旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

哈瑪星(ハマセン)地区を歩いてから「韻蔵中餐廳」へ

2024-03-03 06:31:01 | 台湾
「哈瑪星」とは、日本語の「ハマセン(浜の線路)」に漢字をあてた名前。

↑再開発した後の建物に「台糖」の文字が残してある↑高雄の港にはかつて製唐工場の倉庫がずらりとならんでいた。↑赤レンガ倉庫はアメリカ軍の空爆標的になりやすいので暗い色の漆喰で塗り固めてあった。
再開発にあたってその歴史がわかるように漆喰を一部はがしてレンガも見せている↑

台湾製糖は台湾が日本領になった三年後の1898年にはじまり、特に南部で広大なサトウキビ畑を開発した。
※今回の旅で台湾製糖がサトウキビ栽培のために依頼した「二峰圳ダム」も訪れる

★アメリカ軍は高雄の港を爆撃したが上陸はしなかった。
これはアメリカ軍の通称「飛び石作戦」による。
守りが固そうな台湾島には敢えて上陸せずその先の沖縄へ上陸したのである。
台湾では沖縄のような地獄の地上戦にならなかった。


今はアートがならぶエリアだが↑この巨大な人物はかつての港湾労働者をイメージして腰にその道具を持っている。

ライトレールを降りると夕暮れがはじまっていた。

水路の上にはモダンなデザインの橋がかかる。

かつての倉庫街は新しいショッピング街になったが↑そこここに線路の跡が残されている↑

↑こちらは現代の観光トロッコ列車↑

十分な広さがあるので現代アートも生きる

↑アパートの壁に十二支

有料の企業パビリオンも

無料で楽しめるオブジェも



巨大な壁に入っていけそう



日本の統治時代1908年に高雄の港まで開通した鉄道。

広大な操車場から膨大な倉庫群へ網の目のように線路が伸びていたのか。

↓写真右上・山の上に見える「忠烈祠」の門↓

↑日本時代にはあそこに「高雄神社」の鳥居があった↑
※2019年に訪れた時のブログをごらんください

↑ハマセン地区の中心「高雄港駅」はもともと1900年に完成した「打狗駅」

※2020年に付近を歩いた時のブログをごらんください

当時は港のすぐそばの駅だった↑

周辺は当時こんな感じ↑
1900年の鉄道は台南⇔打狗間だけで、台湾西岸を貫通する鉄道は1908年に完成した。
高雄の名前に変更されたのは1920年※由来がこちらのページに詳しく解説されています

↑一度見学してみたいと思っている博物館
**
地下鉄で一駅移動し、夕食へ

2020年に美味しかったシェフの料理に再会できた※こちらに書きました

***
翌朝、出発前にホテルの目の前の倉庫群をちょっとだけ散歩した。

古い建物の壁に十センチほどの小さな窓があって、
そこを除くと倉庫だった時代にどんな様子だったのか↓見える。

↑奥にサトウキビが積んである。

↑こちらはバナナ

↑桶は木材が豊富だったからか。

再開発されたハマセン地区、もっと時間をかけて歩く機会をつくりたい。

コメント
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