千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

ヴァイツゼッカー氏逝く

2015-02-13 19:28:38 | Nonsense
東西ドイツ統一時の大統領のリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー氏が1月31日に死去した。94歳だった。
「ドイツ中が、リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー氏の死を悼んでいる。」と、フランク=ヴァルター・シュタインマイヤー外務大臣は、2月1日に発表した。

2010年9月20日の弊ブログを再掲↓
*************************************************

先日、来日したマイケル・サンデル教授の「ハーバード白熱教室」が、9月26日(日)22時より「ハーバード白熱教室@東京大学」として放映されるそうだ。
これは観逃してはいけないと思っちゃっているのだが、私としては一番関心があるお題は、、、

「オバマ大統領は広島・長崎の原爆投下について謝罪すべきか?」

私の回答はYES!歴史的な背景やら倫理からこの回答の理由を述べたらとてつもなく長くなるのだが、マイケル教授の教室ではそれよりも政治哲学上の考え方を学ぶべきだと思う。立場を逆にして、我々は生まれる前の先人達の過去について謝罪すべきだろうか。歴史を繰り返さないためにも、忘れてはいけない。
さて、今から25年前の1985年5月8日、リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー大統領が敗戦40周年にあたるこの日、ドイツ連邦議会で演説を行った。

「ご臨席の皆さん、そして同胞の皆さん」
ではじまるドイツ終戦40周年記念演説のために、ヴァイツゼッカー大統領は各階各層の人々と会話を続け、数ヶ月に渡る準備のうえ推敲を重ね、心からの和解を求めて歴史を直視しようと語った。画像は発行された当時の岩波ブックレットNo.55だが、私が読んだのは、新版の767。版を重ねるくらいの名演説として名高いのが「荒れ野の40年」である。それはまた、時代が過ぎて、世代が変わっても、演説に、今後も読み続けられるべく多くの示唆を私たちが感じていることを示している。

1920年に生まれたリヒャルト・カール・フォン・ヴァイツゼッカー(Richard Karl Freiherr von Weizsäcker)は、指揮者のカラヤンと同じ「フォン」がつくように、男爵の一族出身。外交官だった父の転勤により、スイスのバーゼル、デンマークのコペンハーゲン、ノルウエーのオスロ、再びスイスのベルンで過ごし、ベルリンに戻ってからはギナジウムを卒業してからオックスフォード大学で学んだ。兵役でドイツ国防軍に入営し、同じ連隊に所属していた次兄の少将ハインリヒの戦死を見ることになった。(長兄のカール・フリードリヒ・フォン・ヴァイツゼッカーは物理学者、哲学者である。)終戦後は、学業に復帰して歴史学と法学を学び、ナチス・ドイツの外務次官としてニュルンベルク裁判で裁かれていた父の担当弁護事務所で研修生として、父の弁護を手伝った。この経歴は、その後も何かと論議をよぶのだが、1954年キリスト教民主同盟(CDU)に入党。1984年から94年までドイツ連邦共和国の第6代大統領を務めたが、その間、国民から敬愛され、またその演説の格調の高さでも有名である。

ホロコーストについて、一民族全体に罪がある、もしくは無実であるという考え方ではなく、「罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります」という部分には異論があるかと思うが、敗戦後の瓦礫の山で呆然自失となり苦難の道を歩くドイツ国民を思いやるヴァイツゼッカー大統領に言葉には、日本人として共鳴するものがある。また「荒れ野の40年」には「出エジプト記 民数記」で古代イスラエルの民が約束の地に入って新しい歴史の段階を迎えるまで荒れ野で過ごしたとされる40年に、ひとつの国が東西に分裂された40年を重ねている。ヴァイゼッカー大統領はドイツ国民の民族へ、また世界の人々に次のように語りかける。

「罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。だれもが過去からの帰結に関わり合っており、過去に対する責任を負わされております。
 心に刻みつづけることがなぜかくも重要なのかを理解するために、老幼たがいに助け合わねばなりません。また助け合えるのであります。
 問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。」


ナチスの犯した罪によって、ドイツ人であることだけで悩み続ける若者に、たがいに敵対することではなく、和解と寛容を説き、勇気を与えたそうだ。まさに「die Rede」ザ・演説である。
「解説」の訳者による「若い君への手紙」も理解をたすけてくれる好テキストである。
「政治とは、道徳的な目的のためのプラグマティックな行為」というのは、元首相のヘルムート・シュミットの言葉だが、この演説を読んでその意味を深く考えさせられる。

■こんなアーカイヴも
映画『二十四時間の情事』
映画『白バラの祈り』
「ドイツの都市と生活文化」小塩節著
映画『愛を読むひと』
「ヒトラーとバイロイト音楽祭 ヴィニフレート・ワーグナーの生涯」
「バレンボイム/サイード 音楽と社会」A・グセリアン編


最新の画像もっと見る

コメントを投稿