斎藤憲『ユークリッド「原論」とは何か』岩波書店、2008年
著者はこの本でユークリッド『原論』の内容、その意義と限界を平易に解説しています。
『原論』そのものは失われています。現在では、後世の人間がこれを写本として残してきたもの[デンマークのハイデア版]を目にすることができるだけです(p.3)。
そもそもユークリッドがどういう人だったのかもはっきりわかっていません(pp.74-77)。数学の基本命題集である『原論』を最初に編集したのはキオスのヒポクラテス(医学のヒポクラテスとは別人)とか(p.70)。
本書で著者は「・・・『原論』が、証明という概念、命題の連鎖という数学の様式を確立したことと同時に、純粋な証明以外のメタ数学的議論を数学書から排除するという習慣を確立したことを述べ、・・・(さらに)『原論』が何だったのかと言えば、それは各時代の人々が自分たちの数学思想を読み込むことができる著作」であると評価しています。
「本書では他に、文書としての『原論』と、口頭による数学について検討し・・・『原論』が非常に読みにくい形式の著作(であるのは)・・数学が口頭で議論・伝達・教育された時代の痕跡(なのでしょう。)・・・これは『原論』の写本の図版が現代の刊本で見慣れたものと大きく違うという指摘と並んで、ごく最近の成果です」(p.126)とも述べています。
このように2000年以上前に書かれたこの著作(オリジナルは現存しない)の種々のスタイル、構成、哲学的背景、当時の数学の状況を解説し、個々の命題の証明にたちいって証明の在り方を展開し、率直にそれらの意義と問題点に触れています。
ギリシャ数学史の研究者は欧米文化圏に属する人が独占してるそうです。継続的に研究者を輩出している日本は例外であるそうです。このことを捉えて著者は、「・・・和算や詰将棋や盆栽に見られるように、実用の範囲にとらわれず何でも真剣に探究する江戸時代以来の文化的伝統からくるものかもしれません」と類推しています(p.129)。いいえて妙です。
著者はこの本でユークリッド『原論』の内容、その意義と限界を平易に解説しています。
『原論』そのものは失われています。現在では、後世の人間がこれを写本として残してきたもの[デンマークのハイデア版]を目にすることができるだけです(p.3)。
そもそもユークリッドがどういう人だったのかもはっきりわかっていません(pp.74-77)。数学の基本命題集である『原論』を最初に編集したのはキオスのヒポクラテス(医学のヒポクラテスとは別人)とか(p.70)。
本書で著者は「・・・『原論』が、証明という概念、命題の連鎖という数学の様式を確立したことと同時に、純粋な証明以外のメタ数学的議論を数学書から排除するという習慣を確立したことを述べ、・・・(さらに)『原論』が何だったのかと言えば、それは各時代の人々が自分たちの数学思想を読み込むことができる著作」であると評価しています。
「本書では他に、文書としての『原論』と、口頭による数学について検討し・・・『原論』が非常に読みにくい形式の著作(であるのは)・・数学が口頭で議論・伝達・教育された時代の痕跡(なのでしょう。)・・・これは『原論』の写本の図版が現代の刊本で見慣れたものと大きく違うという指摘と並んで、ごく最近の成果です」(p.126)とも述べています。
このように2000年以上前に書かれたこの著作(オリジナルは現存しない)の種々のスタイル、構成、哲学的背景、当時の数学の状況を解説し、個々の命題の証明にたちいって証明の在り方を展開し、率直にそれらの意義と問題点に触れています。
ギリシャ数学史の研究者は欧米文化圏に属する人が独占してるそうです。継続的に研究者を輩出している日本は例外であるそうです。このことを捉えて著者は、「・・・和算や詰将棋や盆栽に見られるように、実用の範囲にとらわれず何でも真剣に探究する江戸時代以来の文化的伝統からくるものかもしれません」と類推しています(p.129)。いいえて妙です。