千の天使がバスケットボールする

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「ダウンタウンに時は流れて」

2010-03-25 23:00:39 | Book
"Golden lads and girls all must,
As chimney-sweepers, come to dust."


桜の蕾も寒さで閉じるのように冬に逆もどりをした今日、冷たい雨が降りしきるなか、卒業式や学位記授与式が行われた大学も多かった。人生の大きな節目を向かえ、社会へ、或いは引き続き大学院へ進学、更なる研究室へと旅たつ若者、なかでも研究者の卵たちにお薦めしたい本の一冊が、多田富雄氏の「ダウンタウンに時は流れて」である。
1934年3月31日生まれの多田富雄氏は世界的な免疫学者である。71年に抑制T細胞を発見するなどの優れた業績を残し、内外で多くの賞を受賞する。研究者として多忙な日々を送りつつも、多田氏は能の造詣も深く、新作能の作家、さらには詩を創作し、小林秀雄を愛する名文筆家としても知られている。

本書は老年に達した研究者の最近の自伝的エッセイであるが、ふたりの多田富雄が登場する。ひとりは、2001年に脳梗塞に倒れ、右半身麻痺、構語障害や嚥下障害などの重度の障害から車椅子生活。しかも、前立腺癌にも冒されて睾丸の摘出手術を受ける。前年の2004年当時のブッシュ大統領のイラク戦争に進出する報道に接し、米国のマスキュリズムや男性優越主義の印象を感じて「残虐性の遺伝子」の動きを察知していた多田氏の決断は、早かった。70歳を過ぎれば性的能力も無用、こどもも3人のいるのでDNAの移送も完了済みとばかりに去勢する日を晴れ晴れとした気持ちで待つことになる。いよいよその日、無事に?玉トリが終わり退院すると、氏は何か風通しがよくなって重荷を下ろしたような安堵感が広がり、無垢な童貞の少年に戻って、不老不死の菊の清々しい酒を呑んでいるような気分になったそうだ。その夜、作者は少年になり透明な蜻蛉のような翅がはえて、空をどこまでも飛んでいく夢をみた。透き通った翅には黒い翅脈が見え、限りなく空を飛んでいく。

そしてもうひとりは、まぎれもなく青年、多田富雄である。1964年医学部の大学院を修了し、30歳で生まれて初めて飛行機に乗って米国デンバーにある小さな医学研究所に留学する。月給225ドル。勤勉な日本人らしく研究所と小さな下宿との徒歩での往復だけの生活から、青年は、半年たって中古車を買って夕暮れになるとダウンタウンに買物などに出かけるようになる。何の目的もない言わば青春の彷徨。かってはゴールドラッシュで華やかににぎわっていた駅前も、今では寂れ果てて薄暗い町に変わり果てた。やがてそんな場末のバーに毎日のように出入りするようになった。気のぬけたビールと安ワインの熟柿臭さで満ちた下層の貧しい労働者たちがたむろするバー。銃の撃ち合いの事件が発生し、青年のこの界隈での徘徊が研究所や日本人社会に知れ渡ることにより、彼は窮地に陥ることもあったが、バー通いはやめなかった。やがて留学期間も切れて帰国するものの、二年後、今度は新妻を伴って再び多田青年はデンバーの地にやってくる。ホームスティ先の夫人を看取ったり、じバーの常連客やメイドのその後、戦争花嫁として渡米してウエイトレスをしながらふたりのこどもを育てている女性との交流は、豊かな国の光のあたらない悲しみがにじんでいる。そんな日本人社会が付き合わない層の人々と多田青年は、ドクターは真摯に誠意をもって付き合ってきた。妻の人格もそんな多田氏にふさわしく優しい知性のある女性だったこともあると私は思う。だから、その暮らしは黄金の日々として輝いていた。

多田氏は今や重い車椅子に括り付けられた終わりを待つ灰色の老人。見ているのは回想という名の不思議な魔術。本書を書きながら、多田氏は「青春の黄金の時」を思い出した。涙で不自由な体で押すキーボードが、見えなくなるまで切実に思い出した。それは若さゆえに奇蹟的にあらわれた「黄金の時」であったことに改めて気がつく。ふたりの多田が存在してその価値が成り立つエッセイである。

冒頭の一節は、本書より引用したシェークスピアの劇中歌。
「輝ける若者よ、そして乙女たち、
 みな、あの煙突掃除夫らと同じように いつか土に還る」
と訳したい。真摯であれ、そして謙虚であれ。
門出を祝し、学生時代に培った英知を糧に輝ける黄金の時をつかまえるように 健闘を祈りたい。