著者が大学教員として教育活動を行った約30年間の教育実践の成果です。著者の専攻は、しかも教育学で、とりわけ大学教育の分野で業績のある人なので、まさに大学とは何か、大学教員はどのような「人種」であるのか、そこでの教育はどのように行われてきたのか、また行われているのかが細かく、しかもわかりやすく書かれていて、得がたいです。
さらに、著者は国立の最高学府である東京大学のほか、私立大学である立教大学、桜美林大学で教鞭をとりました。したがって国立大学にも私立大学にも視野がいきとどいていて、偏りがありません。
「プロローグ」では大学の現状(大学生の学力低下を含む)、現在の環境についての現状認識。それ以降の各章では、カリキュラムのことを論じた、1章,2章が断然面白いです。
カリキュラムは大学の心臓部分であり、カリキュラム改革のない大学改革はありえないことがよくわかりました。大学人は変わらなければならない、教育、研究のそれぞれの体制の変革ということに無関心な大学人はいまや考えられないとまで言っています。そのためにも、大学人たるものは大学リテラシーを身につけなけれがならないのです。
「・・・大学教授が引き受けなければならない管理業務についてふれておきたいと思います。結論だけ言えば、大学における管理業務はコリーグ意識を基盤においた業務として意識され実行されなければ、うまくいかないと思います。ですから何人かはいつも損な役割を引き受けざるをえない。その結果つぶれる程度の研究なら初めからたいしたことはないのだ、そもそも俺がつぶれて惜しいほどの学者か、と思いながら損な役割を引き受けてきたわけです。乱暴な意見を言うと、今の大学改革の時代に、10や20の優秀な頭脳がつぶれたって構わんじゃないかというふうにまで私は思っています。現在大学の内外からの危機はそれほど深刻だと感じているのです」(p.231)と。かなり過激な意見ですが(ご本人はいたって温厚な方です)、一理あります。
夜間大学、短期大学の歴史と経緯、図書館、研究所のあり方にまで、議論は及んでいて、刺激的な論点、材料が豊富に提供されています。