瀬戸際の暇人

今年も偶に更新します(汗)

異界百物語 ―第79話―(後編)

2009年08月16日 20時37分34秒 | 百物語
前編からの続き】




何といっても木曽の宿です。
殊に中央線の汽車が開通してからは、此処らの宿も寂れたという事を聞いていましたが、まったく夜は静かです。
此処の家も昔は大きい宿屋であったらしいのですが、今は養蚕か何かを本業にして、宿屋は片商売という風らしいので、今夜も私達の他には泊まり客も無いようでした。
店の方では、まだ起きているのでしょうが、何の物音も聞えず森閑としていました。
家の構えは中々大きいので、風呂場はずっと奥の方に在ります。
長い廊下を渡って行くと、横手の方には夜露の光る畑が見えて、虫の声が切れ切れに聞える。
昼間の汽車の中とは違って、此処らの夜風は冷々と肌に沁みる様です。
こういう時に油断すると風邪を引くと思いながら、僕は足を早めて行くと、眼の前に眠った様な灯の光が見える。
それが風呂場だなと思った時に、一人の女が戸を開けて入って行くのでした。
薄暗い所で、その後ろ姿を見ただけですから、勿論詳しい事は判りませんが、どうも若い女であるらしいのです。
それを見て僕は立ち止りました。
どうで宿屋の風呂であるから、男湯と女湯の区別が有ろう筈は無い。
泊り客か宿の人か知らないが、何れにしても婦人――殊に若い婦人が夜更けて入浴して居る所へ、僕のような若い男が無遠慮に闖入するのは差控えなければなるまい――こう思って少し考えていると、何処かで人の啜り泣きをする様な声が聞える。
水の流れの音かとも思ったのですが、どうもそれが女の声らしく、しかも風呂場の中から洩れて来るらしいので、僕も少し不安を感じて、そっと抜足をして近寄って、入口の戸の隙間から窺うと、内は静まり返っているらしい。
たった今、一人の女が確かに此処へ入った筈なのに、何の物音も聞えないというのはいよいよおかしいと思って、入口の戸を少し開け、また少し開けて覗いてみると、薄暗い風呂場の中には誰も居る様子は無いのです。

「はてな?」

思い切って戸をがらりと開けて入ると、中には誰も居ないのです。
何だか薄気味悪くもなったのですが、此処まで来た以上、つまらない事を言って唯このままに引っ返すのは、西田さんの手前、あまり臆病者の様にも見えて決まりが悪い。
どうなるものかと度胸を据えて、僕は手早く浴衣を脱いで、勇気を振るって風呂場に入りましたが、彼の女の影も形も見えないのです。

「俺は余程頭の具合が悪いらしい…」

風呂に心持良く浸りながら僕は自分の頭の悪くなった事を感じたのです。
震災以来、どうも頭の調子が狂っている。
神経も衰弱している。
それが為に一種の幻覚を視たのである。
その幻覚が若い女の形を見せたのは、西田さんの娘二人の事が頭に刻まれているからである。
姉は十九で、妹は十六であると言う。
その若い二人の生死不明という事が自分の神経を強く刺戟したので、今此処でこんな幻覚を見たに相違ない。
啜り泣きの様に聞えたのはやはり流れの音であろう。
昔から幽霊を見たと言う伝説も嘘ではない。
自分も今此処で所謂幽霊を見せられたのである。
こんな事を考えながら、僕はゆっくりと風呂に浸って、今日一日の汗と埃を洗い流して、酷くさっぱりした気分になって、再び浴衣を着て入口の戸を内から開けようとすると、足の爪先に何か触る物が有る。
俯いて透かして見ると、それは一つの指輪でした。

「誰かが落して行ったのだろう」

風呂場に指輪を落したとか、置き忘れたとか、そんな事は別に珍らしくもないのですが、此処で僕をちょっと考えさせたのは、さっき僕の眼に映った若い女の事です。
勿論、それは一種の幻覚と信じているのですが、丁度その矢先に若い女の所持品らしいこの指輪を見出したという事が、なんだか子細有り気にも思われたのです。
ただしそれはこっちの考え方にも因るもので、幻覚は幻覚、指輪は指輪と全く別々に引き離してしまえば、何にも考える事も無いわけです。
僕は兎も角もその指輪を拾い取って、元の座敷へ帰って来ると、留守の間に二つの寝床を敷かせて、西田さんは床の上に坐っていました。

「やっぱり木曽ですね。九月でも更けると冷えますよ」

「まったくです」と、僕も寝床の上に坐りながら話し出しました。

「風呂場でこんな物を拾ったのですが……」
「拾い物……なんです?お見せなさい」

西田さんは手を伸ばして指輪を受け取って、燈火の下で打ち返して眺めていましたが、急に顔の色が変りました。

「これは風呂場で拾ったんですか?」
「そうです。」
「どうも不思議だ、これは私の総領娘の物です」

僕はびっくりした。
それはダイヤ入りの金の指輪で、形は有触れた物ですが、裏に「みつ」と平仮名で小さく彫ってある。
それが確かな証拠だと西田さんは説明しました。

「なにしろ風呂場へ行ってみましょう」

西田さんは、直ぐに起ちました。
僕も無論付いて行きました。

風呂場には誰も居ません。
そこらにも人の隠れている様子は有りません。
西田さんは更に店の帳場へ行って、震災以来の宿帳を一々調査すると、前にも言う通り、此処の宿屋は近来殆ど片商売の様になっているので、平生でも泊まりの人は少ない。
殊に九月以来は休業同様で、時々に土地の青年団が案内して来る人達を泊めるだけでした。
それは皆東京の罹災者で、男女合せて十組の宿泊客が有ったが、宿帳に記された住所姓名も年齢も西田さんの家族とは全然相違しているのです。
念の為に宿の女中達にも聞き合せたが、それらしい人相や風俗の女は一人も泊まらないらしかった。

ただ一組、九月九日の夜に投宿した夫婦連れが在る。
これは東京から長野の方を回って来たらしく、男は三十七八の商人体で、女は三十前後の小粋な風俗であったと言う事です。
この二人がどうして此処へ降りたかと言うと、女の方がやはり僕と同じ様に汽車の中で苦しみ出したので、拠所無く下車して此処に一泊して、明くる朝早々に名古屋行きの汽車に乗って行った。
女は真っ蒼な顔をしていて、まだ本当に快くならないらしいのを、男が無理に連れ出して行ったが、その前夜にも何か頻りに言い争って居たらしいというのです。
単にそれだけの事ならば別に子細も無いのですが、此処に一つの疑問として残されているのは、その男が大きい鞄の中に宝石や指輪の類を沢山入れていたという事です。
当人の話では、自分は下谷辺の宝石商で家財は皆灰にしたが、僅かにこれだけの品を持出したとか言っていたそうです。
したがって、宿の者の鑑定では、その指輪はあの男が落して行ったのではないかと言うのですが、九月九日から約十日の間も他人の眼に触れずに居たというのは不思議です。
また、果してその男が持っていたとすれば、どうして手に入れたのでしょう。
「いや、そいつかも知れません。宝石商だなんて嘘だか本当だか判るもんですか。指輪を沢山持っていたのは、大方死人の指を切ったんでしょう」と、西田さんは言いました。
僕は戦慄しました。
成る程飛騨に居る時に、震災当時そんな悪者の在ったという新聞記事を読んで、よもやと思っていたのですが、西田さんのように解釈すれば、或いはそうかと思われない事もありません。

それはまずそれとして、僕として更に戦慄を禁じ得ないのは、その指輪が西田さんの総領娘の物であったという事です。
こうなると、僕の眼に映った若い女の姿は単に一種の幻覚とのみ言われないようにも思われます。
女の泣き声、女の姿、女の指輪――それが皆縁を引いて繋がっている様にも思われてなりません。
それとも幻覚は幻覚、指輪は指輪、何処まで行っても別物でしょうか。

「なんにしても良い物が手に入りました。これが娘の形見です。貴方と道連れにならなければ、これを手に入れる事は出来なかったでしょう」

礼を言う西田さんの顔を見ながら、僕はまた一種の不思議を感じました。
西田さんは僕と懇意になり、またその僕が病気にならなければ、此処に下車して此処に泊まる筈は有るまい。
一方の夫婦――彼らが西田さんの推量通りであるならば――これもその女房が病気にならなかったら、恐らく此処には泊まらずに行き過ぎてしまったであろう。
彼らも偶然に此処に泊まり、我々も偶然に此処に泊まり合せて、娘の指輪はその父の手に戻ったのである。
勿論それは偶然であろう。
偶然と言ってしまえば、簡単明瞭に解決が付く。
しかしそれは余りに平凡な月並式の解釈であって、この事件の背後にはもっと深い怖ろしい力が潜んでいるのではあるまいか。
西田さんもこんな事を言いました。

「これは貴方のお蔭、もう一つには娘の魂が私達を此処へ呼んだのかも知れません」
「そうかも知れません」

僕は厳かに答えました。

我々は翌日東京に着いて、新宿駅で西田さんに別れました。
僕の宿は知らせておいたので、十月の半ば頃になって西田さんは訪ねて来てくれました。
店の職人三人は段々に出て来たが、後一人はどうしても判らない。
兎も角も元の所にバラックを建てて、この頃漸く落ち着いたと言う事でした。
「それにしても、女の人達はどうしました?」と、僕は訊きました。

「私の手に戻って来たのは、貴方に見付けて頂いた指輪一つだけです」

僕はまた胸が重くなりました。




…地震は恐い。
天災はどれも恐いが、中でも地震は頗る恐い。
己の足下が崩れる恐怖は、他に例えようも無いだろう。
最近関東では揺れが頻繁に続いているが…まぁ元より大陸プレートが沈む上に在る国、何時になるかは判らぬが、海に没するのが運命というもの。
近く関東大震災が起きた九月一日がやって来る…ゆめゆめ用心怠らないで居る事だ。

それにしても指輪が父に届いた偶然は何なのだろう?
いや、話中のK君も語っているが、単なる「偶然」と流して良いものだろうか……


…今夜の話は、これでお終い。

おやおや、また貴殿の隣に居た者が、器だけを残して消えている。
それとも見えないだけで、「居る」のかも知れないがね。
今夜は送り盆だ、忘れず火を焚いて送るように…でないと貴殿の傍にずっと居ついてしまうよ。

さてそれじゃあ…蝋燭を1本吹消して貰えるかい。

……有難う。

どうか気を付けて帰ってくれ給え。

――いいかい?

夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
風呂に入ってる時に、足下を見ないように。
そして、夜に貴殿の名を呼ぶ声が聞えても、決して応えないように…。

では御機嫌よう。
また次の晩に、お待ちしているからね…。




参考、『異妖の怪談集 岡本綺堂伝奇小説集、其ノ二 ―指輪一つ―(原書房、刊)』。
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異界百物語 ―第79話―(前編)

2009年08月16日 20時36分22秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
世間は盆だというのに、貴殿は何処へも行かないのかい?
いやこれは済まない、配慮の足りない質問をしてしまったね。
こんな暑い最中に出掛けても癒されず苦行に思えるだけ、ならば家の中に篭って居るのも一興だろう。
今カキ氷を出すから、連れの人と一緒に、何時もの席に座って待って居てくれ給え。

氷を削るのも中々腕が必要らしく、名人ともなるとそれはまるで粉雪の様な口融けであるらしい。
友人が言うには、京都に訪れた際、正しくその一品を口にする機会に恵まれたそうだ。
その京風のカキ氷には遠く及ばないが、足りない風味はシロップに頼るとしよう。
イチゴにみぞれにメロンにグレープにラムネに抹茶にコーラにレモンにブルーハワイ、最近ではマンゴーなんてのも有るらしいが、どれを掛けるかい?

さて今夜紹介するのも岡本綺堂作の怪談で、綺堂お得意の「他人に語らせる」体裁を取るものだ。
関東大震災に纏わる――あれはまったく酷い災難だったようで、綺堂自身も遭い、家財蔵書が全焼して、住み慣れた家を後にする破目になったそうだ――奇妙で切ない話だよ。

話を語るのは、仮に「K君」と呼ばれる人物だ……




「あの時は実に驚きました。勿論、僕ばかりではない、誰だって驚いたに相違有りませんけれど、僕などはその中でも一層強いショックを受けた一人で、一時はまったく呆としてしまいました」と、K君は言った。
恒例の青蛙堂の会の座中では最も年の若い私立大学生で、大正十二年の震災当時は飛騨の高山に居たと言うのである。


あの年の夏は友人二人と三人連れで京都へ遊びに行って、それから大津の辺りをぶらぶらしていて、八月の二十日過ぎに東京へ帰る事になったのです。
それから真っ直ぐに帰ってくれば良かったのですが、僕は大津に居る間に飛騨へ行った人の話を聞かされて、なんだか一種の仙境の様な飛騨という所へ一度は踏み込んでみたいような気になって、帰りの途中でその事を言い出したのですが、二人の友人は同意しない。
自分独りで出かけて行くのも何だか寂しいようにも思われたので、僕も一旦は躊躇したのですが、やっぱり行ってみたいという料簡が勝を占めたので、とうとう岐阜で道連れと別れて、一騎駈けて飛騨の高山まで踏み込みました。
その道中にも多少のお話が有りますが、そんな事を言っていると長くなりますから、途中の話は一切抜きにして、手っ取り早く本題に入る事にしましょう。

僕が震災の報知を初めて聞いたのは、高山に着いてから丁度一週間目だと覚えています。
僕の宿屋に泊まっていた客は、他に四組有りまして、どれも関東方面の人ではないのですが、それでも東京の大震災だと言うと、皆顔の色を変えて驚きました。
町中も引っくり返るような騒ぎです。
飛騨の高山――此処らは東京とそれほど密接の関係も無さそうに思っていましたが、実地を踏んでみると中々そうでない。
此処らからも関東方面に出ている人が沢山在るそうで、甲の家からは息子が出ている、乙の家からは娘が嫁に行っている。
やれ、叔父が居る、叔母が居る、兄弟が居ると言うような訳で、役場へ聞き合せに行く。
警察へ駈け付ける。
新聞社の前に集まる。
その周章と混乱はまったく予想以上でした。
恐らく何処の土地でもそうであったでしょう。
何分にも交通不便の土地ですから、詳細な事が早く判らないので、町の青年団は岐阜まで出張して、刻々に新しい報告をもたらして来る。
こうして五、六日を過ぎる内にまず大体の事情も判りました。
それを待ち兼ねて町から続々上京する者が在る。
僕もどうしようかと考えたのですが、御承知の通り僕の郷里は中国で、今度の震災には殆ど無関係です。
東京に親戚が二軒在りますが、何れも山の手の郊外に住んで居るので、さしたる被害も無い様です。
してみると、何もそう急ぐにも及ばない。
その上に自分は酷く疲労している。
なにしろ震災の報知を聞いて以来六日ばかりの間は殆ど一睡もしない、食い物も旨くない。
東京の大部分が一朝にして灰燼に帰したかと思うと、ただ無闇に神経が興奮して、まったく居ても立ってもいられないので、町の人達と一緒になって毎日そこらを駈け廻っていた。
その疲労が一度に打って出たと見えて、急にがっかりしてしまったのです。
大体の模様も判って、まず少しは落ち着いた訳ですけれども、夜はやっぱり眠られない。
食慾も進まない。
要するに一種の神経衰弱に罹ったらしいのです。
ついては、この矢先に早々帰京して、震災直後の惨状を目撃するのは、いよいよ神経を傷付ける恐れが有るので、もう少し此処に踏み留まって、世間もやや静まり、自分の気も静まった頃に帰京する方が無事であろうと思ったので、無理に落ち着いて九月の半ば頃まで飛騨の秋風に吹かれて居たのでした。

しかしどうも本当に落ち着いては居られない。
震災の実情が段々に詳しく判れば判る程、神経が苛立って来る。
もう我慢が出来なくなったので、とうとう思い切って九月の十七日に此処を発つ事にしました。
飛騨から東京へ上るには、北陸線か、東海道線か、二つに一つです。
僕は東海道線を取る事にして、元来た道を引っ返して岐阜へ出ました。
そうして、兎も角も汽車に乗ったのですが、なにしろ関西方面から満員の客を乗せて来るのですから、その混雑は大変、とてもお話にもならない始末で、富山から北陸線を取らなかった事を今更悔んで追っ付かない。
別に荷物らしい物も持って居なかったのですが、体一つの置き所にも困って、今にも圧し潰されるかと思う様な苦しみを忍びながら、どうやら名古屋まで運ばれて来ましたが、神奈川県にはまだ徒歩連絡の所が有るとかいう事を聞いたので、更に方角を変えて、名古屋から中央線に乗る事にしました。
さて、これからがお話です。

「酷い混雑ですな。体が煎餅の様に潰されてしまいます」

僕の隣に立っている男が話しかけたのです。
この人も名古屋から一緒に乗換えて来たらしい。
煎餅の様に潰されるとは本当の事で、僕もさっきからそう思っていた所でした。
どうにかこうにか車内には潜り込んだものの、ぎっしりと押し詰められたままで突っ立っているのです。
おまけに残暑が強いので、汗の匂いやら人いきれやらで眼が眩みそうになって来る。
僕は少し気が遠くなった様な形で、周囲の人達が何かがやがや喋って居るのも、半分は夢の様に聞こえていたのですが、この人の声だけははっきりと耳に響いて、僕も直ぐに答えました。

「まったく大変です。実にやり切れません」
「貴方は震災後、初めてお乗りになったんですか?」
「そうです」

「それでも上りはまだ楽です」と、その男は言いました。

「この間の下りの時は実に怖ろしい位でした」

その男は単衣を腰に巻き付けて、縮の半シャツ一枚になって、足にはゲートルを巻いて足袋裸足になっている。
その身拵えといい、その口振りによって察しると、震災後に東京から何処へか一旦立退いて、再び引っ返して来たらしいのです。
僕は直ぐに訊きました。

「貴方は東京ですか?」
「本所です」

「ああ」と、僕は思わず叫びました。
東京の内でも本所の被害が最も甚だしく、両国の被服厰跡だけでも何万人も焼死したというのを知っていたので、本所と聞いただけでもぞっとしたのです。
「じゃあ、お焼けになったのですね」と、僕は重ねて訊きました。

「焼けたも何も型無しです。店や商品なんぞはどうでもいい。この場合、そんな事をぐずぐず言っちゃあいられませんけれど、職人が四人と女房と娘二人、女中が一人、合せて八人が型無しになってしまったんで、どうも驚いているんですよ」

僕ばかりでなく、周囲の人達も一度にその男の顔を見ました。
車内に押合って居る乗客は皆直接間接に今度の震災に関係の有る人達ばかりですから、本所と聞き、更にその男の話を聞いて、彼に注意と同情の眼を集めたのも無理は有りません。
その内の一人――手拭地の浴衣の筒袖を着ている男が、横合いからその男に話しかけました。

「貴方は本所ですか。私は深川です。家財は勿論型無しで、塵一っ葉残りませんけれど、それでも家の者五人は命からがら逃げ回って、まあ皆無事でした。貴方の所では八人、それが皆行方不明なんですか」

「そうですよ」と、本所の男は頷いた。

「なにしろその当時、私は伊香保へ行っていましてね。丁度朔日の朝に向うを発って来ると、途中であのぐらぐらに出っ食わしたという一件で。仕方が無しに赤羽から歩いて帰ると、あの通りの始末で何がどうなったのかちっとも判りません。牛込の方に親類が在るので、多分そこだろうと思って行ってみると、誰も来て居ない。それから方々を駈け廻って心当たりを探し歩いたんですが、何処にも一人も来て居ない。その後二日経ち、三日経っても、何処からも一人も出て来ない。大津に親類が在るので、もしやそこへ行って居るのではないかと思って、八日の朝東京を発って、苦しい目をして大津へ行ってみると、此処にも誰も居ない。では、大阪へ行ったかとまた追っ駈けて行くと、此処にも来て居ない。仕方が無いので、また引っ返して東京へ帰るんですが、今まで何処へも沙汰の無いのをみると、もう諦めものかも知れませんよ」

大勢の手前も有るせいか、それとも本当に諦めているのか、男は案外にさっぱりした顔をしていましたが、僕は実に堪らなくなりました。
殊にこの頃は著るしく感傷的な気持になって居たので、相手が平気でいればいるほど、僕の方が却って一層悲しくなりました。


今迄は単に本所の男と言っていましたが、それから段々に話し合ってみると、その男は西田と言って、僕にはよく判りませんけれど、店の商売は絞染屋だとかいう事で、まず相当に暮らしていたらしいのです。
年の頃は四十五六で、あの当時の事ですから顔は日に焼けて真っ黒でしたが、体の大きい、元気の好い、見るから丈夫そうな男で、骨太の腕には金側の腕時計等を嵌めていました。
細君は四十一で、総領の娘は十九で、次の娘は十六だと言う事でした。

「これも運で仕方が有りませんよ。家の者ばかりが死んだわけじゃあない、東京中で何万人という人間が一度に死んだんですから、世間一統の事で愚痴も言えませんよ」

人の手前ばかりでなく、西田と言う人は全く諦めているようです。
勿論、本当に悟ったとか諦めたとかいうのではない。
絶望から生み出された拠所無い諦めには相違無いのですが、なにしろ愚痴一つ言わないで、酷く思い切りの良いような様子で、元気良く色々の事を話していました。
殊に僕に向って余計に話しかけるのです。
隣りに立って居るせいか、それとも何となく気に入ったのか、前からの馴染みであるように打解けて話すのです。
僕もこの不幸な人の話し相手になって、幾分でも彼を慰めてやるのが当然の義務であるかのようにも思われたので、無口ながらも努めてその相手になっていたのでした。
その内に西田さんは僕の顔を覗いて言いました。

「貴方、どうかしやしませんか?なんだか顔の色が段々に悪くなるようだが……」

実際、僕は気分が良くなかったのです。
高山以来、毎晩碌々に安眠しない上に、列車の中に立往生をしたままで、すし詰めになって揺すられて来る。
暑さは暑し、人いきれはする。
まったく地獄の苦しみを続けて来たのですから、軽い脳貧血を起したらしく、頭が痛む、嘔気を催して来る。
この際どうする事も出来ないので、さっきから我慢をしていたのですが、それが段々に激しくなって来て、蒼褪めた顔の色が西田さんの眼にも付いたのでしょう。
僕も正直にその話をすると、西田さんも酷く心配してくれて、途中の駅々に土地の青年団などが出張していると、それから薬を貰って僕に飲ませてくれたりしました。
その頃の汽車の時間は不定でしたし、乗客も無我夢中で運ばれて行くのでしたが、午後に名古屋を出た列車が木曽路へ入る頃にはもう暮れかかっていました。
僕はまたまた苦しくなって、頭ががんがん痛んで来ます。
これで押して行ったらば、途中でぶっ倒れるかも知れない。
それも短い時間ならば格別ですが、これから東京迄はどうしても十時間位はかかると思うと、僕にはもう我慢が出来なくなったのです。
そこで、思い切って途中の駅で下車しようと言い出すと、西田さんはいよいよ心配そうに言いました。

「それは困りましたね。汽車の中でぶっ倒れでもしては大変だから、いっそ降りた方が良いでしょう。私も御一緒に降りましょう」
「いえ、決してそれには……」

僕は堅く断りました。
何の関係も無い僕の病気の為に、西田と言う人の帰京を遅らせては、この場合、まったく済まない事だと思いましたから、僕は幾度も断って出ようとすると、脳貧血は益々強くなって来たとみえて、足下がふらふらするのです。

「それ、ご覧なさい。貴方一人じゃあとても難しい」

西田さんは、僕を介抱して、ぎっしりに押詰まっている乗客を掻き分けて、どうやらこうやら車外へ連れ出してくれました。
気の毒だとは思いながら、僕はもう口を利く元気も無くなって、相手のするままに任せておくより他は無かったのです。
その時は夢中でしたが、それが奈良井の駅であるという事を後に知りました。
此処らで降りる人は殆ど無かったようでしたが、それでも青年団が出て居て、色々の世話を焼いていました。
僕はただぼんやりしていましたから、西田さんがどういう交渉をしたのか知りませんが、やがて土地の人に案内されて、町中の古い大きい宿屋の様な家へ送り込まれました。
汗だらけの洋服を脱いで浴衣に着替えさせられて、奥の方の座敷に寝かされて、僕は何かの薬を飲まされて、暫くはうとうとと眠ってしまいました。
眼が覚めると、もうすっかりと夜になっていました。
縁側の雨戸は明け放してあって、その縁側に近い所に西田さんは胡坐を掻いて、独りで巻煙草を吸って居ました。
僕が眼を開いたのを見て、西田さんは声をかけました。

「どうです。気分はよう御座んすか?」
「はあ」

落ち着いて一寝入りしたせいか、僕の頭は余程軽くなったようです。
起き直ってもう眩暈がするような事は無い。枕元に小さい湯沸しとコップが置いてあるので、その水を注いで一杯飲むと、木曽の水は冷たい、気分は急にはっきりして来ました。
「どうも色々御迷惑を懸けて相済みません」と、僕は改めて礼を言いました。

「なに、お互いさまですよ」
「それでも、貴方はお急ぎの所を……」

「こうなったら一日半日を争っても仕様が有りませんよ。助かったものならば何処かに助かっている。死んだものならばとうに死んでいる。どっちにしても急ぐ事は有りませんよ」と、西田さんは相変らず落ち着いていました。
そうは言っても、自分の留守の間に家族も財産も皆消え失せてしまって、何がどうしたのか一切判らないという不幸の境涯に沈んでいる人の心持を思い遣ると、僕の頭はまた重くなって来ました。
「貴方気分が良ければ、風呂へ入って来ちゃあどうです?」と、西田さんは言いました。

「汗を流して来ると、気分がいよいよはっきりしますぜ」
「しかしもう遅いでしょう」
「なに、まだ十時前ですよ。風呂が有るか無いか、ちょいと行って聞いて来てあげましょう」

西田さんは直ぐに立って表の方へ出て行きました。
僕はもう一杯の水を飲んで、初めて辺りを見回すと、此処は奥の下屋敷で十畳の間らしい。
庭には小さい流れが引いてあって、水の際には芒が高く茂っている。
何と言う鳥か知りませんが、何処かで遠く鳴く声が時々に寂しく聞える。
眼の前には高い山の影が真っ黒にそそり立って、澄み切った空には大きい星が銀色に煌いている。
飛騨と木曽と、僕は重ねて山国の秋を見たわけですが、場合が場合だけに、今夜の山の景色の方が何となく僕の心を強く引締める様に感じられました。

「明日もまたあの汽車に乗るのかな」

僕はそれを思ってうんざりしていると、そこへ西田さんが足早に帰って来ました。

「風呂はまだ有るそうです。早く行っていらっしゃい」

催促するように追い立てられて、僕はタオルを持って出て、西田さんに教えられた通りに、縁側から廊下伝いに風呂場へ行きました。




後編へ続く】
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