早朝の飛行機でルクソールへ向かう。飛行機が飛ぶ頃に陽が出てきた
早いフライトはイヤだと思っていたのだが、ここ数年カイロの渋滞はとんでもないので、それを避けられる早朝がよいのかもしれない。
↓ルクソール空港のデザイン、好きです(^.^)
カイロとちがって出るとすぐに田舎の風景↓運河に映る
↓サトウキビの収穫シーズン
ナイルには113隻のクルーズ船が運航しているときいた
西岸に渡ると「メムノンの巨像」が見えてきた
↓クルナ村はすぐそこ
今日はそこから「女王の谷」へ↓
ここで公開されているネフェルタリの墓は確かにすばらしい色彩を留めているし、芸術表現としての質も高い↓
それはわかるのだが、入場料は高すぎる↓「女王の谷」の入場料の12倍の料金って…
※二年前は1000ポンドだった!
こちらにその時の見学記と写真載せております
↓それでも出して入るのが観光客
たいして広くないから、十分の時間制限・人数も制限↓今日はびっくりするほどのグループが待っていた↓
**
次はあまりグループが訪れない「ハブ神殿」へ
ここは見ごたえがあります↓神殿の前に後の時代に建設された物見やぐら
↓巨大な神殿が現れる↓
色も良く残っている
※2016年の見学記をこちらからごらんください
***
移転させられたクルナ村の下にあった「貴族の墓」からいくつか見学↓
見所は尽きません
※2016年の見学記をこちらからごらんください
****
ツタンカーメン墓を発見したハワード・カーターの家へ
↓カーターの寝室
↑ベッド上に掲げられた小さな絵はエジプト発掘の先駆者でイタリア人のベルツォーニだった。彼を尊敬していたとは知らなんだ↑
↓もうひとつの寝室にはベッドが二つ。こちらは出資者のカーナヴォン卿が滞在する時に使っていた↓
↑父と共にこの部屋を使った娘のエヴリーンは王墓発見の前年1921から二シーズンこの部屋に滞在した。
そして、寒いイギリスの冬から逃れたイギリス貴族の交流の場になっていたルクソールで、後の結婚相手に出会っている。
この家は百年前の雰囲気をよく留めている場所だ。
※2016年の訪問記をこちらからご覧ください
*****
昼食は東岸のレストランでモロヘーヤのスープとイカのタジン
******
ナイル川の見えるホテルへチェックインして夕方まで二時間ほど休憩
*******
ルクソール神殿の夜景はやはり美しい
※2016年の訪問記をこちらからごらんください
自由行動になってから、いつもと違うエリアを歩いてみた↓
↓すると、ラテン語の碑文が置かれている一角があった↓
解説を読んでみると紀元後四世紀初期のローマ皇帝ガレリウスに捧げられたものだろうということだった。
彼はキリスト教を迫害したディオクレティアヌス帝の副帝。
この時代にはエジプトの神々はまだ信仰されていたと思われる。
パトロンがローマ皇帝に代わって、このようなラテン語碑文も置かれていたということか。
それにしても、古代エジプトの彫刻のち密さに比べるとずいぶん荒削りである。
↓すぐそばの一角がローマ時代の街の門の跡なのだそうな
明日朝は気球に乗ります!
早いフライトはイヤだと思っていたのだが、ここ数年カイロの渋滞はとんでもないので、それを避けられる早朝がよいのかもしれない。
↓ルクソール空港のデザイン、好きです(^.^)
カイロとちがって出るとすぐに田舎の風景↓運河に映る
↓サトウキビの収穫シーズン
ナイルには113隻のクルーズ船が運航しているときいた
西岸に渡ると「メムノンの巨像」が見えてきた
↓クルナ村はすぐそこ
今日はそこから「女王の谷」へ↓
ここで公開されているネフェルタリの墓は確かにすばらしい色彩を留めているし、芸術表現としての質も高い↓
それはわかるのだが、入場料は高すぎる↓「女王の谷」の入場料の12倍の料金って…
※二年前は1000ポンドだった!
こちらにその時の見学記と写真載せております
↓それでも出して入るのが観光客
たいして広くないから、十分の時間制限・人数も制限↓今日はびっくりするほどのグループが待っていた↓
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次はあまりグループが訪れない「ハブ神殿」へ
ここは見ごたえがあります↓神殿の前に後の時代に建設された物見やぐら
↓巨大な神殿が現れる↓
色も良く残っている
※2016年の見学記をこちらからごらんください
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移転させられたクルナ村の下にあった「貴族の墓」からいくつか見学↓
見所は尽きません
※2016年の見学記をこちらからごらんください
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ツタンカーメン墓を発見したハワード・カーターの家へ
↓カーターの寝室
↑ベッド上に掲げられた小さな絵はエジプト発掘の先駆者でイタリア人のベルツォーニだった。彼を尊敬していたとは知らなんだ↑
↓もうひとつの寝室にはベッドが二つ。こちらは出資者のカーナヴォン卿が滞在する時に使っていた↓
↑父と共にこの部屋を使った娘のエヴリーンは王墓発見の前年1921から二シーズンこの部屋に滞在した。
そして、寒いイギリスの冬から逃れたイギリス貴族の交流の場になっていたルクソールで、後の結婚相手に出会っている。
この家は百年前の雰囲気をよく留めている場所だ。
※2016年の訪問記をこちらからご覧ください
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昼食は東岸のレストランでモロヘーヤのスープとイカのタジン
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ナイル川の見えるホテルへチェックインして夕方まで二時間ほど休憩
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ルクソール神殿の夜景はやはり美しい
※2016年の訪問記をこちらからごらんください
自由行動になってから、いつもと違うエリアを歩いてみた↓
↓すると、ラテン語の碑文が置かれている一角があった↓
解説を読んでみると紀元後四世紀初期のローマ皇帝ガレリウスに捧げられたものだろうということだった。
彼はキリスト教を迫害したディオクレティアヌス帝の副帝。
この時代にはエジプトの神々はまだ信仰されていたと思われる。
パトロンがローマ皇帝に代わって、このようなラテン語碑文も置かれていたということか。
それにしても、古代エジプトの彫刻のち密さに比べるとずいぶん荒削りである。
↓すぐそばの一角がローマ時代の街の門の跡なのだそうな
明日朝は気球に乗ります!