【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

文学としての「青鞜」

2009-06-24 01:06:39 | 文学
岩田ななつ『文学としての「青鞜」』不二出版、2003年
              
        

   「『青鞜』の本質は文学である」(p.5)、この冒頭の一行が本書のすべてを言いつくしています。

 明治の末期(1911年)、生田長江の薦めで平塚明(はる)[平塚らいてう]が中心になって青鞜社が発足、9月に雑誌『青鞜』が創刊されました。

 創刊号には、中野初、保持研、平塚明、物集和らが結集しました。以来、青鞜社は衆目の関心を集め、野上弥生子、森しげ(鴎外夫人)、国木田治(独歩夫人)などもここに関わっりました。

 1913年に社則を変更、らいてうは編集を伊藤野枝にバトンタッチしますが、官権に睨まれ内部的な葛藤もあって1915年に自然消滅しました。

 本書はこの青鞜社が従来女性解放組織の母体と考えられていた通説に疑問を呈し、もともとは女性による文学の発表の場であり、小説発表の舞台であったことを明らかにしています。

 家父長社会、男尊女卑の風潮のなかで、人間としての自由をもとめ、男女対等の恋愛を志向しながら、それが叶わぬことに苦しみもがく女性を描くことを願い、多くの気概をもった若い女性がここに結集したのです。第二章では、物集芳、杉本まさを、加藤みどり、岡田ゆき、荒木郁の小説が吟味、検討されています。

 『青鞜』はまた外国文学、評論の受容と紹介にも大いに貢献しました。平塚らいてう自身がA・ポーに強い関心をもち、翻訳していましたし、モーパッサン、アナトール・フランス、ソーニャ・コヴァレフスカヤ、オリーブ・シュライネルの翻訳が掲載されました。このあたりの事情は第三章に詳しいです。

 『青鞜』の創刊以来百年もたっていないのに、論文、小説の書き手の実像がわかっていないことが結構多いようです。また青鞜社と『青鞜』の研究も思いのほか進んでいないようです。それというのも雑誌『青鞜』そのものを通読できる条件さえ乏しかったからです。

 著者は学生の頃から平塚らいてうに関心をもち、大学院の修士論文で「青鞜の文学」をテーマに研究し、以来、持続的にこの延長上で仕事をされています。