瀬戸際の暇人

今年も偶に更新します(汗)

異界百物語 ―第82話―

2009年08月19日 19時24分16秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
毎晩足繁く通ってくれて有難う。
今夜は昨夜約束したように、現代にまで続く「池袋」の怪奇について話そう。

ところで貴殿は池袋を訪ねた事は有るだろうか?
秋葉原ほどではないが、現在ではアニ○イト等が建ち並び、アニメや漫画オタクに注目される街なので、貴殿がアニメや漫画に興味を持っているなら、存在位は聞いた事が有るかもしれない。
池袋のシンボルといえば60階建ての高層ビル「サンシャイン60」、そして西武に東武にパルコといったデパート…
しかし戦後池袋の開発が進められた時代、まずこの地に進出したのは、西武と三越と丸物と呼ばれるデパートだったのだ。
この中で西武は現在でも営業し、三越は今年の5月に惜しまれつつ、51年の歴史に幕を下ろした。
そして「丸物」は開店後十数年を経て、1969年(昭和44年)に閉店してしまっている。
現在池袋の東口に「パルコ」が在るが、元はそこに「丸物」が入って営業していたのだ。

閉店した理由は有り勝ちな経営不振だが、不振に追い込まれた理由は、怪異な事故に頻繁に襲われたからだと噂する者も在ったと云う。




1959年(昭和34年)4/24の午後、デパート屋上の遊園地に有るヘリコプター型の遊具に乗って遊んでいた子供が、突然外に放り出されて大怪我をした。
ヘリコプターの心棒が折れたのが原因だったそうだが、折れ方が人為的な痕跡も無く真っ二つだった事で、調査した専門家は首を傾げたと云う。

更に屋上での事故から5日後の4/29には、買い物に来ていた主婦が、階段を下りる途中でいきなり頭に衝撃を受け、昏倒したと云う。
介抱された主婦は、上から何かが落ちて来たと話したが、それらしき落下物は見当たらず、周囲には何が起きたのか見当も付かなかった。
主婦の頭には鈍器で殴られた様な傷が出来ていたので、通り魔による傷害事件の線で池袋警察署が捜査したが、結局何の手懸りも得られなかったそうだ。

その他にもデパートでは、窓硝子が落下して通行中の婦人が大怪我をする等の事故も起きたらしい。
硝子はきちんと枠に嵌め込まれていた事が確認された為、これも原因がまるで判らなかった。

此処まで不審な事故が続くと、世間からは苦情よりも疑問が多く発せられる。
遂に出るべくして出て来たのが、「祟りではないか」という噂であった。
「四面塔」を動かした祟りに違いないと言うのだ。

「四面塔」は別名「人斬り塚」とも呼ばれ、現在もパルコを通り過ぎた線路沿いの公園にひっそりと建っている。
この塔が建ったのは江戸時代の事で、当時の池袋は武州豊島郡池袋村と呼ばれていた。
湿地帯と雑木林が広がる寂しい土地だったと云う。

寂しい土地柄か、辻斬りが頻繁に起った。
覆面をした侍が夜な夜な現れては、旅人を片っ端から斬って行く。
道には無残にも切断された首や手足が常に転がっていたそうだ。
点在する村人達は、恐怖に怯えながら暮していたのである。

大量殺人は、現在の池袋駅前で行われていた事になるのだが、当時はその付近に松の木が一本在り、根元から水が湧いていたそうだ。
辻斬りに遭って瀕死の重傷を負った人達は、一様にその湧き水の所まで這って行き、水面に顔を付けて絶命していたと云う。
やがて一本松での謎の首吊り自殺も多発した件から、何時しか「首括り松」と呼ばれ、根元の泉は「末期の泉」と呼ばれた。

1721年(享保6年)の夏、たった一晩で十七人もの通行人が犠牲となった。
事態を重く見た64人の村人の内の有志は、雑司ヶ谷鬼子母神威光山法明寺の住職、第二十世日相上人に仏の供養を依頼した。
上人は読経して供養した後、「首括り松」の下に石塔を建立して、犠牲者達の怨念を封印したと云う。

時は過ぎて1903年(明治36年)、池袋駅が出来た時も、周辺の景色は江戸時代と変わらず辺鄙だったそうだが、1914年(大正3年)に東上鉄道線(現、東武東上線)が開通し、翌年に武蔵野鉄道線(現、西武池袋線)が開通すると、街は次第に賑やかに発展し始めた。
そうなると四面塔は邪魔者扱いされ、区画整理の際に駅前に移動させられた。
その時に作業員が相次いで事故死した為、住民の間に祟りの噂が流れ、今後四面塔は動かしてならないという事になったのである。

太平洋戦争が勃発すると四面塔を奉じる祭も中断され、池袋は空襲で焼け野原に変わってしまった。
昔から居た住民も少なくなり、過去の辻斬りの犠牲者の慰霊も忘れられがちになったが、1947年(昭和22年)に迷信を信じない池袋駅長が、四面塔に立小便をした所、数日後にぽっくり病死した件で、祟りの噂はまたもや人々の口に上った。

しかし池袋駅前付近に都市開発の波が押し寄せた戦後1955年(昭和30年)、四面塔は再度移転を余儀無くされた。
現在で言う西武デパートとパルコの間の敷地から、現在建っている地へと移された訳だが(大正時代には現在の東口駅前みずほ銀行池袋支店の辺りに移された事も有ったらしい)、代って跡地に建てられたのが件の丸物デパートだったそうだ。

1959年(昭和34年5月)、丸物デパートでの事故が多発した件から、関係者は地元の有志と協力して四面塔を新装し、祟りの終息を祈願した。

しかし災いは止まらず、かつて四面塔が在った駅前の道路で、子供が母親の目の前でバスに轢かれ、頭と胴体が引き千切られるという惨事が起った。
それはまるで辻斬りに遭った者の死体が転がる有様を再現した様であったと言う。

そしてこれは覚えている人も多いだろう。
1999年(平成11年)に、サンシャイン通り東急ハンズ前で起きた通り魔殺人事件…
包丁と金槌を持った犯人は、次々と通行人を襲いながら、池袋駅前まで走って逃げたと聞いている。




賑やかな繁華街だ、事件が起るのも不思議ではない。
だがこうも同じ場所で、同じ様な事件が起るのは、果たして偶然か?
惨劇を招く地というのは実在する。
彼の地をこれから訪ねる人はよくよく注意する事だ。


…今夜の話は、これでお終い。
さあ…蝋燭を1本吹消して貰えるかな。

……有難う。

それでは通り魔に遭わないよう、気を付けて帰ってくれ給え。

――いいかい?

夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
風呂に入ってる時に、足下を見ないように。
そして、夜に貴殿の名を呼ぶ声が聞えても、決して応えないように…。

御機嫌よう。
また次の晩に、お待ちしているからね…。





参考、『ワールドミステリーツアー13(第4巻)―東京編― 第6章 (小池壮彦、著 同朋舎、刊)』。
    こちらの記事の年表。(→http://web2.nazca.co.jp/xu3867/page331.html)
    ウィキペディア、等々。
コメント
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