旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ルクソール~ハブ神殿

2016-12-05 09:02:37 | エジプト

ハブ神殿は、今回のルクソール見学でいちばん興味深く楽しめた場所。有名な場所が見どころとは限らないと、いつもながら思い知らされた。

 

**東岸のホテル、朝。部屋からの眺め↓

 

 

活気ある朝の街。子供たちだけで安心して登校できるのは、それだけで安心できる街だということ。

 

 

 

ナイルの西岸へ渡るととたんにのんびりした雰囲気になる。ハブ神殿のある村に到着。村長がやっているという小さなホテルが遺跡の入口にあった↓

 

 

時間のない日程のグループはここには来ないから空いている↓

 

 

入口左右の壁が高い。これでもオリジナルの半分と推察されているそうな↓

 

 

画かれた王=ラムセス三世は、ひと目で異民族とわかる捕虜を従えている↓

 

 

戦いの神、雌ライオンの姿をしたセクメト神の像↓ラムセス三世は武闘派の王様であります↓

 

 

巨大な塔門が姿をあらわした↓

 

 

 

↑壁に見える縦のくぼみは、杉の木でできた旗竿を立てていたと推定されている。このくぼみがただ「くぼみ」をつくったのではなく、ピラミッド型(二等辺三角形)になっているのは指摘されないとなかなか気づかないだろう↓

 

 

 

ラムセス三世はリアルに勝利の後の敵に対する処置を刻んでいる。殺した相手の数を数えるために、切り取った「手」を山積みにしてある↓

 

 

さらに、手を切り取られる異民族の捕虜(髭があり、あきらかに顔が違う)↓後ろに斧をふりあげる兵士↓

 

 

「手」だけでは満足しなかったのか、「舌」まで王の前に積み上げられている図↓

 

 

「手」も「舌」も、相手が男(兵士)かどうか断定できないと思ったのか、ついに「男根」まで↓

 

 

こんなリアルな戦後処理の様子を画かせたラムセス三世の意図は何だったのかしらん。

 

★「ハブ神殿」という名前は、王ではなく神殿建築の技師だった神官アメンホテプ・ベン・ハブー(アラビア語の呼び方で「アメンホテプの息子ハブー」)に由来する。 あの「メムノンの巨像」の後ろにあった巨大な葬祭殿も彼の建築とされている。死後も讃えられて、この神殿のあるエリアは「メディネト・ハブ」=ハブの街と呼ばれるようになった。そして、ここにある神殿はいつしか「ハブ神殿」と呼ばれるようになったそうな。

 

よく復元されているし、色も各所に残っている↓見上げる天井部分は特に↓

 

 

★1804年ジョン・ゴードンの落書き~柱の一角に、19世紀はじめの「落書き」をみつけた↓

 

 

ナポレオンと戦争していた時期のイギリスからも観光旅行?→こちらにもう少し書きました

 

 



神殿の修復は今でも続けられている。この塔門も最近組み上げられたものように見える↓

欧米人の女性が長い梯子をかけて神殿の壁を刷毛でクリーニングしていた↓


ルクソール西岸における屈指の見学すべき場所であります。


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