【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

大学論の現在

2009-06-10 01:20:59 | 読書/大学/教育
寺崎昌男『大学教育の創造』東信堂、1996年
        

 著者が大学教員として教育活動を行った約30年間の教育実践の成果です。著者の専攻は、しかも教育学で、とりわけ大学教育の分野で業績のある人なので、まさに大学とは何か、大学教員はどのような「人種」であるのか、そこでの教育はどのように行われてきたのか、また行われているのかが細かく、しかもわかりやすく書かれていて、得がたいです。

 さらに、著者は国立の最高学府である東京大学のほか、私立大学である立教大学、桜美林大学で教鞭をとりました。したがって国立大学にも私立大学にも視野がいきとどいていて、偏りがありません。

 「プロローグ」では大学の現状(大学生の学力低下を含む)、現在の環境についての現状認識。それ以降の各章では、カリキュラムのことを論じた、1章,2章が断然面白いです。

 カリキュラムは大学の心臓部分であり、カリキュラム改革のない大学改革はありえないことがよくわかりました。大学人は変わらなければならない、教育、研究のそれぞれの体制の変革ということに無関心な大学人はいまや考えられないとまで言っています。そのためにも、大学人たるものは大学リテラシーを身につけなけれがならないのです。

 「・・・大学教授が引き受けなければならない管理業務についてふれておきたいと思います。結論だけ言えば、大学における管理業務はコリーグ意識を基盤においた業務として意識され実行されなければ、うまくいかないと思います。ですから何人かはいつも損な役割を引き受けざるをえない。その結果つぶれる程度の研究なら初めからたいしたことはないのだ、そもそも俺がつぶれて惜しいほどの学者か、と思いながら損な役割を引き受けてきたわけです。乱暴な意見を言うと、今の大学改革の時代に、10や20の優秀な頭脳がつぶれたって構わんじゃないかというふうにまで私は思っています。現在大学の内外からの危機はそれほど深刻だと感じているのです」(p.231)と。かなり過激な意見ですが(ご本人はいたって温厚な方です)、一理あります。

 夜間大学、短期大学の歴史と経緯、図書館、研究所のあり方にまで、議論は及んでいて、刺激的な論点、材料が豊富に提供されています。

イリーナ・メジューエワ ベートーヴェン ピアノ・ソナタ全曲演奏 第6回

2009-06-09 00:10:25 | 音楽/CDの紹介

                            
 イリーナさんのベートーヴェン ピアノ・ソナタ全曲演奏の第6回目です。32曲の全曲達成もまじかです。

   空色の薄手のセーターに、グレーのスカートで登場したイリーナさん。

 今回のメインは ≪ハンマークラヴィア≫です。スケールの大きい、演奏家にとっては技巧を求められるとともに、精神を働かせて演奏しなければなりません。難曲中の難曲です。ベートーベンは身近な人にこの曲で「ピアニストに少し働いてもらいましょう。この曲は50年ぐらい理解されないでしょう」ともらしていたそうです。19世紀のピアニストもこの曲を弾く人はまれで、例外的にリスト、ビューローなどが弾いていた程度だそうです。
 最初から左手の10度のジャンプがあります。ファンファーレのように聴こえます。3楽章はソナタ形式の緩叙楽章です。第4楽章はトリルが使われ、晩年のベートーベンの新しい大切な表現手段でした。≪ハンマークラヴィア≫の 演奏時間は、繰り返しの部分をカットして、約40分。

  ソナタ10番は明るい、ソフトな感じの作品です。1楽章は展開部で中身が濃くて複雑です。2楽章はマーチ風の変奏曲で、これはベートーベンの新しい試みだそうです。終りのほうにハイドンを思わせる部分があります。伝統にのっとりながら、オリジナリティをうちだした作品です。3楽章はリズムに特徴があります。ユーモラスなところなど。

 ソナタ15番の田園と言うのはベートーベンがつけたものではありません。12,13,14番と実験的なソナタでしたが、この15番はグランドソナタとでもいうべき完成度の高い作品です。わたしはこの曲の1楽章のメロディがとくに好きですね。


◆ ピアノ・ソナタ 第10番 ト長調 op.14-2  (1799年頃?)
 Piano Sonata No.10 in G major, op14 No.2
  Ⅰ Allegro
  Ⅱ Andante
  Ⅲ  Scherzo. Allegro assai

◆ ピアノ・ソナタ 第15番 ニ長調 op.28 (≪田園≫) (1801年)
 Piano Sonata No.15 in D major, op28
  Ⅰ Allegro
  Ⅱ Andante
  Ⅲ  Scherzo. Allegro vivace
  Ⅳ Rondo. Allegro ma non tropp

◆ ピアノ・ソナタ 第29番 変ロ長調 op.106 ≪ハンマークラヴィア≫ (1817/18年)
 Piano Sonata No.29 in B-flat major, op106 "Hammerklavier"
  Ⅰ Allegro
  Ⅱ Scherzo. Assai vivace
  Ⅲ  Adajio sostenuto. Appasionato e con molto sentimento
  Ⅳ Largo-Allegro risoluto

  演奏後、デジタルカメラで一緒に写真にはいっていただきました。上記画像は、ハンマークラヴィア演奏直後のイリーナさんです。


生演奏のJAZZピアノを楽しむ空間がここちよい「もりのいえ」

2009-06-08 00:12:37 | 居酒屋&BAR/お酒
「もりのいえ」 神楽坂3-6 03-3260-1219

         
   
  神楽坂通りをまっすぐ上がり、左手に東京三菱BKが見えたらその先を左に折れると、隠れ家のようなこのお店があります。

 ジャズピアノ+ベースの生演奏で有名です。なかに入ると、ジャズや唄が大好きそうないい顔をしたお客さんが並んでいます。右手にカウンター、中央にステージがあり、お酒、つまみを前にした常連とおぼしき人が座っています。

 混んでいて入れないかと思いきや、階上があいていました。あがって見下ろすと演奏を見ることができ、合唱をエンジョイできます。天井桟敷のようです。

 ナンバーはビートルズ、JAZZ、ボサノバなど懐かしのものが多数。わたしはJAZZには詳しくありませんが、生はやはりいいです。マッカランと日本酒をちびりちびり飲みながらの1時間半でした。演奏は大原江里子さん。ベースとサックスと溶け合った良質の空間がそこにありました。

 以前は赤坂にあったとのこと。そして、2年ほど前に35周年を迎え、記念のPATYをもったことがネット検索でわかりました。

                 

ブログコンセプト⑤ 人生のよきことの探索が基本

2009-06-07 10:08:46 | その他

ブログコンセプト⑤  人生のよきことの探索が基本

 もしもこのブログを見ておられる方がいたら、ブログの書き手がどうしてこんなにいつも楽しそうなのか、と素朴に思ってしまうかもしれません。そこで一言・・・。

 楽しそうに見えるかもしれませんが、それは辛いこと、嫌なこと、疲れることは書かないからです。ただそれだけのことです。後者も前者と同じくらいあります。ホームランバッターが三振が多いとか、人生に成功した人はそれと同程度失敗をくりかえしているとかと同じように、わたしは辛いこと、嫌なこと、疲れることは、日常茶飯事です。

 そのような辛いこと、嫌なことから沸いてくる気持ちを、ここは吐露する場ではないと心得ています。そういったことを一時忘れて、自分の人生のよき演出の場として、ブログの価値を見出しています。

 ブログを書いているのは大抵、深夜です。楽しかったこと、面白かった本などを探して書き連ねています。以前にも書きましたように、本ブログの記事は過去の読書日記、メモを土台にしていることも多く、そういう場合は、過去のよい思い出などを、ビールを飲みながら回顧しながら書いているというわけです。東京散歩とか居酒屋めぐりなどは、過去の記憶を掘り返し、ネットで情報を再確認して記事にしています。

 したがって、このブログは少しもドラマチックではありません。ドラマの語源は、ギリシャ語の「葛藤」です。いいこと悪いこととの葛藤がドラマを作りだしますが、ここには原則的にいいこと、楽しいことしか書いていないので、ドラマにはなりようがありません。

 年齢を重ねると苦しいこと、悩みがたくさん出てきます。現在は3つほど心配事を抱えていますが、それは個人的なことなので、そのことの表明は本ブログには馴染みません。

  これからも人生の素晴らしさを読書などをつうじて追及していきます。


イタリアン・ネオ・レアリスモのはしりである名画「戦火のかなた」

2009-06-06 21:08:37 | 映画

ロベルト・ロッセリーニ監督「戦火のかなた」
            (
伊,1946年,120分)       

         

 「戦火のかなた」は連合軍がイタリアのシチリア上陸し,ナポリ,ローマ,フィレンツェ,ポー河と北上,解放にいたるまでの6つの出来事をオムニバス形式で綴った名画です。

 第1話(シ
チリア)では、アメリカ兵が家族の写真を知り合った村の若い女性に見せようとライターの火をつけた瞬間,ドイツ兵に狙撃されてしまう痛ましい話。

 第2話(ナポリ)では,居眠り中,靴を少年に盗られたアメリカ黒人MPが彼を市内でつかまえ,家に連れていくのですが,その家の想像以上の貧しさに言葉を失い、そのまま帰ってくるという話。

 第3話(ローマ)では連合軍の兵士が酒に酔ったいきおいで娼婦を抱くのですが、娼婦は実は生活ために身をおとした少女であったという話。

 第4話(フィレンツェ)では昔のパルチザンの恋人が負傷したと聞いて,米軍看護婦が戦火をくぐり彼に会いに行きますが、ファシストに射殺された彼の死が知らされます。

 第5話(ロマーニャ)では連合軍従軍牧師がロマーニャのフランシスコ派修道院にとめてもらいご馳走になるという話,しかし宗教のことに話しがおよぶにいたって根底的な意見対立となります。

 第6話(ポー河畔)では、対岸のドイツ軍と戦うパルチザンと連合軍兵士の悲劇が語られています。最終的に彼らはドイツ舟艇部隊に襲われ,連合兵士は国際法の捕虜取扱規則で収容所に送られますが,パルチザンは無残に河に沈められるのでした。

 戦争が終結してわずか1年ぐらいで製作された作品です。どれもこれも小さなエピソードですが、戦争の無残さを訴えています。

 「無防備都市」「自転車泥棒」などとともにイタリアン・ネオ・レアリスもの象徴的作品です。

ふくよかで透明感のあるバッハ

2009-06-05 00:33:52 | 音楽/CDの紹介

Johann Sebastian Bach (1685-1750) 
Complete Sonatas and Partitas for Violin Solo,
                                           by Rachel Podger      
           
   友人の紹介でこのCDを購入しました。バッハは好きですし、このポッジャーの演奏は全体が怜悧で研ぎ澄まされ、それでいてふくよかさもあります。推薦盤でしたが躊躇なくもとめ、正解でした。

 期待にたがわない演奏です。バッハの無伴奏ソナタ・パルティータは何人かの演奏を聴いていますが、こうしていろいろ聴いてみるとみな個性的です。

 ポッジャーは、イギリス生まれのヴァイオリニストです。ドイツのシュタイナー・スクールで音楽教育を受け、帰国後ギルドホール音楽演劇学校でさらに磨きをかけました。現在はそこの教授もしているようです。在学中からバロック奏法に関心が強く、今では国際的に高く評価されているソリストです。

  下記で( )はポッジャーの演奏時間、参考までに[  ]はヒラリー・ハーンの演奏時間、細かく聴くと微妙ですが、ポッジャーのほうがやや速めです。

 Sonata nr.1 in G minor BWV 1001
   1 Adajio (3.40)
   2 Fuga (5.35)
   3 Siciliano (3.02)
   4 Presto (3.46)

 Partita nr.1 in B minor BWV 1002
   5 Allemanda (5.47)
   6 Double (3.31)
   7 Corrente (3.25)
   8 Double (3.42)
   9 Sarabante (3.47)
   10Double (2.32)
   11Tempo di Bourree (3.40)
   12Double (3.56)

Partita nr.2 in B minor BWV 1004
   13 Allemanda (4.28)  [5.13]
   14 Corrente (2.39)   [2.09]
   15 Sarabante (4.26) [4.44]
   16 Giga (3.57)         [3.22]
   17 Ciaccona (13.36) [17.48]

Partita nr.3 in E major BWV 1006
   1 Preludio (3.42)   [3.33]
   2 Loure (4.08)         [4.49]
   3 Gavotte en Rondeau (2.40)   [3.16]
   4 Menuet Ⅰ.Ⅱ (5.22)     [4.53]
   5 Bourree (1.25)  [1.39]
   6 Giga (2.05)       [1.53]

Sonata nr.2 in A minor BWV 1003
   1 Grave (3.53)
   2 Fuga (8.32)
   3 Andante (4.49)
   4 Allegro (6.00)

Sonata nr.3 in C major BWV 1005
   1 Adajio (4.17)  [4.54]
   2 Fuga (9.49)   [11.453]
   3 Largo (3.18)  [3.56]
   4 Allegro Assai (5.01)  [4.37]

          
                                 

                           
 

「パリは燃えているか」の緊迫と余韻

2009-06-04 00:24:58 | 映画

ルネ・クレマン監督『パリは燃えているか(Paris brule-t-il?)』173分
              (仏/米1966年)


      パリは燃えているか

 第二次大戦中,フランスのパリはナチス・ドイツの侵略で、占領下におかれました。フランスでは各地で抵抗運動が展開され,その結果 年,パリは解放され,ドイツは撤退します。

 当時のようすはこの映画「パリは燃えているか」,「鉄路の斗い」(ルネ・クレマン監督,1945年)などで映画化されました。

 「パリは燃えているか」はパリ市民の抵抗運動を軸に,連合国側による解放までの約2週間を記録した大作です。

 大戦下のパリをドイツ軍から死守する計画で対立があるなか,連合軍がパリに進撃,解放する過程は,実写の映像も挿入され一大ドキュメントとなっています。

 19448月,敗色濃厚なドイツは,ヒトラーの命令でパリから撤退するとき、パリを焼き払うべく,建造物に地雷を設置するなど準備を整えていました。

 パリのレジスタンス側はこれを阻止しようとしますが,ドゴール将軍率いるものたちと過激派が対立。連合軍の支援をもとめまつつ,レジスタンス側の自力パリ奪回作戦は失敗し,パリ市内では各所で市街戦がはじまってしまいます。

 一方,占領ドイツ軍司令官コルティッツはパリを破壊することに難色を示します。さらにスェーデン領事をつうじ,連合軍の早期到着に期待をかけます。連合軍は最初レジスタンス側の支援要請をことわるのですが,ブラドリー将軍の英断でパリは解放されます。

 市民が解放に酔っているとき,ドイツ軍占領司令部にベルリンにいるヒトラーから電話が入り,有名な結末になります。

 この部分はオフレコにします。いずれにしても劇的な幕ぎれです。感銘が余韻としてのこる作品でした。


生の究極に光を見る、死はそこでは人生の救済

2009-06-03 01:04:51 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談
青木新門『納棺夫日記』文春文庫、1996年

         『納棺夫日記』青木新門

 詩人の言葉はやわらかい。その心もやわらかです。だが、一たび、「死」というものの本質論議に入ると言葉は生命力をもち、切れ味をもってくるのです。その厳しさも詩人の言葉なのです。

 「死」を否定的に見る人、「死」への粗末な扱い方に著者は手厳しく迫ってきます、「死を忌むべきものとしてとらえ、生に絶対の価値を置く今日の不幸は、誰もが必ず死ぬものという事実の前で、絶望的な矛盾に直面することである」(p.39)。

 「私が、この 葬式儀礼というものに携わって困惑し驚いたことは、一見深い意味をもつように見える厳粛な儀式も、その実態は迷信や俗信がほとんどの支離滅裂なものであることを知ったことである。迷信や俗信をよくぞここまで具体化し、儀式として形式化できたものだと思うほどである」(p.82)。

 「いつの時代になっても、生に視点を置いたまま適当に死を想像して、さもありなんといった思想などを構築したりするものが後を絶たない。特に、人間の知を頑なに信じ、現場の知には疎く、それでいて生に執着したままの知識人に多い」(p.76)と。

 著者は身近な人に「けがらわしい」と言われ、「その職業をやめてくれ」と言われたこともあったそうですが、書物を読み宮沢賢治、親鸞に導かれて「光」に到達しました。書をつうじて、キルケゴール、ゲーテ、アインシュタイン、キュブラー・ロス、親鸞、子規、宮沢賢治、金子みすずの言葉と思想に出会い、生と死の理解の道筋をしったことを告白しています。

 本書は著者が「現在の冠婚葬祭の会社に入社した時から書き始めた日記より生まれたもの」ですが、日記そのものではなく、「普通の生活記録」です(「あとがき」[p.208]。「入社して間もなく湯灌、納棺という特異な作業についたため、自分自身の心を鎮めるための、死や死体との心の葛藤の記録」です(同所)。

 冒頭に作家の吉村昭の言葉が本書の真髄を言い当てています、「人の死に絶えず接している人には、詩心がうまれ、哲学が身につく。それは、 真摯に物事を考える人の当然の成行きだが、『納棺夫日記』には、それが鮮やかに具現されている。この作品の価値は、ここにこそある。/死体をいだき、納得する青木さんを、私は美しいものと感じ、敬意を表する」と(「序文 美しい姿」)。

 本書はアカデミー賞外国語映画賞受賞作品「おくりびと」の切っ掛けになった作品でもあります