瀬戸際の暇人

今年も偶に更新します(汗)

異界百物語 ―第80話―

2009年08月17日 20時07分39秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
来た早々何だが、そこの窓から庭を御覧――朝顔の蕾が見えるだろう?
恐らく明日の朝には咲くだろうと心待ちにして居るのさ。

朝顔は漏斗に似た花弁の形が独特で美しい。
朝に咲き夕には萎んでしまうのもミステリアスだ。
したがって明日の夜に貴殿が此処を訪れる頃には萎んでしまっている訳だが…代りに今夜は朝顔に纏わる怪談を紹介しよう。

これも岡本綺堂が語ったもので、氏曰く実際に当時の江戸で噂されていた話らしい。
綺堂自身も評判の化物屋敷に生まれ育ったそうで、氏の無類の怪談好きも或いはそこから端を発していたのかもしれぬ。
もっとも綺堂が自身の屋敷で何かオカルトな目に遭ったという話は伝わっていない。
しかし綺堂が言うには、当時の江戸に化物屋敷は数え切れないほど存在し、一町内に一軒位ずつは在ったんではないかとの事だ。
いやはや真実だとしたら、江戸はとんだ魔界都市である。

前置きは此処までにしといて、極めて短い話だが、味わってお聴き頂きたい。




江戸で評判の化物屋敷に、「朝顔屋敷」と言うのが在ります。
それは牛込の中山と言う旗本の屋敷を呼んでの名前ですが、此処では絶対に朝顔を忌んでいました。
朝顔の花は勿論、朝顔の模様、または朝顔類似の物でも、決して屋敷の中へは入れなかったと言う事です。

それが為に庭掃除をする仲間が三人居て、夏になると毎日、庭の草を抜き捨てるのに忙しかったそうです。
それは屋敷の中に朝顔の生えるのを恐れるからで、これ程に朝顔を忌む理由というのは、何でも祖先の或る人が妾を切った時に、妾の着ていた着物の模様に朝顔が付いていたそうで、その後、この屋敷の中で朝顔を見ると、火事に遭うとか、病人が出るとか、お役御免になるとかで、きっと不祥の事が続いたと言う話です。




聞いた話だが朝顔の花言葉は「儚い恋」、夕には萎んでしまう花の儚さからイメージして生れたのだろうが…この怪談を知った後ではそんなイメージなぞ吹き飛んでしまうだろう。
むしろあの何処までも伸びて巻き付く蔓に、某かの情念を感じずに居られず、空恐ろしく思うに違いない。
一方で朝顔のもう一つの花言葉は「愛着」…花弁が萎れて落ちても、蔓は巻き付いたままの姿を見るに、納得の行く心地がするよ。
綺堂も余程印象深かったと見えて、自身の作の「半七捕物帳」に取り込んでいる。
第十一章に登場するので、縁が有ったら読んでくれ給え。


…今夜の話は、これでお終い。
さあ…蝋燭を1本吹消して貰えるかな。

……有難う。

帰る前に窓から今一度、朝顔の蕾を観て行くといい。

それと、いいかい?

夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
風呂に入ってる時に、足下を見ないように。
そして、夜に貴殿の名を呼ぶ声が聞えても、決して応えないように…。

それでは御機嫌よう。
また次の晩に、お待ちしているからね…。




参考、『風俗江戸東京物語(岡本綺堂、著 河出文庫、刊)』。
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