする者か?」

それからそれへと厳重の詮議に対して、中間は震えながら答えた。
彼はまだ江戸馴れない者であるらしく、殊に異常の恐怖に襲われて半分酔っ払いの様に呂律が回らず居たが、それでも尋ねられる事に対しては皆、一通りの答弁をしたのである。
彼は本所の御米蔵の側に小屋敷を持っている稲城八太郎の奉公人で、その名を伊平といい、上総の八幡在から三月前に出て来た者であった。
したがって、江戸の勝手も方角もまだよく判らない。
今日は主人の言い付けで、湯島の親類へ七夕に供える西瓜を持って行く途中、道を誤って御徒町の方角へ迷い込んで来たものであるという事が判った。

「湯島の屋敷へは今日初めて参るものか?」と、番人は訊いた。
「いえ、今日でもう四度目で御座りますから、なんぼ江戸馴れないと申しても、道に迷う筈は無いので御座りますが……」と、中間は自分ながら不思議そうに小首を傾げていた。

「主人の手紙でも持っているか?」
「御親類の事で御座りますから、別にお手紙は御座りません。ただ口上だけで御座ります」
「その西瓜というのはお前も検めて来たのか?」

「お出入りの八百屋へ参りまして、私が自分で取って来て、旦那様や御新造様のお目にかけ、それで宜しいと言うので風呂敷に包んで参ったので御座りますから……」と、彼は再び首を傾げた。

「それが途中でどうして人間の首に変りましたか。まるで夢の様で御座ります。まさか狐に化かされたのでも御座りますまいが……。何がどうしたのか一向に解りません」

暮れ六つといっても、この頃の日は長いので往来は明るい。
しかも江戸の真ん中で狐に化かされるなどという事の有るべき筈がない。
さりとて田舎者丸出しで見るから正直そうなこの若い中間が嘘偽りを申立てようとも思われないので、番人らも共に首を傾げた。
第一、何かの子細が有って人間の生首を持参するならば、夜中密かに持ち運ぶべきであろう。
暮れ方といっても夕日の光りのまだ消え残っている時刻に、平気でそれを抱え歩いているのは、あまりに大胆過ぎているではないか。
もし又、彼の申立てを真実とすれば、近頃奇怪千万の出来事で、西瓜が人間の生首に変るなどとは、どう考えても判断の付かない事ではないか。
番人らも実に思案に惑った。

「どうも不思議だな。もう一度よく検めてみよう」

彼らは念の為に、再びその風呂敷を開けて見て、一斉にあっと言った。
中間も思わず声を上げた。
風呂敷に包まれた女の生首は元の西瓜に変っているのである。
叩いてみても、転がして見ても、それは確かに青い西瓜である。
西瓜が生首となり、更に西瓜となり、さながら魔術師に操られたような不思議を見せたのであるから、諸人の驚かされるのも無理はない、それも一人の眼ならば見損じという事も有ろうが、若い侍が三人、若い中間が一人、その四人の眼に生首と見えた物が忽ち西瓜に変るなどとは、まったく狐に化かされたとでも言うの他は有るまい。
かれらは徒らに呆れた顔を見合せて、暫くは溜息を吐いて居るばかりであった。


伊平は無事に釈された。
如何に評議したところで、結局どうにも解決の付けようが無いので、武勇を誇るこの辻番所の若侍らも伊平をそのまま釈放してしまった。
たといその間に如何なる不思議が有ったにしても、西瓜が元の西瓜である以上、彼らはその持参者の申立てを信用して、無事に済ませるより他は無かったのである。
伊平は早々に此処を立去った。

表へ出て若い中間はほっとした。
彼は疑問の西瓜を抱えて、湯島の方へ急いで行きかけたが、小半町程で又立ち止った。
これをこのまま先方へ届けて好いか悪いかと、彼はふと考え付いたのである。
どう考えても奇怪千万なこの西瓜を黙って置いて来るのは何だか気懸りである。
さりとて、途中でそれが生首に化けましたなどと正直に言うわけにもいくまい。
これは一先ず自分の屋敷へ引っ返して、主人に一応その次第を訴えて、何かの指図を仰ぐ方が無事であろうと、彼は俄かに足の方角を変えて、本所の屋敷へ戻る事にした。
辻番所でも相当に暇取ったので、長い両国橋を渡って御米蔵に近い稲城の屋敷へ帰り着いた頃には、日もすっかり暮れ切っていた。
稲城は小身の御家人で、主人の八太郎夫婦と下女一人、僕一人の四人暮らしである。
折りから主人の朋輩の池部郷助(いけべごうすけ)と言うのが来合せて、奥の八畳の縁先で涼みながら話して居た。
狭い屋敷であるから、伊平は裏口からずっと通って、茶の間になっている六畳の縁の前に立つと、御新造のお米(よね)は透かし視て声をかけた。

「おや、伊平か。早かったね」
「はい」
「なんだか息を切っているようだが、途中でどうかしたのかえ?」

「はい。どうも途中で飛んだ事が御座りまして……」と、伊平は気味の悪い持ち物を縁側に降ろした。

「実はこの西瓜が……」
「その西瓜がどうしたの?」
「はい」

伊平は何か口篭っているので、お米も少し焦れったくなったらしい、行燈の前を離れて縁側へ出て来た。

「それでお前、湯島へは行って来たの?」
「いえ、湯島のお屋敷へは参りませんでした」
「なぜ行かないんだえ?」

訳を知らないお米はいよいよ焦れて、自分の眼の前に置いてある風呂敷包みに手をかけた。
「実はその西瓜が……」と、伊平は同じ様な事を繰返していた。

「だからさ。この西瓜がどうしたというんだよ?」

言いながらお米は念の為に風呂敷を開けると、忽ちに驚きの声を上げた。
伊平も叫んだ。
西瓜は再び女の生首と変っていたのである。

「何だってお前、こんな物持って来たのだえ!」

流石は武家の女房である。
お米は一旦驚きながらも、手早くその怪しい物に風呂敷を被せて、上からしっかりと押え付けてしまった。
その騒ぎを聞き付けて、主人も客も座敷から出て来た。

「どうした、どうした!」
「伊平が人間の生首を持って帰りました!」

「人間の生首……。飛んでもない奴だ。訳を言え!」と、八太郎も驚いて詮議した。
こうなれば躊躇しても居られない。
元々それを報告する積りで帰って来たのであるから、伊平は下谷の辻番所における一切の出来事を訴えると、八太郎は勿論、客の池部も眉を寄せた。

「何かの見違いだろう。そんな事が有るものか!」

八太郎は妻を押し退けて、自らその風呂敷を刎ね除けて見ると、それは人間の首ではなかった。
八太郎は笑い出した。

「それ見ろ!これがどうして人間の首だ!」

しかしお米の眼にも、伊平の眼にも、確かにそれが人間の生首に見えたと言うので、八太郎は行燈を縁側に持ち出して来て、池部と一緒によく検めてみたが、それは間違い無く西瓜であるので、八太郎はまた笑った。
しかし池部は笑わなかった。

「伊平は前の一件が有るので、再び同じ幻を見たとも言えようが、何にも知らない御新造までが人間の生首を見たというのは如何にも不思議だ。これは強ちに辻番人の粗忽や伊平の臆病とばかりは言われまい。念の為にその西瓜を断ち割って見てはどうだな?」

これには八太郎も異存は無かった。
然らば試みに割ってみようと言うので、彼は刀の小柄を突き立ててきりきりと引き回すと、西瓜は真っ紅な口を開いて、一匹の青い蛙を吐き出した。
蛙は跳ね上がる暇も無しに、八太郎の小柄に突き透された。
「こいつの仕業かな」と、池部は言った。
八太郎は西瓜を真っ二つにして、更にその中を探ってみると、幾筋かの髪の毛が発見された。
長い髪は蛙の後足の一本に強く絡み付いて、あたかも彼を繋いでいるかの様にも見られた。
髪の毛は女の物であるらしかった。
西瓜が醜い女の顔に見えたのも、それから何かの糸を引いているのかも知れないと思うと、八太郎ももう笑っては居られなくなった。
お米の顔は蒼くなった。
伊平は震え出した。
「伊平!直ぐに八百屋へ行って、この西瓜の出所を詮議して来い!」と、主人は命令した。
伊平は直ぐに出て行ったが、暫くして帰って来て、主人夫婦と客の前でこういう報告をした。

八百屋の説明によると、その西瓜は青物市場から仕入れて来たのではない。
柳島に近い所に住んでいる小原数馬(おはらかずま)と言う旗本屋敷から受取った物である。
小原は小普請入りの無役といい、屋敷の構えも広いので、裏の空き地一円を畑にして色々の野菜を作っているが、それは自分の屋敷内の食料ばかりでなく、一種の内職のようにして近所の商人にも払い下げている。
なんといっても殿様の道楽仕事であるから、市場で仕入れて来るよりも割安であるのを幸いに、ずるい商人らはお世辞で誤魔化して、相場外れの廉値で引取って来るのを例としていた。
八百屋の亭主は伊平の話を聴いて顔を顰めた。

「実は小原様のお屋敷から頂く野菜は、元値も廉し、品も好し、誠に結構なのですが、時々お得意先からお叱言が来るので困ります。現にこの間も南瓜から小さい蛇が出たと言ってお得意から叱られましたが、それもやっぱり小原様から頂いて来たのでした。ところで、今度はお前さんのお屋敷へ納めた西瓜から蛙が出るとは……。尤もあの辺には蛇や蛙が沢山棲んでいますから、自然その卵がどうかして入り込んで南瓜や西瓜の中で育ったのでしょうな。しかし西瓜が女の生首に見えたなぞは少し念入り過ぎる。伊平さんも真面目そうな顔をしていながら、人を驚かすのが中々巧いね!ははははは!」

八百屋の亭主も西瓜から蛙の飛び出した事だけは信用したらしかったが、それが女の首に見えた事は伊平の冗談と認めて、全く取合わない。
伊平はそれが紛れもない事実である事を主張したが、口下手の彼はとうとう相手に言い負かされて、結局不得要領で引揚げて来たのである。
しかし、かの西瓜が小原数馬の畑から生れた事だけは明白になった。
同じ屋敷の南瓜から蛇の出た事も判った。
しかしその蛇にも女の髪の毛が絡んでいたかどうかは、伊平は聞き洩らした。
もうこれ以上は詮議の仕様も無いので、八太郎はその西瓜を細かく切り刻んで、裏手のごみ溜めに捨てさせた。

明くる朝、試しにごみ溜めを覗いて見ると、西瓜は皮ばかり残っていて、紅い身は水の様に融けてしまったらしい。
青い蛙の死骸も見えなかった。

事件はそれで済んだのであるが、八太郎はまだ何だか気になるので、二、三日過ぎた後、下谷の方角へ出向いたついでに、かの辻番所に立寄って聞き合せると、番人らは確かにその事実の有った事を認めた。
そうして、自分達は今でも不審に思っていると言った。
それにしても、なぜ最初に伊平を怪しんで呼び止めたかと訊くと、唯何となくその挙動が不審であったからであると彼等は答えた。
江戸馴れない山出しの中間が道に迷ってうろうろしていたので、挙動不審と認められたのも無理は無いと八太郎は思った。
しかし段々話している内に、番人の一人は更にこんな事を洩らした。

「まだそればかりでなく、あの中間の抱えている風呂敷包みから生血が滴っている様にも見えたので、いよいよ不審と認めて詮議致したので御座るが、それも拙者の見間違いで、近頃面目も御座らぬ」

それを聞かされて、八太郎はまた眉を顰めたが、その場はいい加減に挨拶して別れた。
その西瓜から蛙や髪の毛の現れた事など、彼は一切語らなかった。

稲城の屋敷にはその後別に変った事も無かった。
八太郎は家内の者を戒めて、その一件を他言させなかったが、この記事の筆者は或る時かの池部郷助からその話を洩れ聞いて、稲城の主人にそれを問質すと、八太郎は全くその通りであると迷惑そうに答えた。
それはこの出来事が有ってから四月程の後の事で、中間の伊平は無事に奉公して居た。
彼は見るからに実体な男であった。

その西瓜を作り出した小原の家については、筆者は何にも知らなかったので、それを再び稲城に訊き質すと、八太郎も考えながら答えた。

「近所でありながら拙者もよくは存じません。しかし何やら悪い噂の有る屋敷だそうで御座る」


それがどんな噂であるかは、彼も明らかに説明しなかったそうである。
筆者も押し返しては詮議しなかったらしく、原文の記事はそれで終っていた。




…この話は所謂オムニバスに近い形式で、西瓜に纏わる怪談が2つ紹介される。
そして最後はM君の友人である倉沢君自身に怪異が訪れ、幕が下ろされるのだが、一夜に一話という百物語のルールに則り、此処で切らせて貰った。
続きがどうしても気になるなら、「岡本綺堂 西瓜」で検索してみれば良いだろう。

怪談を聞いて、改めて西瓜を見ると…形、大きさ、中の鮮烈な赤まで、異様に思えて来るじゃないか。
正に夏に食べるには相応しい果物だね。
おや、どうして食べるのを止めるんだい?
先刻まで美味しいと言って、口の周りを赤く染めてまで、噛り付いていたのに…。
隣の席の人の西瓜を御覧よ、赤い身を残らず綺麗に喰い切っている。

……そういえば隣の人は何処へ消えたんだい?
貴殿と一緒に此処へ来て、一緒に西瓜を齧ってた筈だが…。
まぁ、盆の夜だ…特に不思議でもないがね。

…今夜の話は、これでお終い。
さあ…蝋燭を1本吹消して貰えるかな。

……有難う。

それでは、どうか気を付けて帰ってくれ給え。

――いいかい?

夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
風呂に入ってる時に、足下を見ないように。
そして、夜に貴殿の名を呼ぶ声が聞えても、決して応えないように…。

では御機嫌よう。
また次の晩に、お待ちしているからね…。




参考、『異妖の怪談集 岡本綺堂伝奇小説集、其ノ二 ―西瓜―(原書房、刊)』。
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異界百物語 ―第76話―

2009年08月13日 20時22分01秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい…今年もまた、迷わずに此処に来れたようだね。
誰知らぬ小路の奥に建つ廃屋…標になるよう、角毎に風鈴を結び付けといたのは、正解だったかな。

勿論、貴殿の座る席は取っといてあるとも。

さぁ何時もの席へ…1番奥の壁際の、とっときの席へ座ってくれたまえ。
元より古びた椅子が、会を重ねる毎に経た月日のお陰で、益々ギイギイと軋むようになり、具合が良いよ。

後ろは新顔さんだね?
会を知って訪れたなら、必要は無いだろうが、一応ルールを説明しておくよ。

一夜に一話ずつ奇怪な話を語り…終える毎に灯された蝋燭を、1本消していく。

最初に灯してた蝋燭は百本。

1年目には25本迄消した。
2年目には50本迄消した。
3年目には75本迄消した。


残りは…………


古より、奇怪な話を百語った後には、真の妖が現れると云う。

全ての蝋燭が吹消され、部屋が暗闇に呑み込まれた時、貴殿は何を見るだろう?
今年こそは、その謎が解明かされるかもしれない。

蝋燭の灯りの下、酔狂な輩が開く恐怖の宴。
訪れたからには、もう後戻りは出来ないよ。

覚悟を決めて頂いた所で……参るとしようか。




世界で最も幽霊を愛してる国は、イギリスと言われている。
この噂は他国の人間より、むしろイギリスの国民が積極的に広めてるようだ。

イギリスでは幽霊出現スポットを纏めたマップが毎年発行され、幽霊屋敷を巡るゴーストツアーが人気を呼んでいる。
加えて驚くのは、幽霊屋敷と噂される場所を忌み嫌わず、住人が住み続けてる事実だ。
こういった例は、現代日本では殆ど見られない。

しかし彼らにとって、幽霊とはかつて国に居た祖先。
自国の歴史に誇りを持つ彼らにとって、幽霊は国の歴史の語り部なのだよ。
愛する理由にも納得が行くに違いない。

今回はそのイギリスに在る、幽霊屋敷についての話だ。
話す前に英国気分に浸って貰おうと、紅茶を用意しておいた。
生憎ダージリンしか無いが、盆のサービスという事で、どうか飲んでくれ給え。
角砂糖やミルクは、申し訳無いがセルフサービスだ。
暑い夏にホットはどうかって?
いやいや、暑い夏こそ、熱い飲物を飲むのが粋というもの。

全員カップに紅茶を淹れ終えた所で、今度こそ始めようか……




ロンドンの北西部、ハムステッドに在る高級住宅街の内の一軒で、数十年前こんな出来事が有ったらしい。

何時の頃からか、深夜になると家の中でパタパタと足音が響き、人の気配がする様になった。
誰かが階段を上がったり下がったり…真昼間でも鍵が掛かっていた筈のドアが、不意に開いたりする。
家族は皆、何時も誰かに見られている様な、居心地の悪さに悩まされていた。

そんな奇妙な出来事にも馴れてしまった、或る年の11月の午後、決定的な事件が起きた。

女主人が居間の暖炉の前に座って、幼い娘に「白雪姫」の話を読んでやっていた時の事だ。
読んでいる最中に例によって、誰かが頭上の部屋を横切る足音が聞えた。
母親は怯えたが、娘は「白雪姫」に熱中してたせいで、足音には気付かないで居た。
母親は無視して、朗読を続ける事にした。

やがて足音はパタパタという、階段を下りて来るものに変った。
そうして2人の居る居間まで来て…数秒間止った。
暫くして、あたかもその足音の主が、居間を通り抜けて出て行った様に、隣の大きな部屋へと通じるドアが開き、音を立てて閉じた。

それでも娘は音に気付いていない風に思えた。
母親も恐怖を堪え、気付かぬ振りをして、本を読み続けた。

だが、その間もドアの向うでは、頻りにノブを回したり、行ったり来たりを繰り返している。
椅子を動かしたり、テーブルを揺する音も聞えた。

遂に母親は堪え切れず、悲鳴を上げそうになった。
しかし漏れそうになる口を必死で抑え、本を娘に手渡すと、一世一代の勇気を振り絞り、隣の部屋に向った。

ドアを開けて、おっかなびっくり隣室を覗き込む。

不意に足音が止まった。

隣室には何も発見出来なかった。

……一体何だったのか?

首を傾げつつ、「白雪姫」の朗読に戻ろうとすると、今度は娘が彼女に向って走って来た。
娘は誰の姿も見えない、窓際の明るい一角を指して、不思議そうに尋ねた。

「誰なの?あの可愛らしい女の人」


母親は直ちに教会に出向き、悪霊祓いを依頼した。
教会があれこれ調査した結果、百年程前の家に纏わる、こんな事件が明らかになった。

この家に、愛らしい赤毛の召使女が居た。
ところが彼女は或る日主人の子供を殺し、死体をバラバラに刻んでカーペットバッグに包み、外に持ち出して近くの野原(ハムステッド・ヒース)に棄てたのだと云う。

その話を聞いて、母親は考えた。

部屋の中で頻りに聞えた足音…あれは追い回されてる子供が立てたものではないか。
あの時、足音は居間で突然止り、長く震える断末魔の吐息の様な気配に変ったが、その時子供は殺されたのだろう。

調査により、怪現象は家の中でばかり起きていた訳ではない事が判った。
時折、夜明け方に付近の住民達が、大きなバッグを提げて、這う様に家から出て来る、赤毛の召使女の姿を目撃していたらしい。

悪霊祓いを行った後も、怪現象が止んだという噂は聞かないそうだ。




歴史の古い地には、古い分だけ魂が残っている。
貴殿の住まう地には、どの様な歴史が伝わっているだろうか?

…今夜の話は、これでお終い。
さあ…蝋燭を1本吹消して貰えるかな。

……有難う。

最初はあんなに明るかったのに………随分薄暗くなったもんだ。


お帰りはこちらからどうぞ。
紅茶のカップはそのまま置いといてくれて構わない。

…おや、例年の事だが……始めた時より、人が半分も居なくなっている。
盆の夜だし、不思議は無いがね。

どうか気を付けて帰ってくれ給え。

そしていいかい?

………夜に何処からともなく、貴殿の名を呼ぶ声が聞えても……決して応えてはいけないよ。

何故って……?

………それが必ずしも生者の声とは……限らないだろう……?

それでは、ごきげんよう。
また次の晩に、お待ちしているからね…。




参考、『ワールドミステリーツアー13(第1巻)―ロンドン編― 第2章 友成純一、著 同朋舎、刊』。
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