千の天使がバスケットボールする

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「雲の都 時計台」第二部 加賀乙彦

2008-06-09 23:05:00 | Book
「雲の都」の第一部広場が、文字通り”雲の都”の広場を舞台に、作者のモデルと推測される小暮悠太を中心に、家族、友人、恩師、仲間、女性たちといった登場人物がそれぞれに独楽のように演技をしているかのような壮大な群像劇のような様子を示しているとしたら、第二部は悠太の一人称による大学入学からフランスに留学する船上までの10年間の青春を描いている。また第一部が、昭和27年の血のメーデーの舞台となった”広場”に時間が集約される形式に比較し、本作品は長い期間に渡りつつも、すべて”ぼく”である悠太の内なる世界に凝縮されている。

物語は悠太の医学生としての解剖の授業から始まる。ここで医学生としてひとまわり成長した悠太は、やがて誘われるままに脳の美しさと科学的に解明されていない神秘さに魅せられていく。やがて精神科医になり、精神病院で研修医としてあまった犯罪研に勤務するうちに、犯罪者の心の病に興味をもって、拘置所の医務技官として赴任することとなったのだが。。。

本書の前半で、最も印象に残ったのが、悠太が先輩に見せられた1枚の大脳皮質の標本である。
荒れ果てた焦土のような光景にそっくりで、悠太はそのすさまじさに驚愕したのだが、それは原子爆弾に被爆して苦しんで半年後に崩れて死んだ7歳のこどもの脳だった。少年が死に至るまでの症状を知らされ、悠太ははじめて原爆被害に恐ろしさを理解し、原爆以上の人類の悪は存在しなかったと、東大5月祭に「原爆症」の展示会を企画するのだった。この展示会のことは、前作でも登場していたのだが、本書では当時一般市民にはあまり知らされていなかった原爆被害を、より克明に医学的な観点からも悠太と先輩医師たちによって語られている。改めて原子爆弾が日本に投下されたことの悲劇と人類史上の壮大な実験の重さを考えさせられた。

そして後半に入ると、悠太と一緒に人間の様々な精神のもたらす行動の奇妙さと比類のない個性の多様さに圧倒されるばかりである。
なんと驚くことに、悠太と同時に入局した精神科医の卵11名のうち、2名が研修中に精神病を発病(プロツエス)する事態に至るのだった。東大の医学部と言ったら平均的な頭脳よりもきわだって優秀なのだが、その優秀さゆえにパラノイアを発症していく過程になにか不思議な現象を感じる。これは本書の中で、悠太の恩師である益田助教授の『犯罪人』という著書にあるのだが、芸術家や知能の優れた者が異常性格であったりや犯罪発症率が高いとする研究成果や、芸術活動や放浪などが彼らにとって結局犯罪抑止に役にたっていたという内容に重なる部分をも感じるのだった。
また悠太とともに刑務所の医務部に勤務する同僚の医師たちの俗人であったり逆にけったいな生態の描写に笑わせられた。
船医となり港別・国別・人種別に女の肉体や性質を分類して得意になって新人に講義する老医師、その老医師が長年集めた男女交合のエロ写真を複写して熱心にコレクションする写真同好会なる会員の医師たちや、マラ玉などを集めたりと病的なほどに収集癖のある滝田医官など、まともな、しかも世間的にも学歴も地位も高い医師たちの驚くべき、いやいや、むしろやっぱりと納得する個性豊かな人物像が青春小説にふさわしくユーモラスに綴られている。
そして、本書の本当の主役とも言うべきなのが、刑務所に収容されている犯罪者たちである。なかでも、後の著者の代表作とも言うべき「宣告」につながる戦後の有名な事件の首謀者である死刑囚の人物像は、その事件の残酷さと奇妙さだけでなく、一種得体の知れない人間の内面の不可思議な謎を感じさせられ、もしかしたらこんなところにひかれる私も認めたくないがやっぱり真性の変人かもしれないと、つい自分自身に困惑してしまった。悠太は、ここで、看守部長から死刑囚はすさんだ興奮状態の者が多いが、無期判決を受けた者は人が変わったように無表情、無関心で個性の消失した人造人間のようにおとなしく従順になっていくことを教えられ、研究者としてこの違いを研究していくことになる。
そして届いたのが、フランス政府給費留学生試験の合格通知だった。

同一人物を主人公にしながら、前作の「広場」とは全く異なる構成と内容の第二部。人間の精神や脳に興味のない方には、500ページを超える本書は重いかもしれないが、私は久々に読み応えのある小説だったと満足した。
余談であるが、悠太が学生時代に東大の脳研究所で見た夏目漱石の脳(夏目金之助1916)を、私も以前「人体解剖展」で見たことがある。この頃から漱石の脳は展示会で人気があってひっぱりだこであり、ちょっとくたびれたので、悠太が見た時は、着色しなおししたばかりで少し青みがかったいたようだ。漱石の脳は平均より重く、1425グラム。漱石の訃報を報じた「朝日新聞」のコピーと一緒に展示されていた。

■アーカイブ
・「雲の都 広場」第一部


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