やあ、いらっしゃい。
貴殿は盆休みの間に何処かへ出掛けたかい?
東京で某巨大即売会に参加した?
成る程、それも充実した休暇の使い方だね。
それで…アフターには何処へ寄ったんだい?
…池袋か……あそこは恐ろしい土地だよ。
今夜と明日の夜はその「池袋」に纏わる怪談を話そう。
紹介するのはやはり岡本綺堂の語った話で、「池袋」というより「池袋に生れた女」に纏わる怪談と呼ぶのが、実際には正しいだろう。
しかし根底に「池袋」の地そのものが妖に関ってると思わざるを得ない。
前置きは兎も角、綺堂の言い分を聞いてみようじゃないか。
江戸の代表的怪談といえば、まず第一に「池袋の女」と言うものを挙げなければなりません。
今日の池袋の人からは抗議が出るかもしれませんが、どういうものか、この池袋の女を女中などに使いますと、きっと何か異変が有ると言い伝えられて、武家屋敷などでは絶対に池袋の女を使うのを避けたという事です。
また、町家などでも池袋の女を使う事を嫌がりましたので、池袋の女の方でも出身が池袋という事を隠して、大抵は板橋とか雑司ヶ谷とか言って奉公に出ていたのだそうです。
それも、女が無事に大人しく勤めている分には別に何の仔細も無かったのですが、もし男と関係でもしようものなら、忽ち怪異が頻々として起こると云うのです。
これは池袋の女が七面様の氏子なので、その祟りだと云われていましたが、それならば不埓を働いた当人、即ち池袋の女に祟ればよさそうなものですが、本人には何の祟りも無くて、必ずその女が使われている家へ祟るのだそうです。
まったく理窟では判断がつきませんが、まず家が揺れたり、自然に襖が開いたり、障子の紙が破れたり、行灯が天井に吸い付いたり、そこらに有る物が踊ったり、色々の不思議が起ると云います。
こういう事件が有ると、まず第一に池袋の女を詮議する事になっていましたが、果してその蔭には必ず池袋の女が忍んでいたそうなのです。
これは私の父なども親しく見たという話ですが、麻布の龍土町(今の港区六本木七丁目六~八番)に内藤紀伊守の下屋敷が在りました。
この下屋敷と言う所は、多く女子供等が住んで居るのです。
或る夜の事でした。
何処からとなく沢山の蛙が出て来てぴょこぴょこと闇に動いていましたが、何時とはなしに女たちの寝ている蚊帳の上に上がって、じっと這い蹲っていたと言う事です。
それを見た女達の騒ぎは、どんなであったでしょう。
すると、今度は家がぐらぐらとぐらつき出したので、騒ぎは益々大きくなって、上屋敷からも武士が出張するし、また他藩の武士の見物に行った者等が交じって、そこらを調べて見ましたが、さっぱり訳が判りません。
そこで狐狸の仕業という事になって屋敷中を狩り立てましたが、狐や狸はさて置き、かわうそ一匹も出なかったと言う話です。
で、その夜は十畳ばかりの屋敷に十四、五人の武士が不寝番をする事になりました。
ところが、夜も段々更け行くにつれ、行灯の火影も薄暗くなって、自然と首が下がる様な心持になると、何処からとなく、ぱたりぱたりと石が落ちて来るのです。
皆の者がしゃんとして居る間は何事も無いのですが、つい知らずに首が下がるにつれて、ぱたりぱたりと石が落ちて来るので、「これはどうしても狐狸の仕業に相違無い。試しに空鉄砲を放してみよう」と言って、井上某が鉄砲を取りに立とうとすると、ぽかりと切石が眉間に当たって倒れました。
今度は他の者が代わって立とうとすると、また、その者の横鬢の所に切石が当たったので、もう誰も鉄砲を取りに行こうと言う者も在りません。
互いに顔を見合わせているばかりでしたが、或る一人が「石の落ちて来る所は、どうも天井らしい」と、言い終わるか終わらぬ内に、ぱっと畳の間から火が吹き出したそうです。
こういう様な怪異が、約三月位続いている内に、ふと彼の地袋の女というものに気が付いて、下屋敷の女達を厳重に取調べた所が、果して池袋から来ている女中が在って、それが出入りの者と密通していたという事が知れました。
で、この女中を追い出してしまいますと、まるで嘘の様に不思議が止んだと云う事です。
…氏の書籍ではこの後も「池袋の女」に纏わる怪談が続くが、一夜に一話ずつという会のルールに則り此処で切らして貰おう。
気になるなら「岡本綺堂 池袋の怪」で検索すると良い。
考察してみるにこの手の話は、当時よく有った出身地の差別から由来してるのではないかと思える。
が、それだけとは言い切れず、実は現代までも、池袋での怪異は続いているのだ。
それについては明日に紹介するとして…今夜の話は、これでお終い。
尚、綺堂の研究者である今井金吾は、話中に出て来る七面様とは、豊島区雑司が谷に現在も建つ本浄寺の事だろうと指摘している。
さて…それじゃあ蝋燭を1本吹消して貰えるかな。
……有難う。
どうか気を付けて帰ってくれ給え。
――いいかい?
夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
風呂に入ってる時に、足下を見ないように。
そして、夜に貴殿の名を呼ぶ声が聞えても、決して応えないように…。
では御機嫌よう。
また次の晩に、お待ちしているからね…。
参考、『風俗江戸東京物語(岡本綺堂、著 河出文庫、刊)』。
岡本綺堂研究サイト、『綺堂事物(→http://kaiki.at.infoseek.co.jp/)』。
※岡本綺堂の作品はネットでも閲覧可能。(→http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person82.html)
貴殿は盆休みの間に何処かへ出掛けたかい?
東京で某巨大即売会に参加した?
成る程、それも充実した休暇の使い方だね。
それで…アフターには何処へ寄ったんだい?
…池袋か……あそこは恐ろしい土地だよ。
今夜と明日の夜はその「池袋」に纏わる怪談を話そう。
紹介するのはやはり岡本綺堂の語った話で、「池袋」というより「池袋に生れた女」に纏わる怪談と呼ぶのが、実際には正しいだろう。
しかし根底に「池袋」の地そのものが妖に関ってると思わざるを得ない。
前置きは兎も角、綺堂の言い分を聞いてみようじゃないか。
江戸の代表的怪談といえば、まず第一に「池袋の女」と言うものを挙げなければなりません。
今日の池袋の人からは抗議が出るかもしれませんが、どういうものか、この池袋の女を女中などに使いますと、きっと何か異変が有ると言い伝えられて、武家屋敷などでは絶対に池袋の女を使うのを避けたという事です。
また、町家などでも池袋の女を使う事を嫌がりましたので、池袋の女の方でも出身が池袋という事を隠して、大抵は板橋とか雑司ヶ谷とか言って奉公に出ていたのだそうです。
それも、女が無事に大人しく勤めている分には別に何の仔細も無かったのですが、もし男と関係でもしようものなら、忽ち怪異が頻々として起こると云うのです。
これは池袋の女が七面様の氏子なので、その祟りだと云われていましたが、それならば不埓を働いた当人、即ち池袋の女に祟ればよさそうなものですが、本人には何の祟りも無くて、必ずその女が使われている家へ祟るのだそうです。
まったく理窟では判断がつきませんが、まず家が揺れたり、自然に襖が開いたり、障子の紙が破れたり、行灯が天井に吸い付いたり、そこらに有る物が踊ったり、色々の不思議が起ると云います。
こういう事件が有ると、まず第一に池袋の女を詮議する事になっていましたが、果してその蔭には必ず池袋の女が忍んでいたそうなのです。
これは私の父なども親しく見たという話ですが、麻布の龍土町(今の港区六本木七丁目六~八番)に内藤紀伊守の下屋敷が在りました。
この下屋敷と言う所は、多く女子供等が住んで居るのです。
或る夜の事でした。
何処からとなく沢山の蛙が出て来てぴょこぴょこと闇に動いていましたが、何時とはなしに女たちの寝ている蚊帳の上に上がって、じっと這い蹲っていたと言う事です。
それを見た女達の騒ぎは、どんなであったでしょう。
すると、今度は家がぐらぐらとぐらつき出したので、騒ぎは益々大きくなって、上屋敷からも武士が出張するし、また他藩の武士の見物に行った者等が交じって、そこらを調べて見ましたが、さっぱり訳が判りません。
そこで狐狸の仕業という事になって屋敷中を狩り立てましたが、狐や狸はさて置き、かわうそ一匹も出なかったと言う話です。
で、その夜は十畳ばかりの屋敷に十四、五人の武士が不寝番をする事になりました。
ところが、夜も段々更け行くにつれ、行灯の火影も薄暗くなって、自然と首が下がる様な心持になると、何処からとなく、ぱたりぱたりと石が落ちて来るのです。
皆の者がしゃんとして居る間は何事も無いのですが、つい知らずに首が下がるにつれて、ぱたりぱたりと石が落ちて来るので、「これはどうしても狐狸の仕業に相違無い。試しに空鉄砲を放してみよう」と言って、井上某が鉄砲を取りに立とうとすると、ぽかりと切石が眉間に当たって倒れました。
今度は他の者が代わって立とうとすると、また、その者の横鬢の所に切石が当たったので、もう誰も鉄砲を取りに行こうと言う者も在りません。
互いに顔を見合わせているばかりでしたが、或る一人が「石の落ちて来る所は、どうも天井らしい」と、言い終わるか終わらぬ内に、ぱっと畳の間から火が吹き出したそうです。
こういう様な怪異が、約三月位続いている内に、ふと彼の地袋の女というものに気が付いて、下屋敷の女達を厳重に取調べた所が、果して池袋から来ている女中が在って、それが出入りの者と密通していたという事が知れました。
で、この女中を追い出してしまいますと、まるで嘘の様に不思議が止んだと云う事です。
…氏の書籍ではこの後も「池袋の女」に纏わる怪談が続くが、一夜に一話ずつという会のルールに則り此処で切らして貰おう。
気になるなら「岡本綺堂 池袋の怪」で検索すると良い。
考察してみるにこの手の話は、当時よく有った出身地の差別から由来してるのではないかと思える。
が、それだけとは言い切れず、実は現代までも、池袋での怪異は続いているのだ。
それについては明日に紹介するとして…今夜の話は、これでお終い。
尚、綺堂の研究者である今井金吾は、話中に出て来る七面様とは、豊島区雑司が谷に現在も建つ本浄寺の事だろうと指摘している。
さて…それじゃあ蝋燭を1本吹消して貰えるかな。
……有難う。
どうか気を付けて帰ってくれ給え。
――いいかい?
夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
風呂に入ってる時に、足下を見ないように。
そして、夜に貴殿の名を呼ぶ声が聞えても、決して応えないように…。
では御機嫌よう。
また次の晩に、お待ちしているからね…。
参考、『風俗江戸東京物語(岡本綺堂、著 河出文庫、刊)』。
岡本綺堂研究サイト、『綺堂事物(→http://kaiki.at.infoseek.co.jp/)』。
※岡本綺堂の作品はネットでも閲覧可能。(→http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person82.html)