千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

「カラヴァッジョ 聖性とヴィジョン」宮下規久朗著

2010-03-07 23:12:45 | Art
先日読んだ吉松隆さんの著書「クラシック音楽は『ミステリー』である」には、たっっぷり楽しませていただいた。著者の名人芸のような筆の運びもさることながら、音楽にミステリーをかけた発想も文句なくおもしろい。さてさて、映画『カラヴァッジョ』と平行して読破した宮下規久朗氏の「カラヴァッジョ 聖性とヴィジョン」によれば、クラシック音楽どころか「美術はもっと『ミステリー』である」!私も吉松さんに習って、まずは16世紀イタリア美術界の巨匠、カラヴァッジョのプロファイリングを試みる。

氏名:ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ(Michelangelo Merisi da Caravaggio)
生年月日:1571年9月29日ミラノもしくはカラヴァッジョ
父母:フェルモ・メリージとルチア・アラトーリの間に生まれ、弟と妹あり
性別:♂
血液型:社会の既成の枠からはずれがち、唯我独尊型で思い込んだら突っ走るところからおそらくB型と思われる
職業:画家
犯罪履歴:20歳の頃からすでに非行を重ね、なんらかの殺人などのトラブルに巻き込まれてローマに逃亡。サンタンジェロ城の監獄を別荘代わりにしばしば居住。1603年8月、バリオーネをその作品とともに中傷したかどで所謂「バリオーネ裁判」の被告人として訴えられる。公証人パスクアーロを斬りつけてジェノバに逃走するもシピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿の仲裁で示談で解決。しかしながら、対立グループのひとり、売春婦の見張りをしていたラヌッチオ・トマッソーニと賭けテニスの得点で喧嘩をしてはずみで、というのも言い訳がましいが相手を殺害してしまう。死刑宣告がされて、これ以降各地を転々として再びローマの地をふむことがなかった。逃亡生活の途上で名誉ある騎士団に入会を果たすも、1608年8月18日夜半にジョヴァンニ・ピエトロ・デ・ポンテ他仲間の騎士5人とともにベッツァ伯ジョヴァンニ・ロドモンテ・ロエロを襲撃して重傷を負わせ、サンタンジェロ要塞に投獄される。その後、脱獄するが病に倒れトスカーナで37年のその短い生涯を閉じた。
結婚暦:なし、生涯独身。《洗礼者ヨハネ》や《果物籠を持つ少年》のあやしげな絵、天使のモチーフが多いことからも想像されるように同性愛の傾向がみられる。シチリアで生活をしていた時、造船場でひとりの少年を熱心に付回し、その少年の引率の教師に訊問されるや逆に教師に剣で斬りつけるという事件を起こす。但し、ローマ時代に一躍セレブの仲間入りをするとそれなりに女性にもてて、多少の女性遍歴もあるそうだ。

ところで、カラヴァッジョという画家の名前を聞いて、その絵の一枚でも記憶のストックからひっぱりだせる人が何人いるだろうか。映画『カラヴァッジョ』のコピーには、「彼が存在しなければレンブラントもベラスケスも誕生しなかった!」と記されている。本書の著者の宮下氏になると”はじめに”の最初の一行では、「バロック美術の先駆者としてだけでなく、西洋美術史においてもっとも大きな革命を起こした天才」「その影響は、(中略)17世紀の巨匠のほとんどすべてから現代にまでおよんでいる」と高らかに宣言している。ちょっとそれは大げさでは?ご贔屓の相撲取りへの賞賛という身びいきもあるのでは?ためしに友人や勤務先の人に聞いてみたら、さすがに友人は名前を知っていたが絵は思い浮かばず、職場の人にいたると誰それ、何それレベル。しかし、本書を読めばカラヴァッジョが大げさでもなくまぎれもなく革新的な天才であることがひしひしとわかる。映画では残念ながら、大仰な音楽効果が邪魔をして画家の内省にせまることもなく、アレッシオ・ボーニの熱演も血と暴力に生かされこそすれ、その作品も破滅型で悲劇の人生の比喩の表象とした一面でしか描かれていなかったと思うのは私だけだろうか。

宮下氏は、これまでの通説の伝記の巧妙な作為をさけ、カラヴァッジョに影響を与えた作品、また影響を受けた作品、レプリカを対比させて豊富な資料の中から、過去の美術評論家の鋭い本質をついた批評を紹介しながら、尚且つ研究者としてのオリジナリティを画家の才能への愛情をもって展開していく。カラヴァッジョと言えば真っ先に思い浮かぶのは、私の場合、サンクトペテルブルグのエルミタージュ美術館に展示されている《リュート弾き》である。4日間に渡り、エルミタージュ美術館ではそれこそ膨大な絵画を観てきたはずなのに、この繊細な光をまろやかに受けた優美な絵はまるで音楽が聴こえてくるような雰囲気で忘れられない一枚だった。その時の印象(ミステリー)こそが、カラヴァッジョにおける宮下氏の優れた研究者の視点で解明されていく。命のひかりと罪の暗黒の中で、後々に物議をかもした写実主義が開花していく。そしてサン・ルイジ・デイ・フランチェージ聖堂コンタレッリ礼拝堂のために描かれた《聖マタイの召命》《聖マタイの殉教》《聖マタイと天使》はカラヴァッジョの宗教絵画の中でも特に傑作であるが、この作品には実際に設置される空間を考慮して効果を計算して光の効果と構成をした特徴が表れている。そればかりか、カラヴァッジョは宗教における回心という内面のドラマを、明暗表現や写実的な描写で現実空間でおこっているようなイリュージョンを与えた。客観的なリアリズムを通して内面的なヴィジョンを表現したのがカラヴァッジョである。しばしばカラヴァッジョが、宗教画を卑俗な次元に引き摺り下ろしたという非難にさらされたのは、映画でも取り上げられた《ロレートの聖母》への中傷のとおりだが、巡礼者の汚い足に観衆は自らを投影し感嘆し、聖母子のイリュージョンを体験する。神を希求する者にとっては現実的な表現こそが、もっとも神秘的な宗教性を与えることに彼は気がついていたのだ。個人的には、この絵のいかにも汚れた足の裏は、同じくエルミタージュ美術館に展示されているレンブラントの《放蕩息子の帰還》につながるように思える。

神に背を向けるような蛮行の数々を繰り返し罪の闇に心を落としながらも、彼の作品からは敬虔な宗教と深い精神、魂の浄化を感じられる。そんな矛盾に魅了されたカラヴァジョ研究は、近年益々盛んになっているそうだ。4800円の本書は、著者の集大成ともいうべく強力な一冊であるとともに、日本人によるカラヴァッジョ研究の一家に一冊の決定版と推薦したい。私のようにカラヴァッジョに対してしてさほど興味がなかった方も、その名前すら知らなかった方でも、本書を開けばいつのまにかこの謎に満ちたカラヴァッジョのファンに。そしてカラヴァッジョが残した軌跡は、やはりミステリーである。

■アーカイヴへ
映画『カラヴァッジョ』
~美の巨人たち~カラヴァッジョ「聖マタイの召命」

『カラヴァッジョ』

2010-03-06 16:46:16 | Movie
1610年7月、カラヴァッジョは死刑宣告(bando capitale)に対する恩赦への期待を胸に、フェルッカ船に自作3点を含むわずかな荷物を積んでナポリを出発して北上する。途中、ローマに近いテヴェレ河口のパロで、誤ってスペイン官僚に逮捕され荷物も没収されてしまう。多額な保釈金を積んでかろうじて釈放されるも、灼熱の太陽に焼かれるように描きかけの作品を求めて海岸をさまよい、ついに熱病によって客死した。今、イタリアで一番いい男のアレッシオ・ボーニが、広く喧伝されているカラヴァジョの最後の姿を渾身の演技力で演じきった。映画『カラヴァッジョ 天才画家の光と影』のラストシーンは、1571年に生まれたバロック美術の先駆者としてだけでなく、西洋美術史において最も大きな革命を起こした天才画家ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ(Michelangelo Merisi da Caravaggio)の神話と批判をドラマチックに盛り上げている。自然に忠実だった画家が、あたかも太陽に近づき過ぎたイカロスや水鏡に魅了されたナルキッソスのように、自然に復習されたのだと人はいう。それは、宗教が望む古典的な理想を拒否し、自然を師とした画家の末路にふさわしいとも。しかし、カラヴァッジョがポルト・エレコレで亡くなったのは事実だが、実際は地元のサンタ・クローチェ同信会で手厚く看護されて息をひきとったのだった。にも関わらず、明暗を劇的に処理した彼のテネブリズムそのものが、世間とあいいれない閉塞的な性格と孤独で悲劇的な運命にそっているのも、また事実であろう。

映画を振り返りながら、名古屋大学出版会から宮下規久朗氏の著書「カラヴァッジョ 聖性とヴィジョン」をガイドブックに、血と暴力の絵の具の匂いが破滅型の生涯についてまわったカラヴァッジョの人生をたどりたいと思う。

1577年、「聖カルロのペスト」で父を失った一家は、画家の通称となるカラヴァッジョに移住するが、84年にカラヴァッジョはミラノの画家シモーネ・ペテルツァーノと4年間の徒弟契約を結び、ここでルミニスムや現実的な写実主義を学び、激しいバロック的表現を目にすることになる。やがて、生涯に渡って援助の手を差し伸べてくれることになる父の勤務先だったコロンナ家のコスタンツァ侯爵夫人の協力をえて、92年ローマにでる。ミラノで起こした殺人などを含むトラベルから離れるため、そして当時のローマが空前の建築ブームでヨーロッパ中の美術家を集めていたという機運もあった。当初はパンドルフォ・プッチのもとに奇遇して宗教画の模写制作をしていたが、生涯の友人であり初期の作品のモデルともなった画家のマリオ・ミンニーティ(パオロ・ブリグリア)と知り合ったカラヴァッジョは、ローマで最大の名声を誇るカヴァリエール・ダルピーノの工房に入るもののわずか8ヶ月で辞めてしまっている。どんな名声も彼の器には工房は小さかったということだろうか。ダルピーノが所蔵していた《病めるバッカス》は、当時の自画像だ。その後、《いかさま師》に目をとめたフランチェスコ・マリア・ブルボン・デル・モンテ枢機卿の庇護を受けて、宮殿パラッツォ・マダーマに移り住む。映画では、宮殿の芸術性に驚きながらも窓から差し込む光と影のコントラストに胸をはずませて喜ぶカラヴァッジョの姿がある。この頃の彼は少年をモデルにした《リュート弾き》《女占い師》といった寓意的な風俗画を好んで描いている。

1599年には、サン・ルイジ・デイ・フランチェージ聖堂コンタレッリ礼拝堂壁画の注文を受けて制作した《聖マタイの召命》《聖マタイの殉教》は、その写実主義と劇的な明暗効果でローマ画壇に衝撃をもたらし、カラヴァッジョの名前は一朝にしてローマ中にとどろき、公的な宗教画の注文に恵まれ、代表的な美術愛好家のためにも多くの作品を残す飛躍の年になる。しかしながら、映画では異端審問で火刑に処せられたドミニコ会修道士ジョルダーノ・ブルーノの姿を観ながら描いた《聖マタイと天使》は、現実的過ぎると受け取りを拒否されて改作せざるをえなかったことから、時代の先端をいく画家の革新性がもたらす不運も感じられる。こうした鬱屈も災いしたのか、1601年頃から呑み歩きながら喧嘩、器物破損、武器不法所持、公務執行妨害など軽犯罪を繰りかえす問題児ぶりをおおいに発揮してサンタンジェロ城の監獄を出たり入ったりと、犯罪記録に画家の名前が頻出するようになる。1603年8月、カラヴァッジョが自分に不名誉な狂歌を作ったとして、画家バリオーネが訴訟を起こした名誉毀損裁判の記録には、小さな狭い画家の世界で実力に自信をもつ彼が凡庸な画家に大きな仕事を奪われた嫉妬と憎悪が見られるそうだ。奇矯で凶暴な性格ながら、友人や仲間に恵まれたのは映画のとおり。才能だけでなく、人をひきつける魅力もあったのだろう。女性関係もそれなりに充実して?レーナをめぐって公証人パスクアーロに斬りつけてジェノバに逃亡。この件は、シピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿の仲裁で示談となるも、不在時の家賃滞納により財産差し押さえにあい、怒って窓に投石をしてまた訴えられもした。

1606年5月29日の運命の日。映画では愛する女性のための決闘となっているが、日ごろから対立していたグループとの賭けテニスの得点争いの喧嘩から、はずみでラヌッチオ・トマッソーニを殺してしまい、とうとう死刑宣告が出される。この布告は、その後の彼を不断に苛みつつ南イタリアを転々とさせることとなる。コロンナ家の領地に逃げ隠れて《エマオの晩餐》《マグダラのマリアの法悦》を描いて逃走資金を得たカルヴァッチョは、侯爵夫人の息子とともにマルタ島に渡り、彼の推薦もあって、聖ヨハネ騎士団の団長の庇護を受けながら肖像画を描くことで名誉ある騎士団への入会を果たす。ここで描いた歴史に残る《洗礼者ヨハネの断首》だけでなく、多くの傑作をうんだ漂白時代はまさに画家の芸術の円熟期でもあった。死刑を宣告された画家の作品には精神的な高まりすら感じられる。しかし、その栄光もつかのま、8月のある晩、身分の高い騎士を仲間とともに襲撃してまたもや逮捕される。何故こんなに軽率なのかっ、映画を観ていてつい叱りたくもなるではないか。運よくコロンナ家とつながりのある監獄の責任者ジローラモの手引きで脱獄に成功して、断崖絶壁の監獄から小舟で今度はシチリア島のシラクーサに渡る。

ここでかっての盟友の画家ミンニーティの世話をうけサンタ・ルチア聖堂に《聖女ルチアの埋葬》を描く。パレルモでは《生誕》を描き、10月再びナポリに渡った画家は、居酒屋チェリーリオの前で何者かに襲撃されて瀕死の重傷を負う。ここで《ダヴィデとゴリアデ》など彼が残した作品群は地元の美術界を活性化して大いに刺激し、17世紀ナポリ派は黄金時代を迎えることとなる。そして罪から逃れて転々とする画家の最後の旅は、冒頭に書いたとおり。亡くなった遺骨はサン・セヴァスティアーノ聖堂の墓地に埋葬された。人生の蹉跌を味わい、犯した罪の深さと悔恨に焦燥の日々を送る画家が流浪したイタリアの地は、今でもまぶしいばかりの太陽に輝く。光が強くなれば、闇が濃くなるように画家の精神も画風のとおりに深まっていった。
”あなたはあなたの絵と同じ。光の部分は限りなく美しいのに、闇は罪深い”
皮肉にも埋葬された直後に、待望の恩赦が出されたのであった。

監督:アンジェロ・ロンゴーニ
2007年 イタリア・フランス・スペイン・ドイツ合作映画

■こんなアーカイヴも
~美の巨人たち~カラヴァッジョ「聖マタイの召命」
『輝ける青春』
『13歳の夏に僕は生まれた』
そして、宮下規久朗氏の「カラヴァッジョ 聖性とヴィジョン」へ続く

「クラシック音楽は『ミステリー』である」吉松隆著

2010-03-02 23:11:09 | Book
冬季オリンピック開催中は、あちらこちらで「カラフ王子と中国の王女の物語」をオペラ化したプッチーニの「トゥーランドット」の名曲中の名曲!、『誰も寝てはならぬ』(Nessun dorma)のアリアを耳にした。この音楽を聴くと、パバロッティの王子役にしては巨体の体ではなく荒川静香さんのイナバウアーが脳裏に浮かぶのは、逆らえない時代の波だろうか。
ところで、romaniさまの「ETUDE」の記事で見つけたのが、作曲家の吉松隆さんの本書「クラシック音楽は『ミステリー』である」。あのromaniさまがあまりにもおもしろくて二回も読んだとおっしゃる本であれば、早速、私めもお試ししなければ、、、と思うのである。

吉松探偵がミステリー解明に挑んだ事件簿は5つ。中でも一番頭を使って読み込まなければついていけないマニアックな謎は楽譜に仕込んだ暗号のプロファイリングなのだが(さわりがromaniさまの記事に掲載あり)、それは兎も角、かのショスタコーヴィチが「ファースト」の音符に、実は密かに恋をしていたと思われる女性ピアニスト兼作曲家の名前を暗号化していた疑惑事件で、ご友人の”それはムッツリすけべという奴”という感想を読んで、ついつい笑ってしまった。確かに、ショスタコーヴィチのご面相は女性の目から見てもはっきり言って”ムッツリすけべ”そのまんま・・・だよね。また、モーツァルト「ドン・ジョバンニ」殺人事件の吉松探偵の鋭くも深い考察ぶりは、金田一探偵にも負けず、その話芸はもはや名人芸。作曲家と言えば、池辺晋一郎さんも親父ギャグの駄洒落はブーイングだが文章もうまく、N響アワーの司会者である作曲家の西村朗さんもなかなかお話上手。音符を組み立てる人は、言葉の組み立ても上手なのだろうか。作曲家と言えば、これまであんなに複雑でしかも美しい音楽をつくる凡人にはその頭の中身を想像できない天才とばかり思っていたのだが、現代の作曲家は意外と?作品とは別にお茶目な人柄が想像される。

中でも最も私的にウケタのは、最後の「トゥーランドット」への考察に及んだ王子calafのプロファイリングである。

・誰も解けなかった3つの難問をすべて解いたのだから、少なくとも「頭は良い」
・しかし、皇女に人目ぼれをして舞い上がったあたりは、「血の気」が多い性格と言わざるをえない
・父王や召使、三大臣たちに反対され諭されても、全く聞き耳をもたずにやると決めたらテコでも動かないあたりは相当「頑固」である
・父や召使に再会し、謎を解いた状況で、調子にのって自分の名前に命をかけるあたり「お人よし」と言えなくもない

大変申し訳ないのだが、私はあるcalafさまのお顔が浮かんだ。そして、もしかしたら吉松探偵のcalaf王子性格分析は、けっこう当たっているかも、、、と思った次第である。
最後に吉松探偵は、父や自分に献身的に尽くした奴隷リューが自分の名前を隠すために命を捨ててまで守ってくれた現場に立会いながら、それはそれとして一目ぼれをしたトゥーランドット姫に邁進するcalafに、「人間的にどうよ」と感じているそうだ。

著者の吉松氏は、坂本教授のように幼い頃から音楽の英才教育を受けて藝大に進学したエリート?作曲家とは異なり、一般の大学に進学したもののそのままフェードアウトして作曲家として今日の地位を築いた異色のタイプでもある。もっとも過去の偉大な作曲家には異分野参入して大成功した例は推挙にいとまないのだが、著者の”成り上がった”立場の複雑な心境がのぞけるミステリー追求シーンもある。クラシック音楽は難しいとよく言われるが、実際、それは知れば知るほどわかってくる奥の深さだと思う。だが、世間的な高尚なものというレッテルは、本書を読めば少し違うかもとお気づきになるのではないだろうか。一度は本書で吉松探偵の話術にのってみては如何。損な既成概念を壊すためにも。