【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

ドライ・クリーニングの創始者・五十嵐健治

2009-06-26 00:17:23 | 小説

三浦綾子『夕あり朝あり』新潮文庫,2000年

              夕あり朝あり

 かつて三浦綾子さんの小説は何冊か読みましたが(『氷点』『泥流地帯』『天北原野』など)、この15年ほどは皆無です。たまたま手元にあったこの本を読了しました。

 内容はクリーニング、それもドライ・クリーニングで名を馳せた白洋舎の創始者、五十嵐健治の生涯(1877-1972)を小説にしたてたものです。

 最初から最後まで、その五十嵐さんの独白となっているところがユニークです。また、三浦綾子さんがこの人の人生をとりあげたのは、彼女が若いころ脊椎カリエスと肺結核で長く療養していたころ、五十嵐さんが縁あって綾子さんを茅ヶ崎から見舞にかけつけ、病床の三浦さんの傍で自らの波乱万丈の人生を語ったことが切っ掛けとのことです。ふたりはいずれもクリスチャンでした。

 本書を読むと、五十嵐さんの人生は、凄いです。人生はおよそ3期に分けることができます。最初は生まれてすぐ養子にだされ、一攫千金を夢見て放浪し、日清戦争に従軍、帰国して北海道にわたり、タコ部屋での重労働、そこを脱走してキリスト信者として洗礼を受けるまで。

 第二期は白洋舎の草創期。三越で働いていたのを、そこをやめて西洋洗濯業を開店、ドライ・クリーニングの研究に没頭し、完成するまでです。

 第三期は白洋舎の成長と挫折の繰り返し(関東大震災、太平洋戦争など)。この間、よき妻を得、12人の子供にめぐまれますが、工場の爆発で死線をさまよったり、戦争であちこちの支店が空襲で焼かれ、苦労しました。

 激動の時代と艱難辛苦を支えたのは、実母、養母の面影、キリスト教の信仰、妻との二人三脚、よき友人、知人、そして生来の楽天的性格と、思い立ったら猪突猛進で道を切り開いていく強い精神でした。