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「絆と権力 ガルシア=マルケスとカストロ」アンヘル・エステバン ステファニー・パニチェリ

2010-08-22 11:52:27 | Book
映画『コレラの時代の愛』を振り返ると、やはりまぎれもなくガルシア=マルケスの作品だったと思う。
ガブリエル・ホセ・ガルシア=マルケス(Gabriel José García Márquez)通称ガボは、コロンビアの人口わずか2000人ほどの寒村アラカタカに生まれる。次男が生まれてすぐに、両親から離されて祖父母と暮らすことになったが、彼らと過ごした幼い頃の時間が、未来のノーベル賞作家の性格を形成し、軍事指導者の物語に対する嗜好を強めたと伝えられる。祖父母は偉大な人物の武勲を繰り返し聞きながらわいてきた想像力に、猛烈な読書力が加わるのは自然な流れだった。もしかしたら、一生を寒村でたむろするちんぴらで終わったかもしれないガボの人生は、幸いわずかな奨学金をえることでシパキラ国立男子高等学校、首都のボゴタ大学での重要な作家や刺激を受けたカフカとの出会いまでつなげた。彼の類まれなる文学の才能はノーベル文学賞受賞という栄光をもたらし、それは『コレラの時代の愛』で貧困から成り上がった老人フロレンティーノが50年の歳月を超えた愛を獲得するかわりに、キューバーの革命家にして国家評議会議長カストロとの友情をガボにもたらした。本書は、ふたりの出会いから友情のはじまり、やがて南米人らしい最高の宝石の友情を築くまでを、キューバーを中心とした南米の政治的背景をまじえたふたりのノンフィクション物語である。

民主主義と自由を促進する新しい生活を約束した狼は、やがてその耳(本性)を表して独裁者としてふるまうようになるにはそれほど時間がかからなかった。1961年、様々な知識人や芸術家達がハバナの裁判所に収監され、お得意のカストロの長い演説の洗礼を受けることになった。
「革命の中ではすべてを与えられるが、革命の外では何も与えられない」
やがて独裁者が詩人パディーリャを思想弾圧した「パディーリャ事件」にまで発展する。サルトルなどの多くの左派知識人がこの事件をさかいに反カストロへと転向していく中でも、ガボはペンの力でカストロを援護するようになった。そんな彼を天才的な戦略家、名声に甘やかされた男、世界の大人物の得意客、権力の厨房にいるのが好きな男、と痛烈に批判する作家たちもいるが、本書を読んだ感想としてそのどれもあたっているとは私には思えない。文学と政治をつなげるのは美しい友情か、それとも打算に満ちた友情なのか。

彼ららしいエピソードがスウェーデン・アカデミー賞を受賞した時のふるまいである。文豪の政治・外交能力は文才並みで、適切な手をうち後は受賞を待つだけと受賞者たちの待機の仕方も解釈したガボにとってはノーベル賞受賞の物語は「予告された章の記録」だった。授賞式には、最も好きな作曲家のベラ・バルトーク!の音楽をバックにキューバー人を含む忠実な友人40人を伴い黄色いバラの花を一輪胸に飾った故郷の農民が着る白いリキリキで登場した。燕尾服を着ない初めてのノーベル賞受賞者という記録もつくる。カストロはそんな友人のために、キューバー産のラム酒を1500本送って寄こした。ところが、スウェーデンの法律では夜の10時過ぎにアルコールを提供することは禁止されていて、尚且つ飲酒行為が許可されていない施設での飲酒も認められていなかったため1500本ものボトルはテーブルに空のグラスと一緒に並べられただけだった。後にスウェーデン蔵相はキューバ大使館に対し、それほどの大量のアルコールを不法に供給してことで抗議を行ったそうだ。

欧米人のスマートな流儀とは別のところに、南米では摩訶不思議な熱い友情の花が咲く。カストロとの友情によって、ガボが特権的な物資と非公式な立場を得たのは事実。本書によって偉大なる作家に失望される方もいるかもしれないが、私は著者たちがガボの作品をなんら傷をつけずに賞賛していることで、むしろガルシア=マルケスの文学を理解するためにも一読をすすめたい。ガボの文学の才能に感嘆しつつ、それとは別の権力嗜好も彼の作品に投影されていると考える。

■アーカイブ
「カストロとガルシア=マルケス 革命が結んだ友情」
映画『コレラの時代の愛』