千の天使がバスケットボールする

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『使命と魂のリミット』東野圭吾著

2008-08-25 23:08:54 | Book
【無罪でも医療全体の教訓に】

医療事故でどこまで個人の刑事責任が問えるのか―。注目された裁判で被告の医師に「無罪」が言い渡された。
福島県立大野病院で2004年12月に帝王切開で女児を出産した女性=当時(29)=が大量出血で亡くなった。執刀した産科医(40)が逮捕され、業務上過失致死と医師法(異状死の警察への届け出義務)違反の罪に問われた「大野病院事件」の判決だ。
福島地裁の鈴木信行裁判長は、子宮に癒着した胎盤をはがし続けた医師の行為を「標準的な医療」と肯定。医師法21条違反についても「過失なき診療行為の結果は、異状がある場合に該当しない」とした。

【危険があふれる現場】
改ざんや隠ぺいがない通常の診療行為で医師が逮捕されたのは大野病院事件が初めてだった。
極端な人手不足の中で献身的に、危険と隣り合わせの診療に日々取り組む医師らは逮捕と起訴に強く反発した。
医療現場には危険があふれている。事故も極めて多く、患者が死亡する場合だけでも年間2千件以上、障害が残った場合も含めれば数万件に上ると推定される。
都立広尾病院で1999年に起きた消毒薬誤注入事件をきっかけに、医師法21条による警察への届け出が診療関連死にも拡大され、病院からの届け出が増え、医療事故の捜査も急増した。
この判決は、医療事故の刑事責任追及を求める流れを抑制するものとなるだろう。だが、無罪判決ではあっても、勝訴、敗訴の結果のみにこだわらず、医療界全体が事件から教訓をくみ取るべきだ。

【遺族への説明不十分】
福島県は調査委員会の報告で、ほかの医師の応援を求めなかったことや輸血用に準備した血液の不足などの問題点を指摘。被告の医師を減給処分としたが、遺族への説明は十分とは言えなかった。
出産では今も年間60人前後が亡くなっていることを考えれば、帝王切開の手術には不測の事態への備えがもっと講じられるべきだ。大野病院では麻酔科と外科の医師が加わっていたが、産科医は一人だけだった。産科医2、3人が連携して、手術に当たり、何かあれば即刻、応援を求められる態勢が望ましいし、出産する女性の不安も軽減できる。
同事件がきっかけの一つとなり、危険なお産からの医師撤退が相次いだ。深刻な状況に陥っている地域もある。亡くなった患者の命と裁判にかかった膨大な手間を前向きに生かすためにも産科医を増やし、地域で安心して子どもを産める条件を整えたい。少子化の時代にあって、この分野の安全向上は急務である。
医療版「事故調」の法案が来る臨時国会に提出される予定だ。医療事故の原因究明を目的としたこの制度にも判決を教訓として生かすことが大切だ。(08/8/23宮崎日日新聞)


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医事法学上では、医療行為から有害な結果が生じた場合、そのすべてを医療事故と定義している。その中から、不可抗力によるものを除いたケースが医療過誤、つまり故意もしくは過失で引き起こされた医療事故を医療ミスとされる。今回の大野病院のように、事故が起きた時、医師や病院は通常の医療行為で避けようがない外的因子に原因を求めるが、患者側は不注意といった個人的要因を問題にしようとする。今の日本では、高度医療と定期的検診のおかげで出産で命を落とす女性はめったにいない。だから残された家族の驚きと悲しみはさぞかし大きいだろうと同情するが、身の回りでけっこう危なかった出産体験を聞くのはそんなに珍しいことではない。上記の記事にもあるが、医療現場には危険が溢れているのだ。

「真性弓部大動脈瘤」、そんな重い心臓病の手術にも関わらず、執刀医を信頼して氷室夕紀の父は笑顔で手術室に運ばれた。しかし、手術は失敗して二度と生きている父に会うことは叶わなくなった。悲しむ中学生の夕紀の心に、手術の失敗は故意に引き起こされたのではないかという疑惑がわいてきた。大好きだった父の死の解明と復讐を誓い、やがて夕紀は心臓血管外科の研修医として帝都大学付属病院に勤務し、かって父を死に至らしめた執刀医、そして今では母の恋人でもある西園教授のもとで医療技術を研鑚するようになったのだが。。。

東野圭吾氏の医療ミステリーは、医師でもある加賀乙彦氏や、渡辺淳一、帚木蓬生氏のような文章とは多少趣きが異なるような印象がある。医師たちの冷静緻密なメスさばきを連想させられる文章構成というよりも、登場人物たちの感情がリードする小説となっている。物語の主題は、むしろたまたま医療という現場を舞台に、電子技術を利用した今日的な脅迫、捜査といったサスペンス劇場である。そこには、夕紀を中心にした父と母、そして復讐相手が母の恋人、というサスペンスの巧みな人物相関図に加え、亡き父を尊敬する七尾刑事、犯人と犯人に恋する看護師といった人間模様もミステリー作家の大家になりつつある東野氏らしい人物像となっている。

そして本書のテーマーでもあり、最大の読者の落しどころであるのが「使命」である。作品中、何度もでてくる医師としての使命、刑事としての使命が、度重なる不祥事や事故でゆれる医療や産業界、警察現場に慣れつつある我々に、プロフェッショナルの原点を思い起こされ、結末の夕紀の清々しい決意に繋がっていく。さすがである。作者の東野圭吾氏こそ、驚くほど水準の高さを維持して読者の期待を裏切らない点で、きちんと「使命」を果たすプロフェッショナル作家である。

今回の作品には、東野圭吾氏らしい情感に溢れた人間の心の機微が、今ひとつ描ききれていないと感じる。理想的で尊敬すべき西園教授が、あまりにも完璧過ぎるからだろうか。また研修医となった夕紀の仕事で頑張る姿に、しっくりと共感できないからだろうか。しかし、一気に読めるお手頃感は、読書を娯楽としたい要件だが、よくよく考えてみると、設定、サスペンスタッチなど「週刊新潮」の読者に最適の内容にしあがているとも言える。渡辺淳一風のえっちな場面はないが。そっか、読者層をしぼって、雑誌の売上にも貢献しつつ書きたい小説をひねりだすのもひとつの作家としての「使命」なんだ・・・。