ツタンカーメンの墓を発見したハワード・カーターの家が博物館として公開されている。今回はルクソールでたっぷり時間があるので、念願かなって訪れることが出来た。
この家は後援者のカーナヴォン卿が1910年にカーターの為にたててあげたもの。当時カーター・キャッスルと呼ばれていた↓
カーターはデッサンが上手かったので、エジプトの発掘に加わるチャンスを得た。カーナヴォン卿は、エジプトになど興味はなかったが、車の事故の療養でエジプトに来ることになった。
遺跡の発見というのは、「運がよかった」のだと思われがちだが、それぞれのケースを見ていくと、決して運だけで成し遂げられたものではないのだと感じる。そこに至るまでのさまざまな小さなこと・地道な事があってこそ「運よく」結果を導いてくれている。
家の中はほとんど当時のままだそうだ。カーターのデスク↓電信装置が時代を感じさせる↓
旅行カバン↓
レトロな電気のスイッチ↓
カーナヴォン卿はいつも娘を連れてエジプトを訪れ、ここに滞在していた。その二人のベッドルーム↓
小さなベランダ↓ ツタンカーメンの墓が見つかった日、カーターの飼っていた小鳥が毒蛇に咬まれて死ぬという事件があった。小さな事件でも、それは「ファラオの呪い」のひとつとして扱われることになる↓
一度外に出て、家の裏にまわる。すると、ツタンカーメン王墓のレプリカがつくられているではないか↓
ツタンカーメンの墓はもちろん観光客に大人気。人の出す湿気が壁に悪い影響があるということで、クローズしてしまおうという話は常に出ている。それで、スペインの会社が精巧なレプリカをつくり、本物の代わりつくったのであります↓
内部はたしかにホンモノそっくりにつくられている。が、あえて言うならば、近年問題にってきた壁の表面のカビまでは再現していない。発見当時の姿、ということだろうか。
★ツタンカーメンの墓は、もともと義理の母ネフェルティティのものだったのではないか、という説が急浮上している。発見されて百年近くも知られていなかった空間の存在は、壁に発生したカビの具合がちがっていたのも論拠になっているのだ。※これについては別に書きます。