【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

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ロシアの女性数学者、ソーニャ・コヴァレフスカヤの評伝

2009-06-18 07:17:42 | 評論/評伝/自伝
野上弥生子訳『ソーニャ・コヴァレフスカヤ【改訂版】』岩波文庫、1978年
              
                (ウィキペディアより)

 19世紀ロシアの世界的な女性数学者ソーニャ・コヴァレフスカヤ[Софья Васильевна Ковалевская](1850-1891)が『ラエフスキ家の姉妹』という題目で書いた少女時代の回想録と、彼女の友人のスウェーデンの女流作家で後カジャネロ公爵夫人となったアン・シャロット・エドグレン・レフラー(1849-93)によって書かれた追想録が収められています。

 砲兵将官の二女としてモスクワに生まれたソーニャは偏微分方程式の権威でありコーシー・コヴァレフスカヤの定理で有名、1844年にストックホルム大学の数学の講師として招聘されました。ヨーロッパで最初の女性の大学教授です。

 その後、1891年秋にフランスの科学学士院からボルダン賞をやはり女性として初めて受賞しました。彼女は作家としての資質ももち、この本の前段の『ラエフスキ家の姉妹』を読めばその片鱗がうかがえます。

 『ラエフスキ家の姉妹』では自身をターニャとして姉のアニュータと対比して登場させています。この『ラエフスキ家の姉妹』では姉の自由への強い熱情、また姉妹のドストエフスキーとの交流、淡い恋愛感情を描いた部分にインパクトがあります。

 また、生前のソーニャとの約束を果たして彼女の生涯を綴ったアン・シャーロットの回想録では、ソーニャが地質学者のコヴァレフスキとの偽装結婚で国外に脱出し(その後コヴァレフスキとの間に一児をもうける)、数学を学び、業績をあげ、自らの地歩を築いていったこと、しかし普通の女性と同じように生活、家庭のなかに悩みをもち、子育て恋愛関係でも苦労が絶えなかったことが脚色なく語られています。
 叙述の多くは、生前に交換した手紙に依拠しています。ソーニャの生き方がテーマですが、当時のロシアの地主、貴族、思想状況、女性の地位、また今では大作家として知られるドストエフスキーの人柄などもかなり細かく書き込まれていて、興味尽きません。

 訳者の野上弥生子は、『秀吉と利休』などを書いた作家です。夫君が本屋で見つけたもの(英語版)を読み進むうちに「それがいかに私を打ち、どんな豪華本にも劣らぬ大切なもの」となり、遂に翻訳を思い立ったとのことです(p.9)。

 なお、この『ソーニャ・コヴァレフスカヤ』は野上弥生子が青鞜社にかかわっていたこともあって、その最初の発表は、一部ですが、『青鞜』に掲載されました。