千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

漱石の脳

2008-08-16 22:22:11 | Nonsense
慢でも何でもないが、私は夏目漱石の脳を見たことがある。加賀乙彦氏の著書「雲の都 時計台」で、作者のモデルである東京大学医学部の学生、悠太が脳研究所に通いはじめるようになると、標本室にある夏目漱石の脳を見る文章で思い出したのだ。夏目漱石などの脳の標本は、、「東洋人の脳は、西洋人に比べ小さい」という説に憤慨した医学部の教授が蒐集して、1939年「傑出人脳の研究」にまとめられ、優れた能力を発揮した人物の脳は一般人よりも重く、その能力に相当する中枢が発達している」とされていたそうだ。悠太が標準より少し重い漱石の脳を見た時代では、すでに先輩の研究者から脳の重さと頭脳の優秀さに相関関係はないと説明されている。私が見る機会をえたのは、国立科学博物館主催の「人体の世界」展に出品された時である。

現在、漱石の脳はどこへ行ったのか。
歴代の教授の胸像や肖像画が並ぶ東京大学医学部本館の3階。厚い鉄の扉で閉められ、日差しをさけるためのカーテンで窓を覆われた300平方メートルほどの標本室で静かに眠っている。私は「人体の世界」展に行った時は、特殊な加工を施された本物の男性の標本が陳列されていた。記憶によると、故人の理解により実現した解剖であり、標本になった方の個人の尊厳への配慮をしての観察のお願いの説明があった。こどもだったら単なる興味本位から出発してもゆるされるかもしれないが、おとなは常に意識して、標本の意味を理解して鑑賞と観察をしなければならない。
「父さんの体を返して~父親を骨格標本にされたエスキモーの少年」という本が出版されて、博物館で骨格標本として陳列されている父を発見して遺骨を取り戻そうとした息子の実話が話題になったのは、その後である。今では、個人の尊厳への配慮から個人が特定される標本の情報すらもあきらかにされず、標本室の存在自体すらもHPにあきらかにされていない。夏目漱石の脳が現存していることすらも、やがて一般の人々は誰も知らなくなるだろう。

この標本室には、大正時代、世界で初めて人工的にがんを作ったウサギの耳や原爆の放射線で損傷を受けた臓器、既に根絶された天然痘の患者の皮膚の精密な模型など、研究目的の役割をおえたものが多いそうだ。しかし、ひるがえって医学の発展と歴史を鑑みれば、こうした医科学の標本が、時代を反映する”標本”にもなりうることを考えると、血を見ただけで失神しそうになる情けない私でも興味がわいてくる。標本室を管理する金子仁久博士(39)も、教育の面で、実物を見ることの大切さを強調する。

理数科のある某高校では、生徒はチームにわかれてマウスの解剖をするのが必須課題となっているそうだ。普通科の生徒は、その様子を見学するという授業になっている。絶対文系、という普通科の生徒の中には、気分を悪くして休憩するこどももいるが、このような解剖実験をとおして、生物、生命、そして生命倫理を考える生徒の方が多いと聞く。一見矛盾しているようだが、私はこのような動物をつかった実験、解剖、本物の標本を見ることが、逆に命の大切さを考える機会になりうるとも思う。
ご主人の転勤に伴い渡米された有閑マダムさま情報によると、最近、科学、研究の名のもとに実験で動物達が犠牲となることに反対する動物愛護団体によって、カリフォルニアの大学の研究者の自宅に爆弾が仕掛けられる事件が度々起こっているそうだ。
「動物愛護のためなら人間を傷付けたり殺したりしてもいいのでしょうか・・・(中略)まったく本末転倒ではありませんか」との有閑マダムさまのご意見は、もっともだと思う。このような狂信的な団体の活動に関しての感想は、別の機会にゆずるとして、だったら動物を愛して守る団体は、動物を解剖をしている高校にもおしかけて反対運動をするのだろうか。それとも犬やうさぎはだめだが、マウスやショウジョウバエだったらゆるすのだろうか。
科学の芽と動物愛護は両立できると私は考えている。