旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

義愛公~台湾の村に祀られる日本人巡査

2020-02-17 16:20:06 | 台湾
《手造の旅》台湾五日~日本とのかかわりに注目して旅する 第二回 三日目
けっして上出来な細工ではないが、何かが宿っていると感じさせる↓

森川巡査は1897年、三十七歳で台湾に赴任した。日清戦争の結果、台湾が日本領になってまだ三年。日本に対する反感は強く、前年には日本から赴任した教師六人が殺される事件まで起こっていた時期。地方の巡査は治安維持だけでなく徴税の責任も課され、住民の生活にも深くかかわる存在だった。
★彼の生涯を画いた素朴なタイル画がつい五年ほど前にできていた↓
赴任の三年後に日本から妻子を呼び寄せ↓

子供の為に教師を雇って学校を開校。
村の子供たちも学べるようにした↓

漁民が怪我をして岩場にとりのこされていると、自ら助けに行き自分自身がもっとおおきな怪我をしていたこともあったそうな↓

1902年、政府が漁民のささやかな漁具にも課税すると通告。貧しい漁村の生死を左右する事態。森川巡査は上級役所に談判に行く。が、逆に懲戒を言い渡され、村民との板挟みになった彼は、村に戻って拳銃自殺してしまった↓下右

二十年が過ぎ、周囲の村に疫病が流行りだすと、村長の夢枕に森川巡査が立った。
「ドブを掃除し、衛生管理をしっかりすれば助かる」という助言にしたがうと、疫病は東石村には流行らなかった。
村民は森川巡査の木彫をつくり、神様の一人としてここに祀るようになった。

当初の素朴な祠はなんども立て替えられ、2015年ごろには現在の立派な寺が完成した↓

小さな漁村には不釣り合いなほど

↓我々が日本人だとわかると、管理の人が奥から木造を抱え出してきて、着ていたマントをとって開帳してくださった↓

森川巡査の住んだ家はこの寺のすぐ横にあったのだと教えてくれた。
**
嘉儀駅発15時半の新幹線に乗るために東石村を出る。

新幹線の開通以来、いちめんのサトウキビ畑だったこの地域にも新しい施設建設がはじまった。
↓その代表が2015年に開館した故宮博物院の南館↓特徴的な建物が見えた↓

そのすぐ近くにエヴァーホテル↓

故宮の名品を持ってきているというだけでなく、アジアアートの発信基地にもしようというのだそうな。
※こちらに故宮博物院南院の日本語紹介ページがあります


今回ガイドをお願いした施さんが連れて行ってくれたのは、日本時代にサトウキビのプランテーションを運営していた村↓
サトウキビ列車は観光列車として復活し、台湾の人々がやってくるのだそうだ↓

村には日本時代からの家屋がたくさん残されている↓


↓壁には近年画かれた絵

中心部の公園に見える胸像後姿は…↓

「後から蒋介石に変えられたんです」
なるほど、とがったアタマのカタチが蒋介石のものだ

嘉儀の新幹線駅から
新幹線で台北へ向かいます
今回は嘉儀の街を見る時間がなかったが、必ずチャンスをつくります(^.^)

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