千の天使がバスケットボールする

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今年も「家庭面の一世紀」より

2010-08-11 23:41:57 | Nonsense
読売新聞の夏の定番シリーズなのか。今年も昨年に続き「家庭面の一世紀」が不定期で連載されている。(今年は「女性と戦争」がテーマ)
中でも7月31日に掲載されている「”軍神の母”求める声高く」は女性として母としても悲しい・・・。

そもそも”軍神”とは何のこっちゃと思ったのだが、記事によると輝かしい武功をたてた戦死者の尊称だそうだ。国のため懸命に戦って華々しい成果を出すのは勿論なのだが、”戦死”して初めて戦士は”神”になれる。当時、真珠湾攻撃で戦死した”九軍神”や”空の軍神”の加藤少将は誰もが知っている神だった。彼らのようなりっぱな働きをした軍神の生家を国民学校(小学校)の校長と少年が訪問する「軍神敬頌派遣団」が発足され、そこで学んだことを校長たちが座談会形式で語った記事が昭和17年から読売新聞家庭面で連載された。

タイトルも「軍神に学ぶ」。
連載にある大尉の話が紹介された。
「(大尉が)『お母さんもし私が死んでもお母さんは泣きはしないでしょうね』と尋ねたところ、『泣くものですか。手柄をたてて死んだのだったら涙ひとつ出しません』と言われ、大尉は涙を流して喜ばれたということであります」

職業軍人が職務を全うするところに美しさはある。また、有事に際し、死を覚悟することもあるだろう。しかし、必ず生きて帰ってくることことよりも、たとえ死しても国のために手柄をたてることの方が優先されるのがこの国である。ここでも個人主義よりも全体主義の思想、国民性が反映されていて、現代に至るまでもカイシャという全体主義につながっていると考えられる。大尉の母は軍人にとって理想の母なのかも知れないが、おおかたの母親の本音とも思えない。

この時期、新聞にはこのような母を礼賛さる記事が1面から社会面まで!掲載された。同年の4月の2面には「良き母あれば戦争は勝つ」という今では論拠のない大見出しが踊る。「日本の兵士が大君の御盾となって散ってゆけるのも、心の網膜にやさしい母のまなざしが生き生きと輝き、慈母観音のように見守っていてくれるからだ」と海軍大佐が語る。慈母観音をひきあいにだし、母を絶対的な存在に位置づけて母が国のために死になさいということで、子は安心して死んでいけるという論調が続くようになる。新聞、マスコミが総力をあげて母親の愛まで動員して戦場へ向かう決意を鼓舞するのはどこのお国でも同じかもしれないが、自分のこどもは陛下からお預かり申し上げているという信念をうえつけるのは我が国の決定的な違いである。翌年には、日本の女子教育の伝統回復の記事も掲載され、女性の高等教育と婦人参政権論者は批判された。

「軍神の母」を求めるのは男性である。この頃から女性の論者は家庭面から姿を消して、男性ばかりの意見が掲載されるようになった。男性優位の圧力に女性の意見は押さえ込まれた。日比谷公会堂で開かれた九軍神とその母をたたえる会では、集まった3000人の女性は泣いたそうだ。

昨年の「家庭面の一世紀」より100年前の婦人の貞操論

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